長曽祢虎徹

ながそねこてつ

概要1 近藤勇の長曽祢虎徹

新選組局長・近藤勇佩刀の長曽祢虎徹について。

近藤勇佩刀・虎徹の大小(文久3年10月20日の手紙)

京都から武蔵国の後援者たちに書いた手紙に近藤勇が当時虎徹の大小を所持していたことが書かれているらしい。

『新選組と刀』(紙本)
著者:伊東成郎 発行年:2016年(平成28) 出版者:河出書房新社
目次:1 近藤勇と虎徹 究極の銘刀の翳り ページ数:8~15
目次:2 それからの虎徹 江戸品川での永訣 ページ数:16~23

池田屋事件で使われた近藤勇の佩刀(慶応元年6月8日の手紙)

近藤勇が池田屋事件の後、これも養父周斎ほかに当てた手紙に池田屋事件で使用した刀のことが書かれている。

『新選組始末記』(データ送信)
著者:子母澤寛 発行年:1928年(昭和3) 出版者:万里閣書房
目次:三七 池田屋事変
ページ数:178 コマ数:111

下拙僅々人数引連出で、出口に固めさせ、打込候もの、拙者始沖田、永倉、藤堂、倅周平(今年十七歳)、右五人に御座候。
一時余の間、永倉新八の刀は折れ、沖田総司刀の帽子折れ、藤堂平助刀は刃切出ささらの如く、倅周平は槍を斬折られ、下拙刀は、虎徹故に哉、無事に御座候

近藤勇佩刀の長曽祢虎徹に関する様々な説

現在の新選組研究の本などでも並べて紹介されるが、酔剣先生の『日本刀大百科事典』によれば「刀剣と歴史」「刀剣会誌」などの刀剣雑誌に載っていたらしい。

これらの雑誌を直接確認することは難しいが、現在明治40年頃の書籍などは国立国会図書館デジタルコレクションで確認できることを考えると、こうした近藤勇佩刀の虎徹に関する諸説は、近藤勇の書簡の出典としてよく紹介される子母澤寛氏の『新選組始末記』(昭和3)発行より随分前から流布していたのではないだろうか。

池田屋事件後に近藤勇が養父に送った刀の話と同じことが明治36年の本に書かれている(近藤勇の手紙の内容がある程度知れ渡っていた)ことがわかるのと、明治44年にはすでに斎藤一購入説や鴻池家から贈られた説、金子堅太郎氏所有説が講演されていたことがわかる。

今現在これらの説について細かい検討が加えられた情報を欲するならやはり伊東成郎氏の『新選組と刀』がまとまっていてわかりやすいと思われる。

源清麿の刀に偽銘が切られた贋作説

近藤勇が京都に出発する前、江戸の刀屋で名刀を求めた。
刀屋は虎徹の業物と称して虎徹と銘の切られた刀を売った。
しかしその刀はその頃湯島天神下で「鍛冶平」と異名をとる偽銘切りの名手・細田平次郎直光に偽銘を刻ませたものだった。
虎徹の偽銘を刻まれたその刀こそ、当時の名工・四谷正宗と呼ばれるほど上手の源清麿の刀である。
と、いう説。

『日本刀大百科事典』によればこの説が最も有名だと言う。

刀剣の研究書・概説書では確かにこの話だけを扱うことや、他の説にも触れながらもこの話をメインに扱っていることが多い。

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:こんどういさみのかたな【近藤勇の刀】
ページ数:2巻P295

『趣味の日本刀』(データ送信)
著者:大河内常平, 柴田光男 共著 発行年:1963年(昭和38) 出版者:雄山閣出版
目次:偽虎徹と近藤勇
ページ数:275~279 コマ数:142~144

『大日本刀剣史 下巻』(データ送信)
著者:原田道寛 発行年:1941年(昭和16) 出版者:春秋社
目次:幕末名士劍客の佩刀 近藤勇の虎徹
ページ数:575~579 コマ数:298~300

このエピソードは刀の研究書や新選組の小説だけでなく、源清麿中心の小説にも登場する。

『名剣士名刀匠』
著者:本山荻舟 発行年:1942年(昭和17) 出版者:天佑書房
目次:五 四谷正宗數奇傳
ページ:235~276 コマ数:122~143

鴻池家から出てきた盗賊を斬ったお礼として鴻池家から贈られた説

『新選組と刀』によると、ジャーナリストの鹿島桜巷氏が1910~1911年(明治43~44)にかけて『東京毎日新聞』に連載した「剣侠実伝近藤勇」で上洛後に虎徹を手に入れた二つのエピソードが紹介されているという。

元治元年正月、近藤勇が副長の山南敬助と市中を巡察に回っていた時、ある家に五人余りの不審者が入ったのを見た。
近藤と山南は賊に立ち向かい、何名かを討ち、残りを退けた。
実はその屋敷は大坂鴻池一族の別邸だったという。
鴻池家は二人に感謝し、刀の折れた山南に替えの刀を選ぶよう申し出た。
その時近藤は一刀を選んで所望し、山南には自分の刀を代わりに与えた。
近藤が選んだ刀こそ虎徹だったという。

『新選組と刀』では、このエピソードの原形は新選組の後援者で、多摩小野路村名主の小島鹿之助家に伝わる『両雄士伝』にそれらしい話が伝えられているという。

新選組隊員の斎藤一が京都の古道具屋で買ってきた無銘の刀説

『新選組と刀』によると、「剣侠実伝近藤勇」のもう一つのエピソードは鹿島桜巷氏が「御茶ノ水女子師範学校」に勤務する「斎藤五郎」(斎藤一)から取材したものとされている。

その斎藤一によると、自分が京都の古道具屋から三両で買い求めたもので、切れ味が良さそうだったので近藤に譲ったものだという。
拵付きで銅の丸鍔に龍の彫りがあり、さらに無銘だったとされる。

金子堅太郎氏所有の虎徹という説

近藤勇の虎徹を明治以降に所持していたとされる人物に、金子堅太郎氏がいる。

金子堅太郎氏自身のエッセイ『日本に還る』が発行されており、近藤勇が京都で将軍家から賜ったものだが、関東大震災で焼身になってしまったという。その後研ぎなおしたとも。

『日本に還る』
著者:金子堅太郎 発行年:1941年(昭和16) 出版者:興亜日本社
目次:虎徹と靑江下阪と近藤勇
ページ数:282 コマ数:151

下記の記事によると、研ぎなおしたのは吉川恒太郎氏のようである。

「刀剣と歴史 (417)」(雑誌・データ送信)
発行年:1964年1月(昭和39) 出版者:日本刀剣保存会
目次:研師の回顧 / 吉川恒太郎
ページ数:32 コマ数:10

結局のところ、諸説の原典探しは難しい

『新選組と刀』(紙本)
著者:伊東成郎 発行年:2016年(平成28) 出版者:河出書房新社
目次:1 近藤勇と虎徹 究極の銘刀の翳り ページ数:8~15
目次:2 それからの虎徹 江戸品川での永訣 ページ数:16~23

現在新選組の刀について最も詳しいのは新選組隊士の刀の話だけで一冊書かれたこの伊東成郎氏の『新選組と刀』ではないだろうか。

新選組に関する資料の中から刀に関する資料とその内容を一つ一つ検討している。

しかしその伊東成郎氏でも、近藤勇の佩刀が源清麿の刀に偽銘を切ったものであるという説の原典・出典は不明としている。

新選組隊士の佩刀について知りたい場合はこの一冊が参考になるが、結局のところ、どの説も原典から信頼のある情報を探すのは難しいことがわかる。

調査所感1

・昨今の話

金子堅太郎氏所有の虎徹は興里ではなく興正だという説があります。
これこそが近藤勇の本物の虎徹だ! という本もあるんですけどちょっと内容の信頼性が今一つなんで正直どうまとめようか迷うところ。

・近藤勇の虎徹の物語は「虎徹の物語」と「清麿の物語」にまたがる

ついでに当然のことながら「新選組」研究にもまたがる。

『新選組と刀』でも繰り返されているように原典を探すのは大変なのですが、近藤勇の虎徹に関する色々な説の存在自体は大体どれも明治時点ですでにあちこちで語られているのが確認できるんですよね。ちょっと原典にたどり着けないだけで。原典にたどり着けないだけで。

いやなんでだよみんなちゃんと出典を書け(150年前の人々にキレていくスタイル)。

・研究者の分野違いによる視点のずれ

近藤勇の虎徹に関しては史学(新選組研究)と刀剣学(虎徹研究)で気にしているところが全然違う印象で両方を兼ね備えたパーフェクト研究書は現時点でも存在しないのかなって感じです。

多分一番真剣に調べているだろう『新選組と刀』で原典は不明ですがを繰り返してる時点で源清麿の刀に偽銘を切った説の原典探しは特に厳しい。

というか、仮に清麿説の発生源がわかっても説の発生源がイコールで史実の解明に繋がるわけでもないですからね……。

鑑定もして史実も調べられる研究者ってめちゃくちゃ限られている。

刀剣の研究者と歴史の研究者だと見ているところが違いすぎて上の金子堅太郎氏の興正説とかももうちょっと言及する人が増えないといかんともしがたい。

史学のとくに知識が浅い感じの研究者は豪商が持っていたという話だからこの虎徹は本物! するけど刀剣の研究者はそれは絶対ありえん、大名家ならともかく商家程度が本物の虎徹を持ってるわけねーだろと言う。

一方でそういう刀剣研究者はとりあえず虎徹はこう言われているよねと出典不明の通説に言及はするけど歴史の研究者のように本気で原典を探し出したりはしない……。

どっちの界隈も現状だと根拠が足りないように見えます。
『新選組と刀』のようにはっきりと「不明」としている研究が一番正しく思える。
現状だとやはり諸説がいっぱいあるよ! としか言いようがない。

・新選組刀の延長戦

本来ならここで終わっておこうと思ったのですが、孫六兼元の実装を受けて、刀工名顕現の男士はもしかして最初から刀工作の集合体では? という可能性が出てきたので刀工名で顕現している男士の記述に追加をすることにしました。

とはいえ刀工・虎徹(興里)に関しては誰のページに追加すんの? 本当に真作を差し置いて贋作を前提に語っている長曽祢虎徹のページに追加していいのか!? となったのでもうとりあえず「蜂須賀虎徹」と「長曽祢虎徹」両方に同じ内容を置いておくことにします。

参考文献1

『幕府名士近藤勇 : 幕末奇傑』
著者:玉田玉秀斎 講演, 山田唯夫 速記 発行年:1911(明治44) 出版者:樋口隆文館
ページ数:163 コマ数:85

『刀剣一夕話』
著者:羽皐隠史 発行年:1915年(大正4) 出版者:嵩山房
目次:一 名物の刀剣
ページ数:197 コマ数:102~106

『維新史蹟図説 京都の巻』
著者:維新史蹟会 編 発行年:1924年(大正13) 出版者:東山書房
目次:虎徹の名刀
ページ数:183、184 コマ数:153、154

『新選組始末記』(データ送信)
著者:子母澤寛 発行年:1928年(昭和3) 出版者:万里閣書房
目次:三七 池田屋事変
ページ数:178 コマ数:111

『日本刀物語』
著者:小島沐冠人 編著 発行年:1937年(昭和12) 出版者:高知読売新聞社
目次:新刀の横綱虎徹
ページ数:163、164 コマ数:89、90

『日本に還る』
著者:金子堅太郎 発行年:1941年(昭和16) 出版者:興亜日本社
目次:虎徹と靑江下阪と近藤勇
ページ数:282 コマ数:151

『名剣士名刀匠』
著者:本山荻舟 発行年:1942年(昭和17) 出版者:天佑書房
目次:五 四谷正宗數奇傳
ページ:235~276 コマ数:122~143

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:こんどういさみのかたな【近藤勇の刀】
ページ数:2巻P295

『日本刀物語』(紙本)
著者:杉浦良幸 発行年:2009年(平成21) 出版者:里文出版
目次:Ⅱ 名刀の生きた歴史 2 剣豪と刀 新選組と刀 近藤勇の佩刀
ページ数:74~76

『新選組と刀』(紙本)
著者:伊東成郎 発行年:2016年(平成28) 出版者:河出書房新社
目次:1 近藤勇と虎徹 究極の銘刀の翳り ページ数:8~15
目次:2 それからの虎徹 江戸品川での永訣 ページ数:16~23

概説書

『剣技・剣術三 名刀伝』(紙本)
著者:牧秀彦 発行年:2002年(平成14) 出版者:新紀元社
目次:第五章 幕末の志士 長曽祢虎徹 近藤勇 ページ数:256

『名刀伝説』(紙本)
著者:牧秀彦 発行年:2004年(平成16) 出版者:新紀元社
目次:第四章 江戸幕末 長曽祢虎徹・和泉守兼定――近藤勇・土方歳三―― ページ数:185

『刀剣目録』(紙本)
著者:小和田康経 発行年:2015年(平成27) 出版者:新紀元社
目次:≪第四章 安土桃山・江戸時代≫ 武蔵国江戸 虎徹 長曽祢虎徹 ページ数:327

『物語で読む日本の刀剣150』(紙本)
著者:かゆみ歴史編集部(イースト新書) 発行年:2015年(平成27) 出版者:イースト・プレス
目次:第5章 打刀 長曽祢虎徹 ページ数:122、123

『図解日本刀 英姿颯爽日本刀の来歴』(紙本)
著者:東由士 編 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:古今東西天下の名刀 長曽祢興里入道虎徹 ページ数:83

『刀剣物語』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:長曽祢興里作の刀 長曽祢虎徹 ページ数:136、137

『刀剣説話』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2020年(令和2) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
(『刀剣物語』発行年:2015年を加筆修正して新たに発行しなおしたもの)
目次:江戸・幕末の名刀 長曽祢虎徹 ページ数:196、197

『刀剣聖地めぐり』(紙本)
発行年:2016年(平成28) 出版者:一迅社
目次:長曽祢虎徹 ページ数:62

概要2 刀工・興里について

長曽祢興里入道虎徹について

長曽祢興里入道虎徹と称する江戸新刀の代表工。

主に『日本刀大百科事典』の記述を参考とし、出典については直接確認できてないものが多いのでその辺に関してはご了承ください。

1596年(慶長1)~1605(慶長10)頃出生

近江国長曽根村、現在の彦根市長曽根の出身。

『日本刀大百科事典』では「刀剣と歴史」を出典として慶長元年(1596)2月18日出生としている。

しかし、虎徹の生年は確定する史料がないため様々な説が挙がっている。

『虎徹大鑑』では1605年(慶長10)頃を生誕としている。

通称について

『日本刀大百科事典』によると、通称は

『砂鉄と日本刀』では三之丞。
『観世音寺資財帳』では才市。

(『砂鉄と日本刀』は国立国会図書館デジタルコレクションにあるが該当箇所が検索には引っかからなかった。『観世音寺資財帳』は史料そのものが翻刻されていなさそう)

福井への移住

『新刃銘盡』『川尻町史』『続名将言行録』などによると

関ケ原合戦の戦火を避けて、父に抱かれ越前福井に移ったという。

『日本刀大百科事典』では
井伊家が彦根に入城すると、長曽根の住民を強制的に立ち退かせた。それで福井へ逃げ出したのであろう。
と推測している。

福井では羽下町一〇六番地にいたらしく、今でも“虎徹屋敷”と呼ばれている。

(これらの出典は一部読めないものもあるが、『続名将言行録』など国立国会図書館デジタルコレクションで本自体は引っかかってきても内容の検索で該当記述を見つけられなかった。なんでや)

入道して初めは「古鉄」、のちに「虎徹」と称した。

入道して、初めは古鉄、のちには虎徹と称した。

刀の銘文の変遷から判明している。

『日本刀大百科事典』によると、『刀剣発微』で一心斎と号したともいうが、それを刀銘に切ったものはないという。

鍛刀の師は上総介兼重か

興里の師匠は諸説があったが、昭和からの虎徹研究の軸となっている『長曽祢虎徹の研究』『虎徹大鑑』などでは上総介兼重説を推し、『名刀虎徹』などもその見解が中心である。

長曽祢興里入道虎徹の前半生は、甲冑師

前半生は甲冑師だったが、自ら刀銘に「至半百居住武州之江戸」と切っているとおり、五十歳くらいで江戸に出、刀工に転向した。

『日本刀大百科事典』によると、『名甲図鑑続編』を出典として、

その時期は甲冑の銘に、「乙未明暦元年八月日 長曽祢興里、於武州江戸作之」とあるから、
明暦元年(1655)以前でなければならぬ。

と、している。

長曽祢興里の江戸出府に関しては「致半百」の解釈が難しく、どの研究書でも常に検討されているポイントである。「ちょうど50歳」「50歳を過ぎた」のどちらかで出生時期がずれる。

越前から江戸へ、そして江戸の人気刀工へ

その作刀は非凡な切れ味と、見事な彫刻とによって、たちまち江戸の人気をさらった。

『長曽祢虎徹の研究』によると、
万治3年頃より寛文2年頃まで常陸国額田藩に抱えられ大塚吹上の屋敷で五十人扶持をくだされたとあるらしい。

この説はすでに『名刀虎徹』で検討されていて、額田藩の独立時期を考えると虎徹が仕えたことは考えづらいが、弟子の興正であれば全否定はできないかもしれないとのことである。

『日本刀大百科事典』ではほかにも

幕臣・稲葉正休から召し抱えられたこともある。
なお郷里彦根に帰省して鍛刀したこともある。
今なお“虎徹淬刃吹”と石標のたった古井戸が残っている。

と紹介している。

江戸での住所は

『慶長以来 新刀問答』によると、
初め本所割下水、のち上野池の端湯島にいたという。

『国花万葉記』に「小鉄 神田」とあるので神田説もあったが、これは『名刀虎徹』によれば弟子の興正ではないかとのことである。

晩年は上野の「御花畑」付近にいた

晩年は上野の“御花畑”付近にいたと見え、刀銘に「住東叡山忍岡辺」と切ったものがある。

『乕徹大鑒(虎徹大鑑)』によると1671年(寛文11)頃、67歳頃と考えられている。

『乕徹大鑒』(データ送信)
発行年:1955年(昭和30) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:長曾禰虎徹年表
ページ数:51 コマ数:81

1681年(延宝6)年頃没

『虎徹大鑑』によると、延宝6年頃没。

『長曽祢虎徹の研究』の時点で福井妙歓寺の過去帳から延宝6年6月24日とされている。

『虎徹大鑑』でも興里の作刀に見る年紀が延宝5年2月を最後としていることから、ほぼその頃だと同意されている。

彫刻の名人

興里は彫刻の名人で、剣巻き竜が主であるが、浦島太郎・大黒天・蓬莱山・風雷神などもある。

浦島太郎の彫物がある刀は「浦島虎徹」。
風雷神の彫物がある刀は「風雷神虎徹」として知られている。

最上大業物

『懐宝剣尺』によると切れ味は“最上大業物”と格付けされている。

「三ッ胴截断」と山野加右衛門の試し銘の入った刀もかなりある。

『袖中鑑刀必携』
著者:近藤芳雄 編, 高瀬真卿 (羽皐) 閲 発行年:1912年(明治45) 出版者:羽沢文庫
目次:山田浅右衛門の切味目録
ページ数:10 コマ数:12

特徴と作風

『日本刀大百科事典』によると、

興里の刀の特徴は、まず当時、無反りの刀が流行したので、反りの浅いものが多いこと。
したがって姿は良くないものが多い。

つぎは地鉄の杢目肌が詰まって強いこと。
これは切れ味の優秀な所以でもある。

刃文は五の目乱れや彎れ刃を好んで焼くが、いずれも足が入り、鋭さを感じさせる。
鋩子は小丸、上品に返る。
茎の鑢目は初め筋違い、のち勝手下がりとなる。

銘は「興」を初め略体(奥の米部分を×にしたような字)に切るので、これを“略興”とよぶ。「虎」も初めは最後の画を、上に蛇行させて跳ね上げるので、“跳ね虎”という。これに対して「乕」という略体に書いたものを、“角虎”とよんでいる。

興里の銘は直線的であるため、偽銘が切りやすいとみえ、巧妙な偽銘が多い。

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:おきさと【おきさと】
ページ数:1巻P212、213

「虎徹を見たら、偽物と思え」

『長曽祢虎徹の研究』によると、

「虎徹を見たら偽物と思へ」とさえ言われている。

『長曽禰虎徹の研究 下』(データ送信)
著者:杉原祥造 著, 内田疎天 編 発行年:1926年(大正15) 出版者:杉原日本刀学研究所
目次:第二章 偽作と其鑑別の一新法
ページ数:183 コマ数:78

著名作

稲葉正休の虎徹

1684年(貞享1)、稲葉正休が殿中で堀田大老を刺した刀は、興里の作だった。

『日本刀大百科事典』ではこのエピソードは福永酔剣氏自身の著書『日本刀名工伝』を紹介しているが、この時稲葉正休が虎徹の刀を使ったという話は『徳川太平志』などに載っているようである。
『名刀虎徹』によれば出典は『武備目睫』だそうだが、小笠原信夫氏としてはこの話に信憑性はないという。

『日本刀名工伝』は図書館の書庫にあったり最近また新版が発行されている。

『通俗日本全史 第12巻 徳川太平志(後藤宙外)』
著者:早稲田大学編輯部 編 発行年:1912~1913(明治45~大正2) 出版者:早稲田大学出版部
目次:稲葉正休、堀田正俊を刺す
ページ数:274 コマ数:162

近藤勇の虎徹

『日本刀大百科事典』では「興里」の項目では一言で簡単にまとめている。

“世間周知の近藤勇の虎徹については、偽物説・二代虎徹興正説・無銘説などあって、興里の正真でなかったことは確かである。”

また、『日本刀大百科事典』には「近藤勇の刀」という項目もありそちらにも記載がある。

近藤勇の長曽祢虎徹に関しては長曽祢虎徹研究、新選組研究、または源清磨関係など様々な分野で言及されている。

犬養木堂の風雷神虎徹

『名刀虎徹』によると、
犬養木堂こと犬養毅元総理が所蔵したのは風雷神の彫物がある「風雷神虎徹」だそうである。

5.15事件で犬養毅が暗殺された後、子息の手で重要美術品認定された。
終戦後に一度行方を失ったが、その後アメリカで発見され再び日本に戻ったという。

勝海舟の海舟虎徹

『名刀虎徹』によると、
勝海舟が所有していた「海舟虎徹」がある。
鞘書に勝海舟の所有であったことが書かれていたらしいが、その鞘は現在は新しいものに作り直されているともいう。

大久保一翁の虎徹

『名刀虎徹』によると、
大久保一翁こと大久保忠寛も虎徹を所有していたとされる。

『長曽祢虎徹の研究』所載の
「住東叡山忍岡辺長曽祢興里作 寛文拾弐年八月吉祥日」銘の刀だったが関東大震災で焼失したという。

井伊直弼の脇差

『名刀虎徹』によると、
安政の大獄で有名な井伊直弼の登城用の大小は一竿子忠綱の大刀と虎徹の脇差・小さ刀だったという。

大老職にあるほどの大名が登城用の大小を新刀で揃えるのは珍しいとされる。

他にもまだいろいろある

山岡鉄舟や木戸孝允が所有した虎徹、石燈籠を切ったという逸話のある石燈篭など様々な名作がある。

調査所感2

・偽銘の知識が必要になるような気がした調査結果

刀工・虎徹こと長曽祢興里について適当もとい簡単にまとめてみました。

やってみたかんじ、とりあえず虎徹がどういう刀工かという把握に関しては『日本刀大百科事典』みたいに全体の流れを一通り抑えた本で概略を掴んでから『長曽祢虎徹の研究』『虎徹大鑑』『長曽祢虎徹新考』や『名刀虎徹』に進むのがいいかなと思います。

ただ虎徹の研究の中でも贋作の話題をするなら虎徹だけじゃなく清磨を始めとする新々刀の偽銘の知識がやっぱり必要そうだなと思います。

憶測主体の研究史を解剖するにはその憶測を形成している側の心理と思考回路を把握する必要があるんですが、虎徹と新選組研究に関してはそこに必要とされる知識が半端ないですねこれ。

・とうらぶの中だと虎徹の調査はかなり面倒

私もここまで通算90振りくらい研究史を調べているんですが、この長曽祢さんが研究史調査としてはダントツで面倒ですでにキレそうです……。

そしてとうらぶの中で一番情報が少なくて、むしろ情報が多い刀よりも調べるのが面倒なのは蜂須賀だと思います……。

おのれ、虎徹兄弟!

とりあえず虎徹をやるには結構な覚悟が必要なことがわかりました。
頑張りたい人は頑張ってください。

というか、何が一番面倒かっていうと、とうらぶ制作側はそのクソ面倒な虎徹の知識をかなり持っているってことですよね。蜂須賀の言動からすると一般的な虎徹の研究史は多分しっかり押さえている。

つまり単にとうらぶの虎徹兄弟について知りたいだけだとしても、その知識に追いつかなければ本当の意味で彼らの物語を理解できない。虎徹だけじゃなく清磨、それも偽銘関連もやるんだぞ、と。

どの刀も一度調べ始めればそれなりに面倒だなとは思うんですが、ここまでやった感じ一番大変だなという印象です。

参考文献2

『通俗日本全史 第12巻 徳川太平志(後藤宙外)』
著者:早稲田大学編輯部 編 発行年:1912~1913(明治45~大正2) 出版者:早稲田大学出版部
目次:稲葉正休、堀田正俊を刺す
ページ数:274 コマ数:162

『袖中鑑刀必携』
著者:近藤芳雄 編, 高瀬真卿 (羽皐) 閲 発行年:1912年(明治45) 出版者:羽沢文庫
目次:山田浅右衛門の切味目録
ページ数:10 コマ数:12

『長曽禰虎徹の研究 下』(データ送信)
著者:杉原祥造 著, 内田疎天 編 発行年:1926年(大正15) 出版者:杉原日本刀学研究所
目次:第二章 偽作と其鑑別の一新法
ページ数:183 コマ数:78

『乕徹大鑒』(データ送信)
発行年:1955年(昭和30) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:長曾禰虎徹年表
ページ数:51 コマ数:81

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:おきさと【おきさと】
ページ数:1巻P212、213

『名刀虎徹』(電子書籍版)
著者:小笠原信夫 発行年:2013年 出版者:文芸春秋(文春ウェブ文庫)