南海太郎朝尊

なんかいたろうちょうそん

概要

刀工・南海太郎朝尊について

土佐国高岡郡黒岩村二ツ野三十一番屋敷(高知県高岡郡佐川町二ツ野)の大鋸鍛冶・森岡善右衛門の次男。

通称は友之助・朝之助・孝之助・刀銘は友尊・友高とも。
朝尊はトモタカともチョウソンともよむ。
号は雲匂子・南海太郎。

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:ちょうそん【朝尊】
ページ数:3巻P248

文政(1818~1830)年中、反対する妻を離別して刀工に転向、伊賀守金道の門に入る

『新刀銘集録』、『土佐遺聞録、『土佐偉人伝』などによると、

刀工に転向するため、文政(1818)年中、反対する妻を離別して、京都にのぼり、伊賀守金道(8代目)の門に入ったという。

『土佐偉人伝』(データ送信)
著者:寺石正路 発行年:1940年(昭和15) 出版者:寺石正路
目次:第八節 美術諸藝並刀工 二十三人
ページ数:172、173 コマ数:103

『土佐遺聞録 訂補』
著者:寺石正路 編 発行年:1909年(明治42) 出版者:開成社
目次:近代二人の剣工
ページ数:224、225 コマ数:119

見ての通り『土佐遺聞録と『土佐偉人伝』の著者は同じなので、南海太郎朝尊に関してはほとんど書いてあることも同じ。

『新刀銘集録』は刀工・南海太郎朝尊自身の著書だが2023年現在、国立国会図書館デジタルコレクションではこの本そのものは読めない。
断片的な内容自体は刀剣の研究書ではよく引用されているようです。

さらに江戸へくだり、水心子正秀に入門

『日本刀大百科事典』によると、京都で伊賀守金道の門に入った後、さらに江戸へくだり、水心子正秀に入門。

『土佐遺聞録』、『土佐偉人伝』によると
天保(1830~1844)年間、湯島天神の傍に居住した。

南海太郎朝尊が水心子正秀に入門したことは一部の刀剣書では普通に書かれているが、 『土佐遺聞録』のような資料には書かれていないことがかなりあり、いまいち事実がわからない。

天保(1830~1844)の末、京都に再帰し、伊賀守金道家に同居

天保の末、京都に再帰し、伊賀守金道家に同居し、代作をした。
そして権守を受領した。

代作辺りの事情の出典は『服部押形』という、幕末の頃の土佐藩にいた愛刀家・服部命助政久の採った押形集らしい。
下記の雑誌でその押形集の内容に主に伊賀守金道周りの事情を中心に触れられている。

「刀剣と歴史 (493)」(雑誌・データ送信)
発行年:1976年9月(昭和51) 出版者:日本刀剣保存会
目次:三品一門の疑問について / 千鳥庵主人
ページ数:49 コマ数:29

(ちなみにこの記事で「千鳥庵主人」と名乗っているのが酔剣先生であることも確定した)

その後、独立して転居

『日本刀大百科事典』によると、それから独立して、堀川一条・西陣・島原の南の旧鴻臚館(こうろかん)(東寺)などに転居。

大坂における駐槌作、土佐に帰省して城下の尾戸または煤原での作もある。

特に出典はないが南海太郎朝尊の場合、打った刀の銘文に住所を切っていることがあるので銘文から判明しているようである。

『入門日本刀』(データ送信)
著者:清水澄 発行年:1963年(昭和38) 出版者:徳間書店(リビングライブラリー)
目次:新々刀期の主な刀匠 南海太郎朝尊
ページ数:176 コマ数:92

銘は一条堀川住人朝尊、朝尊、山城国西陣住朝尊、南海太郎朝尊、平安城住朝尊、ちょうそんつくる、一条堀川住南海太郎朝尊、権守朝尊、など。

「藤代月報 (6月號)(130)」(雑誌・データ送信)
発行年:1935年6月(昭和10) 出版者:藤代義雄
目次:通信賣刀目錄(弊店創案)
コマ数:2

23 脇指 平安旧鴻臚館住朝尊

晩年は洛北岩倉の幡枝(左京区幡枝町)に居を定めた

『日本刀大百科事典』によると、

晩年は洛北岩倉の幡枝(左京区幡枝町)に居を定めた。
初め幡枝町福枝二〇番地の“下の寺”とよばれる尼寺、のち幡枝町南庄四四番地に新築して移った。

刀工としての活動のかたわら剣術も教えていたが、慶応二年(1866)4月7日没、61歳。

晩年に幡枝町に居住した話は下記の本にも載っている。
教えていた剣道は「気心流」だとも書かれている。

『高吾北文化史 第2巻 (伝説と実話篇)』(データ送信)
著者:明神健太郎 編著 発行年:1963年(昭和38) 出版者:明神健太郎
目次:四、話題にのこる名技の人々
ページ数:254、255 コマ数:142

没年は古い刀剣書だと慶応元年とされているが、『日本刀の歴史 新刀編』だと「慶応二年」とされている。

著作

『日本刀大百科事典』によると刀工・南海太郎朝尊の著作は三冊。

『刀剣五行論』を嘉永5年(1852)に出版。
『新刀銘集録』を安政3年(1856)に出版。

さらに『宝剣奇談』も脱稿していたが、上梓の機会を逸した。

作風

姿やさしく、地鉄は硬くて無地風、刃文は備前伝の丁子乱れと、相州伝の大乱れのほか、山城伝の直刃もある。
彫刻も好んで彫る。

銘に「左手朝尊」と切ったものがある。
左利きだったからで、そのため中心棟は左鑢つまり逆鑢となる。

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:ちょうそん【朝尊】
ページ数:3巻P248

水心子正秀とならぶ東西の指導者であり教育家

『日本刀の歴史 新刀編』によれば、

江戸の水心子正秀の復古論に呼応して、復古鍛刀法を説いて諸国を行脚し多くの門人を得た刀剣理論家であり、教育家として、水心子正秀と共に、東西の双璧と称された

らしい。

『日本刀の歴史 新刀編』(紙本)
著者:常石英明 発行年:2016年(平成28) 出版者:金園社
目次:第3部 新々刀鍛冶の部 山城国(京都府) 朝尊一派 南海太郎朝尊
ページ数:286、287

『日本刀大観 下巻』
著者:本阿弥光遜 発行年:1942年(昭和17) 出版者:日本刀研究会
目次:第三 新刀の部
ページ数:1016、1017 コマ数:383

盛岡朝尊は土佐国の人である。文政年中に上洛した。号を南海太郎と称し 尊長親王十九代の孫と自称したと言はれる。当時東の水心子に対するに西の南海太郞と東西の両橫綱と讃へられてゐたと伝へて居るが、朝尊は正秀と同様実際家と言ふよりは寧ろ鍛刀界の指導者であり教育家であつたと伝へて居る。

南朝の後裔を自称

南海太郎朝尊は著書の『新刀銘集録』にて、後醍醐天皇の皇子、尊長親王十七代の孫を自称していたらしい。
しかし、これは数々の刀剣書で否定されている。

『刀剣鑑定秘訣 新刀編 巻5』
著者:本阿弥弥三郎 発行年:1905年(明治38) 出版者:青木嵩山堂
目次:第十編 雑編 朝尊
ページ数:144~148 コマ数:74~76

有名な弟子は二人

南海太郎朝尊の弟子は下記の二人が有名。

駒井慶任
千草有功

千草有功は公家が趣味で刀を鍛えていたもので、作品はそれほど上手ではなく数も少ないが、刀身に自分で詠んだ和歌を彫っているという。

『日本刀の鑑定と鑑賞 (実用百科選書) 』(データ送信)
著者:常石英明 発行年:1967年(昭和42) 出版者:金園社
目次:新刀時代(慶長~現代) ページ数:18、19 コマ数:38
目次:近畿地方 ページ数:181 コマ数:119

勤皇刀匠

南海太郎朝尊は伊賀守金道に師事していた在京中に、弟子である千草有功卿などの公卿たちや柳川星巌、貫名菘翁など勤皇の諸家と親交厚く、大いに勤皇論を強調した。

更に安政の頃、一度佐川に帰郷した際に深尾の若侍たちに勤皇論を鼓吹したため、藩主山内氏や国老深尾家の耳に入り、叱責を受けて追い返されたという。

刀工であった古沢八左衛門(南洋)が佐川勤皇党の先導者となったことも、南海太郎朝尊に師事した徒弟中の感化によるものと言われている。

『高吾北文化史 第2巻 (伝説と実話篇)』(データ送信)
著者:明神健太郎 編著 発行年:1963年(昭和38) 出版者:明神健太郎
目次:四、話題にのこる名技の人々
ページ数:254、255 コマ数:142

土佐藩が左行秀を招聘したのに立腹したというエピソード

いくつかの研究書で、刀工・南海太郎朝尊は他国者の左行秀が山内家の抱え工となったことに立腹したとか、土佐で居心地が悪くなったので京都に行ったとかいう内容が語られている。

ただしこのエピソードに関する明確な出典らしい史料名などは書かれていない。

左行秀は新々刀の刀工中でも水心子正秀、源清麿、大慶直胤等と並ぶトップクラスの人物で、南海太郎朝尊の腕前はそれらの刀工には劣るという。

『新刀古刀大鑑 下巻』(データ送信)
著者:川口陟 発行年:1930年(昭和5) 出版者:日本刀剣学会
目次:第一編 畿内 第一章 山城國 盛岡朝尊
ページ数:69~72 コマ数:411~414

『日本刀の歴史 新刀編』(紙本)
著者:常石英明 発行年:2016年(平成28) 出版者:金園社
目次:第3部 新々刀鍛冶の部 山城国(京都府) 朝尊一派 南海太郎朝尊
ページ数:286、287

南海太郎朝尊鍛工房跡と劔井は現在「佐川町指定文化財」

南海太郎朝尊鍛の工房跡と劔井と呼ばれる井戸は現在、「佐川町指定文化財」となっている。

『佐川町史 下巻』(データ送信)
発行年:1981年(昭和56) 出版者:佐川町
目次:八 近代から現代の美術・工芸 ページ数:590 コマ数:322
目次:九 佐川の保護文化財 ページ数:600 コマ数:327
目次:一一 佐川の人びと ページ数:630 コマ数:342

下記の雑誌にも劔井や南海太郎朝尊の子孫の話などが載っている。

「土佐史談 (33)」(雑誌・データ送信)
発行年:1930年12月(昭和5) 出版者:土佐史談会
目次:雜録 鄕土志斷片/杜山居士 其百九 剣工南海太郎朝尊の出生地
ページ数:107、108 コマ数:58、59

武市半平太佩刀としての南海太郎朝尊

万延元年(1860)、武市半平太は岡田以蔵や久松喜代馬、島村外内を伴い武者修行の西国遊歴(西国諸藩の動静視察が真意とも)に出た。
道中で以蔵を豊後国岡藩の堀道場に託して、年末に帰国した。

帰国した武市半平太が持っていたのが、国学者・平田篤胤の『霊能真柱』と南海太郎朝尊の一振りであった。

『維新土佐勤王史』
著者:瑞山会 編 発行年:1912年(大正1) 出版者:富山房
目次:維新土佐勤王史全部壹百五十囘
ページ数:64 コマ数:83

然るに瑞山が行李中に在りしものは、「靈の眞柱」一部と、新に宿毛にて購ひたる、南海太郞朝尊の新刀のみ、

岡田以蔵の「肥前忠広」を脇差に直したのも刀工・南海太郎朝尊だという

岡田以蔵の「肥前忠広」は、古い研究だと坂本龍馬から借りた、あるいはもらったものとされていました。
(『坂本龍馬と刀剣』)

しかし、最近の岡田以蔵研究の本を参考にすると、武市半平太の書簡に以蔵の折った肥前の刀を刀工・南海太郎朝尊に焼き直させたという記述があることから、岡田以蔵の肥前忠広は龍馬からの借り物や貰い物ではなく、武市半平太から借りたという話が有力になっているようです。
(『真説 岡田以蔵 幕末暗殺史に名を刻んだ「人斬り」の実像 』)

『武市瑞山関係文書  第2』
著者:日本史籍協会 編 発行年:1916年(大正5) 出版者:日本史籍協会
目次:入獄時代 慶応元年二月二十五日(瑞山ヨリ島村寿之助同寿太郎へ)
ページ数:67 コマ数:40

京ニテ七兒ノ折レシ肥前ノ刀朝尊ニ燒キ直サセ長キ脇指ニコシラヘ置候來吉歸リ之時取リ帰り有之候ハ、御預ヶ申候私留守へ置クトよろしあらば候

「七兒」というのは「岡田以蔵」だと注釈がついている。

調査所感

・水心子正秀との謎の師弟関係

とりあえず言いたいのはこれだ。

川口先生――!! この本に載ってる南海太郎朝尊の鼻っ柱を折るために水心子正秀がわざと刀を冷やして折れやすくした話の出典はどこですかぁあああ!!

『日本刀襍記』(データ送信)
著者:川口陟 発行年:1943年(昭和18) 発行年:照文閣
目次:實戰に於ける日本刀
ページ数:13、14 コマ数:9、10

『刀の手引』(データ送信)
著者:川口陟 発行年:1933年(昭和8) 出版者:南人社
目次:第四章 軍刀の撰擇 三 正秀と朝尊
ページ数:55、56 コマ数:32、33

南海太郎朝尊が水心子正秀の門人だという話は一部の刀剣書には書かれているんですが、出典はなし。
どういう経緯から導き出しているのかもちょっと不明。

刀工の師弟関係って他の刀工でもなんとなく言い伝えられているものが結構あって、本によって表現が結構違う場合もあるので一口に師弟と言ってもかなりイメージが違うかもしれません。
ここでまとめた南海太郎朝尊と伊賀守金道や千草有功卿との関係も伊賀守金道の後見をしたとか千草有功卿の鍛刀の相手を務めたとか記述によって結構印象変わってきます。

・刀工の詳細をまとめるのは刀の来歴以上に難しい

刀工の詳細な経歴に関してはむしろこれが普通の刀剣研究のメインと言えるくらい様々な研究者がやっていますが、その分まとめるのは難しいです。

話の内容がどういうタイミングでどういう理由で更新されているか全容が掴みにくいので、新しい本だから絶対正しいとも言えませんし、出典なしに整理されすぎた内容は逆に古い情報を知りたいときに不便です。

(そもそも刀剣の研究書は古いものが復刻されて最近の日付で出版されている場合がかなり多いです。参考文献一覧の発行年はあくまでも私が見た版の書誌なんで、内容の初出ではありません)

ある程度時間をかけてまとめれば大体どういう主義や派閥の研究者が先人の内容を踏襲しているかある程度整理できるかもしれませんが、結局「ある程度」しかわからないのも事実です。

刀工に関して調べる時は、刀の来歴以上にはっきりした結果が返らないのを承知の上でやるしかないと言えます。

まぁ絶対に正しい年表を作る誓いでも立てていない限りは研究書を読めば読むほど南海先生のように個性的なエピソードに溢れていて楽しいです。

・武市半平太の南海太郎朝尊

デジコレで調べた限り初出は『維新土佐勤王史』でしょうか?

もしかしたら雑誌記事なんかの方が早い可能性もありますが、書籍だと他の本はこれの内容を基本的に引いていると思います。

武市半平太が刀工・南海太郎朝尊に仕事を依頼していること自体はそれこそ岡田以蔵の肥前忠広を脇差に直すのを依頼した記録が残っていることからも判明しています。

参考文献

『刀剣鑑定秘訣 新刀編 巻5』
著者:本阿弥弥三郎 発行年:1905年(明治38) 出版者:青木嵩山堂
目次:第十編 雑編 朝尊
ページ数:144~148 コマ数:74~76

『剣話録 下』
著者:剣話会 編(今村長賀) 発行年:1912年(明治45) 出版者:昭文堂
目次:四 北陸物新刀
ページ数:19 コマ数:15

『日本刀』(データ送信)
著者:本阿弥光遜 発行年:1914(大正3) 出版者:日本刀研究会
目次:三、 刀の時代別(歷史と刀劍)
ページ数:39~41 コマ数:53、54

『新刀古刀大鑑 下巻』(データ送信)
著者:川口陟 発行年:1930年(昭和5) 出版者:日本刀剣学会
目次:第一編 畿内 第一章 山城國 盛岡朝尊
ページ数:69~72 コマ数:411~414

『日本刀講座 第2巻 (科学篇)』(データ送信)
著者:雄山閣 編 発行年:1934年(昭和9) 出版者:雄山閣
目次:日本刀の科学的研究
ページ数:504、505 コマ数:282

『日本刀講座 第11巻 (雑)』(データ送信)
著者:雄山閣 編 発行年:1935年(昭和10) 出版者:雄山閣
目次:第九章 作風と作刀吟味
ページ数:107 コマ数:61

『日本刀工辞典 新刀篇』
著者:藤代義雄 発行年:1937年(昭和12) 出版者:藤代義雄
目次:〔と〕
ページ数:22、23 コマ数:18

『日本刀大観 下巻』
著者:本阿弥光遜 発行年:1942年(昭和17) 出版者:日本刀研究会
目次:第三 新刀の部
ページ数:1016、1017 コマ数:383

『日本刀襍記』(データ送信)
著者:川口陟 発行年:1943年(昭和18) 発行年:照文閣
目次:實戰に於ける日本刀
ページ数:13、14 コマ数:9、10

『土佐武道史話 (高新シリーズ ; 第1) 』(データ送信)
著者:平尾道雄 発行年:1961年(昭和36) 出版者:高知新聞社
目次:六 武市半平太と剣法
ページ数:134 コマ数:76

『入門日本刀』(データ送信)
著者:清水澄 発行年:1963年(昭和38) 出版者:徳間書店(リビングライブラリー)
目次:新々刀期の主な刀匠 南海太郎朝尊
ページ数:176 コマ数:92

『高吾北文化史 第2巻 (伝説と実話篇)』(データ送信)
著者:明神健太郎 編著 発行年:1963年(昭和38) 出版者:明神健太郎
目次:四、話題にのこる名技の人々
ページ数:254、255 コマ数:142

『日本刀全集 第1巻』(データ送信)
発行年:1966年(昭和41) 出版者:徳間書店
目次:口絵図版 八八葉
ページ数:49、50 コマ数:28、29

『日本刀全集 第4巻』(データ送信)
発行年:1967年(昭和42) 出版者:徳間書店
目次:新々刀 柴田和雄 墨賢蔵
ページ数:100 コマ数:54
ページ数:145 コマ数:76

『日本刀講座 第5巻 (新々刀鑑定編) 新版』(データ送信)
発行年:1967年(昭和42) 出版者:雄山閣出版
目次:新々刀後期の一般的な作風
ページ数:82 コマ数:95
目次:七 岐阜の刀匠1 御勝山永貞(この章の途中に朝尊の押形と解説だけ挿入)
ページ数:357 コマ数:232

『日本刀の鑑定と鑑賞 (実用百科選書) 』(データ送信)
著者:常石英明 発行年:1967年(昭和42) 出版者:金園社
目次:新刀時代(慶長~現代) ページ数:18、19 コマ数:38
目次:近畿地方 ページ数:181 コマ数:119

「刀剣と歴史 (465)」(雑誌・データ送信)
発行年:1972年1月(昭和47) 出版者:日本刀剣保存会
目次:添え銘の話(上) / 福永酔剣
ページ数:35 コマ数:24

「刀剣と歴史 (468)」(雑誌・データ送信)
発行年:1972年7月(昭和47) 出版者:日本刀剣保存会
目次:続添え銘の話(上) / 福永酔剣
ページ数:49 コマ数:29

「刀剣と歴史 (493)」(雑誌・データ送信)
発行年:1976年9月(昭和51) 出版者:日本刀剣保存会
目次:三品一門の疑問について / 千鳥庵主人
ページ数:49 コマ数:29

『佐川町史 下巻』(データ送信)
発行年:1981年(昭和56) 出版者:佐川町
目次:八 近代から現代の美術・工芸 ページ数:590 コマ数:322
目次:九 佐川の保護文化財 ページ数:600 コマ数:327
目次:一一 佐川の人びと ページ数:630 コマ数:342

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:ちょうそん【朝尊】
ページ数:3巻P248

「土佐史談 (179)」(雑誌・データ送信)
発行年:1992年3月(平成4) 出版者:土佐史談会
目次:谷景井著『仏論』と平田篤胤の評 / 竹本義明
ページ数:2 コマ数:3

『日本刀の歴史 新刀編』(紙本)
著者:常石英明 発行年:2016年(平成28) 出版者:金園社
目次:第3部 新々刀鍛冶の部 山城国(京都府) 朝尊一派 南海太郎朝尊
ページ数:286、287