今更舞台の特報PV見ながらちょっと考えたんですが、この感じだと国広は多分慈伝の頃から三日月を取り戻したいという想いはあった感じだよね。
ああ、ようやく国広周りの感情の天秤が見えてきたというか、要するに国広の立場だと「三日月の居た過去」と「長義の居る未来」が完全にトレードオフなのか。
三日月は「義輝の刀としての感情」と「本丸への想い」の間で動けなくなった感じだけど、国広は三日月と長義のどちらかしか選べない二択。
それで長義の居る今(未来)の本丸を選んじゃって三日月への想いを一度捨てるから切り捨てた感情が鵺のように敵に回るのか。
いくら三日月を取り戻したくてもその手段がない以上、今の国広がそれをするなら本丸裏切って遡行軍に堕ちるしかないけど、国広の性格上それは当然しないだろう。
その道を諦めさせるのが、三日月のいる過去には居ない長義の存在。
遡行軍堕ちするより本歌と今の本丸で頑張る。考え方としてはとても健全。
ただ、人間からするととてもまともなその選択が、刀剣男士としては部分的に偽物呼びを飲み込んじゃったせいで自分の逸話、歴史の否定だからはいアウトねー判定されるのか。天の理厳しすぎない?
三日月と長義が同時に本丸に居たことがないという事実がここにきて凄く重要になってくる……。
そういえば慈伝で長義くんが三日月は「今はない刀」と強調していたような……。
単独行が日本刀史なら国広が見てくるのは自分じゃなくてどちらかというと三日月の歴史だと考えられる。つまり、舞台の慈伝辺りまでを第1部と考えるそこで語られなかった三日月の感情を国広が掴んでくることによって情報が判明する。
……じゃあ第2部の本歌と写しの感情の暴露は第3部になるのでは。
原作ゲームでも「第一節 朔」を超えて大型アップデートで疲労度(気力)が数値化・表面化したように、第二節(第3部以降?)からこれまで見えなかった情報が明らかになるターンが始まるんだよね。
原作ゲームも舞台も他の派生も全部この構成ではないか?
山姥切問題というか結局、本歌と写しのお互いへの想いはどうなのよ、というテーマに関して明らかにするのは、最初からこのタイミングで計算していたのだろうと思う。
本歌と写しの関係性に関して、お互いの感情含むあえて隠していた情報を第二節から明らかにすると。
最初からおそらくそういう物語構成。
舞台は割と慈伝の評価が割れているというか、国広メインの割に長義との関係にフォーカスされていないように語られる意見も目にするんですが……この構成だとむしろ物語中盤で一番強調される主題は国広と長義の関係性、お互いへの想いなのではないか?
山姥切の本歌と写しの場合はそこにお互いの歴史、研究史、号の問題、歴史と物語の相克全部絡んでくる。研究史的に考えるとむしろ国広の話の主題を長義との関係性に置くことは自然。
だから逆にあえて最初三日月と組ませたことに意味が出るわけで。
第1部は三日月と国広の話で、その絆があるから国広は2部で修行中ずっと三日月を取り戻したいとまで考えているけれど、基本的に国広はそれを明らかには表に出していない。
第2部は国広と長義の話で、その結末故に第3部は国広が長義を求め続ける話になると考えられる。
が、やはり第2部もそこまで表向きに国広の感情を表出してはいない。というか基本的に第2部の国広は修行中で不在だし。
これは結局、その時一番重要な情報を隠して演出する舞台の「虚伝で信長をあえて描かない」手法と同じで、原作も大事な情報ほど隠して話を展開している以上、おそらく全作品で共通の構造だと考えられる。
舞台第1部で三日月が隠していた感情はおそらく第2部の国広によって明らかにされる。
第2部の国広の感情は第3部で明らかになると考えられる。
とうらぶ考察最大の敵は内容そのものより、情報開示が見てる側の希望の開示タイミングとずれるせいで体感他のジャンルの3倍くらい時間がかかることのような気がしてきた。
原作ゲームの顔の三日月の内面が明らかになるタイミングが原作7年舞台で8年……?
国広はおそらく実装当時から本歌との関係はどうなんだろう? 本歌はどういうキャラで本歌と写しはどういう関係性を築くんだろうか? とプレイヤーが気にしていたことに答らしきものが与えられるのが原作8年(今年中に長義くんの極が来れば)、舞台で9年……?
気が……長い……!
三日月は原作ゲームの防人作戦で明らかになるけれど、いつも修行見送りで「野垂れ死ぬならばそれまで」とかいう割に実は本丸を守るために自分の全存在を懸けるほどの本丸ガチ勢。
国広は真面目に考察すればするほどあれ……こいつ実は本歌への感情クソ重いな……? ってなる。
一見はっきりと描かれていない、けれど確実に存在する感情を具体的に描写するのはむしろこれから、という構成だと考えられる。