日本号

にほんごう

概要

「大身鎗 名物「日本号」」

黒田家の家臣、母里家伝来の名槍。
『日本刀大百科事典』の福永酔剣氏は、彫物から見て、大和の金房政次あたりの作と推測している。

黒田家の伝来によればもと禁裏にあった槍を15代将軍・足利義昭が拝領。
織田信長を経て豊臣秀吉が入手。
1590年(天正18)、豊臣秀吉から福島正則へ韮山城攻めの功を賞して授与したとされる。

だ、そうだがこの部分に関する史料があまり簡単に読める本には収録されていないようである。

その後は、『黒田家臣伝』によると、黒田家の家臣・母里友信が福島正則から飲み取ったという逸話がある。

母里但馬(母里太兵衛、母里友信)は酒好きだが、ある日、藩主から酒を止められた。

福島家に行くと、正則から大杯を出して、酒を強いられたので母里但馬は固辞したが、福島正則はこれを飲み干したら、褒美に何でもやるぞ、と余りにも強要するので、母里但馬は大杯で三杯も飲み干したあと、では、ご約束どおり後ろの槍をいただきたい、と申し出た。

福島正則は驚いて、あれは太閤殿下より拝領、と断ったが、但馬が、殿の二枚舌を天下に吹聴しますぞ、と迫ったので、仕方なく槍を母里但馬に与えた。

それで当時は「飲み取りの槍」と呼ばれていたという。

明治になって母里家から侠客へとわたり、紆余曲折を経て黒田家に献上された。
この頃にこの槍に関係した人物に関する記録は様々ありどのエピソードが真実かはよくわからない。

とにかくこの槍は藩士の高井知定が作った「筑前今様(黒田節)」の歌詞に「日の本一のその槍」として登場することもあり、講談などにも語られる有名な槍で、黒田家に献上される頃にはその「筑前今様(黒田節)」の歌詞から取って「日本号」と呼ばれていたようであり、『日本名宝物語 第2輯』でも黒田侯爵蔵の「日本号の槍」として紹介されている。

1978年(昭和53)、黒田家から福岡市に寄贈された。
現在も「福岡市博物館」保管。

講談などでは母里但馬から後藤又兵衛に伝わり、後藤又兵衛が大坂の陣で振るった槍とされるがそれを示す史料はない。
また、この槍に正三位の位が与えられたという話の出典も講談などであるのか、それを史実として示す史料はない。

講談や読み物等の創作物において持ち上げられるが、その来歴は不確かな部分が多く、重要文化財などの刀剣としての価値を示す指定もない。

現存する名槍であるが、創作である講談関係の情報と実際の歴史の乖離が激しくて、いざ調べてみると驚くことになるかもしれない。

もと禁裏にあった槍を15代将軍・足利義昭が拝領

『日本刀大百科事典』によれば、もと禁裏にあったものを、足利将軍義昭が拝領。

出典が記されていないが『日本刀講座 第1巻 新版』の説明などとも共通するので何か資料があると考えられる。

下記の本に抜き書きされている黒田家伝来の記録が一番近いと思われるので紹介しておく。

『議員宿舎 : 随筆 続』(データ送信)
著者:辻寛一 発行年:1951年(昭和26) 出版者:新小説社
目次:赤坂だより 日本号
ページ数:348~351 コマ数:184、185

織田信長を経て、豊臣秀吉が入手

『日本刀大百科事典』によれば、織田信長をへて、豊臣秀吉が入手。

上記と同じく黒田家伝来の記録によると考えられる。

1590年(天正18)、豊臣秀吉から福島正則へ韮山城攻めの功を賞して授与

『日本刀大百科事典』によれば、天正18年(1590)小田原の役の際、福島正則の韮山城攻めの功を賞して授与。
以後、正則自慢の槍となった。

これも上記と同じく黒田家伝来の記録か。

「飲み取りの槍」として福島正則から黒田家の家臣・母里友信へ

『黒田家臣伝』に、黒田家の家臣・母里友信が福島正則から飲み取ったという逸話がある。

筑前黒田家で一万八千石の豪傑・母里但馬(母里太兵衛、母里友信)は酒好きで、しかも少し酒癖が悪かったのであろう。
ある日、藩主から、今日は酒を飲むなよ、と止められてしまった。

福島家に行くと、正則から大杯を出して、酒を強いられた。
但馬が固辞すると、これを飲み干したら、褒美に何でもやるぞ、と余りにも強要するので、然らば、と大杯で三杯も飲み干したあと、では、ご約束どおり後ろの槍をいただきたい、と申し出た。
正則は驚いて、あれは太閤殿下より拝領、と断ったが、但馬が、殿の二枚舌を天下に吹聴しますぞ、と迫った。
正則も致し方なく、但馬に与えた。

それで当時は「飲み取りの槍」と呼ばれていたという。

『黒田家譜』(データ送信)
著者:貝原益軒 編著 発行年:1980年(昭和55) 出版者:歴史図書社
目次:黒田家臣傳 上 母里但馬傳
ページ数:552、553 コマ数:283

『益軒全集 巻5』
著者:貝原益軒 著 発行年:1911年(明治44) 出版者:益軒全集刊行部
目次:黒田家臣傳 上 母里但馬傳
ページ数:552、553 コマ数:273

「筑前今様(黒田節)」の歌詞に「日の本一のその槍」とあることが号の由来

『日本刀大百科事典』によると、その後、藩士の高井知定が作った“筑前今様”の歌詞に、「日の本一のその槍」、と謡われたので、日本一の槍という意味で、一般に“日本号”と呼ばれるようになったという。

高井知定の作詞は天保5年(1834年)頃だという。

「法曹 (12)(314)」(雑誌・データ送信)
発行年:1976年(昭和51) 出版者:法曹会
目次:福岡家裁だより(下) / 福岡家裁執筆委員会
ページ数:11 コマ数:8

『黒田節 (九州郷土夜話 ; 第2集) 』(データ送信)
著者:玉井政雄 発行年:1967(昭和42) 出版者:桃源書房
目次:黒田節
ページ数:5~20 コマ数:8~16

『歌のふるさと 第2』(データ送信)
著者:読売新聞社 編 発行年:1962年(昭和37) 出版者:有紀書房
目次:黒田節
ページ数:154~157 コマ数:81、82

『日本俚謡名曲集』
著者:宇賀神味津男 編曲 発行年:1943年(昭和18) 出版者:新興音楽出版社
目次:黒田節
ページ数:44、45 コマ数:24

明治になって母里家から侠客へ、明治41年に紆余曲折経て黒田家に献上

明治になって、母里家では借金のかたに、大野仁平という侠客に取られていた。
明治41年、安川敬一郎男爵が一万円で買い取り、黒田家に献上した。

「法曹 (5)(139)」(雑誌・データ送信)
発行年:1962年5月(昭和37) 出版者:法曹会
目次:黒田武士と名槍日本号(一)
ページ数:8 コマ数:7

『日本刀大百科事典』では出典を「刀剣美術」『日本の名槍』としているが安川敬一郎男爵の息子の安川第五郎氏の伝記? に記述があったのでこちらを紹介しておく。

『安川第五郎 : 現代人物史伝』(データ送信)
著者:河野幸之助 発行年:1957年(昭和32) 出版者:日本時報社出版部
目次:黒田節の槍
ページ数:69~73 コマ数:39~41

また、『刀剣夜話』には大野仁平氏や安川敬一郎男爵の名は出るもののかなり違った経緯が載っている。

日露戦争に近い頃、頭山満翁帰郷の節、某事件に関しその尽力に報いるため母里家より頭山満翁が買って大野仁平氏に贈与した。
大野仁平氏の死後に義弟の兒島哲太郎氏が所在を突き止めて四千余円の代価にて買い戻し、平岡浩太郎氏邸に保管した。
大野家の財政整理に際してこの槍の処分について頭山満氏に照会したところ、筑前人で槍の保管をできる者に移るなら異存なしとのことであった。
このことを安川敬一郎翁に話したところ、即座に譲り受けの承諾をなし一万円の大金を出した。

大正13年黒田長政公三百年祭りに際し、処置について有志で種々取沙汰し、あるいは光雲神社に奉納するとの説も出たが、ついに安川家から改めて黒田家に贈ることとなった。

この情報の出典は「刀苑」となっている。

『刀剣夜話』(データ送信)
著者:前田稔靖 発行年:1932年(昭和7) 出版者:九州帝国大学刀園会
目次:一 名槍日本號の由來
ページ数:1~7 コマ数:8~11

1978年(昭和53)9月黒田家から福岡市に寄贈

「福岡市博物館」のWEBページによると、旧福岡藩主、黒田家の貴重なコレクションは昭和53年(1978)9月、黒田家から福岡市に寄贈(一部は寄託・購入)されたという。

「博物館研究 = Museum studies 19(7)(194)」(雑誌・データ送信)
著者:日本博物館協会 編 発行年:1984年7月(昭和59) 出版者:日本博物館協会
目次:黒田資料寄贈の場合の処理–受入・評価・登録・公開 / 安永 幸一
ページ数:8、9 コマ数:6

作風

穂長二尺六寸一分五厘(約79.2センチ)、
裏に長くて広い棒樋をかき、その中に真の剣巻き竜を浮き彫りにする。
地鉄は板目肌に柾目まじり、
刃文は直刃。
中心は目釘孔二個。
無銘。

『日本刀大百科事典』によると、作者に関しては、
江州の天九郎俊長の作という伝説があるが、彫物から見て、大和の金房政次あたりの作であろう。
とのことである。

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:にっぽんごう【日本号】
ページ数:4巻P121

拵え

拵えは、柄も鞘も青貝研ぎ出し。
金具は赤銅、金小縁で、福島家の桐と沢瀉の紋が色絵となる。
鞘には母里家の枡形の紋が青貝で入れてあるから、鞘は母里家で新調したことになる。

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:にっぽんごう【日本号】
ページ数:4巻P121

文禄の役の際、朝鮮南部の大竹林で母里但馬が後藤又兵衛に救われたという話(創作)がある

文禄の役の際に、朝鮮南部の大竹林で母里但馬が後藤又兵衛に救われたという話や、さらに大坂の陣で後藤又兵衛がこの槍で奮戦したという話がある。

しかしこれらは「呑み取りの槍」のエピソードや黒田節の流行に尾ひれがついた創作ではないかと考えられている。

『日本名宝物語 第2輯』
著者:読売新聞社 編 発行年:1930年(昭和5)出版者:誠文堂
目次:日本號の槍 侯爵 黑田長成家所藏
ページ数:237~240 コマ数:129~131

正三位の位持ちという話の出典は講談か?

日本号が「正三位」という話の出典は史料や資料と言えるような確かな出典はなく、その文言が載っているのは講談などの創作の中にしかない。

一例として下記の講談の中では正三位の位が附いているという説明がされている。

『評判講談全集 第9巻』(データ送信)
著者:大日本雄弁会講談社 編 発行年:1931年(昭和6) 出版者:大日本雄弁会講談社
目次:强情と强情の鉢合せ
ページ数:281 コマ数:149

調査所感

・割と何もかも曖昧

史実を示す部分が曖昧過ぎてかなり調査に困った。
伝来が黒田家ではなくあくまでその家臣の母里家なので黒田家にもそう詳しい資料があるわけじゃないんですよね。というか母里家が出したというタイプの情報がない。
日本号を調べるとこれに関しては史料がなかったり資料が少ないことよりも、創作が多く紛れる方が厄介だなとは思いましたが。

・号の話

日本号に関しては最初からこのように呼ばれていたわけではなく、むしろ今様の「黒田節」が作られたことで「日の本一のその槍」というフレーズからいつからか「日本号」と呼ばれ始めたと。

つまり割と最近(ここ100年くらい)の話であって、戦国時代からその号があったわけではないと。

書籍にこの名で登場したのは『日本名宝物語 第2輯』辺りからで昭和4年(1929年)頃だと思われます。
これを基準に考えると約100年くらいは確実にこう呼ばれている。

それ以前から呼ばれていた可能性はありますが、高井知定の作詞は天保5年(1834年)頃だと言われていますので、早めに見積もっても200年は遡らない。
確実なのは約100年で、もしかしたら150年くらいはそう呼ばれているかもね、ぐらいか。

ただ、ざっくり150年前つまり明治期の刀剣書で全国の名刀を網羅したタイプの本には出てこないと思います日本号。
そう考えるとやはり確実にこう呼ばれているのはここ100年、場合によっては黒田家周辺でもう数十年前には呼ばれている可能性がある、ぐらいかと。

とりあえず「日の本一の槍」と謡っているのは黒田家家臣それも伝来先の母里家自体ではない別の人の言い分であって、日本号が日本一の槍として客観的な評価を得ているわけではないということは頭に入れておいた方がいいと思います。

・天下三名槍の評価

日の本一の槍と聞くとまるで日本一の名槍であるかのように思うかもしれないので、正しい知識を得たいなら否定方向にはっきり書いてある本を読んだ方がいいと思います。
ということで、この辺がオススメ。

『武芸風俗姿 (江戸風俗史 ; 第3) 』(データ送信)
著者:戸伏太兵 発行年:1957年(昭和32) 出版者:学風書院
目次:飲取りの槍・日本号の槍
ページ数:72~76 コマ数:42~44

『史談歴史の落し子』(データ送信)
著者:中部日本新聞社 編 発行年:1963年(昭和38) 出版者:人物往来社
目次:黒田節の槍”日本号”
ページ数:15~17 コマ数:9~11

槍はそもそも刀よりも美術品としての価値は低く、三名槍の中には国宝どころか重要美術品さえ一口もない。
また日本号は講談辺りで持ち上げられている部分が多すぎて、しっかり史実としての史料を探そうにも同時代史料みたいなものがないので来歴も大分曖昧だと……。

天下三名槍という呼称自体、デジコレの検索結果から考えると昭和辺りにできた呼称じゃないかなこれ。
一応明治生まれの寒山先生が旧幕時代から天下三名槍が知られていたかのように書いているんですけど、寒山先生より年上の本阿弥光遜先生は日本号と御手杵だけ東西の名槍として話題に出してます。

デジコレの検索結果で見ると昭和前期辺りまでは「天下三槍」「天下三名槍」という言葉で指すのは槍そのものより使い手の方みたいな記述が散見されます。

この結果からすると、天下三名槍の呼称に関しては、寒山先生周りで実際にそう言ってた可能性はありますが、戦前までは今みたいに常識のように周知されていた情報ではなかっただろうと考えられます。

・地元人気と講談知名度

史実として探るとめちゃくちゃ不確か。
しかし物語として探すと有名なのは確かです。

日本号に関しては使い手の母里但馬人気も大きい気もしますが、何故か講談だと後藤又兵衛のものになっています。解せぬ。

史実で持ってないはずの後藤又兵衛の話まで含めたらそれはもう現存する日本号を無視していないか? という気がします。
かといって存在する物語を完全に否定するとそれはそれで受容史的な歴史を見失いますし、ちょっと面倒なところですねこれ。

参考文献

『益軒全集 巻5』
著者:貝原益軒 著 発行年:1911年(明治44) 出版者:益軒全集刊行部
目次:黒田家臣傳 上 母里但馬傳
ページ数:552、553 コマ数:273

『日本名宝物語 第2輯』
著者:読売新聞社 編 発行年:1930年(昭和5)出版者:誠文堂
目次:日本號の槍 侯爵 黑田長成家所藏
ページ数:237~240 コマ数:129~131

『評判講談全集 第9巻』(データ送信)
著者:大日本雄弁会講談社 編 発行年:1931年(昭和6) 出版者:大日本雄弁会講談社
目次:强情と强情の鉢合せ
ページ数:281 コマ数:149

『刀剣夜話』(データ送信)
著者:前田稔靖 発行年:1932年(昭和7) 出版者:九州帝国大学刀園会
目次:一 名槍日本號の由來
ページ数:1~7 コマ数:8~11

「日本及日本人 (5月1日號)(296)」(雑誌:データ送信)
発行年:1934年5月(昭和9) 出版者:政教社
目次:名槍「日本號」由來 / 木村志堂
ページ数:62 コマ数:77

「日本及日本人 (6月1日號)(298)」(雑誌:データ送信)
発行年:1934年6月(昭和9) 出版者:政教社
目次:名槍「日本號」由來に就て / 向陽老人
ページ数:62 コマ数:77

『日本刀物語』
著者:前田稔靖 発行年:1935年(昭和10) 出版者:九大日本刀研究会
目次:一一 九州の刀劍を語る
ページ数:91 コマ数:55

『大日本刀剣史 下巻』(データ送信)
著者:原田道寛 発行年:1941年(昭和16) 出版者:春秋社
目次:三位の名槍日本號
ページ数:312~329 コマ数:167~175

『日本俚謡名曲集』
著者:宇賀神味津男 編曲 発行年:1943年(昭和18) 出版者:新興音楽出版社
目次:黒田節
ページ数:44、45 コマ数:24

『松本健次郎懐旧談』(データ送信)
著者:清宮一郎 編 発行年:1952年(昭和27) 出版者:鱒書房
目次:黑田節の槍
ページ数:121、122 コマ数:92、93

『安川第五郎 : 現代人物史伝』(データ送信)
著者:河野幸之助 発行年:1957年(昭和32) 出版者:日本時報社出版部
目次:黒田節の槍
ページ数:69~73 コマ数:39~41

『武芸風俗姿 (江戸風俗史 ; 第3) 』(データ送信)
著者:戸伏太兵 発行年:1957年(昭和32) 出版者:学風書院
目次:飲取りの槍・日本号の槍
ページ数:72~76 コマ数:42~44

『日本の刀剣 (日本歴史新書) 』(データ送信)
著者:佐藤貫一 発行年:1961年(昭和36) 出版者:至文堂
目次:四 室町時代の刀剣
ページ数:56、57 コマ数:40

「法曹 (6)(140)」(雑誌・データ送信)
発行年:1962年6月(昭和37) 出版者:法曹会
目次:黒田武士と名槍日本号 / 柴田和徹
ページ数:37~41 コマ数:21~23

『歌のふるさと 第2』(データ送信)
著者:読売新聞社 編 発行年:1962年(昭和37) 出版者:有紀書房
目次:黒田節
ページ数:154~157 コマ数:81、82

「法曹 (5)(139)」(雑誌・データ送信)
発行年:1962年5月(昭和37) 出版者:法曹会
目次:黒田武士と名槍日本号 / 柴田和徹
ページ数:8 コマ数:7

『史談歴史の落し子』(データ送信)
著者:中部日本新聞社 編 発行年:1963年(昭和38) 出版者:人物往来社
目次:黒田節の槍”日本号”
ページ数:15~17 コマ数:9~11

『趣味の日本刀』(データ送信)
著者:大河内常平, 柴田光男 共著 発行年:1963年(昭和38) 出版者:雄山閣出版
目次:呑取り日本号
ページ数:263~266 コマ数:136~138

『武将と名刀』(データ送信)
著者:佐藤寒山 発行年:1964年(昭和39) 出版者:人物往来社
目次:福島正則と名物福島兼光
ページ数:193~196 コマ数:101~103

『日本刀講座 第1巻 新版』(データ送信)
発行年:1966年(昭和41) 出版者:雄山閣
目次:新版日本刀講座<概説編>目次
ページ数:90 コマ数:65
目次:槍・薙刀 槍の種類 8 持ち槍
ページ数: 239、248、249 コマ数:195、201、202

『黒田家譜』(データ送信)
著者:貝原益軒 編著 発行年:1980年(昭和55) 出版者:歴史図書社
目次:黒田家臣傳 上 母里但馬傳
ページ数:552、553 コマ数:283

「博物館研究 = Museum studies 19(7)(194)」(雑誌・データ送信)
著者:日本博物館協会 編 発行年:1984年7月(昭和59) 出版者:日本博物館協会
目次:黒田資料寄贈の場合の処理–受入・評価・登録・公開 / 安永 幸一
ページ数:8、9 コマ数:6

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:にっぽんごう【日本号】
ページ数:4巻P121

『日本刀物語』(紙本)
著者:杉浦良幸 発行年:2009年(平成21) 出版者:里文出版
目次:Ⅱ 名刀の生きた歴史 1 武将と日本刀 福島正則と日本号
ページ数:61、62

『日本刀を嗜む』(紙本)
著者:刀剣春秋編集部監修 発行年:2016年(平成28) 出版社:ナツメ社
目次:名刀図譜8 日本号
ページ数:36、37

概説書

『剣技・剣術三 名刀伝』(紙本)
著者:牧秀彦 発行年:2002年(平成14) 出版者:新紀元社
目次:第一章 天下五剣・天下三槍 日本号 母里太兵衛
ページ数:45~48

『日本刀図鑑: 世界に誇る日本の名刀270振り』(紙本)
発行年:2015年(平成27) 出版者:宝島社
目次:天下三名槍 日本号
ページ数:18、19

『刀剣目録』(紙本)
著者:小和田康経 発行年:2015年(平成27) 出版者:新紀元社
目次:≪第二章 鎌倉時代≫ 大和国奈良 日本号
ページ数:312

『物語で読む日本の刀剣150』(紙本)
著者:かゆみ歴史編集部(イースト新書) 発行年:2015年(平成27) 出版者:イースト・プレス
目次:第8章 神代の剣・槍・薙刀 日本号
ページ数:196

『図解日本刀 英姿颯爽日本刀の来歴』(紙本)
著者:東由士 編 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:古今東西天下の名刀 日本号
ページ数:78

『刀剣物語』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:天下・神代・伝説の刀 日本号
ページ数:56、57

『刀剣説話』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2020年(令和2) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
(『刀剣物語』発行年:2015年を加筆修正して新たに発行しなおしたもの)
目次:天下の名槍 日本号
ページ数:210、211

『刀剣聖地めぐり』(紙本)
発行年:2016年(平成28) 出版者:一迅社
目次:日本号
ページ数:48