にっかり青江

概要

「刀 金象嵌銘 羽柴五郎左衞門尉長」(名物ニツカリ)」

『享保名物帳』所載の脇差。

「にっかり青江」という号の基本形は変わらずとも「につかり青江」「ニツカリ青江」「にかり」「にかり青江」「耶加里貞次大脇差」など表記揺れが多い。

作者は青江派であることが古くから判明しているが刀工の個人名は明らかではなく、いくつもの説がある。
昭和4年の日本名宝展覧会に「貞次」として出品したためか、「青江貞次」だとする見方がやや多いと思われるが、資料によって他の青江派の刀工の名も挙がっている。
「Museum (280)」によると、現在では末青江という見方になるようだ。

「Museum (280)」(雑誌・データ送信)
著者:東京国立博物館 編 発行年:1974年7月(昭和4) 出版者:東京国立博物館
目次:青江刀工の研究 / 加島進
ページ数:31 コマ数:17

号の由来である「にっかり笑った女の幽霊を斬った逸話」は『名物帳』類に『武将感状記』などいくつかのパターンがあるが、たいていは京極家伝来とされる狛丹後守の話が重視される。

柴田勝家が入手し、養子の柴田勝久の差料になったが、賤ケ岳の戦いの結果、勝久が秀吉に処刑されたため丹羽長秀の手に渡る。

丹羽家にある頃に金象嵌銘が入れられたが磨り上げによって途切れており、丹羽長秀と息子の長重、どちらのものと考えるか研究者の間で意見が分かれている。
磨り上げ自体が複数行われているのでこの時期の所持者と磨り上げに関する考察は研究者の間でも色々あるようだ。

丹羽氏から豊臣秀吉に献上し、大坂の城の「一之箱」に入れられていた。
『光徳刀絵図』や豊臣家の御腰物帳類に情報が残っていて、豊臣秀頼が二度も拵を作っていたことがわかる。

その後、豊臣秀頼から京極高次に贈られたともいうがこの間の史料は何故か定かではなく、しかし京極家に伝来したのは確かであり、8代将軍徳川吉宗の台覧にも供している。

京極家伝来の名刀として明治を迎える。

1940年(昭和15)9月27日、重要美術品認定。

戦後は京極家を出て所有者が幾度か変わったが、現在は丸亀藩京極家に関する資料を所蔵している資料館、「丸亀市立資料館」蔵。

にっかり笑った幽霊を斬ったという号の由来は3説

1.『享保名物帳』説

江州蒲生郡八幡山付近の領主に、『詳註刀剣名物帳』によると中島修理太夫、『享保名物帳(安永本)』によると九徳太夫という者がいたとも、またその弟に、『享保名物帳(中央刀剣会本)』によると中島九理太夫、『享保名物帳(享保八年本)』によると中島九徳太夫とかいう者がいたともいう。

そのどちらかが、領内に化物が出るという噂が高かったので、ある夜、化物退治に出かけた。
すると、女が子供を抱いてやってきた。
石燈籠のところに来ると、にっこり笑って、子供に、行って殿様に抱かれなさい、と言った。
子供が寄ってきたので、一刀のもとに斬り棄てた。
つぎに女が、私が抱かれよう、と言って、寄ってきたのも斬り棄てた。
翌日そこに行って見ると、石塔が二基あって、その首ともいうべき所から、切り落とされていた。
それで、「にっかり青江」と命名したという。

『詳註刀剣名物帳 : 附・名物刀剣押形 増補』
著者:羽皐隠史 発行年:1919年(大正8) 出版者:嵩山堂
目次:青江、恒次、左文字、三原、安綱の部 ニッカリ青江
ページ数:186、187 コマ数:108

京極若狭守殿
ニッカリ青江 磨上長一尺九寸九分 無代

昔江州の中島修理太夫と云ふ者あり、初め八幡山辺を領す化物有り夜に入て独り行くに女幼き子を抱き来る、石燈籠あり其許にて見れば、につかりにつかりと笑ひ子に向て殿様に抱かれ奉れと云ふ、子歩み来る即ち之を切る、 女また吾行て抱かれんとて来る、また切る、次の日山中を狩て見れど、外に怪しきこともなし、古く苔むしたる石塔二つ有り、二つとも首と覚しき所より切落て有り、其後化生も出ず何事もなしと云、表裏樋忠表に羽柴五郎左衛門とまて有り、先切る定て長秀なるべし。

『刀剣名物牒』(データ送信)
著者:中央刀剣会 編 発行年:1926年(大正15) 出版者:中央刀剣会
目次:(中) 同右
ページ数:56 コマ数:31

2.『常山紀談』(『武将感状記』)説

浅野長政の家臣某が、伊勢の国に旅した時のこと。
夜道を歩いていると、道端に若い女がいて、にっこり笑いかけた。
化物、と直感し、女の首を打ち落とした。
翌日、帰りがけに見ると、道端の石地蔵の頭が切り落とされていた。
それで、「にっかり青江」と命名したという。

『日本刀大百科事典』では出典を単に『常山紀談』としているが付録の『武将感状記』の方に収録されているらしく、『常山紀談』だけでは見つからないかもしれない。
ついでに「にかりと異名をつけて秘蔵せらる」となっているので、「にっかり」で検索すると出てこないことにもご注意を。
下記の本ならインターネット公開分で『武将感状記』まで読める。

『常山紀談 5版 (続帝国文庫 ; 第31編) 』
著者:湯浅常山 著, 湯浅元禎 輯録, 江見水蔭 校訂 発行年:1909年(明治42) 出版者:博文館
目次:武将感状記巻之八 浅野長政の歩士変化者を切る事
ページ数:929、930 コマ数:489、490

3.京極家の所伝

江州佐々木家で、十番備えの頭をしていた駒丹後守が、江州蒲生郡長光寺において、にっこり笑いかけた女を斬ったという。

『日本刀大百科事典』によれば駒丹後守は狛丹後守と書くのが正しいそうだ。

下記の本などで京極家伝来の内容が確認できる。

『刀剣刀装鑑定辞典』(データ送信)
著者:清水孝教 発行年:1936年(昭和11) 出版者:太陽堂
目次:ニツカリアオエ【ニツカリ青江】
ページ数:365 コマ数:193

『日本名宝物語 第1輯』
著者:読売新聞社 編 発行年:1929年(昭和4) 出版者:誠文堂
目次:耶加里貞次大脇差 子爵 京極高修氏藏
ページ数:138~141 コマ数:91、92

「刀剣と歴史 (221)」(雑誌・データ送信)
発行年:1929年5月(昭和4) 出版者:日本刀剣保存会
目次:名寶展覽會の優品 / 梅園
ページ数:9、10 コマ数:5、6

細部の違う3パターンの逸話があるが、刀剣本でたいてい採用されるのはやはり伝来先である京極家の初伝である3つ目である。

柴田勝家が入手し、賤ケ岳の戦いで丹羽長秀に渡る

上記の『日本名宝物語 第1輯』などで読める京極家伝来の内容からするとこのような流れになる。

その後、柴田勝家が長光寺城主になったので、この刀を入手し、養子・勝久の差料にしていた。
勝久は天正11年(1583)正月、賤ケ岳の戦に敗れ、丹羽長秀に捕らえられ、斬首された。
にっかり青江は丹羽長秀の手に渡った。

金象嵌銘を入れたのは「丹羽長秀」か息子の「丹羽長重」か

にっかり青江の金象嵌銘は「羽柴五郎左衞門尉長」までしか残っておらず、最後の一文字がわからない。

そのため金象嵌銘を入れた人物は父の「長秀」説と息子の「長重」説がある。

福永酔剣氏の『日本刀大百科事典』では金象嵌銘を入れたのは「丹羽長重」としているが、佐藤寒山氏の『武将と名刀』では羽柴の姓を賜ったのは父の長秀であるということから、金象嵌銘を入れさせたのは丹羽長秀としている。

長秀説は『詳註刀剣名物帳』の引用部などにあるように『享保名物帳』の頃からある古い説で、長重説の方は羽柴姓を給わった人物を長重と解釈したことによるという。
この長秀ではなく長重だという説も『詳註刀剣名物帳』の高瀬羽皐氏の解説部ですでに見られるので大正頃からすでに言われていた説である。

『武将と名刀』(データ送信)
著者:佐藤寒山 発行年:1964年(昭和39) 出版者:人物往来社
目次:丹羽長秀とにっかり青江
ページ数:188~191 コマ数:99~100

丹羽氏から豊臣秀吉に献上

その後、丹羽長重はこれを豊臣秀吉に献上した。
(上の項目と同じく、献上したのは長秀か長重かは説によって変わることがある)

秀吉も珍重したとみえ、大阪城の「一之箱」に入れてあった。

本阿弥光徳は押形をとらせてもらった。
その時はすでに二尺(約60.6センチ)に磨り上げられ、所持銘も「羽柴五郎左衛門尉長」で切れていた。

『光徳刀絵図集成』(データ送信)
著者:本阿弥光徳 画, 本間順治 編 発行年:1943年(昭和18) 出版者:便利堂
目次:御太刀御腰物御脇指 太閤様御時ゟ有之分之帳 コマ数:115

豊臣秀頼の命により本阿弥光徳が埋忠寿斎に拵えを二度も作らせる

豊臣秀頼の命により、本阿弥光徳はにっかり青江を埋忠寿斎のところに持ってきて、拵えを二度も作らせたという。

『日本刀大百科事典』では、秀頼も大いに気に入っていたからであろう、としている。

『埋忠銘鑑』(データ送信)
著者:本阿弥光博 解説 発行年:1968年(昭和43) 出版者:雄山閣
目次:(ハ) 拵製作 コマ数:32
目次:埋忠銘鑑 全 ページ数:64 コマ数:185

『光徳刀絵図集成』(データ送信)
著者:本阿弥光徳 画, 本間順治 編 発行年:1943年(昭和18) 出版者:便利堂
目次:一二四 につかり青江 ページ数:62、63 コマ数:76、77

秀頼様ヨリ上り 光徳より参候而寿斎拵二度仕申候 いんすにてそうかん也

その後、豊臣秀頼から京極高次に贈られたというが明らかではない

『日本刀大百科事典』によると、

その後、秀頼はこれを京極高次に贈ったともいうが、明らかでない。

となっている。

この部分に関する出典となる史料がどうやらないようである。
ただし明治頃の伝来先が京極家であることは確定しており、現物があるのだから光徳の押形と照合もできる。
『享保名物帳』の時点ですでに京極家所有である。

これらを考えれば、豊臣家から京極家が拝領するとしたらこの辺りの時期という憶測だと思われる。

多くの刀剣本で「豊臣秀頼から京極高次に贈られた」とされているのは、『日本名宝物語 第1輯』のように「京極家の伝来」と書かれた資料でそうなっているからのようである。

現在の所蔵元である「丸亀市立資料館」では「京極忠高」が豊臣秀頼より拝領としているが、出典は紹介していないようだ。

1732年(享保17)4月、8代将軍・徳川吉宗の希望により台覧

8代将軍吉宗の希望により、享保17年(1732)4月、台覧に供した。

『寛政重修諸家譜 1520巻 [99]』
著者:堀田正敦 編 出版者:写本
コマ数:49

『寛政重脩諸家譜 第2輯』
発行年:1923年(大正12) 出版者:国民図書
目次:巻第四百十九 宇多源氏(佐々木支流) 京極 高矩
ページ数:173 コマ数:95

やがてたてまつりしかば、旧家にて故実を存ぜる事を感じおぼしめされ、なを伝来の重器もあらば上覧に備ふべきむねおほせをかうぶり、後奈良院宸瀚の二尊の旗に、つがりの刀、佐々木四郎高綱が生唼にかけて宇治川をわたせる轡直しの鐔、佐々木近江守信綱が壺箙を台覧に備ふ。

この文章、一見どこに「にっかり青江」が? と思ってしまうのですが、おそらく旗の字の後の「に、つがりの刀」が「につかりの刀」の誤記だと思われます。
「にっかり青江」は『豊臣家御腰物帳』だと「につかり刀」ですし、国民図書版の『寛政重修諸家譜』は貞ちゃんの時もこんな風に名前の途中を何故か区切って表記されていたので、同じような誤記でしょう。
写本の方も確認しましたが、そちらの原文では句読点が入っていない文章だったのでこの部分が「につかり刀」だと思います。

『徳川実紀』の方を見ると享保十七年の4月にこの京極高矩が伝来の品を上覧に供したことが書かれているので、時期は「4月」となる。

諸州丸亀城主・京極家の重宝として伝来

諸州丸亀城主・京極家の重宝として伝来、明治に至る。

『刀剣講話』の時点で「丸亀京極家にある」と認識されている。
大正時代には犬養毅元総理をはじめとして様々な研究者や愛刀家が見ているらしい。

『刀剣講話 2』
著者:別役成義 発行年:1898~1903年(明治31~36)
ページ数:8 コマ数:9

『日本趣味十種 国学院大學叢書第壹篇』(データ送信)
著者:芳賀矢一 編 発行年:1924年(大正13年) 出版者:文教書院
目次:八 刀剣の話 杉原祥造
ページ数:348 コマ数:195

1919年(大正8)4月27日、京極家の名刀が華族会館に陳列

京極高徳子爵に、刀剣の研究者として有名な松平頼平子爵が勧誘して京極家の名刀三振り、「京極正宗」「にっかり青江」「吉光の短刀」が当時の愛刀家の一覧に供せられたという。

『箒のあと 下』(データ送信)
著者:高橋義雄 発行年:1936年(昭和11) 出版者:秋豊園出版部
目次:第六期 文藝 明治四十五年より大正十年まで
ページ数:390~393 コマ数:217、218

1929年(昭和4)、日本名宝展覧会出品

昭和4年の「日本名宝展覧会」に出品している。
京極高修子爵蔵。

『日本名宝物語 第1輯』
著者:読売新聞社 編 発行年:1929年(昭和4) 出版者:誠文堂
目次:耶加里貞次大脇差 子爵 京極高修氏藏
ページ数:138~141 コマ数:91、92

1940年(昭和15)9月27日、重要美術品認定

昭和15年(1940)9月27日、重要美術品指定。
京極高修子爵名義。

「刀 金象嵌銘 羽柴五郎左衞門尉長」(名物ニツカリ)」

『官報 1940年09月27日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1940年(昭和15) 出版者:日本マイクロ写真
目次:文部省告示第五百五十八号 昭和十五年九月二十七日
ページ数:904 コマ数:5

戦後、京極家を出る

戦後、京極家を出る。

下記の本だと須見裕氏の所有としている。

『日本刀物語』(データ送信)
著者:福永酔剣 発行年:1964年(昭和39) 出版者:雄山閣
目次:魔女とニッカリ青江
ページ数:86~92 コマ数:51~54

『神奈川県史概説』(データ送信)
著者:石野瑛 発行年:1958年(昭和33) 出版者:武相学園
目次:八 鎌倉時代の文化
ページ数:79 コマ数:55

下記の本などによると昭和31年(1956)以後は青沼光夫氏所持。

※『日本刀全集』の方は青沼光男になってるけど多分光夫氏だと思われる
※上の『神奈川県史概説』は1958年発行だがまだ「須見裕氏蔵」表記

『日本刀全集 第9巻』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:徳間書店
目次:古刀
ページ数:48、49 コマ数:28

『百人百剣 : 日本刀の楽しみ方』
著者:柴田光男 編 発行年:1964年(昭和39) 出版者:徳間書店
目次:山陽道 備前 無銘・伝青江(名物ニツカリ青江) 中古刀 上々作 重美
ページ数:24、25 コマ数:16

現在は「丸亀市立資料館」蔵

「丸亀市公式ホームページ」

丸亀藩京極家に関する資料を所蔵している資料館の所有。

作風

刃長は一尺九寸九分(約60.3センチ)
大切先、真の棟、表裏に棒樋をかき通す。
地鉄は大板目肌に地沸えつき、地斑映りも現れる。
刃文は匂いの締まった直刃に、ところどころ小乱れ逆足まじる。
鋩子は彎れて、先尖り、長く返る。
茎は大磨り上げ、目釘孔三個。

金象嵌名「羽柴五郎左衛門尉長」で、以下切れる。

作者の個名は古来極められていないが、南北朝期の、いわゆる中青江物であるという。

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:にっかりあおえ【にっかり青江】
ページ数:4巻P118、119

『日本刀大百科事典』では作者は極められていないとしているが、古い刀剣書では特定の刀工の作だとするものもあり作者に関しては様々な説がある。

「Museum (280)」によると、末青江だという。

似たような逸話を持つ刀たち

福永酔剣氏の『日本刀物語』では似たような逸話を持つ別の刀が複数紹介されている。
『詳註刀剣名物帳』でも触れられていたので逸話に類型パターンがあることは古くから知られていたようだ。

1.「加賀藩史稿」の地蔵を斬った話

前田家の重臣今枝八郎左衛門重直の父・忠光が青江貞次の刀で怪奇な大男の首をうち落とした。
翌日行ってみると地蔵の首がはねられていた。
それで佩刀を「地蔵丸」と名付けた。

2.「和漢刀剣談」による「にっかり長光」の逸話

宇喜多秀家の足軽が夜更けに歩いていると、火炎を背負った仏さまがニカリニカリと笑ってくるので化け物と思って退治した。
翌日行ってみると道端の石の不動尊の頭が四、五寸斜めに切り落とされていた。
豊臣秀吉がこの話を聞いて、さっそく召し上げた。それにニッカリという異名をつけて愛蔵したという。

『日本刀物語』(データ送信)
著者:福永酔剣 発行年:1964年(昭和39) 出版者:雄山閣
目次:魔女とニッカリ青江
ページ数:86~92 コマ数:51~54

犬養木堂こと犬養毅の話

犬養木堂こと犬養毅は総理大臣を務め、5.15事件で暗殺された。
愛刀家として有名である。
その犬養毅も大正時代に京極家の名刀を見たという。

にっかり青江の号の由来について従来の『享保名物帳』の説とは違う異説を紹介している。

『犬養木堂伝 下巻』
著者:木堂先生伝記刊行会 編 発行年:1939年(昭和14) 出版者:東洋経済新報社
目次:犬養木堂翁の刀剣談 高橋箒庵
ページ数:196~198 コマ数:132、133

又ニツカリと云ふのは、ニツコリの事で、或人が此刀を以て道を行く人を斬つた処が、余りに能く斬れたので、斬られた者も自ずから気付かず、顧みてニツコリと笑ひたりと云ふ伝説があるので、此名を得たと云ふ事である。

調査所感

・細部の違うパターンが多い

刀剣本に細部の違うパターン違いが多いことはあるあるなんですが、にっかり青江は逸話にしろ作者にしろもとの所有者にしろ金象嵌銘入れた人にしろ拝領者にしろやたらと多くてとかく記述が確定しにくい。

・『寛政重修諸家譜』の誤記

あれ? 将軍吉宗の台覧の記録載ってなくね? と首を捻る羽目になりました。
昔の史料の誤字って強敵だね……。
というかにっかり青江は異名の表記揺れが多すぎて検索難易度も目視難易度も高い。
その資料にあるって確実にわかってて探しても見落としそうになる。

・謎の「海外流出説」

謎多き「にっかり青江」ですが、今回調べていて一番謎だったのはむしろ当時の審神者の間で海外流出説が流れていたという話です。

青江は結構ガチ勢な審神者が調べてるツイートに行き当たりましたが、多くの人が海外流出したと思われているという話をしていて。

なんで……???

今デジコレで思いつく限りの異名で検索かけてもそんなこと書いた本一冊も見かけない、というか戦後は須見氏や青沼氏所持ではっきり載っている本がいくつかあるのに本当なんで……?
今の検索機能が便利すぎるというのはもちろんあるんでしょうけど、『日本刀全集』とかこのタイトルの割にあんまり読んでる人いないんでしょうかね?

ちなみに下の本だと「終戦後、同家から出て東京都内に潜伏している」扱いでした。

『日本宝島探検 : 埋もれた財宝を求めて (カッパ・ブックス) 』(データ送信)
著者:桑田忠親 著 発行年:1966年(昭和41) 出版者:光文社
目次:(5) 「三毛青江」と「にっかり青江」 ―怪猫と石塔を一刀両断した名刀
ページ数:200~202 コマ数:99、100

「潜伏」と言うのもそんな青江自身が逃げ回って隠れているかのような……と微妙な表現だなと思いますが、海外流出はもっと謎。

青江はよくわからんな……青江派の名刀であるという評価は一定しているし表記揺れはあっても少なくとも豊臣家辺りからはっきり号で呼ばれているの確定しているし享保時代には無代の名物だし、名刀なのは間違いないんだけど何故かちょこちょこ、普通そこの情報抜ける? という情報が抜け落ちてる。

ある意味、そういうところも含めてミステリアスな雰囲気の青江っぽいかもしれない……。

参考サイト

「丸亀市公式ホームページ」

参考文献

『諸家名剣集』
(東京国立博物館デジタルライブラリー)
時代:享保4年(1719) 写本
コマ数:38

『剣話録 上』
著者:剣話会 編(別役成義) 発行年:1912年(明治45) 出版者:昭文堂
目次:十三 青江物(上)
ページ数:117 コマ数:68

『詳註刀剣名物帳 : 附・名物刀剣押形 増補』
著者:羽皐隠史 発行年:1919年(大正8) 出版者:嵩山堂
目次:青江、恒次、左文字、三原、安綱の部 ニッカリ青江
ページ数:186、187 コマ数:108

『寛政重脩諸家譜 第2輯』
発行年:1923年(大正12) 出版者:国民図書
目次:巻第四百十九 宇多源氏(佐々木支流) 京極 高矩
ページ数:173 コマ数:95

『日本趣味十種 国学院大學叢書第壹篇』(データ送信)
著者:芳賀矢一 編 発行年:1924年(大正13年) 出版者:文教書院
目次:八 刀剣の話 杉原祥造
ページ数:348 コマ数:195

『刀剣名物牒』(データ送信)
著者:中央刀剣会 編 発行年:1926年(大正15) 出版者:中央刀剣会
目次:(中) 同右
ページ数:56 コマ数:31

『継平押形 : 附・本阿弥光徳同光温押形集』
著者:羽沢文庫 編 発行年:1928年(昭和3) 出版者:羽沢文庫
ページ数:137 コマ数:145

『観刀集』(データ送信)
著者:素堂秋元隆 発行年:1936年(昭和11) 出版者:秋元隆次郎
目次:観備中青江刀
ページ数:12 コマ数:14、15

『箒のあと 下』(データ送信)
著者:高橋義雄 発行年:1936年(昭和11) 出版者:秋豊園出版部
目次:第六期 文藝 明治四十五年より大正十年まで
ページ数:390~393 コマ数:217、218

『刀剣刀装鑑定辞典』(データ送信)
著者:清水孝教 発行年:1936年(昭和11) 出版者:太陽堂
目次:ニツカリアオエ【ニツカリ青江】
ページ数:365 コマ数:193

『日本名宝物語 第1輯』
著者:読売新聞社 編 発行年:1929年(昭和4) 出版者:誠文堂
目次:耶加里貞次大脇差 子爵 京極高修氏藏
ページ数:138~141 コマ数:91、92

「刀剣と歴史 (221)」(雑誌・データ送信)
発行年:1929年5月(昭和4) 出版者:日本刀剣保存会
目次:名寶展覽會の優品 / 梅園
ページ数:9、10 コマ数:5、6

「刀剣と歴史 (224)」(雑誌・データ送信)
発行年:1929年5月(昭和4) 出版者:日本刀剣保存会
目次:目利の手引(古刀之部)(44) / 近藤生
ページ数:14 コマ数:8

『埋忠銘鑑 訂再版』
著者:中央刀剣会本部 編 発行年:1932年(昭和7) 出版者:中央刀剣会本部
ページ数:125 コマ数:131

『日本刀剣の研究 第1輯』(データ送信)
著者:雄山閣編集局 編 発行年:1934年(昭和9) 出版者:雄山閣
目次:文献に表はれた名剣名刀譚 源秋水編
ページ数:124 コマ数:72

「石油時報 (7月號)(678)」(雑誌・データ送信)
発行年:1935年10月(昭和10) 出版者:帝国石油
目次:日本刀を語る / 無門陳人 鬼丸と耶加里青江
ページ数:70、71 コマ数:53

『秋霜雑纂 前編』
著者:秋霜松平頼平 編 発行年:1932年(昭和7) 出版者:中央刀剣会本部
目次:文苑百二十五條 三百二十七 光徳押形 ページ数:189 コマ数:120
目次:図書十五條 三百五十 大阪御物押形 ページ数:214 コマ数:133

『犬養木堂伝 下巻』
著者:木堂先生伝記刊行会 編 発行年:1939年(昭和14) 出版者:東洋経済新報社
目次:犬養木堂翁の刀剣談 高橋箒庵
ページ数:196~198 コマ数:132、133

『紀元二千六百年記念日本文化史展覧会目録』
著者:東京朝日新聞社 編 発行年:1940年(昭和15) 出版者:東京朝日新聞社
目次:刀劍
ページ数:267 コマ数:141

『大日本刀剣史 下巻』
著者:原田道寛 発行年:1941年(昭和16) 出版者:春秋社
目次:向井靑江と京極のにツかり靑江
ページ数:119~122 コマ数:70~72

『日本刀大観 下巻』
著者:本阿弥光遜 発行年:1942年(昭和17) 出版者:日本刀研究会
目次:第三章 各國刀匠の略歴と其の掟と特徴 第一 古刀の部
ページ数:735 コマ数:242

『光徳刀絵図集成』(データ送信)
著者:本阿弥光徳 画, 本間順治 編 発行年:1943年(昭和18) 出版者:便利堂
目次:一二四 につかり青江 ページ数:62、63 コマ数:76、77
目次:御太刀御腰物御脇指 太閤様御時ゟ有之分之帳 コマ数:115

『丸亀市史』(データ送信)
発行年:1953年(昭和28) 出版者:丸亀市史刊行頒布会
目次:第四節 丸亀四代高矩侯の世(其一)
ページ数:147 コマ数:95

『神奈川県史概説』(データ送信)
著者:石野瑛 発行年:1958年(昭和33) 出版者:武相学園
目次:八 鎌倉時代の文化
ページ数:79 コマ数:55

『文化財保護のあゆみ』(データ送信)
発行年:1961年(昭和36) 出版者:神奈川県教育委員会
目次:第三章 文化財の啓発と普及 一 公開
ページ数:71 コマ数:47

『趣味の日本刀』(データ送信)
著者:大河内常平, 柴田光男 共著 発行年:1963年(昭和38) 出版者:雄山閣出版
目次:古刀篇押形図版集
ページ数:34、35 コマ数:22

『百人百剣 : 日本刀の楽しみ方』
著者:柴田光男 編 発行年:1964年(昭和39) 出版者:徳間書店
目次:山陽道 備前 無銘・伝青江(名物ニツカリ青江) 中古刀 上々作 重美
ページ数:24、25 コマ数:16

『武将と名刀』(データ送信)
著者:佐藤寒山 発行年:1964年(昭和39) 出版者:人物往来社
目次:丹羽長秀とにっかり青江
ページ数:188~191 コマ数:99~100

『日本刀物語』(データ送信)
著者:福永酔剣 発行年:1964年(昭和39) 出版者:雄山閣
目次:魔女とニッカリ青江
ページ数:86~92 コマ数:51~54

『考証江戸事典』(データ送信)
著者:南条範夫 編 発行年:1964年(昭和39) 出版者:人物往来社
目次:武器 にかり
ページ数:123 コマ数:65

『日本刀全集 第1巻』(データ送信)
発行年:1966年(昭和41) 出版者:徳間書店
目次:武将と刀剣 沼田鎌次
ページ数:207 コマ数:107

『日本刀全集 第9巻』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:徳間書店
目次:古刀
ページ数:48、49 コマ数:28

『埋忠銘鑑』(データ送信)
著者:本阿弥光博 解説 発行年:1968年(昭和43) 出版者:雄山閣
目次:埋忠銘鑑 全
ページ数:19 コマ数:95

「Museum (280)」(雑誌・データ送信)
著者:東京国立博物館 編 発行年:1974年7月(昭和4) 出版者:東京国立博物館
目次:青江刀工の研究 / 加島進
ページ数:31 コマ数:17

『日本刀おもしろ話』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1998年(平成10年) 出版者:雄山閣
目次:妖怪変化編 化物斬ったにっかり青江
ページ数:75~82

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:にっかりあおえ【にっかり青江】
ページ数:4巻P118、119

『日本刀を嗜む』(紙本)
著者:刀剣春秋編集部監修 発行年:2016年(平成28) 出版社:ナツメ社
目次:名刀図譜6 ニッカリ青江
ページ数:32、33

概説書

『剣技・剣術三 名刀伝』(紙本)
著者:牧秀彦 発行年:2002年(平成14) 出版者:新紀元社
目次:第三章 戦国武将 にっかり青江 丹羽長秀
ページ数:167~169

『名刀 その由来と伝説』(紙本)
著者:牧秀彦 発行年:2005年(平成17) 出版者:光文社
目次:伝承・怪談の名刀 にっかり青江
ページ数:189~192

『図解 武将・剣豪と日本刀 新装版』(紙本)
著者:日本武具研究界 発行年:2011年(平成23年) 出版者:笠倉出版社
目次:第3章 武将・剣豪たちと名刀 丹羽長秀とにっかり青江
ページ数:134、135

『日本刀図鑑: 世界に誇る日本の名刀270振り』(紙本)
発行年:2015年(平成27) 出版者:宝島社
目次:にっかり青江
ページ数:12

『図解日本刀 英姿颯爽日本刀の来歴』(紙本)
著者:東由士 編 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:名刀の物語を読む ニッカリ青江
ページ数:53

『刀剣目録』(紙本)
著者:小和田康経 発行年:2015年(平成27) 出版者:新紀元社
目次:≪第三章 南北朝・室町時代≫ 備中国青江 青江派 にっかり青江
ページ数:292、293

『物語で読む日本の刀剣150』(紙本)
著者:かゆみ歴史編集部(イースト新書) 発行年:2015年(平成27) 出版者:イースト・プレス
目次:第6章 脇差 ニッカリ青江 ページ数:140、141

『刀剣聖地めぐり』(紙本)
発行年:2016年(平成28) 出版者:一迅社
目次:ニッカリ青江
ページ数:90