人間無骨

にんげんむこつ

概要

森長可の人間無骨、「槍 銘 和泉守兼定(人間無骨と彫あり)」

『本朝鍛冶考』などによると、森武蔵守長可が、長島城の戦い(長島一向一揆)において二十七もの首級を挙げた槍。
この時の森長可はまだ十七歳だったという。

表に「人間」、裏に「無骨」と刻まれた十文字槍で、作者は「和泉守兼定(之定)」または「和泉守兼貞」だと言われている。

『甲子夜話』によると、森家では、この槍はつねに玄関にかけてあり、行列の時は一番道具になっていた。
後には模造の槍をもってこれに代え、真物は居城である播州赤穂城に置くことにした。

明治30年代頃、中央刀剣会の本部がある遊就館に展示されていた。

また、昭和15年(1940)頃には森俊成子爵所蔵の槍として、紀元二千六百年奉祝名宝日本刀展覧会に出品もされている。

書籍で辿れるのはこの辺りまでで、現在は音沙汰なしのようである。

1574年(天正2)7月、長島城攻めの際に森長可が27の首級をあげた槍

『本朝鍛冶考』などによると、
濃州金山城主・森武蔵守長可が、天正2年(1574)7月、伊勢の長島城攻めのさい、首二十七級をあげた十文字槍には、表に「人間」、裏に「無骨」と彫刻があった。

『本朝鍛冶考 18巻 [6]』
著者:鎌田魚妙 撰 発行年:1851(嘉永4) 出版者:近江屋平助
ページ数:12 コマ数:29

作者については「和泉守兼定(之定)」説と「和泉守兼貞」説がある

作者については2説ある。

『古今鍛冶備考』『甲子夜話』によると和泉守兼定(之定)。
『本朝鍛冶考』によると和泉守兼貞。

彫刻のある位置も、前者では十文字の交差する所、後者ではその下、塩首の上になっている。

『古今鍛冶備考』は国立国会図書館デジタルコレクションにはないが、国文学研究資料館が画像を公開してくれているので、289、290コマ(『古今鍛冶備考』6巻)で見ることが出来る。

『日本随筆大成 第3期 第8巻』(データ送信)
著者:日本随筆大成編輯部 編 発行年:1930年(昭和5) 出版者:日本随筆大成編輯部
目次:甲子夜話 巻五十三
ページ数:39 コマ数:24

森家では行列の時の一番道具

『甲子夜話』によると、
森家では、この槍はつねに玄関にかけてあり、行列の時は一番道具になっていた。
後には模造の槍をもってこれに代え、真物は居城である播州赤穂城に置くことにした。

明治30年代頃、遊就館に展示

下記の雑誌によると、明治30年代ごろ(つまり中央刀剣会が設立した頃)には、その本部がある東京・九段の靖国神社境内にある遊就館に展示されていた。

「骨董協会雑誌 (2)」(雑誌・データ送信)
発行年:1899年2月(明治32)
目次:人間無骨の鎗
ページ数:24、25 コマ数:16

紀元二千六百年奉祝名宝日本刀展覧会に出品

昭和15年(1940)には森俊成子爵所蔵の槍として、紀元二千六百年奉祝名宝日本刀展覧会に出品されていた。

現在は情報なし?

国立国会図書館のデジタルコレクションで検索をかけると、1990年代に歴史系の雑誌で人間無骨の所在を尋ねる雑誌記事があるようである。

国立国会図書館限定の配信なので内容自体は読めないが、その頃からすでに捜索されていたのではないか?

「人間無骨」の難しいところは他の刀のような文化財としての指定がないことで、例えば個人蔵だったりしても、他の刀剣と違ってそれを客観的に確認する手段に乏しい。

作風

『紀元二千六百年奉祝名宝日本刀展覧会出陳刀図譜』
著者:遊就館編 発行年:1940年(昭和15) 出版者:遊就館
目次:古刀の部 四五 槍 銘和泉守兼定(人間無骨と彫あり) 東京 子爵森俊成
ページ数:47 コマ数:102、103

四五 槍 銘 和泉守兼定(人間無骨と彫あり) 東京 子爵 森俊成

穂長さ一尺二寸七分 身幅一寸二分 横長一尺二寸六分

十文字槍、鍛板目、小沸つき、刃文は直刃ほつれ、沸附き、砂流しかかり、穂帽子、横帽子ともに小丸になり少しく掃掛けごころあり、鹽首平に表に「人間」裏に「無骨」と刻あり、茎は生ぶ、長さ一尺七寸五分、鑢は筋違、表に細鏨に「和泉守兼定と銘がある。
人間無骨の槍は天正二年織田信長が勢州長島を攻めた時に、濃州金山七萬石を領した森武蔵守長可が、生年十七歳此の槍を振つて、敵の首を取ること二十七級、信長大いに之を賞し、爲に人間無骨の號を入れたものであるといふ。

他の「人間無骨」たち

「人間無骨」とは、『日本刀大百科事典』によると「刀槍の鋭利なことを譬えた語」だという。

森長可の槍と織田信長の刀が有名だが、国立国会図書館デジタルコレクションで検索するとそれ以外にも「人間無骨」と刻まれた刀剣はどうやらいろいろ存在するらしい。

織田信長の人間無骨

織田信長が家臣のさしていた長船清光の刀をもって、罪人を試したところ、人間、骨無きが如くだったので、家臣から召し上げ、“人間無骨”と名づけ、自分の差料にした。

それは出羽天童藩主の織田家に伝来、奥州森岡藩士・小松原甚左衛門も、幕末に拝見している。

『日本刀大百科事典』での出典は「刀剣と歴史」『刀剣発微』だが両方とも国立国会図書館デジタルコレクションでは読めない。

濃州関の権少将氏貞の平造り脇差

濃州関の権少将氏貞の平造り脇差に、差し表に剣巻竜、裏に「人間無骨」と彫ったものが現存する。

「刀剣と歴史(598)」(雑誌・データ送信)
発行年:1994年3月(平成6) 出版者:日本刀剣保存会
目次:本部研究会報告 / 皎園
ページ数:43 コマ数:26

「人間無骨」の彫物はよくある?

国立国会図書館のデジタルコレクションで「人間無骨」で検索をかけると、森長可の槍以外にも「人間無骨」という彫物のある刀剣が複数引っかかってくる。

国広の短刀、長運斎綱俊の刀、信国の袋穂槍など、特定の刀工ではなく複数作者が「人間無骨」と呼べる刀剣を作っているようである。

『日本刀講座 第9巻 新版』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:雄山閣出版
目次:名士と刀劍 高木復先生
ページ数:16 コマ数:168

「刀剣美術 (3) 別冊」(雑誌・データ送信)
発行年:1964年(昭和39) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:一、昭和35年9月18日 / 鎌倉支部
ページ数:403 コマ数:205

『収蔵品目録 [第2] (工芸篇)』(データ送信)
発行年:1954年(昭和29) 出版者:東京国立博物館
目次:槍
ページ数:22 コマ数:144

調査所感

・ひらがなとカタカナが入り混じる文体は『森家先代実録』由来?

『大日本史料 第11編之1』
著者:東京大学史料編纂所 編 発行年:1927年(昭和2) 出版者:東京大学
目次:正親町天皇 天正十年 六月 森家先代実録
ページ数:354 コマ数:200

金山のものは川中嶋ヲ無怪我引取シ也、汝ニハ今世の暇ヲとらするそとて、人間無骨といふ十文字の鑓ヲ御自身御持被成、心下ヲ一鑓御突通シ被成、此死骸ヲ取帰、此由周防ニ申聞せよと

・之定は字が下手という話

内田疎天氏がこの本でちらっと話題に出していましたが本阿弥系の古剣書だと和泉守兼定(之定)に関して「銘の悪しきを正真とす」と書いていることがわかりました。

つまり之定は悪筆だから、字が上手かったらそれは贋作だぞ! ってことですね。
笑うわこんなん。

『大日本刀剣新考』(データ送信)
著者:内田疎天 発行年:昭和8 出版者:岡本三郎
目次:第四章 古刀略志(第三) 東山道
ページ数:499 コマ数:579

・人間無罪説

下記の本では世に「人間無骨」と伝えられるが真物を見たら「人間無罪」だ、俗人は字を知らないんだな、という文脈のコメントがあります。

人間無骨は刀剣関係だと切れ味を示す言葉としてよく使われるようですし、これも多分之定の字の問題じゃないかな……。

『日本儒林叢書 第2冊』
著者:関儀一郎 編 発行年:1928年(昭和3) 出版者:東洋図書刊行会
目次:續秋堂閒語 二卷 同著
ページ数:4 コマ数:209

・現在の所在はわからず、研究内容も大分古く見える

デジコレで読める範囲だと比較的他の刀より研究内容が古く見えます。
作者がどっちなのか現物鑑定の観点から結論したものが、もしかしてない?

昭和の刀剣書に載っている内容が古剣書の引用が多くて現物をしっかり調べたという記録があまりなく……。

森長可の槍自体は有名ですし、一時期は遊就館に展示されていたくらいなんですがその知名度の割にはあまり話が出てこないですね。

参考文献

『本朝鍛冶考 18巻 [6]』
著者:鎌田魚妙 撰 発行年:1851(嘉永4) 出版者:近江屋平助
ページ数:12 コマ数:29

「骨董雑誌 2(2)」(雑誌・データ送信)
発行年:1897年5月(明治30)
目次:新聞
ページ数:35 コマ数:21

「骨董協会雑誌 (2)」(雑誌・データ送信9
発行年:1899年2月(明治32)
目次:人間無骨の鎗
ページ数:24、25 コマ数:16

『好古類纂 二編 第十二集』
著者:好古社 編 発行年:1900~1909年(明治33~42) 出版者:好古社
目次:武器部類
ページ数:23 コマ数:47

『古刀銘尽大全 下 増訂 (日本故有美術鑑定便覧 ; 第4集) 』
著者:大館海城 編 発行年:1901年(明治34) 出版者:赤志忠雅堂
ページ数:113 コマ数:2

「考古界 2(11)」(雑誌・データ送信)
発行年:1903年(明治36) 出版者:考古学会
目次:體育會參考品の陳列
ページ数:675、676 コマ数:34、35

『日本之体育』(データ送信)
著者:日本体育会 編 発行年:1903年(明治36) 出版者:育英会
目次:邦人古今体力ノ変遷ヲ徴スベキ諸器具
ページ数:32 コマ数:62

『仙台叢書 第六巻』(データ送信)
発行年:1924年(大正13) 出版者:仙台叢書刊行会
目次:老人傳聞記
ページ数:133 コマ数:79

『大日本史料 第11編之1』
著者:東京大学史料編纂所 編 発行年:1927年(昭和2) 出版者:東京大学
目次:正親町天皇 天正十年 六月 森家先代実録
ページ数:354 コマ数:200

『日本儒林叢書 第2冊』
著者:関儀一郎 編 発行年:1928年(昭和3) 出版者:東洋図書刊行会
目次:續秋堂閒語 二卷 同著
ページ数:4 コマ数:209

『日本随筆大成 第3期 第8巻』(データ送信)
著者:日本随筆大成編輯部 編 発行年:1930年(昭和5) 出版者:日本随筆大成編輯部
目次:甲子夜話 巻五十三
ページ数:39 コマ数:24

『槍・薙刀及び鐔の新研究』(データ送信)
著者:清水孝教 発行年:1934年(昭和9) 出版者:太陽堂書店
目次:二三 諸國鍛冶及武將との關係
ページ数:295、296 コマ数:170、171

『大日本刀剣新考』(データ送信)
著者:内田疎天 発行年:1933年(昭和8) 出版者:岡本三郎
目次:第四章 古刀略志(第三) 東山道
ページ数:499 コマ数:579

『日本刀講座 第1巻 (日本刀剣概論)』(データ送信)
著者:雄山閣 編 発行年:1934年(昭和9) 出版者:雄山閣
目次:第四 鑓鍛冶及其の作品
ページ数:176~178 コマ数:245、246

『兵器考 古代篇』(データ送信)
著者:有坂鉊蔵 発行年:1936~1937年(昭和11~12) 出版者:雄山閣
目次:第四章 長柄諸兵器
ページ数:103 コマ数:70

『剣道入門』(データ送信)
著者:近藤利雄 発行年:1938年(昭和13) 出版者:剣道昂揚会
目次:第六章 劍道雜話
ページ数:179 コマ数:102

『紀元二千六百年奉祝名宝日本刀展覧会出陳刀図譜』
著者:遊就館編 発行年:1940年(昭和15) 出版者:遊就館
目次:古刀の部 四五 槍 銘和泉守兼定(人間無骨と彫あり) 東京 子爵森俊成
ページ数:47 コマ数:102、103

「警察新報 25(9);9月號」(雑誌・データ送信)
発行年:1940年8月(昭和15) 出版者:警察新報社
目次:日本刀と日本精神/前田稔靖
ページ数:61 コマ数:36

『赤穂義士読本 訂5版』(データ送信)
著者:赤穂中学義士研究部 編 発行年:1941年(昭和16) 出版者:清水堂
目次:四 赤穗の史蹟を訪ねて
ページ数:428 コマ数:249

『日本刀大観 下巻』
著者:本阿弥光遜 発行年:1942年(昭和17) 出版者:日本刀研究会
目次:第三章 各國刀匠の略歴と其の掟と特徴 第一 古刀の部
ページ数:500、501 125コマ

「法曹 (5)(139)」(雑誌・データ送信)
発行年:1962年5月(昭和37) 出版者:法曹会
目次:黒田武士と名槍日本号 / 柴田和徹
ページ数:8 コマ数:7

『日本刀の鑑定と鑑賞 (実用百科選書) 』(データ送信)
著者:常石英明 発行年:1967年(昭和42) 出版者:金園社
目次:中部地方
ページ数:113 コマ数:85

『東京名所図会 [第1] (麹町区之部)』(データ送信)
発行年:1969年(昭和44) 出版者:睦書房
目次:富士見町総説 遊就館
ページ数:107 コマ数:64

「政経人 19(9)」(雑誌・データ送信)
発行年:1972年9月(昭和47) 出版者:政経社/総合エネルギー研究会
目次:戦国豆字引 / 葉山古狂生
ページ数:92 コマ数:51

『岡山県史 第25巻 (津山藩文書)』(データ送信)
発行年:1981年(昭和56) 出版者:岡山県
目次:森家先代実録補遺巻之二
ページ数:510 コマ数:295

概説書

『刀剣目録』(紙本)
著者:小和田康経 発行年:2015年(平成27) 出版者:新紀元社
目次:≪第三章 南北朝・室町時代≫ 美濃国関 兼定 人間無骨
ページ数:308

『図解日本刀 英姿颯爽日本刀の来歴』(紙本)
著者:東由士 編 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:消えた名刀たちの名鑑 人間無骨
ページ数:94

『刀剣説話』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2020年(令和2) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
(『刀剣物語』発行年:2015年を加筆修正して新たに発行しなおしたもの)
目次:天下の名槍 人間無骨
ページ数:214