大包平

おおかねひら

概要

「太刀 銘 備前国包平作(名物大包平)」

『享保名物帳』所載の太刀。平安時代の刀工・古備前の包平作。

池田輝政の佩刀と言われているが、確証はないかもしれない。

確実なのは池田輝政の孫の備前岡山藩主・池田光政の所持であり、この時代のことは『池田光政日記』『明良洪範』『常山紀談』などに様々なエピソードが残っている。

以後、池田家伝来。

1933年(昭和8)7月25日、重要美術品認定。
1936年(昭和11)9月18日、国宝(旧国宝)指定。

戦後の刀剣接収騒動時には危うく接収されそうになったが、キャドウェル大佐のおかげで無事。

1951年(昭和26)6月9日、国宝(新国宝)指定。

1967年(昭和42)、池田家から国が買い上げる。

現在も「東京国立博物館」蔵。

天下第一の名刀と名高く、童子切安綱と並ぶ日本刀中の両横綱とも言われる。

号の由来

『日本刀大百科事典』によると、

由来について『享保名物帳』に、ただ「寸長き故、名付く」とだけあるのは、本阿弥家では実見したものがいなかったからであるという。
『名物扣』では、古庄兵衛という者が、元禄5年(1692)6月10日、池田家で拝見しての話として、刃長などを記録しているだけだから、とある。

『詳註刀剣名物帳 : 附・名物刀剣押形 増補』
著者:羽皐隠史 発行年:1919年(大正8) 出版者:嵩山堂
目次:光忠、長光、包平、光包、兼光の部 大包平
ページ数:170、171 コマ数:100

松平大炊頭殿(備前岡山池田侯爵家)
大包平 銘あり長二尺九寸四分 無代

表裏樋寸長き故名付

大包平の「大」

「大」が頭につく刀剣の号は単に「大きい(寸が長い)」の意味でとる場合と、「偉大」の意味でとる場合がある。

大包平の場合はどの説明でも「偉大」という意味でとるのが望ましいとされているようだ。

池田輝政の佩刀と言われる

『日本刀大百科事典』によれば、

備前岡山藩主・池田家の初伝によれば、三左衛門輝政(1565~1613年)の佩刀で、正月の具足始めには、甲冑と共にこれを飾るならわしだった。

池田輝政佩刀は確証がない?

刀剣書には「池田家の記録によれば池田輝政の佩刀」と書いてあるが、肝心のその史料名らしきものが出てこない。

ネット上の刀剣ファン・審神者の先行研究者が幾人か指摘している。

「三左衛門」輝政の佩刀という表現や「正月の具足始め」という表現から、『池田光政日記』の記述を、『明良洪範』の日置豊前のエピソードなどのイメージによる光政幼少の頃から大包平は池田家にあったものと解釈し、それなら愛刀家の池田輝政が集めたのだろうという憶測が生まれ定説として語られるようになった節が見られる。

『刀剣談』
著者:高瀬真卿 発行年:1910年(明治43) 出版者:日報社
目次:第六門 諸家の名刀 池田候の大包平 コマ数:92、93

新太郎少将光政が幼少の時、同族たる因幡の松平忠雄が大包平を所望した話しがあるから、此刀は輝政より伝来したものと思はれる

池田光政(1609~1682)購入説もある

世間ではこの大包平は新太郎少将光政の愛刀で、光政が買い入れたものと伝えている。
熊沢蕃山(1619~1691年、陽明学者)に、太平の代に於いて、名臣をこそ買うべきに、徒らに大金を投じて名刀を買うということは如何かと意見されたが、光政はこの大包平だけは許せと言って買取ったという。

しかし、この説は否定されている。

『武将と名刀』(データ送信)
著者:佐藤寒山 発行年:1964年(昭和39) 出版者:人物往来社
目次:池田三左衛門輝政と大包平など
ページ数:253~256 コマ数:132、133

池田家「三左衛門具足着初之覚」(『池田光政日記』)

池田家で具足に関する儀式で使われていた記録は『池田光政日記』に見られる。
ここでの表記「大兼平」が大包平のことらしい。

(ただしこの記録は上述の通り、池田輝政所持の根拠とはならない)

『池田光政日記』の注釈によると、ここでの三左衛門は輝政ではなく、光政の息子・綱政(つなまさ)となっている。
この記述は毎年正月の「具足祝」ではなく、継政の「具足初」に関するものとなるようだ。

『池田光政日記』(データ送信)
著者:藤井駿、水野恭一郎、谷口澄夫 編著 発行年:1967年(昭和42) 出版者:山陽図書出版
目次:慶安五年(承応元年)正月―五月在江戸 二月十六日
ページ数:154 コマ数:97

三左衛門具足着初之覚
一朝、三左と祝申候、大兼平太刀・助真ノ刀・国光ノ御脇指遣、其後御影三ふくせう香仕候事、御影ノわキに具足かさる、

日置豊前父子が事

『明良洪範』によると、

池田輝政から二代後の池田新太郎光政が幼くして藩主となったため、藩政は叔父にあたる池田宮内少輔忠雄が後見となり、家老の日置豊前が運営していた。
幕府からは、加藤甲斐守が目付役として派遣されていた。

ある日、宮内少輔と甲斐守の前に豊前が呼び出され、公私ともに少しの私曲がある、といって責められた。

しかし日置豊前は一々明快に弁明したあと、こういういわれなき糾弾をなされたのは、宮内少輔殿が「大包平」を借用されたいご希望なのに、お貸ししないからであろう、しかし、あれは殿(新太郎光政)が成人なされた後はいざ知らず、それ以前はお貸しできませぬ、と断った。

『明良洪範 : 25巻 続篇15巻』
著者:真田増誉 発行年:1912年(明治45) 出版者:国書刊行会
目次:巻之二十一(日置豊前父子が事)
ページ数:291、292 コマ数:159、160

其子細は新太郎殿の家に傳へ候大包平の刀を宮内殿借用有度由なれども殿の十五才より以後は格別只今は幼年に候らへば某計らひには致し難しと申しければ

この話は『常山紀談』も出典として挙げられていたが確認できなかった。見落とした可能性があるがそちらの再チェックは今度にさせてもらう。

日置豊前の話について、『日本刀大百科事典』で酔剣先生がこのように解説している。

・加藤甲斐守納泰はもっと時代があとで、目付役として派遣されたのは、甲斐守の曽祖父・遠江守光直
・派遣の時期も、光政が岡山に転封になったとき、つまり二十四歳のとき。
・宮内少輔はそれより二か月前に死去している。
・こんな矛盾はあるが、池田家における尊崇ぶりを示す、いい挿話である。

最後これただの酔剣先生の感想では?

池田新太郎光政と大包平(『雨夜の燈』)

日置豊前が切腹覚悟で守った“大包平”だが、池田新太郎光政は子息・備後守に対してこのように訓戒している。

伝来の大包平が何になる、藩中の刀を総動員すれば、恐るる敵はいまいものを、大名の身として、刀一本を頼りにするとは情けない話だ。

『日本刀大百科事典』ではこのエピソードの出典を池田光政の言行資料『有斐録』としているが、うまく該当箇所を見つけられなかったので別の出典を挙げておく。

『常山紀談 (有朋堂文庫) 』
(『雨夜の燈』部分収録)
著者:湯浅元禎 著 発行年:1912年(明治45) 出版者:有朋堂(有朋堂文庫)
目次:常山紀談 附録 雨夜燈
ページ数:834 コマ数:440

近頃にも新太郎様の仰に、取傳へたる大兼平何の用にか立つべき。家中の士の刀を残らず用に立てさせなんには、向ふ敵は有るまじ。大名の身にて刀一腰を頼みにせんは口惜しき事の至極なり、と備後守様に御戒め有りしも、飯田と同じ理にこそ。

『責而者草 2編 (日本偉人言行資料) 』
著者:渋井徳章 著 発行年:1917年(大正6) 出版者:国史研究会(日本偉人言行資料)
目次:巻之六
ページ数:112 コマ数:61

『責而者草』では肝心の「大兼平」の部分が「大兼光」になるという誤記があるもののでは『雨夜の燈』からの引用として同じ話が載っている。

この光政のエピソードに関して『日本刀大百科事典』で酔剣先生はこのように解説している。

備後守恒元は弟である。子息・伊予守と訂正すべきであるが、いかにも名君と言われただけあって、着眼点が凡庸とは違う。

後半これやっぱり酔剣先生の感想では?

1933年(昭和8)7月25日、重要美術品認定

昭和8年(1933)7月25日、重要美術品認定。
池田宜政侯爵名義。

「太刀 銘 備前国包平作(名物大包平)」

『官報 1933年07月25日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1933年(昭和8) 出版者:日本マイクロ写真
目次:文部省告示第二百七十四号 昭和八年七月二十五日
ページ数:655 コマ数:4

1936年(昭和11)9月18日、国宝(旧国宝)指定

昭和11年(1936年)9月18日、国宝(旧国宝)指定。
池田宣政侯爵名義。

「太刀 銘備前国包平作 附 糸巻太刀拵」」

『官報 1936年09月18日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1936年(昭和11) 出版者:日本マイクロ写真
目次:文部省告示第三百二十六号 昭和十一年九月十八日
ページ数:445 コマ数:3

戦後刀剣接収騒動時の危機

大包平は刀剣接収騒動の時に危うく接収されそうだったところをキャドウェル大佐によって救われたというエピソードがある。
『趣味の日本刀』2002年版には昭和46年の佐藤寒山先生と柴田光男先生による座談会が収録されている。

『趣味の日本刀』(紙本)
著者:柴田光男 発行年:2002年(平成14) 出版社:雄山閣
目次:座談会 刀剣史話
ページ数:223

1951年(昭和26)6月9日、国宝(新国宝)指定

昭和26年(1951)6月9日、国宝(新国宝)指定。
池田宣政氏名義。

官報の年月日と指定の年月日がずれていますが、この年月日であっています。
昭和26年6月9日に重要文化財から国宝指定された工芸品は昭和27年1月12日に告示が出されたという話です。

官報の告示が第何号でどういう法律によるかは5コマ目に説明が載っています。

「太刀 銘 備前国包平作(名物大包平) 附糸巻太刀拵」

『官報 1952年01月12日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1952年(昭和27) 出版者:日本マイクロ写真
目次:文化財保護委員会告示第二号 昭和二十七年一月十二日
ページ数:140 コマ数:7

1967年(昭和42)、池田家から国が買い上げる

『日本刀大百科事典』によると、

以後も池田家に伝来していたが、昭和42年、同家から国が買い上げた。
日本一の名刀と言われるだけあって、価格も6500万円だった。

下記の雑誌でも昭和43年度に文化庁から東京国立博物館に移管となっている。

「Museum (217)」(雑誌・データ送信)
著者:東京国立博物館 編 発行年:1969年4月(昭和44) 出版者:東京国立博物館
目次:新収品研究・紹介 名物大包平の太刀 / 加島進/p16~17
ページ数:16、17 コマ数:10

附解除

昭和42年8月16日の日付で国宝指定名称の「附糸巻太刀拵」が解除になったようである。

『指定文化財総合目録 [昭和43年版] (美術工芸品篇)』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:文化財保護委員会
目次:東京都
ページ数:963 コマ数:496

現在も「東京国立博物館」蔵

「国指定文化財等データベース」によると

所有者は「独立行政法人国立文化財機構 」
保管施設は「東京国立博物館」。

作風

刃長二尺九寸四分(約89.1センチ)。
表裏に刀樋をかく。

昔は横手より一寸(約3センチ)余下、刃の上に切り込みがあったが、現在はなくなっている。
地鉄は小板目つまり、地沸えと映りを見る。
刃文は五の目丁子、刃中よく働く。
茎はうぶ、目釘孔二個。
中心尻近くに大きな切り欠ぎがある。

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5) 出版者:雄山閣
目次:おおかねひら【大包平】
ページ数:1巻P185、186

天下第一の名刀、日本刀中の両横綱

天下第一の名刀

明治時代の研究者、今村長賀氏はこのように、大包平のことを日本一の名刀だと考えている。

『剣話録 下』
著者:剣話会 編(今村長賀) 発行年:1912年(明治45) 出版者:昭文堂
目次:二七 本阿弥光山の押形
ページ数:268 コマ数:144

是は備前池田家の所有で、只今岡山の方に保存になつて居る。是は、天下第一の名刀であると思ふ。

『日本刀価格総鑑 : 古刀新刀』(データ送信)
著者:刀剣春秋社 編 発行年:1963年(昭和38) 出版者:徳間書店
目次:価格総鑑(1) 古刀
ページ数:95 コマ数:59

池田候がもっていた大太刀大包平は日本一と称されており、包平の声価を高めています。

いくつかの刀剣書では、大包平をこのように天下第一の名刀、日本一の名刀だと称している。

ネットでも「国指定文化財等データベース」に「我が国第一の名刀」ともいわれるとあるので、日本一の名刀は大包平であるらしい。

日本刀中の両横綱

本阿弥光遜氏によると、昔から「西に大包平あり、東に童子切あり」と、「東西の両横綱」にされていたらしい。

『刀談片々』(データ送信)
著者:本阿弥光遜 発行年:1936年(昭和11) 出版者:何光社
目次:名刀と妖刀の話
ページ数:187 コマ数:102

『刀剣鑑定秘話 2版』
著者:本阿弥光遜 発行年:1942年(昭和17) 出版者:金竜堂
目次:名刀と妖刀の話
ページ数:187 コマ数:99

昔から西に大包平あり、東に童子切ありと、東西の両横綱にされてる名刀がある。

『新・日本名刀100選』によると、佐藤寒山氏も大包平と童子切を両横綱として説明している。

『新・日本名刀100選』(紙本)
著者:佐藤寒山 発行年:1990年(平成2) 出版社:秋田書店
(中身はほぼ『日本名刀100選』 著者:佐藤寒山 発行年:1971年(昭和46) 出版社:秋田書店)
目次:8 大包平
ページ数:121

刀工・逸見東洋と岡山藩の刀

大包平、毛利藤四郎、浮田志津などの岡山藩池田家の名刀をのちに「明治正宗」と呼ばれた刀工・逸見東洋が少年時代に見たという話が小説にもなっているようだ。

『一刀流物語』
著者:本山荻舟 発行年:1926年(大正15) 出版者:東洋出版社
目次:風流數奇傳
ページ数:268 コマ数:138

『名剣士名刀匠』
著者:本山荻舟 発行年:1942年(昭和17) 出版者:天佑書房
目次:六 劍業三位一體
ページ:281 コマ数:145

調査所感

・ガチ勢がすでに研究史出してるからこの記事いらなくない?

かなりのガチ勢がほぼ出典と共に情報出してくれるので俺やらなくていいよね! という気持ちになりました。やったね! この項目はそういう訳で推し以外の情報も最低限だけ仕入れたい人向け。

えー、実は一度全振りの研究史出してから「あ行」の刀など最初期に出した大雑把な記事を修正する作業で大包平の研究史チェックは二度目なのですが、

大包平はやっぱりガチ勢のチェックがものすごくない? ものすごい!

というわけでここでは簡単に。

・昭和の研究者の認識

当時の研究者たちの認識について、下記の本がわかりやすいかなと思います。

『紀元二千六百年奉祝名宝日本刀展覧会出陳刀図譜』
著者:遊就館編 発行年:1940年(昭和15) 出版者:遊就館
目次:古刀の部 六五 太刀 銘備前国包平作(国宝・名物大包平)東京 侯爵池田宣政
コマ数:134、135

此の太刀を大包平と称する所以は身の長さ三尺に及ぶ故であらうが、寧ろその神技の偉大なる意に解したくなる。此の太刀が享保名物牒に登載されてより以来備前池田家の重宝であるが、俗間新太郎少将光政が購入したと傳へてゐるが誤りであつて光政の祖父三左衛門輝政の随一の愛刀であったらしく、池田家の記録に存する所である。

号の話も「大」の意味に関してはもともと憶測であることがわかりますが、来歴に関しては俗間でも光政購入としていたものが、池田家の記録を根拠として輝政の愛刀になっています。

この池田家の記録に関して、『日本刀大百科事典』によると上でまとめたように

1.池田家の初伝によれば、三左衛門輝政の佩刀で、正月の具足始めには、甲冑と共にこれを飾るならわしだった。(『日本刀大百科事典』)

でも寒山先生の『武将と名刀』では

2.池田家の記録では、この太刀を飾って新太郎光政が鎧の着初式をやったとあるので、三左衛門の愛刀であったことがわかる。(『武将と名刀』)

昭和の刀剣研究者と言えば酔剣先生と寒山先生ですが、どちらもおそらく『池田光政日記』を根拠とした説で、微妙に細部が間違っています。

『日本刀大百科事典』に関してはこの部分、出典を出していないので酔剣先生も直接資料を確認したのではなく刀剣界の認識をそのまま書いた可能性の方が高いと思われる。

『武将と名刀』では寒山先生は自分で『池田光政日記』を読んでいると思われるものの、大事な部分が間違っている。

現在は国立国会図書館デジタルコレクションで『池田光政日記』が直接読める上、この部分の注釈に「綱政具足着初め」とある。

なのでこの部分の解釈は

3.三左衛門(綱政)の「具足初(鎧着初)」に大包平などの太刀と一緒に甲冑を飾った

だと考えられます。

・池田輝政も、その曾孫の池田綱政も「三左衛門」と呼ばれる

この部分の解釈がぶれる理由は、史料に記載された「三左衛門」の解釈だと考えられます。

輝政は池田三左衛門輝政と呼ばれて有名なようですが、調べると曾孫の綱政も通称・三左衛門です。

酔剣先生の言う「正月の具足始め」は今調べると「具足開き」と言って鏡開きみたいなイベントのようですね。
ただ、同じ『池田光政日記』内を検索してもこれに関する史料はないようです。

寒山先生は「鎧の着初式」と言っているので「具足初」だということは合っています。
それなのに綱政ではなく光政の具足初めだと思っているのは、これもやはり「三左衛門」は輝政のことだという考えに引きずられていると思われます。
せっかく史料を直接読んでも、三左衛門は輝政のことだと思い込んでしまったせいで孫の光政の具足初めだと思い込んでしまったんじゃないでしょうかね。

慶安5年(1652)のことなので、年代的に言っても普通に考えれば1638年生まれで1652年には14、15歳ぐらい(つまり元服時期頃)の綱政でちょうどです。

他の刀の研究史も見てみると、刀剣の研究者が単純に史料をきちんと読めていない場合はまぁあるようです。
史料をきちんと読んだ人じゃなくなんとなく読んでなんとなく理解した人の詰めの甘い解釈が膾炙している例はもっとあります。よく……あります……。

・池田光政とその息子の綱政と、さらにその息子の継政

池田光政は俗間に大包平だけはどうしてもと言って陽明学者の忠告を振り切って買ったという説がある一方で、『雨夜の燈』では伝来の大包平が何になる、藩中の刀を総動員すれば、恐るる敵はいまいものを、正反対の態度になってしまっています。

この手の誰々がこの刀を愛したという伝説はまぁ大体こんなものです。

Wikipediaなどで関係者である池田光政や綱政、そして更にその息子の継政の辺りを調べていると、どうも印象的には『雨夜の燈』の話の方がイメージ近い気もします。

光政は戦国を知っている世代なので武骨な気風を重んじる性質で、一方戦を知らない綱政は京文化に憧れをもち、和歌や書に優れていたらしいです。

さらにその息子の継政は歴代藩主の肖像画を制作したことで知られ、やはり文人として優れていたそうです。

大包平と池田継政の関わりについては就実大学のコラムで触れられていて、1764年(宝暦14)に記された大包平に関する史料(御代々御譲物)があるそうです。
池田家の宝物目録である『調度記』の記述と合わせると、大包平が池田家の歴代藩主に譲り継がれるようになった背景には、第3代藩主・池田継政の関与があったことが分かってきたそうです。

・『池田分限帳』による遺物の記述(大包平は載っていない)

すでに先行研究者の審神者が出してくれた情報ですが、デジコレのコマ数については触れられていなかったので載せておきます。

下記の本で池田輝政の遺物の記述が読めますが、大包平はここに載っていないそうです。
(つまり輝政時代にはまだ池田家には存在しなかった?)

『大日本史料 第12編之10』
著者:東京大学史料編纂所 編 出版者:東京大学
目次:慶長十八年 正月
ページ数:642~656 コマ数:336~343

参考サイト

「国指定文化財等データベース」
「東京国立博物館」

「デジタル岡山大百科」 『雨夜灯火』

『雨夜の燈』と呼ばれる資料は岡山県立図書館の電子図書館システムによって原文と翻刻が両方読める親切な仕様になっている。

「就実大学・就実短期大学」

コラム 授業のひとこま 第9回  美術館収蔵品の調査と展示(3)大包平と池田継政

参考文献

『諸家名剣集』
(東京国立博物館デジタルライブラリー)
時代:享保4年(1719) 写本
コマ数:34

『刀剣談』
著者:高瀬真卿 発行年:1910年(明治43) 出版者:日報社
目次:第六門 諸家の名刀 池田候の大包平
ページ数:135~137 コマ数:92、93

『剣話録 下』
著者:剣話会 編(今村長賀) 発行年:1912年(明治45) 出版者:昭文堂
目次:八 古備前物作々の区別 ページ数:56、57 コマ数:34
目次:二七 本阿弥光山の押形 ページ数:268、267 コマ数:144

『明良洪範 : 25巻 続篇15巻』
著者:真田増誉 発行年:1912年(明治45) 出版者:国書刊行会
目次:巻之二十一(日置豊前父子が事)
ページ数:291、292 コマ数:159、160

『常山紀談 (有朋堂文庫) 』
(『雨夜の燈』部分収録)
著者:湯浅元禎 著 発行年:1912年(明治45) 出版者:有朋堂(有朋堂文庫)
目次:常山紀談 附録 雨夜燈
ページ数:834 コマ数:440

『責而者草 2編 (日本偉人言行資料) 』
著者:渋井徳章 著 発行年:1917年(大正6) 出版者:国史研究会(日本偉人言行資料)
目次:巻之六
ページ数:112 コマ数:61

『詳註刀剣名物帳 : 附・名物刀剣押形 増補』
著者:羽皐隠史 発行年:1919年(大正8) 出版者:嵩山堂
目次:光忠、長光、包平、光包、兼光の部 大包平
ページ数:170、171 コマ数:100

『日本趣味十種 国学院大學叢書第壹篇』(データ送信)
著者:芳賀矢一 編 発行年:1924年(大正13年) 出版者:文教書院
目次:八 刀剣の話 杉原祥造
ページ数:329 コマ数:185(もしくは184)

『刀剣談 再版』(データ送信)
著者:羽皐隠史 著, 高瀬魁介 訂 発行年:1927年(昭和2) 出版者:嵩山房
目次:第五、諸家の名刀 池田候の大包平【包平】
ページ数:170、171 コマ数:97

『池田光政公伝 上巻』
著者:石坂善次郎 編 発行年:1932年(昭和7) 出版者:石坂善次郎
目次:第十九章 鳥取築城
ページ数:306 コマ数:174

『池田光政公伝 下巻』
著者:石坂善次郎 編 発行年:1932年(昭和7) 出版者:石坂善次郎
目次:第八十二章 遺品の分配 〇傳家の名刀、大包平
ページ数:1400~1406 コマ数:259~262

『官報 1933年07月25日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1933年(昭和8) 出版者:日本マイクロ写真
目次:文部省告示第二百七十四号 昭和八年七月二十五日
ページ数:655 コマ数:4

『官報 1936年09月18日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1936年(昭和11) 出版者:日本マイクロ写真
目次:文部省告示第三百二十六号 昭和十一年九月十八日
ページ数:445 コマ数:3

『紀元二千六百年奉祝名宝日本刀展覧会出陳刀図譜』
著者:遊就館編 発行年:1940年(昭和15) 出版者:遊就館
目次:古刀の部 六五 太刀 銘備前国包平作(国宝・名物大包平)東京 侯爵池田宣政
コマ数:134、135

『日本刀大観 下巻』
著者:本阿弥光遜 発行年:1942年(昭和17) 出版者:日本刀研究会
目次:第三章 各國刀匠の略歴と其の掟と特徴 第一 古刀の部 古備前各系
ページ数:612、613 コマ数:181

『官報 1952年01月12日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1952年(昭和27) 出版者:日本マイクロ写真
目次:文化財保護委員会告示第二号 昭和二十七年一月十二日
ページ数:140 コマ数:7

『池田光政日記』(データ送信)
著者:藤井駿、水野恭一郎、谷口澄夫 編著 発行年:1967年(昭和42) 出版者:山陽図書出版
目次:慶安五年(承応元年)正月―五月在江戸 二月十六日
ページ数:154 コマ数:97

『読画楼随筆』(データ送信)
著者:竹越与三郎 発行年:1944年(昭和19) 出版者:講談社
目次:池田候の大包平の名刀
ページ数:87~92 コマ数:50~53

『武将と名刀』(データ送信)
著者:佐藤寒山 発行年:1964年(昭和39) 出版者:人物往来社
目次:池田三左衛門輝政と大包平など
ページ数:253~256 コマ数:132、133

「日本美術工芸 (331)」(雑誌・データ送信)
著者:日本美術工芸社 [編] 発行年:1966年(昭和41)4月 出版者:日本美術工芸社
目次:一館一品 / 大包平の太刀 / 岡山美術館
ページ数:80~82 コマ数:41、42

『指定文化財総合目録 [昭和43年版] (美術工芸品篇)』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:文化財保護委員会
目次:東京都
ページ数:963 コマ数:496

『国宝日本刀特別展目録:刀剣博物館開館記念』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:太刀 銘 備前国包平作(名物大包平)文化財保護委員会保管
コマ数:16、17

「Museum (217)」(雑誌・データ送信)
著者:東京国立博物館 編 発行年:1969年4月(昭和44) 出版者:東京国立博物館
目次:新収品研究・紹介 名物大包平の太刀 / 加島進/p16~17
ページ数:16、17 コマ数:10

『原色日本の美術.21』(データ送信)
著者:尾崎元春、佐藤寒山 発行年:1970年(昭和45) 出版者:小学館
目次:刀剣 ページ数:86 コマ数:92
目次:図版解説Ⅲ ページ数:104 コマ数:110
目次:一、日本刀概説 ページ数:225 コマ数:231

『新・日本名刀100選』(紙本)
著者:佐藤寒山 発行年:1990年(平成2) 出版社:秋田書店
(中身はほぼ『日本名刀100選』 著者:佐藤寒山 発行年:1971年(昭和46) 出版社:秋田書店)
目次:8 大包平
ページ数:121

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5) 出版者:雄山閣
目次:おおかねひら【大包平】
ページ数:1巻P185、186

『趣味の日本刀』(紙本)
著者:柴田光男 発行年:2002年(平成14) 出版社:雄山閣
目次:座談会 刀剣史話
ページ数:223

『日本刀物語』(紙本)
著者:杉浦良幸 発行年:2009年(平成21) 出版者:里文出版
目次:Ⅱ 名刀の生きた歴史 1 武将と日本刀 池田輝政の大包平
ページ数:51

概説書

『剣技・剣術三 名刀伝』(紙本)
著者:牧秀彦 発行年:2002年(平成14) 出版者:新紀元社
目次:第三章 戦国武将 大包平 池田輝政
ページ数:178

『名刀 その由来と伝説』(紙本)
著者:牧秀彦 発行年:2005年(平成17) 出版者:光文社
目次:武将・大名の名刀 大包平
ページ数:139

『図解 武将・剣豪と日本刀 新装版』(紙本)
著者:日本武具研究界 発行年:2011年(平成23年) 出版者:笠倉出版社
目次:第3章 武将・剣豪たちと名刀 池田輝政と大包平
ページ数:130、131

『日本刀図鑑: 世界に誇る日本の名刀270振り』(紙本)
発行年:2015年(平成27) 出版者:宝島社
目次:名物刀剣 時代を超えて愛される刀 06 大包平
ページ数:8

『図解日本刀 英姿颯爽日本刀の来歴』(紙本)
著者:東由士 編 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:名刀の物語を読む 大包平
ページ数:54、55

『刀剣目録』(紙本)
著者:小和田康経 発行年:2015年(平成27) 出版者:新紀元社
目次:≪第一章 平安時代≫ 備前国内 包平 大包平
ページ数:44

『物語で読む日本の刀剣150』(紙本)
著者:かゆみ歴史編集部(イースト新書) 発行年:2015年(平成27) 出版者:イースト・プレス
目次:第3章 太刀 大包平
ページ数:77

『刀剣物語』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:国宝・御物を見る 大包平
ページ数:6、7

『刀剣説話』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2020年(令和2) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
(『刀剣物語』発行年:2015年を加筆修正して新たに発行しなおしたもの)
目次:戦国大名が所有した刀 大包平
ページ数:147