しょくだいきりみつただ
概要
「刀 銘 無銘 (燭台切光忠)」
燭台を斬った異名を持つ、備前光忠の太刀。
伊達政宗が豊臣秀吉から拝領とされるが、確実に燭台切と同一の光忠なのか実は曖昧らしい。
関東大震災で罹災。焼身になったため長らく現存しないと思われていたが、「刀剣乱舞 ONLINE」人気によるファンからの問い合わせで実は水戸徳川家が罹災後もこの刀を保管していたことが明らかになった。
豊臣秀吉から伊達政宗が拝領と言われる
慶長元年(1596)、伏見築城の折、秀吉は伊達政宗が大坂との間のお召し船を献上した功を賞し、備前光忠の刀を与えた。
翌日、政宗が光忠を帯びて、普請場に来たところ、秀吉が小姓たちに、「昨日、政宗に刀を盗まれた。取り返せ」と冗談を言った。
小姓たちが刀を取り返そうとすると、政宗は逃げ出した。
十余間逃げたところで、秀吉が「許す。よろしい」と止めたので、そのまま政宗のものになった。
(『刀剣録』『明良洪範』『伊達成実記』)
出典とされている資料のうち『刀剣録』は残念ながら国立国会図書館デジタルコレクションにはないようだが、『明良洪範』『伊達成実記』などで記述が確認できる。
ただし注意点として、「燭台切」の号は伊達政宗由来なので、この時の光忠の刀には号がない。刀剣関係の書籍ではこの時の刀がのちの「燭台切光忠」とされていることが多いが、厳密に同一であると断定できる資料はないようである。
『明良洪範 : 25巻 続篇15巻』
著者:真田増誉 発行年:1912年(明治45) 出版者:国書刊行会
目次:巻之十六 伏見築城の事 附秀吉公の戯謔
ページ数:215 コマ数:121
『群書類従 第拾四輯』
著者:塙保己一 編 発行年:1894年(明治27) 出版者:経済雑誌社
目次:伊達成實記
ページ数:338 コマ数:174
『仙台叢書 第十一巻』(データ送信)
発行年:1926年(大正15) 出版者:仙台叢書刊行会
目次:政宗記 向島御建立の事。
ページ数:140 コマ数:79
小姓を燭台もろとも斬り倒したと言われる
政宗が怒って小姓を成敗しようとしたとき、唐金の燭台の後ろに隠れたので、燭台もろとも光忠の刀で斬り倒した。
それで“燭台切り”の異名がついた。
このエピソードの出典は『武庫刀纂』となっている。
『武庫刀纂』は水戸藩8代徳川斉脩が文政6年(1823)に、水戸徳川家伝来の刀剣を調べて編纂した書だという。
国立国会図書館デジタルコレクションに本そのものはないが、燭台切に関する記述は『罹災美術品目録』に引用されている。
ただし『武庫刀纂』には押形が載っているそうなので、見られるなら『武庫刀纂』そのものを見たほうが望ましいだろう。
『武庫刀纂』に関しては、燭台切光忠の現在の保管先である「徳川ミュージアム」で展示されている。
水戸頼房が伊達政宗邸から持って帰ったと言われるが
常陸水戸藩の初代藩主・徳川家康の11男・水戸頼房が伊達政宗の邸を訪ねたとき、「燭台切」の由来を聞いて、所望したが、承知しなかったので、無理に持って帰ってしまったという。
このエピソードの出典も『武庫刀纂』らしい。
関東大震災で焼身になる
以後、水戸家に伝来していたが、大正12年の関東大震災で焼身になった。
関東大震災による刀剣の罹災は水戸家が最大だったらしく刀剣の全部を焼失と記録されている。
『罹災美術品目録』
著者:国華倶楽部 編 発行年:1933年(昭和8) 出版者:吉川忠志
目次:本所區 侯爵 徳川圀順氏 新小梅町
ページ数:209、210 コマ数:114、115
同家は宝蔵一棟助かりて書画茶器の類は幸に無事なりしが、他の一棟に於て刀剣の全部を焼燬したり、その総数約一百六十余口、拵の小道具類全部約二千点と註せらる、刀剣被害の大なるは同家を以て最となす、但しその記録は文政年間に編纂せられたる『武庫刀纂』に詳記せられ、又其の図画も頗る精密なり、今同書に依て重要なるものを摘録す
(中略)
備前光忠刀号燭台 無銘
長二尺二寸三厘 鎺元九分九厘 横手下七分三厘 厚二分二厘 反五分
伝云、仙台候政宗近侍之臣有罪、隠于褐銅燈架之陰、政宗之斬之 燈架倶落、故名之曰燭台斫、燭台乃燈架之俗称也
義公誉臨于政宗第、政宗持此刀語其由、終乃置之坐右、公将帰請是刀、真宗愛之不興、公乃強持之去云
2015年、再び表舞台に
燭台切光忠は『罹災美術品目録』にも載っていて完全に焼失したと考えられていたため、世間一般的には現存しないと思われていた。
しかし、2015年7月25日の産経新聞のWEB記事「刀剣女子、今度は水戸に殺到 大人気「燭台切光忠」に感涙」によると、燭台切光忠のファンから「徳川ミュージアム」に記録はないかとの問い合わせが多数あったため、焼身のまま保管されていた燭台切光忠を公開するに至ったという。
「刀剣乱舞 ONLINE」の人気が実際の刀剣の現状に影響を与えた例であり、また、水戸徳川家に伝来した美術品や古文書を収蔵、展示する「徳川ミュージアム」の熱意を通して、水戸徳川家が関東大震災で罹災した刀をそれでも大切に保管していたことも明らかになった興味深い話ではないだろうか。
現在は「徳川ミュージアム」保管
焼身ながら「刀 銘 無銘 (燭台切光忠)」として「文化遺産オンライン」「文化遺産データベース」に登録されている。
現在は「徳川ミュージアム」が保管。
(「燭台切光忠」に関しては「徳川ミュージアム」で展示されるがミュージアムの所蔵ではなく水戸徳川家15代当主徳川斉正氏所有の刀であるという)
また、「徳川ミュージアム」では2016年2月から現代刀匠・宮入法廣氏の手により写しを造るプロジェクトを開始。
2018年には本歌である燭台切光忠と宮入法廣氏作の写しが並べて展示された。
燭台切光忠の現在に関しては「徳川ミュージアム」のブログに多数の記事が公開されている。
異説 織田信長所有?
原田道寛氏の著書で燭台切光忠がもともと織田信長が集めた二十後腰の中の一刀という説が紹介されている。
根拠なしの一説なので、織田信長が光忠の刀を愛好したというところから生まれた憶測だと考えられる。
『大日本刀剣史 下巻』(データ送信)
著者:原田道寛 発行年:1941年(昭和16) 出版者:春秋社
目次:水戶德川の名劍名刀
ページ数:416、417 コマ数:219
一説にはこの光忠も元織田信長が集めた二十五腰の中のその一刀だとも云はれる。或は然らんであらう。
余談 嫁なのか婿なのか、研究者の冗句集?
高瀬羽皐氏(高瀬真卿、羽皐隠史)の著書では燭台切光忠に「嫁」や「聟(むこ)」(=婿)といった表現が使われている。
話の出典は『水戸史談 : 故老実歴 附きのふの夢』で庄司健齋氏から聞いた話を脚色したものらしい。
「嫁」や「婿」といった語彙はどうやら高瀬羽皐氏の選択によるもののようだ。
一説には三代将軍家光公ある時、頼房君に陸奥守が光忠を差て参つたなら所望せられよ、あの光忠は珍らしい道具であると噂をなされた、スルト頼房君より上様の御媒酌である間、光忠を吾等に嫁入らせ候へと戯れに言れたるに政宗大に笑つて秘蔵の子なれど、上様の媒人ではいやとも言れまじとて其儘進上したと云ふ話がある、水戸家の事はまだある。
(『刀剣談』)
水戸頼房が燭台切を欲しがったが政宗に断られたので3代将軍家光に相談したところ“ソレは容易こと余が媒介をいたしその光忠を聟(むこ)に貰ひ候へ、”と言った。
(『英雄と佩刀』)
『刀剣談』
著者:高瀬真卿 発行年:1910年(明治43) 出版者:日報社
目次:第四門 武将の愛刀 燭台切光忠
ページ数:68、69 コマ数:59
『英雄と佩刀』
著者:羽皐隠史 発行年:1912年(大正1) 出版者:崇山房
目次:燭台切光忠 ページ数:17~20 コマ数:20~22
調査所感
・意外とふわふわとした来歴
『日本刀大百科事典』の記述が意外と簡素だなと思ったら、みっちゃんの「燭台切」は伊達政宗由来の号だから秀吉から拝領のエピソードが同一物だと確定してないのか。刀剣関係の書籍だと燭台切光忠としてこのエピソードめちゃくちゃ語ってるけど。
酔剣先生は『武庫刀纂』の記述を基準に考えているからその話が中心だけど、『名刀と名将』なんか読むと実は原田道寛先生と同じように信長の二十五腰の中の一振り説も採用しているようだ。刃長に関しても二尺二寸(約66.7センチ)とされていますね。
ちょっとそこまで頑張って読む気はない『剣槍秘録』(伊達家の刀剣について書かれた本)には秀吉拝領の光忠のことが書かれているらしいけれどこれが「燭台切」であるかどうかも厳密には不明であると。
来歴を真剣に考えると頭が痛くなるが、一振りの刀の歴史に関して色々な立場の人が色々な話をしているという現象自体は興味深い。
とうらぶだと水戸家の名刀として有名なものが2023年現在はまだ他に実装されていない関係でよく伊達家の刀として扱われることが多いんですが、実際の燭台切光忠の来歴としては『武庫刀纂』の記述を中心に「水戸家の燭台切」として扱われている方が大きいような気がします。
(水戸家の他の刀の追加が待ち遠しい……)
とりあえずみっちゃんに関してはそれこそ推してる人たちがすでに膨大な調査結果を出しているでしょうから詳しい話はそちらにお任せしましょう。
ここは基本的に刀にも歴史にもあんまり知識と興味ない素人のあくまで簡単調査記事なので、ガチな調査はおそらくその刀を押してる人たちの方が詳しいです。
・「徳川ミュージアム」のサイトとブログはとてもオススメ
「徳川ミュージアム」のサイトやブログで「燭台切光忠」を検索するとめちゃくちゃ情報が出てきます。近年の動きはここで。
所蔵元と言うとちょっと違うあくまで保管と展示をしている立場らしいですが、ミュージアム側でここまで熱心に扱って情報も発信してくれているととてもありがたいです。
・知名度という言葉の解釈の違いについて
この刀について現在たまに見かける発言で「燭台切は光忠の中では知名度が低い」というものがあるんですが、調査した感じそんなことはないというか、むしろ光忠の中だとむしろトップクラスに有名だと思います。
参考文献として挙げている書籍の該当記述に目を通してもらえばわかると思いますが、燭台切は光忠の名作としては実休光忠と並んで真っ先に挙げられていることが多いです。
本阿弥光遜氏に関しては“光忠中最も有名な太刀は名物燭台切り光忠である。”とまで言い切ってます(『日本刀大観 下巻』、昭和17年)。
燭台切の知名度が低いとはっきり書いてあるWEB記事の中で理由が説明されているものの判断基準は、歴史シミュレーションゲームなどへの登場などでしたが、それを理由に「知名度が低い」と言い切ってしまうのは正直どうかなと思います。
刀をまったく知らない人でも漫画やアニメやゲームを通じて存在を知っている、ということは知名度に関する一つの指標ではありますが、そこに登場する刀をして有名とするならまだしも、登場しないから有名ではない、という結論はちょっと極端だと思います。
「燭台切光忠」の知名度に関しては、資料の数や性質を考慮すると「有名」とする方が一般的な捉え方だと思います。
逆に言うなら、燭台切をして有名ではないと言った場合、この世に存在する・した多くの刀剣は有名ではないことになります。
まぁ別に基準を明確にして話すなら有名の範囲を死ぬほど狭くしてもいいっちゃいいんでしょうけどね……。
刀剣関係の書籍では燭台切は「有名」とされている方が多いので、知名度が低いと言い切られると明確にその記述に反するなぁと思ってちょっと触れてみた次第であります。
参考サイト
「徳川ミュージアム」「徳川ミュージアムのブログ」
「文化遺産オンライン」「文化遺産データベース」
参考文献
『刀剣談』
著者:高瀬真卿 発行年:1910年(明治43) 出版者:日報社
目次:第四門 武将の愛刀 燭台切光忠
ページ数:68、69 コマ数:59
『英雄と佩刀』
著者:羽皐隠史 発行年:1912年(大正1) 出版者:崇山房
目次:信長の光忠 ページ数:11~16 コマ数:17~20
目次:燭台切光忠 ページ数:17~20 コマ数:20~22
『日本趣味十種 国学院大學叢書第壹篇』(データ送信)
著者:芳賀矢一 編 発行年:1924年(大正13) 出版者:文教書院
目次:八 刀剣の話 杉原祥造
ページ数:345 コマ数:192
『文献の喪失文化の破壊 : 大震災復興一周年記念』(データ送信)
著者:国史講習会 編 発行年:1924年(大正13) 出版者:国史講習会
目次:第八 諸家所藏の珍籍名寳の被害
ページ数:150 コマ数:84
『地震と内閣 : 大正大震災一週年紀念 前篇』(データ送信)
著者:山口好恵 編 発行年:1924年(大正13) 出版者:共友社
目次:大江戸の名殘 鳶魚
ページ数:393 コマ数:226
『山公遺烈』(データ送信)
著者:高橋義雄 発行年:1925年(大正14) 出版者:慶文堂書店
目次:山公と水戸邸
ページ数:185 コマ数:107
『日本刀の研究 : 附・篠山刀剣大会出品刀目録』
著者:樋口登 発行年:1925年(大正14) 出版者:篠山新聞社
目次:第十三章 名將と其佩刀
ページ数:31 コマ数:25
『刀剣談 再版』(データ送信)
著者:羽皐隠史 著, 高瀬魁介 訂 発行年:1927年(昭和2) 出版者:嵩山房
目次:第四、武将の愛刀 燭台切光忠
ページ数:131、132 コマ数:77、78
『日本刀の近代的研究』(データ送信)
著者:小泉久雄 発行年:1933年(昭和8) 出版者:小泉久雄
目次:山陽道
ページ数:157 コマ数:157
『大日本刀剣新考』(データ送信)
著者:内田疎天 発行年:1934年(昭和9) 出版者:岡本三郎
目次:第七章 古刀略志(第六) 山陽道
ページ数:604 コマ数:684
『日本刀研究便覧』(データ送信)
著者:内田疎天 発行年:1934年(昭和9) 出版者:岡本偉業館
目次:古刀第二期の鍛冶と刀
ページ数:34 コマ数:60
『日本刀講座 第6巻 (刀剣鑑定・古刀)』(データ送信)
著者:雄山閣 編 発行年:1934年(昭和9) 出版者:雄山閣
目次:備前國
ページ数:33 コマ数:459
『日本刀講座 第11巻 (雑)』(データ送信)
著者:雄山閣 編 発行年:1935年(昭和10) 出版者:雄山閣
目次:第九章 作風と作刀吟味
ページ数:48 コマ数:32
『国史大観 第3巻』(データ送信)
著者:桜井時太郎 編 発行年:1936~1939年(昭和11~14) 出版者:研究社
目次:鎌倉時代第三期(後期)
ページ数:756 コマ数:431
『日本刀物語』
著者:小島沐冠人 編著 発行年:1937年(昭和12) 出版者:高知読売新聞社
目次:伊達政宗の燭臺切り
ページ数:144~147 コマ数:80、81
「好古 3(4)(24)」(雑誌・データ送信)
発行年:1940年4月(昭和15) 出版者:日本美術社
目次:武将と日本刀 本阿弥光法
ページ数:32 コマ数:18
『大日本刀剣史 下巻』(データ送信)
著者:原田道寛 発行年:1941年(昭和16) 出版者:春秋社
目次:水戶德川の名劍名刀
ページ数:416、417 コマ数:219
『日本刀大観 下巻』
著者:本阿弥光遜 発行年:1942年(昭和17) 出版者:日本刀研究会
目次:第三章 各國刀匠の略歴と其の掟と特徴 第一 古刀の部
ページ数:641 コマ数:195
『日本刀と無敵魂』
著者:武富邦茂 発行年:1943年(昭和18) 出版者:彰文館
目次:燭臺切光忠
ページ数:168 コマ数:99
『水戸史談 : 故老実歴 附・幾のふの夢』
著者:高瀬真卿 発行年:1905年(明治38) 出版者:中外図書局
目次:庄司健斉君物語
ページ数:2 コマ数:17
『名刀と名将(名将シリーズ)』(データ送信)
著者:福永酔剣 発行年:1966年(昭和41) 出版者:雄山閣
目次:伊達政宗自慢の業物
ページ数:181~183 コマ数:97、98
『日本刀講座 第9巻 新版』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:雄山閣出版
目次:長船物 概説および系図
ページ数:212 コマ数:179
『日本刀物語 続』(データ送信)
著者:福永酔剣 発行年:1969年(昭和44) 出版者:雄山閣
目次:伊達政宗自慢の業物
ページ数:181 コマ数:102、103
『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:しょくだいぎり【燭台切り】
ページ数:3巻P71
概説書
『刀剣目録』(紙本)
著者:小和田康経 発行年:2015年(平成27) 出版者:新紀元社
目次:≪第二章 鎌倉時代≫ 備前国長船 光忠
ページ数:83
『物語で読む日本の刀剣150』(紙本)
著者:かゆみ歴史編集部(イースト新書) 発行年:2015年(平成27) 出版者:イースト・プレス
目次:第3章 太刀 燭台切光忠
ページ数:72
『刀剣物語』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:大名・将軍が所持した刀 燭台切光忠
ページ数:184、185
『刀剣説話』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2020年(令和2) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
(『刀剣物語』発行年:2015年を加筆修正して新たに発行しなおしたもの)
目次:戦国大名が所有した刀 燭台切光忠
ページ数:176、177
『刀剣聖地めぐり』(紙本)
発行年:2016年(平成28) 出版者:一迅社
目次:燭台切光忠
ページ数:34