江戸時代

ま行

陸奥守吉行

むつのかみよしゆき概要刀工・陸奥守吉行『日本刀大百科事典』によると、奥州宇多郡中村(福島県相馬市)の森下播磨守吉成の次男。通称は平助、父兄とともに、大坂に出で、住吉(住吉区)に居住、大和守吉道に師事。業成って陸奥大掾、ついで陸奥守を受領、山...
ま行

源清麿

みなもときよまろ概要刀工・源清麿幕末の名刀工。山浦真雄の弟。通称は内蔵助、のち環。銘文から、刀工名ははじめ正行または秀寿。号は一貫斎。弘化3年8月の改名、「清麿」と切り始めたのは恩師・窪田清音のために打った一振りからだろうと言われている。「...
は行

肥前忠広

ひぜんただひろ概要肥前忠広(肥前忠吉、肥前国忠吉)受領後に「忠広」の銘もあるが、刀剣書では一般的には「(肥前)忠吉」の初代の項目にあたる。初代・忠吉が受領後に名乗った「武蔵大掾藤原忠広」の他に二代目も「忠広」を名乗っている。この項目の記述は...
な行

南海太郎朝尊

なんかいたろうちょうそん概要刀工・南海太郎朝尊について土佐国高岡郡黒岩村二ツ野三十一番屋敷(高知県高岡郡佐川町二ツ野)の大鋸鍛冶・森岡善右衛門の次男。通称は友之助・朝之助・孝之助・刀銘は友尊・友高とも。朝尊はトモタカともチョウソンともよむ。...
は行

蜂須賀虎徹

はちすかこてつ概要1 蜂須賀虎徹について「銘 長曽祢興里入道虎徹(金象嵌)寛文五年乙巳霜月十一日 弐ツ胴截断 山野加右衛門永久(花押)」江戸時代の刀工、長曽祢興里入道虎徹作。1665年(寛文5)11月11日、山野加右衛門永久が弐ツ胴を斬った...
な行

長曽祢虎徹

ながそねこてつ概要1 近藤勇の長曽祢虎徹新選組局長・近藤勇佩刀の長曽祢虎徹について。近藤勇佩刀・虎徹の大小(文久3年10月20日の手紙)京都から武蔵国の後援者たちに書いた手紙に近藤勇が当時虎徹の大小を所持していたことが書かれているらしい。『...
や行

大和守安定

やまとのかみやすさだ概要1.沖田総司佩刀としての大和守安定沖田総司の佩刀・大和守安定説(『幕末志士愛刀物語』)沖田総司佩刀が大和守安定であるという説の出典は長野桜岳氏の著書のようである。雑誌記事とその著書ではっきりと沖田総司佩刀が大和守安定...
さ行

水心子正秀

すいしんしまさひで概要新々刀の祖・水心子正秀の略伝水心子正秀は出羽国置賜郡置賜郷元中山(山形県南陽市元中山)諏訪の原の俗称“田中”において、寛延3年(1750)、鈴木某の次男として出生。幼名を三治郎と呼ばれた。父を早く失ったので、母は兄・太...
か行

加州清光

かしゅうきよみつ概要1 沖田総司佩刀・加州清光説について池田屋事件で使われた沖田総司佩刀、鋩子折れの刀近藤勇が池田屋事件の後、養父・周斎ほかに当てた手紙に池田屋事件で使用した刀のことが書かれている。『新選組始末記』をはじめとする様々な資料に...
あ行

浦島虎徹

うらしまこてつ概要「短刀 銘 長曽祢興里 万治三年十二月日 同作彫之(号浦島虎徹)」「浦島虎徹 脇指 銘「長曽祢興里 万治三年十二月日 同作彫之」」江戸時代の刀工、長曽祢興里入道虎徹作。浦島太郎と呼ばれる彫刻がある。『長曽禰虎徹の研究』によ...