藤四郎吉光

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毛利藤四郎

もうりとうしろう概要「短刀 銘 吉光 名物 毛利藤四郎」「短刀(名物 毛利藤四郎)」『享保名物帳』所載、鎌倉時代の刀工・粟田口吉光作の短刀。『享保名物帳』によれば、もと毛利輝元所持であり、号の由来ともなっている。版ごとに内容に差があり、刃長...
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乱藤四郎

みだれとうしろう概要名物 乱藤四郎『享保名物帳』所載、鎌倉時代の刀工・粟田口吉光作の短刀。直刃の多い粟田口吉光の作の中では珍しい乱刃であることから乱藤四郎と呼ばれるようになったという。『享保名物帳』によると、初めは「細川の乱藤四郎」と呼ばれ...
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前田藤四郎

まえだとうしろう概要「短刀 銘吉光(名物前田藤四郎)」、「短刀 銘吉光」まえだとうしろう【まえだとうしろう】『享保名物帳』所載、鎌倉時代の粟田口吉光作の短刀。初め前田孫四郎利政所持で、その嫡子・三左衛門直之から前田家本家に献上された。以後、...
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骨喰藤四郎

ほねばみとうしろう概要「薙刀直シ刀 無銘伝粟田口吉光(名物骨喰藤四郎)」いわゆる薙刀直しの脇差で、無銘だが粟田口藤四郎の作と極められている。『大友興廃記』によると、1336年(建武3)、足利尊氏が九州落ちしたときに大友家から献上した刀である...
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包丁藤四郎

ほうちょうとうしろう概要『享保名物帳』焼失之部所載、「包丁藤四郎」『享保名物帳』、焼失之部所載。粟田口吉光藤四郎作の短刀。「包丁藤四郎」「庖丁藤四郎」、両方の表記が使われる。もと江州多賀城主・多賀豊後守高忠の所持。ある時、多賀高忠が鶴を料理...
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平野藤四郎

ひらのとうしろう概要「短刀 銘 吉光(名物平野藤四郎)」ひらのとうしろう【平野藤四郎】『享保名物帳』所載、鎌倉時代の粟田口吉光作の短刀。『享保名物帳』によると、もと大坂の商人・平野道雪所持。平野道雪から、上州淀城主・木村常陸介重茲が、金30...
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白山吉光

はくさんよしみつ概要「剣 銘吉光」粟田口藤四郎吉光作の剣。寛永10年、3代将軍家光の養女・阿智姫(大姫)が前田光高に嫁いだ際に持参したと言われている。その後、明暦3年に阿智姫の息子・前田綱紀が母の冥福を祈念して「白山比咩神社」に奉納した。以...
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博多藤四郎

はかたとうしろう概要「短刀 銘吉光(博多藤四郎)」『享保名物帳』追記の部所載、粟田口吉光作の短刀。『享保名物帳』追記の部によると、元筑前福岡城主・黒田忠之所持。福岡の隣の博多から出たため、博多藤四郎という異名がついた。黒田忠之は豊前小倉城主...
な行

鯰尾藤四郎

なまずおとうしろう概要「脇指 吉光(名物鯰尾藤四郎)」『享保名物帳』焼失の部所載、粟田口吉光作の脇差。『享保名物帳』では焼失之部に載っているというだけで、その後焼き直し(再刃)されて現存している。『日本刀大百科事典』によると、『文禄三年押形...
さ行

信濃藤四郎

しなのとうしろう概要銘文、表記、呼び方等「信濃藤四郎」「短刀 銘吉光 名物信濃藤四郎」略歴『享保名物帳』所載、鎌倉時代の山城国の刀工・粟田口藤四郎吉光の短刀。「吉光」と二字銘。吉光の作中ではやや大振りと言われる。号の由来は永井信濃守の所持に...