鎌倉時代

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骨喰藤四郎

ほねばみとうしろう概要「薙刀直シ刀 無銘伝粟田口吉光(名物骨喰藤四郎)」いわゆる薙刀直しの脇差で、無銘だが粟田口藤四郎の作と極められている。『大友興廃記』によると、1336年(建武3)、足利尊氏が九州落ちしたときに大友家から献上した刀である...
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蛍丸

ほたるまる概要「太刀 銘来国俊 永仁五年三月一日」安蘇惟澄の太刀。鎌倉時代の刀工・来国俊の作。銘文によれば作刀時期は1297年(永仁5)3月1日。同じ年号を刻まれた短刀が存在する。1336年(延元1)、多々良浜の合戦において、安蘇惟澄は、こ...
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包丁藤四郎

ほうちょうとうしろう概要『享保名物帳』焼失之部所載、「包丁藤四郎」『享保名物帳』、焼失之部所載。粟田口吉光藤四郎作の短刀。「包丁藤四郎」「庖丁藤四郎」、両方の表記が使われる。もと江州多賀城主・多賀豊後守高忠の所持。ある時、多賀高忠が鶴を料理...
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不動行光

ふどうゆきみつ概要「短刀 銘行光(名物不動行光)」『日本刀大百科事典』によると、豊前小倉藩主・小笠原家伝来で、由緒は不詳。伝来については、小笠原貞慶が天正3年(1575)、長篠の役の功により、織田信長より拝領、という伝承があるが、貞慶がこれ...
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福島光忠

ふくしまみつただ概要1 「福島光忠」について『享保名物帳』所載、備前長船光忠作の太刀、「福島光忠」『享保名物帳』所載、備前長船光忠作の太刀。もと福島正則佩刀。その後、経緯ははっきりしないが『享保名物帳』の編纂時には常州茨城郡宍戸(茨城県西茨...
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平野藤四郎

ひらのとうしろう概要「短刀 銘 吉光(名物平野藤四郎)」ひらのとうしろう【平野藤四郎】『享保名物帳』所載、鎌倉時代の粟田口吉光作の短刀。『享保名物帳』によると、もと大坂の商人・平野道雪所持。平野道雪から、上州淀城主・木村常陸介重茲が、金30...
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日向正宗

ひゅうがまさむね概要「短刀 無銘正宗(名物日向正宗)」『享保名物帳』所載、鎌倉時代の相州正宗作の短刀。来歴のほとんどは『享保名物帳』によって説明される。ただし、『享保名物帳』は異本が多いためか詳細がほとんど載っていない本もある。もと石田三成...
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姫鶴一文字

ひめつるいちもんじ概要「太刀 銘一 附打刀拵」上杉景勝秘蔵の“三十五腰”の一つ。「一」と在銘。鎌倉中期の典型的な福岡一文字派の作で、上杉家独特の鐔のない打刀拵がついている。号の由来については研師の夢に美しい姫君となって現れたと言う逸話がある...
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白山吉光

はくさんよしみつ概要「剣 銘吉光」粟田口藤四郎吉光作の剣。寛永10年、3代将軍家光の養女・阿智姫(大姫)が前田光高に嫁いだ際に持参したと言われている。その後、明暦3年に阿智姫の息子・前田綱紀が母の冥福を祈念して「白山比咩神社」に奉納した。以...
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博多藤四郎

はかたとうしろう概要「短刀 銘吉光(博多藤四郎)」『享保名物帳』追記の部所載、粟田口吉光作の短刀。『享保名物帳』追記の部によると、元筑前福岡城主・黒田忠之所持。福岡の隣の博多から出たため、博多藤四郎という異名がついた。黒田忠之は豊前小倉城主...