太閤左文字

たいこうさもんじ

概要

「短刀 銘 左 築州住」

豊臣秀吉の蔵刀、その後、徳川秀忠の差料となる。

現在の所蔵元「ふくやま美術館」では「短刀 銘左/筑州住(号じゅらく(太閤左文字))」としている。

『国宝刀剣図譜 古刀の部 備中,筑前,豊後,肥後,薩摩,國不明 新刀の部』(データ送信)
著者:本間順治 編 発行年:1938年(昭和13) 出版者:岩波書店
目次:国宝刀剣図譜 古刀の部 筑前
コマ数:55~57

豊臣秀次の刀から秀吉、秀頼を経て二条城会見で徳川へ渡った

慶長16年(1611)3月28日、二条城で豊臣秀頼と徳川家康の会見が執行された。

その時、豊臣秀頼から徳川家康に「南泉一文字」が贈られたことは有名だが、『徳川実紀』によると「南泉一文字」とともに渡された「左文字の脇差」があり、これが現在「太閤左文字」だと言われている。

『当代記』ではこの刀は

脇指一腰、左文字、是は古秀次随一道具也、

とされている。

『光徳刀絵図』と豊臣家の御腰物帳に書かれている「一之箱」の「南泉一文字(なんせん刀)」と「三之箱」の「左文字しゆ楽ゟ」には同じ「慶長十六年三月廿八日大御所様え被進之」の説明が付いている。

『日本刀講座 第9巻 新版』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:雄山閣出版
目次:口絵
ページ数:22 コマ数:24

『国史大系 第9巻』
著者:経済雑誌社 編 発行年:1902~1905年(明治35~38) 出版者:経済雑誌社
目次:第一編 徳川実紀 台徳院殿御実紀 巻十五 慶長十六年三月
ページ数:526 コマ数:270

『史籍雑纂 苐二 (国書刊行会刊行書) 』
著者:国書刊行会 編 発行年:1911年(明治44) 出版者:国書刊行会
目次:當代記 巻六
ページ数:173 コマ数:93

ちなみに『続選清正記』だとそもそも南泉一文字とともに贈られた刀が「鯰尾藤四郎」になっていたりする。

『肥後文献叢書 : 6巻[附1巻] 第二卷』
著者:古城貞吉, 武藤厳男, 宇野東風 等編 発行年:1909年(明治42) 出版者:隆文館
目次:續選淸正記七卷
ページ数:110 コマ数:65

『名刀と名将(名将シリーズ)』(データ送信)
著者:福永酔剣 発行年:1966年(昭和41) 出版者:雄山閣
目次:加藤清正の槍と刀
ページ数:216 コマ数:115

遠州浜松の井上家伝来

『当世畸人伝』に収録されている「長尾よね」氏の伝記によると、井上渓松子爵家の入札を見た長尾よね氏が本間薫山氏を通じて購入した。

つまり、井上家伝来の短刀である。

また、「ふくやま美術館」のWEBサイトでも遠州浜松の井上家伝来であることが説明されている。

『当世畸人伝』(紙本)
著者:白崎秀雄 発行年:1998年(平成10) 出版者:中央公論社
目次:長尾よね
ページ数:43

刀剣研究家の本間順治は、昭和四年に行われた井上渓松子爵家の入札の下見を見たよねから、左文字の短刀というものを買いたいと思うのだが、と相談を受けた。本間が、あれは南北朝時代の最上級の一点ですと答えると、三千円かそれより少し上の値で落札した。この短刀は、後に国宝となる。

1929年(昭和4)、わかもと製薬の長尾よね氏が入手

上記の経緯によって、長尾よね氏が購入。

長尾氏はのちに「長尾美術館」を創設し、太閤左文字や江雪左文字他、多数の美術品を展示していた。

1934年(昭和9)1月30日、国宝(旧国宝)指定

この時の所有者は長尾欽弥氏(長尾よね氏の夫)になっている。

『官報 1934年01月30日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1934年(昭和9) 出版者:日本マイクロ写真
目次:文部省告示第二十三号 昭和九年一月三十日
ページ数:715 コマ数:5

1952年(昭和27)11月22日、国宝(新国宝)指定

この時も長尾欽弥氏(長尾よね氏の夫)蔵。

『指定文化財総合目録 [昭和43年版] (美術工芸品篇)』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:文化財保護委員会
目次:群馬県
ページ数:238 コマ数:131

(所有者変更があった後の本なんでややこしいですが、上の旧蔵者の方見てください)

その後

『当世畸人伝』によると昭和28、29年頃から長尾よね氏は収集した美術品を手放すようになったらしい。
長尾氏から直接買い取った青山孝吉氏のものとなる。

『当世畸人伝』(紙本)
著者:白崎秀雄 発行年:1998年(平成10) 出版者:中央公論社
目次:長尾よね
ページ数:68

これより先、国宝の左文字の短刀は、五百万円で直接愛刀家の青山孝吉弁護士の手に渡った。

現在、「ふくやま美術館」蔵

寄贈の経緯は「ふくやま美術館」のWEBサイト「小松安弘コレクションについて」のページでで詳しく説明されている。

2018年(平成30)11月、福山市は、小松啓子氏より、国宝 7 口、重要文化財 6 口、未指定品 1 口の刀剣の寄贈を受けた。
この刀剣コレクションは、福山市に本社を置く株式会社エフピコの創業者、故小松安弘氏が収集したもので、ふくやま美術館に寄託されていたものである。

小松安弘氏が福山市民の方々に最高の日本刀を鑑賞していただきたい、そして日本中の愛好家にも福山へ来てもらいたいとの思いを抱いていたことから、これらの刀剣は「ふくやま美術館」が保管し、公開することになったという。

太閤左文字はこの小松氏が寄贈した国宝の一振りである。

紀州家に伝来?

下の書籍だとさらっと紀州家に伝来したと書かれている。
ただし、他の情報に比べると「紀州家伝来」となっているのはこの本くらいで、他には見かけないし根拠となる出典が示されていない。正直この辺りもう少し詳しく知りたいものである。

『国宝図録 第3集 解説』(データ送信)
著者:文化財協会 編 発行年:1955年(昭和30) 出版者:文化財協会
目次:工芸の部
ページ数:36 コマ数:24

現在の所蔵元である「ふくやま美術館」(ふくやま美術館所蔵品展示目録 No.149 特別展示:小松安弘コレクション寄贈記念 日本の名刀 国宝7点を含む刀剣14口を3年ぶりに一挙公開)によると、秀吉から家康に贈られ、2代将軍秀忠の差料となったあと、浜松藩主井上正就に下賜され、昭和初期まで井上家に伝わったとある。

この来歴だと紀州徳川家には伝来していないかもしれない。

ただ、太閤左文字に関してはそもそも伝来に関して全ての資料を明示して丁寧に説明した文献というものを目にしたことがなく、断片的な情報だけ出されている感が強い。

刀剣関係者の方では何か紀州家伝来を確実視する資料を持っている可能性もあるので、これだけだと関係ないとは言い切れない。
刀剣の伝来の記述が省略されたり混乱しているのは正直よくあることなので。

号の話

現在の所蔵元「ふくやま美術館」では「短刀 銘左/筑州住(号じゅらく(太閤左文字))」としている。

そして「号じゅらく」の説明として、『光徳刀絵図』(埋忠寿斎本)に「志ゆらく」の注記がされていることから、「じゅらく(聚楽)」の号があったことがわかるとし、現在呼びならわされている「太閤左文字」の名は昭和につけられた名と思われるとしている。

この件に関して、すでに刀剣関係のサイトからいくつか指摘がされている。

「名刀幻想辞典」さんは、「じゅらく」という号が古来あったことを否定し、「つるぎの屋」さんは、この話題の出典となった『光徳刀絵図』(寿斎本・中村本)が写本であることに注意を要することを説明している。

『光徳刀絵図』の「志ゆらく」の表記は写本によって異なり、寿斎本では「志ゆらく」となっているが中村本では「志ゆらくより上」となってるという。
そして『豊臣家御腰物帳』でも「志ゆらくゟ」となっている。

中村本と『豊臣家御腰物帳』の記述からするとこの「志ゆらく」は刀の号ではなく刀の出所である人物名や場所を示す単語になるので、「聚楽より」「聚楽第より上る」の意味で、秀吉から聚楽第を譲り受けた「豊臣秀次」から得た刀であることを説明しているという。

つまり、現在太閤左文字と呼ばれる刀は秀次・秀吉の時代から「じゅらく」という号で呼ばれていたわけではない。

また、上で軽くまとめた来歴関連の資料からしても、井上家から長尾よね氏が購入する辺りまでに、「じゅらく」とも「太閤左文字」とも呼ばれている様子はない。
刀剣書籍、国宝関係の書籍には号はなく銘文で記載される。

ただし、昭和の刀剣研究者・愛刀家たちが「聚楽左文字」と呼んでいた可能性はある。

「聚楽左文字」の文字が書籍に見えるのは、私が知る限りではそれこそ『光徳刀絵図』を本間薫山氏をはじめとする研究者たちが一冊の本にまとめた、昭和18年出版の『光徳刀絵図集成』の目次である。

これを考えると、昭和18年(1943)には本間薫山氏たちがこの刀を「聚楽左文字」と呼んだ、認識していたと言えるかもしれない。ただ他の刀剣書でこの名を見かけることはなく、現時点だと国立国会図書館のデジタルコレクションで検索をかけても「聚楽左文字」ではヒットしない。

一方、「太閤左文字」という呼び名は、記事自体は「国立国会図書館内限定」なので読めなかったが、1978年3月の「日本の美術 (142)」が検索に引っかかったので、これが一番早いかもしれない。

太閤左文字は早くて昭和53年(1978年)にはそう呼ばれている可能性がある。
(なお本文が確認できなかったため、私の早とちりで実は別の刀の可能性もある)

確実に文献に「太閤左文字」として記述されている時期となると、1999年12月の「博物館研究 = Museum studies 34(12)(379)」の「日本刀装具美術館」の新春特別展のお知らせの中にその名がみえる。

(1997年の雑誌もあるがこれも国立国会図書館限定で内容が読めない)

「日本刀装具美術館」は2002年(平成14年)、食品容器の競合会社が会社更生法を申請した際に、株式会社エフピコがスポンサーとなって引き受けた資産のなかにあったものである。

エフピコの創業者・小松安弘氏は国宝・重要文化財を自分の資産として譲り受けた。
その小松安弘氏の死後、小松安弘コレクションとして小松啓子氏が「ふくやま美術館」に寄贈した中の一振りが「太閤左文字」である。

「太閤左文字」の呼び名は、遅くても小松安弘氏所有になる数年前、「日本刀装具美術館」時代には呼ばれていたこととなる。

『豊臣家御腰物帳』(東京国立博物館デジタルライブラリ―)
時代:明治 写本 片桐且元
コマ数:31

『光徳刀絵図集成』(データ送信)
著者:本阿弥光徳 画, 本間順治 編 発行年:1943年(昭和18) 出版者:便利堂
目次:一三五 聚楽左文字 銘 左 築州住 コマ数:81
目次:御太刀 御腰物 御脇指 太閤様御時ゟ有之分之帳 コマ数:119

調査所感

・長尾よね氏のあれこれ

井上家伝来あたりの情報がデジコレで読める刀剣関係の書籍から見当たらなかったので長尾よね氏の伝記が載っている本を借りてみました。

これでわかったのは、太閤左文字の購入時の本間薫山先生とのやりとり、太閤左文字を青山孝吉氏に売却したときのやりとりですね。

あと長尾よね氏は相撲好きで、その辺も薫山先生と交流があり、一緒に相撲を見たりしていたようです。
さらに相撲の話題ということで、山姥切国広の元所有者(再発見時の購入者)である伊勢寅彦氏ともお知り合いだそうです。

・太閤左文字(聚楽左文字)の「号」と「伝来」に関するあれこれ

太閤くんに関して検索すると実装当時に審神者がかなり混乱している記録があるな。
なんか謎の情報が飛び交っているんだけど……。

とりあえず太閤左文字の号に関しては正直「名刀幻想辞典」さんが一番わかりやすく説明してくれていると思います。

「ふくやま美術館」の説明読んだあと『光徳刀絵図集成』見たらいや他の刀にも「志ゆらく」の文字ついてない??? って非常に謎だったのでこれ「聚楽より(元秀次の刀)」って意味だよって聞いてすっきりしました。

な・る・ほ・ど。それならわかるわ。名物帳とかにもよく「~~より上る」って書いてあるもんな。

「つるぎの屋」さんが説明してくれている『光徳刀絵図』の写本の問題は一期の時に簡単にやりましたね。

『光徳刀絵図』はいくつも写本があるけど、全部綺麗にそのまま写したものではなく、写本によって情報の並べ方が違ったりその意味がわからないと研究者も首を捻ることのある重要な史料で、これの成立過程に変動があれば結構影響ある刀でるよねって……。

太閤左文字の来歴に関してざっくり考えると、出典が不明の紀州家伝来の情報は除いて

秀次→秀吉→秀頼→家康→秀忠→井上家→長尾よね氏→青山孝吉氏→その後の所有者変更の末に日本刀装具美術館→小松安弘氏→ふくやま美術館

これが一番確度高いんじゃないか? と思います。

青山氏から刀装具美術館までの間の個人の所有者に関してはさすがにわからん。

秀忠とそこから井上家への伝来に関しては刀剣の書籍と「ふくやま美術館」の説明で一致してるからここも確実と見ていいんじゃないだろうか。
そしてこれを考えると紀州家には伝来してないんじゃないか? と思います。ただ刀に関しては同じ家の間を行って戻っての謎の行き来をしている例もたまーにあるから紀州家伝来は絶対間違いとまでは言い切れない……。

秀次から秀吉へ、というのはあまり話題に挙がらないな、と思いましたが

『日本刀講座 第9巻 新版』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:雄山閣出版
目次:口絵
ページ数:22 コマ数:24

ここで話題に挙げている『光徳刀絵図』と『大阪腰物帳』の記述が「名刀幻想辞典」さんや「つるぎの屋」さんが説明してくれているものと一致すると思います。

五月になっているのは何かの間違いかなと。
(中村本が確認できないので中村本だと3月じゃなく5月になっているのかもしれない。また、筆で書いた漢数字の三と五は見間違いやすい)

似たような刀の記述がずらっと並んでいると厳しくなりますが、太閤左文字に関しては銘文が同じ短刀こそ複数あるものの『豊臣家御腰物帳』で「しゆ楽ゟ」の注記がついている左文字は他にないので、他の左文字と間違うことはあまりないかなと。

別の左文字の短刀・脇指と考えるよりは、『当代記』にも“脇指一腰、左文字、是は古秀次随一道具也、”とあることから「しゆ楽ゟ」の短刀であるこの「太閤左文字」こそが元秀次の刀であり、二条城の会見で南泉一文字とともに秀頼から家康へ贈られた刀だと見ていいと思います。

そしてこれら秀次からの来歴ついでに見てきた資料のどれにも「太閤左文字」とも「聚楽(左文字)」とも記されていない以上、少なくとも太閤くんは戦国時代から号で呼ばれていたわけではないと言えるでしょう。

この刀が再び話題に挙がるのは昭和の井上家の売立により長尾よね氏が購入した頃ですね。

その頃も号では呼ばれていませんが、国宝の短刀としていろいろな書籍にその存在は明らかです。

太閤左文字の来歴に関しては割とこの長尾よね氏を中心として考えることになります。

現在「ふくやま美術館」蔵で写真の見られる短刀が、昭和に長尾よね氏が購入した短刀と同じであり、さらにその押形が『光徳刀絵図』に残っているのが確かめられるので。

太閤左文字に関してはこんなところですね。

来歴をひとつにまとめてくれている本がないのでなかなか大変な研究史調査でした。

一番謎なのがむしろ太閤くん実装直後の審神者の話なんだけど、今太閤くんに関するみんなの認識どうなっているんですかね?

参考サイト

「ふくやま美術館」
小松安弘コレクションについて

「福山市」のWEBサイト
ふくやま美術館所蔵品展示目録 No.149
特別展示:小松安弘コレクション寄贈記念 日本の名刀 国宝7点を含む刀剣14口を3年ぶりに一挙公開

「名刀幻想辞典」

「つるぎの屋」

参考文献

『豊臣家御腰物帳』(東京国立博物館デジタルライブラリ―)
時代:明治 写本 片桐且元
コマ数:31

『国史大系 第9巻』
著者:経済雑誌社 編 発行年:1902~1905年(明治35~38) 出版者:経済雑誌社
目次:第一編 徳川実紀 台徳院殿御実紀 巻十五 慶長十六年三月
ページ数:526 コマ数:270

『史籍雑纂 苐二 (国書刊行会刊行書) 』
著者:国書刊行会 編 発行年:1911年(明治44) 出版者:国書刊行会
目次:當代記 巻六
ページ数:173 コマ数:93

『我等の日本皇国史大展覧会目録 改訂』
著者:高島屋東京支店 編 発行年:1934年(昭和9) 出版者:高島屋東京支店
ページ数:18 コマ数:19

『日本刀講座 第6巻 (刀剣鑑定・古刀)』(データ送信)
著者:雄山閣 編 発行年:1934年(昭和9) 出版者:雄山閣
目次:口絵
コマ数:380

『官報 1934年01月30日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1934年(昭和9) 出版者:日本マイクロ写真
目次:文部省告示第二十三号 昭和九年一月三十日
ページ数:715 コマ数:5

『文部省認定重要美術品目録』
著者:章華社編輯部 編 発行年:1937年(昭和12) 出版者:章華社
目次:刀劍之部
ページ数:215 コマ数:116

『国宝刀剣図譜 古刀の部 備中,筑前,豊後,肥後,薩摩,國不明 新刀の部』(データ送信)
著者:本間順治 編 発行年:1938年(昭和13) 出版者:岩波書店
目次:国宝刀剣図譜 古刀の部 筑前
コマ数:55~57

『光徳刀絵図集成』(データ送信)
著者:本阿弥光徳 画, 本間順治 編 発行年:1943年(昭和18) 出版者:便利堂
目次:一三五 聚楽左文字 銘 左 築州住 コマ数:81
目次:御太刀 御腰物 御脇指 太閤様御時ゟ有之分之帳 コマ数:119

『日本刀分類目録』(データ送信)
著者:郷六貞治 編 発行年:1944年(昭和19) 出版者:春陽堂
目次:目録
ページ数:114 コマ数:74

『正宗とその一門』(データ送信)
著者:本間順治、佐藤貫一編 発行年:1961年(昭和36) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:93 国宝 短刀 筑州住左 1口 青山孝吉氏蔵
ページ数:186、187 コマ数:232、233

『日本刀 : 本質美にもとづく研究』(データ送信)
著者:山田英 発行年:1964年(昭和39) 出版者:中央刀剣会
目次:九州 筑前
ページ数:194 コマ数:141

『日本刀全集 第1巻』(データ送信9
発行年:1966年(昭和41) 出版者:徳間書店
目次:名物と国宝 辻本直男
ページ数:180、181 コマ数:94

『名刀と名将(名将シリーズ)』(データ送信)
著者:福永酔剣 発行年:1966年(昭和41) 出版者:雄山閣
目次:加藤清正の槍と刀
ページ数:216 コマ数:115

『指定文化財総合目録 [昭和43年版] (美術工芸品篇)』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:文化財保護委員会
目次:群馬県
ページ数:238 コマ数:131

『日本刀講座 第9巻 新版』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:雄山閣出版
目次:口絵
ページ数:22 コマ数:24

『原色日本の美術 21』(データ送信)
著者:尾崎元春、佐藤寒山 発行年:1970年(昭和45) 出版者:小学館
目次:図版解説Ⅲ ページ数:129 コマ数:135
目次:図版解説Ⅳ ページ数:142 コマ数:148
目次:一、日本刀概説 ページ数:234 コマ数:240

『当世畸人伝』(紙本)
著者:白崎秀雄 発行年:1998年(平成10) 出版者:中央公論社
目次:長尾よね
ページ数:43、68

『日本刀物語』(紙本)
著者:杉浦良幸 発行年:2009年(平成21) 出版者:里文出版
目次:Ⅱ 名刀の生きた歴史 1 武将と日本刀 豊臣秀吉執心の愛刀 国宝 短刀 銘 左 筑州住(号 太閤左文字)
ページ数:44

概説書

『日本刀図鑑: 世界に誇る日本の名刀270振り』(紙本)
発行年:2015年(平成27) 出版者:宝島社
目次:太閤左文字
ページ数:92

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