巴形薙刀

ともえがたなぎなた

概要1 「巴形薙刀」について

巴形薙刀とは

切先の方が強く反り、かつ幅広になった形の薙刀。
(『剣工談』『剣工秘伝志』)

「刀剣と歴史 (414)」(雑誌・データ送信)
発行年:1963年7月(昭和38) 出版者:日本刀剣保存会
目次:剣工談(4) / 沼田直宗
ページ数:22 コマ数:34

『水心子正秀全集 (刀剣叢書 ; 第1編) 』
著者:川口陟 編 発行年:1926年(大正15) 出版者:南人社
目次:劍工秘傳志 三卷
ページ数:196 コマ数:107

ただし、これは江戸期になってからの命名。
巴御前所持の名に因んだものではないが、江戸期になってから、婦人用に作られた薙刀の形。
(『日本刀大百科事典』)

巴御前所持として伝来していた薙刀(『日本刀大百科事典』)

京都上京区の興聖寺に、巴所持として「吉次」と在銘の薙刀や、木曽義仲所用として、「波平家次」在銘の太刀が伝来していた。

『日本刀大百科事典』ではこの情報の出典は『寺社宝物展閲目録』となっている。
何度か目にした資料名だが現在国立国会図書館のデジタルコレクションでも見る方法はなさそうだ。

 

巴御前は本当に薙刀を使ったか

木曾義仲の愛妾・巴御前は女武者であったと伝えられる。

しかし静御前に実は薙刀を使ったという伝承がないように、巴御前も薙刀使いであったという伝承がない。
女武者である巴御前の戦闘の記述自体は『平家物語』『源平盛衰記』などにあれど、使ったのが薙刀であるという話はない。
現在ではそもそも義仲の愛妾ではあっても女武将であるという記述自体が文学的脚色の可能性を指摘されてるらしい。

酔剣先生は巴型という名自体が巴御前の武勇にあやかるための方便だとしている。

『日本刀物語』(データ送信)
著者:福永酔剣 発行年:1964年(昭和39) 出版者:雄山閣
目次:静御前と巴御前の薙刀
ページ数:53~64  コマ数:34~40

 

調査所感1

巴形薙刀のイメージを掴むには刀剣の研究書だけでなく牧秀彦氏の概説書の記述がわかりやすいかもしれない。

牧秀彦氏の本は坂上宝剣などの記述などで大きな間違いもあったりするが、静御前と巴御前の薙刀に関しては、二人の女性がまずどういうイメージを世間から持たれているために、そのイメージが同型とされる薙刀に付会されているのか、概要を掴みやすい。

巴御前が弓を使うイメージは軍記物から、薙刀を使うイメージはどうやら牧秀彦氏の指摘通り能の「巴」の影響が大きいと考えられる。

『巴 (観世流謡本決定版一番綴 ; 外 2) 』(データ送信)
著者:丸岡明 訂正 発行年:1939年(昭和14) 出版者:観世流改訂本刊行会
ページ数:1 コマ数:3

この作品に限らず能の演目について調べていると、史実との相違や脚色がすでに指摘されていることが多い。

「巴」の場合もWikipediaの解説などを読むと、『平家物語』に基づきながら内容に相違があることが指摘されている。

静御前の薙刀は将軍家や前田家伝来のものとして有名なものがあるが、巴形薙刀はそれほど話題に挙がるものがないようである。
というか、水心子正秀の著作のように江戸期の刀剣書に反りの多いものが巴形、反りの少ないものが静形としてすでにセットで語られるように、二種類の型の薙刀はセットで考えた方がよいかもしれない。

(姿や表記揺れ「巴形」か「巴型」かと言った定義の問題も結構書籍によって違うし割と曖昧)

静御前の薙刀にしろ巴御前の薙刀にしろ、結果としては信憑性の高い資料どころか、もともとそういう記述のある資料自体が存在しないということになる。

二人の女性の現存どころかそもそも実在しないかもしれない薙刀の物語が江戸期にはそれぞれ「静形」「巴形」という薙刀の形を規定するまでに至り、武道の本では当たり前のようにその名が使用されている。

人がどれだけ史実や史料に拘らず「物語」のイメージを造り、共有し、そこから更に別のイメージや新たな定義を生み出していくか。

巴形薙刀と静形薙刀の研究史からは物語の持つそういう力の複雑さ、奥深さが垣間見える。

 

参考文献1

『武術体操法』
著者:小沢卯之助 発行年:1897年(明治30) 出版者:大日本図書
目次:第五篇 薙刀体操
ページ数:198 コマ数:110

『水心子正秀全集 (刀剣叢書 ; 第1編) 』
著者:川口陟 編 発行年:1926年(大正15) 出版者:南人社
目次:劍工秘傳志 三卷
ページ数:196 コマ数:107

『槍・薙刀及び鐔の新研究』(データ送信)
著者:清水孝教 発行年:1931年(昭和6) 出版者:太陽堂書店
目次:二三 諸國鍛冶及武將との關係
ページ数:317 コマ数:181

『巴 (観世流謡本決定版一番綴 ; 外 2) 』(データ送信)
著者:丸岡明 訂正 発行年:1939年(昭和14) 出版者:観世流改訂本刊行会
ページ数:1 コマ数:3

「刀剣と歴史 (414)」(雑誌・データ送信)
発行年:1963年7月(昭和38) 出版者:日本刀剣保存会
目次:剣工談(4) / 沼田直宗
ページ数:22 コマ数:34

『日本刀物語』(データ送信)
著者:福永酔剣 発行年:1964年(昭和39) 出版者:雄山閣
目次:静御前と巴御前の薙刀
ページ数:53~64 コマ数:34~40

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:ともえがたなぎなた【巴形薙刀】
ページ数:4巻P37

 

概説書

『剣技・剣術三 名刀伝』(紙本)
著者:牧秀彦 発行年:2002年(平成14) 出版者:新紀元社
目次:第二章 中世武士 静御前・巴御前の薙刀 静御前・巴御前
ページ数:122、123

『名刀伝説』(紙本)
著者:牧秀彦 発行年:2004年(平成16) 出版者:新紀元社
目次:第二章 中世・戦国 巴型・静型薙刀――巴御前・静御前――
ページ数:69~72

『物語で読む日本の刀剣150』(紙本)
著者:かみゆ歴史編集部(イースト新書) 発行年:2015年(平成27) 出版者:イースト・プレス
目次:第8章 神代の剣・槍・薙刀 巴御前奉納の薙刀
ページ数:200

 

概要2 「薙刀」について

敵を薙ぎ切りにするための長柄の武器。
そのため先の身幅を広くし、かつ反りを強くし、長い柄をつける。

巴形薙刀について考える参考のためのまとめなので、基本的に『日本刀大百科事典』の内容を要約する形でまとめる。
出典は国立国会図書館デジタルコレクションで読めるものも多いが、古剣書など一部読めないものもある。

表記について

古くは「那岐刀」と書く。(『東大寺勅封蔵目録記』)

「長刀」(『太平記』『吾妻鏡』『和名類聚抄』『源平盛衰記』『平治物語』『古今著聞集』)
「薙太刀」(『異制庭訓往来』)
「投刀」(『奥州後三年記』)
「長打ち物」(『赤松記』)
「薙釤」(『塩尻』)

とも書く。

「釤」は大鎌という意味(『玉篇』)があるので、わが国ではナタとも読む(『日本書紀』)
中国の眉尖刀(『武備志』)は、わが国の薙刀と同じ形である。

 

薙刀の起源

光仁天皇が異国の武器にならって造らせた説(虚説)

光仁天皇が異国の武器にならって造らせ、宝亀11年(780)の東夷征伐のとき、実戦に使用させた、という説がある。(『武用辨略』『旧遺考録』)

異国の武器とは、中国の眉尖刀であろう。
東夷征伐は宝亀11年に行われた、伊治呰麻呂(これはりのあざまろ)の乱を言うが、この時代はまたホコの時代で、薙刀の出現は虚説である。

光仁天皇は自ら刀をつくり、銘を「白壁」と切った、という古剣書の虚説から思いついた創作であろう。

 

平清盛によって普及した説(創作)

平清盛が薙刀の利を強調したため、一門がみな用いるようになったので、天下に普及したともいう。(『武用辨略』)

清盛には厳島明神から、小薙刀を授かったという伝説(『平家物語』『源平盛衰記』)がある。
これもその伝説からの創作であろう。

薙刀は後三年の役の頃から使用され(『後三年軍記絵巻』)、
南都の僧兵も愛用していたし(『平家物語』『源平盛衰記』)
彼らに薙刀を給する刀工も、すでに平安期から奈良にいた。(『日本国中鍛冶銘文集』『永徳銘盡』『鍛冶銘集』)

したがって平清盛説も信じがたい。

薙刀の形式

最古の形式

薙刀の最古の形式は長刀という字をあてているように、菖蒲造りの刀に長い柄をつけただけのもので、軍記物に「茅の葉の如なる大長刀」(『長門本平家物語』)「大長刀の茅の葉の如なる」(『源平盛衰記』)とあるのがそれである。

『百万塔 第5巻』
(『長門本平家物語』収録)
著者:中根淑 校 発行年:1892年(明治25) 出版者:金港堂
目次:長門本平家物語巻第一
ページ数:50 コマ数:93

『源平盛衰記 上 (友朋堂文庫) 』
著者:石川核 校 発行年:1911-1912年(明治44-45) 出版者:有朋堂
目次:第五巻 澄憲賜血脈事
ページ数:153 コマ数:84

 

鎌倉期の形式

しかし、それでは先が軽すぎ、切れが悪いので、鎌倉期になると、先の身幅を広くし、かつ反りも深くするようになった。

当時描かれた絵巻物を見ると、そのようになっているという。

(『平治物語絵巻』『一遍上人絵伝』『石山寺縁起』『拾遺古徳伝』)

あるいは、さらに重みをつけるため、中国の偃月刀や筆刀のように、棟のほうに山形の突起をつけたものさえ出来た。(『蒙古襲来絵詞』)

無爪薙刀というのは、この突起のない薙刀のことであろう。
薙刀では、先の方の反った棟の部分を湾形、その反対側の刃のほうを、坂刃という。(『刀剣刀装鑑定辞典』)

『刀剣刀装鑑定辞典』(データ送信)
著者:清水孝教 発行年:1936年(昭和11) 出版者:太陽堂
目次:ナギナタ【長刀】(薙刀)
ページ数:353~355 コマ数:187~188

 

『太平記』頃の形式

時代がさらに下がると、『太平記』に「たひらにてしのぎさがりに菖蒲形」とあるように、先のほうは冠落としての格好になった。

先のほう三分の二が冠落とし、元のほう三分の一が本造りとなり、そこに腰樋と添え樋をかくようになった。
この割合を、水心子正秀は“三つ割り”と呼び、薙刀造りの基準にしている。
(『剣工秘伝志』『刀剣辨疑』)

なお、水心子正秀は、大薙刀では元幅より先幅を二分五厘(約0.8センチ)、中薙刀では二分(約0.6センチ)、小薙刀では一分五厘(約0.45センチ)、広くするのが定法、と述べている。
もと三分の一のところにかく腰樋の上端は、決まった形に尖らすので、その型の腰樋と添え樋を総称して、薙刀樋とよぶ。

薙刀の鍛法としては、三枚鍛え、つまり刃鉄・皮鉄・心鉄の三種を組み合わせる。
焼きを入れる時は、物打ちは物に強く当たる所であるから、特に焼きを強く入れることが肝要という。
(『剣工談』)

『太平記 : 校訂 第2冊 (雄山閣文庫 ; 第1部 第5) 』(データ送信)
著者:湊元克巳 校訂 発行年:1938年(昭和13) 出版者:雄山閣
目次:巻第十五 正月二十七日合戦の事
ページ数:189 コマ数:96

『水心子正秀全集 (刀剣叢書 ; 第1編) 』
著者:川口陟 編 発行年:1926年(大正15) 出版者:南人社
目次:劍工秘傳志 三卷
ページ数:196、197 コマ数:107
目次:刀劍辨疑 三卷
ページ数:16 コマ数:17

「刀剣と歴史 (414)」(雑誌・データ送信)
発行年:1963年7月(昭和38) 出版者:日本刀剣保存会
目次:剣工談(4) / 沼田直宗
ページ数:22 コマ数:34

 

江戸期に「男薙刀(静形)」と「女薙刀(巴形)」の別を生じる

江戸期になると、形の上に男薙刀と女薙刀の別を生じた。

男薙刀は長くて、先もさほど幅広にならず、反りもさほど深くなくて、専ら実戦用だった。
女薙刀はこれに反して、刃長が短く、先幅が広く、かつ反りも深く、非実戦的な形になった。
非力な女性の体格に応じて、刃長を短くして、扱いやすくしたものだが、それでは重みが不足するので、先幅を広くし、かつ切れをよくするため、反りを深くしたわけである。
武家の婦女の武術として、薙刀術が専ら行われたので、嫁入り道具の一つにさえなった。

江戸期になると、男薙刀の形のものを静型、女薙刀の形のものを巴型、という名称を生じた。

(『剣工談』『剣工秘伝志』『刀剣辨疑』)

静は源義経の妾・静御前、巴は木曾義仲の妾・巴御前の所持、という意味である。

なお、静型はシズカ型ではなく、シズ型つまり志津型で、濃州志津三郎兼氏作の薙刀だ、という異説もある。(『愚得随筆』)

しかし、『日本刀大百科事典』によると、薙刀術に静流・巴流があるので、それに倣っての造語と見るべきであろう、とのことである。

 

薙刀の茎

薙刀の中心は、槍と同様に柄のなかに長く差し込み、目釘を打つようになっているが、希に袋薙刀といって、中心が筒状になり、その中に柄を差し込むようになったものがある。
中心がなくて、刀身の元の方に、鉈のように環を設け、その中に柄を差し込むようにしたものは、筑紫薙刀とよばれる。形状から鉈薙刀ともいう。

そのほか、十文字槍や片鎌槍のように、薙刀に鎌をつけた十文字薙刀や片鎌薙刀とか、薙刀の先端を鯰尾形にした鯰尾薙刀などもある。

(『槍薙刀及鐔之新研究』)

『槍薙刀及鐔之新研究』(データ送信)
著者:清水孝教 発行年:1934年(昭和9) 出版者:太陽堂書店

 

薙刀のサイズ

軍記物に見られる長大な薙刀の記述

古い時代の薙刀はいずでも長寸で、軍記物を見ると、冷泉隆豊の二尺五寸(約75.8センチ)(『室町殿日記』)は例外的に短く、それ以外は、

坂四郎永覚の三尺(約90.9センチ)(『源平盛衰記』)

大内義弘の三尺一寸(約93.9センチ)(『明徳記』)

大塔宮(『太平記』)
阿舎利裕慶(『平家物語』)
筒井明春(『源平盛衰記』)らの三尺五寸(約106.2センチ)

畑六郎左衛門の三尺六寸(約109.1センチ)(『太平記』)
塩屋伊勢守の四尺(約121.2センチ)(『参考太平記』)
滑良兵庫頭の五尺二寸(約157.6センチ)(『明徳記』)
柿屋弾正の五尺三寸(約160.6センチ)(『明徳記』)
和田源秀の六尺(約181.8センチ)余(『太平記』)
長尾弾正や熊野人の六尺三寸(約190.9センチ)(『太平記』『参考太平記』)
安積彦五郎の八尺(約242.4センチ)余(『赤松記』)

などと、超大型の記載がある。

 

大薙刀・小薙刀の区別は曖昧

当時は薙刀を大薙刀・小薙刀の二種に分けていたが、その区別はあいまいなものだった。

豪鑒・豪仙らの四尺(約121・2センチ)(『参考太平記』)
澄憲や裕慶の三尺(約90.9センチ)(『源平盛衰記』)
大内義長の二尺八寸(約84.8センチ)(『明徳記』)を大薙刀、

大塔宮(『参考太平記』)や和田五郎の三尺五寸(約106.1センチ)(『太平記』)、
薬師寺十郎次郎の二尺五寸(約75.8センチ)(『太平記』)を小薙刀、

と呼んでいるところを見ると、厳密な区別はなかったことになる。

絵巻物に見られる反り

鎌倉時代に描かれた絵巻物を見ると、『義経記』で「月の如くそりたる」とか、偃月刀とかいう名称にふさわしく、先の方で“へ”の字形に、二寸五分(約7.6センチ)くらいも反っている。
(『蒙古襲来絵詞』『平治物語絵巻』『一遍上人絵伝』『石山寺縁起』『拾遺古徳伝』)

この薙刀の標準型に対して、反りの浅いものを、小反り刃とよんでいた。
(『義経記』『刀剣図考』『高館草子』『百舌鳥往来』)

なお“へ”の字型がさらに曲がり、鎌に近くなったのも、絵巻物に見られる。

室町期の加州家次もこの形のものを造っている。(『鎗(日本刀講座本)』)
これは薙刀に薙鎌の用を兼ねさせたものである。

 

薙刀の柄

薙刀の柄は槍の柄とちがい、普通楕円形で、樫の木をもって作る。
白木のままのものを白柄といい、『平家物語』などの軍記物には、しばしば特に「白柄の長刀」と断ってあるから、普通は漆塗りだったと見える。
上流の持ち物は、それに金や銀の蛭巻きなど施してあった。

武将と薙刀の柄

平清盛が厳島明神から授かった小薙刀(『平家物語』)、源頼朝が義朝から相伝の小薙刀(『源平盛衰記』)は、いずれも柄が銀の蛭巻きになっていた。

豊臣秀吉が自ら朝鮮へ出陣の時のため、用意させた薙刀は金の熨斗付けの柄だった(『甲子夜話』)

薙刀には鐔のないのが普通であるが、古い絵巻物(『石山寺縁起』『清水寺縁起』)には、鐔のある薙刀の図もある。

柄の下端に金具、つまり石突きをはめることは、槍と同じである。

『平家物語 (有朋堂文庫)』
著者:永井一孝 [校] 発行年:1927年(昭和2) 出版者:有朋堂書店
目次:卷二 教訓
ページ数:78 コマ数:64

『源平盛衰記 上 (友朋堂文庫) 』
著者:石川核 校 発行年:1911-1912年(明治44-45) 出版者:有朋堂
目次:第二十巻 八牧夜討事
ページ数:663 コマ数:339

『日本随筆大成 第3期 第8巻』(データ送信)
著者:日本随筆大成編輯部 編 発行年:1930年(昭和5) 出版者:日本随筆大成編輯部
目次:甲子夜話 豊太閤朝鮮軍令
ページ数:310 コマ数:160

 

柄の長さについて

柄の長さは持ち主の力量によって異なる。
薙刀の刃長六尺(約181.8センチ)に、柄は一丈(約303.0センチ)(『大友興廃記』)と柄の方が長いもの、
刃長六尺(約181.8センチ)に柄も六尺(『富樫記』)
刃長五尺(約151.5センチ)に柄も五尺と、同じ長さのもの、
刃長四尺八寸(約145.4センチ)に、柄は三尺五寸((約106.1センチ)(『志田草子』)、
と逆に短いものもある。

しかし、刃長二尺三寸(約69.7センチ)の薙刀の柄は、持ち主の耳たぶの下端の高さ(『義貞軍記』『兵具雑記』)というのが大体の長さであろう。

『大分県郷土史料集成 上巻(系図篇、戦記篇(前))』(データ送信)
著者:垣本言雄 校訂 発行年:1936~1940年(昭和11~15) 出版者:大分県郷土史料刊行会
目次:卷第九 大友興廢記
ページ数:209 コマ数:312

『群書類従 第拾四輯』
著者:塙保己一 編 発行年:1894年(明治27) 出版者:経済雑誌社
目次:富樫記
ページ数:371 コマ数:190

 

薙刀の作者

薙刀の作者として、軍記物には「備前長刀」(『平家物語)』の名がよく出てくる。
「遠近うったる長刀」(『志田草子』)と個名をあげたものもある。

そのほか「鎌倉鍛治の鍛うたる大長刀」(『室町殿日記』)、という記述もある。
木曾義仲相伝の三重宝の一として、大和の「竜王作の長刀」があった。(『曽我物語』)

なお、静型の薙刀の「静」を、志津三郎兼氏の「志津」と解する説(『愚得随筆』)もある。

 

薙刀の創始者に関する説

古剣書においては、康和(1099)ごろの大和の定生を薙刀の創始者とする説が多い。
(『本阿弥光和伝書』『長享銘盡』『日本国中鍛冶銘文集』『永徳銘盡』『鍛冶銘集』)

康和二年(1100)に初めて造った、としたものさえある(『古刀目利要録』)

大和の定秀を創始者とする説(『本阿弥家伝目利書』)があるが、これは定生の誤伝であろうという。

 

薙刀造りの上手たち

薙刀造りの上手としては、

元暦(1184)ごろの伯州日照(『長享目利書』)
吉野期の但州法成寺国光(『竹屋直正伝書』『能阿弥本』『新刊秘伝抄』『天文目利書』)
越前の金津権三国長(『天文目利書』)
備前長船の義景(『如手引』)
備中青江の吉次(『新刊秘伝抄』)

などの名があげられている。

『享保名物帳』にも、骨喰藤四郎・鯰尾藤四郎などの薙刀直しのほか、権藤鎮教薙刀が収載されている。

江戸期になると、堀川国広・河内守国助・津田助広・粟田口忠綱・相模守政常・水心子正秀・大慶直胤などの名工が、やはり薙刀の名作をのこしている。

 

薙刀術の巴流と静流

薙刀術に巴流や静流があった。

 

巴流

巴流は芸州広島藩で行われたが、巴御前に仮託したものである。

木曾義仲の家に“竜王作の長刀”が伝来していたことは、軍記物『曽我物語』に見えているが、巴御前が薙刀をふるって奮戦したことは、軍記物にも見当たらない。

『義経記・曽我物語』
著者:武笠三 校, 塚本哲三 編 発行年:1922年(大正11) 出版者:有朋堂書店
目次:曽我物語 巻第八 三 太刀刀の由来の事
ページ数:640 コマ数:330

『現代語訳国文学全集 第18巻 下』
発行年:1938年(昭和13) 出版者:非凡閣
目次:曾我物語卷第八 (三) 太刀 刀の由来の事
ページ数:307 コマ数:164

 

静流

静流は奥州仙台藩では静流京師伝、藩州三草藩では、志津賀流または賤が流と称していた。

静流は天正3年(1575)、長篠の役で討死した望月相模守定朝が、聖徳太子の兵法の奥儀をさとって開いたとも(『武芸流派辞典』)

源義経が鞍馬山で体得した薙刀術を、愛妾の静御前に伝授したものとも(『静流薙刀術婦女伝口授極意之巻』(日本武道全集本))

この流派では志津三郎兼氏作の薙刀ばかり用いたから(『愚得随筆』『校合雑記』)

ともいうが、いずれも後世の付会である。
『武芸流派辞典』(データ送信)
著者:綿谷雪, 山田忠史 共編 発行年:1963年(昭和38) 出版者:人物往来社
目次:し 静流(薙刀)
ページ数:165 コマ数:86

『日本武道全集 第6巻 (槍術・薙刀術・棒術・他諸術)』
著者:今村嘉雄, 小笠原清信, 岸野雄三 編 発行年:1967年(昭和42) 出版者:人物往来社
目次:静流 静流薙刀術婦女伝口授極意之巻
ページ数:434 コマ数:229

 

馬上ならば十徳、徒歩ならば九徳

薙刀は戦場において、馬上ならば十徳、徒歩ならば九徳ある(『義貞軍記』)というが、その内容は明らかではないらしい。

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5) 出版者:雄山閣
目次:なぎなた【薙刀】
ページ数:4巻P73~76

調査所感2

刀剣男士としての巴形薙刀について考えようにも、どうも「巴形薙刀」についての調査だけを見ていてもピンと来ない。

これはもう薙刀そのものについて調べるしかないのではないか? ということで薙刀の歴史をざっくりとまとめてみました。

まだ不明点はいくらかあるんですが、薙刀全体の歴史を知った方が確かに「巴形薙刀」についても考えやすくなったかも。

「静形」「巴形」の区別は、江戸期に入ってから作られた。

以前はこのことを知ってもあまりイメージが湧きませんでしたが、今回の調査によって、その前の時代は源平合戦といい南北朝時代といい戦国時代といい、様々な文献・軍記物に薙刀とその持ち主たちの活躍が描かれていることがわかりました。

それを知ってから「静形薙刀」「巴形薙刀」という言葉が生まれたのは戦がなくなった太平の世である江戸期から、つまり時代の変化に伴って、有名な文献に名を残すような使い手の物語は何一つない、と考えると……。

確かに全然違いますね……。

「静形」「巴形」という名称は静御前・巴御前から来ているという。

けれどそれ自体も創作の影響が濃厚と考えられ、そもそも静御前や巴御前が薙刀で戦ったという史実はない。

だとしたら、イメージが先行して実体のない、けれど江戸期以降の薙刀の型としてはありふれた「巴形薙刀」「静形薙刀」とは何なのか?

物語をもたぬという薙刀たちについて、考えるとっかかりは出来たような気がします。

 

参考文献2

『百万塔 第5巻』
(『長門本平家物語』収録)
著者:中根淑 校 発行年:1892年(明治25) 出版者:金港堂
目次:長門本平家物語巻第一
ページ数:50 コマ数:93

『群書類従 第拾四輯』
著者:塙保己一 編 発行年:1894年(明治27) 出版者:経済雑誌社
目次:富樫記
ページ数:371 コマ数:190

『源平盛衰記 上 (友朋堂文庫) 』
著者:石川核 校 発行年:1911-1912年(明治44-45) 出版者:有朋堂
目次:第五巻 澄憲賜血脈事 ページ数:153 コマ数:84
目次:第二十巻 八牧夜討事 ページ数:663 コマ数:339

『義経記・曽我物語』
著者:武笠三 校, 塚本哲三 編 発行年:1922年(大正11) 出版者:有朋堂書店
目次:曽我物語 巻第八 三 太刀刀の由来の事
ページ数:640 コマ数:330

『水心子正秀全集 (刀剣叢書 ; 第1編) 』
著者:川口陟 編 発行年:1926年(大正15) 出版者:南人社
目次:劍工秘傳志 三卷
ページ数:196、197 コマ数:107
目次:刀劍辨疑 三卷
ページ数:16 コマ数:17

『平家物語 (有朋堂文庫)』
著者:永井一孝 [校] 発行年:1927年(昭和2) 出版者:有朋堂書店
目次:卷二 教訓
ページ数:78 コマ数:64

『日本随筆大成 第3期 第8巻』(データ送信)
著者:日本随筆大成編輯部 編 発行年:1930年(昭和5) 出版者:日本随筆大成編輯部
目次:甲子夜話 豊太閤朝鮮軍令
ページ数:310 コマ数:160

『槍薙刀及鐔之新研究』(データ送信)
著者:清水孝教 発行年:1934年(昭和9) 出版者:太陽堂書店

『刀剣刀装鑑定辞典』(データ送信)
著者:清水孝教 発行年:1936年(昭和11) 出版者:太陽堂
目次:ナギナタ【長刀】(薙刀)
ページ数:353~355 コマ数:187~188

『大分県郷土史料集成 上巻(系図篇、戦記篇(前))』(データ送信)
著者:垣本言雄 校訂 発行年:1936~1940年(昭和11~15) 出版者:大分県郷土史料刊行会
目次:卷第九 大友興廢記
ページ数:209 コマ数:312

『現代語訳国文学全集 第18巻 下』
発行年:1938年(昭和13) 出版者:非凡閣
目次:曾我物語卷第八 (三) 太刀 刀の由来の事
ページ数:307 コマ数:164

『太平記 : 校訂 第2冊 (雄山閣文庫 ; 第1部 第5) 』(データ送信)
著者:湊元克巳 校訂 発行年:1938年(昭和13) 出版者:雄山閣
目次:巻第十五 正月二十七日合戦の事
ページ数:189 コマ数:96

「刀剣と歴史 (414)」(雑誌・データ送信)
発行年:1963年7月(昭和38) 出版者:日本刀剣保存会
目次:剣工談(4) / 沼田直宗
ページ数:22 コマ数:34

『武芸流派辞典』(データ送信)
著者:綿谷雪, 山田忠史 共編 発行年:1963年(昭和38) 出版者:人物往来社
目次:し 静流(薙刀)
ページ数:165 コマ数:86

『日本武道全集 第6巻 (槍術・薙刀術・棒術・他諸術)』
著者:今村嘉雄, 小笠原清信, 岸野雄三 編 発行年:1967年(昭和42) 出版者:人物往来社
目次:静流 静流薙刀術婦女伝口授極意之巻
ページ数:434 コマ数:229

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5) 出版者:雄山閣
目次:なぎなた【薙刀】
ページ数:4巻P73~76