鶴丸国永

つるまるくになが

概要

「太刀 銘国永(名物鶴丸)」

『享保名物帳』所載、京の五条国永作の太刀。

現在は宮内庁侍従職が管理している皇室の私有財産(御物)。

来歴をまとめるのがとにかく大変で、伊達家伝来までの出来事はどれもなかなか伝説的である。

以下、鶴丸の伝来に関しては全てを追っていくと逆に混乱するため『日本刀大百科事典』を参考にしながらも『日本刀大百科事典』の出典の一部に関しては省略する。

保元(1156)の乱のころ、村上太郎長盛所持という説

『文明十六年銘盡』、『日本国中鍛冶銘文集』、『永徳銘盡』、『鍛冶銘字考』のなどの古剣書によれば、初め保元(1156)の乱のころ、村上太郎長盛所持。

この「村上太郎長盛」の表記は『伊達家御刀剣記』や『本阿弥光和伝書』『相州秋広廿五ヶ国押形増補本』によれば「永守」、『能阿弥本』によれば「長時」だという。
『鍛冶銘字考』によると「長盛」は初め「近国」と称したともいう。

『日本刀大百科事典』の著者の酔剣先生はここからこう続けている。

『保元物語』に信濃住人・村上判官代基国の名が出ている。その甥に仲盛がいる。
長森とはこの仲盛のことかもしれない。その一族の清野三郎入道所持。
清野家は信州埴科郡清野村(長野市清野)に住し、村上家の代官を務めていた。

竜胆丸と呼ばれていたという古剣書の説

両家とも村上源氏であるから、村上源氏の家紋である竜胆の紋をつけたという。
つけたと言われる場所は文献によって異なる。

・太刀の鞘
(『文明十六年銘盡』『日本国中鍛冶銘文集』『永徳銘盡』『鍛冶銘字考』『本阿弥光和伝書』)

・太刀の金具(『正銘写物目録』)

・ハバキ(『伊達家御刀剣記』)

透しになっていたとも言われる。
『能阿弥本』によると鞘が螺鈿になっていたという。

これによって、竜胆丸と呼ばれていたとされる。
しかし、竜胆丸と鶴丸には同物説と別物説があり、酔剣先生は「別物説」の方を正しいとしている。

その後の伝来、竜胆丸と鶴丸の同物説、別物説

その後の伝来については、竜胆丸と鶴丸の同物説と、別物説とがある。
酔剣先生は「別物説」を正しいとすべきであるとしている。

竜胆丸と鶴丸の同物説

『能阿弥本』『正銘写物目録』『伊達家御刀剣記』などにあるらしい。

竜胆丸と鶴丸の別物説

『文明十六年銘盡』『日本国中鍛冶銘文集』『永徳銘盡』『鍛冶銘字考』『本阿弥光和伝書』などの古剣書では、「竜胆丸」と「鶴丸」を別物としている。

別物説では、「竜胆丸」を「清野三郎所持」としたあと、「同作の太刀」つまり「国永作の太刀」を、「城ノ太郎も所持」となって、明らかに「清野三郎の国永」と、「城ノ太郎の国永」を区別している。

その上、この別物説を掲げる古剣書が、年代的に同物説よりずっと古いから、別物説を正しいとすべきである、という。

最初の所持者を「城ノ陸奥太郎貞泰(安達貞泰)」とする説

「竜胆丸」と「鶴丸」を同物とする説を採ると最初の所持者は「城ノ陸奥太郎貞泰」こと「安達貞泰」になるらしい。

別物説で最初の所持者を、

・城ノ太郎
(『永徳銘盡』『伊達家御刀剣記』)

・城ノ太郎平貞茂(貞成の誤り)
(『鶴丸由来記』)

・城ノ奥州太郎
(『正銘写物目録』『日本国中鍛冶銘文集』)

・城ノ陸奥太郎資持(資茂の誤り)
(『文明十六年銘盡』

・城ノ陸奥太郎近延(親信の誤り)

などとする多数の説がある。
これらの説について酔剣先生が検討した結果によると、

・城ノ太郎を平貞茂とする説は、他の説に比して年代がずっと若く、貞享(1684)ごろの資料だから、採るに足りない。
・城ノ陸奥太郎説を採るべきであるが、これは安達姓を名乗った陸奥太郎貞泰のことである。城一族で陸奥守になったのは、貞泰の祖父・泰盛が初めてだった。

ということになるようだ。

鶴丸国永の最初の所持者は「村上太郎長盛」のほかに、「城ノ陸奥太郎貞泰(安達貞泰)」という説があると言える。

1285年(弘安8)、霜月騒動で滅亡した安達泰盛一族の墓から北条貞時が発掘した刀

安達泰盛の一族は弘安8年(1285)10月、いわゆる霜月騒動で、北条氏の策略により滅亡した。
まだ年少の貞泰もそれに殉じたと考えられる。

『鶴丸由来記』によれば北条貞時はこれを「弘安の役の戦場で拾った」ともいうが、酔剣先生は「貞泰を敗死させたとき入手したものであろう」と述べている。

陵または陵丸とよぶ

これを陵または陵丸とよぶ、古剣書ではその理由を次のように述べている。

・城ノ太郎の墓から掘り出したから
(『文明十六年銘盡』『永徳銘盡』)

・城ノ太郎、または北条貞時の墓に掛けたから
(『正銘写物目録』)

酔剣先生は、中国では季礼が徐君の墓の木に、わが愛剣をかけて去った、という故事があるが、わが国には墓に刀をかける、という風習はないから、城ノ太郎つまり泰盛一族の墓から発掘した、というのが真相であろう、としている。

北条貞時から同家の伝来刀となった以後、織田信長から御牧勘兵衛へ

北条貞時から同家の伝来刀となった。
その後の伝来は不明であるが、同じ平氏である織田信長が入手。

それを与えたのは、『享保名物帳』によると「三枝勘兵衛」、『伊達家御刀剣記』『享保名物帳(享保八年本)』『鶴丸由来記』によれば、「三牧勘兵衛」というが、前者はまだ生まれていなかったので後者の「三牧勘兵衛」が正しいという。

「三牧勘兵衛」は正しくは「御牧勘兵衛」と書き、名は景則という。
信長死後は豊臣秀吉に仕え、千七百石を給せられていた。
子の勘兵衛信景が関ヶ原の役で敗れ、浪人となったらしく、名も四手井清庵と改めている。
(『戦国人名辞典』)

酔剣先生は、御牧勘兵衛はそれで鶴丸も手放したのであろうとし、勘兵衛家は山城久世郡三牧村にあったので、そこから程近い伏見の藤森の某家が、鶴丸を譲りうけたとしている。

本阿弥光的の次男、一乗院が貞享(1684)頃、藤森の某家から取り出し藤森神社の神事などに貸し出していた

本阿弥光的の次男は出家して、一乗院と称した。
それが貞享(1684)ごろ、藤森の某家から鶴丸を取り出し、藤森神社の神事などに貸し出していた。

『詳註刀剣名物帳 : 附・名物刀剣押形 増補』
著者:羽皐隠史 発行年:1919年(大正8) 出版者:嵩山堂
目次:宗近、國永、國俊、國次、長谷部、信國、了戒、當麻、包永の部 鶴丸国永
ページ数:94、95 コマ数:62

松平陸奥守殿(仙台伊達伯爵家)
鶴丸国永 長弐尺五寸九分半 代三千貫

北条伝来の太刀なり信長公へ伝る三枝勘兵衛へ下さる貞享の頃か光的次男出家一乗院伏見藤森にて取出す神事並に借太刀に致候由なり古き拵へ伝来の書付にも出る鶴丸と云仔細不知。

蝶夢散人著『鶴丸由来記』による貞享(1684)ごろの説

『日本刀大百科事典』では蝶夢散人著『鶴丸由来記』による由来の紹介と検討がされている。

三牧勘兵衛には男士がなかったので、娘がこの刀を持って、松田家に嫁いだというが、勘兵衛には前述のとおり、信景という嫡子があった。
その子孫は、花山院家の公家侍になって、永続しているから、以上の説は創作であるという。

さらに、松田家に嫁いだ娘の生んだ末子が出家し、素懐と称した。それがこの刀をもらったが、そんな名刀とは知らないので、本阿弥光徳に鑑定を求めたところ、これは鶴丸国永だ、といわれて驚いた。
光徳から、何か証拠になるものはないか、と言われたので、素懐が帰って調べてみると、果たして明智光秀から勘兵衛あての手紙に、そのことが書いてあった。
喜んだ素懐は、貞享元年(1684)6月、蝶夢散人に頼んで、以上の由来を漢文に綴ってもらったという。

しかし、本阿弥光徳は元和5年(1619)死去である。
明智光秀を引き合いに出しているが、光秀に仕えたのは三牧三左衛門と行って、中川清秀に斬られた。
三牧勘兵衛とはまったく別人である。

享保4年(1719)、本阿弥家から幕府に提出した『名物帳』に、鶴丸国永の由来も出ているが、貞享元年(1684)の『鶴丸由来記』とは異なる。

よって、『鶴丸由来記』の説は創作と見るほかないという。

『鶴丸由来記』の内容は下記の本が載せてくれているのでここで読むことが出来る。

『刀剣刀装鑑定辞典』(データ送信)
著者:清水孝教 発行年:1936年(昭和11) 出版者:太陽堂
目次:ツルマルクニナガ【鶴丸国永】
ページ数:321、323 コマ数:171、172

『大日本刀剣史 上巻』(データ送信)
著者:原田道寛 発行年:1938年(昭和13) 出版者:春秋社
目次:名物鶴丸國永一名不動
ページ数:540~544 コマ数:282~284
(『大日本刀剣史』はデジコレに2冊あるのでご注意)

『日本刀大百科事典』だとそこまで解説していないが、同じ酔剣先生の著書『名刀と名将』や『日本刀物語 続』によれば、『鶴丸由来記』のこの説はそもそも『喜阿銘尽』をそっくり写したもので、重要な誤写があるという。

今回ここまでの文章は主に『日本刀大百科事典』の文章を中心にまとめたが、『名刀と名将』などでは出てくる古剣書類のタイトルが違うので、より詳細な情報を入手したい方はこれらの本も読んでみることをお勧めする。

『名刀と名将(名将シリーズ)』(データ送信)
著者:福永酔剣 発行年:1966年(昭和41) 出版者:雄山閣
目次:伊達政宗自慢の業物
ページ数:193~199 コマ数:103~106

奥州伊達家への伝来

本阿弥六郎左衛門の添状をそえ、森田左衛門という刀屋が、鶴丸国永という触れ込みで、奥州仙台の伊達家に納めた。

『刀剣談 再版』(データ送信)
著者:羽皐隠史 著, 高瀬魁介 訂 発行年:1927年(昭和2) 出版者:嵩山房
目次:第五、諸家の名刀 伊達家の鶴丸
ページ数:188~191 コマ数:106、107

『刀剣談』
著者:高瀬真卿 発行年:1910年(明治43) 出版者:日報社
目次:第六門 諸家の名刀 伊達家の鶴丸
ページ数:99、100 コマ数:99~101

また伊達家に伝わつた書類で見ると、斯うある「京鶴丸。国永の太刀は、保元の頃、村上太郎永守これを帯び、其後清野三郎入道に伝はり、其より越後の城太郎に伝はりて、之を所持す、弘安の合戦に紛失して行衛不明となつたのを、鎌倉の執権北条貞時尋ね出して所持す、其後伝来詳らかならずして、元亀の頃織田信長の手に入り、公より御牧勘兵衛に賜はる、其のち出家某の所持となり転じて伊達家に納まりし」と云ふ、鎺に「りんどう」の透しあるを以て一名「利無動」とも呼ぶ、右の伝来は古き書記に出て証せらるるので、森田左衛門と云ふ刀商の書付、本阿弥六郎左衛門の添状等にも記してあるこれで来歴は分るが、何故に鶴丸と称するかは未だ分らない。

同家ではそれに早速、同家の定紋・引両入りの金具をつけ、鞘にも同じ紋蒔絵にした太刀拵えをつけたという。
(『伊達家御腰物本帳』)

1703年(元禄16)8月3日、金二百枚の折紙がつく

『伊達家御腰物本帳』によると、元禄16年(1703)8月3日、金二百枚の本阿弥家折紙がついたという。

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:つるまる【鶴丸】
ページ数:3巻P286~288

『享保名物帳』には、「代三千貫」とある。
元禄16年(1703)、金二百枚の折紙がすでについているのに、それ以前の代付けを書いているのはおかしい。

1704年(宝永1)6月10日、5代伊達吉村が仙台に入国した際、4代綱村から贈られた

伊達家に伝来してからの扱いや本阿弥光的に関する考察は下記の雑誌記事に詳細が載っていて面白い。

今野繁雄氏の推測によると、鶴丸国永は4代綱村の襲封した万治3年(1660)以後に、本阿弥家の斡旋で伊達家に入ったとみられるらしい。

元禄16年8月襲封の5代吉村が宝永元年(1704)6月初めて入国した時に先代綱村から鶴丸国永を贈られたと伝えるため、『享保名物帳』の松平陸奥守は伊達吉村だとしている。

更に当地の承伝に鶴丸国永の贈与にかかわる記録は「宝永元年(1704)6月」が初めてで以後は襲封して初入国の時贈与するのが恒例となったと伝えられているという。

『伊達治家記録』によると、伊達吉村が養父・綱村から鶴丸国永を贈られたのは宝永元年6月10日の入国の賀儀のことのようだ。

「刀剣と歴史 (574)」(雑誌・データ送信)
発行年:1990年3月(平成2) 出版者:日本刀剣保存会
目次:好古庵刀話(一一七) / 今野繁雄
ページ数:31~33 コマ数:20、21

『伊達治家記録 24 (仙台藩史料大成) 』(データ送信)
著者:平重道 責任編集 発行年:1982年(昭和57) 出版者:宝文堂出版販売
目次:本文
ページ数:58 コマ数:40 (宝永元年6月10日の部分)

十日戌寅。当君へ御入国ノ賀儀太刀一腰鶴丸国永馬代黄金十両帷単物二十領三種二荷進セラル、仙台へ御使者太田将監。

1901年(明治34)、伊達家から明治天皇へ献上

鶴丸は伊達家で本阿弥成善に、入念な研ぎをさせたあと、明治34年、明治天皇へ献上した。

明治天皇が仙台行幸の節、伊達宗基伯爵が献上したという。

「刀剣と歴史 (429)」(雑誌・データ送信)
発行年:1966年1月(昭和41)
目次:口絵 鶴丸国永の太刀
ページ数:2 コマ数:4

その時、旧姓本阿弥の竹中公鑒が、貞享(1684)の『鶴丸由来記』を探し出して、宮内省に提出した。

『刀剣刀装鑑定辞典』(データ送信)
著者:清水孝教 発行年:1936年(昭和11) 出版者:太陽堂
目次:ツルマルクニナガ【鶴丸国永】
ページ数:321、323 コマ数:171、172

これに対して酔剣先生は「創作では一顧の価値もない」と割と辛辣である。

号の由来に関する研究者たちの推測

「鶴丸」という号については『享保名物帳』でも「子細は不知」という扱いだが、研究者たちの憶測だと「拵えに鶴の紋が入っていたため」というものが有名なのだろうか。

『日本刀大百科事典』の福永酔剣先生は、「初め村上太郎の佩刀だったころ、拵えに鶴の紋が入っていたため」という説を村上家の国永は竜胆丸であって、鶴丸ではなかったし、また村上家の紋は鶴ではなかったとして否定しているが、同時に鎌倉幕府から厳島神社へ奉納した太刀には、鶴丸の紋を入れるのが恒例になっていたので、これも北条氏がどこかの神社に奉納するとき、鶴丸の紋の拵えをつけたので、鶴丸国永と呼ぶようになったのであろうとしている。

北条貞時以後の所伝が不明なのは、どこかの神社に奉納されていたからで、それを織田信長が召し上げたのであろうとも言っている。

『新・日本名刀100選』の佐藤寒山先生は、刀剣についている「何々丸」という号の中に拵えの文様からとっている例は少なくないので、この太刀の拵えにはおそらく「鶴丸紋」の金具が付けられていたのだろうとしている。

『新・日本名刀100選』(紙本)
著者:佐藤寒山 発行年:1990年(平成2) 出版社:秋田書店
(中身はほぼ『日本名刀100選』 著者:佐藤寒山 発行年:1971年(昭和46) 出版社:秋田書店)
目次:鶴丸国永 ページ数:115

「鶴丸」の号の由来を確定する史料こそないが、研究者たちの推測では「拵えに鶴の紋が入っていたから」という理由が大勢のようである。

作風

刃長二尺五寸九分五厘(約78.6センチ)。
反りは高くて八分八厘(約2.7センチ)。
地鉄は小板目つまり、地沸えつく。
刃文は小沸え出来の小乱れ、先は直刃に足入り。
茎はうぶ。
「国永」と二字銘。

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:つるまる【鶴丸】
ページ数:3巻P286~288

調査所感

・古刀の名刀の話の出典は大体古剣書

鶴さんの研究史まとめるのどれだけ面倒くさくなるかと思ったらもはや我々素人には目にすることのできない翻刻されていない古剣書が出典過ぎて一周回って酔剣先生の『日本刀大百科事典』の記述をなぞるだけで終わったよね(悟)。

それでもサイト用に見出し作ってたら普段使わないレベルまで細部分ける必要があって面倒な刀よ……。

・竜胆丸との同一視

北条貞時までの来歴なにこれ……ってなる刀。
酔剣先生の話をまとめると「竜胆丸(清野三郎所持)」と「鶴丸(城ノ太郎所持)」は「別物」なので来歴のスタートとしては「城ノ陸奥太郎貞泰(安達貞泰)」とした方が良さそうですが、「竜胆丸」との同一視問題があることを頭に入れておかないと後々の「利不動」とか「利無動」とか呼ばれている意味がわからなくなって逆に混乱するという。

・明治天皇への献上

最近ようやくわかってきましたがこの情報拾うには『明治天皇紀』を読めばよさそうですね。
読んでないですすいません。

鶴丸は「鶴丸国永」でデジコレ検索すると『明治天皇紀 第10』の記述が引っかかってくることがわかりました(現在は国立国会図書館内限定なので本文は読めない)。

私は刀剣本の間接的記述を出典とするくらいで満足の簡単調査野郎ですが、明治天皇への献上刀について今すぐ紙の本で調べたくて調べたくて仕方ねえ! って方は図書館ででも『明治天皇紀』を読むことをお勧めします。

・『伊達治家記録』にもっと記録がある可能性

「刀剣と歴史 (574)」(雑誌・データ送信)
発行年:1990年3月(平成2) 出版者:日本刀剣保存会
目次:好古庵刀話(一一七) / 今野繁雄
ページ数:31~33 コマ数:20、21

この記事で当地承伝の鶴丸国永の贈与に関わる記録の話が出てきたので、貞ちゃんの調査を生かして『伊達治家記録』を検索したら上で説明した宝永元年6月10日の記述だけ見つかりました。

他にも記述がある可能性はありますが、私の調査能力だとこれが限界ですので後は鶴さんについてあまねくすべてを探り出したい方にお任せします。

参考文献

『御宝物之部仙台家御腰物之帳』(東京国立博物館デジタルライブラリー)
(仙台家御腰物元帳;伊達家御宝物御太刀由緒書)
時代:江戸末 写本
コマ数:49、50

『刀剣談』
著者:高瀬真卿 発行年:1910年(明治43) 出版者:日報社
目次:第六門 諸家の名刀 伊達家の鶴丸
ページ数:99、100 コマ数:99~101

『日本刀』(データ送信)
著者:本阿弥光遜 発行年:1914年(大正3) 出版者:日本刀研究会
目次:第七章 刀匠の掟と其特徴
ページ数:182、183 コマ数:125

『詳註刀剣名物帳 : 附・名物刀剣押形 増補』
著者:羽皐隠史 発行年:1919年(大正8) 出版者:嵩山堂
目次:宗近、國永、國俊、國次、長谷部、信國、了戒、當麻、包永の部 鶴丸国永
ページ数:94、95 コマ数:62

『日本趣味十種 国学院大學叢書第壹篇』(データ送信)
著者:芳賀矢一 編 発行年:1924年(大正13年) 出版者:文教書院
目次:八 刀剣の話 杉原祥造
ページ数:329 コマ数:184
(デジコレに2冊あるので1コマずれる可能性有)

『刀剣名物牒』(データ送信)
著者:中央刀剣会 編 発行年:1926年(大正15) 出版者:中央刀剣会
目次:(中) 同右
ページ数:30 コマ数:18

『刀剣談 再版』(データ送信)
著者:羽皐隠史 著, 高瀬魁介 訂 発行年:1927年(昭和2) 出版者:嵩山房
目次:第五、諸家の名刀 伊達家の鶴丸
ページ数:188~191 コマ数:106、107

『日本刀講座 第6巻 (刀剣鑑定・古刀)』(データ送信)
著者:雄山閣 編 発行年:1934年(昭和9) 出版者:雄山閣
目次:二 各流の系統と作風
ページ数:17、18 コマ数:255

『刀剣刀装鑑定辞典』(データ送信)
著者:清水孝教 発行年:1936年(昭和11) 出版者:太陽堂
目次:ツルマルクニナガ【鶴丸国永】
ページ数:321、323 コマ数:171、172

『大日本刀剣史 上巻』(データ送信)
著者:原田道寛 発行年:1938年(昭和13) 出版者:春秋社
目次:名物鶴丸國永一名不動
ページ数:540~544 コマ数:282~284

「好古 3(5)(25)」(雑誌・データ送信)
発行年:1940年5月 出版者:日本美術社
目次:古名物の刀槍(四) / 漆山又四郞
ページ数:52 コマ数:28

『大日本刀剣史 上巻』(データ送信)
著者:原田道寛 発行年:1941年(昭和16) 出版者:春秋社
目次:宮内省及諸家秘蔵の貸下げ名物
ページ数:600 コマ数:311

(『大日本刀剣史』はデジコレに2冊あるのでご注意)

『紀元二千六百年奉祝名宝日本刀展覧会出陳刀図譜』
著者:遊就館編 発行年:1940年(昭和15) 出版者:遊就館
目次:宮内省御貸下 一 御物 御太刀 銘国永(名物鶴丸)
コマ数:11、12

『名刀集美』(データ送信)
著者:本間順治 編 発行年:1948年(昭和23) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:圖譜目次 コマ数:19
目次:古刀の部 コマ数:164

『銘刀押形 : 御物東博』(データ送信)
著者:佐藤貫一, 沼田鎌次 編  発行年1958年(昭和33) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:三 御物 太刀 銘国永 名物鶴丸
ページ数:4、5 コマ数:14、15

『日本古刀史』(データ送信)
著者:本間順治 発行年:1958年(昭和33) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:二、 平安時代
ページ数:29 コマ数:50

「刀剣史料 (6)」(雑誌・データ送信)
発行年:1959年6月(昭和34) 出版者:南人社
目次:三条宗近の事跡 / 川口陟
ページ数:3 コマ数:3

「刀剣史料 (51)」(雑誌・データ送信)
発行年:1963年3月(昭和38) 出版者:南人社
目次:武将武人の愛刀熱――(三) / 向井敏彦
ページ数:8 コマ数:6

「刀剣と歴史 (417)」(雑誌・データ送信)
発行年:1964年1月(昭和39) 出版者:日本刀剣保存会
目次:研師の回顧 / 吉川恒太郎
ページ数:35 コマ数:20

「刀剣と歴史 (422)」(雑誌・データ送信)
発行年:1964年11月(昭和39) 出版者:日本刀剣保存会
目次:太刀の目釘穴位置に就いて / 荻野敏
ページ数:36 コマ数:23

『日本刀講座 第1巻 新版』(データ送信)
発行年:1966年(昭和41) 出版者:雄山閣
目次:新版日本刀講座<概説編>目次
ページ数:22、23 コマ数:31

『日本刀講座 第2巻 新版』(データ送信)
発行年:1966年(昭和41) 出版者:雄山閣
目次:各流派の系統と刀工個々の作風 山城国
ページ数:23~25 コマ数:68、69

「刀剣と歴史 (429)」(雑誌・データ送信)
発行年:1966年1月(昭和41)
目次:口絵 鶴丸国永の太刀
ページ数:2 コマ数:4

『名刀と名将(名将シリーズ)』(データ送信)
著者:福永酔剣 発行年:1966年(昭和41) 出版者:雄山閣
目次:伊達政宗自慢の業物
ページ数:193~199 コマ数:103~106

『日本刀全集 第5巻』(データ送信)
著者:加島新、藤代松雄、池田末松、高橋信一郎(監修:本間順治、佐藤貫一) 発行年:1967年(昭和42) 出版者:徳間書店
目次:古刀I 加島進
ページ数:8 コマ数:12

『光山押形 乾』(データ送信)
著者:本阿弥光山 発行年:1967年(昭和42) 出版者:雄山閣出版
目次:四、 本書の掲載諸刀散見 ページ数:12 コマ数:30
目次:押形 ページ数:91 コマ数:219

『寒山刀剣教室 基礎篇』(データ送信)
著者:佐藤寒山 発行年:1968年(昭和43) 出版者:徳間書店
目次:平安時代の銘
ページ数:155 コマ数:81

「刀剣と歴史 (443)」(雑誌・データ送信)
発行年:1968年(昭和43)5月 出版者:日本刀剣保存会
目次:仙台の日本刀名作展 / 今野繁雄
ページ数:51 コマ数:30

『日本刀物語 続』(データ送信)
著者:福永酔剣 発行年:1969年(昭和44) 出版者:雄山閣
目次:伊達政宗自慢の業物
ページ数:193~199 コマ数:108~111

「刀剣と歴史 (488)」(雑誌・データ送信)
発行年:1975年(昭和50)11月 出版者:日本刀剣保存会
目次:好古庵刀話(三五) / 今野繁雄
ページ数:26 コマ数:18

『伊達治家記録 24 (仙台藩史料大成) 』(データ送信)
著者:平重道 責任編集 発行年:1982年(昭和57) 出版者:宝文堂出版販売
目次:本文
ページ数:58 コマ数:40 (宝永元年6月10日の部分)

「刀剣と歴史 (536)」(雑誌・データ送信)
発行年:1983年(昭和58)11月 出版者:日本刀剣保存会
目次:仙台士鑑 / 中鉢善右衛門
ページ数:30 コマ数:20

『新・日本名刀100選』(紙本)
著者:佐藤寒山 発行年:1990年(平成2) 出版社:秋田書店
(中身はほぼ『日本名刀100選』 著者:佐藤寒山 発行年:1971年(昭和46) 出版社:秋田書店)
目次:鶴丸国永
ページ数:115

「刀剣と歴史 (574)」(雑誌・データ送信)
発行年:1990年3月(平成2) 出版者:日本刀剣保存会
目次:好古庵刀話(一一七) / 今野繁雄
ページ数:31~33 コマ数:20、21

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:つるまる【鶴丸】
ページ数:3巻P286~288

「文化庁月報 (10)(349)」(雑誌・データ送信)
著者:文化庁 編 発行年:1997年10月(平成9) 出版者:ぎょうせい
目次:イベント案内 東京国立博物館日本のかたな――鉄のわざ・武のこころ
ページ数:40 コマ数:21

「刀剣と歴史 (618)」(雑誌・データ送信)
発行年:1997年7月(平成9) 出版者:日本刀剣保存会
目次:明治の刀界(その2) / 佐藤幸彦
ページ数:20 コマ数:15

概説書

『名刀 その由来と伝説』(紙本)
著者:牧秀彦 発行年:2005年(平成17) 出版者:光文社
目次:武将・大名の名刀 鶴丸国永
ページ数:147、148

『図解 武将・剣豪と日本刀 新装版』(紙本)
著者:日本武具研究界 発行年:2011年(平成23年) 出版者:笠倉出版社
目次:第3章 武将・剣豪たちと名刀 伊達政宗と名刀
ページ数:146~149

『日本刀図鑑: 世界に誇る日本の名刀270振り』(紙本)
発行年:2015年(平成27) 出版者:宝島社
目次:鶴丸
ページ数:7

『刀剣目録』(紙本)
著者:小和田康経 発行年:2015年(平成27) 出版者:新紀元社
目次:≪第一章 平安時代≫ 山城国五条 国永 鶴丸国永
ページ数:41

『物語で読む日本の刀剣150』(紙本)
著者:かゆみ歴史編集部(イースト新書) 発行年:2015年(平成27) 出版者:イースト・プレス
目次:第3章 太刀 鶴丸国永
ページ数:62、63

『図解日本刀 英姿颯爽日本刀の来歴』(紙本)
著者:東由士 編 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:古今東西天下の名刀 鶴丸国永
ページ数:80、81

『刀剣物語』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:御物の刀 鶴丸国永
ページ数:204、205

『刀剣説話』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2020年(令和2) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
(『刀剣物語』発行年:2015年を加筆修正して新たに発行しなおしたもの)
目次:天皇家に伝わる御物 鶴丸国永
ページ数:78、79

『刀剣聖地めぐり』(紙本)
発行年:2016年(平成28) 出版者:一迅社
目次:鶴丸国永
ページ数:36

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