鶯丸

うぐいすまる

概要

「太刀 銘 備前国友成(名物鶯丸)」

平安時代の備前の刀工・友成作の太刀(古備前)。

『寛政重脩諸家譜』によると、1441年(嘉吉1)、関東管領・足利持氏の遺児、春王丸・安王丸が下総国結城において挙兵した時、信濃守護であった小笠原政康が二人をいけどりにした功績で室町幕府6代将軍・足利義教から拝領した太刀。

1438年(永享10)に「永享の乱」が発生し、足利持氏は敗れて自殺。
1440年(永享12)に「結城合戦」にて残党と下総の結城氏が持氏の遺児である春王丸・安王丸を擁立して反乱を起こす。
1441年(嘉吉1)、結城氏が敗北し、この遺児二人は殺された。

小笠原政康はその遺児二人を捕らえた功績により、「鶯太刀友成」を贈られたことが足利義教の感状から判明している。

のちに越前勝山藩の第4代藩主・小笠原信胤の時代には江戸幕府8代将軍・徳川吉宗への台覧にも供している。

明治維新後、越前勝山藩小笠原家を出て対馬藩の宗伯爵家に。
さらに1905年(明治38)、宋重望伯爵から田中光顕伯爵が買い取る。

1909年(明治40)11月、茨木県結城町における陸軍大演習の際、田中光顕伯爵が明治天皇に献上。

現在も御物として宮内庁が管理している。

1441年(嘉吉1)、小笠原政康が室町幕府6代将軍・足利義教から拝領した太刀

関東管領・足利持氏の遺児、春王丸・安王丸が、嘉吉元年(1441)、下総国結城において挙兵した時、信濃の守護・小笠原大膳大夫政康は副将軍として参戦した。

女装して逃げる二遺児を捕虜にするなど大功があったので、室町幕府6代将軍・足利義教より感状とともに、この太刀を授けられた。

『寛政重脩諸家譜 第1輯』
発行年:1922年(大正11) 出版者:国民図書
目次:巻第百九十五 清和源氏 義光流 小笠原 政康
ページ数:1148 コマ数:584

嘉吉元年下総国に發向して結城の城を攻るのとき、政康副将軍の號をゆるされ、兇徒を攻うち、持氏の息春王丸安王丸をいけどり、美濃國垂井にをいてこれを誅し、五月二十六日感状ならびに鶯と號けし友成の太刀をさづけらる。

『小笠原系図』にある感状には、「鶯太刀友成」とある

『日本刀大百科事典』で『慶元古文書』に「鶯丸友成」とあるので、今日では「鶯丸」で通っていると説明しているが、どれも「鶯太刀友成」という記述で統一されている。
他に主流となる『慶元古文書』があるのか?

(『日本刀大百科事典』の記述をこうしてチェックしていると結構単純な間違いも多くあるので酔剣先生側の勘違いの可能性もあるが、古書の記述に関しては単純に底本が違う可能性を否定しきれないので確認するならその辺は慎重にした方がいいと思われる。)

鶯太刀友成と記述してある感状は下記の本で読める。

『史籍集覧 〔12〕 慶元古文書−一名・諸家感状録』
著者:近藤瓶城 編 発行年:1894年(明治27) 出版者:近藤活版所
目次:巻十一 小笠原相模守蔵
ページ数:66 コマ数:35

『続史籍集覧 第6冊』
著者:近藤瓶城 編 発行年:1930年(昭和5) 出版者:近藤出版部
目次:第十一
ページ数:126 コマ数:66

『信濃史料 第8巻 (正長元年三月-応仁元年是歳)』(データ送信)
著者:信濃史料刊行会 編 発行年:1957年(昭和32) 出版者:信濃史料刊行会
目次:後花園天皇
ページ数:152 コマ数:105

鶯の太刀祭

小笠原政康は結城の出陣に際して、三月十五日伊那郡松尾の八幡社(松尾八幡社は小笠原家の氏神)の社前に祈請をこめて軍立し、遂には足利の公達を擒(とりこ)にするような大功を立て将軍からはかかる恩賞があった。

伊那郡松尾の神宮寺ではそれを記念するため、年々三月十五日を以て、「鶯の太刀祭」を行うことになった。

『伊那史概要』(データ送信)
著者:市村咸人 発行年:1935年(昭和10) 出版者:信濃郷土出版社
目次:結城の戦
ページ数:173、174 コマ数:104、105

1736年(元文1)、小笠原信胤が江戸幕府8代将軍・徳川吉宗への台覧に供した

政康拝領後、子孫の越前大野郡勝山城主・小笠原家(松尾小笠原氏)に伝来。
元文元年(1736)9月13日、小笠原信胤は江戸幕府8代将軍徳川吉宗の命により、感状と共に台覧に供した。

『寛政重脩諸家譜 第1輯』
発行年:1922年(大正11) 出版者:国民図書
目次:巻第百九十五 清和源氏 義光流 小笠原 信胤
ページ数:1151 コマ数:585

元文元年九月十三日おほせによりて普廣院義教の感状、をよび久国眞長の太刀ならびに友成作の鶯の太刀等を台覧に備ふ。

明治維新後、越前勝山藩小笠原家を出て対馬の宗伯爵家に

『憂国遺言』『伯爵田中青山』によると、明治時代には宗伯爵が入手している。

1905年(明治38)、対馬藩の宋重望伯爵から田中光顕伯爵が買い取る

『憂国遺言』『伯爵田中青山』によると、

田中光顕伯爵は宋重望伯爵から明治38年に買い取ったと説明している。

『憂国遺言』(データ送信)
著者:田中光顕 著, 田中直樹 編 発行年:1940年(昭和15) 出版者:鱒書房
目次:憂國遺言
ページ数:148、149 コマ数:86

『伯爵田中青山』(データ送信)
著者:田中伯伝記刊行会 編 発行年:1929年(昭和4) 出版者:田中伯伝記刊行会
目次:活きたる日本の國寳 中村作次郞 ページ数:540、541 コマ数:297
目次:第二十八章 光榮ある祝賀會 ページ数:954、955 コマ数:504
目次:第二十九章 真珠荘の座談 ページ数:1000、1001 コマ数:527

この時期の鶯丸は誰から誰へと伝わったか?

福永酔剣氏の『日本刀大百科事典』によると、

明治維新後、同家を出、宗伯爵家に入ったが、秋元子爵が1500円で譲り受けた。
さらに同家を出たので、田中光顕伯爵が買い取り、1909年(明治40)11月、茨木県下における陸軍大演習の際、同県の結城に因縁のある刀ということで、明治天皇に献上した。

となっている。
しかしこの来歴は実際に鶯丸を買い取ったという田中光顕伯爵の著書と異なっている。

本阿弥光遜氏の『刀談片々』によると、

山本達雄氏が対州家に伝わる鶯丸友成という刀を1500円で買ったとある。

『刀談片々』(データ送信)
著者:本阿弥光遜 発行年:1936年(昭和11) 出版者:何光社
目次:刀劍の相場ピンカラキリまである
ページ数:206 コマ数:112

高瀬羽皐氏の『刀剣談』では田中光顕伯爵が宗伯爵から買い取ったとなっている。

『刀剣談』
著者:高瀬真卿(高瀬羽皐、羽皐隠史) 発行年:1910年(明治43) 出版者:日報社
目次:第二門 御物 小烏丸 ページ数:21 コマ数:35
目次:第二門 御物 友成 ページ数:25、26 コマ数:37、38

この件について検討すると、まず『日本刀大百科事典』の福永酔剣氏は大正生まれであり、明治当時の出来事を自分で目にすることはない。
さらに福永酔剣氏は本阿弥光遜氏と面識がありかなり仲が良い様子が刀剣雑誌の記事などから伺えるので、おそらく『日本刀大百科事典』の秋元子爵が1500円でという話は、伝聞による間違いだと考えられる。

現在「山本家の友成」と呼ばれる国宝があるらしいので、本阿弥光遜氏の話はそちらの友成と鶯丸の話が混ざってしまったものと考えられる。

田中光顕伯爵自身の言や明治の『刀剣談』にあるように、「対馬の宗伯爵から田中光顕伯爵が買い取った」とするのが正しいのではないか。

1909年(明治40)11月、田中光顕伯爵が明治天皇に献上

明治40年(1909)11月、茨木県結城町における陸軍大演習の際、田中光顕伯爵が明治天皇に献上。
二首の歌を添えて献上したらしい。

『伯爵田中青山』(データ送信)
著者:田中伯伝記刊行会 編 発行年:1929年(昭和4) 出版者:田中伯伝記刊行会
目次:活きたる日本の國寳 中村作次郞 ページ数:540、541 コマ数:297
目次:第二十八章 光榮ある祝賀會 ページ数:954、955 コマ数:504
目次:第二十九章 真珠荘の座談 ページ数:1000、1001 コマ数:527

『人間明治天皇』(データ送信)
著者:栗原広太 発行年:1953年(昭和28) 出版者:駿河台書房
目次:十、御趣味と娛楽
ページ数:90 コマ数:64

ふくれの話

鶯丸は献上前には、多くの刃ぶくれがあったが、高田庄左衛門がふくれを収めて研ぎ上げた。
研ぐ前に押形をとり、ふくれの部分に印をつけておいたが、研たての鶯丸と押形を見比べても少しも判らなかったという。

「刀剣と歴史 (417)」(雑誌・データ送信)
発行年:1964年1月(昭和39) 出版者:日本刀剣保存会
目次:研師の回顧 / 吉川恒太郎
ページ数:35 コマ数:20

現在も御物

現在も御物として宮内庁が管理している。

『国宝日本刀特別展目録:刀剣博物館開館記念』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:御物 太刀 銘 備前国友成(名物鶯丸) 宮内庁蔵
コマ数:12、13

作風

刃長二尺七寸(約81.8センチ)。
反り九分(約2.7センチ)。
地鉄は板目肌に地沸えつく。
刃文は直刃、先は彎れ調となり、足入り賑やか。
茎はうぶ。

「備前国友成」と在銘。

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:うぐいすまる【鶯丸】
ページ数:1巻P129、130

調査所感

正直鶯丸に関してはガッチガチのガチ勢が量・内容共に結構な研究をしっかりまとめているのでオイラみたいなにわかが言うことないぜ! 良いこと言ってくれているのでぜひそっちの方を見ていただきたい。

私が今回やったにわか調べの話に戻ると、鶯丸って昔から「鶯丸」と言われているようでいて実は昔の史料だと「鶯太刀友成」として有名であれ? 「丸」は? っていう号の話があったのか。なるほど……?

参考文献

『史籍集覧 〔12〕 慶元古文書−一名・諸家感状録』
著者:近藤瓶城 編 発行年:1894年(明治27) 出版者:近藤活版所
目次:巻十一 小笠原相模守蔵
ページ数:66 コマ数:35

「弘道 (189)」(雑誌・データ送信)
発行年:1907年(明治40)12月189号 出版者:日本弘道会
目次:雑録 名剣鶯丸
ページ数:35、36 コマ数:23、24

『刀剣談』
著者:高瀬真卿(高瀬羽皐、羽皐隠史) 発行年:1910年(明治43) 出版者:日報社
目次:第二門 御物 小烏丸 ページ数:21 コマ数:35
目次:第二門 御物 友成 ページ数:25、26 コマ数:37、38

『剣話録 下』
著者:剣話会 編(今村長賀) 発行年:1912年(明治45) 出版者:昭文堂
目次:八 古備前物作々の区別
ページ数:53 コマ数:32

『寛政重脩諸家譜 第1輯』
発行年:1922年(大正11) 出版者:国民図書
目次:巻第百九十五 清和源氏 義光流 小笠原 政康 ページ数:1148 コマ数:584
目次:巻第百九十五 清和源氏 義光流 小笠原 信胤 ページ数:1151 コマ数:585

『九段刀剣談叢 第1輯』
著者:中央刀剣会本部 編 発行年:1926年(大正15) 出版者:中央刀剣会本部
目次:四 山陽道の刀工
ページ数:46、47 コマ数:28

『刀剣談 再版』(データ送信)
著者:羽皐隠史 著, 高瀬魁介 訂 発行年:1927年(昭和2) 出版者:嵩山房
目次:第二 御物 小烏丸 ページ数:22 コマ数:23
目次:第二 御物 友成 ページ数:26 コマ数:25

『伯爵田中青山』(データ送信)
著者:田中伯伝記刊行会 編 発行年:1929年(昭和4) 出版者:田中伯伝記刊行会
目次:活きたる日本の國寳 中村作次郞 ページ数:540、541 コマ数:297
目次:第二十八章 光榮ある祝賀會 ページ数:954、955 コマ数:504
目次:第二十九章 真珠荘の座談 ページ数:1000、1001 コマ数:527

『春城漫筆』(データ送信)
著者:市島謙吉 発行年:1929年(昭和4) 出版者:早稲田大学出版部
目次:名刀の如き田中伯
ページ数:20、21 コマ数:23

『続史籍集覧 第6冊』
著者:近藤瓶城 編 発行年:1930年(昭和5) 出版者:近藤出版部
目次:第十一
ページ数:126 コマ数:66

『勝山藩古事記』(データ送信)
著者:安田仁一郎 著 発行年:1931年(昭和6) 出版者:勝山藩古事記協賛会
目次:第四章 寳刀鶯丸の由來
ページ数:19、20 コマ数:59、60

『日本刀講座 第8巻 (歴史及説話・実用及鑑賞)』(データ送信)
著者:雄山閣 編 発行年:1934年(昭和9) 出版者:雄山閣
目次:(歷史及說話三)本朝名刀傳
ページ数:38 コマ数:256

『伊那史概要』(データ送信)
著者:市村咸人 発行年:1935年(昭和10) 出版者:信濃郷土出版社
目次:結城の戦
ページ数:173、174 コマ数:104、105

『日本刀講座 第9巻』(データ送信)
著者:雄山閣 編 発行年:1935年(昭和10) 出版者:雄山閣
目次:名士と刀劍
ページ数:188 コマ数:254
ページ数:362 コマ数:341
ページ数:364 コマ数:342

『日本刀講座 第11巻 (雑)』(データ送信)
著者:雄山閣 編 発行年:1935年(昭和10) 出版者:雄山閣
目次:第九章 作風と作刀吟味
ページ数:33 コマ数:24

『刀剣刀装鑑定辞典』(データ送信)
著者:清水孝教 発行年:1936年(昭和11) 出版者:太陽堂
目次:ウグヒスマル・トモナリ【鶯丸友成】
ページ数:515 コマ数:268

「発明 36(4))」(雑誌・データ送信)
発行年:1939年4月(昭和14) 出版者:発明推進協会
目次:日本刀を語る / 本阿弥光遜
ページ数:31 コマ数:25

『憂国遺言』(データ送信)
著者:田中光顕 著, 田中直樹 編 発行年:1940年(昭和15) 出版者:鱒書房
目次:憂國遺言
ページ数:148、149 コマ数:86

『日本刀私談』(データ送信)
著者:原田道寛 発行年:1940年(昭和15) 出版者:春秋社
目次:帝室の御劍
ページ数:326 コマ数:176

『大日本刀剣史 下巻』(データ送信)
著者:原田道寛 発行年:1941年(昭和16) 出版者:春秋社
目次:明治天皇の御愛刀と神宮の神寶
ページ数:567、568 コマ数:294

『刀剣鑑定秘話 2版』
著者:本阿弥光遜 発行年:1942年(昭和17) 出版者:金竜堂
目次:刀劍の相場ピンカラキリまである
ページ数:206 コマ数:109

『日本刀大観 下巻』
著者:本阿弥光遜 発行年:1942年(昭和17) 出版者:日本刀研究会
目次:第三章 各國刀匠の略歴と其の掟と特徴 第一 古刀の部
ページ数:612 コマ数:181

『名刀集美』(データ送信)
著者:本間順治 編 発行年:1948年(昭和23) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:解説
コマ数:188、189

『人間明治天皇』(データ送信)
著者:栗原広太 発行年:1953年(昭和28) 出版者:駿河台書房
目次:十、御趣味と娛楽
ページ数:90 コマ数:64

『信濃史料 第8巻 (正長元年三月-応仁元年是歳)』(データ送信)
著者:信濃史料刊行会 編 発行年:1957年(昭和32) 出版者:信濃史料刊行会
目次:後花園天皇
ページ数:152 コマ数:105

『銘刀押形 : 御物東博』(データ送信)
著者:佐藤貫一、沼田鎌次 編  発行年:1958年(昭和33) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:八八 御物 太刀 銘 備前国友成 名物 鶯丸
ページ数:96、97 コマ数:106、107

『日本の刀剣 (日本歴史新書) 』(データ送信)
著者:佐藤貫一(佐藤寒山) 発行年:1961年(昭和36) 出版者:至文堂
目次:3 古備前派の諸工
ページ数:119 コマ数:71

「刀剣と歴史 (417)」(雑誌・データ送信)
発行年:1964年(昭和39) 出版者:日本刀剣保存会
目次:研師の回顧 / 吉川恒太郎
ページ数:35 コマ数:20

「刀剣と歴史 (423)」(雑誌・データ送信)
発行年:1965年1月(昭和40) 出版者:日本刀剣保存会
目次:口絵 鶯丸友成の太刀
ページ数:1 コマ数:5

『国宝日本刀特別展目録:刀剣博物館開館記念』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:御物 太刀 銘 備前国友成(名物鶯丸) 宮内庁蔵
コマ数:12、13

『日本刀講座 第9巻 新版』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:雄山閣出版
目次:古備前 作風
ページ数:149 コマ数:147

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:うぐいすまる【鶯丸】
ページ数:1巻P129、130

「刀剣と歴史 (605)」(雑誌・データ送信)
発行年:1995年5月(平成7) 出版者:日本刀剣保存会
目次:珍刀傑作の紹介 / 吉川皎園
ページ数:2 コマ数:6

「刀剣と歴史 (618)」(雑誌・データ送信)
発行年:1997年7月(平成9) 出版者:日本刀剣保存会
目次:明治の刀界(その2) / 佐藤幸彦
ページ数:21 コマ数:15

『日本刀 日本の技と美と魂』(紙本)
著者:小笠原信夫 発行年:2007(平成19) 出版者:文芸春秋(文春新書)
目次:第三章 刀鍛冶の名前 古備前友成
ページ数:63、64

概説書

『日本刀図鑑: 世界に誇る日本の名刀270振り』(紙本)
発行年:2015年(平成27) 出版者:宝島社
目次:名物刀剣 鶯丸
ページ数:7

『図解日本刀 英姿颯爽日本刀の来歴』(紙本)
著者:東由士 編 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:名刀の物語を読む 鶯丸
ページ数:60、61

『刀剣目録』(紙本)
著者:小和田康経 発行年:2015年(平成27) 出版者:新紀元社
目次:≪第一章 平安時代≫ 備前国内 友成 鶯丸友成
ページ数:38

『物語で読む日本の刀剣150』(紙本)
著者:かゆみ歴史編集部(イースト新書) 発行年:2015年(平成27) 出版者:イースト・プレス
目次:第3章 太刀 鶯丸
ページ数:71

『刀剣物語』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:御物の刀
ページ数:202、203

『刀剣説話』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2020年(令和2) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
(『刀剣物語』発行年:2015年を加筆修正して新たに発行しなおしたもの)
目次:天皇家に伝わる御物 鶯丸
ページ数:76、77

『刀剣聖地めぐり』(紙本)
発行年:2016年(平成28) 出版者:一迅社
目次:鶯丸
ページ数:35