うんじ
概要
刀工の略伝
雲次は備前国鎌倉時代末期から南北朝時代初期にかけての刀工。
伝承上では刀工・雲生の兄弟とされるが、雲生・雲次共に同名の刀工がいる。
刀剣書では初代雲生の子を二代雲生と雲次の兄弟と解説するものも多い。
鵜飼派とは備前国宇甘(うかい)郷に鎌倉中期から南北朝時代にわたって居住した刀工の一派。
宇甘を鵜飼庄とも称したので「鵜飼物」、あるいはこの派の刀工ががみな「雲」の字を頭に冠していることから「雲類」とも称する。
鵜飼派こと雲類は備前物の本場である長船から数十キロメートル離れた山間僻地に居住し、同じ備前国に住みながら長船鍛冶とは住居地を異にし、伝法的にもまったく関係ないという。
その作柄は京都の山城伝系に属し、来派や青江派に似ているらしい。
正和(1312)から建武(1334)に至る間の年紀があり、七十余歳まで作品を作っていたとされる。
「雲次」「備前国住雲次」などと銘を切る。
「備前国住人雲次 正和二二年十月日」
「備前国住雲次 建武乙亥二年十一月」
と、年紀を切った作品は雲生・雲次の活動時期を知る貴重な資料となっている。
刀工雲生・雲次兄弟には『古今鍛冶備考』にこのような伝説がある。
兄の国友、弟の国吉、兄弟そろって元亨(1321)年中に上京し、後醍醐天皇の勅命により太刀を打つことになった。
それで天に向かって、叡慮にかなうような名剣を得せしめ給え、と祈っていたところ、ある夜、浮雲を模して刃文を焼いた夢を見た。
兄弟揃って同じ夢を見た。これは天のお告げだ、というので、夢にみたとおりの土取りをして刃文を焼いたところ、比類のない出来栄えだった。
それを献上して、霊夢の話を申し上げたところ、天皇も感じ入って、以後、国友は雲生、国吉は雲次と改名するよう、との御沙汰があった
しかし、そもそも『古今鍛冶備考』は幕末に試刀家の山田浅右衛門吉睦によって刊行された書であり、それ以前の古剣書にこの伝説はないらしい。
『日本刀大百科事典』では、こういう趣旨の伝説は、同書以前の古剣書に見当たらない上、雲生銘の刀は、後醍醐天皇即位以前からあるので、この伝説は信じがたい、としている。
また、『日本刀講座 第9巻 新版』によると、雲生・雲次兄弟が国友・国吉と切った銘はないらしい。
ただし、雲生・雲次兄弟の作品には菊花紋章を切ったものがあり、後醍醐天皇のお抱え鍛冶であったことは否定されていない。
作柄も山城伝(京都)系だという。
雲次の名作には上記の年紀銘を切ったものの他にも、島津忠重公爵が先祖七百年祭りにあたって奉納したもので、寄進状がついている鶴嶺神社所有の太刀や、3代将軍・徳川家光が久能山東照宮に参詣した際に奉納した、現在も久能山東照宮所有の太刀など様々なものがある。
雲類・備前鵜飼派とは
雲類(鵜飼派)とは
備前国宇甘(うかい)郷に鎌倉中期から南北朝時代にわたって居住した刀工の一派。
このあたりを鵜飼庄とも称したので「鵜飼物」、あるいはこの派の刀工ががみな「雲」の字を頭に冠していることから「雲類」とも称する。
同じ備前鍛冶だが長船鍛冶とは居住も伝法も別
雲類は備前物の本場である長船から数十キロメートル離れた山間僻地に居住し、同じ備前国に住みながら長船鍛冶とは住居地を異にし、伝法的にもまったく関係ないという。
作柄は京都の山城伝系に属し、来派や青江派に似る
京都でも作刀している関係上、来系と見える作柄だが、来物が沸本位であるのに対し、雲類は匂本位などの違いがある。
地鉄は長船物とは異なり青黒く澄み、総体に青江地肌によく似ているが、青江物のような澄肌ではなく、鍛も青江物ほど詰んでいない小板目鍛えで、柾目肌が鎬寄りに必ずわずかながらでも交わり、備前伝の鍛え方ではないことを示している。
他にも刃本や映りなど長船派との違いがある。
……正直作柄に関しての説明は研究書を直接読んでそれぞれの特徴を比べてみてほしい。
『日本刀の歴史 古刀編』(紙本)
著者:常石英明 発行年:2016年(平成28) 出版者:金園社
目次:第2部 全国刀工の系統と特徴 備前国(岡山県) 雲類
ページ数:351~353
雲生(備前鵜飼派の祖)の弟
兄(もしくは父)は刀工・雲生
古剣書や古い研究書では雲生・雲次兄弟の父親として雲上と言う名前も見えるが、鵜飼派の祖として説明されるのは雲生である。
『日本刀大観 下巻』によると、雲上については雲生の生の字が朽ちこんだので「上」の字に誤読したという説があるらしい。
雲生、雲次と言う名を持つ刀工は数代存在する。
雲生・雲次の兄弟として扱われることもあるが、雲生の息子が雲次とされることもある。
(初代雲生の息子が二代目雲生と雲次の二人であるとされる)
『日本刀随感 古刀編』(データ送信)
著者:片岡銀作 発行年:1982年(昭和58) 出版者:片岡銀作
目次:九、宇甘(鵜飼)派
ページ数:119、120 コマ数:75、76
『日本刀鑑定法 上』(データ送信)
著者:本阿弥光博 発行年:1973年(昭和48) 出版者:雄山閣出版
目次:薩摩国(鹿児島県)
ページ数:323、324 コマ数:184、185
年代に関して(正和(1312)から建武(1334)頃の刀工)
『日本刀大百科事典』によれば、
雲次には正和(1312)から建武(1334)に至る間の年紀がある。
雲次は長命とみえ、七十余歳まで作品を造っていたとされる。
出典は『往昔抄』となっているがこの本は国立国会図書館デジタルコレクションにはない。
『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5) 出版者:雄山閣
目次:うんじ【雲生】
ページ数:1巻P160、161
出身地に関して
『日本刀大百科事典』によれば、
備前と備中との国境にある剣嶽の出身という説があるらしい。
出典は『文明十六年銘盡』となっているがこの本は国立国会図書館デジタルコレクションにはない。
銘文例
「雲次」
「備前国住雲次」
「備前国住人雲次 正和二二年十月日」
「備前国住雲次 建武乙亥二年十一月」
現存する作品の銘文をそのまま参考とする。
『日本刀大百科事典』によると、
雲次には二代あって、初代の銘は「備前国」の国のなかが、“玉”の字になる(『新刊秘伝抄』)
また「雲」の字の第一画は、初代は横、二代は縦に打つ、という(『空中斎秘伝書』)
「雲」の雨冠のなかの点は、初代は一つ、二代は二つずつあるともいう(『正銘写物目録』)
作風
作柄は雲生よりシッカリしていて、反りが非常に深くこの時代としては珍しく先反り気味が必ずあり(一般に先反りのある作は応永以降)、時に猪首切先風の豪壮さを示すものも見られる。
雲生との相違点は姿にも現れている。
雲生は焼きが弱く、匂口がボケるのに対し、雲次は焼きが強く、小沸が付き、小乱に逆足が入り、また所々に二重刃状を呈し、焼崩れて乱に雪雲が掛かった状況も見られ、総体に雲生より華やか。
地肌は雲生よりずっとよく締り、むしろ剛く感じられ、時に地映りも見られる。
鋩子は軽く乱込んで大丸風に浅く反り、三作鋩子風にも見える。
同銘が続いたことから比較的に多く現存し、時には長巻、短刀などもある。
『日本刀の歴史 古刀編』(紙本)
著者:常石英明 発行年:2016年(平成28) 出版者:金園社
目次:第2部 全国刀工の系統と特徴 備前国(岡山県) 雲類
ページ数:351~353
山心の見付き、または山心近き事、という口伝がある(『如手引集』房興本)。
山城物の作風に似ている、という意味である。
逆足の州というのは、乱に逆心があって、刃の中に染みのあること(『花実明徳聞書集』)。
かんの刃とは、鋩子が横手のうち半分から、三つ頭のすこし下まで、刃の細くなっていることをいう(『空中斎秘伝書』)。
『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5) 出版者:雄山閣
目次:うんじ【雲生】
ページ数:1巻P160、161
刀工の逸話
初め国吉といい、後醍醐天皇より雲次の名を授けられた、という伝説が『古今鍛冶備考』にある。
浮雲の刃文の夢の逸話(ただし創作らしい)
『古今鍛冶備考』に、
兄の国友、弟の国吉、兄弟そろって元亨(1321)年中に上京し、後醍醐天皇の勅命により太刀を打つことになった。
それで天に向かって、叡慮にかなうような名剣を得せしめ給え、と祈っていたところ、ある夜、浮雲を模して刃文を焼いた夢を見た。
兄弟揃って同じ夢を見た。これは天のお告げだ、というので、夢にみたとおりの土取りをして刃文を焼いたところ、比類のない出来栄えだった。
それを献上して、霊夢の話を申し上げたところ、天皇も感じ入って、以後、国友は雲生、国吉は雲次と改名するよう、との御沙汰があった、と言う伝説がある。
『古今鍛冶備考』は国立国会図書館デジタルコレクションにはないが、国文学研究資料館が画像を公開してくれている。
『古今鍛冶備考』3巻の18コマに上記の逸話が記載されていた。
『日本刀大百科事典』では、
しかし、こういう趣旨の伝説は、同書以前の古剣書に見当たらない上、雲生銘の刀は、後醍醐天皇即位以前からあるので、この伝説は信じがたい。
と、している。さらに、
これは「平安城雲生」と切った銘に、ヒントをえた創作であろう。
その平安城銘には、「貞治元年二月日」の裏銘がある。
ところが、貞治(1362)の改元は9月23日であるから、貞治元年に「二月日」という刀銘はないはずである。偽物というほかない。
とのことである。「貞治元年二月日 平安城雲生」の銘は『光山押形』に載っている。
『光山押形 乾』
著者:刀剣会本部 編 発行年:1917~1918年(大正6~7)出版者:刀剣会本部
コマ数:170
『日本刀大観 下巻』によると、現実的な見方をすれば「雲」の名の起こりはこの一派が本国出雲だからだという説もあるらしい。
『日本刀大観 下巻』
著者:本阿弥光遜 発行年:1942年(昭和17) 出版者:日本刀研究会
目次:第三章 各國刀匠の略歴と其の掟と特徴 第一 古刀の部 鵜飼系
ページ数:661~604 コマ数:206、207
『古刀銘集録 (日本刀古書複刻叢書 ; 3) 』(データ送信)
著者:田中清房 著, 富田亀邱 編 発行年:1944年(昭和19) 出版者:博省堂
目次:ウ
ページ数:55 コマ数:36
『日本刀講座 第9巻 新版』によると、雲生・雲次兄弟が国友・国吉と切った銘はないらしい。
『日本刀講座 第9巻 新版』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:雄山閣出版
目次:雲類 概説および系図 作風
ページ数:303~313 コマ数:224~229
後醍醐天皇のお抱え鍛冶として活躍
上の逸話は創作で、兄弟が国友・国吉と切った刀もないらしいが、刀工雲生・雲次兄弟が後醍醐天皇のお抱え鍛冶として活躍したことは、菊花紋章のある太刀からある程度信用されている。
『日本刀の歴史 古刀編』(紙本)
著者:常石英明 発行年:2016年(平成28) 出版者:金園社
目次:第2部 全国刀工の系統と特徴 備前国(岡山県) 雲類
ページ数:351~353
『日本古刀史 改訂増補版』(データ送信)
著者:本間順治 著 発行年:1963年(昭和38) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:三、 鎌倉時代
ページ数:41 コマ数:56
著名作
「太刀 銘 備前国住人雲次 正和二二年十月日」(1954年(昭和29)3月20日、重要文化財指定)
生ぶ茎で正和四年の年紀があり、雲生・雲次の年代決定にとって貴重な資料。
「刀剣博物館」によると伊達政宗遺愛の品。
昭和15年(1940)9月27日、重要美術品認定。伊達廉夫男爵名義(亘理伊達家)。
「太刀 銘備前国住人雲次 正和四年十月日」
昭和29年(1954)3月20日、重要文化財指定。
「太刀 銘 備前国住人雲次 正和二二年十月日」
現在の所有者は公益財団法人日本美術刀剣保存協会。
保管施設は「刀剣博物館」。
『日本刀分類目録』(データ送信)
著者:郷六貞治 編 発行年:1944年(昭和19) 出版者:春陽堂
目次:目録 備前の部 鵜飼派
ページ数:97 コマ数:66
『官報 1940年09月27日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1940年(昭和15) 出版者:日本マイクロ写真
目次:文部省告示第五百五十八号 昭和十五年九月二十七日
ページ数:904 コマ数:5
『新指定重要文化財 : 解説版 6 (工芸品 3)』(データ送信)
著者:「重要文化財」編纂委員会 編 発行年:1982年(昭和58) 出版者:毎日新聞社
目次:古刀(備前国)
ページ数:205 コマ数:106
「太刀 銘 備前国住雲次 建武乙亥二年十一月」(1953年(昭和28)11月14日、重要文化財指定)
建武の年紀は雲次の活躍時期を知るための貴重な資料。
昭和28年(1953)11月14日、重要文化財指定。
現在の所有者は独立行政法人国立文化財機構。
保管施設は「京都国立博物館」。
『新指定重要文化財 : 解説版 6 (工芸品 3)』(データ送信)
著者:「重要文化財」編纂委員会 編 発行年:1982年(昭和58) 出版者:毎日新聞社
目次:古刀(備前国)
ページ数:206 コマ数:107
『日本刀全集 第3巻』(データ送信)
発行年:1967年(昭和42) 出版者:徳間書店
目次:古刀(山陽道・南海道・山陰道・北陸道)加島進 宇甘派
ページ数:209 コマ数:108
「太刀 銘備前国住雲次」(1950年(昭和25)8月29日、重要文化財指定)
昭和2年6月、島津忠重公爵が先祖七百年祭りにあたって奉納したもので、寄進状がついている。
昭和2年(1927)7月21日、国宝(旧国宝)指定。
「太刀 銘備前国住雲次 附島津忠重寄進状 一通」
昭和25年(1950)8月29日、重要文化財指定。
「太刀 銘備前国住雲次」
現在の所有者も鹿児島県の「鶴嶺神社」。
『官報 1927年07月21日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1927年(昭和2) 出版者:日本マイクロ写真
目次:文部省告示第二百六十六号 昭和二年七月二十一日
ページ数:540 コマ数:2
「刀剣と歴史 (212)」(雑誌・データ送信)
発行年:1928年8月(昭和3) 出版者:日本刀剣保存会
目次:國寳刀の略説(續) / 小林生
ページ数:8 コマ数:10
『国宝・重要文化財総合目録 美術工芸品編』(データ送信)
著者:文化庁 編 発行年:1980年(昭和55) 出版者:第一法規出版
目次:鹿児島県
ページ数:1128 コマ数:572
「太刀 銘備前国住雲次」(1956年(昭和31)6月28日、重要文化財指定)
一派の作の中では身幅もあり、堂々とした姿のもの。
保存のよいもの。
昭和31年(1956)6月28日、重要文化財指定。
『新指定重要文化財 : 解説版 6 (工芸品 3)』(データ送信)
著者:「重要文化財」編纂委員会 編 発行年:1982年(昭和58) 出版者:毎日新聞社
目次:古刀(備前国)
ページ数:206 コマ数:107
当時の所有者から考えて『名刀集美』のこの刀が未指定から重要文化財指定されたものと思う。
『名刀集美』(データ送信)
著者:本間順治 編 発行年:1948年(昭和23) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:解説
コマ数:202
「太刀 銘雲次」(1950年(昭和25)8月29日、重要文化財指定)
3代将軍・徳川家光が寛永11年(1634)6月に久能山東照宮に参詣した際に奉納した太刀。
大正元年(1912)9月3日、国宝(旧国宝)指定。久能山東照宮名義。
「太刀 銘雲次 拵絲巻太刀 徳川家光寄進」
昭和25年(1950)8月29日、重要文化財指定。
現在の所有者も「久能山東照宮」。
『官報 1912年09月03日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1912年(大正1) 出版者:日本マイクロ写真
目次:内務省告示第九号 大正元年9月3日
ページ数:26 コマ数:2
『久能山東照宮伝世の文化財 刀剣編』(データ送信)
発行年:1994年(平成6) 出版者:久能山東照宮博物館
目次:久能山東照宮傳世の刀剣作品解説
ページ数:156 コマ数:164
「太刀 銘雲次」(1950年(昭和25)8月29日、重要文化財指定)
昭和25年(1950)8月29日、重要文化財指定。
現在は個人蔵。
参照:「国指定文化財等データベース」
「刀 無銘伝雲次」(1927年(昭和2)4月25日、重要文化財指定)
昭和2年4月25日、国宝(旧国宝)指定。厳島神社名義。
「刀 無銘(傳雲次作)佐世石見守元嘉寄進 拵唐革柄蝋色鞘打刀」
現在の所有者も「厳島神社」。
『日本刀分類目録』(データ送信)
著者:郷六貞治 編 発行年:1944年(昭和19) 出版者:春陽堂
目次:目録 備前の部 鵜飼派
ページ数:98 コマ数:66
『官報 1927年04月25日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1927年(昭和2) 出版者:日本マイクロ写真
目次:文部省告示第二百十七号 昭和二年四月二十五日
ページ数:660 コマ数:2
その他の名作
上は現在重要文化財指定されているものを中心に挙げたが、それ以外にも様々な名作があるようだ。
下記の本では少なくとも昭和19年までに指定されている名刀のリストが見れる。
『日本刀分類目録』(データ送信)
著者:郷六貞治 編 発行年:1944年(昭和19) 出版者:春陽堂
目次:目録 備前の部 鵜飼派
ページ数:96、97 コマ数:65、66
陽明文庫所有のもの「太刀 銘 備前国住雲次」、
尾張徳川黎明会所有のもの「太刀 銘 備前国住雲次」(現在も重要美術品として徳川美術館蔵)
武田信虎の所持名がある刀、「刀(傳雲次) 天文三年武田信虎ノ所持銘アリ」
三井高公男爵所有のもの「刀 無銘(傳雲次)」などなど。
調査所感
◎ 研究書の短い記述を何冊も読み比べるのがヨシ
雲生を単独で調べた時にはピンと来なかった部分も今回改めて雲次を調べたら全体的に大体こういうことを言われているんだな、となんとなくわかってきたような。比較って大事ですね。
雲生・雲次は作柄もよく似ているため、作風解説にいちいち相手との比較が入るそうです。
刀工そのものの特徴をつかむには、どれか一冊の本を読むと言うより、読める本を何冊も読んで記述を比較してみるといいと思います。
◎ 名作多し、ただ現在の状況がよくわからないものも
雲生と同じく号のある刀はなさそう。
しかし重要文化財や重要美術品は多く、全部調べてはいられないので上の記述は「国指定重要文化財等データベース」に情報があるものを中心としています。
重要美術品の武田信虎所持銘のある太刀とか面白そうなんですけれど、現在の状況がわかりませんでした。
参考サイト
「文化遺産オンライン」
「国指定文化財等データベース」
「刀剣博物館」
「国文学研究資料館」 国書データベース 『古今鍛冶備考』
参考文献
『剣話録 下』
著者:剣話会 編(今村長賀) 発行年:1912年(明治45) 出版者:昭文堂
目次:二七 本阿弥光山の押形
ページ数:81~83 コマ数:48、49
『光山押形 乾』
著者:刀剣会本部 編 発行年:1917~1918年(大正6~7)出版者:刀剣会本部
コマ数:170
『日本刀研究便覧』(データ送信)
著者:内田疎天 発行年:1934年(昭和9) 出版者:岡本偉業館
目次:刀工と其作品―附價格 古刀の部
ページ数:418 コマ数:249
『大日本刀剣新考 訂』(データ送信)
著者:内田疎天 発行年:1934年(昭和9) 出版者:岡本偉業館
目次:第三章 古刀略志(第六) 山陽道 鵜飼一派
ページ数:618~622 コマ数:698~702
『日本刀講座 第11巻 (雑)』(データ送信)
著者:雄山閣 編 発行年:1935年(昭和10) 出版者:雄山閣
目次:第九章 作風と作刀吟味 鵜飼一派
ページ数:47 コマ数:31
『日本刀工辞典 古刀篇』
著者:藤代義雄 発行年:1938年(昭和13) 出版者:藤代義雄
目次:〔う〕 雲
ページ数:184、185 コマ数:100
『日本刀研究の手引』(データ送信)
著者:神津伯 発行年:1940年(昭和15) 出版者:雄山閣
目次:鵜飼系 〇雲生・雲次
ページ数:219、220 コマ数:116、117
『日本刀大観 上巻』
著者:本阿弥光遜 発行年:1942年(昭和17) 出版者:日本刀研究会
目次:第七 全國刀匠傳系一覽表
ページ数:264 コマ数:141
『日本刀大観 下巻』
著者:本阿弥光遜 発行年:1942年(昭和17) 出版者:日本刀研究会
目次:第三章 各國刀匠の略歴と其の掟と特徴 第一 古刀の部 鵜飼系
ページ数:661~664 コマ数:205~207
『刀工概覧』
著者:刀剣工芸社 編 発行年:1943年(昭和18) 出版者:刀剣工芸社
目次:三輪吉昌拓植宗理同校 古今鍛冶備考見出
ページ数:59 コマ数:37
『古刀銘集録 (日本刀古書複刻叢書 ; 3) 』(データ送信)
著者:田中清房 著, 富田亀邱 編 発行年:1944年(昭和19) 出版者:博省堂
目次:ウ
ページ数:147、163 コマ数:82、90
『日本刀分類目録』(データ送信)
著者:郷六貞治 編 発行年:1944年(昭和19) 出版者:春陽堂
目次:目録 備前の部 鵜飼派
ページ数:96、97 コマ数:65、66
『日本古刀史 改訂増補版』(データ送信)
著者:本間順治 著 発行年:1963年(昭和38) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:三、 鎌倉時代
ページ数:96~98 コマ数:84、85
『日本刀全集 第3巻』(データ送信)
発行年:1967年(昭和42) 出版者:徳間書店
目次:古刀(山陽道・南海道・山陰道・北陸道)加島進 宇甘派
ページ数:206~209 コマ数:107、108
『日本刀講座 第9巻 新版』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:雄山閣出版
目次:雲類 概説および系図 作風
ページ数:303~313 コマ数:224~229
『日本刀鑑定法 上』(データ送信)
著者:本阿弥光博 発行年:1973年(昭和48) 出版者:雄山閣出版
目次:薩摩国(鹿児島県)
ページ数:323、324 コマ数:184、185
『日本刀随感 古刀編』(データ送信)
著者:片岡銀作 発行年:1982年(昭和58) 出版者:片岡銀作
目次:九、宇甘(鵜飼)派
ページ数:119、120 コマ数:75、76
『新指定重要文化財 : 解説版 6 (工芸品 3)』(データ送信)
著者:「重要文化財」編纂委員会 編 発行年:1982年(昭和58) 出版者:毎日新聞社
目次:古刀(備前国)
ページ数:205、206 コマ数:106、107
『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5) 出版者:雄山閣
目次:うんじ【雲次】 ページ数:1巻P160、161
目次:うんしょう【雲生】 ページ数:1巻P161
『日本刀の歴史 古刀編』(紙本)
著者:常石英明 発行年:2016年(平成28) 出版者:金園社
目次:第2部 全国刀工の系統と特徴 備前国(岡山県) 雲類
ページ数:351~353