うんしょう
概要
刀工の略伝
雲生は備前国鎌倉時代末期の刀工。
備前鵜飼派の祖。
刀工・雲次の兄。
鵜飼派とは備前国宇甘(うかい)郷に鎌倉中期から南北朝時代にわたって居住した刀工の一派。
宇甘を鵜飼庄とも称したので「鵜飼物」、あるいはこの派の刀工ががみな「雲」の字を頭に冠していることから「雲類」とも称する。
鵜飼派こと雲類は備前物の本場である長船から数十キロメートル離れた山間僻地に居住し、同じ備前国に住みながら長船鍛冶とは住居地を異にし、伝法的にもまったく関係ないという。
その作柄は京都の山城伝系に属し、来派や青江派に似ているらしい。
刀工・雲生自身の作品に年紀銘はほぼないが、弟の雲次の方の年紀銘から大体の活動年代が推測されているという。
刀剣の研究書では永仁(1293~1299)乾元(1302~1303)嘉元(1303~1306)頃の時代の人とされている。
だいたい1300年代の頭頃(鎌倉時代末期)の人と見られているようである。
「雲生」「備前国住雲生」などと銘を切る。
重要文化財の太刀に「備前国宇甘郷雲生 八幡大菩薩」という雲生の所在を示す貴重な銘文を切ったものが存在する。
刀工雲生・雲次兄弟には『古今鍛冶備考』にこのような伝説がある。
兄の国友、弟の国吉、兄弟そろって元亨(1321)年中に上京し、後醍醐天皇の勅命により太刀を打つことになった。
それで天に向かって、叡慮にかなうような名剣を得せしめ給え、と祈っていたところ、ある夜、浮雲を模して刃文を焼いた夢を見た。
兄弟揃って同じ夢を見た。これは天のお告げだ、というので、夢にみたとおりの土取りをして刃文を焼いたところ、比類のない出来栄えだった。
それを献上して、霊夢の話を申し上げたところ、天皇も感じ入って、以後、国友は雲生、国吉は雲次と改名するよう、との御沙汰があった
しかし、そもそも『古今鍛冶備考』は幕末に試刀家の山田浅右衛門吉睦によって刊行された書であり、それ以前の古剣書にこの伝説はないらしい。
『日本刀大百科事典』では、こういう趣旨の伝説は、同書以前の古剣書に見当たらない上、雲生銘の刀は、後醍醐天皇即位以前からあるので、この伝説は信じがたい、としている。
また、『日本刀講座 第9巻 新版』によると、雲生・雲次兄弟が国友・国吉と切った銘はないらしい。
ただし、雲生・雲次兄弟の作品には菊花紋章を切ったものがあり、後醍醐天皇のお抱え鍛冶であったことは否定されていない。
作柄も山城伝(京都)系だという。
『日本刀の歴史 古刀編』などでは、『古刀銘尽大全』によると、後年非常に技量が優れて来たので、野鍛冶に妬まれ殺されたという記述を紹介している。
ただし古剣書のこのような記述はだいたい詳細不明で信憑性はもともと薄い。
雲生の名作には、上杉謙信の遺愛刀である菊花紋を切った太刀や、重要文化財に指定されている宮城県の塩竃神社伝来の太刀、越後村上藩主内藤家伝来で現在は名古屋市博物館が所蔵している太刀、 公家の名門・近衞家伝来の太刀などが存在する。
雲類・備前鵜飼派とは
雲類(鵜飼派)とは
備前国宇甘(うかい)郷に鎌倉中期から南北朝時代にわたって居住した刀工の一派。
このあたりを鵜飼庄とも称したので「鵜飼物」、あるいはこの派の刀工ががみな「雲」の字を頭に冠していることから「雲類」とも称する。
同じ備前鍛冶だが長船鍛冶とは居住も伝法も別
雲類は備前物の本場である長船から数十キロメートル離れた山間僻地に居住し、同じ備前国に住みながら長船鍛冶とは住居地を異にし、伝法的にもまったく関係ないという。
作柄は京都の山城伝系に属し、来派や青江派に似る
京都でも作刀している関係上、来系と見える作柄だが、来物が沸本位であるのに対し、雲類は匂本位などの違いがある。
地鉄は長船物とは異なり青黒く澄み、総体に青江地肌によく似ているが、青江物のような澄肌ではなく、鍛も青江物ほど詰んでいない小板目鍛えで、柾目肌が鎬寄りに必ずわずかながらでも交わり、備前伝の鍛え方ではないことを示している。
他にも刃本や映りなど長船派との違いがある。
……正直作柄に関しての説明は研究書を直接読んでそれぞれの特徴を比べてみてほしい。
『日本刀の歴史 古刀編』(紙本)
著者:常石英明 発行年:2016年(平成28) 出版者:金園社
目次:第2部 全国刀工の系統と特徴 備前国(岡山県) 雲類
ページ数:351~353
備前鵜飼派の祖・雲生
弟は刀工・雲次
古剣書や古い研究書では雲生・雲次兄弟の父親として雲上と言う名前も見えるが、鵜飼派の祖として説明されるのは雲生である。
『日本刀大観 下巻』によると、父の雲上については雲生の生の字が朽ちこんだので「上」の字に誤読したという説があるらしい。
雲生、雲次と言う名を持つ刀工は数代存在する。
年代に関して(1303~1306年の嘉元年代頃の人とされる)
刀工・雲生自身の作品に年紀銘はほぼないが、弟の雲次の方の年紀銘から大体の活動年代が推測されているという。
刀剣の研究書では永仁(1293~1299)乾元(1302~1303)嘉元(1303~1306)頃の時代の人とされている。
だいたい1200年代の終わりから1300年代の頭頃の人と見られているようである。
『日本刀研究便覧』では「備前国宇甘郷住人雲生作六十五歳嘉元二年二月十五日」と切ったものがあるとしているが、詳細はわからない。
『日本刀大観 下巻』
著者:本阿弥光遜 発行年:1942年(昭和17) 出版者:日本刀研究会
目次:第三章 各國刀匠の略歴と其の掟と特徴 第一 古刀の部 鵜飼系
ページ数:661~604 コマ数:206、207
『日本刀研究の手引』(データ送信)
著者:神津伯 発行年:1940年(昭和15) 出版者:雄山閣
目次:鵜飼系 〇雲生・雲次
ページ数:219、220 コマ数:116、117
『日本刀工辞典 古刀篇』
著者:藤代義雄 発行年:1938年(昭和13) 出版者:藤代義雄
目次:〔う〕 雲
ページ数:186 コマ数:101
『日本刀研究便覧』(データ送信)
著者:内田疎天 発行年:1934年(昭和9) 出版者:岡本偉業館
目次:刀工と其作品―附價格 古刀の部
ページ数:418 コマ数:249
『日本刀大百科事典』によれば、
弟の雲次には正和(1312)から建武(1334)に至る間の年紀があるという。
雲次は長命とみえ、七十余歳まで作品を造っていたとされる。
銘文例
「雲生」「備前国住雲生」「備前国宇甘郷雲生」
『日本刀講座 第6巻 (刀剣鑑定・古刀)』(データ送信)
著者:雄山閣 編 発行年:1934年(昭和9) 出版者:雄山閣
目次:備前國 雲類
ページ数:74~78 コマ数:479~481
作風
立ち姿は雲次より優しい京反りで、先反り風のところはなく、刃文は匂本位の直刃仕立に小乱れの逆足が入り、やや沸え気味。
地肌は、小板目肌に鎬よりに柾目肌が現れ、総体に肌立ちごころがある。
一見すると古青江風の作柄。
『日本刀の歴史 古刀編』(紙本)
著者:常石英明 発行年:2016年(平成28) 出版者:金園社
目次:第2部 全国刀工の系統と特徴 備前国(岡山県) 雲類
ページ数:351~353
作風の特徴として、青了の心付きというのは、青江や了戒に似ていること、はやり心というのは、元の方は乱れていても、物打ちは直刃になることをいう。
『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5) 出版者:雄山閣
目次:うんしょう【雲生】
ページ数:1巻P161
刀工の逸話
初め国友といい、後醍醐天皇より雲生の名を授けられた、という伝説が『古今鍛冶備考』にある。
浮雲の刃文の夢の逸話(ただし創作らしい)
『古今鍛冶備考』に、
兄の国友、弟の国吉、兄弟そろって元亨(1321)年中に上京し、後醍醐天皇の勅命により太刀を打つことになった。
それで天に向かって、叡慮にかなうような名剣を得せしめ給え、と祈っていたところ、ある夜、浮雲を模して刃文を焼いた夢を見た。
兄弟揃って同じ夢を見た。これは天のお告げだ、というので、夢にみたとおりの土取りをして刃文を焼いたところ、比類のない出来栄えだった。
それを献上して、霊夢の話を申し上げたところ、天皇も感じ入って、以後、国友は雲生、国吉は雲次と改名するよう、との御沙汰があった、と言う伝説がある。
『古今鍛冶備考』は国立国会図書館デジタルコレクションにはないが、国文学研究資料館が画像を公開してくれている。
『古今鍛冶備考』3巻の18コマに上記の逸話が記載されていた。
『日本刀大百科事典』では、
しかし、こういう趣旨の伝説は、同書以前の古剣書に見当たらない上、雲生銘の刀は、後醍醐天皇即位以前からあるので、この伝説は信じがたい。
と、している。さらに、
これは「平安城雲生」と切った銘に、ヒントをえた創作であろう。
その平安城銘には、「貞治元年二月日」の裏銘がある。
ところが、貞治(1362)の改元は9月23日であるから、貞治元年に「二月日」という刀銘はないはずである。偽物というほかない。
とのことである。「貞治元年二月日 平安城雲生」の銘は『光山押形』に載っている。
『光山押形 乾』
著者:刀剣会本部 編 発行年:1917~1918年(大正6~7)出版者:刀剣会本部
コマ数:170
『日本刀大観 下巻』によると、現実的な見方をすれば「雲」の名の起こりはこの一派が本国出雲だからだという説もあるらしい。
『日本刀大観 下巻』
著者:本阿弥光遜 発行年:1942年(昭和17) 出版者:日本刀研究会
目次:第三章 各國刀匠の略歴と其の掟と特徴 第一 古刀の部 鵜飼系
ページ数:661~604 コマ数:206、207
『古刀銘集録 (日本刀古書複刻叢書 ; 3) 』(データ送信)
著者:田中清房 著, 富田亀邱 編 発行年:1944年(昭和19) 出版者:博省堂
目次:ウ
ページ数:55 コマ数:36
『日本刀講座 第9巻 新版』によると、雲生・雲次兄弟が国友・国吉と切った銘はないらしい。
『日本刀講座 第9巻 新版』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:雄山閣出版
目次:雲類 概説および系図 作風
ページ数:303~313 コマ数:224~229
後醍醐天皇のお抱え鍛冶として活躍
上の逸話は創作で、兄弟が国友・国吉と切った刀もないらしいが、刀工雲生・雲次兄弟が後醍醐天皇のお抱え鍛冶として活躍したことは、菊花紋章のある太刀からある程度信用されている。
『日本刀の歴史 古刀編』(紙本)
著者:常石英明 発行年:2016年(平成28) 出版者:金園社
目次:第2部 全国刀工の系統と特徴 備前国(岡山県) 雲類
ページ数:351~353
『日本古刀史 改訂増補版』(データ送信)
著者:本間順治 著 発行年:1963年(昭和38) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:三、 鎌倉時代
ページ数:41 コマ数:56
『古刀銘尽大全』では野鍛冶に妬まれ殺されたという
『日本刀の歴史 古刀編』などでは、『古刀銘尽大全』によると、後年非常に技量が優れて来たので、野鍛冶に妬まれ殺されたという記述を紹介している。
(しかしこの手の伝説は大概証拠がなく信用できるような記述というわけでもない)
ちなみに『古刀銘尽大全』は国立国会図書館デジタルコレクションにもあるが該当の記述が検索に引っかからなかった。
(実際に雲生の字が認識されず全文検索引っかからなかった部分があったので丁寧に読めば見つけられるかもしれない)
著名作
上杉謙信の遺愛品
上杉家伝来。菊花紋がある。
昭和12年(1937)12月24日、重要美術品認定。
「太刀 銘 雲生 附 打刀拵」
『日本刀の歴史 古刀編』(紙本)
著者:常石英明 発行年:2016年(平成28) 出版者:金園社
目次:第2部 全国刀工の系統と特徴 備前国(岡山県) 雲類
ページ数:351~353
『官報 1937年12月24日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1937年(昭和12) 出版者:日本マイクロ写真
目次:文部省告示第四百三十四号 昭和十二年十二月二十四日
ページ数:793 コマ数:5
『大日本古文書 家わけ 十二ノ三 上杉家文書之三』
著者:東京帝国大学文学部史料編纂所 編 発行年:1963年(昭和38) 出版者:東京帝国大学
目次:一〇四六 上杉景勝自筆腰物目録
ページ数:95 コマ数:72
「太刀 銘 雲生」(1950年(昭和25)8月29日、重要文化財指定)
宮城県の塩竃神社伝来、現在も所蔵。
『国宝刀剣図譜 古刀の部 備前2』によると、塩竃神社の禰宜・春日新太夫奉納。
観応元年(1350)に本社の境内争論のために上洛の際に佩用したという。
この太刀に関しては『集古十種』にも記載があるという。
1909年(明治42)9月21日、旧国宝に指定。
「太刀 銘 雲生 拵 黒漆太刀」
1950年(昭和25)8月29日、重要文化財指定。
「太刀 銘 雲生」
『国宝刀剣図譜 古刀の部 備前2』(データ送信)
著者:本間順治 編 発行年:1938年(昭和13) 出版者:岩波書店
目次:〔古刀の部〕 備前
コマ数:133、134
『宮城県の文化財』(データ送信)
発行年:1966年(昭和41) 出版者:宮城県教育委員会
目次:工芸
ページ数:51 コマ数:40
「太刀 銘 雲生」(1959年(昭和34)6月27日、重要文化財指定)
越後村上藩主内藤家伝来。
昭和8年(1933)10月31日、重要美術品認定。
昭和34年(1959)6月27日、重要文化財指定
現在は名古屋市博物館が所蔵。
『紀元二千六百年奉祝名宝日本刀展覧会出陳刀図譜』
著者:遊就館編 発行年:1940年(昭和15) 出版者:遊就館
目次:古刀の部 一一三 太刀 銘雲生(重要美術品) 東京 子爵 内藤信利
コマ数:210、211
『尾張の国宝・重要文化財 彫刻・工芸・考古』(データ送信)
著者:名古屋市博物館学芸課 編 発行年:1979年(昭和54) 出版者:名古屋市博物館
目次:太刀 銘 雲生 一口
ページ数:60 コマ数:35
「太刀 銘 備前国宇甘郷雲生 八幡大菩薩」(1952年(昭和27)3月29日、重要文化財指定)
昭和8年(1933)7月25日、重要美術品認定。
昭和27年(1952)3月29日、重要文化財指定。
財団法人陽明文庫蔵。
銘文は雲生の所在を知る好資料として貴重。
昭和8年に近衛文麿公爵名義で重要美術品認定されており、陽明文庫は近衛家伝襲の文化財の保管などをする施設及び財団法人である。
つまりずっと近衛家が所有している太刀ということになる。
『新指定重要文化財 : 解説版 6 (工芸品 3)』(データ送信)
著者:「重要文化財」編纂委員会 編 発行年:1982年(昭和58) 出版者:毎日新聞社
目次:古刀(備前国)
ページ数:203 コマ数:105
『官報 1933年07月25日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1933年(昭和8) 出版者:日本マイクロ写真
目次:文部省告示第二百七十四号 昭和八年七月二十五日
ページ数:655 コマ数:4
その他の名作
下記の本では少なくとも昭和19年までに指定されている名刀のリストが見れる。
『日本刀分類目録』(データ送信)
著者:郷六貞治 編 発行年:1944年(昭和19) 出版者:春陽堂
目次:目録 備前の部 鵜飼派
ページ数:96、97 コマ数:65
新指定重要文化財は下記の本で確認できる。
また、「国指定文化財等データベース」でも検索できる。
『新指定重要文化財 : 解説版 6 (工芸品 3)』(データ送信)
著者:「重要文化財」編纂委員会 編 発行年:1982年(昭和58) 出版者:毎日新聞社
目次:古刀(備前国)
ページ数:203~205 コマ数:105、106
調査所感
◎ 号のある刀はなさそう?
当方ついつい刀の号から探す癖がついていますが、雲生さんには号のある刀はなさそうな感じですかね。
ただ刀工・雲生に関する研究書の記述は明治辺りからある程度安定していると思いますし、名作も大正・昭和からずっと国宝・重要美術品として話題になっていたものがある程度現在も重要文化財指定されている感じです。
上の名作には挙げていませんが、刀剣書だと東京国立博物館所蔵の太刀もよく載っている印象です。
◎ 検索がちょっと面倒だけど探せばいっぱいいる雲生さん
デジコレで本を探すときに「雲生」だけで検索すると雲の発生に関する理系の資料がばーっと出てきてしまいます……。
NDC756(金工)で絞るとか、特定の刀だけを見たい場合は銘文の方で検索するとか(二字銘が多いからそれも難しいんだけど)、「鵜飼派」の一言を付け足すとか、ちょっと調べ方を工夫する必要があると思います。
◎ 内田疎天氏の宇甘訪問調査
雲生一派の故郷・宇甘を内田疎天氏が実査に訪れて調査した様子が載っていました。
『大日本刀剣新考 訂』(データ送信)
著者:内田疎天 発行年:1934年(昭和9) 出版者:岡本偉業館
目次:第三章 古刀略志(第六) 山陽道 鵜飼一派
ページ数:618~622 コマ数:698~702
参考サイト
「文化遺産オンライン」
「国指定文化財等データベース」
「国文学研究資料館」 国書データベース 『古今鍛冶備考』
参考文献
『光山押形 乾』
著者:刀剣会本部 編 発行年:1917~1918年(大正6~7)出版者:刀剣会本部
コマ数:170
『日本刀研究便覧』(データ送信)
著者:内田疎天 発行年:1934年(昭和9) 出版者:岡本偉業館
目次:刀工と其作品―附價格 古刀の部
ページ数:418 コマ数:249
『大日本刀剣新考 訂』(データ送信)
著者:内田疎天 発行年:1934年(昭和9) 出版者:岡本偉業館
目次:第三章 古刀略志(第六) 山陽道 鵜飼一派
ページ数:618~622 コマ数:698~702
『日本刀講座 第11巻 (雑)』(データ送信)
著者:雄山閣 編 発行年:1935年(昭和10) 出版者:雄山閣
目次:第九章 作風と作刀吟味 鵜飼一派
ページ数:47 コマ数:31
『官報 1937年12月24日』
著者:大蔵省印刷局 [編] 発行年:1937年(昭和12) 出版者:日本マイクロ写真
目次:文部省告示第四百三十四号 昭和十二年十二月二十四日
ページ数:793 コマ数:5
『日本刀工辞典 古刀篇』
著者:藤代義雄 発行年:1938年(昭和13) 出版者:藤代義雄
目次:〔う〕 雲
ページ数:186 コマ数:101
『国宝刀剣図譜 古刀の部 備前2』(データ送信)
著者:本間順治 編 発行年:1938年(昭和13) 出版者:岩波書店
目次:〔古刀の部〕 備前
コマ数:133、134
『紀元二千六百年奉祝名宝日本刀展覧会出陳刀図譜』
著者:遊就館編 発行年:1940年(昭和15) 出版者:遊就館
目次:古刀の部 一一三 太刀 銘雲生(重要美術品) 東京 子爵 内藤信利
コマ数:210、211
『日本刀研究の手引』(データ送信)
著者:神津伯 発行年:1940年(昭和15) 出版者:雄山閣
目次:鵜飼系 〇雲生・雲次
ページ数:219、220 コマ数:116、117
『日本刀大観 上巻』
著者:本阿弥光遜 発行年:1942年(昭和17) 出版者:日本刀研究会
目次:第七 全國刀匠傳系一覽表
ページ数:264 コマ数:141
『日本刀大観 下巻』
著者:本阿弥光遜 発行年:1942年(昭和17) 出版者:日本刀研究会
目次:第三章 各國刀匠の略歴と其の掟と特徴 第一 古刀の部 鵜飼系
ページ数:661~604 コマ数:206、207
『刀工概覧』
著者:刀剣工芸社 編 発行年:1943年(昭和18) 出版者:刀剣工芸社
目次:三輪吉昌拓植宗理同校 古今鍛冶備考見出
ページ数:59 コマ数:37
『古刀銘集録 (日本刀古書複刻叢書 ; 3) 』(データ送信)
著者:田中清房 著, 富田亀邱 編 発行年:1944年(昭和19) 出版者:博省堂
目次:ウ
ページ数:55 コマ数:36
『日本刀分類目録』(データ送信)
著者:郷六貞治 編 発行年:1944年(昭和19) 出版者:春陽堂
目次:目録 備前の部 鵜飼派
ページ数:96、97 コマ数:65
『日本古刀史 改訂増補版』(データ送信)
著者:本間順治 著 発行年:1963年(昭和38) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:三、 鎌倉時代
ページ数:41 コマ数:56
『宮城県の文化財』(データ送信)
発行年:1966年(昭和41) 出版者:宮城県教育委員会
目次:工芸
ページ数:51 コマ数:40
『日本刀全集 第3巻』(データ送信)
発行年:1967年(昭和42) 出版者:徳間書店
目次:古刀(山陽道・南海道・山陰道・北陸道)加島進 宇甘派
ページ数:206~209 コマ数:107、108
『日本刀講座 第9巻 新版』(データ送信)
発行年:1968年(昭和43) 出版者:雄山閣出版
目次:雲類 概説および系図 作風
ページ数:303~313 コマ数:224~229
『尾張の国宝・重要文化財 彫刻・工芸・考古』(データ送信)
著者:名古屋市博物館学芸課 編 発行年:1979年(昭和54) 出版者:名古屋市博物館
目次:太刀 銘 雲生 一口
ページ数:60 コマ数:35
『新指定重要文化財 : 解説版 6 (工芸品 3)』(データ送信)
著者:「重要文化財」編纂委員会 編 発行年:1982年(昭和58) 出版者:毎日新聞社
目次:古刀(備前国)
ページ数:203 コマ数:105
『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5) 出版者:雄山閣
目次:うんじ【雲次】 ページ数:1巻P160、161
目次:うんしょう【雲生】 ページ数:1巻P161
『日本刀の歴史 古刀編』(紙本)
著者:常石英明 発行年:2016年(平成28) 出版者:金園社
目次:第2部 全国刀工の系統と特徴 備前国(岡山県) 雲類
ページ数:351~353