浦島虎徹

うらしまこてつ

概要

「短刀 銘 長曽祢興里 万治三年十二月日 同作彫之(号浦島虎徹)」「浦島虎徹 脇指 銘「長曽祢興里 万治三年十二月日 同作彫之」」

江戸時代の刀工、長曽祢興里入道虎徹作。
浦島太郎と呼ばれる彫刻がある。

『長曽禰虎徹の研究』によると、因幡池田侯爵家伝来。

明治にはすでに個人蔵。
その後も何度か所有者が変更されたが、現在の情報はなし。

1971年(昭和46)12月6日、昭和名物の審査。昭和名物となる。

昭和名物の選定基準は刀工の傑作となるものを指定したとのことなので、浦島虎徹は虎徹の傑作の一振りとして選ばれたとみていいと思われる。

1660年(万治3)12月作刀

「長曽禰興里 万治三年十二月日 同作彫之」の銘文より。

彫物も刀工・長曽祢虎徹本人の手によるものである。

因州鳥取藩主・池田家伝来

『長曽禰虎徹の研究』によると、因幡池田侯爵家伝来。

明治時代にはすでに池田家を出て個人蔵

『長曽禰虎徹の研究』によると、明治34年時点で刀匠・日置兼次氏の所持。
『虎徹大鑑』(昭和30年)頃は笠置信氏蔵。

明治以降は所有者を転々としていたようである。

『長曽禰虎徹の研究 附圖』(データ送信)
著者:杉原祥造 著[他] 発行年:1926年(大正15) 出版者:杉原日本刀学研究所
目次:第九図 萬治三年冬 小脇差
コマ数:8

此押形は故大藪久雄氏の賜る所にして、同氏の談に曰く『明治三十四年一月廿日、東京市日本橋区本町島田利三郎邸にて刀剣会の節、刀匠日置兼次翁持参、重ね薄く反りあり、地鉄のよき事言語に絶せり、刃は濤欄、匂深く中程に大なる乱れあり、先にて直刃になる帽子如何にもよし、表の彫物は浦島が腰蓑を着け釣竿を肩にして岩の上に立てる図裏は蓮華の上に草の倶梨迦羅を彫る、手法共に佳』と、

『長曽祢虎徹の研究』著者の杉原祥造先生は、浦島虎徹の押形を大藪久雄氏から受け取ったという。
その大藪久雄氏自身も、刀匠日置兼次氏が浦島虎徹を1901年(明治34年)の刀剣会に持参したときに写させてもらったもののようだ。

(つまり杉原先生本人は浦島虎徹の刀そのものは見てないのか……?)

『虎徹大鑑』(データ送信)
発行年:1955年(昭和30) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:図譜 一、虎徹 一八 短刀 銘 長曽祢興里万治三年十二月日 同作彫之(号浦島虎徹)
ページ数:12 コマ数:147

1971年(昭和46)12月6日、昭和名物の審査

昭和46年(1971)12月6日、昭和名物の審査。

浦島虎徹 脇指 銘「長曽祢興里 万治三年十二月日 同作彫之」
(※「興」は奥の中を×にしたような字)

『昭和刀剣名物帳』(データ送信)
著者:村上孝介 発行年:1979年(昭和54) 出版者:雄山閣出版
目次:昭和刀剣名物帳 図録編
コマ数:18

「昭和名物」について

江戸時代の『享保名物帳』にならい、現代の名物をまとめたもの。

『昭和刀剣名物帳』の序文、福永酔剣氏による「『昭和名物帳』の出版まで」に経緯や詳細が説明されている。

『享保名物帳』はことごとく天下の名刀であるが、『昭和名物帳』では選定の基準を変えることにしたという。
『享保名物帳』式の選定はすでに文部省が“国宝”の名において施行しているので、『昭和名物帳』では、趣をかえて各刀工の作品中、傑作と思われるものを指定することになった、という。

また、「昭和名物」に指定された刀には、審査会から村上孝介氏、辻本直男氏、福永酔剣氏が刀号をつける作業を行っている。

浦島虎徹のように従来すでにそう呼ばれていた刀はそのままだが、ここで昭和名物に指定されて新たに刀号をつけられた刀も多いようである。

現在 情報なし

現在も個人蔵だと考えられるが、詳細は不明

作風

刃長一尺一寸四分(約34.5センチ)、
平造り。

差し表に、若竹を担ぎ、腰蓑をつけ、藁沓をはいた人物が岩上に立っている図を彫る。
差し裏には草の剣巻き竜を彫る。

銘は「長曽禰興里 万治三年十二月日 同作彫之」と切る。

刀剣の銘は現代のPCだと表記できない字が多い。
興里の「興」も奥の中が米でなく×になっているように見える旧字なので『長曽祢虎徹の研究』などを直接確認してほしい。

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:うらしまこてつ【浦島虎徹】
ページ数:1巻P156

作風に関しては『虎徹大鑑』の方が詳しい。

一尺一寸二分、反僅か、元幅九分二厘、茎長四寸

平造、庵棟、反殆ど無く寸延び。
鍛板目柾がかり流れる。
刃文湾れに互の目交り、匂口締りごころに叢沸つく。
鋩子表裏とも直ぐに小丸、先僅かに掃きかけ。
茎生ぶ、尻入山形先尖る。目釘孔三。

『虎徹大鑑』(データ送信)
発行年:1955年(昭和30) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:解説篇一、 虎徹
ページ数:55 コマ数:85

彫物は本当に浦島太郎か? 孟宗ではないか?

『日本刀大百科事典』によると、

浦島太郎らしくない点もあるが、古くから浦島太郎とされている、となっている。

更に『長曽祢虎徹の研究』ではこのように説明されている。

『長曽禰虎徹の研究 附圖』(データ送信)
著者:杉原祥造 著[他] 発行年:1926年(大正15) 出版者:杉原日本刀学研究所
目次:第九図 萬治三年冬 小脇差
コマ数:8

今此の押形を見るに、人物の持てるは釣竿には無く、又足に藁沓を穿てるのみならず、亀も彫りあらざる様に思はるるも、大藪氏は浦島なりと断言せられしを以て、姑く此説に従ひ置く

原典の『長曽祢虎徹の研究』内の杉原先生の文章が上記で、酔剣先生の「古くから浦島太郎とされている」という言い方からすると、たとえ彫物が呼び名に見合った人物ではなくても、かつての所有者からその名で呼ばれていたという事実を研究者は重んじるようである。

この彫物の人物は『虎徹大鑑』時点では“何者ともわからぬままに暫く浦島の説に従う。”とされているが、『名刀虎徹』では持っているものが釣り竿ではなく筍に見えるため、中国の親孝行の逸話で知られる「孟宗」ではないかという説が古くからあることを紹介している。

古くからと言っても発見自体が明治~大正になるのでその辺りからか。

いつから「浦島虎徹」と呼ばれているか

大正15年の『長曽祢虎徹の研究』時点では彫物は「浦島」だと説明されているが、杉原祥造氏はこの刀の彫物が浦島太郎であることには疑問を持ちつつも、説自体はそのままにしておくとしている。
この頃は、刀そのものが「浦島虎徹」という号の刀剣として紹介されているわけではないようだ。
図譜の説明は万治三年冬になっている。

これが30年後の『虎徹大鑑』になると、はっきりと「号浦島虎徹」と記載されている。

『虎徹大鑑』(データ送信)
発行年:1955年(昭和30) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:第三章 彫刻の研究 (三)彫物の位置と配置 (8)浦島
ページ数:16 コマ数:46
目次:図譜 一、虎徹 一八 短刀 銘 長曽祢興里万治三年十二月日 同作彫之(号浦島虎徹)
ページ数:12 コマ数:147

調査所感

浦島くんに関しては『昭和刀剣名物帳』がまだ国立国会図書館限定なので、これが読めるようになったら「昭和名物」に選定された辺りの情報が増えます。

(※2024年5月追記

『昭和刀剣名物帳』がデジコレのデータ送信に追加されました。
昭和名物関連の情報を上の記述に足しておきます。)

小笠原信夫先生は『名刀虎徹』の他に『長曽祢乕徹新考』という本を書いているのでそっちにも載っているみたいですが、この本図書館にあるけどまだ借りてません。虎徹研究の基礎がある程度頭に入っていないとどこがどう変わったかわからないのでちょっと後回しにします。

浦島くん自体は『長曽祢虎徹の研究』『虎徹大鑑』『長曽祢乕徹新考』と虎徹研究の主軸となる研究書に必ず顔を出していますが、この刀をメインにした話や本は割と少ないかもしれません。どこかになんかいい本ないだろうか。
内田疎天氏が杉原先生の研究をまとめた本であっても虎徹の彫物研究部分に「浦島あり」とは出てくるんですけど、浦島虎徹そのものの研究ではないのが悩みどころです。

今回初めて浦島くんの作風知ったんですが、「濤乱刃」なんですね。津田助広が開発した、打ち寄せる波のイメージの刃文。
そこに長い棒らしきもの持った老人が彫ってあったらそりゃー浦島太郎! って言いたくなるかもしれない……。刃文と彫物が海系で揃ってるとかロマンじゃん……。

浦島虎徹の発見者……というか書籍に載せて斯界に広く紹介した人物は杉原祥造先生になるようですね。山姥切国広と同じ。

浦島くんは国広と違ってもともと刀剣会に顔を出す刀匠が所有していたようなので、そういう意味ではガチで所有者以外誰も知らなかっただろう国広よりは知られていたかもしれませんが、それでもこの頃発見の新刀の扱いとしては色々と比べるとわかりやすいかもしれません。

『新刀名作集』の山姥切国広の押形ページ内の情報と、『長曽祢虎徹の研究』の浦島虎徹の押形ページ内の情報だとやはり結構差がある気がします。
活字になってる浦島くんの話の方が見やすい。杉原先生本人の見解がはっきり記録されているのも助かる。

うーん、そうか……国広もきちんと杉原先生本人の手で世に出ていたらこうやってしっかり情報全部整理してもらえたのかもしれないのか……。
『長曽祢虎徹の研究』は杉原先生がほとんど書き上げたものに弟子の内田疎天氏が補筆したもの。『新刀名作集』は杉原先生の遺した研究を内田疎天氏と加島勲氏がほぼ自力でまとめ上げたもの。そういう違いがあります。

とはいえ逆に浦島虎徹は杉原先生は押形だけもらって本体を見ていない可能性もあることに今回気づきました。
どの刀について研究者間でも誰がどの情報を得ているのか整理するのは事程左様に面倒なところです。

号と彫物の関係に関しては、彫物が浦島太郎かどうかわからないと言われているのと同じくらい、しかし昔からそう言われているから浦島である、とも明確に語られている刀です。

参考文献

『長曽禰虎徹の研究 附圖』(データ送信)
著者:杉原祥造 著[他] 発行年:1926年(大正15) 出版者:杉原日本刀学研究所
目次:第九図 萬治三年冬 小脇差
コマ数:8

「刀剣と歴史 (199)」(雑誌・データ送信)
発行年:1927年7月(昭和2) 出版者:日本刀剣保存会
目次:虎徹の明暦銘に就て
ページ数:52 コマ数:30

『虎徹大鑑』(データ送信)
発行年:1955年(昭和30) 出版者:日本美術刀剣保存協会
目次:第三章 彫刻の研究 (三)彫物の位置と配置 (8)浦島
ページ数:16 コマ数:46
目次:解説篇一、 虎徹
ページ数:55 コマ数:85
目次:図譜 一、虎徹 一八 短刀 銘 長曽祢興里万治三年十二月日 同作彫之(号浦島虎徹)
ページ数:12 コマ数:147

『昭和刀剣名物帳』(データ送信)
著者:村上孝介 発行年:1979年(昭和54) 出版者:雄山閣出版
目次:昭和刀剣名物帳 図録編
コマ数:18

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:うらしまこてつ【浦島虎徹】
ページ数:1巻P156

『名刀虎徹』(電子書籍版)
著者:小笠原信夫 発行年:2013年(平成25) 出版者:文芸春秋(文春ウェブ文庫)

概説書

『刀剣目録』(紙本)
著者:小和田康経 発行年:2015年(平成27) 出版者:新紀元社
目次:≪第四章 安土桃山・江戸時代≫ 武蔵国江戸 虎徹 浦島虎徹
ページ数:326

『物語で読む日本の刀剣150』(紙本)
著者:かゆみ歴史編集部(イースト新書) 発行年:2015年(平成27) 出版者:イースト・プレス
目次:第6章 脇差 浦島虎徹
ページ数:148

『刀剣物語』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:長曽祢興里作の刀 浦島虎徹
ページ数:134、135

『刀剣説話』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2020年(令和2) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
(『刀剣物語』発行年:2015年を加筆修正して新たに発行しなおしたもの)
目次:戦国大名が所有した刀 浦島虎徹
ページ数:184、185

『刀剣聖地めぐり』(紙本)
発行年:2016年(平成28) 出版者:一迅社
目次:浦島虎徹
ページ数:88