薬研藤四郎

概要

『享保名物帳』焼失之部所載、粟田口吉光作の短刀

『享保名物帳』焼失之部所載、粟田口吉光作の短刀。
「吉光」と二字銘。

畠山政長、松永久秀、織田信長へと渡り、本能寺の変で焼失したとされる。

『詳註刀剣名物帳 : 附・名物刀剣押形 増補』
著者:羽皐隠史 発行年:1919年(大正8) 出版者:嵩山堂
目次:名物「燒失之部」 薬研藤四郎
ページ数:226~228 コマ数:127

1500年(明応9)、畠山政長自害の事

明応9年(1500)4月9日、畠山政長は、河内国渋川郡賀美郷(大阪市平野区)正覚寺の居城を、細川政元・畠山義豊らの軍に囲まれた。

自決する時、この短刀で腹を三度まで切ったが、切れなかった。

それで投げ棄てたところ、近くにあった薬研を表裏に貫いた。

家来の丹下備後守が、自分の差料・信国の短刀で、この刀は切れ味がよいと膝を二度刺したあと、政長に差し出したので、それで腹をかき切った。

(『享保名物帳』『応仁後記』『足利季世記』)

『史籍集覧 第3冊 第3冊 通記類(3版 明治43) 第9 池の藻屑(荒木田麗子) 第10 桜雲記,第11 南方紀伝,第12 菊池伝記(井沢長秀) 第13 浪合記,第14 信濃宮伝,第15 十津河之記,第16 底倉記,第17 応仁前記,第18 応仁広記,第19 応仁後記 改定』
(『応仁後記』収録)
著者:近藤瓶城 編 発行年:1906年(明治39) 出版者:近藤出版部
目次:通記第十九 應仁後記
ページ数:19、20 コマ数:326、327

『史籍集覧 第13冊 改定』
著者:近藤瓶城 編 発行年:1912年(明治45) 出版者:近藤出版部
目次:第百十六 足利季世記 畠山政長自害之事
ページ数:138~140 コマ数:75、76

松永久秀が入手、1573年(元亀4)年に織田信長へ贈られる

その後、松永久秀が入手し、元亀4年(1573)正月十日、濃州岐阜へ行ったとき、織田信長に贈った。
(『信長公記』)

『戦国史料叢書 第2』(データ送信)
(『信長公記』収録)
発行年:1965年(昭和40) 出版者:人物往来社
目次:巻六(元亀四年癸酉)
ページ数:131 コマ数:69

1580年(天正8)2月20日、『天王寺屋会記』の記録

天正八年(1580)二月二十二日、天王寺屋こと津田宗及が京都に来た時、信長をたずねると、信長は薬研藤四郎や実休光忠を津田宗及に見せた。
( 『天王寺屋会記(津田宗及茶湯日記)』)

『茶道古典全集 第7巻』(データ送信)
著者:千宗室 等編 発行年:1959年(昭和34) 出版者:淡交新社
目次:天王寺屋會記 宗及茶湯日記 他會記 四 自天正七年至天正十一年他會記
ページ数:314 コマ数:170

『津田宗及茶湯日記 : 評註 他会篇 下』
著者:松山米太郎 評註 発行年:1937年(昭和12) 出版者:津田宗及茶湯日記刊行後援会
ページ数:317 コマ数:98

1582年(天正10)6月2日、本能寺の変で焼失

天正10年(1582)年6月、信長が本能寺で敗死した際、薬研藤四郎も殉じたと考えられている。

『詳註刀剣名物帳 : 附・名物刀剣押形 増補』
著者:羽皐隠史 発行年:1919年(大正8) 出版者:嵩山堂
目次:名物「燒失之部」 薬研藤四郎
ページ数:226~228 コマ数:127

異説 畠山政長自刃後、豊臣秀吉が入手し秀頼に伝えた

畠山政長自尽後、豊臣秀吉が入手し、秀頼に伝えた。
秀頼はそれを慶長十六年(1611)3月28日、二条城会見のさい、徳川家康に贈った。
という説もある。

『国史大系 第9巻』
(『徳川実紀』収録)
著者:経済雑誌社 編 発行年:1902~1905年(明治35~38) 出版者:経済雑誌社
目次:台徳院殿御実紀 元和元年六月
ページ数:782 コマ数:398

この辺りの話は『大日本刀剣史』で原田道寛先生の検討を読むのがわかりやすいと思う。

『大日本刀剣史 中巻』(データ送信)
著者:原田道寛 発行年:1940年(昭和15) 出版者:春秋社
目次:畠山政長自刄の藥硏藤四郞
ページ数:227~235 コマ数:123~127

酔剣先生の『日本刀大百科事典』によれば『古老茶話』で刃長が九寸五分(約28.8センチ)となっているのは誤伝だという。

『日本随筆大成 巻六』(データ送信)
著者:日本随筆大成編輯部 編 発行年:1927年(昭和2) 出版者:日本随筆大成刊行会
目次:古老茶話
ページ数:102 コマ数:60

また、元和元年(1615)五月、大阪落城の際に焼失した太刀、とする説も誤りだという。

『日本歴史文庫 〔13〕』
著者:黒川真道 編 発行年:1911~1912年(明44~45) 出版者:集文館
目次:坤
ページ数:421 コマ数:218

作風

刃長八寸三分(約25.1センチ)、平造り、刃文は直刃、鋩子は小丸。
うぶ茎。目釘穴一個。
「吉光」と二字銘。

『往昔抄』
発行年:1955年(昭和30) 出版者:日本美術刀剣保存協会
(本自体は国立国会図書館デジタルコレクションにありますが古い字が読めないと押形が見分けられない)

『光徳刀絵図集成』(データ送信)
著者:本阿弥光徳画[他] 発行年:1943年(昭和18) 出版者:便利堂
ページ数:16 コマ数:30

『日本刀大百科事典』によると、『天正刀譜』に薬研藤四郎の拵えの記載があったらしい。

ハバキは金の呑み込み、柄の頭と縁は同作。
鞘は長さ一尺一寸五分(約34.8センチ)、黒塗り、ただし腰元は縄目の金で巻く。
笄は古後藤の作で、銅は赤銅で、壺桐の紋があり、耳は金だった。

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:やげんとうしろう【薬研藤四郎】 ページ数:5巻P213
目次:やげんとおし【薬研徹し】 ページ数:5巻P213

『明徳記』の「薬研徹し」

薬研藤四郎と同じ刀を差すだろう記述が明徳の乱を描いた室町軍記、『明徳記』にも見られる。

『明徳記』によれば「薬研徹し」は足利将軍家重代、粟田口吉光作の短刀。
山名氏清・満幸らが、明徳二年(1391)12月、京都に攻め入った時、将軍義満は篠作・二つ銘の太刀とともに、これを佩いて出陣した。

『日本歴史文庫 〔13〕』
著者:黒川真道 編 発行年:1911~1912年(明44~45) 出版者:集文館
目次:明徳記 巻第中
ページ数:202、203 コマ数:111

酔剣先生は茎の長さから「薬研藤四郎」と「薬研徹し」は同物の可能性があることを指摘している。

しかしこの『明徳記』の「薬研徹し」と『享保名物帳』の「薬研藤四郎」を同一物だとすると、畠山政長所持以前から薬研の号がついていたことになるため、両方の記述が並立はしないものとして研究者たちも頭を悩ませている。

調査所感

調べてみると結構面倒だった薬研の研究史。
読めない資料が結構あって省略しちゃったので詳しく知りたい方はもう直接『日本刀大百科事典』や『大日本刀剣史』でも見てください。

と言っても、薬研の来歴に関しては意見がばらついてる感じなので一冊だけよりもいろんな本の記述を拾って整理を試みたほうがいいと思います。
なお整理できるとは言っていない。

資料として一番重要視される『享保名物帳』はいつものごとく『詳註刀剣名物帳』で確認させてもらいますが、これによると薬研藤四郎の来歴は

畠山政長→松永久秀→織田信長(本能寺の辺で焼失)

『名将言行録』の説を採用してみると

明智光秀→明智光春→徳川将軍家?

『徳川実紀』の方は

秀頼が秘蔵していた→本阿弥又三郎を介して徳川将軍家(2代秀忠)

『明徳記』を考慮すると

畠山政長の話より100年も前に足利3代将軍義満の御物だった

……どれだよ!!

『大日本刀剣史』の原田先生の整理が一番丁寧な気がします。

どの説も微妙に信用しがたい点があって、確実に信じられる来歴とは言えないという。
いくつかの書物が豊臣家に伝わったことを示すものの、その辺りに錯誤が見られて絶対的に信用できるものではないと。

原田道寛先生は豊臣以後に話が曖昧になるから大阪城落城の際に焼けたのではないか、と推測しているようです。

『明徳記』の足利御物説に関しては、これを採用するとそもそも畠山政長より前に「薬研」の号で呼ばれていたことになる。
号の由来としては有名ですが、『畠山記』と『明徳記』の内容両方採用難しくない? という。

そもそも松永久秀はなんで薬研を持っていたのかと。

『明徳記』が正しいなら足利将軍家にずっと伝わっていたのでいつも通り義輝を殺した時に……ってちょっと待て、だから畠山政長は!? となる。
概説書なんかだと畠山政長のあと一度将軍家に戻ったという説明を載せていますが、確実にそうだとする資料はないようですね……。

光秀やその部下が持っていたとするなら信長から奪ったとも考えられるんですが、薬研と同じく資料に出てくる「不動国行」と扱いに差があるのはおかしくないか? と。

そして秀吉から秀頼まで伝わった流れは資料が骨喰と薬研を混同しているのでこれ多分骨喰君のことだろうと思われる。

つまりまとめると……まとめられません!
まとめたくてもまとめられないしまとめちゃダメだろうこれ。

久秀の前に足利将軍家を置いたり信長の後に光秀を置いたり微妙に繋げられそうなピースがあるけど資料がないのにそれをやるのが混乱のもとなので、正確なことを知りたいなら資料の記述を別々に頭に叩き込むしかないようだ。研究者の先生は基本的にそうしている。

結局はっきりしたことがわからないので、大体説明されるときはスタンダードに『享保名物帳』の来歴通りに織田信長へ渡り本能寺の変で焼失扱いですかね……?

様々に語られていくつもの資料にその名を残しながら、しかし決して一本の線にはできない歴史を持つ、歴史の中で消えた名刀の一振りってことでしょうか。
どれも薬研藤四郎の物語ではあるんだろうけれど、本当はどの刀か、そこに書かれているものが本当に薬研なのかは断定できない。

それでも人は語るんですよね。現存しない、きっちり一つの逸話にも収まりきらない刀の物語を。今もこうやって。

参考文献

『諸家名剣集』
(東京国立博物館デジタルライブラリー)
時代:享保4年(1719) 写本
コマ数:49

『名将言行録 巻之17,18』
著者:岡谷繁実 著 発行年:1869年(明治2) 出版者:玉山堂
目次:巻之十八
ページ数:19 コマ数:47

『国史大系 第9巻』
(『徳川実紀』収録)
著者:経済雑誌社 編 発行年:1902~1905年(明治35~38) 出版者:経済雑誌社
目次:台徳院殿御実紀 元和元年六月
ページ数:782 コマ数:398

『日本歴史文庫 〔13〕』
著者:黒川真道 編 発行年:1911~1912年(明44~45) 出版者:集文館
目次:明徳記 巻第中
ページ数:202、203 コマ数:111

『日本歴史文庫 〔13〕』
著者:黒川真道 編 発行年:1911~1912年(明44~45) 出版者:集文館
目次:坤
ページ数:421 コマ数:218

『史籍集覧 第3冊 第3冊 通記類(3版 明治43) 第9 池の藻屑(荒木田麗子) 第10 桜雲記,第11 南方紀伝,第12 菊池伝記(井沢長秀) 第13 浪合記,第14 信濃宮伝,第15 十津河之記,第16 底倉記,第17 応仁前記,第18 応仁広記,第19 応仁後記 改定』
(『応仁後記』収録)
著者:近藤瓶城 編 発行年:1906年(明治39) 出版者:近藤出版部
目次:通記第十九 應仁後記
ページ数:19、20 コマ数:326、327

『史籍集覧 第13冊 改定』
著者:近藤瓶城 編 発行年:1912年(明治45) 出版者:近藤出版部
目次:第百十六 足利季世記 畠山政長自害之事
ページ数:138~140 コマ数:75、76

『剣話録 上』
著者:剣話会 編(別役成義) 発行年:1912年(明治45) 出版者:昭文堂
目次:一 京物(上)
ページ数:6 コマ数:13

『通俗日本全史 第7巻』
著者:早稲田大学編輯部 編 発行年:1912~1913年(明治45~大正2) 出版者:早稲田大学出版部
目次:山中鹿之助被誅事 軍政猿楽能之事附天災雷火零事
ページ数:189 コマ数:200

『詳註刀剣名物帳 : 附・名物刀剣押形 増補』
著者:羽皐隠史 発行年:1919年(大正8) 出版者:嵩山堂
目次:名物「燒失之部」 薬研藤四郎
ページ数:226~228 コマ数:127

『刀剣談』
著者:高瀬真卿 発行年:1910年(明治43) 出版者:日報社
目次:第四、武将の愛刀 薬研藤四郎
ページ数:52、53 コマ数:51

『刀剣談 再版』(データ送信)
著者:羽皐隠史 著, 高瀬魁介 訂 発行年:1927年(昭和2) 出版者:嵩山房
目次:第四、武将の愛刀 薬研藤四郎
ページ数:161、162 コマ数:92、93

『古今名家珍談奇談逸話集』
著者:実業之日本社 編  発行年:1928年(昭和3)出版者:実業之日本社
目次:名刀に纒はる逸話 薬研藤四郎
ページ数:35、36 コマ数:32

『日本刀講座 第8巻 (歴史及説話・実用及鑑賞)』(データ送信)
著者:雄山閣 編 発行年:1934年(昭和9) 出版者:雄山閣
目次:(歷史及說話一)歷史に表はれた刀劍
ページ数:330、331 コマ数:174

『日本刀剣の研究. 第1輯』(データ送信)
著者:雄山閣編集局 編 発行年:1934年(昭和9) 出版者:雄山閣
目次:文献に表はれた名剣名刀譚 源秋水編
ページ数:112、118 コマ数:66、69

『津田宗及茶湯日記 : 評註 他会篇 下』
著者:松山米太郎 評註 発行年:1937年(昭和12) 出版者:津田宗及茶湯日記刊行後援会
ページ数:317 コマ数:98

『日本刀物語』
著者:小島沐冠人 編著 発行年:1937年(昭和12) 出版者:高知読売新聞社
目次:大阪城壕中の吉光
ページ数:79 コマ数:47

『光徳刀絵図集成』(データ送信)
著者:本阿弥光徳画[他] 発行年:1943年(昭和18) 出版者:便利堂
ページ数:16 コマ数:30

『往昔抄』
発行年:1955年(昭和30) 出版者:日本美術刀剣保存協会
(本自体は国立国会図書館デジタルコレクションにありますが古い字が読めないと押形が見分けられない)

『茶道古典全集 第7巻』(データ送信)
著者:千宗室 等編 発行年:1959年(昭和34) 出版者:淡交新社
目次:天王寺屋會記 宗及茶湯日記 他會記 四 自天正七年至天正十一年他會記
ページ数:314 コマ数:170

「刀剣史料.(41)」(雑誌・データ送信)
(『刀剣鑑定歌伝』収録)
発行年:1962年(昭和35)5月 出版者:南人社
目次:刀剣鑑定歌伝(6) / 中島久胤
ページ数:14 コマ数:9

『武道全集 第5巻』(データ送信)
著者:原田道寛 発行年:1935年(昭和10) 出版者:平凡社
目次:藥硏藤四郞
ページ数:112~118 コマ数:68~71

『大日本刀剣史 中巻』(データ送信)
著者:原田道寛 発行年:1940年(昭和15) 出版者:春秋社
目次:畠山政長自刄の藥硏藤四郞
ページ数:227~235 コマ数:123~127
(『大日本刀剣史』はデジコレに2冊あるのでご注意)

「関西医界時報. 第31年(363) 」(雑誌・データ送信)
発行年:1938念8月 出版者:関西医界時報社
目次:藥硏藤四郞の由來
ページ数:21 コマ数:11

『日本刀と無敵魂』
著者:武富邦茂 発行年:1943年(昭和18) 出版者:彰文館
目次:鍋通吉光・藥研藤四郎・骨喰藤四郎
ページ数:170 コマ数:100

『武将と名刀』(データ送信)
著者:佐藤寒山 発行年:1964年(昭和39) 出版者:人物往来社
目次:明智光秀と長船近景など ページ数:122 コマ数:66
目次:毛利輝元と宗瑞正宗及び毛利藤四郎 ページ数:136、137 コマ数:73

『戦国史料叢書 第2』(データ送信)
(『信長公記』収録)
発行年:1965年(昭和40) 出版者:人物往来社
目次:巻六(元亀四年癸酉)
ページ数:131 コマ数:69

『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:やげんとうしろう【薬研藤四郎】 ページ数:5巻P213
目次:やげんとおし【薬研徹し】 ページ数:5巻P213

概説書

『図解 武将・剣豪と日本刀 新装版』(紙本)
著者:日本武具研究界 発行年:2011年(平成23) 出版者:笠倉出版社
目次:第3章 武将・剣豪たちと名刀 豊臣秀吉と一期一振
ページ数:168~171

『刀剣目録』(紙本)
著者:小和田康経 発行年:2015年(平成27) 出版者:新紀元社
目次:≪第二章 鎌倉時代≫ 山城国粟田口 吉光 薬研藤四郎
ページ数:114、115

『物語で読む日本の刀剣150』(紙本)
著者:かゆみ歴史編集部(イースト新書) 発行年:2015年(平成27) 出版者:イースト・プレス
目次:第7章 短刀 薬研藤四郎
ページ数:162、163

『刀剣物語』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:粟田口吉光作の刀 薬研藤四郎
ページ数:100、101

『刀剣説話』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2020年(令和2) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
(『刀剣物語』発行年:2015年を加筆修正して新たに発行しなおしたもの)
目次:戦国大名が所有した刀 薬研藤四郎
ページ数:154、155

『刀剣聖地めぐり』(紙本)
発行年:2016年(平成28) 出版者:一迅社
目次:薬研藤四郎
ページ数:87

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