やまとのかみやすさだ
概要1.沖田総司佩刀としての大和守安定
沖田総司の佩刀・大和守安定説(『幕末志士愛刀物語』)
沖田総司佩刀が大和守安定であるという説の出典は長野桜岳氏の著書のようである。
雑誌記事とその著書ではっきりと沖田総司佩刀が大和守安定であると説明されている。
ただしこれらの文面では、肝心の何故沖田総司の佩刀が大和守安定であるかという理由や根拠が一切説明されていない。
「刀剣と歴史.(431)」(雑誌・データ送信)
発行年:1966年(昭和41)5月 出版者:日本刀剣保存会
目次:幕末志士と佩刀 / 長野桜岳
ページ数:43 コマ数:26
『幕末志士愛刀物語 (物語歴史文庫 ; 17) 』(データ送信)
著者:長野桜岳 発行年:1971年(昭和46) 出版者:雄山閣出版
目次:幕府附属隊士と佩刀 近藤勇ほか隊士の刀
ページ数:178 コマ数:95
藤島一虎氏の小説『剣豪風雲録』に登場
長野桜岳氏は後に沖田総司研究家の森満喜子氏に尋ねられて、沖田総司佩刀・大和守安定説の出典を藤島一虎氏の小説『剣豪風雲録』だと答えている。
下記の小説では藤島一虎氏がその作品の中で沖田総司の佩刀を大和守安定と描写していることが確認できる。
普通に考えて小説は研究の出典として認識すべきものではない。
ただし、小説家が研究者を兼ねている場合がなきにしもあらずなので、これらがそうした研究書であるかどうか前書きなどを探したが、そもそもこれらは解説文すら付記されないタイプのごくごく普通の小説に見える……。
『剣豪風雲録 (歴史新書)』(データ送信)
著者:藤島一虎 発行年:1955年(昭和30) 出版者:鱒書房
目次:鴨の最期
ページ数:212 コマ数:110
『剣豪無頼』(データ送信)
著者:藤島一虎 発行年:1956年(昭和31) 出版者:和同出版社
目次:壬生狼
ページ数:161 コマ数:84
『天然理心流』(データ送信)
著者:藤島一虎 発行年:1957年(昭和32) 出版者:和同出版社
目次:虎徹の威力
ページ数:57 コマ数:32
長野桜岳氏の大和守安定説についての整理
沖田総司佩刀が大和守安定であるとの説の出典は上記の通り長野桜岳氏の『幕末志士愛刀物語』だと考えられる。
この説は昭和40~50年頃にはそれなりに広まっていたらしく、当時沖田総司の熱心な研究者の一人であった森満喜子氏が長野桜岳氏に直接訪ねたことがその著書で明かされている。
下にその内容を引用する。
『定本 沖田総司おもかげ抄』(紙本)
著者:森満喜子 発行年:1975年(昭和50) 出版者:新人物往来社
ページ数:74、75
大和守安定説
『幕末志士愛刀物語』(長野桜岳著)によれば、「沖田総司の佩刀は大和守安定二尺二寸(約六六.七センチ)、大和守安定は大業物の刀工として名高く大和伝で、刀は頃合いの姿で、江戸物としては珍しく先反り気味刃文は沸え本位であるが、沸えの少い大五の目乱れに尖り刃が交わり、地肌は新刀大和伝の杢目肌に柾目肌が現れている。本国越前、初代康継の門人で『大和守安定』『武蔵国住大和守安定』『飛田大和守安定』と刻銘し、慶安年間(一六四八ー一六五一)の刀工である」
と記載してある。この大和守安定という資料の出所を長野氏に質問したところ、次のような返事を戴いた。
「藤島一虎著『剣豪風雲録』に『沖田の刀は新刀の大和守安定、刀も業物だがそれにも増して彼の腕の冴えには原田左之助も眼を見張った』
藤島氏の原典はおそらく原田道寛『日本刀私談』の最上大業物篇大和守安定の項に『沖田総司佩刀大和守安定二尺二寸』とあり、他に『刀と剣道』に中山博道の『幕末維新と剣客近藤勇』の項に『沖田総司佩刀大和守安定二尺二寸』とあります」
しかし、これだけでは確かな出所とはいえないであろう。故老の語り伝えとか古文書に(例えば近藤勇の手紙――下拙の刀は虎徹の故に候や無事にて候――)のように残っているならば別であるが。このように沖田の佩刀については諸説があり、結局は「不明」という子母沢説が正しいというほかはない。
しかし、私には沖田があの世で明かるく笑って、こう言っているように思える。
「刀の銘なんかどうだっていいじゃないか。ともかくよく斬れる刀は持っていたんだ」
と、こういう説明がされているのだが、この話にはいくつもの問題がある。
すでに挙げた一つ目の問題は、小説は研究の出典としてはいけないということ。
さらに、長野桜岳氏は藤島一虎氏の原典を本人でもないのに原田道寛氏の『日本刀私談』と、中山博道氏の『幕末維新と剣客近藤勇』だと答えているが、この二つが間違っているということ。
原田道寛氏は刀剣研究者の一人である。
その著書『日本刀私談』は2018年に『日本刀大全』というタイトルで復刻されているので内容を我々も簡単に確認できるのだが、その中に沖田総司佩刀に関する記述はない。
『日本刀大全』(紙本)
著者:原田道寛 発行年:2018年 出版社:河出書房新社
(中身は『日本刀私談』 発行年:1938年 出版社:春秋社)
中山博道氏は「昭和の剣聖」、「最後の武芸者」と評された剣術家で、確かに刀剣関係の記事をたまに書いていたようだ。剣士とも刀剣関係の研究者や刀工などとも関係があったのか、その辺りの書籍に目を通しているとたびたび登場する人物である。
しかし、その中山博道氏が「刀と剣道」という雑誌にこの『幕末維新と剣客近藤勇』というタイトルの記事を書いた形跡はないようである。
(ちなみに雑誌「日本古書通信」の中にならこのタイトルが出てくるものがある。ただし現在まだ国立国会図書館限定でしか読めない)
これに関してはすでに審神者界でも沖田総司佩刀に関して調べた人が詳しくまとめてくれているのでそっちも見た方がいいと思います。
これらの情報を整理すると、長野桜岳氏はかなりうろ覚えで森満喜子氏に返答していて、その内容が間違っていたのだろう、としか考えられない。
そもそも長野桜岳氏はどういう人物だろうかということについて、その著書と雑誌記事二つの内容と性質から考察する。
著書は『幕末志士愛刀物語』一冊、雑誌記事は「刀剣と歴史」に『幕末志士愛刀物語』の雛形ともいえる「幕末志士と佩刀」ともう一つ、「武用刀について」という記事を載せている。
「刀剣と歴史.(431)」(雑誌・データ送信)
発行年:1967年(昭和42)3月 出版者:日本刀剣保存会
目次:武用刀について / 長野桜岳 コマ数:26
「幕末志士と佩刀」には(筆者、医博、東京在住)とある。
つまり、長野桜岳氏は職業としては研究者ではなく医学博士、医者である。
さらに「武用刀について」を読むとどうやら福永酔剣先生を「酔剣兄」と呼び、刀工の詳細を教示願えるような親しい間柄であったことがわかる。
そうなると、長野桜岳氏の著書は研究者の研究書というより、愛刀家が趣味で出した本に近い性質のものと考えられる。
調査内容の多くは当時の刀剣にまつわる情報を丹念に拾い上げたものと見えるが、現代の歴史研究者の多くがそうするような検討が入っていない状態のものである。
たとえ中山博道氏の原典に関する話が雑誌名間違いというだけの話であっても、中山博道氏もあくまで剣術家であって研究者でない以上、その話に明確な根拠があるとは考えにくい。
結論からすると、「沖田総司佩刀・大和守安定説は創作(原典が小説)」ということになる。
調査所感1
『幕末志士愛刀物語』は研究書に近い体の本で、幕末志士の各佩刀の情報の出典は略されていることも多いが、扱いからしてこの本を読んだ多くの人は大和守安定説の出典をまさか小説だとは思っていないように考えられる。
ただ、同時に大和守安定説をそのまま真実だと受け止められているわけでもないようだ。
大和守安定説自体は、『幕末志士愛刀物語』を出典として存在する。
その信憑性は疑われている。
とりあえず沖田総司の佩刀が大和守安定であるという話に関しての調査はこんなところでしょう。
とうらぶの考察として刀剣男士の安定がどういう存在かとかそういう話は加州や御前とセットで無限に長くなるネタですが、沖田総司佩刀の一振りの調査としてはこの辺りが結論で、ここからが、ではそれぞれの要素をどう考えるかという考察の土台になると思います。
……って辺りで話を終わらせたかったんですが。
2023年に新選組の記憶も持つ「孫六兼元」の実装により、それ以前に実装された刀工名顕現の男士を刀工作の集合体として見直さなければならない可能性が出てきたので、続けて刀工の方の来歴も簡単に調べました。
伝説の信憑性問わずごった煮のとうらぶ的には最終的には同じことになるかもしれませんが、沖田総司佩刀が大和守安定であることに明確な根拠はない、出典が小説なのでまず間違いなく史実ではない、ということをきちんと理解しないままに刀工の情報を添えてしまうと史実ではない情報を無批判に受け入れてしまうことになるので、ここで一度記事を切ります。
大和守安定が沖田総司佩刀であったことは到底史実とは思い難い、それでも刀剣男士としての安定はその「名」を中心に沖田総司佩刀という創作の記憶も、他の大和守安定作の刀の物語も両方保持している可能性を勘案しながら改めて刀工の情報を調べに参りましょう。
参考文献1
『剣豪風雲録 (歴史新書)』(データ送信)
著者:藤島一虎 発行年:1955年(昭和30) 出版者:鱒書房
目次:鴨の最期
ページ数:212 コマ数:110
『剣豪無頼』(データ送信)
著者:藤島一虎 発行年:1956年(昭和31) 出版者:和同出版社
目次:壬生狼
ページ数:161 コマ数:84
『天然理心流』(データ送信)
著者:藤島一虎 発行年:1957年(昭和32) 出版者:和同出版社
目次:虎徹の威力
ページ数:57 コマ数:32
「刀剣と歴史.(431)」(雑誌・データ送信)
発行年:1966年(昭和41)5月 出版者:日本刀剣保存会
目次:幕末志士と佩刀 / 長野桜岳
ページ数:43 コマ数:26
『幕末志士愛刀物語 (物語歴史文庫 ; 17) 』(データ送信)
著者:長野桜岳 発行年:1971年(昭和46) 出版者:雄山閣出版
目次:幕府附属隊士と佩刀 近藤勇ほか隊士の刀
ページ数:178 コマ数:95
『定本 沖田総司おもかげ抄』(紙本)
著者:森満喜子 発行年:1975年(昭和50) 出版者:新人物往来社
目次:沖田の佩刀
ページ数:74、75
概説書
『刀剣目録』(紙本)
著者:小和田康経 発行年:2015年(平成27) 出版者:新紀元社
目次:≪第四章 安土桃山・江戸時代≫ 武蔵国江戸 安定 大和守安定
ページ数:329
『物語で読む日本の刀剣150』(紙本)
著者:かゆみ歴史編集部(イースト新書) 発行年:2015年(平成27) 出版者:イースト・プレス
目次:第5章 打刀 大和守安定
ページ数:125
『図解日本刀 英姿颯爽日本刀の来歴』(紙本)
著者:東由士 編 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:古今東西天下の名刀 大和守安定
ページ数:86
『刀剣物語』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2015年(平成27) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
目次:名刀の逸話 大和守安定
ページ数:218、219
『刀剣説話』(紙本)
著者:編集人・東由士 発行年:2020年(令和2) 出版者:英和出版社(英和MOOK)
(『刀剣物語』発行年:2015年を加筆修正して新たに発行しなおしたもの)
目次:江戸・幕末の名刀 大和守安定
ページ数:200、201
『刀剣聖地めぐり』(紙本)
発行年:2016年(平成28) 出版者:一迅社
目次:大和守安定
ページ数:66
概要2 刀工・大和守安定
刀工・大和守安定
紀州石堂派の出身。1618年(元和4)頃の出生。
以前は越前出身と目されることが多かったが、合作刀の銘文から紀州石堂派出身であると目されるようになった。
その作風や江戸で三代康継と合作した銘文の刀があることから、二代康継の門人だったとも言われる。
明暦元年(1655)、伊達家の依頼で仙台で奉納刀を打った。
江戸の試刀家・山野加右衛門永久と交流があり、その截断銘の入った刀が複数存在する。
中には「天下開闢以来五ッ胴落」と切ったものさえあり、切れ味の良さで知られた刀工である。
しかし、山田浅右衛門の『古今鍛冶備考』では最高ランクではない。
これは『日本刀大百科事典』によると、大和守安定の刀の作りが年数を経ると切れ味が鈍るものであったことの証明ではないかという。
一代刀工とされているが、二代目と切った脇差もある。
息子が一時期二代を名乗ったという説と、これは偽銘でやはり一代刀工だという説に分かれている。
紀州石堂派の出身
『日本刀大百科事典』によると、
『慶長以来 新刀弁疑』を出典として紀州石堂派の出身としている。
古剣書の記述やその作刀の銘文から姓や通称が判明している。
姓はトンダで、飛田とも富田とも書く。
ただし、富の字は、ウ冠を略したものがある。
通称は宗兵衛。
初め大和大掾、のち大和守を受領。
銘文から寛文7年(1667)に50歳だったことが判明しているので、逆算すると元和4年(1618)頃の出生と言われる。
長い間越前の出身だと思われていたが、合作刀の存在により石堂派と目されるようになった
『日本刀大百科事典』によると、
大和大掾時代、紀州石堂派の和歌山住富田安広との合作刀がある。
合作刀の話の出典は「刀剣美術」の193号となっている。
(この号は2024年現時点では国立国会図書館デジタルコレクションでも読めない)
大和守安定の出身に関しては古剣書に諸説あり、昔の研究書は主に越前の刀工と説明していることが多いようである。
紀州石堂派の刀工との合作刀が発見されたことから、『慶長以来 新刀弁疑』による紀州石堂派出身と目されるようになったらしい。
小笠原信夫氏の『名刀虎徹』は長曽祢虎徹と大和守安定の作風の相似から大和守安定にも触れているが、両者の作風の相似に加えて虎徹側が本国越前であることが明白なことから『慶長以来 新刀弁疑』を無視して本国越前と語られるようになったと推測している。
『名刀虎徹』(電子書籍版)
著者:小笠原信夫 発行年:2013年 出版者:文芸春秋(文春ウェブ文庫)
『日本刀の歴史 新刀編』(紙本)
著者:常石英明 発行年:2016年(平成28) 出版者:金園社
目次:第2部 全国刀工の系統と特徴 関東地方 武蔵国(東京都、埼玉、神奈川県の一部) 大和守安定
ページ数:143、144
江戸に出てから、越前康継と合作した
『日本刀大百科事典』によると、
江戸に出てからは、越前康継とも合作している。
出典は『古今鍛冶備考』の他に、福永酔剣氏の『首斬り浅右衛門刀剣押形』となっている。
越前康継の門人説
大和守安定は江戸に出て、越前康継の門に入ったと言われる。
三代康継との合作刀の銘文が『古今鍛冶備考』に載っていることがその根拠らしい。
この『古今鍛冶備考』を根底として初代康継門人とされていることも多いが、初代康継の没年頃には大和守安定はまだ4歳という計算になるので、康継の門人だとしたら二代康継の門人と見るのが妥当だろうとされている。
「Museum (213)」(雑誌・データ送信)
著者:東京国立博物館 編 発行年:1968年12月(昭和43) 出版者:東京国立博物館
目次:江戸の新刀鍛冶(中) / 小笠原信夫
ページ数:20 コマ数:12
『日本刀の歴史 新刀編』(紙本)
著者:常石英明 発行年:2016年(平成28) 出版者:金園社
目次:第2部 全国刀工の系統と特徴 関東地方 武蔵国(東京都、埼玉、神奈川県の一部) 大和守安定
ページ数:143、144
「刀剣と歴史 (564)」(雑誌:データ送信)
発行年:1988年7月(昭和63) 出版者:日本刀剣保存会
目次:好古庵刀話(一〇七) / 今野繁雄
ページ数:20~24 コマ数:15、16
「刀剣と歴史 (569)」(雑誌・データ送信)
発行年:1989年5月(平成1) 出版者:日本刀剣保存会
目次:好古庵刀話(一一二) / 今野繁雄
ページ数:14 コマ数:12
明暦元年(1655)、伊達家の依頼で仙台で奉納刀を打つ
『日本刀大百科事典』によると、
明暦元年(1655)には、伊達家の招きで、奥州仙台にくだり、奉納刀を打っている。
出典は「刀剣と歴史 479号」の押形。
陸奥国仙台藩2代藩主・伊達忠宗が、藩祖・伊達政宗のニ十回祥月命日を期して、大和守安定を承知して「巨刀」を奉納したという。
この時、大和守安定は38歳となる。
「刀剣と歴史 (479)」(雑誌:データ送信)
発行年:1974年5月(昭和49) 出版者:日本刀剣保存会
目次:好古庵刀話(二六) / 今野繁雄
ページ数:7~13 コマ数:8~11
「刀剣と歴史 (564)」(雑誌:データ送信)
発行年:1988年7月(昭和63) 出版者:日本刀剣保存会
目次:好古庵刀話(一〇七) / 今野繁雄
ページ数:20~24 コマ数:15、16
1670年(寛文10)、53歳の作
『日本刀大百科事典』によると、
安定には寛文10年(1670)、53歳の作がある。
下記の雑誌でも「寛文七丁未年上春 五十歳造之 此竜鋒太田一有作 残形見 周安定所望切之」という銘文の話をしているので、寛文7年(1667)に50歳、寛文10年に53歳だった記録がはっきりしていると言える。
「Museum (213)」(雑誌・データ送信)
著者:東京国立博物館 編 発行年:1968年12月(昭和43) 出版者:東京国立博物館
目次:江戸の新刀鍛冶(中) / 小笠原信夫
ページ数:20 コマ数:12
江戸の神田白銀町に居住
『日本刀大百科事典』によると、
江戸の神田白銀町(千代田区神田旭町・司町)に居住。
出典は『新刃銘盡』『慶長以来 新刀弁疑』『本朝新刀一覧』などの古剣書類らしい。
「Museum (213)」(雑誌・データ送信)
著者:東京国立博物館 編 発行年:1968年12月(昭和43) 出版者:東京国立博物館
目次:江戸の新刀鍛冶(中) / 小笠原信夫
ページ数:20 コマ数:12
切れ味は抜群
『日本刀大百科事典』によると、
『新刀名匠抜萃』を出典として、
刀の合いを取るのが上手だったため、切れ味は抜群だった。
『首斬り浅右衛門刀剣押形』『星野新古刀押形』などを出典として
山野加右衛門の截断銘の入ったものが多い。
なかには「天下開闢以来五ッ胴落」、と切ったものさえある。
しかし、『古今鍛冶備考』『懐宝剣尺』を出典として
山田浅右衛門は“良業物”としか評価していない。
としている。
『袖中鑑刀必携』
著者:近藤芳雄 編, 高瀬真卿 (羽皐) 閲 発行年:1912年(明治45) 出版者:羽沢文庫
目次:山田浅右衛門の切味目録
ページ数:10 コマ数:12
時代によって切れ味の評価が違う
大和守安定の切れ味の評価が山野加右衛門と山田浅右衛門と異なっている。
『日本刀大百科事典』では、これを
合いを取った刀は、当初よく切れるが、年数を経ると鉄が甘いため、切れが鈍るという『新刀名匠抜萃』の説を実証しているようであると推測している。
山野加右衛門永久は寛文7年(1667)に70歳だったという内容が別の刀工の刀の截断銘から判明している。
(山野加右衛門の年齢が入った銘文は様々な刀工の刀に切られている)
山田浅右衛門が『古今鍛冶備考』を出版したのは文政13(1830)。
時代が200年ほど離れているため、年数を経た大和守安定の刀は山田浅右衛門の時代には切れ味が鈍ったと考えられる。
一代刀工か、二代目がいるか
安定に二代はない、という古説が『新刃銘盡』にあるが、「二代大和守安定銘之」、と切った脇差がある。
『新刀押象集 上巻』
著者:内田疎天・加島勲 発行年:1935年(昭和10) 出版者:大阪刀剣会
目次:本集所載の作家と作刀 百八、大和守安定
ページ数:48 コマ数:39
『日本刀大百科事典』によると、
これは初代が27歳のとき出生した飛田宗太夫安次が、襲名したものである。
初代の晩年には、二代の代銘が多い。
とのことである。
『日本刀工辞典 新刀篇』
著者:藤代義雄 発行年:1937年(昭和12) 出版者:藤代義雄
目次:〔や〕 安定 大和守弐代
ページ数:287 コマ数:150
「二代大和守安定銘之」を偽銘と判断する一代説
小笠原信夫氏は二代の銘文を偽銘と判断し、一代刀工とする説が妥当だとしている。
「Museum (213)」(雑誌・データ送信)
著者:東京国立博物館 編 発行年:1968年12月(昭和43) 出版者:東京国立博物館
目次:江戸の新刀鍛冶(中) / 小笠原信夫
ページ数:20 コマ数:12
作風
反りの浅い、先細りの剣形で地鉄は杢目肌詰まって強く、地沸えつき、棟焼きが多い。
刃文は小沸え出来の彎れ、または五の目乱れをやく。
『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:やすさだ【安定】 ページ数:5巻P215、216
調査所感2
ネットとかで見る最近の情報だと和泉守兼重師事説が出てるんだけど今回のざっくり調査では出典発見できなかったので今後の目標としましょうか。
(刀工名検索だとずらっと記事が並んで全部の詳細は見ていられないので見落とした可能性がある)。
試し斬りの山野加右衛門永久さんと交流あった刀工は大和守安定も和泉守兼重も長曽祢虎徹も他の人もであり作風も似ているのでそれぞれの関係は研究が続けられているって感じです。
長曽祢虎徹に関しては和泉守兼重の弟子説が有力らしいけど大和守安定のこの辺に関する記述はどこかにあったっけかな……?
大和守安定に関しては出身に関して古剣書の記載が分かれていて、合作刀の存在から石堂派と書いた本がおそらく正しいと思われることがわかって、他にもちょこちょこ年代の合わない古剣書の記述を実際の刀の銘文や作風と見比べながら検討して修正という作業を重ねていったのがわかりやすいと思います。
参考文献2
『袖中鑑刀必携』
著者:近藤芳雄 編, 高瀬真卿 (羽皐) 閲 発行年:1912年(明治45) 出版者:羽沢文庫
目次:山田浅右衛門の切味目録
ページ数:10 コマ数:12
『新刀押象集 上巻』
著者:内田疎天・加島勲 発行年:1935年(昭和10) 出版者:大阪刀剣会
目次:本集所載の作家と作刀 百八、大和守安定
ページ数:48 コマ数:39
『日本刀工辞典 新刀篇』
著者:藤代義雄 発行年:1937年(昭和12) 出版者:藤代義雄
目次:〔や〕 安定 大和守弐代
ページ数:287 コマ数:150
「Museum (213)」(雑誌・データ送信)
著者:東京国立博物館 編 発行年:1968年12月(昭和43) 出版者:東京国立博物館
目次:江戸の新刀鍛冶(中) / 小笠原信夫
ページ数:20 コマ数:12
「刀剣と歴史 (479)」(雑誌:データ送信)
発行年:1974年5月(昭和49) 出版者:日本刀剣保存会
目次:好古庵刀話(二六) / 今野繁雄
ページ数:7~13 コマ数:8~11
「刀剣と歴史 (495)」(雑誌:データ送信)
発行年:1977年1月(昭和52) 出版者:日本刀剣保存会
目次:江戸物の作風 / 吉川皎園
ページ数:12 コマ数:11
「刀剣と歴史 (564)」(雑誌:データ送信)
発行年:1988年7月(昭和63) 出版者:日本刀剣保存会
目次:好古庵刀話(一〇七) / 今野繁雄
ページ数:20~24 コマ数:15、16
「刀剣と歴史 (569)」(雑誌・データ送信)
発行年:1989年5月(平成1) 出版者:日本刀剣保存会
目次:好古庵刀話(一一二) / 今野繁雄
ページ数:14 コマ数:12
『日本刀大百科事典』(紙本)
著者:福永酔剣 発行年:1993年(平成5年) 出版者:雄山閣
目次:やすさだ【安定】
ページ数:5巻P215、216
『名刀虎徹』(電子書籍版)
著者:小笠原信夫 発行年:2013年 出版者:文芸春秋(文春ウェブ文庫)
『日本刀の歴史 新刀編』(紙本)
著者:常石英明 発行年:2016年(平成28) 出版者:金園社
目次:第2部 全国刀工の系統と特徴 関東地方 武蔵国(東京都、埼玉、神奈川県の一部) 大和守安定
ページ数:143、144