モグトワールの遺跡 016

第2章 土の大陸

1.男装少女と女装少年(5)

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 ヴァン家の屋敷に周囲には青い色が見えない所がなかった。周囲の人々もヴァン家のミィを見て挨拶をしたり、笑いかけたりしていた。セダもヴァン家に世話になって少しだが、ヴァン家の人を皆が愛していて、共に過ごしていると感じた。
 だが、このエイローズ家では赤い色が見えない場所がない。人が違い、場所が違い、主が違うだけで同じ景色が見られている。
「おかえりなさいませ、ご主人様」
 アーリアを見てエイローズ家の周囲にある町並みに住む誰もが頭を下げ、笑いかける。
「おかえりなさまいませ」
「こちらはヴァン家のミィ様ですか!? ようこそおいで下さいました」
 すぐに気付いたエイローズ家の者が近寄ってくる。馬車を降りるときにセダでさえ、手を差し伸べられたので驚いてしまった。びっくりしていても初老の男性はセダの手を取った。
「ご主人様……」
「こちらのお客人は別件だ。西塔の特別室にご案内差し上げて」
「はい、承知いたしました。では、こちらへおいでください」
「あ、待てよ!」
 ルビーだけが執事の男性に別室に案内されそうなのを見て、セダが声を上げる。
「セダ様、こちらはエイローズの問題です。しばしご容赦下さいな」
 甘くアーリアが微笑んだ。その微笑みに何かを感じ取ったか、ミィがセダを制する。
「さぁ、ミィ様、セダ様。こちらへおいで下さいませ」
 アーリア自身が先頭に立って屋敷の中に入っていく。違う国とも言える位に文化が違うとされていただけあって、エイローズの屋敷内部の装飾などはヴァン家とは違う。ヴァン家が派手で華美な印象なのに対し、エイローズはシックな印象がある。色遣いも大人というか、あまり派手ではないが、高級感の溢れるものが多い。
「ヴァン家ではきらびやかな美しいものが多いでしょう? ミィ様のお目に適うものがあるか少し不安ですが、如何でしょう? 少しお待ちくださいね、今お茶をお持ちいたします」
 セダからすれば呆気にとられる程の広さの客間に通されて思わずセダは辺りを見渡してしまった。
「珍しいですか? セダ様」
「あ、いや。というか、その……セダ、様っていうの止めてくれるか?」
「慣れないのですか? では、セダ様ではなく、セダさんとお呼びしましょうか。ミィ様のお客様ということでしたが、どちらからお出でになられたのですか?」
 アーリアが尋ねる。セダは一瞬ミィにアイコンタクトを取って口を開いた。
「水の大陸から来たんだ」
「水の大陸ですか? 遠いところからいらしたのですね。水の大陸といえば、神国のシャイデが有名ですね。他にもラトリア、ジルタリアの名がこちらにも伝わっておりますが、その辺りから?」
「いや。俺たちは公共地の学校の生徒なんだ。そういえば、土の大陸には公共地はないのか?」
「ございますよ」
「土の大陸はドゥバドゥールが治めているから目立たないだけ。ここに来る間にもあったのよ」
「へー」
 まったく気が付かなかったというセダに旗色がない場所があったでしょう、と言われ納得した。
「失礼します」
 メイドが入ってきてお茶を置く。一礼してメイドが去った後、ミィが口を開いた。
「それで、あの、アーリア様」
 アーリアがにっこり微笑む。それだけでミィもセダも一瞬黙り込んでしまった。
「ミィ様とセダさんでは別の事をお聞きしたいようですね? どちらからになさいます?」
 その微笑みは何でも分かっているような顔つきだった。ミィとセダが思わず顔を見合わせる。
「不思議そうなお顔ですね。だって、話はサクッと、スッキリ解決が一番でしょう? 時間は有限ですよ」
 ミィとセダが頷きあう。時間を延ばさなければならない。
「俺、この前土の大陸に来たばかりなんだ。だからいくつか質問させてもらっていいか?」
「ええ、構いませんよ」
「ええっと……」
 聞く事を考えていなかった。さて、どうしようと悩み、とりあえずお茶をゆっくり口に含み視線を彷徨わせる。
「ドゥバドゥールの三大王家っていうのは、ミィのヴァン家とあんたのエイローズ家と、残りは……」
「ルイーゼ家」
 ミィがつついた。セダが苦笑いをする。
「そのルイーゼ家はどんな家なんだ?」
 アーリアは困ったように少し笑う。
「それをわたくしたちエイローズに訊きますか? では、ヴァン家のミィ様はいかがお考えですか? 先にお聞かせ願えればと思うのですが」
「ええ!」
 ミィが突然ふられて慌てている。
「ええっと……」
「ふふ、少し意地悪でしたか? ではわたくしから申し上げましょうか。まず、我らエイローズは武に秀でた一族です。武君の育成に力を注ぎ、一族内での地位や考え方は軍部の統率によく似ているのが特徴です。他家ですが、まずミィ様のヴァン家をわたくしらではこう捉えさせていただいております。導かれし一族、と」
 優雅に音も立てずにお茶を飲むと、アーリアは微笑む。
「導かれし一族、ですか?」
 ミィが尋ね返した。
「ええ。神子に導かれる定め。神子が不在の際は神子を待つ一族とも言いかえられます」
ミィがどきりとしたのが気配でわかった。
 ――ミィの弟はその神子だ。
「どういう意味かわかりかねるのですが」
「わたくしたち、王家はそれぞれの始祖に縛られていると思いませんか? ミィ様。だから、ルイーゼは均一で平等に見えて、根が深い。諍いが生じれば、水面下で激しく動き回る。全てを均一に照らし、導く星が必要。それがルイーゼ。わたくしたちはそう感じております。こんな勝手を言ってはそれぞれに叱られてしまいますね」
 国の事情を知らないセダには二人の間に何が交わされているかはわからない。
「それって、始祖に従っていることが不服ってことなのか?」
 アーリアは首を横に振った。
「いいえ。争いしか生まぬ現状をそれぞれが憂い、三国で同盟を組んだ。騒乱を無くし、民のために手を取り合った。それは素晴らしい事です。始祖は正しく、始祖に連なる者もその教えや導きに従って正しく生きた。しかし、それでもどうしようもないこともあると思うのです」
「……どうしようもない事、ですか?」
 ミィが言う。アーリアは頷いた。
「いくら優れていても、それを忠実に守っても、時が経てばそれが正しいとは限らない。時代に合ったやり方というものが在りましょう。しかし、だからといって変わり過ぎてはそれはもう違うもの」
 アーリアはそう言ってミィを見つめた。灰色の目はミィを引き込むかのように逸らされることはない。
「わたくしはね、ミィ様。その違い、変化それが積り積もって歪みきって、そのしわ寄せが今、来ていると思っているのです。だから、わたくしたちで正さなければ」
「正す?」
「そう。わたくしとミィ様、ルイーゼではアイリス様ももちろんのこと、若い力で」
アーリアはそう言って微笑んだ。ミィは困ったように笑い返す。
 ミィからすれば、ミィはキィと一緒にこれからもヴァン家でヴァンの民と共に幸せに暮らせたらいいと思う。国を代表する王家の生まれで在りながらミィの視野は狭く、そこまでの事は考えられないのが正直なところである。これを持ちかけられたのが、弟のキィであったならば、食いついたかもしれない。
「わたくしでは、お力になれるかどうか……」
「いいえ。ヴァンではあなたが相応しい」
 アーリアは確信したように言いきった。
「キィの方が優れていると思うのですが。こう申し上げたら失礼でしょうが、わたくしは何もできないのです。キィに頼りっぱなしで、彼がいないと何もできない」
「何も優れているから上に立つ資格があるとは限りません。その点、ミィ様は十分に上に立つ資格を有しているとわたくしは僭越ながら感じている所なのです」
 ミィが困惑し、アーリアを見つめる。
「ミィ様は周囲を引き込む才能がおありです。不足な点は周囲が喜んで助けてくれるでしょう。キィ様は確かに優れておいでですね。彼は一族を率いる神子であるお方。では、貴女は? ミィ様、差し出がましい事を申し上げます。キィ様がいずれ上に立つ方となられた暁、貴女は如何するのですか? 今はよろしいでしょう。しかし、キィ様とミィ様は別人です。いつまでも同じ道を歩めません。キィ様が上に立つその隣にミィ様が存在するためには、その隣に立つだけの能力を求められます。……ミィ様。貴女はそれに応える事ができますか?」
「そ、それは……」
 ミィが困り果てて、青ざめる。
 セダはキィに会ったのは、あの奪還作戦の一瞬だけだが、確かに双子というだけでは府に落ちない点として、この双子は互いに互いを欲しすぎている気はする。ミィはこれからの生にキィがいることが当然と思っているのは丸わかりだ。キィはミィの話しやティーニの話を聞く限り、それを嫌がったりはせず、逆にキィも同様に考えているように思える。
 アーリアはそこを指摘する。いくら仲が良い双子とてこれからの人生を今まで通り半分に、互いに分け合って暮らしてはいけないと。キィが己の道を定めた時、ミィはどうするのか? 逆もまた然り。
「キィ様は神子であらせられます。その身は今も無き王位のために神殿におわします。いずれ王がたって、いよいよ王家も当主が交替し、次代が担うに至った際、キィ様はその立場上当主にならざるをえません。ミィ様がキィ様と隣立っておられる為には、理由が必要なのです」
「どうしてだ?」
 事情がわからないセダが問いかける。アーリアは嫌な顔一つせず理由を明かしてくれた。
「ヴァン家で神子が生まれたならば、その神子は一族を導く当主となるか、もしくはその身を散らせるしか過去に例がないからです」
 セダがはっとした。ミィを思わず見る。
「それって、死ぬか当主になるかしかないのか?」
「過去ではそうですね? ミィ様。過去は過去ですから必ずしもというわけではありませんが」
 ミィ自身は明るく、あまり権力や家に縛られていない。だが、現実はそうでもないようだ。
「現在、次代の当主が定まっていないのはヴァン家だけ。ヴァン家の現状では当主の候補として上げられていらっしゃるのはミィ様、キィ様と……ティズ様くらいですか?」
「は、はい」
 ヴァン家の現当主はガルバ・ジルサーデであるジルドレ=ヴァンが兼任している。ジルドレの弟がミィとキィの父である。ヴァン家の直系での当主候補が現在この三名。ジルサーデが魔神の意志で選ばれる以上、当主を誰に据えるかをジルドレは悩んでいるらしい。ミィがそれらしい話を聞いたことはないし、当主になろうと思ったこともなかった。
「他家のわたくしが口を出すことではありませんが、おそらく三家すべてで次期ジルサーデが選出されれば、ヴァン家も先延ばしにした次期当主を選ばざるを得ないでしょう。ミィ様はミィ様の意志関係なく、当主争いに巻き込まれる事になりましょう。特に今回は神子であるキィ様がいらっしゃる以上、すんなり決まるか、波乱に満ちるかどちらかでしょう」
 セダからすればヴァン家は争いから遠い明るい家だと思っていただけに意外だった。
「そんな……ヴァン家はそういうことがない家です」
 ミィも弱弱しくそう言い返した。
「それはミィ様が大切に育てられたからでしょう。三大王家の強大な権力を前にして争わないわけはないのです。わたくしエイローズにしろ、ルイーゼにしろ」
 ミィはショックを受けたようだったが、毅然とアーリアを見つめ返した。
「それはあるかもしれないです。それで、アーリア様はわたくしを支援して下さるとでも仰いますか?」
 それはアーリアに言われる事ではない。ヴァン家で解決すべき事だとミィは言外に含ませた。
「いえいえ、そんな差し出がましい事は、さすがに厚顔なわたくしでも出来かねます。ただ、わたくしはこれからの国のために、ミィ様のお力もお借り出来たらと思った次第です」
 ここでセダはようやくグッカスが言っていた言葉の意味が分かった気がした。
 ――裏では何を考えているか分からない女だ、と。
「そういえば、元々ミィ様をご招待させていただいたのは、キィ様のお噂をご存じなかったと御伺いしたことでしたね。ミィ様は現在キィ様が神殿内で一緒に過ごされている方をご存知ですか?」
「一緒……?」
 それはめっぽう剣が強かったキィを追いかけてきた少年だろうか。
「ルイーゼ家の方で、名をカナ=ルイーゼ様と仰います」
「いえ、知りません」
 キィが地下から地上の部屋に移ってからミィはキィと会っていない。
「大層剣に優れるお方で、元々はルイーゼ家のご当主、アイリス様の武君を務めるご予定のお方です」
 それはルイーゼの直系に近い血統の持ち主ということだ。身分はそこそこ高い。
「そのカナ様がキィとどのような関係が……?」
「本当にご存じないのですね。そのカナ様とキィ様が最近大層親しいそうですよ」
言われてもミィはきょとんとしている。セダも同様だ。仲良くなったなら別にいいんじゃないの?
「……ええっと、恋人同士になられたとのお噂ですよ?」
 直接的な表現に変えて言いなおしてくれて、初めてミィの顔色が変わった。
「なんですって!!?」
 確か、ミィから聞いたところによれば、土の大陸の神殿は女人禁制。すなわち、そのカナは男であり、キィも当然、男であるからして―。
「えええ!!?」
 セダも叫んだ。
「神殿では時々そういうことがあるとは伺っておりましたものの、わたくしも目から鱗と申しますか……」
「嘘、嘘、嘘~~!!!!」
 アーリアの前と言う事が吹っ飛ぶほどミィが叫んでいる。
「あ、えっと……ミィ様?」
 ミィが青くなったり、赤くなったりしてぶつぶつと独り言をつぶやき始め、さすがのアーリアも、すまなさそうな顔をしている。セダは驚き、ミィを見つめた。
「信じられない」
「アーリア様!」
 身を乗り出してミィが言うので、アーリアも驚きながら返事をした。
「それ、どこからお聞きになったのですかっ?」
「えっと、わたくし共エイローズの神官見習いからですが……」
「許せん!! キィめぇええ!」
 セダが呆然としたが、はっとしてミィをなだめにかかる。
「ミィ! ちょ、ミィ。落ちつけよ! な!?」
 肩を揺さぶられて、ミィがはっとする。
「取り乱しまして、大変失礼を。申し訳ありません、アーリア様」
「いえ、御姉弟の事ですから、当然でございましょう」
「そう仰っていただけると助かります。大変、お見苦しい所をお見せいたしました」
今更な気がするが、王家の令嬢らしく、にこやかにほほ笑み着席するミィ。
「ご心配かたじけないです。しかし、ヴァン家の問題はヴァン家で、キィのことはこちらで対処いたします」
「はい、差し出がましい真似を致しました」
 アーリアもにっこり微笑む。ほっとミィが一息ついた。
「それにしても美味しいお茶ですね。もしや、エイローズで有名な雪解け茶では?」
「さすがミィ様。こちらでも雪解けの無い山のふもとで取れた茶葉を使用しております。お口に合いましたのであれば、幸いですわ」
 口当たりがまろやかで仄かな甘みがある。どうやらエイローズ地方の特産物のようだ。
「ご相伴にあずかりまして、光栄でございますが、あの今さらですけれど……ルビーさんは?」
 ミィが尋ねる。今回聞きたい事の本題が上がった。セダもアーリアとミィの会話に注目する。
「あれは客人ではありませんから。別室で待機させております」
 カップに視線を落としてアーリアが即答する。
「失礼ながら、ずいぶんと手荒ななさりようでしたが、エイローズではどのようなお方かお伺いしてもよろしゅうございますか?」
 ミィもなんだかんだ言いつつ、王家の一員だけあって話運びは巧い。
「そういえば、お知り合いのようでしたね。ご説明の前に、ミィ様とはどのようなご縁があったのかを是非お伺いしたいのですが」
 ミィがぐっと言葉に詰まるが、不自然ではない間を置いて話し始めた。
「砂岩加工の素晴らしい腕をお持ちでしたので、スカウトしようと思いました。エイローズの方とは存じ上げませんでしたので」
「ああ、そうですね」
 アーリアはミィの答えでどの程度の関係かを理解した様子だ。
「ルビィ、ルビーなどという名で活動しておりましたあの者は、本名をセーン=エイローズと申します」
「セーン様?」
「はい。御承知の通り、エイローズの者でございます」
「よく御見かけしない方ですが、本家の方ではないのですか?」
「エイローズの中でも下流に相当する家の出です」
 想像していた通り、情報を教える気はあまりないようだ。
「あんたらエイローズでは、親戚同士でそうやって罪人みたいに引っ立てて連れてくるのかよ。あんなに嫌がってでも無理やりに連れてくるのか?」
 セダがアーリアに厳しい視線を向けて問うた。アーリアは苦笑する。
「手厳しい。セーンは半成人の儀式をすっぽかしました。本家の命令に背いたのです。ゆえに、本家ではその行方を追い、真意を問いただそうとしていたのです」
「半成人の儀式?」
「それだけの理由ですか?」
 二人同時に別の事を尋ねる。
「まずは、ミィ様。我らエイローズはヴァン家とは違い、当主の命令は絶対です。背くことはすなわち王家の義務を放棄したとみなし、人々の生活を支える我々としては重い罰を下すこととなっています。我々エイローズでは責任が重い者ほどその職務を蔑ろにした場合の罪は重くなります」
「そんな……」
 ミィが呟く。アーリアは今度セダの方を見て話し始めた。
「セダ様。半成人の儀とは我ら三大王家が己の歩む道筋を宣言する、いわば将来が決まる大切な儀式です。王家ではそれをどうしても無理な場合を除き、出席しないのはあり得ません」
「じゃ、セーンって人は、罪人に近いってことなのか?」
「仰るとおりです」
 アーリアがそう言った。
 確かにそう説明されると納得できる。セーンが元々エイローズ家内でのしきたりを破ったと言うのなら、セーンが悪いのだろう。でも、だからといってそれだけで女装をしてまで逃げようとするだろうか。
「じゃあ、なんでルビー、いや、セーンって人はそんなにあんたに対して怯えてたんだよ?」
「怯えていましたか?」
 セダとアーリアでは話し合いの場数が違う。事実を、それもアーリアに負い目が在るのにそれをちらとも見せず平然としている。ここにグッカスがいれば、少しは違ったのだろうが。
「真っ青な顔をしてた。なぁ、あんたが言うセーンの罪は普通だったらどんな罰を与える? ミィ、ヴァン家ならどうだ?」
「え? ああ、確かにお叱りは受けそうだけど、そもそも犯罪ってわけじゃないし。うちはそんなに嫌なら無理にとは言わないし……。そりゃエイローズは厳しいお家って聞いているけれど」
 ミィは独りごとのように小さく呟く。セダはそれを聞いて頷き、アーリアを見つめた。
「そうだろう。あんたの家がどうかは知らない。だけど、将来の事を決める儀式をさぼった位で、そのお叱りで怯えるなんて、あんたの家おかしいんじゃないのか?」
 それは自分の将来を決める大切な王家の儀式だという。王家の義務だとも。
 確かに王家ならば責任も多く、将来すべき仕事も決まっているのが当たり前なのかもしれない。ミィだって領主をやっている位だ。
 だが、それが嫌な将来だったらどうするのだ? 王家と言うしがらみから抜け出せなくて、自分の将来は自分で決めたくて、それでさぼったのならば、それには正当性が在るように思えた。
 その意志を聞かずに罰するのも一方的だと思う。セーンの意見を聞いてあげることが一番だと思う。
「おかしい?」
「そうさ。確かにあんたの言う事は一理あるかもしれない。だけど、自分の将来を自分で決める事が悪いとは思えない。それで怯えるほどの罰を課すなら、あんたん家はおかしいよ」
「さぁ? そこまでの厳罰を課したことはないと記憶しておりますが、さて……」
 セダの責めにもアーリアは意も解さない。しれっとやり過ごされる。ミィも動揺を誘えるかと思っただけに残念そうだ。
「あの子とあんたの関係は? 大きな家にしてはやけに知り合いなんだな」
「知り合い? ですか……当主といたしましては一族を把握しているのは当然のことかと」
「ヴァン家も大きな家ですからその規模はわかります。さすがアーリア様、把握していらっしゃるとは」
 ミィがそう言う。それに対し、アーリアは謙遜で答える。
「いえ」
「よろしければ教えていただけませんか? ルビーさん、いえ、セーンさんのことを」
 アーリアはにっこりと微笑んだ。ようやく、核心を話し始めたな、と言いたげだ。
「わたくしがルビーと名乗っている彼がなぜ、ルビーと偽名を名乗り、女装をしているかは想像の域を出ませんので、割愛さえていただきますが、彼は山間の長閑な村で生まれ、育ちました。わたくしたち王家の思惑や行動などとは疎遠でした。ゆえに王家の責任を理解していないのは仕方のないことなのかもしれません」
「砂石加工師の家の生まれですか?」
 ミィが問いを重ねる。それにすらすらと答えるアーリア。
「いいえ。彼の両親は酪農を営んでおりましたが、彼の近くにその職の者が居りました。それゆえでしょうね」
「それであの腕ですか。ではアーリア様は、彼をエイローズ専属の加工師として、ご命令を?」
「いえ。それは考え付きませんで。というのも、彼がそれだけの腕を持っているとわたくしが知ったのも、お恥ずかしい話、ごく最近のことでして。今ではそれもよいかと思いますが」
 軽く笑いながら言うので笑いながらミィも答える。
「それは残念、ヴァンの方でスカウトを考えておりましたものを」
 ミィが肩をすくめておどけて見せる。アーリアもそれを聞いて優雅に笑った。
「わたくしの方でもその腕を知っておりましたら、エイローズで囲っておりました」
 笑い声に花が咲いたところでノック音が響き、給仕の女性が一礼して入ってくる。
「新しい御飲み物をお持ちいたしました」
 そういえば、カップを覗き込むと紅茶はすっかり冷めている。招く側として冷めた紅茶をそのまま出すのは失礼にあたる。時間をタイミングを見計らって新しいものを持ってくるとはさすが行き届いていると言えるだろう。逆に、長居する予定でもないのに、お茶のお代わりを貰うほど時間を先伸ばすのは尋ねた側の失礼にあたる。そろそろ頃合いだとミィが視線で告げた。
「まぁ、もうそんなにお時間が。申し訳ありません、とんだ長居を」
「いえ。お楽しみいただけたなら幸いですわ。新しいお茶もご用意したところですし、もう一杯分お付き合い下さいな。今度は違う地方の茶葉で、ブレンドも少々違いますよ」
 アーリアがそう言って微笑み、お茶を勧める。確かに一口飲むと先程のとは違い、後口にすっきりした味が広がる。そして香りも違う。
「これはファス地方のフェイミント葉では? 美味しい! このブレンドは初めてですが、とてもすっきりしていて、元のお茶はフラン? とにかく甘いのにすっきりしている。癖になりますね」
 ミィはさすがお譲さまというだけあって、セダとは違い、ちゃんと感想を述べている。
「さすがミィ様。仰る通りです。既存のフラン果実茶にあの葉をくわえるとこんな味になります。このすっきりした味を出すのに苦労したんですよ」
「よい茶師をお持ちですね。さすが、感服です」
「そう言って頂けると幸いです。茶師も喜びましょう」
 セダも確かに二、三杯軽く飲める味だとは思ったが、さすがにそこまではついて行けない。
 茶の感想を述べ、二、三話を膨らませただけで頃合いと見たか、ミィが暇を告げた。セダも頷いて立ち上がる。
「ごちそうさまでした。ヴァン家でも茶葉のブレンドには力を入れなくては。勉強させていただいた気分で、得をしてしまいました」
 屋敷の外まで見送ってくれたアーリアに二人して深く礼をする。アーリアは微笑んで謙遜を重ね、そこで会はお開きとなった。エイローズの家紋の入った馬車に揺られて、セダとミィはグッカス達が動くまでの時間が稼げただろうかとしきりに見えもしないのに振り返る。そういう躾なのか、騒ぎにはなっていないようだが、グッカス達は間に合っただろうか。
「出来ることはやったよな?」
「そうよね。あれ以上は無理だわ。失礼にあたる」
 セダたちは目的が済めば離れればいいが、ミィはそうはいかない。これからもずっとアーリアと顔を合わせなければいけない。少しでもしこりを作らせてはいけない。

 アーリアは馬車が見えなくなってもしばらく手を振り続けていたが、音も聞こえなくなったころ、ようやく腕を下ろした。それを見て、執事や家来が寄ってくる。
「ミィ様を見張るキョセルを誰かやれ。あの馬車がヴァン家まで行った後に、ミィ様がヴァン家のどこに行くか知りたい。キョセルはまだ余っている?」
 家来の顔を見ることもなく、屋敷に向け脚を動かすアーリア。その歩みは女性にしては早く、テキパキとしている。
「はい」
 応える部下もそれに慣れているのか、同じ速度で会話を続ける。
「では、あの客人、セダといったか。彼にも付けて頂戴」
「承知致しまして。ちなみに、先に放ったキョセルより、あの客人達の素性をある程度調べてございます」
「軽く報告して」
「はい。どうやら彼らは水の大陸からの親使の役を負った集団のようです。水の大陸の神国より、我がドゥバドゥールとの国交を結び直す親書を携えているそうです。しかし、妙な点があります」
「続けて」
 アーリアはそのまま屋敷の中を歩き、階段を上っていく。
「彼らが皆学生であるという点です。重要な役目に関わらずシャイデの出身者ではないようです。彼らは水の大陸の公教育学校の生徒であり、学校か、はたまたシャイデかわかりませんが、そちらから出た課題などもこなしているようです」
「複数の目的を持っているということね。構成員は?」
「はい。先程ミィ様についていたのはセダ=ヴァールハイト。剣士に近いようです。他に同じ学校の生徒と思われる学生三名が居ります。一人は同じく男性、名をグッカス。橙色の髪が特徴です」
「ああ、それなら見たわ。ヴァンの使用人のふりをしていた彼ね」
「他は女性。テラ=S=ナーチェッドとヌグファ=ケンテ。ヌグファの方は魔法を使うようです。テラは弓でしょう。弓を携えた姿を目撃しております」
「他は?」
「宝人を連れているようです。しかも子供と言える年齢。名前は楓と光。能力は良く分かりませんが、契約紋があることからいずれかの者と契約している可能性が在ります。最後はリュミィと名乗る女性。唯一成人のようですが、出自がわかりません。一行のまとめ監視役なのかもしれません」
「ふーん」
 アーリアは聞いているのかというような印象だが、部下はこれで主人の頭の中に情報として残ったことをちゃんと知っている。
「詳細はまだ調査中です」
「続けて。もういいわ。下がりなさい」
「はい」
 調査結果を聞くうちに、目的の部屋の前に辿りついたからだ。ずいぶん高さが同じ屋敷とは言え違う。当たり前だ。ここは屋敷の中でもずいぶんと高い尖塔の内部の部屋なのだから。簡素なドア。それに見合わぬ鍵。部下が鍵を開ける。
 アーリアは一応ノックをした。
「失礼するわよ」
 それはまさしくノック音を聞いて慌てて立ち上がった様がうかがえた姿だった。かといって立ち上がっても数歩歩く位の広さしかない部屋だ。立ち上がって後退したところでどうすればいいかわからずに、その場で立ち済んでしまったようだ。
 見た目はまさしく少女。化粧気のない顔や整えてもいない髪、みずぼらしいと言える薄汚れた格好。でも少女は生き生きして見えたし、輝かんばかりに見えた――この屋敷に来る前までは。
「こんな手荒い歓迎でごめんあそばせ」
 少女は口を利かない。口を聞いて声が少し少女にしては低い事を気にしているのかもしれないし、己の自由を取り上げたアーリアに怒っているのかもしれないし、はたまた、これから起こりうることを想像して恐怖して口が利けないのかもしれなかった。でも、アーリアにとってはどうでもいいことだ。
「名は、どちらで呼んだ方がよろしいの? ルビー? それともセーン?」
「わたくしはしがない砂岩加工師の卵でございます。アーリア=エイローズ様」
「そう」
 アーリアは甘く微笑んだ。対する少女はもっと青ざめる。
「では、ルビーとお呼びするわ」
「何の御用ですか? 腕の披露というには狭い場所ですね」
「わたくしがこれからあなたに砂岩加工を披露せよと、ここに連れだって閉じ込めたとでも?」
 アーリアが一歩踏み出す。少女は一歩後退する。微笑まずにはいられない。なんて哀れな。そして自分にとってはなんて愉快な。獲物を追い詰める肉食獣にでもなった気分だ。
「逃げることはないのよ?」
 口で囁き微笑んでも警戒を解かない、弱き獲物。もう、後退できない壁際まで追い詰めた。追いかけっこをするには狭すぎたのだ。
「ルビー」
 偽名を呼んでやる。同じ位の背丈では、その顔の傍に腕を置き、もう動けないようにすることはたやすい。
「ちょっとごめんあそばせ」
 もう片方の手で前髪を梳いてやる。さらりとした髪は手入れもろくに慣れておらず乾燥したものだったが、逆にそれが心地よい気さえした。そのまま髪から指を離し、顔のラインに沿うように頬を撫でる。
 誰もがその魅力的な瞳に魅入られ、男女関係なくその指先に触れられる事を自ら請うような美しいアーリア。そのアーリアが触れても少女は嫌悪感を示す。彼女の美しい萌黄色の瞳が指先を追っていたが、アーリアの指がそのまま顎に達し首に移ろうとした時、その瞳がアーリアの瞳を射抜くように見上げた。
「触るな!」
 三大王家エイローズの頂点に立つアーリアに喜んで身を差し出す者は五万といるだろうに、その真逆で触れるなと命令する者など、同じエイローズでは、この目の前の人物だけだろう。
「いやよ」
 よりいっそう微笑んで、アーリアは首筋を整った爪先で軽くひっかくように下ろして行く。きっちり一番上まで締められた詰襟。飾りボタンに手を掛けると少女の動揺が伝わって来た。
「何をなさいます? いくら高貴の身の上とはいえ、服を脱そうとはいただけませんよ?」
「ふふふ。いいじゃない。女同士なら、なおさら。見られて困らなくてよ」
 女装が仇になったとでも言いたげに、ルビーはその身を軽く震わせている。
「そう言う問題でもなく、はしたない行為ですよ。貴女の評判を落としかねません」
「いいのよ。あなたとのうわさが立てられるくらいなら、本望だわ」
 甘く、そう、より一層甘く。誘惑するように、囁いてその瞳を覗き込む。
「人を拉致して、軟禁して、あまつさえこのような行為に及ぶ趣味があおりとはね」
「そうよ。あなた限定で。あなたにわたくし、興味があるの」
 少女が目を見開く。
「うそだろ?」
「ほんとうよ」
 アーリアはそう言って一番上のボタンをはずした。喉が息を飲んで上下した。
 こんな行為をするのは初めてで、少しドキドキする。それ以上にエイローズの職務がある。だから、こんな変態と言われても仕方ない行為をしている。その飾りボタンをあと二つほど外し、その胸の上に白い肌だけが広がっているのか。それとも――。

 確認せねばならない。彼女、いえ、彼のその胸に……。
 ――黄金に光り輝く王紋がその存在を主張しているかを、確認する必要があるのだから!

「やめろ」
 ルビーが本気で叫び、その手を一回払いのける。
「いやよ」
「やめろったら! 俺に触るな!」
 ルビー暴れ出す。アーリアもさすがに一人では抑えられない。入口に控えている部下を呼ぼうとしたその時――。
 二人以外の音が、存在を知らせた――。