天狗 06

天狗

第六話 夜霧

 今宵も見事な山を背景に大きな満月が登る。山の中では夜行性の生き物が活発に動き回る中で別の気配が動き出す。
 それは現実の世界と隣り合わせに常に居る隣人。しかし交わることのないイキモノ。アヤカシ。
 ここらの山には巨大なアヤカシの集団として天狗がいる。山の神を主とし、修験道を修めたイキモノがアヤカシとして生まれてきたものが天狗という。
 天狗の本分は山を護る事。それ以外のことは考えない。山神の配下である彼らは群れて暮らし、山に結界を張ることで天狗と山、そして山神が存在してからずっと山を守ってきた。
 ここらの山には道主(どうしゅ)という山神とその配下の八天狗が山を守ってきた。天狗は生まれると道主によってどの山につくかを決められる。そこで一番強く、偉い天狗に従って日々を過ごすのだ。
 その一番強く、偉い天狗を宮(みや)という。宮は道主によって選定され、その山まるごと守る結界を張る役目を持っている。宮は各山に一匹ずつ存在する。つまり八天狗とは八つの山の宮を総称するわけである。
 各山(各宮)には一応特色がある。道主の束ねる八天狗は大きく分けて二つに分類できるのだ。純粋な天狗と天狗の仲間といえる厳密に言えば天狗ではないアヤカシの集まりだ。
 七宮は烏天狗の集まり。七宮は烏天狗の宮である。つまり、七宮の天狗はすべてもとは鳥であった、ということだ。つまり純粋な天狗ではない。この純粋でない天狗の仲間として、他には白天狗を束ねる二宮、尼天狗を束ねる五宮、木葉天狗の集まり六宮があけられる。
 二宮は人間が修験道を修め、天狗に変質したといわれる、白天狗の集う宮だ。
 五宮はもともと人間の尼が修験道を通って天狗に変じ、その本質は狐といわれている。
 六宮は木葉天狗は狼や狗から天狗に変じたものである。これら四宮があげられる。
 純粋な天狗は冬を司る一宮、春と司る三宮、夏を司る四宮、秋を司る八宮の四つである。
 現在、道主の八天狗に空位はない。一宮から八宮まで強大な力を持つ天狗が治めていた。 その八天狗のなかでも強いといわれているのが七宮の宮、七矢(ななや)である。
「宮さま、如何なされました」
 自身の宮で真上を見上げたまま動かない七矢を配下の天狗が心配そうに気遣う。
「月が、大きいんじゃ」
「は、はぁ」
 配下の天狗が頷いて月を見る。確かに今宵は雲一つないそらに穴が開いたようにぽっかりと白銀の月が君臨していた。満月。アヤカシが最も力を増す夜。
「しばし、飛ぶ。ついてくるな」
 七矢はそういうと大きな漆黒の翼を広げた。おもいきり広げた翼は天狗二匹を縦に並べたのと同じくらい大きい。烏天狗の翼は大きく、美しい。月の光に当たった漆黒の翼は紺色の艶を見せている。
 一回の羽ばたきで七矢の体は高く飛翔する。瞬く間に月の光の中に消え去った黒い翼を追うことはできない。

「月なんてきらいじゃ」
 七矢は独り、呟いた。

 今より六十年ほど昔、人とアヤカシの間で大きな騒乱が生じた。陰陽師の出現によるアヤカシの一方的な消滅だ。力が弱いアヤカシは人へ悪さをしてしまえばその時点で消され、力をそこそこ持つものは人間の脅威として祓われたのである。
 アヤカシは逃げる。人がいない土地へと。しかし修行と称して追ってくるものもいたのだ。人間にとっては本当に修行で、たまたま見つけたアヤカシを祓ったに過ぎないが、アヤカシにすれば迷惑極まりない。
 力と分別があればアヤカシの暮らしを放っておいてくれるものの、中途半端な人間の術者は善悪を見極める力が備わっていない。よって追い詰められたアヤカシは生きるか死ぬかの賭けに出るのだ。
 ――修験道に身を落すという選択。うまく生き残れば天狗として山に守護してもらえるのだ。こうしてなかなか生まれない天狗が一気に数を増やしたのである。このようなことは日本に仏教が広まって僧が溢れた時にも起こったが、その時は道主が一匹の力を持つアヤカシをつくったことで事なきを得た。しかし今回のことは道主が手を打つまでもなく解決してしまっていた。
 力を持つ天狗が生まれたことで、修験道は平和になっていた。そして力を持つ天狗が生まれ出る。まれに生まれるといわれる烏天狗が、それこそまれに強大な力を持って、しかも嘘としか言いようのない確率で二匹も生まれたのだ。力をそこそこしか持たなくても烏天狗が五匹。一度に五匹も生まれたのだから当時の天狗たちはかなり驚いたことだろう。
 ほかの種類の天狗もそれぞれ三匹くらいは生まれたがなぜこんなに烏天狗が、と不吉に感じた天狗もいた。

「お前は天狗ではないような髪よの。鶯と名乗りゃ」
 当時の七宮の宮にそう言われてから鶯の天狗としての記憶は始まっている。深い赤色の狩衣が印象的な好々爺だった。名を授けられて、一瞬で理解できた。天狗が何か。どういう存在で、何をすればいいか。そしてこの目の前の老人こそがこの山で一番偉く強い天狗であり、従うべき存在であると。
 何日か日を置いて、鶯の他にもこの七宮には三匹の天狗が生まれていたとわかった。天狗も生まれてすぐに力を使いこなせるわけではない。力は備わっているが、使い方を二十年かけてゆっくり学び、それから山を守護する任が与えられるのだ。誰に教えられたわけではない。自然とわかっていくものなのだ。
 それは修験道で学んだ記憶なのか天狗の本能なのか、わからずとも不安や反抗は全くなく、天狗としてしっかり日々を暮らしていた。他の生き物から修験道を通って天狗に変じた天狗は三通りいる。天狗に変じてから記憶が始まっているものと、修験道での記憶があるもの、天狗に変じる前の記憶が残っているもの、だ。
 それぞれ残っている記憶の度合いは異なるが、鶯の場合は生前の、つまり天狗に変じる前の記憶がほんの少し残っていた。自分の本当の名前と、自分が烏ではなくヤタガラスと呼ばれる三本足の烏であったこと、などだ。
 でも天狗になった鶯に取って、その前の記憶はたいしたものではない。あるようでないようなものだ。鶯がそんな日々を送るある日、宮さまが鶯を呼んだ。
「何用でございましょう、宮さま」
 かしこまる鶯に宮は笑った。
「そろそろじゃと、思うたんじゃ」
「何が、でありましょうや」
「他のやつらとは力がお前さんは違う。飛びぬけておっての、そろそろ不服に思うじゃろうと考えてな」
 確かに物足りなかった。同じ時期に生まれた天狗の仲間とは仲がよかったが一定の距離を感じていた。力の差だ。
 鶯は生まれた時から大きな力を持っており、すでに風を扱う類の術は完壁で先に生まれた天狗より上達の具合が違ったのだ。そろそろ次の段階に進みたいのだが、風に術をまともに会得していない仲間の前で言うのは気が引けたのも事実だった。
「お前さんは、寂しかろうがあやつらとは離れて学ぶがよい」
「そんな……」
 わかっていたことだった。いつかはこの力のために自分が皆を置いていってしまうことを。
「案ずるな。お前さんたちには言わなんだが、お前さんたちと一緒に生まれた天狗はもう一匹、おる」
「え、僕らは四匹で生まれたんと違うのですか」
「そうなんじゃ。秋の野に生まれておったのがいての、そやつも仲間じゃ」
「何故、一緒に暮らせなんだです」
「……言いにくいのじゃが、そやつひどい恥ずかしがりやでのぉ……やつだけ時期をずれて名を与えてしまっての、まぁ見つからなかったからなんじゃが、今さら仲間には入れんと言いよって、好きにさせとったら風を使いこなしておって、お前さんと一緒なら互いにいいと思うた次第なんじゃ」
 なんだそれ、と脱力してしまった。恥ずかしいからって今まで一匹……。
「仲良うしたってくりゃれ」
「はあ、ご期待に沿うよう努力いたしますれば……で、そやつは何処に」
「生まれてから移動してはおらん。秋の野じゃ」
「わかり申した」
 宮さまに言われても会う気はしなかった。今までの仲間と離れるのもいやだったし、そんな恥ずかしいだけで仲間に入ってこれないような天狗とどうやって付き合えばいいのかさっぱり皆無だったのだ。
 しかしそんな自分の中での意地の張り合いも一ヶ月でどうでもよくなってしまったのだ。あまりにも仲間の術が完成されていないので、見ていていらいらするのだった。そうこうするうちに会うくらいなら、と思い始めたのだった。

 満月の晩、鶯は飛び立った。漆黒の羽を羽ばたかせ、七宮の端に位置する秋の野へと。
 秋の野の前で降り立つと空ではわからなかったが以外と草の背の丈が大きくて、鶯はどちらの方に目的の天狗がいるのか分からなくなってしまっていた。月明かりだけを頼りに、自由に進む。空を飛ぶのが当たり前の天狗にとって歩くというのは、ひどく新鮮なことだった。
 手で掻き分けて、やっと草がなくなっていると感覚でわかったとき、羽ばたきの音が聞こえた。きっと恥ずかしがりやの天狗だと思い、音を立てないようにそぉっと草の間から前を覗く。草が突然なくなっていたわけが、まずわかった。そこは泉だったのだ。結構大きかった。そして、鶯は息を呑んだ。
 ――きれい……。
 目的の天狗は泉の中で立っていたのだが、水術を練習しているらしく、月に向かって両腕を広げていた。その腕に釣られるようにして、泉の水が立ち上ってきらきらと輝いていたのだった。それと同時に鶯ではありえない漆黒の長髪が霊力で舞い上がる。そうしているうちに感覚をずらしたのだろう、水がいっきに落下し、泉に戻るとその天狗は頭から水をかぶってしまい、幻想的だった姿は一瞬で消えうせた。
「あはは」
 声を出して笑ってしまったときには、既に遅く、その天狗が振り返って、警戒する。
「誰だ」
「ごめんなさい。邪魔するつもりはなかった」
 鶯は草むらから立ち上がって、泉のふちに立った。改めてその天狗を見る。烏天狗は美しい顔立ちをしていた。髪は漆黒、目は輝き明るく、薄い黄色。
「僕は鶯。七宮の烏天狗。君と一緒」
「な、何の用で……」
 その天狗は慌てて顔を背けると急いで天狗の面を出した。内心、もう遅いよ、と思いながら言った。
「宮さまの仰せで君と一緒に術を学ぶことになった」
「えぇ」
 気の抜けた驚きの声を漏らすことにも笑いを堪えるのが大変だった。
「本当。名前を、教えてくれるかな」
「……黒雛(くろひな)」
「黒雛か。これからよろしく。……聞いてもいいかな。なんで上半身の着物を脱いでいるの」
 そう、気になっていた。上半身裸だったからこそ、きっといつも着けているであろう面も外していたのだろう。
「あ、ああ。うまくまだ水術を使えないから、濡れる前に脱いでいた、だけなんだ、が……」
「へぇ。恥ずかしがりやのわりにはちゃんと考えているんだ」
「な」
 面をつけていてもきっと赤くなっているだろうな、と思うと自然に笑みがこぼれた。会う前はあまり会いたくないと考えていたのに、会えば興味を抱かずにいられない、不思議なやつだった。

 これが、鶯と黒雛、後に七宮に大きな影響を与える力を持った天狗同士の出逢いだった。

 黒雛と鶯はどんどん親密になっていった。誰も来ない秋の野で二匹は二匹だけの時間を多く過ごした。技も力も何もかも同じ速度で同じように身につけた。
「鶯はほんに剣を扱うのが上手いな。私はそこそこだ」
 刀を見て、黒雛がため息をついた。そんな黒雛を笑って鶯は言った。
「黒雛は舞うのが上手いじゃない。うらやましいなぁ。ね、舞って」
「いいよ。私もお前の前で舞うのは嫌いじゃない」
「光栄だね」
 二匹は笑いあった。黒雛はとても恥ずかしがりや。でもようやく鶯の前だけでは面を取ってくれるようになった。黒雛はとってもきれい。美しい。やさしげに笑うその顔も好きだった。でも、彼は強い。自分と同じくらい強く、同じくらい山を愛している立派な天狗だ。それが誇らしい。意味のあることに思える。
 きっと次の世代は黒雛と私が新たな宮を支え、守っていくのだと鶯は信じて疑わなかった。そんな二匹の下に宮さまが久々に降り立った。二年ぶりだ。黒雛と鶯はかしこまって宮さまを迎えた。
「元気そうで何よりじゃ、黒雛。鶯」
「はい」
「仲良うなってうれしい限りじゃ。互いにたのしかろ」
「はい」
 こっそり面の下から二匹で笑いあった。
「見ていたがおんしらずいぶん成長したの。おんしらはまだまだ雛じゃが、立派な大人と同格の力を持っておる。せやから、おんしら我が傍に来やれ」
「はぁっ」
「へっ」
 互いに素っ頓狂な声を上げていた。二匹はまだまだ訓練すべき雛天狗だと思っていたばかりに意外なことだった。
「それはつまり、宮さま。僕らが宮さまのお世話をするということで……すよね」
「そうじゃ」
「えっと確かそれは宮さまに次ぐ力を持つ天狗のなさることですよね」
「そうじゃが、どうした」
 黒雛は珍しく、口を利いた。
「私らがこの七宮で宮さまの次に強い、ということですか」
「そう言っておる。ま、近々、そうじゃの……次の満月までには来やれ」
 宮さまはそう言って紅の狩衣を翻して去っていった。二匹は心ここにあらず、といった感じで宮さまを見送ると、二匹して見合った。
「えっと……」
「ああ、うん……」
 二匹とも混乱していた。次第にことが飲み込めると、えぇーっと二匹して叫んでいた。天狗の世界の中で宮さまだけが住処を持っている。その住処は人間が持っているような他の天狗とは比べ物にはならないものだ。
 しかし人間と違うのは宮さまはその住処を宮さまだけが使っているのではない。配下の中でも特別に強い天狗、宮さまの傍に侍る事を許された天狗も一緒に住んでいる。他の天狗は力の順位によって巣を作る場所が決まっていて、弱い雛は巣さえ持っていなかったのだが……この度そうも行かなくなったようだ。
「ど、どうしよう、鶯。私は……今まで鶯と宮さま以外の天狗におうたことがない」
「僕だって雛以外の天狗とは話したことはあまりないよ」
 二匹は心配事を言い合って、ぷっと同時に笑い出すと、お互いに言った。
「でも、大丈夫だよね。黒雛が一緒なら」
「ああ。鶯が一緒なら、大丈夫だ」
 次の満月夜、二匹は同時に宮様の元に向かった。二匹同時に宮様付きの配下となる。そうして宮様の元で二匹はもっと力を伸ばしていった。そのころになってようやく黒雛は鶯なしで他の天狗と話せるようになったが面を取った事は一度としてなかった。
 もはや七宮には宮様の右腕が鶯、左腕が黒雛というように七宮の二強として他の宮にも二匹の名前は伝わっており、その位置づけが当然となっていた。老いた宮様より二匹が強くても、二匹の宮様を尊敬する気持ちは変わらず、山を愛する気持ちも、力も何もかもが同じで二匹とも仲がいいものだから七宮では次の宮は黒雛と鶯どちらになるかだれもわからなかった。
 現に宮様本人次の宮の選定を悩んでいるようだった。いっそのこと二匹より力はないが下位の天狗を宮に推し上げて、今まで通り二匹に支えてもらったほうがいいのではないかとの意見もあった。それくらいに二匹は仲がよかったのだ。
 お互い、どちらが宮をやってもよかったし、やらなくてもよかったのだ。しかし老いている現七宮は次の宮の選定を急がなければならなかった。この特殊な力の位置づけが定着してしまった七宮は混乱に陥っていた。宮様も二匹のうちどちらが向いているか選べなかった。
 そこで、宮様が道主さまに伺ったところ、次代の選定を道主さまが直接行うという、前代未聞の事態になったのであった。七宮に属する天狗のうちで二匹をよく知っているものは二匹の力がまったく同等と知っていた。どちらも悪い天狗ではない。
 しかし、黒雛の極度のはずかしがりやを知っていたために、鶯の方が適任に思われた。
 それにどちらか一匹が宮となっても二匹の絆が変わるわけでもないだろうと思われた。

 しかし、内密で一方的に七宮の次代は黒雛が選定された。

 道主さまに仕える天狗がその命令に逆らえるものではない。現七宮もその判断に従った。七宮の新宮が黒雛、それだけならば誰もが納得しただろう。
 道主さまは黒雛を選定した上で、鶯に宮追放の命を内密に同時に出していた。
 従えないのは当の二匹だ。今までずっと一緒だったのだ。どちらかが宮になってもお互いを支えていこうと誓い合ったばかりだった。
「鶯、私は宮など受けない。お前とずぅっと一緒にいる。私はお前のほうが宮にふさわしいと思うのだ」
 鶯は微笑んだ。
「謙遜はええよ。僕は心からお祝いしてる。……君が宮なのはいいの。でもやっぱり離れるのはつらいね」
「離れん、私はお前と一緒にいる。ずっとお前の元におる」
 黒雛は鶯を抱き締めた。ずっと二人で生きてきた。黒雛は鶯が初めて心を開いた存在だったのだ。
「ほんと」
「ああ」
「僕は黒雛が必要。黒雛は風みたいに軽くて水みたいに綺麗。黒雛と離れるなんで嫌。黒雛が僕の目標で黒雛が僕の心の導。そう思っていた」
「私もだ。私は未だにお前にしか心を開けていないのだぞ。それを宮だなんて無理に決まっている」
「そんなことはない。君には力が十分ある。宮としてやっていける。でも、君が宮になったとき隣に立つのは僕じゃない。僕より弱くて、僕の知らない誰か、なんだね……」
寂しそうに呟く鶯に口づけて、黒雛は囁いた。
「私はお前のものになろう。……本の私の名をお前にやる」
天狗は生まれて自分の宮さまに名を頂く。その名が名前に、呼び名になるのだが、天狗になる前の記憶がある場合はその名が真の名前となる。天狗ほど知能があり、力も強いアヤカシは名に縛られている。だから本当の名前をアヤカシは胸の中にしまっておくのだ。
「え。黒雛にも、あるん」
「ああ。私は烏天狗に成る前は、呪いの象徴といわれていた白い烏だったんだ。白かったせいか烏なのにいつも一匹で、気味悪がった人間に追われて修験道に落ちた。それが私だ」
 白いカラス。それは不吉の象徴とされている。白いカラスを見た者は死に至る、病を呼びこむなどといって人間からは忌み嫌われている。仲間の烏も黒くない目立つ白い烏を仲間とは思わなかったのだろう。
 生まれてからずっと一匹。それが極度のはずかしがりやを作ったのかもしれない。
 天狗として転生して初めて得た仲間。自分の命以上に大切に思う天狗。それが黒雛にとって鶯だった。孤独から救い出してくれたのだから。
「僕を、そんな風に思っていてくれたんだね」
 黒雛は生前の記憶を忘れていなかったのだ。どんなに短かった鳥の一生でも黒雛にとって寂しい、哀しい記憶だったのだ。
「黒雛、僕だって君のものだよ。僕の本の名前を君に明かそう」
 鶯もそう誓った。鶯にしてみれば生前の記憶はぼんやりしたもので何だったかと、名前くらいしか思い出せないが、黒雛と一緒の日々を失いたくはない。彼女もまた、黒雛を必要としていた。

 満月の夜、白銀の月が見下ろす中で黒雛は鶯のものに、鶯は黒雛のものになった。二匹はお互いに離れず、ずっと一緒にいると誓い合ったのだ。

「失礼いたします」
 声を掛けても返事などもとより期待していない。それでも黒雛はその空間に無理矢理入り込んだ。中は先をも見通せない深い闇。その中で目的の人物と言っていいのか、つまり道主さまを探した。黒雛はまだ宮の継承式を済ませていない。黒雛は絶対に受けないつもりだ。宮は鶯にこそふさわしい。
「まさか、宮以外の天狗が我が住処にたどり着くどころか入ってくるとは……」
 闇のどこからか低い威厳のある声が響いた。黒雛は道主さまとすぐに理解した。そこで畏まる。
「七宮、烏天狗が一、黒雛でございます。お初お目にかかります、道主さま。呼ばれてもおりませんのに勝手に押し入りました事をまず、お詫び申し上げます」
「黒雛……儂が指名した七宮の新宮が、何ぞ用かや」
「その新宮、私は辞退させていただきたく、参りました」
「何と、断る。なしてじゃ」
 気付くと闇の奥に人影が浮かんでいる。黒雛は驚きつつも、自分の主張を述べた。
「鶯をご存知ですね、道主さま」
「おんしと同じ力を持つ烏よの。鶯色の髪をしよる」
「何故、鶯ではないのですか。なして、鶯が追放なのです」
 少し口調を荒げて、黒雛は言い切った。天狗全てを支配する山神に意見するなど黒雛が初めてだ。道主はおもしろそうに黒雛を見た。その顔は面に隠れているが意志の強い瞳をしているに違いない。
「同じ、ほんに同じ力を持つ天狗が山には二匹もいらん。せやから追放じゃ」
「なぜに追放なのです。私達は同じ力を持つからといっていがみ合っているのではないのです」
「同じ力を持つゆうことは宮が決めたことに反対された場合、その力を抑える者がおらんゆうことじゃ。それでは宮の役目は無に等しい。威厳もない。宮は儂の代わりに山を任すゆうことじゃ。宮が他の天狗を従え、山を守るのが宮の勤め。宮と同じ力ゆうことは宮に逆らえる力があるちゅうことじゃ」
「鶯はそんなことはしません。私が鶯の立場でもそのようなことは決して」
「ない、言い切れるか」
 問う声に力強く黒雛は頷いた。次のときに黒雛は背後に気配を感じた。黒い人影が後ろから黒雛を拘束している。
「大事か、鶯が」
 闇の手が黒雛の首に添えられた。道主さまの怒りを買った。もうただでは済まされない。黒雛がそう覚悟した時、しゅるりと面の紐が解ける音がして、面がすぅっと消えてしまった。
「鶯を追放するのには理由がある。力がお前と同等な事。それは先にも言ったように宮に災厄をもたらすかもしれん。二つ。おんしらは烏天狗。他の宮に受け入れてはもらえん。三つ。おんしらは天狗だのに山と秤にかけるものが、あるな」
 黒雛は鶯を思った。黒雛の胸に黒い闇の腕が入り込む。心の臓を直接つかまれて息が止まった黒雛は道主の次の行動をただ待つしかなかった。
「おんしと鶯は天狗にあらずじゃ。せやから罰を受けてもらうんよ。先に山を捨てたのは、黒雛、お前やろ」
「……殺すのですね、山より鶯を選んだ私を」
 黒雛が覚悟を決めて言った時、背後の闇はくっくと笑った。
「殺しはせん。死ぬより重い罰よ。鶯には天狗社会を外れてもらう。そのための追放じゃ。鶯の方が楽やで、実際。黒雛、お前は鶯よりもっと深い罰を負え。お前が鶯を裏切るのじゃ。お前は鶯のもんやない、儂のものとなれ」
「なにを」
「お前が鶯を巻き込んだ。お前が鶯を狂わせた。鶯はもとの天狗には戻れん。その罪は重い。ここで殺すこともできるが彼女は才能ある天狗やった。せやから追放にしたる。お前が断るなら彼女も道連れじゃ」
「なして、私を殺せばいい、私を追放すればええやないですか。なして鶯なのです」
「ゆうたやろ。おんしはこれより重い罰じゃ、とな」
 黒雛は唐突に道主さまが言う罰の内容を理解した。これから鶯のいない七宮で鶯との誓いを破る罪を犯して宮を続けるその苦痛が……いつの日か起こるであろう宮としての自分と外の天狗の鶯との戦いが。
「何が神。天狗に何をさすも自由ゆう訳ですか。私が死ねば済む問題をここまで広げてしまうのですか」
 心臓を捕まれて黒雛は苦しみながら言い放つ。
「まだ文句を言えるとは……じゃぁ、教えてやろう。お前を殺したとして宮となった鶯はどうなると思う。お前を追って死ぬかもしれんし恨んで儂に喧嘩を売るかもしれん。どちらにしろ七宮を守るに相応しゅうない。その分お前ならその心配はない」
「そんなことわかりません」
「儂は鶯は殺さん、ゆうた。逆にお前が従わねば鶯を殺すこともできる。でもお前は殺してやらん。何度でも鶯の喪失を思い知るがいい。それが儂がお前に課す罰よ。さぁ、どないする。鶯を殺すのかや、お前が」
「私を脅すのか。そこまで私の罪は重いのか」
「お前たちの罪が重いのはお前たちが等しく同じ強力な力を持つゆえのこと。どちらかが違えば、夫婦にさせることもできた。……お前たちは運がなかった」
 黒雛が愕然とする。
「運ですと。我ら命運を決めるは、あなたではないか。あなたが、あなたが認めて下れさればこのようなこと」
「起らぬと思うてか」
 黒い真っ暗闇の道主の瞳の中に吸い込まれる。意識が持っていかれる。
「雌はのぉ、黒雛。情が深いものよ、鶯はおんしの為なら、天狗全てを敵に回す。おんしら二匹は危険そのものじゃとゆうておろう」
 黒雛の視界に鶯が黒い、道主そのものに飲み込まれていく姿が浮かぶ。
「儂は選ばせてやるゆうてるのよ。おんしが鶯を殺すか、鶯をおんしのせいで殺されるか」
「……どちらにせよ、鶯は死ぬ」
「ほうよ、そしておんしは鶯のおらん世界で儂の作った檻の中で生きねばならぬ。それが天狗の道を外れし、おんしの罰よ」
「外道がっ」
「そこまでの口を利けるとはのぉ……」
 黒雛は鶯を想う。自分のために死なねばならない愛おしい天狗の姿を。
「鶯……」
 もし、自分が宮になれば、鶯は道主を恨むだろう。そして、きっと立ち向かう。でも、そうしなければ鶯の命だけは守れる。自分と同じ場所に立てず、二度とその姿を抱くこともできないが、それでもより長く生かすことだけは可能だ。
 自分の世界を開き、道を開いてくれたのは鶯。彼女が愛おしい。愛している。だけど。
「私が、宮となればあなたは鶯に手を出さぬのですね」
「約束しよう。敵となった鶯をどうするかはおんしの自由じゃ。だたし、おんしを楽には殺させぬ。おんしは山と鶯、鶯を取ったのだからな」
 心の底まで見抜かれている。確かに黒雛は鶯のためなら七宮を滅ぼしてもいいとさえ思った。二匹で宮を抜け、気ままに生きたいと、そう願った。それが罪なれば。……もはや黒雛に生きる場所はない。
「お受けする。だたし、冠名は七矢にして頂く」
 もし、叶うなら。鶯が二度と七宮に戻ってこないように願いを込めて、彼女の名前を背負おう。
「構わぬ。では現七宮の命が潰えし時、おんしが七宮の宮として起て。よいな、“七矢”」
「御意」
 胸から黒い腕が引き抜かれ、やっと普通に呼吸する事が叶った。
「心行くまで楽しむがよい。おんしと鶯が過ごせる刹那の時を」
 そう言って黒雛は道主の空間からはじき出された。失墜するように黒雛が落ちる。それを受け止めた存在は見えるはずのない、知覚できるはずのない場所をにらむ。鶯色の髪をなびかせて。

「気づいておりますな、あの天狗。ここまで強いとは思わなんだ」
 むぅっと言う唸り声と共に紫色の衣が翻る。
「一支、見ておったか」
 道主はそう言って、黒雛を抱きかかえた鶯の視線を真っ向から見返すように見つめた。
「確かに、道主さまが危惧すべき強さ。あやつらには辛う事になりましたな」
「ほうよの。せめてどちらか一匹が、違う宮、もしくは弱ければなんとかなりしものを。まったく同等の力という事が、あやつらを救えぬ」
 全く同じ力ということは、鶯にも道主の住処が知れており、入ることができるということ。三由の時のように、生まれた強き天狗が一匹なら。宮に据え、生かす事が可能だった。しかし黒雛と鶯はそうはできない。
「まさか、宮であっても知覚できぬこの場所を、あの若さでものともせぬとは、七宮の将来、恐ろしゅうなりますな。血色を背負うにふさわしき強さですよって」
 道主は黙った。もう道主が一番初めに命じた宮はこの一支しか残っていない。紅をまとう七宮の本来の役目は“戦闘”。
 飛行能力が最も高く、鋭い烏天狗はその漆黒の翼を赤色にぬり替えるのが役目。いずれ起こりうる乱世のために戦うために存在する、それが七宮の意味である。
 だから七宮の宮は紅の狩衣を纏うのが定めなのだ。そして宮意外色を持たず、仮面を使用するそのわけは、穢れを身にまとう事が可能だからだ。忌むべき穢れを負う事すらいとわず戦う定め。それを少しでもなくし、個としての想いを消しさる事で、烏天狗は戦闘を度の天狗より苛烈に過激に行う。
 天狗としての才能を色濃く残し、尚且つ攻撃性の激しい気性を持つ烏天狗。しかしその性格を知る天狗は少なくなった。その性質を少しだけ残す外見のみが他の宮の天狗の嫌悪感を抱かせている。
「覚悟を決めておったのよ、あの二匹が生まれた瞬間から……の」
 道主はそう言った。問題はどちらを残すか。同じ力を持つ二匹のどちらを消し、どちらを宮とするか。道主とて悩みに悩んだ。どちらでもいい。でもどちらかによって、完全に七宮の命運は決まる。永続か破滅か。

 そうして、刻限となる。

 七宮宮上崩御。その知らせは八天狗が治めるすべての山に伝わる事となった。問題はそこではない、亡くなった七宮は次代の宮を選定することなく、逝ったと。道主に委ねられた新宮の選定は誰しも予想しない結果となった。
 次代、七宮は黒雛。そして新たな宮としての名は――七矢。
 新たな七宮である七矢は七宮の宮が住まう住処へと居を移し、他の八天狗による新宮の継承式が執り行われた。瞬時に紅色へと染め上げられていく黒雛の狩衣。
 鋭い鳥の仮面の下には宮となる喜びに震えているのだろうかと誰しも思った。新宮の継承式が済み、他の八天狗が住処へと帰っていた後、誰しもが七矢の顔を見ることを望んだ。
 七宮で黒雛の素顔を知っていたのはおそらく前七宮と鶯のみ。それ以外に黒雛が素顔を見せたものなどいはしない。宮となり、結界を立ち上げたのち、再び黒い闇の中へと誘われた。
「約束を覚えておろうの、黒……いや、七矢」
「はい。道主さま。儂はこれからあなたの奴隷だ。あなたの言う事はすべて聞きましょう。だから、鶯の命だけは、どうか……」
「わかっておる。鶯が我らの山に危害を加えぬ限り鶯の命は保証する」
 七矢は唇を噛みしめた。これは自分への罰。自分が鶯の心を欲したりしなければ、少なくとも鶯にこのような定めを送らせなくてもよかったのだ。
「もしもの時は、おんしが殺すのじゃぞ」
 七矢は是と言えなかった。山のために鶯を殺すことなど、できるものか。それが例え天狗の本分だとしても。だが、今ここで言えなければ鶯の命は道主に狩られる。それだけは。
「御意」
 うつむいて応えた瞬間、ばっさりと頭髪が喪失した。力がごっそり抜かれていく感覚を味わう。
「そうそう、そなたの山ではおんしはその面を外しておくのじゃよ。宮の素顔位晒さねば、配下が不信を抱くからの。わかっておろう。おんしは宮としてその命尽きるまで我と七宮と共にあれ、それがそなたの罰」
「わかっております。七宮の宮、しかと努めますれば」
 目礼をして空間を無理やりこじ開ける。
 現実に帰還した感覚に一安心する。そして他の烏天狗達が自分の支持を待っていた。そして新たな宮として自分に宮としての言葉を求めている。
「七矢……さま」
 名前が急に変わって呼びずらそうだ。仮面の下で笑う。ああ、これからは表情でさえ、隠さなければいけないとは。なんて苦痛なんだろう。

 鶯は宮を継いだ黒雛を隣ではなく、遠くから別の人を見るかのようにして見ていた。紅の狩衣が翻る。あれだけ目立つことが嫌いだったのに、あれでは黒一色の烏天狗の中で目立つなという方が無理だ。
 長く、黒く、美しかった髪が、新宮を受け入れた瞬間に短く切り取られていた。宮は造反の意志と力を削ぐために、髪を献上するのだという。だとすれば今黒雛は鶯より弱いのだ。だからこそ、黒髪が力を削がれて濃紺色に変化したのだろう。
「……七矢、さま」
 誰かがつぶやいた。そんな名前を呼ばないで。答えないで、黒雛。それは僕の名前だよ。名を呼んだ誰かがふっと僕の方を振り返る。そう、傍に鶯がいないことをいぶかしんでいるのだ。黒雛はそんな様子を無視し、手を仮面にやった。もう片方の手で後ろの結い紐を解く。すっと仮面が落下して、途中で消失した。
 ため息が聞こえてくるようだ。黒雛の顔が暴かれる。今まで黙してきた表情だ。その表情はわかる。長年仮面なしで付き合ってきた鶯にはわかってしまうのだ。苦痛にゆがんでいる。何よりも己を隠してきた黒雛にとって素顔を晒す苦痛だ。自分から面を取ろうなんて思わなかったはず。おそらく、道主……。
「儂が今これより七宮の宮としておんしらの上に立つ。儂の傍に控えし、側近は……」
 覚悟を決めたように黒雛が声を出す。震えてる、声が。いっそ健気とも言えるくらいに宮としてふるまおうとしている。そして鶯の知っている天狗の名が呼ばれていく。鶯にはなんとなくわかっていた。自分の名前が呼ばれる事はないと。黒雛はおそらく、道主と約定を結んだ。だからこそ、宮を引き受けた。ならば、残された自分が取るべき道など、決まっている。
「以上じゃ。……それと、鶯」
 初めて七矢として黒雛が鶯を呼んだ。全員の視線が鶯の方を向いた。
「おんしの力は儂と同等。それゆえ、危険と判断した。……鶯、これより次に月が満ちるまでに、そなたはこの七宮から出て行け。追放と……する」
 力を抑えられて黒い瞳の黒雛はそう言った。鶯は何も言わずに、頭を下げた。そうか、これが……道主の答え。
「七矢様。一体なして、鶯はあなた様と共に……」
「なぜだ。鶯を追放などと」
 ざわざわとする静寂の中で鶯は静かに心に炎を燃やしていた。道主に対する憎しみを。そして黒雛の決断を想う。黒雛はもう、鶯の方など見てもいなかった。しかしその背が物語っている。
 ああ、なんてこと。優しい黒雛を、美しい黒雛を。いえ、僕だけの夜霧を、ここまで力で従わせ、その上で我らを引き裂き、蹂躙するなど。いくら神とて、許すことはできぬ。
 最後まで紅色の狩衣が鶯に向かって翻ることなく、小さくなって消えていった。皆が鶯に声をかける。大丈夫、まさか黒雛がこんなことをするなんて、見損なった、鶯、優しい言葉は平面を流れていく。
 知らないから、どんなに黒雛が優しくて、どんなに今彼が傷つき涙を流しているか。
「許さない」
 小さくつぶやいた言葉を誤認した天狗が何匹いようとかまわない。黒雛がそうやって演じきると決めたなら、覆すようなことはしないよ。君を恨むなんてそんなことできるはずない。君は僕のものなんだから。そして僕は君のものなの。忘れないでね。

 月が満ちて、鶯が追放される日がやってきた。代わる代わる色々な者が別れを惜しんでくれた。誰もが七矢への不満を鶯の事で抱いているようだった。しかし鶯は笑う。君たちは知らないから。
 夜。月が昇った。白銀の月が鶯を見下していた。それは手が届かない神のごとく。
「お見送りはしてくれるの」
 誰も気配がしないということは結界でも張ったのだろうか。追い出す張本人は見送りなどこれるはずはない。いや、来ている事を配下に知れては難義だろうに。
「……」
 振り返ると面を外したまま、宮としての黒雛がそこにいた。
「そういえば直接言えなかったね。新宮ご就任、おめでとうございます」
「……うな」
「何」
「そんなこと、言わないでくれ」
 微かな声はかすれていた。今にも溢れそうな想いを押しとどめてる。それは黒雛も、鶯も。
「……頬紋、消えちゃったね。耳もとがっていないし……宮になるといろいろ変わるんだね」
 黒雛の頬をなでる。その手に冷たい感触。……黒雛は泣いていた。
 ああ、愛おしい。
「泣かないで」
「すまない。すまない、七夜」
 名前を呼ばれると魂がしびれる。こんなにも、ああ、私幸せ。あなたを愛せて幸せだった。
「大好き、愛してる。ううん、そんなんじゃだめね。もう、君なしで僕は生きていけないな、夜霧」
「いいや、お前は生きていけ。私のたった一つの願いだ。どうか、生きて、生きてくれ」
 そうか、夜霧。君は宮と僕の命を掛けたんだね。恥ずかしがり屋で優しい君の願いなんだね。
「夜霧はそうして独りで生きていくの」
 はっとして目を見開く。その目が金色になっていてちょっと嬉しかった。僕しか知らない秘密だと。
「ああ。私は独りでいい。お前がいない七宮など、独りで生きていかなければ……辛すぎる」
「夜霧はそれでいいの」
「いい。お前が生きていてくれるなら」
「そして僕の中で君は生きるの」
「お前も私の中で生きるんだぞ」
「……いいよ。でもただじゃ嫌。……夜霧、種を頂戴」
 夜霧は首を振った。天狗は生殖で子孫を残せない。修験道から生まれるのみだ。
「無理だ、しかも私たちには……叶わない」
「いいの、証が残せれば」
 自然に影が重なる。最後だとわかっていた。これが最後なんだと。

 パキィンと澄んだ音がする。七矢が結界を意図的に解いたのだ。配下が何匹か鶯と七矢の様子を見に来ていたらしい。黒雛は七矢の顔に戻って、冷たく今来たかのように鋭く言った。
「よいか、鶯。二度と、二度とだぞ、帰ってくるな」
 それだけ言うと、紅色を翻す。
「……」
 鶯は二度言われた事の意味を本当に理解していた、でも。きっと無理だろうともわかっている。
 運命を呪うことはできる。でも、それでもこの運命を鶯は呪っていない。
 黒雛に会えたから。違う。
 黒雛と愛し合えたから。違う。
 黒雛にすべてを捧げてもいいとさえ思う。そんな運命を呪いなどするものか。
 黒雛はだって、僕のものなのだから。黒雛の運命が呪われているなら僕の運命が呪われているのは当然。
 黒雛が捨てて、選んだもの。引き寄せたその運命を愛おしいと思う。だから、
 自分が選ぶ運命がどんなものであっても、どんな結果であっても構わないのだ。
 鶯は漆黒の翼を広げ、白銀の月の中へ飛び立った。翼の音が聞こえなくなったとき、ふいに黒雛は振り返った。
 白銀の月の中に鳥が飛んでいる。

 ああ、愛おしい鳥は自分という籠から逃げた。どうか、戻らないで。

「月なんて嫌いじゃ」
 あれだけ祈っても、白銀の月は七矢の愛おしい鳥を連れ去ってはくれなかった。

 第六話 「夜霧」終.