天狗 08

天狗

第八話 二刃

「私は、貴方を許しません」
 力強く、そういわれた言葉だけが、今もなお、この胸に残っている。この言葉を残した者のことなど、顔ですら、すでに失われているというのに。ふと、空白の時間帯に思い出す、生まれ変わる前の記憶。
「宮さま、いかがなされました」
「いえ、なんでもないのです」
 やんわりと配下の労わりを断って、二刃は住処の表へと脚を伸ばした。ここは二宮。人に二番目に近い山。探ればすぐそこに、人の気配がする。そう、数十年前まで己が分類された生き物の住まう気配が。

 ここは道主さまの山の一つ、二番目に分け与えられた天狗の山、二宮(にのみや)。
 住まう天狗は純粋なる天狗ではなく、修験道を通って、その存在を変質させた天狗の集まる宮。特に二宮は白天狗、人間が修験道にて天狗に生まれ変わった存在の集団である。
 姿は限りなく人に近く、他の天狗に比べて翼は漆黒というよりかは灰色に近い色で、小さく、長くを飛ぶことは適わない。風の眷属であり、山の守護者たる天狗にしては異質な存在と言えよう。
 その異質さは他の天狗が霊力によって物事を操るのに対し、白天狗は通力と呼ばれる、人間の徳の高い僧や陰陽師が使う術を用いることで有名である。
 よって白天狗のほとんどが数珠などを持って生活している。白天狗は人をよく知った存在でもあり、唯一人の穢れにあまり左右されない存在でもある。だからか、白天狗のうち、何匹かは人間界に近い寺などで身分を偽って存在している者も多い。
 それら白天狗をまとめる長こそ、二宮の宮上、二刃(ふたば)さまである。
 他に純粋なる天狗とかけ離れた異質の天狗の代表格は、やはり七宮、烏天狗が挙げられるだろう。烏天狗は鳥が修験道を通って変質した姿。最も空を飛ぶに適した大きな漆黒の翼を持ち、その存在は夜の眷属である。七宮は鳥を模した仮面を絶えずつけ、漆黒の姿に、少し不気味さを覚える。
 次に挙げられるのが六宮、木の葉天狗の集まりだ。狗が修験道で変質した存在であり、天狗であるにも関わらず、彼らは翼を持たない。その代わり最速の脚を持ち、噂では格が高まれば天駆けることもできるという。
 あとは二宮の対の宮と言うこともできるかもしれない、五宮、尼天狗の集まりだ。その本質は狐が変質した姿という。しかし人に慣れた存在でもあり、尼と呼ばれることからも、かなり人に慣れた存在といえる。

「宮さま、夕霧が戻ってまいりました」
「はい。今しがた、感じたところです。今、参りましょう」
 すっと立ち上がる様はどちらかというと、アヤカシというよりは、やはり徳の高い人間の行いに見える。実は白天狗は他の異種天狗とは異なり、修験道を通ってその存在が天狗に変質しても、人間のときの記憶が残っている。だからこそ、そのまま以前の人間のままとして生活することも可能だが、だいたいの白天狗は俗世を好まず、山に篭って修行を続ける。
 時々人里に下りる物好きが存在するだけだ。夕霧とはその物好きな天狗のうちの一匹である。いつもは山伏の格好で、僧として人里にて情報を収集する。最近は人の住処がずいぶんこちらに近づいた。
 強大な力を持つ三由が逝った今、三宮にこれ以上、人を近づけてはならない。幼い三虫では今、三宮を守ることができないのだ。
「どうも、ごぶさたですね、二刃の宮さま」
「お久しゅう、夕霧殿」
 白い狩衣が音も無く着地する。薄汚れた山伏姿の人間にしか見えない同朋を目を細めて二刃は見た。夕霧とは、天狗としての名であり、人間界で名乗っている名は別であろう。
「そんな宮さま、殿なんて、人間じゃないんですよ。止めて下さいよ」
「そうでしたね。私達は天狗、ですね」
 おだやかに二刃は笑う。歴代の天狗の中でも最も穏やかと言われているのが二刃だ。微笑を絶やすことなく、口調と物腰は穏やかで、他の宮にも協力的。
 だが、その姿を、天狗に変じたときに一番最初に目にした暗闇が、こう告げた。

「おんしの中身は鋭い刃(やいば)のようじゃ」と。

 時はさかのぼり、百余年前――。
「此度の戦、勝てば、この大津一帯、我が土地となりまする」
力強く、そう進言すれば、うら若き主は頷いてくれる。そう信じた衛門之介(えもんのすけ)の考えは正しく、若々しく、また雄雄しく主は頷いた。
「お止めくださいませ」
 夜、ふと言い争う声が聞こえた。もう寝る時刻が迫っている。明日は主と戦場となる野原を見に行く予定なのに、夜更かしなど……。そう考えて、ふと諌めている声が主の奥方様であることに気づいた。
「何故じゃ。かわいい嬰児に海を眺める城を建てるのじゃ、そのためには、次の戦にて……あの大津を」
「お止めくださいませ。大津の領主さまは我らの同盟ではありませぬか。それに悪戯に戦を起こし、兵を疲弊させ、その上でまだ、望むと申されますか。我が子にはこの早間の大地だけで十分にごさいます」
「し、しかし……」
「何故、ああも衛門之介の言葉をそのまま受け入れてしまわれまする」
 やはり、女はなにもわかっていない。いずれ、大津だけではなく、この一帯を我が主に治めていただくことこそが、平和と豊かさへの礎となろうものを。そのための戦。そのための戦い。
「失礼いたしまする」
「衛門之介か」
「殿、明日は早い出発になりましょう。もう、今宵はお休みされては如何かと」
「う、うむ。そうしよう。この話はまたな」
 そう言って主が退出するのにあわせて、己も去ろうとしたとき、鋭い声が飛んだ。
「衛門之介」
「は」
「おぬしは何が望みじゃ。我が殿をたぶらかし、悪戯に兵を募って、戦を起こす。……おぬし、戦いを欲するか」
 厳しい声だった。戦を反対しているのは奥方だけではない。重鎮も何名かは反対を申している。
「決してそんなことは。この早間を思いこそすれ……」
「笑わすでない。……おぬし、己が夜叉になっておろうことに気づかなんだか。おぬしはまるで戦いを求める修羅じゃ。そんなもの我が殿のそばにはいらぬ」
「……失礼いたしまする」
 返す言葉も無かった。確かに、戦いは好きだ。戦は興奮する。戦によって流れる血、死んだ者、すべてが尊く感じ、そしてそれを未来に生かそうと思う。だが、それは早間の大地の豊穣を思ってこそ。決して血を浴びたい、戦いたいという邪念からではない。
 それに勝てばこの大津が手に入る。そうすれば海も我が支配下。早間の大地は黄金の稲穂が揺れ、人々の笑顔に埋め尽くされるであろう。
 ――しかし、それは勝てばの話だ。

 結果は大敗だった。早間の氾濫を聞きつけた大津は、隣と同盟を組み、早間に対抗。戦力差のありすぎた戦は戦地を早間に移し、そうして町が燃えた。
 衛門之介は戦場で、燃え盛る生まれ故郷を見た。主と共に町へ引き返し、そうして燃え盛る炎を進んで、殿の城に入った。
 燃え盛る炎の中、殿は敵の矢を受け、死んだ。守るべき、主を失い、それでも衛門之介が求めたのは、殿のお子だった。
「衛門之介」
「奥方さま」
 走り寄って、その美しかった姫が血まみれになっている姿に絶句する。腕の中には矢を受け、すでに絶命している嬰児の姿が。血の怨嗟が姫を飲み込む。
「衛門之介、貴方のせいです。私は貴方を許しません。永久に許しません。呪われてあれ。夜叉子よ」
 そう叫んだ姫は己の短剣を喉に突き刺した。
「あ、ああ。ああああああ」
 我知らず叫んでいた。逃げた。逃げて逃げて。そうして気づいた時には城は燃え落ちていた。守るべき主君を失った。そこから我を失い、戦場で死ぬ為に戦った。ある時は雑兵として、ある時は雇われた用兵として。決してしなかったのは主君だけは持たなかった。
 そうして後悔し、絶望を繰り返して、己の未熟さを知った。己の罪を理解した。
「私は、決して早間の為などではなく……私は私の自己満足のためだけに……」
 瞼の裏側に離れない燃えた町。殿の最後、そして姫と嬰児の呪い。
「ああ、お許しを、殿。私は姫のお望みの通りに修羅に生きとうございます」
 そうして己を捨てた。ただ殺す為に、主君を失った己を殺す為に何度も罪の無い雑兵を斬り捨て、我を忘れて殺し、殺し、殺してきた。幾たびの戦場を駆け抜け、戦友も作ることなどせず、ただ気の向くままに片方の陣営に味方し、刃を血で濡らして来た。

 何度目かという戦場でついに死ぬときが来たと密かに安堵していた自分がいた。脚をやられ、どうやら己が味方した陣営も敗色の色が濃い。命運尽きた。ようやく死ねる。
 ただ脚の感覚がなくなり、体がどんどん冷えていくのを感じながら、騒がしい合戦の音と戦う地鳴りを聞いていた。よく踏み潰されなかったものだ。次第に日が落ち、合戦は止んだ。夜の帳が下りてきて、辺りに満ちるは死の気配だけだ。
 もう、すぐそこから黄泉の扉が開いて暗い世界に行くべきときがきたのだと思っていた。
「今、参ります、殿」
 しかし自分は人を殺しすぎた。その前に殿の大事な民をむやみに殺してしまった罪もある。これでは殿のお傍に侍ることは適わないな。そう思っていた。満天の星が輝き、死ぬ前にいい景色を見せてもらったものだと、仏に感謝の念を伝える。
 星が流れた。誰の命だろうか、そう感じたとき、その星がすぐそばで音も無く落ちたことに気づいた。そこで星の落ちた辺りに首を動かし、視線を動かすと、夜闇に鮮やかな橙色の衣が目に入ったのだ。
 暗闇の中、光るその星は白き大いなる翼を持ち、金色の髪に橙色の狩衣をまとっていた。
「……天つ民」
 最初神の眷属だと、そう思った。
「なんということじゃ」
 辺りを眺め、その天つ民が呟いた。
「なんという穢れ……息苦しゅうてかなわんなぁ」
 確かに夜の寒さに混じって血の臭いがまだ消えることは無い。死の気配だけが支配している。
「これ以上八宮に近寄られたら困るのぉ……それに」
 そう言ってその人は死んだ馬の頭に額を寄せた。次の瞬間にその馬が塵となって消えうせる。その光景に目を奪われた。恐ろしさはなかった。ただ、その美しい光景に、目を、心を、奪われた。
「人は己の足とした生き物を弔うことすらせんなんだか。悲しき定めよの」
 その人が歩くと歩いた後には、全ての死体が塵となって消えうせる。そしてその場所には死の気配と血の臭いが消えていた。
「戦をすれば幸せが訪れる。そう思うて適わんで、最後は己の同胞を想い、啼いて逝くのじゃなぁ」
 舞うかのように橙色の狩衣が翻る。その表情には哀しみがあった。
「宮さま」
 複数の声が響いて、今度は夜に溶ける外見の何かが集まった。
「宮さま、何故に八宮をお出になられまする。結界が持っているからよいようなものを……」
「それになんです。この穢れ」
「何故に人の戦場(いくさば)などにおられまする」
 非難しているかのような声に光るその存在だけが、苦笑した。
「穢れを祓うてやろうかとおもうたんじゃ」
「何を仰います、宮さま」
「そうですよ。八宮の穢れのみを祓うが我ら、天狗の仕事ではありませぬか」
「ご帰還を、宮さま」
「それにこの数、ほんにすべて浄化できるとお考えですかや」
「無理ごさいますれば」
 口々に否定の言葉が紡ぎだされる。少々残念だった。自分のいる場所もその浄化とやらをしてくれれば多少は気持ちよく逝けるだろうに。
「そうよのぉ。一匹では無理じゃろうて。せばな、おんしら手伝うてくれんか」
「宮さま、本気ですかや」
「何故我らがそのような行いを」
「宮さま」
 唖然とした声と、怒りと、諦め。そんな感情が声から読み取れた。どうやらこの宮さまという人はこの周りの人たちに愛されるいい長のようだ。
「おんしらの言うこともわかるで。じゃがな、考えてみぃや。このままここを放置して、この土地は穢れと怨嗟に飲み込まれる。生き物は八宮に逃げてくるじゃろう。そうして命の育みは消えて、この土地が再び芽吹くのは……早くて二十の時を必要とする。せばな、今ここでおれらが浄化したら、良くて来年、遅くとも三年以内には春に芽吹くことができるじゃろう」
 微笑んで、そう言う。愕然とした。大地を己のものと考えて、そして日々争う我らとこの存在のなんと違うことか。一つの戦場を元に戻すのに二十年も必要だと、人間のうちで誰が理解した。
「せばな、宮さま。それでも人はまた、来年も、再来年も、同じこの大地で血を流し、怨嗟と穢れを生み出しまする。芽吹く命を踏みにじり、そうして土地は死んでいくのが関の山ですよって」
「土地神とて殺す人に、なぜ我ら天狗が慈悲の手を。ご冗談は止めなされよ」
「宮さま、勘違いなされますな。ここは山ではないのですぞ」
「我ら天狗の役目は山を守ること」
 今度は宮さまがしゅんとうなだれる番だった。諦めきれない顔で辺りを見渡す。
「じゃ、じゃが、その……せめて馬と大地だけでも、な、ええじゃろう」
 一瞬の沈黙の後に、ふっと苦笑する雰囲気がある。
「わかり申した。我らが馬の穢れを祓いますれば」
「ありがとう」
 そうして近場の馬が消されたときに見た。その存在は背に大きな鳥の翼を持つ、天狗と呼ばれし者。山を護るためだけに存在する、山神の配下。風の眷属。
 浄化が終わったらしく、翼を一回羽ばたかせると一瞬で、上空に飛び上がる。そうして夢のように天狗は山の方角へ、一直線に飛び去った。

 何の因果か翌日味方の軍に助けられた衛門之介は、そのまま今度は戦場ではなく、寺を訪ねた。己の所業を見つめなおし、仏の道に生きようと決心したのである。
 それは今度こそ、己に罰を与える為でもあった。そして無為な戦を仏の道を諭すことで抑えるためでもある。いくつもの宗派を渡り歩き、己の罪に似合う罰を科してくれる厳しい修行を望んだ。
 これで自分が救われてはならない。もっと深く深く反省しなくては。己は人だけではなく、多くの命をも奪ってきたのだから。

 そうして何年もの時が過ぎ、衛門之介は山伏としての修行に力を入れていた。獣道を歩き、山に挑み、そして己の肉体を酷使する。悲鳴を上げる肉体にも、我が罰にはふさわしくない。
 ――もっと、もっと、もっと。私に罰を。痛みと苦しみを。
 何度目かという山への挑戦で、いつしか視界には暗闇しか入らなくなっていた。
「ほぉ、修験道に入ったというに、その心にぶれはなし、か」
「誰です」
「ほほほ、威勢のいい徒人よ。では、おんしの罪に似合う責め苦を与えてやろうぞ」
 そう言って暗闇は静けさを増した。常闇の修行は済ませている。特に不安も感じなかったが、突然それは始まった。ぐにゃりと身体が歪んでいく感覚。それは痛みではなく、どちらかといえば発狂するかのような動揺と苦しみ。己が油の中に溶かされたような感覚。
 熱く、鈍く、緩く、柔らかい。己の身体が粘土になったかのように身体を混ぜ合わされている気分だ。それが永遠に続いたと思われ、意識が白けてきた頃、ようやく終わりが見えた。そうして唐突に理解したのだ。
「天狗……」
 もう、すでに己は人ではない。天狗だ。山を護るためだけに存在するアヤカシだと。
「ふむ……なかなかの面構え。そうよのぉ……おんし、今日から緋雨(ひさめ)と名のりゃ」
 視界が開け、目の前にいたのはあの暗闇ではなく、真っ白な格好に灰色の翼を持つ、老人だった。
「あ、貴方は」
「かっかっか。冗談が巧いやつじゃ。すでにその身は天狗。ならばわかるじゃろうて」
 己に聞いてみや、と軽く言われた。そうして理解できることがある。目の前の老人はこの二宮の宮、二慈(にじ)さま。ここは二宮。白天狗の住まう、道主さまの二番目の山。
「緋雨、ここは二宮。天狗の住処じゃ。じゃが、おんしが人里離れとうないゆうなら、構へん。どこぞの寺なりに住んで巧いこと天狗の気を隠して暮らしたらええ。せばな、人に近づきとうないなら、この二宮で暮らせばええねんで」
 優しく宮さまがそう仰った。
「二宮は特殊じゃ。もとが人やからのぉ、人に対する力が強うてなぁ、縛られることを嫌う性質のもんが多い。道主さまもそれをお分かりくださっておる。じゃから好きに生きたらええねん」
 笑い顔が似合う天狗だった。それから緋雨は宮さまのそばで己を酷使することもなく、己を罰することもない穏やかな日々を過ごした。
 それは苦痛だった。己を罰しなくてもいい日々が。己の罪を自覚しなくてもいい日々が。思い出すたびに己の罪深さを知った気がして。己は穏やかな日々をこんなにも望んでいたなんて。
 しかし宮さまの顔を見たら、宮さまと一緒に笑えたら、それで救われる気がしていた。穏やかで暖かく、緩やかで、そして幸せで。
 しかし、そんな日々が苦痛で、苦痛で苦しくて。今までの何よりも苦しい日々だった。それでも幸せなのだ、確かに幸せすぎて、このまま死んでもいいとさえ、思えるほどに。
 ――これが、我が罪に似合う責め苦か。

「宮さま。なして私の名を緋雨にしたか、伺っても」
 ある日、前から聞きたくて聞きたくてたまらない事を聞いた。
「なんね、そないなこと気にしとったんかい」
「……はい」
 ふっと宮さまは笑った。
「おんしの頭の上にはいつも血の雨が降りよる。全身、冷たい血にまみれとる」
 そこで緋雨ははっとした。白天狗は己の過去を持ったまま天狗に生まれ変わる。だが、生まれればその存在そのものが変質し、過去を気にしなくなる。
 そう、例えば物語の主人公の一生を記録としてもっているようなものなのだ。たとえその主人公の一生を知っていても、それが己のものだと知覚し、通じ合わなければ己の記憶足り得ない。
 つまり他人の記憶を持って過ごしているようなもの。情報でしかないのだ。だが、緋雨は違う。生々しく全てを知っている。
「じゃから、血なんかじゃのうてな、せめて鮮やかで美しゅうあればええと、そう思うたんよ」
「宮さま」
 ふっと心が温かくなる。同じ赤色の雨が降るならば、より美しくあれと、そう望まれた。
「おんしに次の二宮の宮をやってもらいたい、そう考えよる」
 突然、そう言われて頭がついていかなかった。緋雨はまだ数十年しか二宮で過ごしていない。己よりふさわしそうな人物はたくさんいるように思えるのだが。
「気にすることはないねんで。なにせ、天狗やからな。人とちごて、お前の宮選定に反論を唱えるものはおっても反対するものはおらん」
 天狗の本分は山を護ること。そのためならば己が火種になるようなことは決してない。
「……わしはそう長くないじゃろう。次代の二宮をまとめるんは、おんしが相応しい。じゃから、決してこの白を血で赤く染めんようにな。それは七宮の役目じゃぞ」
 最後には茶目っ気たっぷりに宮さまは笑った。

 そうして数年後に宮さまは逝き、次代の二宮の宮に緋雨は選定された。暗闇の中で、自分を天狗に変え、そして責め苦を与えた人物こそが、全ての天狗の生みの親である山神、道主さまであると知った。
 道主さまのおわす場所は暗闇だ。ここは修験道のように漆黒の道になっていて、道主さまはそこを吹き抜ける風のようなものだろう、そう緋雨は知覚している。
「責め苦は見つかったかや。緋雨」
「はい、道主さま。我が罪に似合いの、厳しい罰です」
「ほうか。それは重畳。……そうじゃな、おんしの中身は鋭い刃のようじゃ」
 そうかもしれない。己を絶えず傷つけてそして満足してきた。だが今は。その刃は長く血を浴びすぎてさびてしまったかもしれない。それでも構わない。己を傷つけるのが刃だけとは限らない。
 真綿のような暖かい微笑みが、己を罰することとて、確かにあるのだと。それは幸せ。そても幸せな、そして厳しい己への罰。
「そなたの宮としての名を二刃とする。そう、名乗るが良い」
「御意」
 頭を垂れて、承る。そして永劫に緋雨は真綿の呪縛に囚われる。

 我が罪は、欲深き事。我が罪は主を護れなかった事。我が罪は、罪無き幼子の未来を絶った事。我が罪は、優しき賢き奥方に呪いの言葉を吐かせた事。我が罪は罪無き民を簡単に死に追いやったこと。我が罪は人を多く殺したこと。我が罪は、人だけでなく、多くの命を奪ったこと。我が罪は、大地を殺したこと。我が罪は、己を傷つけたこと。
 我が罪は……。

 それに似合いし罰こそは、日々穏やかにあること。
 日々、優しくあること。
 日々、幸せになること。
 日々、笑うこと。

 我が罰は、己の罪を自覚し、己の罰を受けずに日々を過ごし、少しでも多くの者に安寧と幸せを。

 ――修験道を何度も極め、自分を追い込んだ修験者。
 優しさの影に潜むのは過去に犯した大罪の数。

 そうして彼は、今日も微笑む。

 第八話 「二刃」終.