小説

天狗

天狗 11

天狗最終話 七矢 深い森の奥には、天狗の住処があると言う。深く、日の光が入りにくい、空気に神の吐息が混じるようなそんな場所には、必ず天狗が住んでいると、言われている。 天狗――それは、山の護り主達。風と戯れ、狗の顔を持ち、鳥の如く大きな翼を持ち、鼻が高く山伏のような格好をしているという。 山で異音がさも当然のように起これば、それは天狗の仕業と言われた。山で突如食べ物が失われ、おかしな目に遭ったら、それは天狗が側にいたのだという。 突風は天狗の起こした風、子供が攫われればそれは天狗にされてしまった神隠しの一種。 様々な伝説を残す天狗。彼らは妖怪と分類されるにも関わらず、神として奉られたりしている。種類も多く、その名を残す者もいる。 しかし、ここの天狗は一味違うかもしれない。大いなる翼を持って、山に潜んだその者は天狗と名乗った。 だが、彼らは決してその存在を他に漏らさない。そもそも彼らの住処に山本来の生き物とは別の他の生き物が入ってくることはない。 彼らは特殊な結界なるものを立ち上げ、山に他の生き物の侵入を拒むからだ。そこは一種の異郷。彼らが居る山はある山神によって治められていた。その山神...
天狗

天狗 10

天狗第十話 一支 無事に通り抜けられれば、それは大いなる試練を果たしたことなり、その本質を天狗に変えると言う―修験道。そのものはいつできたのだろうか。いつ、噂になるようになったのだろうか。 冬宮――それは一宮の別称である。誰もが侵すことのできない静寂の山。痛いほどの静けさと、何もかもが眠るような寂しさを兼ね備えた、山としては貧相な様。誰がそう呼ぶようになり、いつからその山がそうなる様に変わっていったか。知る者はおそらく一人きり。「宮さま、何をなさっておいでですか」 配下の若い天狗が問う。問われたのは、もう老齢な天狗であった。髪は白く、昔はそれこそ草原の力強く立つ草のように多かったであろう髪も少なく、力ない。髭を蓄え、威厳のあるりりしい眉。風にあおられる狩衣の色は深い紫―。 ――一宮(いちのみや)、宮上・一支(かずし)さま。 長寿であるアヤカシの類の中でも類を見ぬほどの長寿の天狗である。そう、一宮だけは宮として起ったそのときより宮の交代がなされていないと言われている。他の宮がもう何代も時を重ねたのに対し、一宮のみが一支のまま変わっていない。 というか他の宮が代替わりした一宮の他の宮を見た...
天狗

天狗 09

天狗第九話 五生 闇夜に白い手足が舞う。しずしずと、静かに無音で。その脚を持つのは若い女だ。暗闇の中をただぼぉっと姿だけを浮かび上がらせて、そして行列をなして、ただ、無音に舞い続けていく。 その光景は人間が見れば、必ず幽霊や化け物を連想させてうわさになり嫌悪される土地となっているだろう。しかしそんな噂が生じることも無い。なぜならば、ここは山。深い山奥、人など入りこむことすらできない麗しの惑い山―五宮(いつみや)。 アヤカシの間ではそう、呼ばれる。 天狗、それは山の護り主。山神に従い、山を守護することのみを己の生き様とする、アヤカシの一種だ。 他のアヤカシとは異なり、統率の取れた群れを成す。ここらの山の山神、道主(どうしゅ)を唯一の絶対主として群れる天狗たち。 道主が与えた山は八つの山として区切られ、それぞれ力を持つ天狗に分け与えられた。その八つの山を宮(みや)と呼び、同時にその山を道主によって任された一番力のある天狗をまた、宮と呼ぶ。 この女達が無音で舞う山もまた、道主によって与えられた宮の一つ、五番目の山、五宮だ。宮は八つ。一宮(いちのみや)からはじまり八宮まで存在する。それぞれの山...
天狗

天狗 08

天狗第八話 二刃 「私は、貴方を許しません」 力強く、そういわれた言葉だけが、今もなお、この胸に残っている。この言葉を残した者のことなど、顔ですら、すでに失われているというのに。ふと、空白の時間帯に思い出す、生まれ変わる前の記憶。「宮さま、いかがなされました」「いえ、なんでもないのです」 やんわりと配下の労わりを断って、二刃は住処の表へと脚を伸ばした。ここは二宮。人に二番目に近い山。探ればすぐそこに、人の気配がする。そう、数十年前まで己が分類された生き物の住まう気配が。 ここは道主さまの山の一つ、二番目に分け与えられた天狗の山、二宮(にのみや)。 住まう天狗は純粋なる天狗ではなく、修験道を通って、その存在を変質させた天狗の集まる宮。特に二宮は白天狗、人間が修験道にて天狗に生まれ変わった存在の集団である。 姿は限りなく人に近く、他の天狗に比べて翼は漆黒というよりかは灰色に近い色で、小さく、長くを飛ぶことは適わない。風の眷属であり、山の守護者たる天狗にしては異質な存在と言えよう。 その異質さは他の天狗が霊力によって物事を操るのに対し、白天狗は通力と呼ばれる、人間の徳の高い僧や陰陽師が使う術...
天狗

天狗 07

天狗第七話 四葉 山の神。それは偉大なる生態系を維持し、支え、守り抜く偉大なる土地の神。 狩るもの、狩られるもの、木々、そして土地。いかに小さな命とて、山に守られ、山の一部であることに変わりない。その山の神を守るために存在するアヤカシが存在する。 天狗――山の守り主たち。群れて山神に従い、ひいては山を守る存在である彼ら。 ここらの山に存在する山の神の名は道主。その道主が従えるは八の山と八天狗である。その道主から六つ目の山をいただいた、六宮(むつみや)。 その山は他の宮と異なる点が存在する。大樹だ。六宮が他の宮と大きく異なっている点は想像を絶するほどの大樹が存在しているところだ。どちらかといえば、その大樹を中心として山が繁栄しているといってもいい。 大樹がそこに全ての生きとし生けるものを支え、支配しているかのように存在している。そして、大いなる存在というものは格が高くなり、神の眷属となるのが条理だ。「ほほう、なつかしいものじゃの」 大樹の幹の影から深い緑色の塊が出てきた。否、塊ではない。小さな老人といったところか。恐ろしく長い髪と髭が緑色の塊を思わせる。深く、谷底から反響するような声で老...
天狗

天狗 06

天狗第六話 夜霧 今宵も見事な山を背景に大きな満月が登る。山の中では夜行性の生き物が活発に動き回る中で別の気配が動き出す。 それは現実の世界と隣り合わせに常に居る隣人。しかし交わることのないイキモノ。アヤカシ。 ここらの山には巨大なアヤカシの集団として天狗がいる。山の神を主とし、修験道を修めたイキモノがアヤカシとして生まれてきたものが天狗という。 天狗の本分は山を護る事。それ以外のことは考えない。山神の配下である彼らは群れて暮らし、山に結界を張ることで天狗と山、そして山神が存在してからずっと山を守ってきた。 ここらの山には道主(どうしゅ)という山神とその配下の八天狗が山を守ってきた。天狗は生まれると道主によってどの山につくかを決められる。そこで一番強く、偉い天狗に従って日々を過ごすのだ。 その一番強く、偉い天狗を宮(みや)という。宮は道主によって選定され、その山まるごと守る結界を張る役目を持っている。宮は各山に一匹ずつ存在する。つまり八天狗とは八つの山の宮を総称するわけである。 各山(各宮)には一応特色がある。道主の束ねる八天狗は大きく分けて二つに分類できるのだ。純粋な天狗と天狗の仲間...
天狗

天狗 05

天狗第五話 八嶋 ――我が罪に見合いし永遠の責め苦を、探さない日は、ない……。 葉が色づき、全てのイキモノが休息へ向かうための準備を行う季節――秋。 ここ、八宮もまた、秋が来ている。八宮は最も秋が美しい宮、別名秋宮。 現在の八宮の宮、八嶋(やしま)は外見は少女。齢、百二十二。宮となった歳月はそう長くない。 八嶋は以前、この秋の美しい山で、紅葉が一面に降り注ぎ、真っ赤に染まったこの土地で、自らの手を赤く染めた。 自分は穢れている。そんな自分が宮であってよいものか。否、そんなはずはない。だから、祈っている。早く、一刻も早くに八宮に新たな宮が起つことを。 あれはいつの話だったろうか。既に過去。でも思い出せる、忘れはしない。それでも時は八嶋に忘却を強いるのだ。その鮮明な記憶だけが残っていていつのことやったろう、と思い出せずにいる。 そう、始まりはいつやったろうか。おぼろげな記憶だけが頭に残っている。なしてこないなことをせねばはならんかったのやら……。 先代、八宮の宮は若き雄の天狗だった。名を八耶(やや)さまと言った。自分勝手で好奇心旺盛、宮としてはあまりに偏った性格の持ち主だった。 それでも八...
天狗

天狗 04

天狗第四話 四練 緑が濃く匂う山の中。何人たりとも足を踏み入れること叶わぬ山がある。 それは山神が住まう山。その山は深い深い緑が作り出す常闇と命の息吹が感じられる。 木々は高くそびえ根元には光は届かない。しかしその木の上には日の光がさんさんと降り注ぎ生き物たちの楽園と化していた。 生い茂る新緑の季節。もう、この山にも命を最も活発化させる夏がやってきた。鳥は鳴き、子が育つ。 しかし季節に関係のない生き物もこの山には住んでいた。それは天狗。 天狗とは山神の配下たるアヤカシの一種だ。天狗は山神に従い、山を守ることで生存を許されたもの。 浄化の力を持ち、高い霊力で山を丸ごと自身の結界の中に隠し、山自身を異境の地にして守るのだ。 ここらの山には道主(どうしゅ)と呼ばれ天狗たちの長たる山神が治める広大な山脈があった。その山に道主に命じられて結界を張る役目を担う各山の最強の天狗が八匹存在する。 その天狗を八天狗と呼び、道主から預けられた山の主として宮となる。 宮となった天狗は配下を持ち、集団で生活する。 こうして出来上がった天狗の集団の四番目。四宮(しのみや)の宮は現在若い。五十年前に宮の世代交代を...
天狗

天狗 03

天狗第三話 三虫 山は穢れてゆく。 時は人が数えれば平安の末期。だがそんなことは関係のない生き物がいる。 それはアヤカシと呼ばれしモノ。それは表舞台を人間に譲り自身の生きたいように生き、自由気ままな生活を送る物モノ。 人とは生きる時の流れが違い、交わった一時にしか人はやつらを認識できない。しかし、やつらはいつでも人を見ていた。 やつらの生きる舞台には理など存在しない。強いもの、尊きもの、知恵有るもの、愚かもの、それぞれ違うのに不自由を感じずに生きている。形もさまざま、それは生き様にも言える。 人と違う舞台、住処、次元に住んでいる彼らだが、人と近いところに住むものもいる。人とともに生きるものも。 天狗。それは山に住む、山の守り主たち。山神の配下である彼らは山神の命令に絶対である。修験道を通ったものはその性質を天狗に変える。それは人もアヤカシも同じだった。 その意味で天狗は数の多い、しかし統率された群れをもつアヤカシであった。穢れを嫌う天狗は住処である山に結界を絶えず張っている。 その結界を張る役目を山神から命じられた天狗を宮(みや)と呼ぶ。宮はその山の主になることをこれもまた山神に命じら...
天狗

天狗 02

天狗第二話 鶯 そこは深い闇であり、誰しもその許可なくば、入り込めぬ場所である。 此処はいずこなるか、それはこの地に入れるモノしか答えることは叶わない。 この地は先に示したように常闇である。奥にずっと続くようだが確かめた者は誰一人として、おらぬ。 ――ここは、そんな場所なのだ。 この場所は有る者の住処と云う。この場所は誰の物でもないと云う。 ぽぅっと光が灯った。が、その光は今にもこの常闇に負けそうな具合の弱い光な上に色合いも暗くどうも光とは云いがたい。「全員、集まったようじゃの」 低く、威厳ある声が響く。と、共に暗いながらも見るものにすれば十分辺りが見渡せる位の光が灯った。「はい。道主(どうしゅ)さま」 複数の声が闇から響く。うっすらと互いの顔が見えた。「では一支(かずし)からじゃ。どうじゃの」「はい。一宮(いちのみや)相変わらずに、滞りなく」「よかろ。次、二刃(ふたば)はいかがか」「はい。二宮(にのみや)滞りなく。ですが、天狗が一匹、殺されました。額に変な紋を刻まれて。後ほど、お見せ致します」「由々しいの。三由(みよし)はどうか」「は、三宮(さんのみや)、相変わらずに滞りなく」「ふむ...