毒薬試飲会 020

11.DES 下

043

 イライラするったら!
 もう、思い通りにならない世界なんて、変えてやる!
 その労働力は労力に見合わないって?
 ハン!
 そんなことないわ。
 自分がもっとも生きやすい、愉しみやすい環境作りをするために、
 人間は生きているんじゃなくて?

 「毒薬試飲会」

 11.DES 下

 御狐さまに追いやられて、黒白の両面はどんどんチェシャ猫を救出しようとしている不思議の国の住人から離されていった。心の中で舌打ちを一つ。
 対峙する美女の両手に握られる大きめの羽扇。右手は白色、左手に黒色の双子扇とでもよべばいいのか、まったく同じデザインのもの。その扇が編み出すのは衝撃波だけではない。そのことは一緒に過ごしていた経験が物語っている。
 小手調べでもしているのだろうか。聞こえていないとでも思っているのだろうか、その心の声が。
「老いたのかしら? あなたの技量はこの程度ではなかったはずだけれど?」
「まぁ、記憶力だけはよいことで、何より」
 にっこりと笑うその顔から放たれるのは、一般人なら即死の領域にある攻撃。
「だって、あなた今本調子じゃないでしょう? だから、手抜きされるのが一番、腹が立つと思ったのですが、違いまして?」
「何? あたしを怒らせたいっての? わ・ざ・と?」
「ええ」
 御狐さまは微笑みを絶やさず、黒白の両面を挑発する。普通の挑発くらいならば彼女とて動じない。だが、長年ペアを組んだ末の相手ならば、互いの弱みも性格も熟知している。
 黒白の両面は御狐さまには口では勝てないのが常だった。だからこそ、姉なのだけれど。
「舐めた真似、してくれんじゃない! もー、怒ったよ」
「元から怒っていたではありませんか」
 まっとうなことを言って、御狐さまは扇を振りかざして一回転する。その場から生まれ出でる嵐。風圧を両手をクロスすることで防いだと感じた瞬間に、目の前に黒色の扇が迫っていた。
「くっ!」
 クロスした腕から迸る鮮血。初めて黒白の両面の顔に焦りが出た。
「さ、そろそろその躰、もたないんじゃくて? 退却を勧めましてよ?」
「何もかも、お見通しってわけ?」
 御狐さまは微笑んで、その後でうっすらと瞳を開いた。
「貴女は、用心深く、用意周到ですね? 自分が万が一って事を常に考えておいでだわ。だから、貴女は“本物”が常に入れ替わる。そこが貴女が最高の人形師と謳われる所以」
 黒白の両面は最高の人形師と呼ばれるのは、望むままのその人そのままの精巧な人形が造れるから、というだけではない。黒白の両面その人そのものが永遠に螺旋のように連なる人形に属するからだ。
 つまり、自分の体がいつ死んでも大丈夫なように、スペアである人形を永遠に用意しておく。そして死んだときに自動的に躰を入れ替えるのだ。これが最高の人形師といわれる所以。
 人形化は同じ人間のコピーを作れば造るほど、その質は劣化していく。なのに黒白の両面の人形は最高の質をどの人形も備え、本人との差異は存在しない。
 人形というのは、ある人の模倣だ。外見、つまりからだを望む人間に近づける禁術はそう難しくない。だが、問題は中身だ。人が蓄積してきた記憶や経験、それを躰にフィードバックさせる方法、これが難しい。
 書き換える際に人形にされる人間には必ず負荷が生じる。それを避けるために、人形は、死んだ人間にしか発動できない。つまり人形になった人間がその元となる人間の人形になるためには、元の人間が存在をその人形に受け渡していい状態になって初めて人形が存在する。
 この世に存在できる人間は一人だけ、という決まりに従っているようなものだ。
 だが黒白の両面の人形は違う。その理さえ塗り替える。人形化の負荷を生じさせない唯一の人形師。そして同一存在の同時存在を認めた人形を作ることが出来る。
「だけど、あたしは大切な存在には人形の理を侵さない主義よ」
「そう。だからこそ貴女は死ななければ用意していた人形に移り変わりませんね」
 黒白の両面は最高の人形師。だが、彼女は重要であり大切な人形化には、人形の理を侵さない。理を侵すことはできるが、侵した代償を支払わなくていいわけではないからだ。
 同時に同じ存在の人形を複数造っても、その人形をその存在として生存させない。存在を人形同士でわけることは絶対にしない。だからこそ、ノワールはアランのドールでありながら、ノワール・ステンファニエルという“個人”として生きることが出来た。
 そして黒白の両面自身のドールも今生きている彼女という存在が死ななければ、新たな器である人形に存在を譲らない。同時に黒白の両面は二人以上存在し得ない。
「だから、壊してもいいって、そう思った? 姉さん」
「まさか。貴女が何体人形を用意していても、貴女は私のかわいい子供達を傷つけすぎた。その罰だけは、受けてもらいます。私に怯え、逃げ帰るなら良し。歯向かうならばその“魂”に攻撃します」
「できるの? 姉さん、攻撃用の刀持ってきてないじゃない。確か、蒼赤と緋藍だったかしら?」
 御狐さまの側近の二人の名を挙げる。弥白と弥黒が扇のように、彼らは御狐さまの刀と変じる。
「惑乱の色彩……実力は衰えてなくてよ」
「それ、こっちのセリフだから。黒白の両面、その実力舐めないでよね!」

 グリフォンの赤鞭によって引き上げられたチェシャ猫には、ゼリー状のどす黒い紫色のものが全身を覆っていた。粘着質のあるその物質はチェシャ猫にまとわりついて離れない。この物質が重くてグリフォンはなかなか引き上げられなかったのだ。
「禁世がここまで侵食したら、いくらチェシャ猫でも……」
「大丈夫、ぼくが何とかする」
 ニセ海がめの前に予備動作さえなく、大きめの水の球体が浮かび上がる。その球はゆっくりと動き、横たわるチェシャ猫を包み込んだ。水の卵にくるまれた状態になったチェシャ猫を二人はしばらく眺める。すると、透明だった水が、紫色に変色し始める。
「結構、性質悪いかも」
 ニセ海がめはそう言って両腕を広げた。するとチェシャ猫を包んでいた水がその形を保ったまま大きく変わる。水の質量が増したのだろう。水を増やし、どんどん水を紫色に変色させていく。すると中心のチェシャ猫にこびり付いていたゼリー状のものが消えていっていた。
 水が濁りきった瞬間に耐え切れなくなったかのように水の球が弾けて割れる。ぱちんというかわいらしい音ではなく、大きさに見合った質量があった水は重たい音を立てて、禁世の中に飲まれていった。水の球が消えた後に残ったチェシャ猫の体をニセ海がめが抱きとめる。
「はー、見事なもんね。さすが第一級の不思議の国の住人ね」
 グリフォンのほめ言葉を流し、グリフォンに向かってニセ海がめはチェシャ猫の身体を示す。
「……チェシャ猫、犯されたんだ」
「あらら。本当ね。ってことは双子が久々に上に上がったわね。これは大事になっちゃうわね」
 ゆっくりチェシャ猫の身体を地面に横たえると、ニセ海がめは厳しい顔をした。
「また、コイツのことだから相手を生かそうとしたんでしょうねぇ」
「今のチェシャ猫に他人の残滓は毒以外のなんでもない。……出す」
 ニセ海がめはそう言うと、チェシャ猫の体を揺さぶり始めた。
「起きて、チェシャ猫」
 グリフォンはしばらくそれを眺めていたが、顔を覗き込んで言った。
「ね、こいつ、呼吸放棄してない?」
 呼吸放棄。変な言い方だがこれが正しい。呼吸停止ではなく放棄。
「めんどくさくなったんでしょ? いつものように」
「先に蘇生からね」
 グリフォンはそう言って、チェシャ猫の胸の上に手を置いた。ニセ海がめはあごを持ち上げ息を吹き込む。いわゆる心肺蘇生法。死んだような状態になっていても死なないのが不思議の国の住人。
 だからこそ、呼吸停止ではなく、呼吸放棄という言い方になる。本人の意思で呼吸などどうにでもなるからだ。
「ごっ」
 チェシャ猫の口からまとまった息が吐き出される。二酸化炭素が肺に残っていたぶん、塊として出てきたかのように。
「起きた?」
 本来ならば心配停止していた人間の意識がすぐ戻ることなどありえないが、不思議の国の住人だからこそ、チェシャ猫の呼吸が戻り、意識も戻ったはずだ。
「何? わざわざ起こしてくれてってワケかァ? ごくろうなこってェ」
 しばらく寝ていたかったとでも言うようにチェシャ猫は迷惑そうな目をして二人を見上げた。
「何よ、あんた。せっかく助けたってのに」
 グリフォンは怒るというよりかは、呆れて言った。
「チェシャ猫、誰に抱かれた?」
 ニセ海がめがぼそりと、しかし、有無を言わさぬように訊く。
「……あ、ばれた?」
「双子が上ったって話よ?」
「あれ? まァ、面倒な話だなァ」
「チェシャ猫」
 ニセ海がめが先ほどの答えを欲するように、強い視線で睨む。チェシャ猫はやれやれ、といった表情で肩をすくめた。
「……まァ、気にするな」
「そうはいかないわよ、あんたの今の状況、わかってないわけじゃないでしょ?」
 グリフォンはそう言って、赤鞭を振るう。ピシィっという音にチェシャ猫が反応した。
「あれ? 調教とかする気だったりすんの?」
「んなわけないでしょ。だって、あんたこうしないと逃げるじゃない」
 そういった瞬間に、赤鞭がチェシャ猫の体に巻きつく。拘束されたチェシャ猫のそばにひたり、ひたりと足音をたてて、ニセ海がめが近寄る。そのまま両手を差し出し、チェシャ猫のほほを挟み込んだ。
 真剣な目つきにチェシャ猫は口元をひくつかせた。
「おいおいおいおい」
 若干引き気味のチェシャ猫は二人に何をされるかわかっている様子だ。
「ぼくたちに協力を求めたならば、ぼくらはちゃんと応えるために、今必要なことがわかるだろ?」
「やー、遠慮したいとこだなァ」
「はい、却下―」
 にっこりとグリフォンが笑い、ニセ海がめの唇がチェシャ猫のものと重なった。
「ん!」
 身をよじっても赤鞭に拘束されたチェシャ猫は身動きが取れない。そのままゆっくりと水が二人の周囲を覆っていく。じわじわと水が地面から押し寄せて、周囲を囲む。
「んむ!」
 チェシャ猫の悲鳴と共に唇が離れ、ニセ海がめの口から水が小さな球体をいくつも作って離れていく。重力下の世界なのに、この場だけは無重力のように、水は球体として空間に漂っている。まるでシャボン玉のようにニセ海がめの吐息で空を舞う。それはチェシャ猫の口からも同様で、呼気に混じって水が浮く。少々のけぞったチェシャ猫は荒い息をついた。
「あ、はっ……はぁ」
 呼吸はどんどん荒くなり、いつしかチェシャ猫の体は浮いていた。そのまま仰向けに寝転がったように浮かんで、目を見開く。
「あぁああああっっ」
 ニセ海がめが目線をいたるところに走らせた。そうすることによって、浮かんでいた水球が命令を受け取ったかのように、形を変えた。意思を持って浮かんだ水はすべてチェシャ猫にまとわりき、そのままチェシャ猫の体を水が這い回る。
「いやぁ」
 弱弱しい声は最もで、ニセ海がめは水を使って、チェシャ猫の中の残滓をぬぐっていく。水がまるで手のように動いているのである。
「あんた、本当に芸達者ね」
 グリフォンの言葉にニセ海がめは肩をすくめるに済ませた。
「なかなか顔色はよくならないね。……しょうがない、僕を抱く?」
「ば、か……言ってンじゃ、ねーよ」
 チェシャ猫の声は拒絶があった。
「でもさ、あんた、誰も相手に出来ないでしょ? ニセ海がめならあんたの心配には及ばないと思うわよ? 他にはハートの女王さまくらいしかいないでしょうに。なにやせ我慢してんのよ」
「同情なんか、いらねーんだよ」
「「同情?」」
 二人が反応する。
「同情なんかであんたに協力なんかしないわ。あんまりナメた口、利かないで頂戴」
 そう言った瞬間に、赤鞭が解かれる。
「ニセ海がめ、沈ませときな。そんなヤツ」
 チェシャ猫はそのまま、ごぽりと大きな水の球体に包み込まれた。瞬間、意識を強制的に失う。
「まぁ、水洗いをこれで3回だからね、少しはましになるとは思うよ」
 ニセ海がめはそういう。まるで透明で大きな卵の中にいるように、大きな水球にチェシャ猫はうずくまっている。膝を抱え、赤子のように眠っている。
「グリフォン、きっとチェシャ猫はわかっているよ」
「あたしだってわかってる。あいつの自己犠牲はもはや、病気ね」
 二人はそういうと、今度こそ去っていく。第一階層に戻る為に。

 アランは途方にくれていた。所詮入矢の真似事をしたところでアランには何もできないことがわかったのだけだったのだ。
「っかしーなぁ」
 入矢はできるのだ、でも自分はできない。それもそのはず。アランが禁術を理解した気になっただけで実は何もわかっていないのだ。ハーンはそれを見極め、禁世そのものを理解させようとしていた。だが、今ここにアランに助言をする人間は一人もいない。
「ちくしょー、どうすりゃいいんだよ」
 死んだハーン。人形にされたというハーン。
 入矢は言った。入矢やアランが対峙していたノワールはノワールの人形だと。つまり、ノワールも人形にされた、ということになる。しかし入矢は特に何も言っていない。つまり、入矢ならどうにでもできたということだろう。
 それは入矢自身が禁術のエキスパートだからなのか、血約をノワールと結んでいるからなのか、アランにはわからなかった。
「しっかし、困った。俺、このまま出られないのかなー」
 アランはそう言ってハーンの上に頭を乗せた。そのまま、意識を失っていく。自然とハーンの上は安心した。それが死体かもしれない、とわかってはいても、ハーンの暖かい鼓動が聞こえるような気がしたのだ。そのままハーンと一つになっていけるような、そんな感じが。
 だが、そうは問屋が卸さない。そのままアランは眠りについただけだった。

 禁世の中は薄暗い。
「あーあぁ。まったく、いきなりの帰還のお勧めってのも、やっかいなモノですねぇ。……おやぁ?」
 かつん、かつんと音を立てる足音は交互には聞こえない。それは片方がスニーカーでゴム底であり、もう片方はブーツだからだろう。
「あっしの商売運はまだ上向きなようですねぇ」
 にまぁっと笑う口は無残にも引き裂かれた痕があり、それを縫合した痕もくっきりと痛々しく残っている。笑うとあまりの引きつり具合に痛いと周囲に思わせる口元だった。
「旦那、若旦那。起きてくだせぇよ」
 アランはいつしかハーンの上で眠っていたことを思い出すかのように、起き上がる。すると目の前にはぁ~い、と片手というか長い袖に隠れて見えない腕を振るやけに細い男? が目に入った。
 ヘルメットに近い硬そうな材質の、しかしヘルメットにしてはおしゃれなデザインの帽子を被っていた。薄い色素の金髪がその帽子の下からのぞき、その長い前髪の隙間からぎょろっとした暗い緑色の目が覗いている。
「う、うわぁっ!」
 アランは意識が覚醒して驚いてその場から二、三歩離れた。
「こんな危ない場所でよくすやすやと眠れやすねぇ、若旦那」
「だ、誰だ? お前」
「あー、申し遅れやしたぁ。あっしはビルと申しやす。以後よしなに」
 にっこりと笑うと口から延びる傷跡が痛々しい。
「あ、起こしてくれて、ど、どうも」
「へー。お礼には及びやせん。それにしても若旦那、こんなところで、何をしなすってたんで?」
「え、あ、い、いや……」
 どう応えればいいものか……アランが悩んでいるとビルが口に手を当てて、頷いた。
「はぁ、こちらの旦那はどうなすったんで? 死んでるっていうのたぁ、違いますねぇ」
「え? 死んでないのか?」
「へぇ。死んではいやせんよ? ちょいと、危険な状態ですがねぇ」
 そしてビルは周囲を見渡す。
「はぁ。ここは女王様のテリトリーですかぁ。落とされたんですねぇ、若旦那たち」
「え?」
 そのままのことを言われて驚いた。この男は、何者だ?
「あ、あんた、何者だ? ど、どうして……?」
 男は首を一回かしげて、にっこり笑った。
「あぁ、それは商売上ですよぉ。っと、言いたいトコですがぁ、この場所を考えると若旦那にはサービスしといたほうがよさそうですねぇ。あっしはこう見えましても、不思議の国の住人の一人でやんす。普段は第一階層を中心に禁世に存在してやしてね、モノを売って生活してやんす」
「ふ、不思議の国の……住人??」
「へぇ。以後お見知りおきを。さぁて、何かお困りでやんしょ? ご相談くだせぇな。コレしだいで、何でもお売りできやすぜ?」
 わざわざビルは袖から腕を出して、指でお金のマークを出すと腕をふって笑って見せた。
アランは笑った。
「いいぜ? 売ってくれよ。ハーンを元に戻せるものを、な」
 わざとなのか、天然なのか、ビルは目を丸くすると、口元に袖を当てて、そのあとにっこり笑った。
「お任せくだせぇな。もちろん、ご用意してやんす」
 そう言って、どこから出したものやら、口元に当てていた袖口からは、二枚の紙切れのようなものが取り出されていたのだった。それをアランにかざしてみせる。
「それか?」
「はいな。若旦那はちィとばかしお頭(おつむ)がアレのようなんで、こんなものをご用意させていただきやんした。これでこちらの旦那をどうにかできやすよぉ。お買い求めになられやんすか?」
 アランは迷わず、その紙切れに手を伸ばす。しかしそれはビルが腕を上げたことによって逸らされてしまい、手に入れられなかった。
「ご購入でやんすか。まことにありがとうごぜぇます。さぁて、御代といきやしょうか」
 ぐっとアランは唇をかみ締めた。いったい不思議の国の住人からモノを買ったら、いくらするのだろうか。アランは提示される金額を待った。しかしビルはアランの顔をじぃっと見ている。
「ふぅむ。若旦那は人脈に運がおありでやんすねぇ。それ、いただきやんしょ」
「は?」
 アランはてっきり、金を言われると思っていたのであっけに取られ、そのあと、どういうことかわからなくなった。人脈? それって売り買いできるのか?
「なぁに、若旦那の人脈全部いただくってワケじゃぁ、ごぜぇません。ちいとばかしいただくだけでやんす。そうでやんすねぇ、簡単に申し上げやすと、あっしが会いたい人物に若旦那が会ったとき、若旦那ではなく、あっしが会えるようにする、逆も然りで、あっしが会いたくない人物には若旦那が代わりに会ってくれる、その程度の星めぐりの操作でやんす。おわかりでやんすか?」
「え、ちょ、待てよ。それってできるのか?」
 ビルはにこりと笑って言った。
「へぇ。あっしは商売上、できやす。よござんしたら、取引成立と相成りやすが?」
 ハーンを助ける為には、絶対に必要な紙切れだ。しかし自分の知覚できないものを売っても大丈夫なのだろうか? しかも不思議の国の住人のビルが会いたくない人物って自分にとって危険極まりないんじゃないだろうか……。
「ちょっと、それは御代としては高めじゃねーか?」
 一応金ではないが、値引き交渉はできないものだろうか。会わない確率を高めてくれたりとか。
「お! 若旦那、やりやすねぇ。甘くみてやしたよ…そうですねぇ。じゃ、若旦那の質問、なんでもいいですが、それ1つお答えしやしょう、どうです?」
そういう風に値引きされるのかよ!とアランは感じたが、諦めない。
「それだったら、5つだろ」
「さすがにそれはあっしが困りやすよ、う~ん、若旦那、2つでどうです??」
「じゃ、4つ」
 質問がたくさんあるものではなかったが、取り敢えず、自分の将来の運を売るわけだから、もうちょっといただいてもいいだろう。ビルは困ったように悩み、うなだれていった。
「もー、赤字覚悟でやんす! 3つ、これ以上はまけられやせん」
「うーん、しょうがない、手を打つぜ」
 ビルはそう言って、手にしていた紙切れをアランに渡した。それは少し厚めの紙で、薄い水色をしていた。真ん中に両端にマークのついた矢印が書かれている。その紙は中央で半分にできるように切り取り線がついていた。ビルはそれを渡してニコニコしている。
 使用説明はないらしい。まったく、どんな商売だよ。ならば、一つ目の質問は決まっている。アランの考えを理解しているかのように、深くビルは笑って言う。
「お心はお決まりでやんすね? では一つ目の“問い”をどうぞ、若旦那」
 ビルはそういうと、背中に背負っていたはしごを組み立てて、その真ん中に腰掛けた。長い話になるということなのだろうか。
「ああ。この道具ってあんたは言ったが、どうやって使えばいい?」
「あー、よござんした。使い方を聞かないようだったら、あっしも売った意味がありやせんからねぇ。では、簡単に、いえいえ、よくよくお聞きくだせぇな。若旦那はトレインに乗ったことがおありで?」
 アランは頷いた。高いからあまり利用しないが地下鉄くらいならある。
「こいつぁ、昔のトレインの乗車券ってやつですよ、若旦那。しかしおわかりのように、普通のトレインは乗れやせん。この乗車券が使えるのは、この旦那の中に走っている記憶のトレインでやんす」
 ビルはそう言ってハーンを指した。アランは驚いて、思わず紙とハーンを見比べてしまった。記憶のトレインだって? なんだそりゃ。
「若旦那、こちらの旦那は人形にされたんでやんすよ。けっこう軽めの人形化です。でも、ご存知の通り人形化は人形にされた人形の精神を破壊しやす。簡単に言うと、こちらの旦那、現在、廃人と相成りまして、大変危険な状態でやんす。しかしこちらの旦那程度の人形化なら、禁術で解くことができるんでやんす。それは人形化のときに利用された、軸を破壊することでやんす」
 ハーンはハートの女王に言われたことを思い出していた。同じようなことを言われた。
「軸って?」
「へぇ。人形化ってのはその人形化する人物の一定の記憶に定着させて行うもんす。
 そうっすねぇ、例えばでやんすけど、若旦那が猛烈にケーキを食べたいと日々感じていたとしやんすね。人形師はそこに目をつけるわけでやんす。若旦那のケーキを食べたいという望みに沿うように、ケーキが食べれないのは~のせいだ、って刷り込むんでやんすよ。
 それを複雑にすると、誰かの代わりとして生かしたり、ただの命令を聞く道具にすることも可能なんでやんす。だから、指令を終えた人形はかなりの脳に負担を受けて廃人になっちまうわけです。
 だから、そのケーキを食べたいっていう根本的なものを破壊するんすよ。そうするとそう書き換えられた、組み替えられた脳の構造をそのまま以前のものに直すことができるんでやんす。
 この旦那もおそらく、過去の記憶や想いを利用されたんでやんしょ。だからそのものを破壊したら、元に戻るって寸法でやんす」
 そうだったのか、まったく知らなかった。
「しかし、人形師でもない若旦那が記憶である術の軸を探す為には、こちらの旦那の記憶を見なくちゃいけやせん。そこでその乗車券を使うんでやんす。それを持って、こちらの旦那を感じてくだせぇな。そうしたらきっと若旦那は旦那の記憶に向かうトレインに乗れているはずでさぁ。行きでその半分、帰りは残りの半券で帰ってこれやす。若旦那は旦那の記憶にもぐって何が軸、根本として人形にされたかを見つけ、破壊できればいいんでやんすよ」
 ビルはそう言った。それで入矢ならできるとハートの女王は言ったのか。得意そうだ。
「どうして券が必要なんだ?」
「あぁ、それは若旦那が旦那の中に入っていけなさそうですからねぇ、イメージしやすそうなものをご用意いたしやした。それに若旦那、肉体持って旦那の中に入っていけるなんておもっちゃいやせんね? この切符は若旦那が己の肉体に戻る為の目印でもあるんすよ。なくさねぇでくだせぇよ」
「戻るって、どういうことだ?」
 ビルは困ったように頭をかくと、言った。
「そうでやんすねぇ、若旦那が夢で旦那の過去を見るようなもんでさぁね。ですから、その切符が若旦那の目覚ましってとこになるんでやんすよ」
 なるほど、とアランは納得する。
「あぁ、わかった。ありがとう」
「いえいえ。で、2つ目の“問い”はお決まりでやんすか?」