モグトワールの遺跡 005

017

「おう、今日も残ってくのか?」
「はい、すいません。仕事が遅くて……」
「いいさ。にしても変わり者の王だよな。仕事にあぶれた若者を募って王宮で雑用させるなんてよ」
 はぁ、とぼさぼさの金髪の青年は笑う。目元には隈ができており、仕事になれないせいか疲れが顔に出ている。健康的ではないその青年を哀れに思いつつも、仕事が終わらないのでは帰せない。
「まぁ、ほどほどにな。焦らないくていい。ニ週間の研修で仕事全て覚えてもらおうとは思ってないからな、こっちも」
 王は城下で仕事にありつけなかった田舎から出てきた若者を登用し、王宮で働かせると突然言った。ニ週間ごとに各部署を回らせ、適性のあった部署に三年間試用で勤務させる。
 その間に試験を受けさせ、合格に達したものを正式に雇うと宣言したのだ。昔ながらの登用方法、すなわちコネや貴族の若者などの雇用を失くすと言ったけれども反対されて、雇用人数の三割はその登用制度にすると半ばキレ気味に言い放ったわけだから当然、反発が生じている。そうしたらジル王が言ったらしい。
 だってお前ら十五の俺に比べてもあまりにも馬鹿なんだもん、と。子供ゆえかわざとか貴族の鼻っぱしを折るような行動を引き起こし、嵐を巻き起こす第三の王。それに引きずられる形となり、今回試用で運用されることになったのだった。
「王も何をお考えなのか……」
 独り言がつい口を出て若者が頭を下げた。
「すいません、迷惑ですよね……。やっぱり」
「いや、なんでお前が謝る? 貴族の若様に比べたら飲み込みは速いし、素直だし俺はうれしいよ。俺は地方出身だからね、貴族じゃないし」
 シャイデでは地方の役人はその地方の領主に任されるので、平民が運営に携わることも少なくないが、王宮はそうもいかない。貴族による政治。しかし優秀な地方の役人は時々貴族の補佐として王宮の役人として働いている。彼もそんな一例だった。
 貴族に頭は上がらないが、この金の管理はほとんど肩書きだけの貴族よりはしっかりやっているつもりだ。
「貴族もなー、しっかりしている方はすごいんだ。仕事に誇りを持っている。ほら、スベール伯爵なんかはお若いが絶対不正など働かないし。外交のエルジス侯爵は手腕は見事。逆に誰とはいえないがプライドだけの貴族さまはいるほうが迷惑なこともあるしな」
「そうですかー」
 青年は素直に話を聞いている。
「おっと、邪魔したな。最低限だけやって帰っていいぞ」
 教育係りである男性に深く頭を下げて研修中の若者……を装ったキアは誰もいなくなったことを確認すると、奥の倉庫から過去の帳簿を全て引っ張り出して驚異的なスピードでチェックし始めた。
 特に確認するのは前王らが退位する五年前からだ。前王は第四の王が不審な死を遂げたことで退位を迫られた。そのことが金の動きからわからないかと探っているのだ。帳簿を扱いなれたスピードでページをめくっていく。腕が立つジルとは違いもともとキアは父の後を継ぐためにインドア派だ。
「あ……ここか?」
 はたっと手を止める。そして月光を頼りに周辺の冊子を引っ張り出す。
「ここが……」
 キアがここに潜入してから五日目。そろそろ結果を急がなければいけない。しかし流れは見えてきた。この流れを今度は人事でそれを確認する。さて、ハーキはそろそろ軍を見終わったか。
 ジルと連絡を取るにはジルが寝ている時間、すなわち夜だけなのだがキアとハーキが自由に動けるのも夜しかない。ジルとヘリーは心配だがああみえてジルはしっかりしている。信用するしかない。

 夜、シャイデの軍の宿舎は静まり返っている。その静かな中で、一人素振りをする男の背後で微かな足音がした。振り返った男の前にはうら若き女が笑いながら立っていた。
「あんたでしょ? 若くして軍曹まで認められた骨のある男って」
「何ものだ?」
「ねぇ、あんたあたしに従う気なぁい?」
 くすりと笑う女は背中に二振りの無骨な細い剣を背負っている。
「私を使えるのは陛下のみ」
「ふん、微妙な返事。陛下に会ったこともないくせに大した忠誠心じゃない? じゃ、あんたが使える男かどうか、見せて頂戴?誰の下に就こうが、この国の軍人なんでしょ?」
「何? 女を相手にしろと?」
「あら? 女だからって手加減する必要はないわ。あたし、強いからね。じゃ、あんた負けたらあたしのためだけに働くのよー?」
 背後に手をやって女は柄に手を掛ける。
「ささ、かかってきなさい」
 男は最初悩んでいたようだが、剣を構え、攻撃の体制に入った。とりあえず不審者に代わりない。倒して捕縛する。女は柄に手を掛けたまま微笑み続けている。男の剣が白銀の軌跡を描いた瞬間に女の剣が瞬いた。男の手に剣がなく、弾かれて遠くに飛ばされている。女が笑って構えを解いた。
「今のは……」
「あたしが勝ったわ。約束は守ってよね?」
 女はそう言って笑って剣を背後に戻す。
「ま、待て。お前は? 誰なんだ?」
「ん? あたし? いつかあんたの前に姿を現す美女ってことにしといて」
 女はそう言って闇の中に消えていった。女、ハーキはジルに言われていたリストを片付けるとふっと息をはいた。
「これで軍は大丈夫。次は神殿か。かわいいヘリーをいじめた仕返しをしに行きますかね」
 ハーキはそう言って笑った。おしとやかで優しい女王? 誰よ、そんな事言ったの。あたしは兄弟の中で一番過激な、やられたらやり返す主義の女なんだからね。そう心の中で笑うハーキは誰が見ても守護王であるとは思うまい。
 女は化粧でなんとでもなるのよねー。あー、侍女にまかせたりしないでよかったー。キアとは違ってあたしは化けるの簡単で助かったなぁ。
 といってもキアもかなり王の時は猫かぶりだ。もともと美形というほどではないが、顔の造詣が整っているオリビン兄弟は立派ななりをしてそこそこ堂々としていれば、王になれる容姿だ。
 しかし普段というか王になる前、キアは超昼行灯で、市井に出るときは目の下には隈、金髪はぼさぼさ、視線は寝不足のせいかするどく猫背。ハーキは剣を習っていただけあって、背中に剣を背負った男勝りな性格と強さで有名だった。
 王になった瞬間、それを自覚した四人は、いざというときのために化けておこうと行ったのだ。キアはその瞬間から両親と認識できなくなった人に向かって、寂しさを覚えながら自分達を着飾り王として振舞うことを宣言した。王宮からの迎えが来る前に四人ともこぎれいな姿にはなっていたので、誰も今の姿を疑ってはいない。
「王、か……」
 寂しいものだった。目の前にいる大人が両親だとわかっているのに他人にしか思えないあの感覚。王となった瞬間に聞こえた民の歓声。国を背負う重さ。なによりも否定したくとも王だと自分自身が認めてしまっている事実。
「呼べなかったな」
 別れるときでさえ両親に、お父さんお母さんと呼べなかった。嘘でも呼んで、別れたかった。

 紫紺は目の前の出来事がたぶん一生頭から離れないのだろうなぁとなんとなく幼心で思った。目の前に広がるいっそ美しいほどに明るく熱い紅蓮の空。橙の炎の壁の前に霞む様に立ち尽くす、一人の少年を。
「すばらしい!!」
 自分を押さえつける人間が呟いた。熱波が時折一行を弄るように襲う。しかし誰もそれを感じないかのように目の前の光景に心を奪われていた。

 ――数時間前――
 紫紺や鴉は人間に相変わらず監視された生活を送っていた。いくら広い空間とはいえ、この部屋から出てはいけないのは息苦しいし、人間がずっと監視しているせいで大人たちは一言も口をきかない。おかげで話すことさえ禁じられたようになって紫紺はひどくいやな毎日を送っていた。
 鴉もその雰囲気を感じ取って、こっそりと時々しか話してくれない。楓はあれから目を覚ましたようだが紫紺たちとはそもそも扱いが違う。楓が閉じ込められた箱に見えるなにかは紫紺にとって近づきがたい嫌な感がするし、近寄ろうとすると大人が止める。
 鴉に聞くと、楓は無晶石に閉じ込められているようなものだといった。そう言って自分達の手枷を指差したのだ。
「それって楓はつらくない?」
 自分達はこの手枷だけでも嫌でたまらないのに。だからみんな体調が悪そうな顔をして口数がすくないのかもしれない。
「つらいだろうけど、どうもできねーだろ、俺らには」
 箱の中で身を動かすことすら出来ない楓はずっと紫紺たちに背を向けたままだが時々身動きをしているから意識は戻ったのだろうと鴉が教えてくれた。そんな中、兵士と楓に暴力を働いた偉そうな人間、王と呼ばれていた人が入ってきた。鴉は隠すことも出来ないが紫紺を背後にかばう。
「ご機嫌如何かな? 楓くん」
 背後には冷たい目線の宝人の女の人もいる。その人は紫紺を見つけ、鴉から引き剥がすと、紫紺の首にナイフを当てた。
「これで機嫌がいいと思いますか?」
 楓の掠れた声が響く。兵士に命じさせてゲージの鍵が開かれる。蓋が開いて、兵士によって無理やり檻から出された楓は急な動きで関節が悲鳴を上げている。その場にへたりこんだ。腕の模様は消えている。縛りは解かれたみたいだ。鴉はそれを見て一安心する。
「これからの君の働き次第で、どうにかするかもしれないがね」
「……何をさせる気ですか?」
 楓が鋭く問う。ジルタリア王は笑う。
「一つ町を焼き滅ぼして欲しい」
「拒否権は……ないのでしょうね」
 紫紺を、人質の宝人たちを見て楓は冷静に言い放つ。
「いいね、頭のいい子は嫌いではない」
「理由を伺っても?」
「氾濫分子を匿っていたからね。町ぐるみで罪人というわけだ」
 宝人たちはジルタリアのお国事情など知ったことではないが、フィス皇子を逃がした大臣が数名逃げ込んでいた潜伏先を見つけたのだ。今からジルタリアを本当に自分のものにするため、これらは滅ぼさねばならない。
「そうですか……一応言わせてもらいますけど」
 楓はそう言って挑戦的にジルタリア王を見つめ返した。
「僕は炎を使う炎の宝人ですが、炎は忌まれるものです。その炎を僕は使ってきませんでした。だから、町を焼くなんて大規模な炎を上手く使えるかわかりませんよ」
 宝人の誰もが息を呑んだ。ここで捕まっている宝人たちは楓を忌避し、楓と関わっていない。確かに楓が炎を使っているのを見たことがある人間は少ない。楓の炎を扱う能力がどんなものか知らない。
「はぁ? そんな嘘が……」
 ジルタリア王が胡乱下に言うが楓ははっきり言う。
「嘘ではありません。なんならそこの女性に聞いたらいいんじゃないですか? 宝人とはいえ、エレメントの操作には才能と訓練が要るかどうか。練習しなければ宝人とはいえ、上手く使うことなんてできないものですよ」
 楓はハストリカに視線を投げかける。ジルタリア王の目線に答えてハストリカが頷く。
「確かに、私も水のエレメントを使う訓練をしておりました」
「で、お前は炎の宝人なのに炎を使ってこなかったと?」
「当たり前です。やって嫌われることをあえてやるような人間に見えますか?」
 楓はなんとか自分の考えていることを悟られないよう、挑戦的に言い切った。
「まぁ、その点は納得しよう。来い」
 ジルタリア王はそう言って楓を連れ歩く。紫紺も何故か連れて行かれた。
「え?!」
 紫紺の当惑する声に鴉が声を張り上げた。
「待てよ! そいつは関係ないだろ!!」
「この前のように殺そうとか考えられては困る。人質は必要だ」
「なぜ! そんななにもできないがきだぞ!」
 ジルタリア王は鴉に見せ付けるように紫紺を引っ張る。
「なにもできないがきだから効果的なんだろう?」
「……っ!!」
 鴉が声を失うが、すぐにジルタリア王を睨んだ。
「俺も連れてけ! 紫紺が不安に思うからな!!」
「……いいだろう」
 人質の価値しかないとわかっていても紫紺の揺れる目を放っておけない。鴉は決心した。
 何か箱のような乗り物に揺られて紫紺と鴉は初めて近くで楓を見た。兵士が隣で睨んでいるから会話など出来なかったが安心させるように紫紺に向けて笑ってくれた。優しい顔をしていると思った。
「着いたぞ、降りろ」
 そこは紫紺たち宝人の里よりは小さいが人間が多く住んでいる気配がする。
「さぁ、この町を燃やしてくれ」
 楓も戸惑っているようだ。なにせそんなことをしようと思ったことがなければ、初めて人間の町を見たのだ。それに幼い紫紺でもわかる。もし燃やすなんてことをしたらそこにいる人たちはとんでもないことになるし、これから暮らしていけないのだろう。そんなことをしろ……と?
「……本気ですか? その罪人だけ捕まえればいいじゃないですか」
「口答えをするなよ」
 紫紺と鴉を人質だと目線で知らせると楓は諦めたかのように首を振った。
「……わかりました」
 楓の無晶石の手錠と足枷が外された。楓の目線が町一体を見渡す。息を吹きかけるだけで赤い精霊が急速に生まれる。他のエレメントと違って炎のエレメントは世界に少ないが故か、特に楓が使う炎の際には炎の精霊は急速に生まれ育ち、楓の意思に従ってくれる。
(決して、生きているものを傷つけないで)
 楓の想いに精霊たちが頷く。
(できれば見た目は派手だけど、あまりものを燃やさないで欲しいんだ)
 自身もそういう炎を思い描く。そう、決して熱くない炎を。誰も傷つけない炎を!!  そして、軽く腕を振るう。
 ――ゴッ!!!
 それは突然のことだった。町全体が文字通り火を点けられて燃える。何もなかった空間に橙色の猛威が急速に広がり、地を舐める。気づいた町人が叫びを上げながら逃げ惑う。
 楓はその様子を見て、心を痛めた。自分の炎も結局、疎まれるだけのものなのだと。
「……すばらしい!!」
 後ろで人間が騒ぐのが聞こえる。……大丈夫、誰も傷つけてないはず。
 楓はあれだけの炎を使ったのに声一つ上げず、動作も腕を軽く腕を振っただけ。エレメントを使う際に見られるエレメントの主色(しゅしょく)に身体が変色する現象さえ見られなかった。
 各エレメントには己の色を個性として持っている。
 ――光は白。闇は黒。土は黄。風は緑。水は青。そして炎は赤。
 宝人は人間と契約するとその契約の印として己のエレメントの色の紋章が顔に現れる。
 だから楓の顔には今、赤い印が光っているのだ。そして宝人はエレメントの色かその従属色を身につけて生まれてくることが多い。鴉は闇のエレメントの宝人。その髪と目は黒色だ。ちなみに従属色とはエレメントそのものを表す主色の次にそのエレメントを示す色のことだ。
 ――光は灰色、闇は紫色、土は茶色、水は紺色、炎は橙色だ。唯一例外として風は薄い緑色や黄緑など緑系の範囲の広い色が従属色だ。まだわかっていないとの説もある。
 土の宝人である紫紺は髪と目は従属色である茶色の髪と目をしている。また、各エレメントの名をつけられ、そのエレメントの特色が強く出ている大陸に生まれた人間もそのエレメントの主色や従属色に近い色の髪や瞳を持つ人間が多い。
 しかし楓は疎まれたのか、黒髪に黒い目をしている。そういう己のエレメントの色を持たない宝人はエレメントを使う際は髪や目がその主色や従属色に変ずるのが当たり前なのだが、楓はそれさえ見られない。契約の際にはその現象が見られたからてっきりまたあの姿が見られると思っていた紫紺にとって少し残念だった。逆にそれを見ていた鴉はぞっとした。
(――こいつ、こんなヤバイやつだったのかよ!!)
 紫紺は幼くエレメントを使う経験が皆無に近いからわからないだろうが、鴉程度の年齢になればわかることも多い。己の色がエレメントの主色ではない場合、エレメントを使うときに自分の身体が変色するのは当然だ。それが見られなかったってことは……
(あの程度の炎は余裕ってことだ!!)
 エレメントを使おうとすら考えていないということだ。宝人はエレメントの管理者。慣れれば自分の守護するエレメントを使うのは呼吸をするようなものでたやすい。だが、自分の能力以上のエレメントを使おうとすれば自分の力をそれだけ使うことになり、それに反応してエレメントの色が出るのだ。
 だから、町一つ瞬時に燃やす巨大な炎を生み出し、扱うことなど呼吸に等しく容易いと楓が考えている、いや、そういうレベルの宝人である証拠。
 大人の宝人たちが楓の能力を知っていたかは知らないが、恐れられるのも頷けるというものだ。たしかに、この炎を目の前にすると――こわい。
 だが、それならなぜあんなことを言ったのだろうか? 楓は偉そうな人間に言っていた上手く扱えない発言を不思議に思う。出かける前に言った言葉はまるきりの嘘になるからだ。
(そうか、わざと手加減するための言い訳……!)
 鴉ははっとする。ここまで人間にされて、人間を想っているのか? 今までとは別の目線で楓が見えるようだ。燃え盛る炎の壁の前に立ち尽くす楓。オレンジの明るい炎に照らされて、その姿は鴉や紫紺からは黒い影にしか見えない。だけどその細身の姿からは哀しさを感じるのはどうしてだろう。
 ――本当に楓は、炎は怖いのか?

 悲鳴や叫び、怨嗟の声が炎の中に消えていく。誰もが真っ赤な炎に逃げ惑い、散り散りに生きる道を模索している。その様は楓にとってとてもつらい。こんなことをしたいわけじゃなかった。いくら人を傷つけないよう、ものをそこまで燃やさないよう気を配ったとて、その光景はきっと深く人の心に傷を残すのだろう。
 救うために里に放った炎を、拒絶した宝人たちのように。それは哀しい。それは寂しい。
 宝人にとって自分の守護するエレメントは自分の一部。世界に溢れる、だけど自分でもあって自分が世界の一部で、そういうもの。
 それは吐息でそれは身体をめぐる血のような……不可欠で、それでも自分だけのものではない。世界と自分を繋ぐ大切な絆のような。
(誰も炎を必要としない……)
 扱いやすい火は誰もが欲しても、心底炎を理解してくれる存在は自分だけだ。
 ――世界に炎は一人だけ。それがとてつもなく、楓には寂しい。
 他の炎の宝人が欲しいわけじゃない。みんなに火を使って欲しいと感じているわけではない。理解してもらおうとも思っていない。なのに、この事実が楓には哀しい。
(誰もが利用はするのに心から欲してくれはしない)
 だから、こんなことをさせるために契約をさせられるんだろう。楓はわかっていた。炎がもつその扱いやすさとそこから招く結果も。でもそれは全てのエレメントに言えることなのに、炎だけが強調されている。過ぎた使い方は身を滅ぼすのはどのエレメントも同じだ。
(今なら、逃げられる)
 紫紺も鴉も、捕まった宝人も、みんな楓に優しかったわけじゃない。誰もが炎に優しかったわけじゃない。関係ないじゃないか。自分をないがしろにした人たちなのに。
(切り捨てられない)
 仕事をした炎の精霊が笑って気持ちよさそうに楓の周囲を踊る。炎の宝人は楓が放つ炎のエレメントに触れられてうれしいのだろう。精霊とエレメントの関係も深い。
 楓は微笑んだ。放出しすぎたわけではないがその力が集まって赤い石がいくつか楓の周辺で形成される。小さな、人間からすれば目に見えない欠片を精霊が大事そうに抱えて飛び去っていく。
(この炎を五日間は絶やさないで)
 じゃないと逃げた人たちがまた見つかってしまう。楓が嫌々ながら大きな炎を放ったのは、罪の無い人間を追うことが出来ないようにジルタリア王たちをけん制する為のものだ。
「火晶石だ!!」
 炎に恐れをなしていたのに、人間がうれしげな声を上げた。しばらくして重力に従い火石が落ちる。だが楓はそれを拾おうとはしなかった。
 そして、楓は燃え盛る炎を目の前にして実は困惑していた。
(どうしよう……)
 もう一つ、楓の中でどうしようもない想いがある。
 ――こんなに炎を出すことがうれしいなんて。
 楓は里の人を刺激しないように、炎は出来るだけ使わなかった。必要最低限と言っていい。他のエレメントは晶石でなんとでもなった。炎だけが必要とされないならその機会は減る。炎の宝人なのにろくに炎を出せない宝人でもあった。
 今回、初めて、いや二回目だが大掛かりな炎を出した。一回目は光を逃がす為に必死だった。今回はそれだけ余裕があったのだ。自分の意思を形にした。己に流れるエレメントを放出して世界に還した。たったそれだけの行為なのに、自分が生きていてもいいと世界に言われた気がした。
(うれしい。炎と共に居られて……気持ちいい)
 今まで見ないようにしてきたことがあった。炎を否定される世の中は炎の宝人である楓を否定するものだったこと。炎を出す行為は火の魔神が楓に許した、否、課した役目。どんなに人に糾弾される行為でも、楓にとってこれほど幸せなことはなかったのだ。
(もっと燃やしてしまいたい)
 さすがにそんなことはしないけれど。だけどこんなに幸せだったなんて知らなかった。
(ああ、僕は炎の宝人なのだなぁ)
 楓の思いも人間の思惑も、何もかもを飲み込んでその日、炎は空を赤く染め、燃え続けた。