モグトワールの遺跡 014

056

 ミィは光がもたらした偶然だが重要な情報、すなわちルビーさん(仮)を探すため、この町の各地にキョセルを放った。
 どうもキョセルといった職業がないセダたちにとってはキョセルというのがよくわからない。簡単に言うと貴族やこの場合王族等が対立する側の家の情報を知る為に放つ密偵のようなものらしい。
 主人の命令に忠実で昼夜問わず行動を行う。主君によっては暗殺を行わせる者もあるという。特に機密情報等を扱い、その情報を元に牽制をし合う三大王家間は互いのキョセルが絶えず放たれ、先んじようとしているそうだ。
 ミィ自体はそういう行為を好まずキョセルを使わないらしいのだが、ヴァン家には当然数多くのキョセルがいる。ミィからすれば、別に人を探す位なら使っても大丈夫でしょうとのことだ。
 しかし、そのキョセルを以てしてもルビーの住処はおろか、姿を探すことはできなかった。
「つまり、それだけ警戒しているってことだろう?」
 一行でいろいろ仮説を立てたのだが、王紋が出ていることに気付かず、なにせ鏡があるような暮らしは金持ちしかできないので、気付いていない可能性があるのだ。普通に暮らしているだけで、女装は趣味か他の理由があったとすると、キョセルが必ず情報を掴んでくるだろう。
 砂岩加工師の卵なら、武者修行といいつつ、自分の腕と顔を売る目的もあるのだから、隠れたりはしないはずだ。
 他に違う街に暮らしていて、作品の納入先を個々に選んでいるということも考えられた。
 だが、そもそも砂岩加工師の卵は腕を磨くために各地を旅しつつ作品によって生計を立て、将来のパトロンなり、納入先を決めるための旅だ。納入する店と作品を創る場所を分ける意味がわからない。そこで冒頭の結論にいきつく。
「事情持ちってことよね」
 テラが言う。セダやグッカスに試しに聞いてみたが、女装は相当切羽詰まったときじゃないと男性はしないのだそうだ。変装で済ませたいと男性皆言う。
 ミィは男装はそこまで気に障らなかったそうだが、男性が女装をすることはかなりの気力を要するらしい。簡単にいえば―プライドが邪魔をするということだが。
「そいつがまともな思考の持ち主ならな」
 グッカスが言う。
「うーん、わかなんないなぁ。キィの頭を借りたい……」
 ミィが呟く。そもそもエイローズ家に詳しいわけではない。記憶が正しければエイローズ家は家の間でもめることがあまりない。当主を決めたら、その当主にどの分家も従う。それはどの王家でも同じだが、当主を決めるまでもめたりしない。あっさり決まる印象が強いのがエイローズだ。
 ヴァン家はまだ次期当主が決まっていないので、もめる、というほどではなくても多少のいざござはある。ルイーゼも今の当主のアイリスになる前はもめていた気がする。
 王家というのは始祖の血を引く直系の本家が存在する。その本家から別れ生まれた分家が相当数存在する。本家は数多い分家を取りまとめ、各地、各部署にうまいこと配置させ、自治を可能にさせている。そう、三大王家それぞれで一つの国と同じなのだ。
 その中の異分子が存在する。本家で取りまとめる体制の中に魔神によって選ばれる王である。つまり当主と王と頂点の存在が二つ存在することになる。立場上は王が上で、偉い。王に従わざるを得ない。しかし、王は直系から必ずしも選ばれない。ゆえに家を引っ張って来た当主と王は反発しやすい。
 確か、亡くなったルイーゼ家の王と当主がその関係性だった。当主が王の顔を立てる形で諍いを抑えていた印象がある。
 今のヴァン家は直系から王が選ばれたゆえにそこまで混乱はなかった。だが、エイローズはいつの時代ももめることはない。必ず王であっても当主に従う。そういう家なのだろうとは思う。
「エイローズが王の選出でもめるとは思えないんだよねぇ」
 事情を知らないセダたちにミィは軽く説明する。王家はそれぞれの特色の様なものがあるのだ。
「ルビーさんが逃げる理由がわからない、か」
「もうさ、わかんないんだから直接聞くしかねーんじゃないのか?」
 セダが頭がパンクしたように呟いた。
「それができたら苦労しないでしょ?」
 テラが呆れたように突っ込んだ。どこにいるかわからないからだ。
「いや、できるかもしれないぞ」
 グッカスが言う。ミィが目を丸くした。
「宝石店に納入する予定がまだあるんだろう? 納入の時を抑えるしかないが、不可能じゃないはずだ」
「……そうですわね」
 リュミィも頷いた。店主に納入時に是非会いたいから都合を付けてくれと言えばいいのだ。
「うん、そうだね」
 ミィはぱぁっと明るい顔になった。相手が断ればそれこそ三大王家の権力にものをいわせればいいのだ。そういうとき権力って便利!
「よっしゃ!それでいこうぜ」
 セダとミィが手を合わせて喜びあった。一行の迷い惑っていた方針がようやく決まった。

 いつものように新聞を買い、目を通す。といっても一般で売っているような新聞ではない。そもそも新聞を装っている違うものだ。それは賞金首のリストである。
 フリーのキョセルやセビエト―ルの間で密かに売られているものだ。王家や富豪が金を出してまで捕えたいものの人物リストである。意外と闇市のような表立った場所でなければ簡単に手に入る。
「テルルの情報は、ないな……」
 隅々まで目を通し、溜息を一つ。そして次に土の大陸全土の地図を広げた。
「最後にテルルの情報が載ったのは、三月前で、ファルの街だった。とすると……今いるのはこの辺りだとして、俺が次に行くべきは……」
 地図を見て何かを検討しているようだ。机の上には地図と小箱がいくつか乗っている。
「この町もそろそろおさらばしねーとまずいよな。作品の納入回数はこれで五回だし、潮時か」
 少女はそう言ってしばらく地図を見つめると、よし、と一声上げて小箱を持って立ち上がった。少女が小箱を持って家から出た時、その場所は街外れの砂漠が始まっている場所だった。人っ子一人いない、砂だけの大地が広がる。
 この砂漠も方向が異なれば神殿への道と続き、街も途切れず、人通りも多いが、残念ながらそんな立地ではない。しかも、その少女砂漠の入り口街外れに家を建てているわけではなかった。そもそもその家がない。
 ――彼女はどこから出てきたのか?
 彼女は砂漠のど真ん中、正確に言うと砂漠との境目の大地から出てきたのだった。どんな魔法を使ったのかと言いたくなるほど何もない場所から出てきたのである。
「さてと」
 少女は何もない場所から出てきたことを不審に思われないうちに街へと足早に繰り出したのだった。

 宝石店の店主は愛想よく少女を迎えてくれた。いつもの事だが、最初は邪険に扱われても作品を納入すれば態度がころりと変わる。それだけ自分が納入する作品には価値があるかと思うと少しうれしい。
「ようこそおいで下さった、ルビーさん」
「いえ。こちら、お約束の品です。検めて頂けますか?」
「はい、では奥へどうぞ」
 案内された客間の上にはすでに検分のために商品を傷つけない為のやわらかな布地が広げられている。店主は手袋をはめ、少女に対面の椅子を勧めると、自分は箱を壊れものを扱うかのようにそぉっと開けた。
「ほぉ……」
 店主の口から思わずため息が出る。しばらく箱を開けた状態で固まったまま、ふと我に返って丁重な仕草で作品を持ち上げた。
 今回ルビーと呼ばれる少女が納入した砂岩加工品は燭台だった。全部で五点ある。滑らかな手触りは元が岩であったなどと誰が思うだろう。光を反射して角度によって万華鏡のように色とりどりに変わる色彩は砂岩独特のもの。粒子を散らばらせたかのような細やかな砂の輝き。燭台の側面に彫られているのは土の魔神だ。
「燭台、ですか……」
「はい」
 宝石店にはあまり見かけない品だろうが、雑貨も売っているこの店なら売れない事はないだろうと思いきった。火晶石が一般人にとって高価なため、蝋燭もそう一般人には使用されない。燭台は普通の市民には不必要なもの、高級品といえる。
 しかし、だからこそ高価な値をつけてくれないかなぁと期待しているのだ。夜に蝋燭を灯した時、光の強弱や加減によって変わる色遣いに気を使った。自分でも自信作だ。
「蝋燭を灯してもよろしいでしょうか?」
「もちろん。その為のものですから」
 まだ明るい時間だが、室内ではあるし、色遣いも判断できるだろう。店主は蝋燭を手近な燭台から引き抜き、作品である燭台に備え付けた。火晶石によって火がともされる。火晶石は高価なので、実は自信作とはいえ光の当たり具合は光晶石で確認した。ゆえに巧くいっているか、自分でもどきどきした。
「すばらしい!!」
 興奮した様子の店主と、自分も確認できた出来に、少女はほっと溜息をかくれてついた。
「さすがですね、ルビーさん」
 店主は少女を称賛し、火を吹き消すと蝋燭を取り、丁寧に煤を掃う。
「ありがとうございます」
 店主はどう価格を付けようかと真剣に悩み始めた。作品はそこまで値を上げてはいけない暗黙のルールが存在する。卵はあくまで修行中の身で、プロではない。ゆえにプロ以下の値段を付ける必要がある。
 しかしルビーの作品は素晴らしすぎた。店主が悩むのはそこである。高値で売りたいが売れない。そして値段を付けることが出来ないほどに素晴らしい出来の作品。一時的にしか自分の元に置かれないこの作品を手放したくはないのだ。
「うーん。家内と相談させていただいても?」
「はい」
「では、店内は自由に見て頂いて構いませんので、少しお時間を頂きます」
 店主はそう言ってパートナーである奥さんを呼びに消えて行った。
「やべ、これで納入最後って伝えるの忘れたな……」
 店主が消えてから少女は呟いた。ま、後で伝えればいいやと店に脚を向ける。他の宝石などを見てデザインなどを勉強するのも好きだ。手にとって眺めていたり、色合いを確かめたりしているとドアが開いた。
「あ」
 入ってきてそうそう金髪の少女がルビーを見て声を上げた。自分を見て反応されてしまうと、肩に力が入る。
 ――それは、自分が逃亡者だからだ。賞金首のリストに自分の名が載るほどには。
「いらっしゃいませ」
 店主が来店のベルの音を聞きつけ、奥からひょっこり顔を出した。
「ああ、ミィさま。ようこそ」
 店主の顔なじみの客の様だ。なぜ自分を見て反応した? ん? もしかして臭う? 確かこの前湯あみしたのいつだったっけ? 貴族のお譲さま? 金持ちに見える乙女にはこの格好はまずかったか?
 改めて己の格好を省みる。髪はぼさぼさ。整えてすらいない。服装はそういえば作品に取りかかってから着替えるのを忘れていたかもしれない。それに服が汚れない為につける、職人には必須アイテムの汚れた掛け布を付けっぱなし。……うーん、刺激が強すぎる格好かもしれない。もしかしたら土のにおいが染み付いてひどい体臭とか?
「ルビーさん、あなたの作品をいたくお気に召されてこの前のものをお買い上げくださったんですよ」
「どうも」
 目の前の少女に向けてぺこりと頭を下げる。
「初めまして、貴方がルビーさん?」
 頷くにとどめた。作品を気に入ってくれて、買ってもらったのは正直嬉しいがこういういかにも貴族っぽい人たちとはあまりお知り合いになりたくない現実がある。自分は逃げている身なのだから。
「是非、私の家においで下さらないかしら?」
 がしっと両手を掴まれてぎょっとしている間に興奮した調子で言われた。
「あなたの作品、すごく気に入ったの。是非是非、是非にお願い! その腕前を披露して下さらない?」
 ぶんぶんと握った両手を上下に揺すられる。
 ――なんだ、この女?
「い、いえ……」
「えー! お願よぉ!!」
 なんでこう金持ちなやつらは自分の思い通りに事が運ぶと思っているのだろうか。
「私は修行中の身ですから、そういう事はご遠慮させていただいております」
 やんわりと両手を外そうとして、思いのほか固く握りしめられている現実に辟易する。
「いいじゃない!」
 だからよくねーんだよ。
「困ります」
 はっきり言う。貴族(仮)のお譲さんに睨まれた所で困りはしないだろう、たぶん。
「ルビーさん、お代ですが……おや、お話し中ですか。それは失礼を、ミィさま」
「いいのよ。そうだ、自己紹介が遅れたわね。私はミィ=ヴァン。あなたの作品に一目ぼれしたクチよ」
 少女が明るく笑った瞬間、ルビーはさぁーっと全身の血が引いた。
 ――ヴァンだと?!
「ご店主!」
 少女は笑顔で接客中の店主を呼ぶ。
「はいはい、なんでしょう?」
「すみません。急用を思い出しました。お代はまた後日受け取りに伺います。すいません」
 ミィの手を振り切ると店主に一礼し、そしてミィにも一礼した。
「王家の方とは存じ上げず、失礼しました。しかし、修行中の身では、御身に拙い我が腕を御見せる恥辱には耐えられません。どうかご容赦を平にお願い申し上げます。では、所要がありまして、大変残念とは存じますが、御前を失礼いたしますことをお許しください」
 早口の様に向上を述べると、一目散に店から逃げ出す。
「え、ああ。はい」
「ちょっと!」
 店を出ると、先程のミィの付人だろうか。派手な橙色の髪の少年と、白髪の女性、水色の髪をした女の子、茶髪の少女、それに金髪の少年と妙に若い人物たちの集団が驚いて自分を見ていた。
 ヴァン家がここで出てくるとは予想外だ。しかし、自分の身の上はばれていないはず。王と繋がっている少女か? ヴァン家といってもどの程度の血統でどこまで知っている少女だ。あの様子からすると自分のことは知らないっぽいが。
 足早に表の通りを抜ける。様々な事が頭をよぎる。ヴァン家に顔を見られた以上、長居は禁物だ。あの燭台の代金が貰えないのは痛いが、仕方ない。金は諦めて今日中にこの町を出よう。とりあえずは隣町に行って、そこからまた移動すればいい。
「待ってよ!」
 背後からミィの声が響く。そんなのに構っていられない。
 ――王家。その響きが欠片でも感じられるものからは全力で逃げなければ。

 黄昏時の商店街は影を長くして人々を帰宅の途に急がせる。少女の影を追いかけてミィたちは駆け脚になっていた。少女は自分が追われている事を知っているらしく、先程から一行を撒くように小道に入って複雑に角を曲がっている。
 こちらは特殊科のグッカスのおかげでなんとか足取りをつかめている状況の様だ。光たちは追跡に脚を引っ張ると思い、店で大人しく待っていることにした。
 計画ではミィがうまく少女を言いくるめ、ヴァン家まで連れてきて事の真相に迫る予定だった。しかし、ミィの名を聞いた瞬間に少女は一行の前から去ろうとし、今も不自然ではないぎりぎりのところで一行を撒こうとしている。
「慣れているな」
 グッカスが呟いた。視線を走らせて、少女の足取りを必死に追う。
「なにがだ?」
「ここまで裏道や小道を抜けているんだぞ。当然、地元ではないというなら、ここまで調べこんだってことだろう。つまり、自分がいざというときに抜ける道を常日頃から考えていたってことだ」
 グッカスの言葉にセダが感心して頷いた。
「じゃ、いざというときをいつも考えなきゃいけない立場なわけだ」
「そう、つまり……事情持ちは確定」
 ミィが呟く。話している間にも少女の影が消える。グッカスが視線を動かし、道と少女の選択を必死に考え、消えた足取りを追う。
「ヴァンの名を聞いた瞬間に逃げたようにも思えるな」
 セダが言うと二人が頷いた。
「でもヴァン家が追うような理由を私は知らないわ。私が知らないだけかもしれないけれど」
 ミィが知らない事情は多くあるだろう。だが、責任者として知らされていないことはない。少なくともミィが治めていた港町で犯罪を起こしたような人物ではないことは確かだ。
「こっちだ」
 グッカスがそう言って通りを選んだ時、見慣れた薄汚れた格好が意外と近くに視界に入る。
「……あ」
 呼ぼうとして少女が自分達を待っていたわけではないことがわかった。何せ少女は一行が追いついた形なのだから当然だが、背を向けて立っていた。そう、少女の行く手を阻むように漆黒の出で立ちの者がいたからだ。
「キョセル……?!」
 ミィが呟く。少女は数人のキョセルと呼ばれる者に囲まれていたのだ。
「くそ……!」
 少女の焦る声が聞こえる。事情持ちというにはあまり穏やかではない状況だ。
「お探し申し上げました。我々とお出でいただけますね?セーン=エイローズ様」
 じりっと少女の靴が砂を噛む。後退しようとして、逃げ場がないことを悟っている。数人のキョセルから逃げおおせるものなど同じキョセルでなければ無理な話だ。
「いやだ、と言ったら?」
 少女がそう言いながらも逃げ道を足掻くように探す姿がいっそ哀れだ。
「では、無理にでもお連れします」
 キョセルが動こうとした刹那、突風が吹いた。身体を揺さぶられるほどの突風。タイミングをずらした瞬間、少女が走り出す。視界の端にセダたちを確認したが、今はそれどころではないと言いたげに。
「待って……!」
 ミィが手を伸ばす。その刹那やはり速度で勝るキョセルが背後から少女を襲う。
「おい!」
 セダが抜刀した。そしてキョセルに向かう。
「セダ!!」
 グッカスが焦って吊られたように動き出す。キョセルの腕の中で気絶させられたであろう少女がぐったりして身体を弛緩させる。
「何者だ、お前ら!」
 セダの武器は空を切る。少女を抱えたキョセルが一足で距離をずいぶん離したからだ。
「動くな!」
 ミィが叫んだ。いつの間にか耳に目立つ青い房の耳飾りをつけている。
「我が名はミィ=ヴァン。三大王家ヴァン家が直系の娘! そこな者らよ、その少女は我が知り合いゆえ、手出しはまかりならぬ! ヴァン家の名において即刻動きを止めよ!!」
 神殿を擁するルンガの街はヴァン家が昔から強い支配力を持つ街だ。その街でヴァン家を敵に回すとどうなるかと脅しを掛けたわけである。
 キョセルらはどうする? と視線でやりあって一つの結論に落ち着いたようだ。
「この者はエイローズ家の者。我らエイローズはエイローズ家で禁を破りしこの者をずっと探しておりました。ミィ=ヴァン様。どうか我らが行動を阻まれますな。さすればこちらはセークエ・ジルサーデの名をもってして、正当性を示す事ができますぞ」
 キョセルの一人がそう言った。ミィがぐっと黙り込む。いくら昔から支配力が強いとはいえ、神殿を擁するこの町の長はセークエ・ジルサーデと決まっている。現在のセークエ・ジルサーデを擁立したのはエイローズ家。支配力が強いのはエイローズ家だ。
「待て!」
 グッカスが叫び返す。
「エイローズ家であるという証は?」
 ミィの証明は耳飾りでできるが、彼らはできない。そう踏んだグッカスの機転の利いた台詞だった。
「それにその子はルビーさんだぞ!」
 のっかるようにセダも叫んだ。逃げていたことや女装していたことを考えればおそらく偽名だろう。だがそう言い通してしまえば捕まえることもしにくくなるはず。
 双方のにらみ合いがしばらく続いていたが、そこに軽やかな馬車の音が聞こえてきた。
「おやおや、これはミィ様ではありませんか」
 馬車から優雅に降り立ったのは、いつぞや一回だけあった美しい女性――アーリア=エイローズだった。
「アーリア様……」
 アーリアはミィに挨拶の礼を取ると微笑む。
「騒ぎを聞きつけて来てみれば……うちの者がご迷惑をおかけしたようですね」
 当主の登場に殺気立っていたキョセルが皆礼の型を取って控える。
「そのキョセルは、エイローズ家のものですか?」
「ええ。こんな一目に着く場所で大勢見れば何かあったと思いますもの。ミィさまの感覚は至極まっとうです。それに彼女を心配していだたいたようで……お知り合いですか?」
 ミィを一度褒めた後、気絶したままの少女に視線を向け、アーリアが問う。
「はい」
 知り合いというほど仲良くなれなかったが知ってはいる。ミィは言い切った。
「そう」
 何か思う所があるのか、アーリアは黙っている。
「彼女、あんたの家の人なのか?」
 セダが言う。
「まぁ、ミィ様のご友人の方ですね……名は確かセダ様?」
 グッカスが愕然としてアーリアを見る。アーリアがセダの名をなぜ知っているのだ?!
「当然、我がエイローズ傘下の者です」
「なんで、そんな無理矢理連れて行くような真似すんだよ」
 この女性にうすら寒いものを覚えても引けないこともある。セダは強気に問うた。
「それはこの者らの落ち度ですわ。私は無理に連れろとは言っていませんから」
 少女の額にかかる髪を優雅に払うアーリア。その感覚にぴくっとまぶたが揺れ、気絶していた少女が目覚める。そして己を覗き込む容姿端麗な女性を認めて、驚愕に目を見開いた。
「アーリア、様……!」
「お目覚めか? セーン=エイローズ。それともルビーと呼ぼうか?」
「私と来てくれるな?」
 にっこりと妖艶に微笑まれて、セーンと呼ばれた少女が絶句する。
「アーリア様!」
 その瞬間にミィが声を張り上げた。アーリアがミィの方に艶めいた瞳を向ける。
「この前のご招待の御返事を差し上げておりませんでしたね? もしよろしければ、今からご一緒させてくださいな」
 これはミィにとっても引けないのだ。だって弟を助ける唯一の道が彼女かもしれないのだから。
「これはこれは」
 アーリアがにっこりとほほ笑む。その余裕な態度にグッカスもセダもそして言い放ったミィでさえ、緊張して身を固まらせる。
「では、ご招待いたしましょう。どうぞ、馬車へ皆様」
 少女の耳元でアーリアが何かを囁く。その瞬間、少女が硬直した。セダたちが見ているすぐそばで少女は青くなり、身をふるわせ始めた。
「グッカス、聴こえたか?」
 獣人ゆえに聴力が優れているグッカスにセダが囁く。グッカスは頷いてセダに囁き返した。
「――逃げてもいいのだぞ、と言っていた」
 それを聞いて瞬時にセダは決断した。
 ――少女を助けたい、と。
「グッカス、お前は別行動だ」
「……しかし!」
 グッカスはミィがアーリアと話している間にセダとの会話を続ける。
「助けてやろうぜ、あの女の子。きっとあの人に捕まりたくないんだろ?」
 少女の徹底した逃げっぷり、隠れ方……尋常じゃない。事情があるのだろう。
「そうのようだが。さて……」
「とりあえず、俺がミィとあの女のひとを足止めしてみるからよ」
「わかった。頼んだぞ、セダ」
 グッカスが頷いた。何かの鍵を握っているであろう少女がこのまま闇の中に消えてしまえば、こちらもまた迷ってしまう事になる。それだけは避けたい。
「ミィ様。ではわたくしめはヴァン家に知らせをやります」
 従者のようにグッカスが一礼する。
「あら、エイローズの家から使いをやりますわ」
「いえ。他の用もございますゆえ。わたくしめはここで失礼いたします」
 グッカスはそう言って礼をしたまま一行を見送る体制になった。
 それを見つつ少女も身をこわばらせながら馬車に乗り込む。優雅に微笑み続け、馬車の中でもたわいのない話を続けるアーリアと、それにつっかえながらも返すミィ。二人の少女の声以外馬車の中には響かず、極度の緊張した空気だけが流れつづけた。
 セダはグッカスに全てを托し気まずい馬車の中でどうするか、と悩み始めた。いきあたりばったりなのはいつものセダだが、それにしては馬車の中の空気が重すぎる。
 グッカスは馬車が見えなくなるとようやく身を起こし、そしてヴァン家の方向に走り去りつつ、建物の陰で人影を確認し、鳥に変じた。
 上空に飛び上がったグッカスは馬車を見つけるとエイローズ家のどこに馬車が向かうのかを確認するために後を追い始めた。