モグトワールの遺跡 015

058

「それって、みんなが憧れる職業だったんでしょう?」
「そうだね。エイローズの分家誰もがそういう位の主を得たいと日々努力しているんだ」
しかし父の表情は暗いままだ。
「でも、父さんはその生活が嫌だったんだ。同じ家に生まれているのに、他人をだましたり、時にはわざと蹴落としたりして自分が優位に働くようにする。そう言う風にしてまで偉くなりたくはなかった」
「それってみんな嫌がることだよ。やっちゃだめだって言っているよね?」
「そうだ。父さんも母さんも、おじいさんや村の人たち誰もが「人の嫌がることをしてはいけない」と知っている。でもね、王家の中ではそんなことを考えている人は一人もいないんだ。自分の利益の為に平気でそういう事をする。それをして主に褒められる。そういう世界なんだ。父さんはそれがとてもいやだったよ」
「……誰も怒らないの?」
「怒らないね。それどころか、エイローズだけではなくてね、エイローズが他の王家に対してもそういうことを平然とするんだ。他の王家もエイローズに同じようにする。どうしてそうなってしまうと思う?」
 セーンは考えた。村では起きないのに、国を動かすような偉い人たちは平然と行う理由。
「一つは偉い人は権力を持っているからだよね。誰も怒る事ができない。そういう現実があると思う」
 セーンは村と偉い人の違いを比較して答える。父は頷いた。
「二つ目は、集団の違いかな? あまりにも大きい集団で動くと意志の統一が難しくなる。そういう風に習った」
「そうだな。他に思いつくかい?」
 セーンはしばらく悩んでいたが、首を横に振った。
「セーン、これは二つ目にも関わるが、人が大勢いれば、それだけ多くの「考え」が存在するからだ。考えが違う人たちが集えば、それは衝突するね。村では話し合いをしたり、会議を開いて投票を行ったりする。それで解決するね。だが、集団が大きければそういうわけにはいかないね。話し合っても結論が出ない場合もある。だから自分の意志を通そうとして、諍いが生じる。目的の為に手段を選ばなくなる。そうすると他人を思いやる事が出来なくなってしまうんだ。そこには同じ人が存在せず、『敵』という別の生き物のような、悪しき存在を勝手に作りあげてしまうんだね。そうして、敵には何をしても許されると勘違いしてしまう」
 父がそう語る。セーンはそんな生活嫌だなと思っていた。
「エイローズの中でも、同じ国の中でも絶えずそれが起きる。父さんはね、そんな生活が嫌だったんだよ」
「今度は母さんの話を聞いてくれる?」
 父の話の区切りが良い所で、今度は母が語りかけた。セーンは頷く。
「母さんは三大王家のうちのルイーゼ家で育ったの。父さんのエイローズ家と似ているけれど、母さんも生まれた時から主を決められていたわ。でも強制ではなくてね、嫌だったら嫌と言ってもよかったの」
 ルイーゼ家では生まれた時から仕える主君が決まっている。そしてその主君と同じ家で育つ。だからか、主君と定める事に抵抗なく育つのだという。
 母さんもルイーゼの中では傍流の出であったが、父と同じように才能を見いだされて、エイローズの直系に仕える分家の娘に仕えることとなったのだという。どちらかと云えば、その主君は政治的なやりとりよりは、後宮に入る事を目的としていたので、母のサポートは女社会であったという。ゆえに父の様なぎすぎすした政治的やり取りを直接見たわけではないが、それなりに苦労はしたようだ。
「さっきの話、母さんはもう一つの理由を知っているわ」
「嫌な事をしてしまう、争う理由?」
「そう。自分の優秀さを誇り、それなりの報酬を要求するためには、自分の結果や才能を誇るよりは他人を陥れ、蹴落とす方が簡単だからよ」
 己が上に上がる為に、己の成果を示すのではなく、相手の失敗を誇張する。人は良い事よりは悪い事の方が印象に残りやすい。それゆえに、他人を蹴落とす方が楽に上に登れる。そういう例を両親はたくさん見てきた。
「それで、お互い疲れ果てていた所に、出会ったの」
 主君が直系をサポートする役割故に、王宮で良く出会ったのだという。暇を見つけては会話を楽しむようになり、お互いの家をこっそり抜け出して街中で一緒に過ごすことも多くなった。
「だけど、私たちは育った家が違ったの。だから結婚は出来なかった」
 三大王家同士の婚約を禁じている決まりはない。だからこそ、禁忌であると王家に育った誰もが身にしみて分かっていた事だった。
「まるで、戯曲みたいだね」
 禁じられた家同士の者が恋に落ちて、駆け落ちする。よくある物語の設定の様だ。
「そうね。でも私たちはもう離れられなかったの」
「二人が結ばれるには、互いの家を捨てなければいけなかった」
 今度は父が言う。
「だから二人して『王位継承権』を返上したんだ。つまり、放棄したんだね」
「王位継承権?」
「そう。王家に生まれると、王位を、つまり、大君になる事ができる権利を誰しもが持っている。何故だかわかるかい?」
 セーンははっと思いついて言った。
「王家の人間から魔神さまが大君を選ぶからだね!」
「そうだ。魔神さまが王家の中の誰を選ぶかはその時まではわからない。だから王様になる可能性がある資格があるとでも言おうかな。それが、王位継承権。父さんにはエイローズ家の王位継承権が、母さんにはルイーゼ家の王位継承権が生まれた時からあった。それが、セーンの左耳に付いている穴だよ」
「これ?」
 耳を引っ張りながらセーンが驚く。
「そう。正確に言うと生まれだから穴そのものが権利というわけではないよ。王家の人間は直系、分家、血統の濃さ関係なく生まれたら神殿に行って、神官に祝詞を唱えて祝福を戴きながら穴を開ける決まりなんだ」
「それで、俺にもあるの?」
「そうよ」
「じゃ、俺にも王位継承権が、あるの?」
「そうだ。セーン、お前にはエイローズ家の王位家継承権が与えられている。これは父さんと母さんの王位継承権が高かった方の家の継承権を引き継いだからだよ。つまり父さんの方が、母さんより直系に近かったからだ」
「ちょっと勘違いしているわね? 別に耳の穴が特別ではないの。どうして耳に穴を開けるかわかる?」
 しきりに耳を引っ張っていたから、母が微笑みながら言った。
「耳ってことは、王家の身分証明に使うんだね?」
 耳飾りで証立てをする風習があるのがドゥバドゥールだ。
「そうよ。普通は耳に穴を開けてまでつけないでしょう? だから王家の証をつける時は特別なの。普通は耳に怪我をしてもすぐに治るわよね? 神官が祝詞を唱えながら開ける穴は特別なの。だからセーンの耳の穴は放っておいてもふさがらないのよ」
 痛くもなんともないが、不思議に感じてはいた。そういう仕組みだったのか。
「じゃあ、父さんも母さんも王位継承権を返上したから、もう耳に穴が開いていないんだね」
「そうだ。理解が早いな」
 つまり、父も母も己の生まれた“王家”の在り方に賛同できなかった。だから王位継承権を返上し、一般の市民となって一家庭を築いた。そうして生まれたのがセーンだ。
「じゃあ、俺もその王位を返上する。俺もこの暮らしが好きだもの。他の場所へ行って他の暮らしをしたいとは思わない」
 両親はセーンがそう告げると、安心したような笑みを見せた。誰もが一度はあこがれる華やかな絢爛豪華な暮らしを己の息子は一言で切り捨てた。二人が選んだ日々の在り方に共感してくれたのだ。
「そうか」
 ぐりぐりと父がセーンの頭を撫でる。
「うん! 俺、おじいさんみたいに羊を遊ばせている間に砂岩を加工したり、村の人と季節毎に一緒に仕事をしたり、そういう今の暮らしがしたいんだ」
「ありがとう、セーン。でもね、セーンはまだ王位継承権を放棄できないの」
母がそう言う。
「どうして?」
「王家のしきたりというか風習があってね、生まれたら神官に祝詞を唱えてもらい、魔神の守護を受け、子供の生誕を報告する。これはセーンが生まれた時に父さんがエイローズ家に報告した。だから、セーンには耳に穴が開いているし、王継承権も得ている。その次はその子供が五歳になったら、王家に謁見する。顔見せと成長を確認する儀式だ。これはセーンの具合が悪かったから、父さんだけで済ませたよ。お前が覚えていないのはそういう理由だ」
 セーンはそれを聞いて、得心が行き、そして両親が夜中話し合っていた事に思い至る。
「俺が十歳になるから、また何かあるんだね?」
「そうだ。十歳になると、子供は次期当主候補と謁見する。今の時期当主は直系ただ一人の跡継ぎ、アーリアという女の子だ。お前より四歳年上だね。彼女と会う事が目的だ」
「会ってどうするの?」
「どうもしない。次期当主の興味がお前に向けば一言二言会話をするだけだ。適性は大人社会で勝手に行われる。そうだな、気楽に考えて構わないよ。美味しい料理を食べて、行儀よくしていればいいだけだ」
「ふーん。聞くだけだと楽しそうだね」
「そうだね。セーンは何も考えなくていい。そうしている間に“御印”が完成して、できたら帰っていい」
 セーンは首を傾げた。
「王家の身分証明である耳飾りのことよ。個人個人で砂岩に刻まれる模様が違うの。もう壊れてしまったから見せてあげられないけれど、母さんの御印はハプロパプスという黄色い花だった。普通は男の子が動物、女の子は植物の御印を貰うのよ」
「一人一人違うの?」
「そうだ。父さんはカワウソだったよ」
「王家の人っていっぱいいるんでしょう?同じ印を貰う人はいないの?」
「王家の御印は神殿で管理されている。同じものを貰う事はまずないよ」
「神殿は大変だね」
 セーンの率直な感想に両親は微笑んだ。この子は何の御印を貰うのだろうか。
「話を戻すぞ。次は十五の半成人の儀式だ。この儀式で自分が誰を主君に持つか、逆に誰に仕えられ、将来どんな職業に就くかが決められる。普通はこの儀式前に決まっていて、それを子供自身が当主に宣誓する儀式だ。この半成人の儀式を終えれば、武君は軍に入隊できるし、文君は役所仕事を体験できる」
 この半成人の儀式は三大王家全てが行う。武君は軍の入隊が認められ、軍隊が組織する学校に通うし、文君は大学に通いながら実際の仕事を手伝う。神官は神殿に本格的に修行を行うし、皆それぞれ将来の仕事の準備期間を迎えるわけだ。
「そして十八で成人の儀を迎える。これは国民全員がそうだね」
「どうして十五で半成人なのに、十八で成人なの?」
 セーンが尋ねる。父はそうだな、と頷いて答えてくれた。
「王家で成人と認められるのが三十歳だからだ。王家としては成人を迎えるのは三十歳。三十歳でようやく一人前と認められ、要職に就く権利が与えられるからだよ。もちろん、当主や血統の高い王家の人は別だけれどね。形式上ということだ。しかし国民には関係ない話。ゆえに十五の半成人の儀式は王家しか行わない」
「子供が生まれてから五年おきに何かしらあるのに、二十歳や二十五歳には何もしないの?」
「決まった儀式はないね。ただ、二十歳は大学の卒業の年だから、社会人になるお祝いをするね。王家は皆、武君や神官等と言った職種以外、つまりは文君や術君だね。これらは大学に進むからね」
「二十五歳は社会人になって五年目だからという節目でお祝いしたりするわ。でもね、王家のしきたりで儀式が存在するのは成人するまでよ。成人して自分の進む道を歩むようになれば王家は監視せずに済むからよ」
 母が言う答えにセーンが疑問を投げかける。
「監視?」
「そうだ。これは言い伝えだが、王家の直系が膨大な数の分家に生まれた人間を一人一人把握し、御印を与え、将来の道を示す。これは何故だと思う?」
「自分の領地を効率よく自治し続けるためでしょう?」
「そうだ。それもある。だが、セーン、考えて御覧。そうすると自治には王家の人以外は入り込めなくなってしまうよ。では何故貴族が存在する? 何故一般市民からの政務官を募るんだろう?」
 ドゥバドゥールの国政は三大王家による自治によって行われるが、貴族や他に一般市民の優秀者を採用している。国政を担う者の半数以上が王家出身者、残りの半分を貴族が占めるが、四分の一は一般市民から難関の試験をくぐりぬけてきた優秀者だ。
「そうか……必ずしも王家である必要はないよね」
 貴族や王家で占められるのは、単純に経済力でよりより教育を長く受けられるからだ。一般市民はどうしても基礎的な事を五歳から六年に渡って凝縮して習う小学にしか通わない。
「先程、セーンが自分で気付いていたよ。直系が分家を管理するのは、『王位継承者』を把握するためだ」
「王位継承者って王家に生まれれば誰しも持てるのでしょう? なら、管理は戸籍だけで十分じゃないかな?」
「セーン。王位とは何だと思う?」
 王。国の頂点。国の指導者、最高責任者として国を導く存在。王の選ばれ方は両親から聞いていくつか知っている。代々王を受け継ぐ家系が決まっており、その血族で運営される君主制度。投票によって代表を決定する民主制。
 しかし、ドゥバドゥールは神国だ。王の決定権は魔神に在る。魔神が選ぶ。選ばれた者には王紋が現れ、国民すべてがその王紋を見て、それを持つ者を王と認める。その王紋が出る家系を王家と云う――。
「王紋の出る可能性……ということなの?」
 魔神に選ばれる資格があること。先程は物語の様に、自分には関係のない事として捉えていた。だが、今は王家による儀式を経て、御印などという大層なものを身につける義務があり、一線を引かれた気分になっている。
「そうだ。国の運営なら王家の当主が行える。だが神国の王は自国の民にだけ責任を取れればいいという存在ではない。魔神に古の約束を守り続けると誓約できる国の代表者――。決して目先の利益だけにとらわれず、領地、国、時には“人”という垣根を越えてまで広い視野でこの大陸を、世界の在り方を魔神に約束できる者だ。だから、その大役を一人ではなく分散できるよう、土の大陸では興国の歴史に倣い、三人に托された。それゆえに、大君は王家の当主より当然、責任も強く、位高い――」
「その権利を、俺も持っているの?」
 三大王家の当主より重い責任、偉い権力、全てを見守る約束を負う、大役。その資格が自分にもある。その大役になってしまう可能性を自分も持っている――。信じられない気がしたが、両親は重々しく頷いた。
「だから、王家は分家で生まれた子供全てを監視しているの。王紋が現れ、大君になる可能性のある子供全員を。それゆえに十八まで五年おきに招き、現状を確認し直すのよ」
 母も言葉を重ねる。
「十八?」
「そうよ。十八は成人になる歳――。王紋は十八までしか現れないと言われているから。つまり子供である間しかその可能性はないの。大人、この場合は十九歳になったとたんにその資格が失せると言われているわ」
「そして、十八になると成人と認められて、王位の返上を許される。先程、セーンは今、王位の返上はできないのはそういう理由だよ。王位を返上すれば、当然、王紋は現れない。成人になり、王紋がでる可能性が消えない以上、王紋の返上は不可能ということだ」
 大君の年齢がだいたい同じで、王の交替時期が同じなのはこういう理由があるのだ。誰も確証は取れないが、長年の歴史上、王紋が現れるのは十八歳まで。十九歳以降に王紋が現れた大君はいない。だから王家は王家に生まれた子供を十八まで監視し、王紋が現れないと確認できればあとは自由にしていい。そういうことなのだろう。
「そっか。つまり、僕の身は成人するまで僕のものであって、そうではない。王家のものでもあるんだね?」
「そうなるな」
 だから、両親は嫌な顔をしていたのだ。自分の息子を王家に近づけたくないゆえに、その五年おきの儀式に参加させたくないということだったのだろう。
 複雑な気分だった。魔神はここまで複雑にしたくて王紋を王家の者に授けると決めたわけじゃなかっただろうに、なぜここまでなってしまったのだろう?
 仮に王に選ばれたとして、はるか昔の誰も覚えていない誓約を守る意志のある王はいるのだろうか。それともそういう覚悟を持った人でないと王紋は選ばれないのだろうか。魔神は王家の子供を一人一人天から観察して、採点して選んでいるのだろうか。
「そんな面倒なもの、俺はいらないな」
「そうだよな。ごめんな、父さんも母さんも王家などに生まれついてしまって……」
「セーンが余計な事を考えて不安にさせてしまったわね」
「そんなこと言っても仕方がないだろ? 別にいいよ。とりあえず、今度の新年の挨拶はエイローズの本家に顔を見せに行かなきゃってのは、理解できたし」
「そうか」
 父が心配そうな目をしている。母も何か言いたそうだ。そこに、ぱたん、と本を閉じる軽い音が聞こえた。
「セーン。本を集中して読んでいたら目が疲れてしまった。わしゃもう休むよ。だが、その前にミルクを温めてきてはくれんか?」
「うん、いいよ」
 セーンが席を立とうとすると、おじいさんが暖炉に新しい薪をくべる。
「こんな時間か。もう遅いなぁ。セーン、みんなの分をつくってくれるか? みんな今日は長く話しこんでいたみたいだし、疲れただろう?」
「そうね。セーンミルクを温めたら、それぞれに蜂蜜をひと匙垂らしていいわよ」
「わかった」
 おじいさんの気配りに両親もほっとしたようだ。明るく母が笑う。
 その日を境にセーンは少しずつ両親から礼儀作法を学び、よりいっそう左耳の穴を隠すようになった。