モグトワールの遺跡 017

066

 うす暗かった部屋にさーっと日の光が差し込む。それだけで、周囲の様子が様変わりする様だ。部屋の中が明るくなる事で、互いの姿が認識される。イェンリーと彼を囲む子供達。樹の中に住居を持つ、イェンリー達独特の樹の中の部屋だ。やわらかい布に皆がイェンリーを中心にして直に座っている。
「さて、『自動書記』を読みあげてくれー」
 イェンリーが言った。
「はーい。ええっと……」
 幼い声が狭い室内に行き渡る。子供のうちの一人が読みあげる間、イェンリーは紙を広げ、筆を用意した。
「おう。いいぞー。じゃ、次、さっきの『星図(せいず)』を記せるやつ、いるか?」
 イェンリーの声に誰も返事をしない。なので、イェンリーは目のあった子供に筆を向ける。
「えー!」
 指された子供は嫌そうに不満な声を上げた。イェンリーは笑って筆をずいっと押しつけた。
「間違ってもいい。ものは試しだ。そら」
「はぁい」
 子供が時々唸ったり、悩んだりしながら紙に点をいくつか記していく。他の子供はそれを見て声を上げたり、悩んだりしていた。
「こんなものかなぁ?」
「ん。よく出来た。誰か訂正をしたいやつは?」
 イェンが子供から筆を受け取って視線を巡らせる。するとおずおずと手を上げ少女に筆を渡した。
「ここの星は、こうじゃなかったかな?」
「それを言うならここは、こうだったよ」
 子供が口ぐちに言い、星座を見取ったような図面が出来上がる。単純な点をちりばめただけの、傍から見たら落書きにも見える様なものだ。
「おーし、それまで。皆よく覚えていたなぁ。星図は自分が動かさないとどうも覚えにくいから、覚えていないことはあまり気にするな。ちなみに、正解は、こう」
 子供達の書き記した点を素早く訂正すると、その素早さと正確さに歓声が上がる。
「さぁて、こっからが本番。さっきの自動書記と合わせて、この星図から依頼主の求める事を占ってみな」
 イェンリーが言うと子供たちが持ち寄っていたメモ紙に向かって唸り始める。イェンリーはその間、依頼主宛に返信である占いの内容を正式な書面で子供達に見えないように記していく。
 これはイェンリーによる闇のエレメントを持つ子供達への占いの授業だった。イェンリーが教導師を務める里にはイェンリーとランタン以外大人はいない。他は皆子供から成り立っている。すなわち、様々な事を教えるのは主にイェンリーとランタンの仕事になる。
「さぁて、俺はできたぞー? そろそろ答え合わせといこうじゃないか」
 イェンリーの掛け声に数人の子供が猶予を叫び、イェンリーは苦笑しながらそれを待つ。しばらくして全員分の回答が出来上がった。
「さぁ、我先に! って、自信があるやつはいるか?」
 イェンリーの声に二、三人が手を上げた。イェンリーは頷いてそれぞれに回答を発表するよう言う。
「『陰の土月、難事在り。隣人を疑う事無かれ。そなたの最も近き右隣の者こそが真の理解者なり』」
「『陰の土月、難事在り。隣人を疑うはそなたへの天罰である。最も親しき者を傍におけ』」
「『陰の土月に差し掛かりし頃、難事が訪れる。しかし、隣人を信ずればおのずと道は開けり』」
 イェンリーはそれぞれの回答を聞いて頷く。
「残りのやつらはどうするー?」
 他の人の回答を聞いて安心したのか全員が一通り発表した。イェンリーはそれを聞いて、頷いた。
「みんなだいぶ時期を読むのが巧くなってきたな。皆が予期した陰の土月。この時期はどの星から見られる?」
 星図を指差してイェンリーが尋ねれば即座に回答が返ってくる。
「ここにあるのが今の陰の水月。交差軸にあるのが次の星。だから陰の土月」
「ふむ。時巡りは大陸順。創生順と考えない理由は?」
「水月の隣が光だから」
「正解」
 イェンリーは回答と同時に解説を皆の考えを導きだしながら述べていく。
「とすると、まとめて俺の出した答えはこう。『陰の土月にまたがりし時にそなたに転機が訪れる。そなたの最も親しい人物を疑えば、そなたの転機は難事へと変じ、信ずればそれは好機へと転ずるだろう』」
 おおむね正解した子供が万歳して喜んでいる。若干の間違いをした子供は唸りつつ悔しそうだ。
「お前らの答えが間違っているわけじゃない。占いはフィーリングでやるものだからな。ただ占いを求める相手は占い師じゃない。あいまいな表現を出すと結果を間違えて読み解かれる。なるべく具体的に回答してやることだ」
「はーい」
「じゃ、今日はここまで。俺は残りの依頼をするから。解散」
 イェンリーはそう言って自分の身長ほどもある長い黒い杖を出した。本気で占いの仕事をするようだ。しかし子供達は誰も去っていかない。
「ん? どうした、お前ら。授業はもう終わりだぞ」
「ねー、ここで見てていいでしょ? イェン様」
「見学したい」
 イェンリーはふーっと溜息をついて、そして言った。
「別にいいけど、俺の集中を乱すなよ。ランみたいに息を殺してずっと微動だにしないんだぞ。できるのか?」
「うん」
「はー」
 溜息をつくと、子供たちが残念そうにイェンリーを見上げる。その視線はイェンリーの拒否を心底嫌がっている。その様子を見ると、否とは言い難い。
「まぁ、いいや。好きにしな」
 イェンリーはそう言うと杖を構えた。そのとたんに部屋が再び漆黒の闇に包まれる。静かにすると言った手前、声を出さない無言の歓声の表情を見ると、イェンリーは苦笑せざるを得ない。
 そして、何も見通せない暗闇が降り注ぎ、その闇の中でぽつり、ぽつりと灯りがともる。それは星。瞬時に満天の星空が描き出され、その星が高速で巡り始める。東から西へ。何日にもわたり、同じような夜の空模様が描き出されては巡り、動いては消えていく。イェンリーはそれを見、動きを追ってこの世の未来を予測し、見通す。
 ――世界の中心に座す占い師。
 イェンリーはこれまで占いを外したことがないという評判の占い師だ。この世界各地で依頼される占いの結果を返すことでこの里の子供達を養っているといってもいい。時間さえ待てば誰の依頼でも受けてくれる。
 イェンリーの視線が次々に移り、口からは言葉が漏れる。この言葉を己の支配するエレメントに共有させて書きとめる行為を『自動書記』と呼んでいる。闇のエレメント独特の技で、イェンリーはその自動書記すら自分で行えるほどに芸に秀でている。この自動書記で記した言葉と見た星図で内容を考え未来を占い、返事を記すのだ。
「……やっぱり、育ったか」
 イェンリーが星のある一点を見て呟く。
「方角と引きの強さ。……これはもしかすると『竜』を呼ぶか……」
 イェンリーはそう呟いて、杖を床に叩きつけた。暗闇が杖の中に消えていき、イェンリーの占いが終了する。それと同時に子供達の溜息が洩れた。
「おー、悪かったな。気を使わせて」
 イェンリーはそう言って子供達と共に部屋を出る。
「イェン様、最後の星を見てなんで竜って言ったの?」
 読み解けない星図を子供が尋ねる。
「んー? じゃ次回の授業で説明するか」
 イェンリーはそう言うと、闇晶石を取り出した。ふっと息をかけるとその晶石が姿を変える。それは一羽の黒々としたカラスに変じた。ジルのように闇の晶石に命令を与えて、形を成す技の一つだ。
「イェン様? どうするの、それ?」
「ん?」
 疑問に思った子供が駆け寄ってくる。イェンはカラスに何かを囁いた。
「ランへのお手紙」
 そう言って腕を上げる。カラスは羽ばたいてイェンリーの腕から飛び立っていった。緊急性を要し、且距離が離れている時の連絡手段の一つだ。そのカラスが羽ばたいていく先は、――遠く。
 それは大陸を越えて、目指すは――土。

 今までは他の神官(パテトール)に会うことを避けてきた。神官専用の服の規定も嫌だし、神兵(ナルマキア)でもないのに帯刀するなと小言を言われるのが目に見えていたからだ。朝晩の礼拝も面倒だし、食事の度に祈りだのなんだのと、とにかくこまごましていてうっとおしく面倒この上ない。
 それが、なんだこの様は?
「カナ様。ご機嫌麗しゅう」
「カナ様。相変わらずたくましいお身体ですね。日々鍛錬を重ね、魔神にそうやって祈りを捧げておられるのですね」
「カナ様、今度わたくしめにもその剣技を披露してくださいませんか?」
「カナさま」
 だー!! うっとおしい!!

「あはははは」
 腹を抱えて笑い転げているのは同室のキィだ。
「笑いごとじゃねーんだぞ! っていうか、お前のせいだろう?」
「いいじゃない。これからは狭い部屋の中で素振りや筋トレに励まなくてもいいじゃないか。中庭で大立ち回りしたって誰もお前を責めないよー?」
 キィはにやにやしながらそうカナに言う。
「そういう問題じゃねーっての!」
 憤慨してカナは言う。
「あはは、悪かったな」
「まったくだぜ」
 カナは武君(セビエト―ル)を目指す剣に生きる少年だ。神官の真似事をし、神殿にその身を置くのは一時的な措置。自分の親友であり、将来の主君となる三大王家・ルイーゼ家の現当主であるアイリスに命じられてきただけだ。ルイーゼ家と三大王家同士の神殿内のバランスをとる為のほんの一時的な身の上なのだ。
 しかし、神官は日々魔神に祈りを捧げ、敬遠なる魔神の僕が鏡の世界。つまり、帯刀も稽古もカナの日常に欠かせないものがすべて御法度ではなくとも、白い目で見られる。実際そのせいでカナは同じ派閥であるはずのルイーゼ家から神殿に先に入っている神官見習いや神官から疎んじられている。
 それをこれ幸いと利用したのが、ヴァン家のティズという神官見習いだ。ヴァン家直系の人間で、次の神殿を牛耳るのを目的に幅を利かせている嫌な奴だ。次の王が魔神によって選ばれていない今、神殿内は三大王家の血を引く貴族が次世代の権力を握ろうと暗躍する戦場だ
 ティズはヴァン家内で神子という神殿内で絶対的な存在価値を持つキィを邪魔に思っており、キィの神殿入りを心底嫌がっていたのだろう。カナが入る前、キィは同じヴァン家の直系という肩書もティズにとっては気に入らなかったのだろうが、己の方が力があると誇示するため、キィを神殿内の地下に閉じ込めていた。
 しかし、同じヴァン家の直系かつ、伝説の神子という肩書を持ち、神殿内での位づけが高くならざるを得ないその存在は同じヴァン家から疎まれた。だが、キィをいつまでもそのような待遇にはできない。だからこそ、白い目で見られているカナと同室にして、キィを追いだすか、己の下に位置づけようと画策したのである。
 その案を利用した者こそカナの目の前にいる、いやがらせを受けていた張本人、キィである。つまり、疎まれたもの同士で押しつけ合われたのだが、互いを干渉しないその性質で意気投合した二人はティズの思惑に乗って楽しく日々を過ごしている。……のだったが、
「言ったろ? 俺が本気を出せばこんなのちょろいのよ」
「本当にお前の本気を垣間見て俺はこえーよ」
 だが、先日キィの双子の姉がキィの預かり知らぬところで暴走し、それを咎めたティズに激怒したキィは同族ながらティズを追い落とすと宣言し、現在はキィの予想通り、ティズが自ら地下室に籠っている始末。一月もかからずその身を真実神殿の神官見習いとしては最上位にまで上り詰めた。おかげでキィと同室なだけのカナも偉い人認識されてしまったのである。
「いざというときのためにいろいろ準備しておくのが王族の務めですから~」
 ひらひらと手を振ってキィが悪い人の笑みを浮かべている。
「この出不精。いつの間にそんな怖い情報集めてたんだっつの」
 二人して笑い合う。それを見て二人の付人であるファゴらもくすくす笑っていた。ファゴが持ってきた飲み物を飲むため、キィが手にしていた本を一度机に置く。それを見てカナが問いかけた。
「おろ? また本変わったな。経済系は読破したのか?」
 読書が趣味のキィは神殿内の蔵書を貪るように読みふけっている。生活リズムが崩れているのはこの本にはまり過ぎているせいだと思う。本好きにはたまらない垂涎ものの希少本が埃をかぶっているのはもったいないというのがキィの主張だ。
「そうだぜ。すごいだろー? 俺、経済系の本二カ月で読破した。実践してみたいのがいっぱいあるんだぜ」
 キィがそう言う。カナからすれば何冊あったかは知らないが、書棚を三台くらい占領していた量の本をそれだけで読み切ることがまず異常だと思う。
「すご過ぎてなんも言えねーよ。で? 今度は何?」
「これはお前でも知ってるよ。『ドゥバドゥール大綱集』」
 カナは逆に驚いて瞬きを繰り返した。
「なんでまた?」
 カナが知っていると言われたように、ドゥバドゥールに生まれたら必ず知っている書物だ。この国の治め方を記した初代大君のありがたいブツだ。前文を覚えるのに苦労したタチのカナは名前を訊くだけで辟易する。
「いやさ、貴重だから俺が目に入るような場所にあるとは思っていないかったんだけど、これがまたさ禁書棚に普通にあったからさー。かっぱらってきちゃったよ。『原本』」
「……」
 カナはキィが禁書棚の持ち出し厳禁というレベルではなく、専門の管理人が決められているような希少本を勝手に読んでいることを知っているからまたか、と溜息をついた。
 しかし、ファゴが目玉が飛び出るかという位驚いていた。驚き過ぎて表情が固まり声が出ていなかった。
「キィさまぁああ! さすがにそれはいけませんよ!」
 ファゴが珍しく主人であるキィをいさめているくらい持ち出し厳禁らしい。
「というか、管理は書記官(ラウダ)管轄のはずでしょう? 一体何を?」
 キィは寝転がりながらぺらぺらとその一部の人間しか触れられない様な本をめくっている。
「あー無理無理。今のラウダ、適当な権力を追い求める狗だから。こいつの前の人はさ、結構真面目だったらしくて、ちゃんとしてたみたいなんだけどな。まぁ、それで俺も読めるんだからラウダさまさまだろ」
 キィはそうやって本をめくり続ける。
「最初から最後まで読んだ事無かったからいい機会だと思ってな。にしても、気になるんだよね、この大綱集」
 キィはそう言う。その顔には珍しく本を読んでいる満足そうな顔が浮かんでいない。
「何が?」
「なんかヴァン家にあったやつと違う気がすんだよなー。ファゴ。以前頼んだよな? ヴァン家とそれから公共図書館から大綱集を借りてきてって」
「かしこまりました。今お持ちしますね」
 ファゴはそう言う。カナは珍しく不機嫌そうな顔で本をめくるキィが気になった。
「何が変なんだ?」
 寝転がるキィの視線の元を覗き込む。
「まず変ってほどじゃないんだけどな。ほら、見ろよ」
 キィはそう言って大綱の一巻を二冊カナに見せる。一冊は一巻で、もう一冊は二巻だ。カナにはその差がさっぱりわからない。なにがしたいのかもわからない。
「な? わからないだろ?」
 カナは素直に頷いた。
「一巻とそれ以外の巻の紙質が違うんだ」
「本当ですね」
 ファンランが初めて気付いたと言いたげに驚いて手に取っている。言われてみれば一巻の方がさらさらしていて、白い。……白い?
「変じゃね?」
「だろ?」
 キィが頷いて言う。
「一巻の方が紙が新しいんだよ」
 カナもファゴやファンランまで初めて気が付いた様で、第一巻とそれ以外を見比べている。
「ヴァン家のも言われてみれば目立ちますね。他の複写本に関しては、そこまで確かに紙質が異なるとはいえ、そこまで目立ちません」
 ファンランがそう言う。そう、原本と写本だけがはっきり目立つほどだ。
 ちなみに大綱集は初代大君が直に記したという原本がある。その原本を決められた書記君(ラウダ)が一字一句漏らさず書きうつした、公式の複写本のことを写本という。一般的に流通しているのはこの写本を複写したもので、複写本と呼ばれる。内容はすべて同じだが、扱う人間と機関、保存法と冊数が異なると言う話だ。
 今この場には原本と写本、複写本の全てがそろっている。
「つまり? どういうことなんだ?」
 キィが黙っている。ファンランとファゴは気付いたようにキィに視線を送っている。
「第一巻だけ、近年新しくなったんだろう」
 カナが手を叩いた。成程と納得したのである。
 国が出来た時に、各王家の始祖によって制作されたという国の指針を示した大綱集。それは全二十五巻からなる壮大な国の骨子とも呼べるものだ。多少の前後はあるだろうが、第一巻から創られているはずだ。カナが苦労して覚えた前文も第一巻に記載されている。
「そのような通達が来た覚えはありませんね」
 ファンランが首をひねっている。優秀な文君(ヴァニトール)であるファンランが覚えていないくらいだから知らないうちに新たに作り直されたのだ。
「第一巻だけなんかあったのか? 汚したとか破ったとか?」
「原本にそんな扱いをすれば大罪ですけれどね。カナ様、一応この大綱集の原本は現在も改定されれば、書記君(ラウダ)によって書き直されますが、一応国宝ですよ」
「ええ!?」
 思わず取り落としそうになり、あわててキャッチする。ファゴが珍しく怒っていたのはそういう理由があったのだ。現在も使用されている国宝の書物である。国の始まりから国の在り方を示し続けてきた文書だ。貴重なものであるから、一般人にも触れさせず、扱う者を定め、神殿の禁書棚の普通なら触れられないような場所に保管されているのである。
 まず、キィが手に取れることからして異常事態だ。おそらく普通では手を出せないが、何かしらして手に入れてきたのだろう。この御坊ちゃんならやりそうだとカナはキィを見る。ただ、その何かかしらで貸し出されるのが問題と言うことだろう。
「な? 変だろ。それにもしそういう粗相があったとしても、原本だけ造り直せばいい話だ。なのに、複写本も全て作り直されている」
 カナも初めてその違和感に気付いた。
「なんでだ?」
「一巻は確か……国の原点ともいえる魔神や王、王家について定めた巻でしたね」
 ファンランが呟いてはっとした。
「それにもう一個、見逃しそうな変な点があるのさ。……とある箇所から改正にあたってなんか不自然だ」
 キィはそう言って二つのページを交互に見せた。カナが見ても小難しい文章が並んでいるだけで何も感じない。
「? どこが変なんだよ」
「気付かないのか?」
 呆れたようにキィは溜息をついてその箇所を指差した。
「改正印が若干違うと思わないか?」
 キィが指差したページを交互に見る。ページの初めの部分、つまりより古い箇所の改正印と後ろ、つまり新しい部分の改正印を見比べる。特に何も違わない。違うのは年代の違いによるインクの変色くらいだろうか。
「……よく気付かれましたね。これでは改正印というか、公式文書とは言えませんね」
 ファンランが感心してそう呟く。カナはファンランに向かって説明を求める視線を送る。
「カナ様。よくご覧ください。この箇所、ここが欠けているでしょう?」
「……わかんねーぜ」
「そうでしょう。これをこちら側からご覧になって下さい」
 ファンランはそう言って本を上下逆さにする。
「! ああ!」
 カナもようやく気付く。上下を逆転してみると、一部が欠けているだけなのに、その改正印は違う文字を書いていることになるのだ。ただの欠けと言ってしまえばそれまでだが、確かに一回わかると違和感しか覚えない。
「んー。何か引っかかる……。もしもだぞ? これが意図されていたことなら、この年以降の改定はすべて無効になることになる」
 キィはそう言いながら後味が悪そうに大綱集を閉じた。カナもキィが珍しく納得できなかったことなのでなにか後味が悪かった。付人の二人は、改正印が変わった年以降の改定が無効と聞いて絶句していた。
「もしかしたら俺達神官見習いたちが触れられない事項なのかもな」
「触れられない?」
 カナが尋ねるとキィが不愉快そうな顔をして言った。
「大君さ。砂礫大君周辺は神殿でも特別に上位だろう? 俺達三大王家の派閥に関係なく。つまり、何か知っているとしたらここらへんじゃないか?」
 ファゴが厳しい顔をして珍しく、諌める口調でキィに言う。
「なりません、キィ様。今の砂礫大君は退位を表明されたとはいえ、エイローズですよ? キィ様は元々魔神への贄として神殿に上られたことをお忘れですか? そこにまで食い込めば命を縮めかねません」
 カナもファンランも青い顔をしてキィを見る。そう、彼が漂々として気にしてもいないから忘れがちだが、彼は魔神への贄なのだ。もし、大君のところで大綱集に関する暗部があったとして、それを調査していることが知れれば、すぐさま贄の儀式が行われる手はずに決まっている。
 ファゴは従者としてキィが気になったことを調べてしまう性格ということを熟知している。ゆえに、その危険度を言っているのだ。
「調べてみる価値があるなどと仰いませんよね?」
「……」
 キィが反論を述べる前にファゴが畳みこむ。
「他家にちょっかいを出すのとはわけが違います。それに下手に手を出して神殿の外のミィ様やジルドレ様にご迷惑を掛けないとどうして知れますか?」
 納得できない子供の様な顔をしながらキィが呟く。
「……そうだな」
 ほっとファゴが息をはく。キィも渋りながら諦めた様子だ。キィは双子の姉であるミィの名を出されると弱い。そのことも熟知してファゴは言ったのだろう。自分だけならどうでもしてしまいそうだが、ミィがいればキィは引きとどまるところもはっきりする。
「わかったよ」
 キィはそう言って大綱を投げた。それを慌ててファンランがキャッチする。カナも苦笑いをファゴとした。