天狗 03

天狗

第三話 三虫

 山は穢れてゆく。

 時は人が数えれば平安の末期。だがそんなことは関係のない生き物がいる。
 それはアヤカシと呼ばれしモノ。それは表舞台を人間に譲り自身の生きたいように生き、自由気ままな生活を送る物モノ。
 人とは生きる時の流れが違い、交わった一時にしか人はやつらを認識できない。しかし、やつらはいつでも人を見ていた。
 やつらの生きる舞台には理など存在しない。強いもの、尊きもの、知恵有るもの、愚かもの、それぞれ違うのに不自由を感じずに生きている。形もさまざま、それは生き様にも言える。
 人と違う舞台、住処、次元に住んでいる彼らだが、人と近いところに住むものもいる。人とともに生きるものも。

 天狗。それは山に住む、山の守り主たち。山神の配下である彼らは山神の命令に絶対である。修験道を通ったものはその性質を天狗に変える。それは人もアヤカシも同じだった。
 その意味で天狗は数の多い、しかし統率された群れをもつアヤカシであった。穢れを嫌う天狗は住処である山に結界を絶えず張っている。
 その結界を張る役目を山神から命じられた天狗を宮(みや)と呼ぶ。宮はその山の主になることをこれもまた山神に命じられる。宮はここらの山々に八匹おり、八天狗と称されていた。
 山神は道主(どうしゅ)と云う。ここでは道主を頂点とした天狗社会が培われている山であった。これは極めて人間社会と似ている。
 が人と違うところは天狗に欲がなく、山を守ることしか考えないという点が同じ縦社会をまったく異なるものに変えていた。

 しかし、この山は違っていた。道主から第三の山を与えられた三宮(さんのみや)である。
 ここの天狗は人間とよく似ていた。いや、人間と違ってアヤカシの自由気ままさが残っているぶん性質が悪い。本来ならば敬われ守られるはずの宮はその位が無意味なものになりつつある。
 宮を敬うのは数匹の天狗だけだった。こんな性質がまったく変質した山を預かっているのは三由(みよし)という天狗だった。だが、この天狗そんなことに全く気を止めていない。配下であるはずの天狗を好きにさせている。
 力だけは絶大なのだからどうにかすればいいものを。おそらく、三宮の天狗たちが自由になったのはこの宮さまのせいでも有ると思う。
「おやおや、独り言が口に出ておるよ。花枝(はなえ)」
「聞いておったのですかや、宮さま」
「その非難がましい目は何ね。独り言を大声で言うおんしが悪いのではないのかや」
「口に出るのは仕方ありまへん。だって三宮はこんなに穢れてしもうた」
「哀しいか。おんしも天狗じゃのぅ」
「宮さまかて天狗ですわ。哀しやおへんの」
「そうじゃのぅ」
 三由は力なく微笑んだ。
「宮さまはいつも道主さまに何て報告してはりますの」
「相変わらずに滞りなく、と申し伝えておるよ」
「何が相変わらずやの。見てみぃ」
 花枝が力説すると三由はあたりを見渡した。
「見たぞ」
「どこが相変わらずやの」
「三宮に天狗数匹しかおらんな。相変わらず皆、自由気ままに行動しとりますな」
「そうやけどぉ」
 花枝はがっくし、首を垂れた。この天狗を宮に上げてしまった前宮は何を思っていたのだろうか。
「ええのよ。花枝」
「何がですかや」
 三由は沢のほとりに腰掛けた。若草色の狩衣が水に濡れていく。改めて三由を見て花枝は思った。こんなに綺麗で穏やかな人には宮は荷が重かったのかもしれない。
 三由は天狗としては少し変わった存在だった。天狗特有で顔(かんばせ)は病的に白かったのだが、髪も白かったのだ。まだ、年も若いのに。しかし、左の一部分だけは本来の天狗のように漆黒の髪だった。
 だがそれよりももっと特異だったのが眸だった。右は黄色で左は黒だったのだ。
 修験道を通る前は一体どんなアヤカシだったのやら。三由に比べると花枝は平均的な姿をした天狗だった。髪も眸も漆黒。生まれて歳をそんなに重ねていないので背は低いし幼いが数年すれば大きくなるだろう。
 噂によれば四宮や七宮、八宮の宮さまも幼い外見らしいので年は関係ないかもしれない。
 花枝は修験道の中で生まれた本当の天狗だった。つまりほかのモノの変質した存在ではなく、山神によって生み出された純粋な天狗なのだ。
 花枝のような天狗はほとんど生まれない。何百年かに一匹生まれるか生まれないかといった感じだった。だから純粋な天狗は花枝が最年少である。
「わし等アヤカシは自由なもんじゃ。天狗がおかしかったんじゃろうよ。道主さまには悪いがわしはこれでもええと思うとる。道主さまの命に叛かんは限りはこれでええのよ」
 花枝は三由の声で我に返り三由の言葉をじっくり聞いた。
「ほうかなぁ」
「ほうよ。花枝は花枝の思うようにやり。それでええ」
「わたしが思うようにって何をですの」
「花枝が思うこと、したいように。それが真実となる」
「わたしにはまだ難しい」
「ほうか。いつかわかるときが来るよって、覚えとき」
 宮さまは笑って仰った。宮さまがいるおかげで三宮はいる天狗こそはおかしいが山はとても清浄だ。宮さまの言う、道主さまに叛かないとはこういうことなのだろう。
「そういや花枝、おんしこないだ教えてやった結界は張れるようになったのかや。確か我に次に宮さまに会うたときまでには完成させるて言うたな」
「ぐっ。言いましたけど……」
「出来とらんのかいな」
「違います。出来てます。やけど、ちょっとわたしの想像してたんとは違うというか、宮さまのとかけはなれとるいうか……」
「やってみ」
 有無を言わさず宮さまが言った。私は仕方なく、構える。
「はっ」
 不可視に成功してない淡い緑色の四角い結界が目の前に現れた。ふん、と宮さまは頷く。
「力抜いてみ。大きい呼吸して指先にだけ力をこめるんや。全身は結界を張ってることなんか忘れてまえ」
「えぇ。ほしたら、結界綻びますわ」
「やってみ」
「はい」
 まず、肩の力を抜いた。そして大きく呼吸し、指先に集中して取りあえず全身の力を抜く。すると小さかった結界が倍の大きさになりすごく薄くなった。
「なんで」
「結界を作ることに集中しすぎなん、だから小さくて色がついてる。結界は作るんやのうて張るもんや。ま。花枝が作ったのも戦うときなんかには有効かな。色が濃いっちゅうのはそれだけ強度があるってことやからな」
「へぇ。そうなんや。宮さまの結界は大きゅうて見えへんのはそういう理由か」
「ほよ、こないだの七宮の戦の時とかは七宮さまは頑張って強度のある結界作ってはったな。結界が目視できた。しかし山を丸ごと覆う結界やから一点集中されると破れとった。詮無いことやけどな。しかし戦闘とか状況によってはそれを回避できる結界がある。知りたいか」
「はい」
「ぞれはやな、結界の強度を分散させることや。見てみ」
 宮さまは何の動作もせずに小さな目視できる半透明の結界を一瞬で作り上げるとそこらへんの石を取って投げつけた。
 すると結界と石が衝突して結界と石の衝突面の色が濃くなり、逆の面は色がなくなった。
「こうやってな、結界と反応するとこに力を注ぐよう結界を作るんや。すると自分の力を効率的に使える」
「すごいなぁ。わたしにもできるかな」
「できる、できないは花枝次第やな」
「ひどいなぁ。そこは花枝ならきっと出来るて言うてください」
「ほうですか、気づかんですまんことで」
「馬鹿にしはりましたね。宮さまひどい」
「馬鹿にしたと感じるならそれは花枝に馬鹿にされたと思うことがあったからやろ」
「白々しい」
 宮さまに文句を言うと宮さまは笑った。しかしすぐその笑みを止めた。原因はすぐにわかった。この辺り一帯が一気に冷えたのである。穢れた存在が入った証拠だ。
「宮さまは女子(おなご)に特別ご教授ですか。余裕なことですなぁ」
「おんしも教えてほしいんか」
「そう見えますか」
 宮さまは余裕にその天狗をしげしげと眺めた。
「ある、ようには見えんが我は気の長いたちじゃ。不出来者も嫌がったりせんが」
 絶対宮さまおかしい。どう考えたって宮さまの命を喰いに来た輩なのに。
「違わい。どこがそう見えるんじゃ。もういい、喰ろうてやる」
「残念じゃのう。我は結構教えるの上手いんじゃが。のう、花枝」
「はあ……」
 わたしはため息とも肯定ともとれる言い方をしておいた。それよりも宮さまは山になくてはならないもの、わたしが守らなければ。
 アヤカシは自身より霊力の大きいものの心の臓を喰うと霊力が上がるとされる。この天狗も狂ってこんなことを言い出したのだ。
 宮さまを狙うなんて天狗に非ず。死してその罪を贖うべし。
「そこの、宮さまから離れよ。わたしが貴様を成敗してくれる」
「おお、頼もしいの、花枝。応援するぞ」
「……宮さま。お命狙われる身ですからもう少し、緊張なさってください」
「あいわかった。緊張するぞ」
「はぁ」
 ため息をついて敵に向かい合う。よく相手を見ると相当の邪気を持っている。花枝は清浄な三宮を出たことはない。初めて向かい合う邪気に恐れがあった。
 それでも宮さまを守るのが天狗の務め。
「いざ、参る」
 花枝は最初に霊力を固まりにし気に変じて相手を攻撃した。相手は易々とそれを避ける。
 わかっていたことなので先読みして術を発動、相手を誘い込む。相手の逃げる位置に習った結界を使ってこの者を封じたい。
 花枝は自分の思うように相手が動くので少し驚いた。しかし、相手が攻撃してくることは予想していたが邪気で攻撃されるとは思っていなかった。花枝は普通の霊力ならば攻撃を受けても立ち直れただろう。しかし邪気はおそろしかった。冷たくて動けないのだ。
 相手はほくそ笑んでいるだろう。宮さまの役に立てなかった。悔しい。
「おんしは三宮の天狗か」
「それ以外にどこが」
「そうよの、ではおんしの変質は我が罪か……」
 突然何を言い出すのだろう。花枝はゆっくり立ち上がる宮さまを見ていた。
「何を言っている」
「すまんかったの、気づいてやれんで。せめて痛みなく、消えよ」
 宮さまが右手で敵に触れる。敵は苦悶ひとつ残さず、光となって消えていった。宮さまは花枝にゆっくり近づくとそれだけで身を縛っていた邪気が消えうせる。それどころかさっきまであったこの禍々しい気も消えうせ、もとの三宮に戻っていた。
 宮さまが触れただけで、歩いただけで地は浄化されたのだった。
 花枝は悟った。宮さまだけでない。八天狗とは超越者なのだと。これでは花枝は宮さまの足手まといですらなく、ただの山の一部でしかない。それが天狗の本分であり宮さまは特異な存在なのだ。
 花枝は急に宮様が怖くなった。一緒にいて、しかも教えを請えるような立場では本来なかったのである。宮さまはこの三宮だからこそ花枝の近くにおり、やさしくいろんなことを教えてくださっているのであって他の宮なら天高く、直接口を利くことすら叶わない尊く高き存在だと、私ごときが馴れ馴れしく接するなどあってはならないことだった。
「どうした、花枝。なんぞあるのかや」
「いえ、そんなことはございませぬ、宮さま」
 心配した宮さまが花枝にその聖なる手を差し伸べてくる。花枝は思わず恐れ多くてびくりと肩を引いた。
「……なんぞないなら、ええよ」
 宮さまは手を何もいわずに引っ込めた。
「花枝、強うなり。さすれば浄化の力もおんしの霊力も我との立場も気にせんでようなる。我は花枝の成長を楽しみにしよる。そして待っておる。期待もしよる。なぜなら我も花枝と同じ修験道で生まれた無垢の天狗じゃからの。花枝は我の仲間で同胞(はらから)で家族やからな」
「え」
「ほんに楽しみにしとるでな」
 宮さまはそう言って笑って飛翔を始めた。その姿が虚空にゆっくり消えてゆく。その姿を花枝はずっと忘れなかった。

 それから二十の時が流れた。花枝は外見はあまり成長しなかったものの、内に秘めた霊力は絶大となり、三由が言ったように自身の弱さ故には三由に近寄れないことはなくなった。
 幼かったころのように花枝は三由のそばにおり、三由の手助けでさえできるようになった。それが三由にはとてもうれしい様だった。
「花枝、結界を張ってみ、我が普段三宮に張ってるようなんを」
「はい、わかり申した」
 花枝は意気込むでもなく、三由のようになんの特別な動作なしで結界を張って見せた。
「上出来じゃの。これで我が花枝に教うることはないな」
「そうでしょうか、もうないんですかや」
「そうじゃ、宮ゆうても特別にしとることなどなんもない。ただ、責任が違うだけの話や」
「責任って」
「たいしたことやない。山を護る事、これをどの天狗より覚えとかなあかんだけやな」
「わたしが山を護ることと宮さまが山を護ることどう違いますの」
「せやなぁ、これは我が思うことやから他の宮さまは違うかもしれんが、花枝は山を護るとき、宮さまの結界がある、宮さまがいてくれる、そう思うことはないか」
「あります。いつもそう思うとります」
「せやろ。宮はその存在がない。自分で護らな、配下の天狗の安心も信頼も、道主さまの信頼と期待も、ぜんぶ。せやから自身の想いは強うないと責任の重さに負けてまう。それだけの話」
「そっかぁ、宮さまには宮さまがおれへんのですもんなぁ」
「せや。花枝しばし頼めるか。道主様のとこに行くさかいな」
「わかり申した。まぁ、特に何もあれへんやろうけど、任してください」
「おおきに」
 宮さまは最近三宮を花枝に任せて三宮を離れることが多くなった。花枝は最初三宮を宮さまに任されるなんて、と大任に慄いたが、度重なるうちになれてしまった。それだけ、最近宮さまは三宮を離れているのだった。
「一体、何の御用事なんやろ」

 そこは暗い。四方が遠すぎて見渡せず、暗い闇へと通じている。三由はその中に浮かんでいた。否、その中に招き入れられたのである。
 ここは八天狗しか知らないすべての天狗の主である山神・道主のいる場所である。そしてここは唯一道主と接触できる場所でもあった。
 三由はこの地を知っていたではない。宮について本能的に理解したのだった。ゆえにこの場所は宮でなくなった時点できっと知覚できなくなるに違いない。
「三由、参りました」
 ここには天も地もない。自身の感覚のみが頼りだった。ゆえに三由は浮いている体を自分で正座している形にし、自分の座っている場所の下に自身の霊力を固め、地を創造する。これでやっと座ることができるのだった。
「よう来た、してどうしたね」
 闇から深く低い声が響く。姿は見えないし、どこにいるかもわからない。三由は闇を対話をする。この大きく偉大な闇こそが道主であると三由は考えていた。
「約束を果たすときがまいりましたのでご報告に」
「おんしはほんに約束を果たすつもりかや」
「はい。我が三宮の宮である限りは、それが勤めであると思いますれば」
「残念なことじゃ。思えば、おんしが三宮を継いだことが昨日のように思い出せるというに」
 声には深い悲しみがあった。
「我にしかできぬことです。おそらく三宮に我以上の宮は望めますまい」
「そうよの」
 長い長い沈黙の後に、道主が言った。
「新宮の選定は済んだかや」
「はい。我が残りの歳月をかけ、大事に育て上げました」
「この前生まれた天狗よの」
「はい、花枝と云います」
「早すぎやせんか」
「いえ、そんなことはありますまい。花枝はもう三十八。姿かたちは八つと少ししか変わりませんがの。七宮さまのときは二十四でした。それを考えれば決して早すぎることはありまへん」
「七矢は特別じゃった。あやつは十を数えるときには前七宮より強かった。前七宮が健在だったから宮でなかっただけのはなし」
「ほかにも鶯殿も同等の力を持っておりましたな。今後の七宮のことを思えばあの時前七宮は死すべきではなかった」
「今は七宮について言っておるのではない。三由、おんしが逝くのは本意ではないぞ。おんしはまだ若く、力も絶大じゃ」
「ゆえに今しかないのです。わかってくりゃれませ。我が三宮の未来のために、この命を懸けたいのです」
「仕方ないの。しかし納得はできん。どうしてもというなら見届けるがの。おんしの最後を、芽吹(めぶき)」
「ありがとう存じます」
 三由は深く礼をしてその場から離れた。

 花枝は初めてのことに驚いていた。三宮に属する天狗が三宮に総て帰ってきているのである。
 その数はおよそ三百。改めて三宮には天狗が多かったと実感できた。ここに集いし天狗は宮さまがその力を使い総て呼び戻したのだった。
「宮さまは何がしたいんやろ」
『全員我が宮での配置が覚えておろうな、持ち場につけ』
 宮さまの声が頭の中で響く。三宮に属する天狗は宮さまの命令に絶対的に従う。花枝も持ち場についた。隣には見たこともない、おそらく三宮に属しながらその気質は自由な天狗が不平を言いつつ持ち場についていた。
 宮さまはいままでしなかっただけで本当はこうして山を護るはずである。しかし今になってなぜ天狗を全員集めたのだろうか。三宮は天狗こそ自由気ままなアヤカシ生活を送っていたものの宮さまの絶大な力のおかけで山は護られていた。今後もそれでいいはずなのだが。
『花枝は我の元に来い』
 花枝はそう言われて飛んで山の頂上、宮さまがおわす住処に飛んだ。
「花枝、参りました。宮さま」
「待っておった」
 宮さまは花枝を見つけると住処から出て、山に降り立った。花枝のそばに立つ。
「宮さま、一体なにをしはりますの」
「山の本質を取り戻すために最高で最大の浄化を行う。それと同時に新宮の継承式もな」
 花枝は信じられずに宮さまを見た。
「今、何て……新宮ってどないですの」
「我は持てる力の総てを使って山ごと三宮の天狗、アヤカシ、生き物全部浄化する。浄化が済めば我は力を使い果たし消えよう。だからおんしが新たな三宮の宮として起て」
「本気ですかや、やめてたもれ」
「本気じゃ。これは我と道主さまとの約束やった。我の次に宮になれるものが現れたら我は三宮を浄化するとな」
 花枝は愕然とした。宮さまは三宮の状況を静観していたのではなかった。花枝が宮になれるまで、成長するのを待っていたのだった。だから憂いた顔をなさっていたのだ。
「なして、わたしが新宮に」
「ゆうたじゃろ、同胞(はらから)やから期待しとったと」
「困りますわ、わたし何も知らんのですよ、まだ三十八しか生きてない。どうやってわたしより年上の天狗をまとめるんです。宮さまほど強くもない、どうしたらええかわからない」
「わかる。宮は教えられてなるもんやない。なればわかる、心配はいらん」
「そいでも……」
「来た」
 三由は空を仰いだ。花枝も釣られて見る。すると空から七つの影が落ちてきた。それぞれが鮮やかな色の狩衣を纏っている。
「願いを聞き届けて下さったか」
 三由がつぶやく。三由と花枝を囲むように円形となってゆっくりとその者は落ちてきた。
「花枝、我以外の宮さま方だ」
「八、天狗……」
「三由、道主さまが仰った。『三由の死に様を見届けよ』と。我らは道主さまの目となり、耳となり、口となる。おんし最後は必ずや届けよう」
「一支(かずし)殿、わざわざのお越しいたみいる。感謝いたします」
 その天狗は深い紫の衣を着ていた。髪は白くなりつつある。高齢の天狗のようだ。彼は一宮の宮である。
「そなたが、花枝殿か。新宮の継承の儀では我の言葉は道主さまの言と思うて下され」
花枝はただ、八天狗を見ていた。何が起こったかわからず、何も言えず、何もできなかった。
「花枝、近こう」
 三由が花枝を手招きする。
「覚悟はできたか」
 三由が花枝にそっと聞いた。
「できてるわけあらしまへん。宮さまと離れるのだって嫌やし、宮になる自信だってない」
「花枝。おんしは我の期待に応えてようやってくりゃった。おんしは十分に宮としてやっていける。自身を持ち。なんぞあったら道主さまと他の宮さまを頼り。話はつけてあるさかい」
「宮さまは私の為にそこまで準備してくれはるならただ、一言わたしに言うて下さればえかったんに」
「何て」
 三由は微笑んだ。それがもうすぐ死ぬ者の笑みならなおさら、花枝には悲しく見えた。
「さよなら、て」
「ほうか。気づかなんだ、すまん」
 三由は花枝に笑って囁いた。
「三宮を頼むぞ、花枝。おんしの思うままの三宮を作り。我は最後におんしの未来を三宮の未来の手伝いが出来ることが嬉しい。わかってたもれ」
「わからんゆうたってあきまへんのじゃろ」
「ほうじゃな」
 三由はそこで周りの八天狗に目配せした。いよいよ花枝と三由の別れが近づいている。
「いきます」
 三由は言った。花枝は諦めたのか理解したのか、自然に三由から離れた。
「三宮の新宮は三由の宮さまの散り様、最後まで見届けます」
 花枝が言うと三由は頷いた。
『配置についたか。気を高めよ』
 厳かに三由は三宮全体に言い渡す。三由は緩やかに飛翔をはじめ上空に佇むと項に手をやって橙の長く垂らしていた飾り紐を解いた。その紐がゆっくり花枝のいる地に届く。
『ここに新たなる三宮・春宮の新宮継承の儀を執り行う』
 一宮の一支が唱えた。二宮の二刃(ふたば)は後を続ける。
『新たなる三宮の宮、名を花枝』
 四宮(しのみや)四紋(しもん)がその先を唱えた。
『現在の三宮、名を三由。器を花枝に受け渡すモノ』
『我らは山神・道主さまの配下。山の守り主・天狗。我らの言は道主さまの言』
 五宮(いつみや)五生(いつき)が言った。
『我らは三宮の新たな宮を認める』
 六宮(むつみや)六仁(むつひと)が言う。
『三由はその役目を終え、器を明け渡し、ただの天狗に戻るべし』
 七宮(ななみや)七矢(ななや)が言い、最後に八宮(はちみや)八嶋(やしま)が言った。
『新たな三宮の宮は宮としての役目を受け、その器に居座り八天狗とならん』
 その瞬間に花枝は結界を三宮を守る結界を張らねばならないとわかった。ゆえに自然に三由が張っていたような結界を張る。
 三由はその様子を見て上空から微笑んだ。三由は継承の儀を待っていたらしく、終わった瞬間に変化が訪れていた。まず、髪がざぁっと伸びたこと。そして白いはずの三由の髪がすべて漆黒に変化した。花枝はそれを見て三由の秘められた力を目にし、驚いた。
 いままでの三由の力は今を全力とすればわずか三分の一程度だったからだ。花枝は涙をこらえた。三由は逝ってしまう。三宮のために、その力にすべてを使って。
「はっ」
 三由が気合をこめて発すると共にそれは痛いほどの浄化が行われた。清浄な気が三宮全体に広がっていく。そしてその気は三宮にいるすべてのモノに染み渡りそのモノらの穢れを殺していく。その力は絶大にして恐怖。こんなことが出来る天狗はいままでにいたろうか。
「宮さま」
 花枝はこらえきれずに涙を流した。

 時間にしておよそ一日。三由はその力を放出し続けた。
 三宮は生き物が住めないのではないか、というほど浄化された。永遠に続くかと思われた浄化も三由の体が傾いた時に終わりを告げた。それを見て周りの八天狗が上空に飛翔する。花枝もそれに続いた。
「お疲れ様でしたな、三由殿。ご安心なされよ、きっと花枝殿はやり遂げるじゃろうて」
一支が言って三由が返す。
「ありがとう存じます。これからも三宮をよろしゅうお願いします」
 三由の言葉を聞いて一支は一礼して高く高く飛翔して去っていった。
「ご苦労様でしたね、三由。あとはゆっくり休んでくださいね」
「はい」
 二刃も去っていく。続いて四紋が泣きそうに笑って別れを告げた。
「寂しいな。でも見事やった。うらやましいで」
「おんしはまだまだ長いんやからこれから活躍し」
「ほじゃな。さいなら、三由」
「ああ」
 花枝は八天狗の別れの挨拶を聞きながら目は三由のみを見ていた。力を使いすぎ、足先から消えていく天狗を。
「おんしの天然さはあたしも好きやったけど、さみしゅうなるね」
「すまんことで」
「ええよ。安らかにな」
 五生は笑顔を見せて去っていく。そのあとにぶすっとした六仁が短く言った。
「見事じゃった。ほなな」
「さいなら」
「八嶋、先に。儂は最後でええから」
「……ほうか」
 八嶋が七矢より先に挨拶する。
「見事でした。天狗の鏡のようでした。よう、頑張りましたな」
「八嶋殿に褒められると複雑ですな」
「そう、言わんでください。さいなら」
「さいなら」
 残るは紅の衣の天狗、七矢のみとなった。
「七矢殿」
 三由が先に声をかける。七矢は三由に向けて刀印を向ける。何をと花枝は三由の前に躍り出た。
「心配せんでええ。七矢殿はそんな方やない」
 三由が穏やかに言う。七矢の術が三由を拘束していく。
「空間凍結を行いました。道主さまから託があります故。花枝殿、移動します。ついて来られますな」
 それは聞くより有無を言わさぬ言葉だった。紅の衣が飛翔する。
「空間凍結って」
「花枝、空間を凍結すれば時間を止めることが出来る。七矢殿は我に道主さまに会わせようとしてくださっておるようじゃ」
「わかりますけど、空間凍結をしたまま時空移動もこなせるて、七宮さまって一体……」
「儂しかおらんから、道主さまは儂にゆうたんじゃろう。三由殿も花枝殿の宮の名を知りたいかと、思いましてな」
 七矢が笑った。そして七矢の別れの言葉が紡ぎだされる。
「……三由殿は、見つけはりましたか」
「はい。道主さまは最後に我に授けてくださりましたから」
「うらやましいことで」
「七矢殿はまだなんですかや」
「儂のところはまだまだですわ。……三由殿……」
「何でしょう」
「もし、黄泉に……いや、何でもないです」
「言うて下さい。我は今しか聞けませんで」
「……もし、黄泉に鶯がおったら、……待っていてくれと、伝えて下さいませんか」
「お安い御用ですわ。我も七矢さまの願いが叶うよう祈ってますわ」
「ありがとう存じます」
 七矢が飛翔をやめた。花枝にはそこがどこか唐突に理解した。ここが道主さまのおわす場所。
「道主さま、七矢、参りました」
「ご苦労、下がってええぞ」
 闇から声がする。七矢は三由に力なく笑い、花枝に一礼してその場から掻き消えた。
「芽吹」
 闇が三由をそう呼ぶ。三由は笑って応えた。
「ほんに哀しいことじゃ。しかし、おんしの最後は見事じゃった。新宮、近う」
闇の声に花枝は従う。
「名は」
「花枝です」
「ほうか。ではおんしはこれから『三虫(みつむし)』と名乗り。おんしの美しい花の咲く枝に留まる虫。おんしは三宮の宮という位をそれくらい楽に構えてゆけるようにの。わかったかや、三虫」
「はい。道主さま」
 花枝は涙の止まらない顔で三由に向き直った。
「泣くでないよ、花枝。三宮は春宮という。春が一番美しい宮やから。花枝、寂しゅうなったら、辛うなったら悲しゅうなったら春を待て。春になったら草の芽が出て花が咲く。そいを覚えとき」
「はい」
「我の本の名は芽吹じゃ。草の芽が出たら我を思い出せ」
「はい。……さいなら芽吹さま」
「さいなら、花枝」
 花枝はそういって三由、芽吹と別れると暗闇から抜け出た。道主が望まないと入れない場所と花枝は理解した。
 花枝は飛翔する。
 芽吹が正した三宮を花枝が背負っていかなくてはならない。芽吹はもういない。花枝は三虫として責任に耐える。

「お別れが近づいて参りましたな」
「ほうじゃな。思えばあん時、おんしは悲しい性を持って生まれさせてしもうたな。すまんことじゃ」
 芽吹は笑って道主に言った。
「何を言います。そのおかげで我は三宮の宮として勤めを果たせた。感謝しております」
「悲しい時代じゃった。人の生み出した化け物のおかげで天狗だけやのうてぎょうさん、アヤカシが死んだ。死ぬんを恐れて修験道を逃げ道にした者もおった。しかし天狗になるための修験道、簡単には生きて出られん。儂はそいつらの霊力を修験道から出そうとしておんしを創った」
「承知しております」
「そのせいかおんしは力が絶大じゃった。髪を献上するだけではおんしの力は抑えられなんだ」
「我の大きすぎる力は災いを招きます。道主さまの判断は正しかったのでしょう。あの紐で我の力は半分位は封じていただけた」
 芽吹はすべてを理解して、道主に言う。
「おんしの命を惜しむ。おんしほど天狗であったやつはおらなんだ」
「ありがたきお言葉。では、最後にこいを献上して我の役目はすべて終わりですな」
芽吹はそういって右の黄色の目を取り出した。それが芽吹の力のすべてである。
「これを使っても三宮はいずれ穢れる。今度は天狗だけでは済まん。山も穢れてしまうじゃろう」
「わかっております。今回は我の力で何とかなった。でも次はそういきますまい。花枝はおそらく三宮の最後の宮となりましょう。三宮は人に一番近い山。人間が持ち寄る穢れに山は耐え切れない。天狗は霊力は絶大。浄化力も高い。しかしとことん邪気と穢れに弱い。……道主さま、三宮を、いえ花枝をお願いします」
「相わかった。おんしの願いは叶えるで。安心して逝きや」
「はい」
「七矢の空間凍結も限界のようじゃの。さらばじゃ」
「はい」
 芽吹は黄色い光となって辺りを照らし、儚く散っていった。

『全員配置につけ』
 三虫は結界を張り、配下の天狗に告げた。三由のおかげで天狗は三虫の言うことを聞いてくれる。三虫は責任の重さに潰れそうだった。しかし耐えねば。三由もこれに耐えてきた。
 三由が命かけて守った山、今度は私が守ってみせる。
『頑張り。花枝なら大丈夫だで』
 柔らかなやさしい声が聞こえた。思わず三虫は振り返る。そこには何もいなかった。よく見ると三由が浄化を行う前に解いた頭の飾り紐が落ちていた。思わずそれを拾い上げる。すると目眩がするほど力を吸い取られた。
(宮さまはこんなもんまでしてたんか……)
 今はまだ、三由のように飾り紐として使うことはできないだろう、だがいずれは。三虫は紐を懐に入れた。花枝の衣は三虫の名を賜ったときから黒から若草色に変わった。
 花枝は三虫として三宮の宮になった。もう、慕った三由はいないし、頼れない。それでも悲しくても宮として起たねばならない。

 花枝は三虫となる。

 第三話 「三虫」終.