TINCTORA 001

1.始まりは混沌と共に

001

 クルセスの冬は厳しい。もうすぐ冬がくるから、俺ももちろんのこと、村全員のやつらが、協力して冬を迎えるための準備に取り掛かっていた。
 ここは、エルス帝国の最北クルセス地方の南東に位置するファキ村だ。ファキ村は村人百人程度の小さな村で、隣の村から採掘された鉄などを加工するのを仕事にしている。
 クルセスは寒いから、ほんの少しの植物しか育たない、本来ならば生きていくのはかなり困難なのだ。それを何代か前の領主さまが鉱石を掘り出させて加工し、帝都にいる王様に認めさせたからここに住むことになったのだとか。
 まあ、簡単に言うとエルス帝国軍御用達の武器製造所ってところだ。軍に武器を買ってもらえれば冬をしのげるだけの金が手に入る。クルセスの中でも武器を作っているのは四つの村しかない。ファキ製の武器はすべて、第一軍に届く。
 第一軍とは、エルス帝国の南方から帝都までを守護する軍隊で、他国との戦争の際は必ず第一軍が戦争に駆り出されることになっている、つまり、一番流通のいいところにいくのである。
 おかげで、ファキではこんなに厳しい冬を毎年餓えることなく越せるのだ。

 夜になって、帝都に武器を売りに行った大人たちが大量の金を抱えて帰ってきた。おかげで、今は村中がお祭り騒ぎになっている。
「この調子で、もうすぐ出来上がるのも高値で買ってくれると、隣のネスのやつらからいいのをもらえるんだがな」
「そうだな……」
 大人たちのなかでも、酒が入ったらもっと冷静になるやつもいる。それが、村長と俺の親父だ。
「ナック、おまえ、ライラさんに言って、新しい酒を貰って来てくれ」
「全然酔ってないのか? もうずいぶんと飲んでるじゃないか。親父さまは」
「酒は酔うために飲むんじゃねえのさ。さっさと行ってこい」
 俺は親父に急かさせて仕方なく回れ右をしたのだった。
 村長と親父は幼馴染という間柄だ。今のファキは二人で事を進めていると言ってもいいだろう。ただ、あの二人は慎重すぎるし、考えが古くて、ちょっとばかし頭が痛くなる。
「すいません、ライラさん」
 俺は二階から騒がしい酒場へと降りて。奥のカウンターにいる、ここの酒場の奥さんに声をかけた。
 ファキに唯一ある酒場がここで、店主であるイイオーさんは村の仲間たちとすっかり出来上がり、奥さんのライラさんが一人でがんばっている状況だった。
 村長とおれの親父は騒がしいのが嫌いで酒は静かに飲むものだ、と言って酒場の二階つまりイイオーさんのお宅にわざわざ邪魔をして酒を飲んでいるのだ。迷惑の行為を平気でやっているあたりもしかしたらあの二人もとっくに出来上がっているのかもしれない。
「親父さまに新しい酒をお願いできますか」
「あら、もう飲んでしまわれたの? 早いわねぇ。ちょいと、キラ、キラ」
 酔払いが大勢いるなかをくるくると動いている少女は俺の幼馴染のキラだ。
「はぁーい、何ですか。母さま」
 酔払いに絡まれるのを器用にかわしながらキラはカウンターに来た。
「酒蔵に行って酒をたくさん持ってきて頂戴な」
「あ、俺も手伝うよ」
 もともとはおれの親父が言い出したことだし、女のキラには酒は重いはずだから、おれはキラに手伝いを申し出た。
 酒倉は村の最奥に位置する倉庫の並びの一番手前にある。つまり、村の奥から、A、B、Cと全部で八つの倉庫が並び、食料はAとBの倉庫にしまわれている。
 一年かけて保存食料を近隣の都市から買ったり、夏場にようやく育つ麦などが村の全員分保管され、それを冬にゆっくりと食べるのだ。
 なぜならファキに本格的な冬が訪れれば雪に閉ざされ外に出ることすらままならなくなるからだ。Aの蔵の地下に酒蔵があって、村のお酒はすべてここで、酒屋の店主である、イイオーさんとライラさんによって、管理されている。
 もしも、春の訪れが遅ければ、酒だって立派なエネルギー源になりうる。酒を飲めば、数時間くらい寒さだって凌げるから、酒はファキにとっては重要なのだ。ちなみに酒場の唯一のあと継ぎであるキラは物心つくころから酒についての知識を学んでいた。
「どの酒を持ってけばいいんだ」
「そうだね、今年はよくわかんないけど、売れ行きがよかったみたいだね。みんなたくさん飲んでいるから、あと、一樽……かなぁ。足りなかったらナック、また手伝ってくれる?」
「ああ、もちろんいいよ」
「ありがとう、じゃあ、右手の棚の下にある……」
 その先の言葉は俺には聞き取れなかった。ドォーンというものすごく大きくて、重たい感じのする音がビリビリと辺りを震わせたからだ。俺とキラはしばらく酒蔵の入り口近くを凝視して二人で目を見合わせた。
「……な、何の音?」
 キラが振り返ったり、きょろきょろしてつぶやく。
「鉱山で事故でもあったのかな」
 俺が答えてすぐにまた、ドォーンという音が響いた。しかも今度は地面まで揺れた。
「キラ、酒は後だ。とりあえず出よう」
 俺が言い終わらないうちにまた、大きな音が響く。俺とキラは頷き合って、手をつないで階段を駆け上った。俺たちが階段を上っている間もあの大きな音は立て続けに鳴り響いていた。
 もはや、俺もキラもこれは事故なんかではない、と感じ始めていた。俺が思いついたのは雪崩だった。ここは寒さの厳しい冬の山岳地帯・クルセスだ。なんらかの条件で雪崩が起きたのかもしれない。ならば、こんなところで、酒がどうのこうの言ってる場合ではなかった。早く避難しないと!
 だが、地上に出た俺たちが見たのは白い雪の雪崩ではなく、赤い火柱の上った、俺たちの村……ファキだった。
 俺たちは生まれてこの方あまりファキを出たことはなかった。だからあの音は俺たちが作っていた砲弾が炸裂した、爆弾の着弾音だと……知らなかったのだ。
 この手でみんなが兵器を生み出し生きながらえどもその兵器がもたらす効果を知らなかった。
 ファキは俺の生まれ育った村は己が生み出したものによって、あっけなく、滅んだ。……突然のことだった。皮肉である。

 二人とも呆然としてしばらくそのまま動けなかった。遠くの方から、爆弾から逃れられた人々の悲鳴が聞こえていた。
 赤い景色の中から次々と人がばらばらになって飛び出してくる。それは、いつか南方で子供たちが蟻という虫の巣を見つけては大量の水を巣に流し込んでいた遊びの風景に似ていた。
 突然水が流れ込んできて慌てふためいて出てくる蟻達。突然炎が降ってきて慌てふためいて出てくる人間。
 赤い炎を背後に抱えて出てくる様は人としての個体の判別などできようはずがない。黒いシルエットの人間はナックにとってあのときの蟻に見えた。ぼんやりとナックがそんなことを思っている間にようやくキラが言った。
「な、何が……起きたの?」
「わかんね……けど……」
 ナックはキラを立たせた。
「ここから逃げなきゃ死んじまうよ」
 キラの顔が絶望に彩られる。
「と、父さまと母さまは? 迎えに行ったほうがいいかしら」
 キラは現実を理解してないのか、それとも理解したくないのかうっすらと顔に笑みを浮かべていった。
「……キラ」
「わ、わたし、お酒を頼まれてたのよ。ナックのおじさまと村長さんに、お酒を……きっと母さまは忙しいからわたしが水で割って、それで」
「キラ!!」
 強い呼びかけにキラの俯いていた顔がナックの方を向いて叫んだ。
「わかってるわ!! わたしたちの作った武器でみんな死んだのよ! 父さまも母さまもおじ様も……みんなっ!!」
 その顔は涙にまみれ、強い悲しみと怒りが見えた。深い憎しみを彩るその眼に赤い炎が映ってナックはキラではない誰かの顔を見ている気がした。キラはナックを見据えて言い放った。
「わたし、絶対に許さないわ。今日のこと、忘れない」
 キラの憎悪に満ちたその眸は俺の目にも憎しみを復讐の炎を映し出した。
「ああ、許すものか。キラ、俺だって今日のことは忘れないよ。ファキを親父さまを、キラのおばさん、おじじさん、村長、みんなを殺したやつを見つけ出して、復讐してやるさ」
 今や、ファキを燃え尽くしている無残な炎は復讐を誓う新たな歩みへのふさわしい背景となった。二人の眸に深紅の炎が映し出される。
「そのためには、まず生き延びねぇとな」
「うん。」
 二人は炎を、故郷を背にして歩き始めた。

「いいのでしょうか、これで」
 ファキから少しばかり離れた丘には王の御旗を掲げた軍隊がまだ大砲の煙も消えていない場所でファキを見ていた。その中で、男が女に話し掛ける。おそらく女が上官だろう。
「いいのよ。命令はファキ滅ぼすことでしょう。殲滅じゃないわ。我々はケゼルチェック卿に仕える身、お優しい卿は殺しなど望まれないわ。そうでしょう?」
「はっ。では、ヴァトリア将軍。我が軍は現時刻を持って作戦を終了、帰還いたします」
 敬礼して答えた男に女はいいわよ、と軽く答えた。
「それに、この方が苦しくなるのよ。死んでいればよかった、って思うようになるわ。そのほうが殺してやるより効果的な苦痛を味わわせることができる。……これからのファキ残党の末路、見ものね」
 誰にも聞こえないようにそっと、女は呟いた。女の声が聞こえていない彼女の部下たちはいかに、彼女とその上司が慈悲深いかを感激して語り合っていた。それを耳に入れつつ彼女は微笑む。

 物語の幕はこうして上がった。