TINCTORA 009

9.集いの裏側

027

「やぁ、なかなか楽しいことになっているようだね」
「そういう問題じゃないんだけどね。まったく、こっちは気疲れが増すよ。」
 ホドはそう言ってため息を吐いた。対するコクマーは楽しげに笑っている。
「まぁ、これから僕は会議に出てくるから、後のことは頼んだよ。あ、くれぐれも、遊びは厳禁! ビナーがいればよかったのに、なんでこういうときにコクマーしか残ってないんだろう」
「おや、心外だね。私だって仕事はちゃんとこなすとも」
「仕事はこなしてくれるだろうさ。自分の遊びを交えてならね」
 ホドは牽制のつもりで言ったのだが、何せ相手がコクマーだ。聞いている様子ではない。
 その証拠に黒い影を残しながら、笑い声をホドの耳に響かせてコクマーは消えた。
「ま、いいか。僕も帝都に行くんだからなかなか会えないレナとの甘い時間を過ごしてこよう」
 ホドはそう言って自分を慰めて書斎の扉に鍵をかけた。
「では、僕の代わりをよろしく」
 扉の外で控えていたケセドに伝える。
「了解いたしました」
 表情を変えずに事務的にケセドは答えた。

 キラは考えていた。困ったことになったと。ナックはキラのせいで、正式に神の眷属となってしまったらしい。そう、異端審問官にだ。
 ナックはキラを勘違いして助けてしまったために、異端審問官の一人が結果的に死ぬこととなった。その責任を取らねばならず、ナックは異端審問官に、神に忠誠を誓え、と迫られ、了承してしまったようだった。
 キラにそのことを伝えたナックは、首から神父用の十字架を下げていた。ナックは異端審問官、ナック・ヴァイゼンになってしまったのだった。それでは困る。
 キラはいずれ、ティフェレトの元に帰ろうと考えていた。ゆえにナックが異端審問官になったらそれは敵になったということだ。今までナックは仮の身分だったが、今度は完全なる敵。ナックが殺されかねない。しかもその前に、ティフェレトの元に返してもくれないだろう。
 キラは今度のことの重要参考人として、軟禁されることは間違いない。見張りもつくだろうし、帰ろうとして殺されることもありうる。
 逃げなければならなかった。この教会から。今まで信じてきた、神から。

「知っているかい? ナック」
「何を?」
 ナックは首から下げた、重々しい十字架を本当に重く感じながらクァイツに聞き返した。
「近々、帝都で十公爵会議が執り行われる。その中に絶対、ケゼルチェック公爵も出席すると思わないか?」
「なんだそれ。十公爵会議ってそんなに重要なものなのか? ならなんで今頃になってその情報が入ってくる?」
 街で、お祭りのように十公爵会議が近々執り行われる、と噂されるということは、それがこの国で重要なイベントということだ。ナックはクルセスにいたころは、その情報ですら過去形で、一ヶ月くらい遅れてきていたからどれほど重要な会議かわかっていなかった。
 しかし、こんなに街の話の種が十公爵会議になるなら、それは重要ということだ。しかし、不思議なこともある。それが重要な会議なら知らせがかなり前から届くはずで、今頃、急に十公爵会議があるんだって、などと噂に上ることもない。
 現に急な知らせなので、ナックたち、異端審問もケゼルチェック行きを見送ったのだ、急遽。
「昨年は、ファキのことがあって有耶無耶になっていたらしい。しかし今年は、クルセス卿も出席でちゃんと十公爵が集まるのだそうだ。そこで話し合われるのは、今後のエルス帝國の方針。エルスは隣国のリュードベリ帝国と不仲で何かあったら開戦になるといわれている。国の方針を決めるのだから、重要で市民が騒ぐのも無理はない。が、本来ならば、あと数ヶ月先に執り行われるはずだが、何やらかの事情で早まったようだ」
「ふ~ん。ま、ケゼルチェック卿が公爵の一人で欠席の噂はないから、出てくんじゃねーの?」
「そうか」

 それから数日が過ぎ、各公爵は帝都クミンシードの自分の屋敷入りしていた。今日の昼前に王宮から迎えに出た馬車から城に公爵が入る所を見る役目をナックは命じられている。
 帝都・クミンシードでは十公爵会議で話題は持ちきりだった。なにせ、公爵が城に入場するときは、市民が集まり、その様を見て楽しむんだそうだ。ま、数少ない娯楽のひとつといったところか。有名人を直接拝見できた、という。
 ナックからすれば自分の生活している土地を治めているのがどんな人物かは知っておきたいとは思うが、それ以外の人は知ってどうするんだろう。
 10時の鐘が鳴り響き、予定ではもう来るはずだ。その証拠に少し前に馬の鳴き声がしていたからだ。
 ざわざわと市民の声がする。その直後にラッパが吹き鳴らされ、軍人が高々と言い放った。「公爵閣下のご入場」と。
 そこまで偉いものだろうかと何か変な感じがしたが、市民は歓声を上げ、手を振り乱す。その中で目立たないよう、ナックも手を怪しまれない程度に振った。軍人が先頭に立って、各公爵の前に軍人が護衛で付いている。
 何人目かの時、ナックは自分の前を通ったのがクルセス卿だと気づいた。以前に新聞で見たときより気迫がなく、急に老け込んだ感じがした。その三人くらい後ろの人物に向かって女性の黄色い歓声が響いた。
「ケゼルチェック卿よ!!」
 ナックが見ると、茶色い髪の若者が馬車から降りて、市民に軽く手を振り微笑みつつ歩いていく姿だった。その若さは公爵にふさわしくなく、年かさのいった他の公爵の中で浮いていた。
 ナックの目線がケゼルチェック卿を追っているうちに他の公爵はみんな馬車から出て城に入ったらしく、城も鉄の扉が軍人によって閉められた。しかし扉の向こうに公爵がいるかのように市民はまだ歓声を上げ続けた。
「見たぞ。クァイツ」
「そうか」
「あんな若いんだな。ケゼルチェック卿は」
 ナックはケゼルチェック卿の姿を目に焼きつけて、仲間とともに次の作戦に移ろうとしたその時、ジュリアが駆け寄ってきた。
「どうした? お前の配置はここではないはず」
「それどころじゃないわよ!! ナック。キラが逃げたわ!!」
「何だって?」
 ナックは目を見開き、愕然とした。そんな、どこに行ったというんだ。
「どこに?」
「わからないのよ。でもこっちの方向に来てるのは間違いないらしいのよ、こんな時に手間かけさせるんだから、あの子!! クァイツ作戦は続けるとして、誰か応援でキラを探さないと……」
「待てよ。こっちの方向に来た……? まさか、キラ。ケゼルチェック卿に会いにきたんじゃ……」
「えぇ!? 無理よ。キラは一般市民と変わりないのよ。ケゼルチェック卿が知っていたとしても、門番や護衛の軍人が通してくれるはずないわ!」
 ジュリアが冗談でしょと言いたげに言った。
「キラは一つの事に目が行くと周りが見えなくなる。会えないはずがないと思ってるよ」
「馬鹿な子!!」
「ジュリア、君は作戦を続けていい。ナック、君がキラを探せ。彼女が城の内部に入れるとは思わないが、いざとなったら異端審問のクロスを見せて探索して構わない」
「わかった」
 ナックはキラならどうするかを考え、城の裏側に回りこんだ。

「よくぞ集まってくれた、我が同胞たちよ」
 大きなテーブルに大きな椅子。その大きなテーブルは手入れが行き届いており、塵ひとつとしてない。そのテーブルの上座に、エルス帝国・皇帝サルザヴェクⅣ世が座り、各地から集まった公爵をねぎらった。
 皇帝の仕草で皆がワイングラスを掲げ、赤いワインを飲み干す。空に鳴ったグラスには一人ずつ控えている女給がすぐにワインを継ぎ足した。
 皇帝の右隣には息子のドレイン皇太子が、左には妻のアフェスがいた。
 その隣を大臣のベキューム侯爵、反対側の隣を南方将軍ヴァトリア将軍が控え、そこから土地順に十公爵が座り、一番下座に他の将軍、他の大臣が三名と皇女がいた。
 皇女は口を挟まない約束でやっと会議に入れてもらったため下座に座しているのだった。
「皇帝陛下、お久しぶりでございます」
「バイザー、先のトーベス卿との会合、見事であったぞ。ここまでわが国を有利に進めてくれるとは思わなんだ。」
「お褒めに預かり、光栄です。陛下」
 厳ついバイザー卿が厳しい顔の口元にささやかな笑みを浮かべて言う。
「ホドクラー、今回もケゼルチェック地方代表の代行、ご苦労。しかし今回からあ奴も参加するのではなかったかな? それを楽しみにして息子も、娘も参加しておるのだが」
「申し訳ございません、陛下、並びに皇太子殿下。わが主は体調が優れず、今回も欠席の旨預かってまいりました。陛下に見苦しい姿をさらすくらいなら、と申しておりました」
「そうか。残念だな。ケテルも今年で成人となろう。祝いには我もぜひ呼んでくれ」
「はい。もちろんでございます。主もこの上ない名誉、と喜びましょう」
「そうか。今年でケテル様もご成人あそばすのか。めでたいな。ぜひ、私も呼んでくれ。一番上等なワインを持ってお祝いに参じよう」
「ありがとうございます、ジンジャー卿」
 ホドはにっこりと笑顔を見せた。
「なに、ジンジャーのワインには負けるが、私もよい酒を持って祝いには参じる心積もりだ」
「心からお待ち申し上げますよ、スウェン卿」
「酒といえば今年も上等なのができそうなのか? ジンジャー」
「はい、陛下。今年も葡萄は順調に育っておりますゆえ、ご期待に添えるかと。あぁそうだ、ケテル様のご成人祝いに、僭越ながら我がワインの試飲会をしては如何でしょうか?陛下、ホドクラー卿」
「それはよいな。ケテルのすばらしい祝いとなろう、なぁホドクラー」
「もちろんでございます、陛下。主も喜びましょう、ありがとうございます、ジンジャー卿」
 仲のよい間柄に皇帝を交えてケテルという次期公爵の成人を意識させる。ケテルは病弱ということにしてはあるが頭はいいし、知恵は回る。成人になって自分が三年くらいついていれば舐められてカモにされることもないだろう。皇帝に可愛がってもらえばなおさらだ。
「さて。話はこれくらいにしよう。時間が惜しい」
 皇帝がそういうと世間話で浮ついていた公爵全員が姿勢を正す。会議がいよいよ始まるのだ。
「今宵は夜会を開く故、会議は手短に。議題はすぐに取り掛かろう。ベキューム、議題を」
「かしこまりました、陛下」
 サルザヴェクⅣ世は近代の王にしては珍しく、国政に気をかけている人物だった。自身の娯楽はすべきことを済ませてから、というのが信条で会議として集めたならば、世間話もなしに会議をする。無駄話は避ける人物だった。
 妻のアフェスはそうではなく、世間話をしたがったが皇帝がそれを許さないので扇の下で欠伸を一つした。アフェスは会議が目的なのではなく、各地から集まってきた公爵の妻や娘と夜会を楽しむことだった。しかし皇帝の妻となったからには会議のことも頭に入れておかねば夜会で馬鹿にされる。そのためだけに会議の場にいるのだった。
 こうして第一日目の会議が始まった。これは夜会が始まる時刻の三時間前まで続き、かなり時間をオーバーしていた。

「お願い、入れてください!! 私、ケゼルチェック卿の知り合いなんです!!」
 会議が始まったばかりのころ、キラは裏口の門番に必死に頼んだ。だが頑として入れてはもらえない。どうしよう。せっかく目を盗んで連れて帰ってもらおうと思ったのに、会えないのでは意味がない。
「だから、お前がケゼルチェック卿のお知り合いであるはずがないではないか!」
「知り合いなんです」
「帰れ!!」
 その時、門番に話しかけた人間がいた。

「あの、ここに黒髪の女が来ませんでしたか?」
「神父様? その淑女ならば先ほどお通ししましたが」
「そうですか」
 ナックは異端審問のクロスを見せて、門を素通りすると、軍人に見えなくなった時点で駆け出した。
 なぜ、城の中に入っている!? キラ。誰に入れてもらったんだ? まさか、本当にケゼルチェック卿が!!?
 しかし、ナックも走っているうちに城の中を迷っていると気づいた。城の中の大体の建物の配置は覚えているから一人では出られるが、キラと一緒でなければ意味はない。
 キラはいったいどこにいるんだ? もし、ケゼルチェック卿が中に入れたなら、ケゼルチェック卿に与えられた私室にいるのだろう。
 すると城の中に入らねばならない。ナックは客室があるほうの城の西側に回りこんだ。
「神父様」
 ナックは息を切らせて走っていたので、声に気づいたのは少し後だった。でも自分のほかに庭には誰もいない。木の陰さえ、無人だった。
「ここです、神父様」
 ナックが声のしたほうを見ると、バルコニーに少年が立ってナックを眺めていた。服装からしてどこかの貴族。公爵の知り合いか、はたまた王宮で学んでいる学生の貴族かわからなかった。長い茶髪が風になびいている。
「息を切らせて、どうかなさいましたか?」
 ナックはしまったと思った。神父は普通走らない。ゆったりと歩くものだ。なぜか知らないが、クァイツも人前ではゆっくり歩く。けしてあせったりする様子は見せない。威厳のある姿を見せなければならないからだ。
 そしてはっと気づいた。神父が城の客室にいるのはおかしいと。神父がいるのは礼拝堂の近く。ここと反対の方角だ。
「え、えっと……」
「迷われたんですね? ここ、広いですから」
「そ、そうなんです」
 ナックは少し無理だとは思ったが、微笑んで貴族の少年に言った。
「ここは礼拝堂とは逆の方向ですよ。礼拝堂はそこの薔薇園を抜けて、南になります」
「あ、ありがとうございます」
 笑って礼を言い、少年の下を去ろうとしたとき、強い風が吹いた。
 風が止んで、あたりは鳥のさえずりさえ止む、一瞬の無音となる。
「……それとも、誰かお探しですか?」
 ナックは少年を振り返った。
「お探しの女は、薔薇園の中の深紅の底に」
「えっ!?」
 ナックは聞き返そうとしたときには、少年はバルコニーの奥に引っ込んでいた。しかし少年がくすくす笑う声が聞こえているような気がした。
 ナックはしばらく無人のバルコニーを眺めていたがはっと思い返し、薔薇園に急いだ。
 少年の言っていることが正しくてもそうでなくとも、薔薇園は通らなくてはならない道だった。一歩入れば、薔薇の芳香が漂った。季節でなくとも、植え替えられてここには一年中薔薇が咲いているという。王妃様の自慢の薔薇園だった。
 入り口には小さな野薔薇が咲いていて、奥に進むほど、大きな薔薇が咲いている。
 ナックは庭の中心に当たる位置に、小さな東屋が建っているのに気づいた。東屋の周りは深紅の薔薇に埋め尽くされている。ナックは直感で走った。
「! ……キラ」
 ナックは花がみんな散った薔薇の木々に囲まれ、深紅の薔薇の花びらの中で横たわっているキラを見つけた。キラは寝ているようで、穏やかな顔つきをしている。
 東屋は本来咲き誇っている薔薇を観賞するためのものなのに、一輪も咲いていない。キラの身の回りを薔薇の花びらで覆いつくそうとしているかのようだった。
 キラはまるで薔薇の花びらのベッドで寝ているように見えた。