TINCTORA 010

10.ゲヴラーの影

031

 闇夜を駆ける一つの影。目的を持って移動するその人間は狩人のような目つきをしていた。狩る獲物がどこにいるのか把握してるような迷いのない動き。
 その人影がふいに止まった。目の前にもう一つの人影。
「来たな」
「おう。わざわざ、な」
 相対する二つの影。比して似てなる、白い髪に赤い目。ゲヴラーとゲブラーだ。
「で、何か用なのかよ? わざわざ俺に早く殺されたいってか?」
「そうではない。まだ間に合う。お前は付くべき主を間違えたのだ。改心し、主に忠誠を近い、同じ道を歩もう」
 ゲブラーが言う。それに対し顔を精一杯歪めて言い放つ。
「はぁ? ヤダね! 俺の主はケテルって俺が決めてんだ」
「……ケテル。ティンクトラの主はやはりケテルか。ゼルヴンの予測は当たっていたわけだな」
 今はもう亡き戦友を想った。彼はティフェレトに殺されたのだった。
「ティンクトラって何だよ? 俺達の名前??」
「そうだ。赤き賢者の石と絡んでいるからな」
「ふ~ん。賢者の石ってティンクトゥラじゃなかったっけか? 発音悪いぜ?」
 にやにやからかってゲヴラーが笑った。
「賢者の石を使って何をしようとしている?」
 ゲヴラーは笑った。
「そんなもん使わねぇよ。賢者の石は賢者が管理してるだろ? 名前の通りにな」
「賢者が管理しているから賢者の石、か。一理ある。賢者の石は尊き主の血が混じった神の御石」
「そうさぁ。神が怪我したときに零れた血を利用して賢者が創った神の力を持つ石だ」
「愚かしい人間どもめ」
 くっくっく、とゲヴラーは笑う。
「その愚かな人間の味方をしているのは誰だよ? そんなんで俺に仲間になれとかって笑わせるぜ」
「人間の味方をしているのではない。我は主に遣わされた人間の監視者だ」
「へぇ。の割には異端審問なんか入って、人間の監視者? 神がどれだけ崇め奉られているか監視してるのか? 神も随分みみっちい存在になったもんだ」
「違う! 異端審問は人間が作りたもうた主を崇めるヴァチカンの実働部隊。ここ以上に主のお考えを広められ正義を行える場所はないと考えたのだ」
 ゲブラーの思想をゲヴラーは鼻で笑う。
「正義? そんなもん、異端審問なんかで実現できるって本気で想ってんのか? お前、そんなこと考えてるならキリストの考え、根本から否定する行為って気付いてるか? お前も神の教えを説きたいなら俺なんか勧誘しないで、とっとと旅に出ちまいな!」
「それは異端審問として旅をしながらできる事だ」
「はっ! そうかい」
 呆れを通り越したゲヴラーは返す言葉も無い、といったように鼻を鳴らした。そんな態度のゲヴラーに諦めずに説得を試みるゲブラーをうっとおしい、とゲヴラーは攻撃を仕掛けた。
「俺がな、なんでここに来たのか教えてやろうか?」
「我を殺す為だろう? 安心しろ。我とて同じだ。お前が我が傘下に入らぬならばお前の力、我が貰い受ける!」
「俺の力……?」
 ゲヴラーはわからないといった表情を隠さずに問う。
「今、この世界で俺とお前しかネピリムはいない、そうだろう?」
「あぁ。らしいな」
「我は己が生まれ出た時は我以外の同じ存在を感じたことはなかった。しかし我が生まれてから五年。お前の存在を感じたよ。赤い炎のように。いつか会いたいと思っていた。我と同じお前に」
 同胞愛のようにゲブラーの眼には自愛がこもっている。対するゲヴラーには憎しみの炎が宿っているようだった。
「俺はお前なんかに気付いたことはなかったな。なんせ、俺は生まれてしばらくは人間として生きてきたからな」
 自分自身の発言でゲヴラーは自身が忌むべき過去を思い出していた。

 幼い頃、ゲヴラーは小さな雪山の寒村で暮らしていた。小さな村の中でも山に近く奥まった小さな家に母と二人。父はいなかった。ゲヴラーが生まれたと同時に死んだという話だった。
 何故死んだのかは教えてもらえなかった。知ろうとは思わなかった。母が悲しげな顔をするから。
 村にはゲヴラーと歳が同じくらいの子どももいたが自分から進んで仲良くなろうとはしなかった。村人がゲヴラーを避けるからだ。
 村人は一人暮らしだった母の元に突然生まれた子どもの父親が誰か探していた。
 つまり村人は婚約も結んでいないどこの骨とも知れぬ男と子どもを作った女として母とゲヴラーを差別していたのだ。
 母はそんなことは気にしてはいなかった。もともと一人で暮らしていたから今更差別されようが嫌がらせされようが関係ないと笑う強い人だった。
 もう一つ、母が村から嫌われる理由があった。母は魔女だと思われていたからだ。この考えはゲヴラーが生まれてより一層強まった。赤い目の子ども、まさしく魔女の子どもだと。じっさい母は魔女だったがすごい魔術が使えるわけでもなく、ただ薬を作ったり、といった薬師のような職業だった。
 大鍋で薬を煮たりするものだから魔女のイメージが村人達に植え込まれたに違いない。やさしい母を迫害するような考えを持つ村人なんかゲヴラーだって興味はない。
 しかし母は同じ年代の子どもと遊べないのが自分のせいだとひどく気に病んでいた。そしてゲヴラーが十を数えた時にゲヴラーの父を教えると言った。
「明日は、誕生日だね、キボール」
「ああ。母さん明日、父さんが誰か教えてくれるんだろ?」
 父親の存在は気にはなっていた。自分が恐れられる赤い眼も母親と異なる髪の色も父親と同じならば堂々としていられる。それよりももっと身近に父親を感じられるのではないかと期待した。
 ――翌日――
 母は寒い雪の止んだ一瞬を逃さず上の裏山、高く聳え立つ雪山にゲヴラーを外套も着せずに連れ出した。母はしっかり寒さと雪に対策をとったのにゲヴラーには何もさせなかった。靴もはかせなかった。
 母の考えていることが分からないのは初めてだった。ゲヴラーは凍えながら母の凛々しい背中を追った。母はこのまま自分を凍死させようとしているんじゃないかとさえ思った。
 裸足に雪が固まった氷は突き刺すように痛く、寒さは衣服を通り抜けて感覚をなくした。母は山の中腹に来ると、初めてゲヴラーを振り返った。
「紹介するわ。これが貴方の父よ」
 両手を大きく広げ母が満面の笑みで言う。しかし母の周りには誰も何もない。墓標があるわけではなく、父がいる形跡など皆無。母が何を言っているのかサッパリ分からなかった。
「……母さん、何言って……?」
「貴方の父はこの雪山。貴方は私とこの雪山の神の間にできた神の子(ゲヴラー)よ」
 母は何を言っているんだ? 何も返せずにゲヴラーは辺りを見回した。
「信じられない? ……感じて御覧なさい、全身を父さんに任せるの」
 母が微笑んだ。半信半疑でゲヴラーは山の頂上を見上げた。風が通り抜ける。瞬間、冷たいと感じなくなった。思わず眼を閉じる。すると体が軽くなったように感じた。
 眼を開けてみたら自分は空を飛んでいた。母が笑っている。風が父の吐息に感じられた。
 雪山全体を眺め、ゲヴラーは父と出会えたと感じた!
「母さん! 父さんに会ったよ! 会えたんだ!!」
「そう。よかったわね」
 上空からふわりと降り立った息子を全身で抱き締め、母も満面の笑顔につつまれる。
「でも母さん、父さんは死んだって。死んでないじゃないか?」
「いいえ。死んだの。貴方が生まれる前、あの方は私と同じ人の姿をしていたのよ。貴方のように真っ白な髪に赤い目をしていらして……。美しかったわ。あの方はね人間と神が交わりを持ってはいけないことをご存知だったの。もし交われば自身が滅びてしまうことも……。それでも私を愛してくださった。そして生まれたのが貴方よ」
「俺が生まれたから死んじゃったの?」
 不安げにゲヴラーが聞く。
「いいえ。私と出会ったからあの方は死んでしまわれたのかもしれない。でもね、あの方はちっとも後悔していらっしゃらなかった。唯一後悔してるとすれば、貴方の顔を見ずに死んでしまうことだったわ」
「そっか!」
 ゲヴラーはもう一回雪山の頂を見た。父の愛を感じられたような気がした。

 それから、もうゲヴラーは自身の外見や境遇に何一つ不満なんて持たなくなった。村の子どもに化け物と罵られようが、父親が誰か分からないなどと言われてからかわれても、言い返すことすらしない。
 それだけ村の人間の考えが馬鹿らしかった。そうゲヴラーが思い始めてから三年。村の雪山、すなわち父だった存在はたびたび大きな雪崩を起こすようになっていた。村はその度に住み慣れた家を捨て、山から徐々に離れていった。
 でもゲヴラーの住む場所は変わらなかった。母とゲヴラーが住む家を避けるかのように雪崩が起きるからだ。父が今でも守っていてくれるような気がしていた。ゲヴラーは安心していた。だが村人は襲い来る雪崩にゲヴラーの家だけが無事なのを不気味に思い始めた。
 やはり魔女……もしかしたらあの雪崩は魔女が起こしているのではないだろうか、と。
 村から遠ざかった母とゲヴラーはそんな疑惑が浮かんでいることなどまったく知らずに幸せに暮らしていた。

 ある日、村の子供が酷い風邪をひいて死んだという。狂ったように母親が乗り込んできた。お前たちが私の子供を殺したのだ、と言って。
 母は驚いていた。母はゲヴラーほど、村人を嫌ってはいなかった。だから病で亡くした子どもをまさか自分が殺していると思われようとは、ひどくショックを受けていた。
 ゲヴラーにしてみれば勝手に母を恐れ、母の薬をもらわず、適切な看病をしてやれなかったのだから死んで当たり前だと思った。
 ――母はそうではなかった。
「母さん、本気なのか?」
 母は責任を感じて村人の病の際に適切な処置ができるよう離れた村と合流すると言った。
「そうよ、わたしはこの村の病を治すのが仕事。魔女としてのね。かわいそうなことをしてしまったわ。あの方と少しでも離れたくなかったけれど、私の仕事はちゃんとこなさなくては」
「別にいいじゃないか! 村はそんなに離れてはいない! あいつらが取りに来ればいい話だろ!!」
「キボール、人間はね、持ちつ持たれつなのよ。私たちが彼らを救えば誤解も解ける。いつかまた昔のように笑ってくれる日が来るわ。そうして生きていくのよ」
「俺は別に村人なんかどうだっていいよ! 父さんと離れるのか? この家を出てくのか!!」
「離れても山は見える。あの方とは一緒にいられるわ」
「ウソだ! じゃなんで最初の移動の時に村人についていかなかったんだよ」
「……キボール」
 母は何も言わずに息子を抱き締めた。
「……わかって、キボール」
「……」
 母もまた苦しい決断をしたんだ。そう思いこんだ。移動したせいで村は以前よりも狭く、小さくなっていた。移動を二、三回は繰り返したというから、また移動することを考えて小さくなっているのろう。
 俺達を迎えたときの村人の目線といったらそれは冷たいものだった。何で来たんだ、と全ての瞳が問いかけていた。母は笑いかけて村長にわけを話した。村長は終始迷惑そうで話を半分も聞いていなかったように思える。
 俺はつくづく嫌な思いをした。どうして母は移動したのか。山は自分たちにだけは恩恵をもたらしてくれる。水も食糧も二人分なら余るほど山にはあった。この頃自由に飛べたゲヴラーは山のどこの物だって自由に採れたんだ。もちろん父に感謝は忘れなかったが。
 なぜ白い目で見られ、不味い村の食糧をぺこぺこ頭を下げてもらって、肩身の狭い思いをしなければいけないんだろう。なぜ人間と共に生きなければならないんだろう。
 そう思ううちにゲヴラーは感情が抜けてしまうようだった。母といるのに楽しいと思えない。楽しさという感情が一番早くにゲヴラーからなくなった。悲しい、面白い、全ての感情が。
 後で分かった事だが、ゲヴラーは父親である山から離れると人間らしさを失ってしまうことが分かった。人界に降り立った神が人間と同じ考えを持つだろうか。人間に共感するだろうか。しない。そんな神がいたら世界じゅうの人間の願いはとっくに叶っている。
 神は神としての生き方しかできない。半分神であるゲヴラーは身体は人間。しかし外見からわかるように神側に傾いた人間であった。故に父の力が、否、父と母の愛、つまり過去の時間が感じられる場所でしかゲヴラーは人間ではいられない。
 ゲヴラーは次第に人間のすることが分からなくなっていった。その頃神の血が目覚めそうな彼にとって食事はおろか睡眠でさえも不必要なものになりつつあった。
「キボール」
 母の言葉も空虚に響いた。村人はいっそうゲヴラーを化け物じみて扱い、迫害した。
 ゲヴラーには痛みも感じない。人間の憎悪も理解に値しない。傷はすぐ治る。そんな日々が続いた。

 山が鳴いた日、全てが始まって終わった。

 その日の雪崩は突然だった。雪崩はいつも突然起こるが、村に届くほどではなかった。今回の雪崩は規模が大きくて下手したら村が壊滅もあり得た。ゲヴラーがそれを分かりつつ何もしなかったのは、どうでもよかったからだ。母一人抱えて飛べば、自分たちは助かるわけで。
 村全員が死を予感し、パニックに陥った。神よ、複数声が響いた。この状況を何とかすることができるのは、神の血を持つゲヴラーだけ。知っているのはゲヴラー自身と彼の母ののみ。母は叫んだ。
「キボール! 村を救って、お願い!!」
 虚ろな赤い目が母を捕らえ、軽く頷くと迫り来る雪崩を前に村の端に立っていた。

 ただ、それだけ……。

「悪魔、悪魔、悪魔ぁあああ!!!」
 かん高い悲鳴。そして恐怖に染まった瞳。
「悪魔だ、コイツは悪魔だったんだ!!」
「見ろ!! 自分が起こした雪崩だから止められたんだ!!」
「今までの雪崩も、こいつの仕業だぁ!!」
「捕らえろ!! 悪魔を殺せ!」
「悪魔の母も、魔女もだ!!」
「魔女と悪魔をやっつけろ!!」
「魔女と悪魔は火あぶりだ!!」
「殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ!!!!!」

 ゲヴラーは何も考えていなかった。人間如き、危機を感じなかった。というか、これから人間がどんな行動をするのか神である彼には予測できなかったのだ。なぜか自分は捕らえられた。いつものように迫害されるだけと軽く考えていた。母は深い後悔の念に苛まれているようだった。
「どうする!? 異端審問に連絡するか?」
「しよう、しかし、我々もなにかこいつらにしてやらねば、死んだ仲間が浮かばれん!」
「どうせ悪魔と魔女! 何をしたって許される!」
「いや、こんな雪山まで神の遣いの方々を煩わせるわけにはいかん。……どうだろう、我々だけで魔女と悪魔を処刑しようではないか!!」
「そうしよう!!」
「待て、魔女の住処が残っている! このままでは悪魔が隠れているかもしれん。一緒に魔女の家も焼き払おう!」
「そうだ! 我らの仲間の墓前でも処刑が見えるようにしなくては!!」
「そうだ、そうだ」
 ゲヴラーは望まない形で再び過去の時間が効いている山のふもとへと戻り、人間になった。感情が戻ってきたのだ。
 母を助けなければ! 助けてやったのに、この人間ドモ!!
 しかし一つ誤算があった。ゲヴラーは人間に戻ると山の中でしか神の力を振るえないのだ。山では自由に飛べても家の近くでは飛べなかった。
 つまりここの一体は山の中ならゲヴラーは人間であり神である。山の傍ではゲヴラーは人間で、離れてしまえば神なのだ。

 ゲヴラーは力なき人間と同じだった。

「おい、こいつ、急に……」
 村人は感情的にわめくゲヴラーと治らない傷を不思議がっていた。
「魔女の家だ。不思議はあるまい」
 ゲヴラーの身体も何もかも母を魔女、自分を悪魔と思い込めばなんだって恐れていない様子だった。連れ戻されてすぐゲヴラーは母と離された。
 ゲヴラーは止むことない暴力に耐えていた。山にさえ入れればこんな人間、一ひねりで殺してしまえるのに!!
 悔しかった。母はどうしているのだろうか? 自分のように殴られたりしているのだろうか? 母は自分と違う。人間なんだ。暴力に耐えられる身体じゃないのに。
「おい、母さんは無事なんだろうな!?」
 ゲヴラーは毎日叫んだ。それに答える人間はいないが、一人の男がにやにやしてゲヴラーに知りたいか? といったことがあった。その男はゲヴラーの記憶が正しければゲヴラーと同い年の村長の息子だ。
「お前が死ぬ前に会わせてやるよ」
 そういやらしく笑って言われたので自分が引きずられたからには母と会えて明日死ぬんだと何となく分かった。
「会いたいんだろ? 会わせてやるよ」
 嫌な予感だけはしていた。母の悲鳴が扉を開かずとも聞こえていた。想像しないわけじゃなかった。母は魔女と思われていたんだから。明日処刑されてしまうんだから。
「やめろよ!」
 ゲヴラーは思わず叫んだ。母がかすかに目線だけをゲヴラーの方に向けた。目線しか上げられなかったのだ。頭は大きな男の手に押さえつけられていたんだから。
 母は村人のほとんどの男にまわされていた。穴という穴に突っ込まれて全身が白濁にまみれている。何をされているかわからない歳でもなかった。
「ほぉら、お前の悪魔の息子だ」
 頭を押さえつけていた男が母の頭を髪を掴んで引っ張りあげる。その瞬間に新たな白い液体が母の顔面にかかり、母は思いっきり咳き込んだ。この場にいる村人が爆笑する。
「ママは淫乱なのぉ~」
「あっはっはっはー」
「息子に見られた気分はどうだ? 魔女でも感じたりするか? あぁ??」
 男どもがわざわざゲヴラーに見えるように母の身体を持ち上げる。穢れた母の全裸がゲヴラーの網膜に妬きついた。全身が沸騰するかのようだった。
 ――殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる!!!!!!!!!!!
「オイ、お前も何か言ったらどうだぁ?」
 村長の息子が笑いながら俺の頭を踏みつける。
「……してやる」
「なんだってぇ?」
「殺してやるって言ったんだよ」
「ひぃ!!」
 ゲヴラーの瞳が真っ赤に燃え上がる。腕を拘束されていても構わなかった。全身の血が沸騰するかのように熱かった。自然に腕を縛っていた縄は燃え落ち、気付けば村長の息子が絶叫していた。
 ゲヴラーの腕が触れたところからひどい火傷をおこしていた。ゲヴラーの手自体が燃えているかのように。しかしゲヴラーは熱さを感じなかった。
 ただ、楽しかった。無様に泣き叫ぶ人間が、もっともっといたぶってやりたかった! 簡単には殺さない!
「……やめて、キボール」
 母が小さく言った。水を掛けられたようだった。熱さが引いていく。手が元に戻り、村長の息子は涙にまみれ、ひぃひぃ言いながらゲヴラーの元から逃げていく。母は首を振った。
「どうしてだよ、母さん……」
「や、やっぱり悪魔だ!!」
 ゲヴラーは母のことがわからなかった。こんなことをされて、死んで当然の人間を何故庇う!? 何故殺してはいけない? 明日、死んでしまうのに、少なくともゲヴラーは死にたくなかった。
「明日朝日と共に、殺そう、これ以上悪魔を生かしておくのは危険だ!!」
「そうしよう、今日はここまで」
 村人どもは勝手にそう言って、部屋を出て行った。
「大丈夫か? 母さん」
 ゲヴラーは母の元に駆け寄った。母はゲヴラーに背を向ける。
「大丈夫か? どこか痛いのか? 汚れを落すものは……」
 指先が、肩にほんの少し触れただけだったが、母がびくっとして手を振り払った。
「や、やめて」
「え? お、俺、傷とかに触れた……?」
「……見ないで、お願い」
 ゲヴラーは目を見開いた。
「そ、そう。俺、女を呼んでくるよ」
 ゲヴラーはぎこちなく笑って母の元をゆっくり離れた。
 ――母が、俺を拒絶した。唯一、人間で理解(わか)る存在だったのに……。唯一、自分をわかってくれている人だと思っていたのに……。拒絶された。嫌われて、しまったのか?
「いやぁあああ!」
 悲鳴で現実に目が向いた。村の女が俺を見て悲鳴を上げている。そういえば縄が焼き切れてから自由になっていた。しかし、俺が逃げたら母はどうなるんだろう。そう考えるとおちおち逃げられないか、とも思った。
 女がこれ以上うるさくないように女に黙れ、と低く言い放つとゲヴラーはこれ以上、面倒が起こらないようにこの村の人間になればいいなと何となく思った。誰がいいだろう。
 その考えた時に思いついたのが忌々しい村長の息子だった。すると再び女が口を押さえて小さく悲鳴を上げる。目にちらつく髪があの馬鹿な村長の息子と同じ色で同じ髪質になっていることに気付いた。
「ど、そうしてアレックス様に……?」
 女が呟いたことで自分の姿が完全に村長の息子になったとわかったゲヴラーは女に命じた。
「死にたくなかったら、コイツか着るような服を用意しな」
「ひ、は、はいぃい」
 女は逃げるように駆け出していった。ゲヴラーは気付かなかったがゲヴラーが母に疑問を持ったことでこの場の時間が進み、ゲヴラーの神の血が覚醒しようとしていた。父と母の愛が薄れてきたのだった。
 ゲヴラーはその時は過去の時間と両親の愛と自分の力が関連性があるとは全く知らなかったので、何故人に化けることができるのか、どうしてさっき村長の息子を殺すことができるほど力が溢れてきたのかわからず、疑問にも思わなかった。
「もってきました」
「どうも」
 ゲヴラーは着替えて、女を捨て置き、村の女が集まっている場所に顔を出した。
「あら、アレックス様、魔女への拷問は終ったんですか?」
「あぁ。明日はあの魔女と悪魔を処刑するからな、主に滅していただくんだ。主に見られてもいい程度に小奇麗にしておいてくれないか?」
「わかりました」
「でもぉ、アレックス様、私たちあの悪魔は怖いんですけどぉ……」
「心配することはないさ。明日、主が悪魔を滅してくださる。悪魔は放っておいて構わないよ」
「はい」
 村長の息子に成りすまし、母をきれいにしてもらう約束だけは取り付けると、ゲヴラーは単身、山に向かった。
 母を救うための力を父に授けてもらおうと思っていた。父はいなくても山に登れば明日までには何とかできると思ったのだ。