TINCTORA 011

037

 ティフェレトは自分と同じ姿をした者に殺意を向けた。なにか、嫌な感じがする。イライラする。どうして? ティフェレトはナイフを構え直した。
「ふむ、やる気になったというわけか……」
「なんなの? ぼくに何の用があったの?」
 ティフェレトは相手の刃をかわして、身を捻ったときに尋ねた。ガキィンと金属がぶつかる音かする。ナイフと長剣では明らかにティフェレトが不利。
 しかし、どうすればいいか、知っている。というか、ティフェレトはケテルの所有物になって人を殺す前から、人の殺し方を知っていた。
 どうすればいいか、どのように体を動かせばいいか、知っていたのだ。今までそのことについて何も思わなかった。しかし、今、はっきりと思った。
 ――これは、過去のぼくが経験したことなんだ。
 なぜ記憶を失ったのか、なぜ、奴隷市に売られていたのか、なぜ、殺し方は知っていたのか。
 わからない。けれど、先ほどから頭を掠めるなにかが伝える。これは、実験。今まで受けてきた実験なんだと。……実験? なんの? そうして自己矛盾に答えは上書きされて、何を思っていたか、わからない。頭は真っ白。
 それでも、この相手に負けるような行動は取らない。頭で違うことを考えていても、体は勝手に動くのだ。相手を殺すために、自分が考えているわけでもないのに相手を殺すための行動が自分にはわかっている。
 そして経験したことのないはずの経験がティフェレトに告げる。この相手は弱い。すぐに、今すぐにでも殺せてしまう。しかし殺していいのか? 殺してしまったら、この男の思う壺ではないのか? そう考えるのは自分の仕事じゃない、自分は与えられた任務をしていればいい……。
 また、ティフェレトの考えが自己矛盾をおこして真っ白に上書きされていく。ティフェレトは今、自覚していなかったが自分で物事を考えられなかった。頭の中を流れていく、言葉の羅列、それを必死に否定して、次の時には何を考えていたかを忘れている。そんな中で、ティフェレトの相手を攻める手は休まることはない。
 ついに、ティフェレト自身の知覚ではぼぅっとしていた瞬間に、相手は倒れた。
 実際の行動としては、ティフェレトは俊足を用いて、常人には捕らえられない速度での攻防を行っていた。ティフェレトの武器はナイフ。しかも数が限られている。そんな中でティフェレトは巧みにナイフを使い、時には投げ、時には振りかざし、相手をナイフで翻弄する。
 相手はナイフの動きに集中してきたのがわかると、ティフェレトは加速を早めた。ただでさえ速いこの世界の速度に上乗せして突然の加速。相手はその加速についていこうとした瞬間には、もう遅い。
 ティフェレトは軽く飛び上がって、神速の回し蹴りを放った。速度を持って回転した脚はそれだけの重さを持った攻撃となり、相手の後頭部に衝撃が伝わったと同時にポキっという小気味良い音が小さく響いた。その瞬間、相手の体が吹っ飛んだ。
 相手はティフェレトの蹴りによって首の骨を折られた。しかし、何があるかわからない。ものを考えていないティフェレトは本能でナイフを相手の眉間と心臓に投げた。狙いは違わず、どすっと重い音を立てて、ナイフが突き刺さる。
 吹き飛んだ体は次第に重力と共に知に倒れ付し、動かなくなった。
「見事だ」
 紳士は呟いて、拍手をする。その音でやっと我に返ったティフェレトはナイフを構えて紳士を睨む。
「何なの、おまえ」
「……知りたくはないか? 自分自身の過去を」
 言われた意味がわからなかった。
「お前を造ったのは私だ。お前は私から逃げたのだよ。だから私はお前に初期化を施した。物事を考えなくなり、茫然自失の状態なら連れ帰るのも楽だと思ったのだ。しかし、奴隷市に出されるとは、予想外でね……。ケゼルチェック卿から奪い返すのは困難だ。……そこで直接迎えに来たのだ」
「……うそ」
「嘘ではない。お前は私の研究の完成品で試作体だ」
 紳士は微笑んで、言った。
「コードネーム・殺人人形(キリング・ドール)」
「キリング……ドール……」
「そうとも。来るべき大戦のために私が開発していた対人用・虐殺兵器だよ、お前は」
「へ、いき……?」
 紳士は笑って、ティフェレトに歩み寄る。怖くなって、ティフェレトはナイフを突き出し、叫んだ。
「来るな!」
 紳士はティフェレトのナイフを掴む手を握り、耳元でささやいた。
「マスター命令は絶対だ。……帰って来い」
 ティフェレトは自分が震えていることに気づいた。紳士の両手が自分の頬に添えられる。
「い、いや。……いや、だ」
 ティフェレトは必死に紳士を拒絶しようとするのにうまくいかない。全身で、すべての感情でこの男に従いたくないのに、体が勝手に動いてしまう感じだ。
「お前は私のものなのだぞ……?」
「や、やめて……や……だ」
 紳士はティフェレトのうなじに触れる。そして生え際あたりに指を突き立てる。鈍い痛みと共に何かがティフェレトのやはり何かを犯した。何かわからない。しかしこの男によってティフェレトは変えられた、と理解した。
「あぁああああ!!」
 ティフェレトが叫ぶ。いやだ、いやだ、いやだ!!やめて!
「初期化を解いてやる、安心しろ」
「やだ、やだぁ!」
 ティフェレトは全身の力が抜けるのを感じた。全体重が男の腕にかかる。ざわり、とティフェレトの体を何かが駆け巡る。ティフェレトは目を見開いた。

 白い、映像。

(考えたって、仕方ねぇコトなんだって。俺らはさ、兵器なんだから、よ)
(考えれば、先に死んだ仲間の方が幸せかもしれないわ。だって、もう、仲間を殺さずに、すむの)
(コワイ、コワイね。冷たくなっていくの……あんなに、仲良かったのよ……)
(お前、誰デスカ? テキ、認識、正しイでスか?)
(あんなヤツら、殺してやるんだから、許さない!!)

 ティフェレトの頭の中で、複数の声が話しかける。誰? わからない、怖い。この情景はどこで?
 いや、知っている。これは、ぼくの……仲間。ぼくの
「キオク」
 ティフェレトの目から涙が一粒だけ、こぼれた。ぼぅっとして意識を失いかけたティフェレトを現実に連れ戻したのは、切迫した声だった。
「ティフェ!!」
 視界に白い頭が入り込む。
 ……だれ、だっけ?
「お前、何をしてる!?」
 ティフェレトの体は急に自由になる。と同時に白い世界も終って、ティフェレトは音を立てて倒れこんだ。
「おや、ケゼルチェック卿も用心深い。私の作品を大事に扱っているようで安心だ」
 紳士はティフェレトを突き放す。立っていられないのか、ティフェレトはそのまま、地に倒れ伏した。
「テメ、とりあえず、殺す!」
 ゲヴラーは叫んだ。紳士は肩をすくめる。瞬間その足元に魔方陣が急展開する。
「逃げる気かっ!?」
「ああ、君からは強い魔法の気配がする。勝てる気がしないからね」
 そう言って朗らかに笑った紳士の姿は煙となって消えていく。
「ちくしょ、逃がした。……ティフェ!」
 倒れているティフェレトに慌てて駆け寄る。少し顔は青いが気を失っているだけのようだ。一体何があったんだ? ティフェレトが悲鳴を上げていたから、敵なのだろうが……。
 気になることを言っていた。ティフェレトを作品と言い、ケテルの存在を知っている。
 気を失ったティフェレトを抱きかかえ、ゲヴラーは帰路を急ごうとした。しかし、少し後で倒れている人影に刺さっているナイフがティフェレトのものであったとわかると、それを持ち帰るために傍によって、ぎょっとした。
「なんで、コイツ、ティフェと同じ顔を……??」
 ティフェレトを幼い顔つきにしたようなもう死んでいる少年。明らかに首の骨が折れているだろうに、ティフェレトはこの少年にトドメを刺した。
 それだけ強敵ってことだ。この少年は……一体? そう考えていたゲヴラーのすぐ目の前で、少年の体に変化が起こる。風と共に、体が砂のように崩れて消えていくのだ。
 さらさらさら……。体は消えていく。
「ちょ、待てよ」
 体を維持させるためには風を止める魔法を使うのか、状態維持の魔法を使うか悩む間にも体は半分ほど消えていく。
「!?」
 そしてゲヴラーは少年の顔がティフェレトの顔から、化け物のように水中で腐敗した死体のような顔に変わっていくのを見た。その時、少年だったものから魔術の気配が完全に失せる。
 と同時に少年は塵となって消えうせた。後にはティフェレトのナイフが二本、残っているだけだった。
「……どうなってんだ??」
 ゲヴラーは仲間の顔を見つめる。しかし仲間は応えてはくれない。

 ケテルは紅茶が冷めてきたね、と笑った。ビナーが顔を違う方に向ける。ケテルもその方を向いて、ああと呟いた。紅茶のポットをテーブルに戻した。
「誰か帰ってくるようだね、場所を移そうか? 彼女も例の場所に」
 ケテルが言った。ビナーは無言で頷くと、杖を軽く振った。魔方陣なしで二人の姿は消えうせる。

 コクマーはキラを抱きかかえたまま、ケテルの元には向かわずに、ティフェレトの部屋に入った。そこで、意外そうな顔をする。
「……おや」
 眠れる姫君のごとく、ティフェレトが自分のベッドに横たわっていた。ティフェレトは自室を与えられても活用していない名ばかりの部屋だ。なのにその持ち主が部屋を活用しているとは。そしてティフェレトを無言で観察して、ふむ、と一つ頷いた。
「これはやりやすい。助かるな」
 コクマーはキラを一旦、床に寝かせるとベッドのティフェレトの頬に軽く触れた。そのまま手をスライドさせて額にかかる黒髪をどける。
 人差し指と中指をティフェレトの額に添えるとコクマーはうっすら笑った。指先から灰色の光が溢れる。その光は一瞬で消えうせ、しばらくティフェレトの額に灰色の小さな魔方陣を残したがそれもやがて消えた。
 そこでコクマーはキラを再び抱きかかえ、ティフェレトの部屋にある椅子に座らせると、彼女の目を覆うように片手を翳した。
 ふっと紫煙を吐き出し、手をゆっくりキラの顔から離していく。それに伴って、キラの目が開いた。
「具合はいかがですか?」
 キラはぼぅっとまだ眠りから覚めていないような目でコクマーを見上げた。
「大、丈夫です……ここは?」
「ここはあなたの望む場所。貴女は帰ってきたのですよ」
 コクマーはそう言って微笑むと、ほら、御覧なさいと後ろを示した。そこにはベッドがあり、上にはキラの愛するべき、求める者の姿があった。
「私、戻ってこれた、のね」
 幸せそうに呟くキラにええ、とコクマーは頷く。
「貴女は私の言ったことをご理解なさらなかった。だからここから離れてしまったのですよ。ご存知でしたか?」
 コクマーの優しい問い掛けにキラは首を横に振った。
「説明しなかった私が悪いのです。お許しください。貴女が彼と離れないようにするためには一種の儀式が必要なのです。貴女が彼のものであるという証明を行う儀式が。……でないと貴女は彼と共には……」
 コクマーが残念そうに呟くと、それを遮るようにキラが泣きそうに言った。
「ど、どうしたら!?」
 慌てて付け加える。キラはもう完全に覚醒していた。
「私、ティフェレト様と離れたくないんです!」
「わかっていますとも」
 コクマーは甘く微笑む。その微笑をキラは疑いもしない。
「キラ様? 普通女性が男性のものになるとき、何をすると思われますか?」
「え……」
 キラは当惑して、コクマーに答えを求める。
「……ですよ」
 笑ってコクマーはキラの耳元で囁いた。顔を離して、コクマーはキラが返答する前に言った。
「今なら大丈夫です。彼も貴女を受け入れてくださいますよ。……頑張ってください?」
 コクマーはそう言って、部屋の扉を静かに締めた。キラはまじまじとティフェレトの顔を見つめる。少し、顔色がよくない。もしかして、自分を逃がしたことで、罰を受けたりしたのだろうか。それなら、申し訳ないことをした。
 ナックには会って謝りたいとは考えていたものの、逃げ出したいなどと思ったことはないのだ。
 キラは飽きることなくティフェレトが目覚めるまで、ずっとずっとその顔を眺めていた。

 ティフェレトはゆっくり目を開けた。頭が痛い。体がだるい感じがした。窓から月が顔をのぞかせている。そんなに時間が経ったんだ……。
 ティフェレトは額に手を当てた。そうしてゆっくり、思い出した。自分を造ったと言った男、初期化を解いてやると言われて思い出した何か……。わからない。
 自分が兵器だと、ケテルの元に軍人が現れたときにそのことは自覚したつもりだった。
 ケテルのために、人を殺すことに何も苦痛などなかった。このままケテルと共に過ごしていくんだと思った。甘い考えだった。時間は流れる。何も変わらないわけがない。
 ……それにしても、自分が兵器ということに衝撃を覚えているということは、自分は人間でありたかったのだ。本心は人としてケテルと一緒にいたかったのだ。
「馬鹿みたいだ」
 一番、自分を人として扱ってほしかったんだ。ケテルに。いや、人間ということを教えてくれたから。
 自分がゲヴラーに言ったのだ。偽者であってもケテルがいれば、ケテルが変わらずに自分を扱ってくれれば、いいのだと。
 しかし、現実的にはどうだ? 自分と同じ顔を持っているだけであんなに動揺した。
「ティフェレト様」
 ティフェレトの思考をさえぎった声があった。ティフェレトはベッドのそばに佇み微笑んでいるキラを見て、愕然とした。
「……どうして、ここに?」
「魔法使いの方が連れ戻してくださったようで……」
「何で、帰ってきたの?」
 ティフェレトは今まで考えていたことと別の恐怖がわきあがってくるのを感じた。彼女がここにいる。自分の影といわれる少女が。即ち、自分と似ている彼女が。そう思った瞬間、全ての事が一つにまとまった。
 ――ぼくは、結局自分の居場所を失うのが怖いだけ。自分の代わりになってしまいそうな人間を遠ざけてしまいたいだけ。ぼくはなんて醜い……ケテルのそばを独占したい、醜い人形。
 だからキラが怖かった。自分の内面の表裏一体の影という存在が、彼女に負けたらケテルを失う。
 ギメルが怖かった。だから殺した。自分の居場所を失ってしまうと思ったから。
 あの男が怖い。それはケテルが創ってくれたぼくの世界を壊す人間だから。ぼくの今の世界が壊れたら、ぼくはこの世界に帰れない。
「魔法使いの方に聞きました。私がいけなかったから、離れてしまったんだと」
「ぼくは……」
 君を遠ざけたかったんだ。ぼくの為に。ティフェレトは声に出せなかった。出してしまったら負けているようで、ケテルのそばにいられなくなってしまうような気がして。
「だから、今度こそ、繋ぎ止めてください。私を貴女だけの物にして欲しいのです」
「え?」
 ティフェレトの目の前でキラが服の結い紐を解き、服がすとんと床に落ちる。呆然として動けないティフェレトに抱きついて、キラは囁いた。
「……私を、抱いて下さい」
 そうしてティフェレトの唇に己の唇を近づけた。

 驚愕にティフェレトの蒼い瞳が見開かれた。

 薄暗い石の壁が続く広い空間。ケテルはそれに蝋燭で一つ一つ、灯りを点していく。オレンジ色の小さな炎が少しだけこの空間の雰囲気を暖かなものに変える。
 見渡すとそこにはワインレッドの絨毯が一面に引かれ、趣味のよい家具がいくつか置かれている。ここで過ごす事を考えられた空間だった。しかしここは唯一つの空間であり、窓もなければドアもない。だだっ広い閉鎖的な部屋だ。
 中央に小さめのテーブルと何脚かの椅子。ケテルはその奥に蝋燭を持って進む。そして奥の燈台に明かりを点した。暗闇から浮かび上がるのはいくつものベッド。
 どれも同じ型で数は10ある。そのうちの大半が使われていない。ケテルはビナーに左から三番目のベッドを示した。ビナーも頷いてそのベッドに己の影を横たえる。
「これで三体……まだ先が長いようだな」
「ああ。みんながんばってはいるけれどね」
 ケテルは首をすくめて笑うと中央のテーブルに移動した。ビナーもそれを追う。二人は再び向かい合って座ると、同じように語り出した。
「さて、どこまで話したか……。ああ、我がどうしてコーリィに付くようになったかだったな」
「うん。さぁ、話して」
「ああ」
 ケテルの笑みに釣られるようにビナーは普段あまり使わない自分の舌を存分に動かした。

 ビナーは飾り気のない女だ。自覚もしていた。永い時を生きてきたビナーにとってすべての事象はつまらぬものに過ぎなかった。すべてが空虚であった。それが賢者の運命。行き着くところに行ってしまった者の末路。
 過去の自分は魔術に没頭した。のめり込み、逃げられなくなった。いわば魔術の虜。そんな半ば死んだような者が、どうやって己の美しさを磨けようか。子孫を残そうと足掻くだろうか。
 女が自分を飾り、美しくあるのは光り輝いている時のみ。飾る必要がなくなった女に、男など求めてもいない女に化粧や服装、アクセサリーなどは不要で、無用だ。そうなってしまってビナーは自分の格好に囚われなくなった。黒が好きなのは魔術に最も近い色だから術の使用に便利だからだ。
 まぁ、今思えばこの程度の力にもなると服装には囚われないのだが。前髪を切らなくなったのは人前で表情を変えるのが面倒だからだ。賢者は世捨て人ではない。人間の分類から抜け出せない中途半端な死人だ。だから普通の人間にはちゃんと接しなくてはいけない。それを大帝の剣も望んでいた。
 賢者が付き合う貴族は大事な客、というのが大帝の剣の言い分だった。だからビナーはそれに従った。一応、大帝の剣が言う事は筋が通っているからだ。そうして、すべてではないが、仮面を被った自分とコーリィの擬似的な恋愛関係が始まった。
 コーリィは背徳を愛していると言った。しかしそれは難しそうに言っただけで結局欲望の虜になっただけの話だ。ビナーは長い時間を生きてきたのだからそれなりに知識はある。同性とどうやってやるか、知らないわけではなかった。
 経験したことはないが、経験してみたいと思ったことはないし、その経験がビナーを変えたわけでもなかった。それでもコーリィはビナーとのその関係を、行為を愉しんだ。それは溺れるように、夢中に。それをよく思わない常識人がいた。
 コーリィの妹、ローズマリーだ。しかし残念な事に彼女は子供だった。思考は単純で他人の意見に流されやすく、一つの事を一方的にしか捕らえられない純粋な子供だ。
 しかし子供は大人よりも敏感なものだ。ローズはビナーから溢れ出る魔術の気配を感じ取っていたのだろう。魔術はただ人には危険なものだ。古来より敬遠されるべきものだ。それを扱うから魔法使いはよく見られないのだ。
 ローズは見た目も中身も危険な存在をどうやって排除しようかと思っていた。ビナーにはそれがよくわかっていた。コーリィについていたのは大帝の剣がそれを望んだから。
 コーリィ自身から拒絶してくれればこの面倒な付き合いも終われる、そう思ってローズに手を貸してやることにした。
「ねぇ、大帝の剣って賢者の中じゃそんなに偉いの?」
 ケテルが尋ねた。
「ふむ……。そういうわけではない。賢者は超越者だ。力に多少の優劣はあっても従わせるような関係を結べるものはいない。だから権力など存在しない。賢者はお互いに均等な位置づけを守っている。そもそも相手を使ってやろう、従わせようなどと思っていたならばそいつは賢者ではないのだ」
「なんで?」
「世捨て人ではないだろう? 死人ではない。我らは魔術において超越者だがそれ故に半分屍なのだ。それが賢者というもの」
 ケテルは頷いて、ビナーに言う。
「じゃ、なんで大帝の剣の言う事をきいていたの? ビナーなら従わなくてもいいじゃない」
「我ら賢者がなぜ集うと思う?」
 教師のように答えをケテルに導かせようとビナーは逆に問う。
「他人などを気にしない我らが集うのはどうしてか、それはなケテル。……暇つぶしだ」
 がくっとケテルが呆れた顔をした。
「賢者って変人で暇人でありえない」
「ふふっ。そうだな」
 ビナーは違いないと笑った。
「そんな暇人だ。生きているだけではつまらない。少しは人間らしく生きたい。だから集う。だから話し合うのだ。面白い事ないか? とな……だから皆、大帝の剣の言う事にしたがっているのだ」
「へ? それがどうして?」
「大帝の剣が少しでも刺激を与えてくれるなら、と従うのさ。そうだな、賢者の間は従うというよりかは、お願いをきいてやるという関係に近い。自分が関わるのに皆他人事のように過ごすのだな」
 ビナーはそうまとめた。
「なに、じゃ、お前の言う事聞いてやるから少しは刺激的な日々を過ごさせろよってワケ?」
「そうなるな」
 ケテルは溜息をついて目を閉じ、肩を大げさにすくめた。
「やっぱ賢者って変だよ」
「変を通り越しているのが賢者だとも、ケテル」
 ビナーはそう言って話を本題に戻した。