TINCTORA 013

044

 魔方陣の光が消えて、三人がいつものサロンに姿を現したときには、目の前に仁王立ちになっている人物がマルクト達の帰りを待っていた。
「お帰り」
「た、ただいま」
 黄緑色の目が感情を映さずにマルクトを責めるように見ている。
「僕になにか、言う事があるんじゃない? マルクト」
 ホドはにっこり笑って言った。びくぅっと一歩後に下がるマルクトはイェソドに抱きついた。いつもと立場が逆転している。イェソドが困った顔をして言った。
「マルクト、悪い、異なる。イェソド、望む。マルクト、叶える」
「うん。わかっているよ。でも僕言ったよね? イェソドの思考能力が無い代わりに君が行動を制御するんだよって。ねぇ、今回のことはケテルに聞いたよ。僕も。確かにケテルが悪い。僕も一枚噛んだ。だから、お散歩に行くことを怒っているんじゃないんだよ? 言いたいこと、わかるね?」
 一気にホドはマルクトを責めた。
「う、うん。ごめんなさい、ホド」
「わかればよろしい。二度としないって誓えるね?」
 ホドの言葉にマルクトはこくこく首を縦に振り、真似なのかイェソドも同じ行為をした。
「で? どこに行ってきたの?」
「ケゼルチェックの外れの森に」
「……そう、何かしたことは? いつものヤツ以外で」
「森の……狼と契約を」
「そう」
 無言で顎に片手を当て、考え始めたホドを不安そうに見上げるマルクトとイェソド。
「許してあげなよ。僕が許可したんだから」
 ケテルがそういうので、そうそうと言わんばかりにマルクトとイェソドが頷いた。
「だいたい、君が無責任な事ばっかりするから! 決めた! ケテルに罰ゲームです!!」
 最初こめかみに手を当てて唸っていたが、吹っ切れたのかホドがそう高らかに宣言する。
「え」
 戸惑ったケテルが表情を固まらせる。
「さぁて、ケテルが一番嫌がる特別な罰ゲームを考えなくっちゃ。マルクト、もともとケテルが悪いんだし、君らの罰も受けなかった事だし、いい機会だよね?」
「うん!」
 目を輝かせ、マルクトが頷く。
「ちょ、裏切り者!」
 ケテルが目を見開いて講義する。それを無表情でティフェレトは眺めながら、ただ、そこに立っていた。
 最近思考が途切れる事が多くて、今のように何も考えられない。後頭部がずきっと痛んだ。あの男、ぼくに何をしたんだろう。それを見ていたかのように、無機質なイェソドの瞳と目が合った。
 一瞬、自分の状態を察知されてしまったんじゃないかと思ったが違うようだ。
『常勝の女神が敗戦を強いられし時、かの栄光と誇りに傷がつかん。復讐の手を緩めるな。女神が虐殺の汚名を背負うならば、光り輝く栄光こそが汝の汚名をそぐことになろう。剣を持て。旗を掲げよ。戦場に翻る旗の向こうにこそ、汝が求めし未来がある』
 すっと立ち上がってそれだけ言うと、いつものイェソドに戻る。
「予言、か。これで何度目?」
「四度じゃないかな?」
「ううん。違うの。最近イェソド予言する事が多くて……。星回りがそうなら構わないんだけれど、ボクの力が落ちているなら……」
 マルクトが自信無さそうに、呟いた。
「それはないと思うぜ?」
 ゲヴラーが横から口を挟む。
「イェソドの予言って俺達が影を手に入れるときに言うんだろ? じゃ、今度もそういうことじゃないか? 俺とビナー、ティフェ、調子よく影手に入れられてるじゃん」
 ホドが頷いて足すように言った。
「今度の予言が誰を指すかによって、僕も対策を立てる必要があるね」
「いつも思うけれど、ホドってそんな自分が計画して通りに物事が進んで楽しいの?」
 ケテルが不思議そうに尋ねる。それを意外そうな顔でホドは聞いた。
「楽しいよ?」
「なんでさ?」
 今度はゲヴラーが聞いた。
「君みたいな殺人狂と一緒にしないでよ」
「失礼なやつ!! ケテル、俺はケテルの味方だ! ホドの罰なんて受ける必要ないぞ!!」
「あ、ダメ! ケテルにはボクらの罰も含めて受けてもらうんだから!!」
 やはりぼぉっとした意識下でティフェレトはゲヴラーとマルクトが言い合うのを聞いていた。頭の中では全然知らないはずの、でも懐かしい声が響いていた。
(どうして? そんな決定従えないわ!)
(ヘキサのためよ! 彼のためにはこうするしかないじゃない! 私だって辛いのよ。でも、あんな彼……もう、見てられないじゃない)
(俺だってそう思うよ。もうあれはヘキサじゃない)
(だって、彼、言ったのよ。殺してくれって……。叶えてあげましょうよ、私たちで)
(このままじゃ、ヘキサがかわいそうすぎる)
(私たちが、使う価値がないと判断させれば……あるいは)
(そんな! 私たち、そんな……。じゃあ、私たち、何のために生まれてきたの?)
(人を殺すためよ)
(名前の通りね)
 ……ヘキサって、誰?
「ティフェ! ティフェレト!」
 呼ばれた事に気付いて、はっと顔を上げる。今まで何をしていたんだろうか?
「どうかした?」
 ケテルがその空色の瞳で見上げてくる。キラを影に落としたときから、ケテルはティフェレトに優しくなった。それはそれで嬉しいが、なにか怖い。
 ――この後、これ以上の幸せなんか訪れない気がして……。

 ナックがクァイツにティンクトラがケゼルチェック地方に潜んでいるという確信を告げたその次の日、エルス帝国は隣国・リュードベリ帝国との開戦を宣言した。

「よろしくお願いします、ヴァトリア将軍」
「いえ、こちらこそ。手紙が届いたと思うのですけれど、将軍同士で話し合った結果、あなたには研究室が与えられることが決まりました。魔法とのことですから、一応、あちらの塔にしました。で、あなたの研究材料ですが、こちらが個体数、能力値を管理しますので、それを書類にして提出してください。では、ティティス・アバル・ギブアルベーニ殿に南方大佐を任命いたします」
「ハっ! 謹んで拝命いたします!!」
「よろしい」
 結局、こうなるわけよね。と内心溜息をつきつつ、ネツァーは言った。
「では、今から軍法会議を行います。ついて来なさい」
「ハ」
 ネツァーはそう言ってティティスに背中を向けて歩き出した。せっかく戦争になったのに、コイツと一緒じゃ、好きに出来もしない。でも、戦争に入ってしまったのだ。もう、後戻りも、弱音も自分には許されない。
 そう気合を込めなおしてネツァーは中央会議室の扉を開けた。
「みんなに紹介するわ。今日から私たちの仲間になるティティスよ」
 挨拶しようとするティティスを押し留めて、挨拶はいい、と目線で言った。
「状況は?」
「予想していた通りですね。開戦宣言を行ってから、リュードベリが行ってきた攻撃は5回。いずれも退けました。船からの攻撃がメインですね。一応、我が軍の船は堕ちていないです」
「当たり前よ。リダー軍はこの前のこと、どう返答してきている?」
「無理なようですね」
 開戦したばかり、というのもあるだろう。今、戦況はそんなに進んでいない。威嚇している程度だ。今回の戦争ではちょっと地理的な事情でエルスが不利なため、警戒しているのだ。
 リュードベリ帝國はエルス帝國の隣国に当たる。よって本来、戦場となるのは陸地になるはずだ。もちろん、陸地が戦場になることを予想して、リュードベリ帝國との国境を持つ、公爵の私軍はすでに配置されている。それに陸地での戦闘なら慣れているのだ。いつもと同じように戦えばいい。
 ケゼルチェックは地理的情報だけなら関係ない、ハズだった。
 今回、エルスが困っているのはエルスと戦争をして勝てる見込みのないリュードベリがクサンク帝國と同盟を結んでしまったからだ。クサンク帝國はリュードベリ帝國の隣国でエルス帝國と同じくらい大きな国だ。エルス帝國はリュードベリ帝國とクサンク帝國両方と戦争をすることになる。
 戦力、国力ですでにエルスは不利な立場にある。一番は、エルス帝國が海戦慣れしていないこと、ここら一体の地域の海は巨大な湾のような形をしているのでリダーが堕ちれば本土決戦になる事だ。つまり、リュードベリとの長く、広い国境上の戦場に足してケゼルチェックでの本土決戦を迎えなければいけないことになる。どうしても、それだけは避けなければならない。
 こういう見方は大雑把だが、エルス帝國をおおよそ四角形の国土だと仮定すれば、4辺中2辺。つまり国境の半分を戦場にしなくてはならないことになる。エルス帝國にも同盟国はある。北方、ダンチェート帝國だ。実はエルス帝國とダンチェート帝國は数年前まで戦争していたが、いまは同盟国になっている。
 だが歴史なんてそんなものだろう。国と国の利害が一致しなければ、戦いもするし、仲間にもなる。思えばリュードベリ帝國だって今は同盟国のクサンク帝國と数年前まで戦争しており、エルス帝國の力を借りてクサンク帝國を退けたことだってあるくらいだ。
「あの、船の上で戦えないのは、やっぱり揺れるから、ですよね?」
「大きな理由はそこですね」
 ホドが優しく微笑んでティティスに言った。
「なら、私が制作している兵器を使ってみてくださいませんか?」
「……重火器ですか?」
 ホドは何も知らないフリをしてそう、尋ねた。ティティスは首を振って、人間兵器ですと答えた。
「馬鹿なことを言わないで。使える訳ないじゃない」
 ネツァーが横からそう、怒鳴った。何故かわからない顔をされる。
「考えてみてください、ギブアルベーニ大佐。船上の戦いでは揺れることも問題ですが。距離も問題ですし、海は陸よりも風に左右されます。それに加え、船上での戦いは船の面積と体積、戦力も限定されます。波も大きな問題です。陸地での戦闘よりデリケートな戦いになるんです」
 思わず口を挟んだ部下に頷いて、それでもティティスが言った。
「距離って船と船の間ですか? なら、近づいてもらって……」
「戦争の常識も知らないヤツはこれ以上、口を挟まないで。時間の無駄」
 ネツァーの声が響いた。ティティスは驚いた表情をして、口を閉じた。
「十公爵はどう考えているの?」
 ネツァーがホドに尋ねた。
「僕らと同じだ。リュードベリとの国境はお互いが攻略を知っている。戦況は変わらないだろう。だからこそ海戦に的を絞ってくる。そちらは東方将軍に任せれば問題ないだろう。そうそう、困っていた武器だけれどね、クルセス卿がくれるそうだ」
「それは、大砲をくれるの? 今更個人の武器なんか渡されても困るわ」
「いや、船上での直接戦闘に備えての銃、と聞いているよ」
「船上の戦いなんて分が悪いことすると思ってるのかしら。潮風に耐えられる造りなんでしょうね?」
 ネツァーがそう言うと、部下の一人が答えた。
「砂嵐が大丈夫なんだから、平気なんじゃないですか?」
「馬鹿ね! 湿度が違うじゃない。それに腐蝕作用もね」
「そう。それに飛距離は短いものの方がいい。仲間を撃ってしまう可能性だってある。陸地線では銃を撃てばいいけれど、海ではそうもいかない。海で銃を撃ったって、海に銃弾を捨てるようなもんだ」
 ホドは自分でそう言って、考え込んだ。さて、どうしたものか……。

 部屋で寝転がるケテルの元にはコクマーが隣に居た。
「君は公爵としてなにもしなくていいのかね? ホドに任せ切りの様だが」
「うん。今一番楽しくなる時期でしょ? 僕が邪魔しちゃいけないと思ってね」
「そうか。では興味本位で訊くが、この戦争、きみならどうする?」
 ケテルは本から目を離して、笑った。
「クサンク潰す」
「無理なことを言うね。クサンクに攻撃を仕掛けるには海からしかない。しかし、我が軍は海戦が苦手と来ている。なら、攻撃できないじゃないか」
「簡単だよ。お前とビナーをクサンクに送り込んで王族を皆殺してしまえばいいんだ」
 その発言にコクマーが笑い出す。
「子供だな、ケテル。ホドが君に任せない理由がわかる気がするな」
「そう。どう考えても浅はかで誰もやろうと思わない。だからいいんじゃないか。馬鹿らしくて。面白いと思うよ。それと同時に恐怖を植えつけることができる」
 けらけら笑いながら言うケテルにコクマーは呆れ顔だ。ケテルの教育係は実はコクマーとビナーであるだけに、自分は何をやっていたのかとさえ思ってしまう。
「私は何も面白い答えを望んだのではないが?」
「じゃ、マジメに。クサンクの隣の国、なんだっけ?」
「それ位、覚えていないのかね?」
「覚えてるよ」
「では、訊くことはないと思うのだが?」
「そうだね。ただ、コクマーを困らせようと思っただけだよ」
 コクマーが脱力する。
「隣国のヴァルマス国と同盟を結べばいい。うまくいけば、ヴァルマスと同盟を組んでいるタヴァチマール、サイズバルムとも同盟が組めるだろう」
「だが」
「わかってる。同盟を組むにはエルスにとってヴァルマスは強大な国。こちらが不利となる可能性は大きい。しかもこちらは戦争を始めたばかり。今、同盟を求めれば国力の弱さを言うようなもの」
 コクマーは頷いた。ちゃんと教えたことは頭に入っているようだ。
「だから、ホドはそうしない。他にも解決方法はある。だからホドは様々な外交案を練っているはず。時を見ているんだ。一番いいタイミングを計っているに違いない。僕が考え付くような方法はすでにホドの頭の中には一度は考えられている。だから、コクマー。僕が心配しても無駄なんだ」
「だから邪魔なだけ、と言いたいのかね? 知らぬところで手助けをしてやるもの主君のすべき事ではないのかね?」
「手助けが逆に余計なお世話になると思うんだけれど……だってホドは天才なんだから。天才に救いの手なんて必要ない。天才は孤独であるが故にその存在が輝かしいんだよ」
「そう、自身が辺りを照らしすぎて、何も近寄れないのだね」
 コクマーがいつものように含み笑いをする。ケテルは頷いて本の世界に戻った。だが、しばし、本の文字を追いつつ、違うことを考えていた。
 ――そう、ホドは天才なんだ。だから僕の助けは必要ない。

 あれは、いつのことだったか、ケテルがまだ子供で、両親が生きていた頃、幼馴染のネツァーが、薄汚い少年を連れてきた。
 あの頃はまだ、ネツァーじゃなくって、レナードって呼んでいたな。ホドに薄汚れたのは身の上だけじゃなくて、髪の毛の色も、瞳の色も性格もだねって馬鹿にしたのを覚えてる。
 そんなこと言ったのに、ホドは褒め言葉として受け取るよって見事な笑顔を浮かべたんだっけ。