TINCTORA 014

050

「やってくれるじゃないか。お子様公爵」
 ティティスは部下からの報告を聞いて怒りに肩を震わせた。そのオーラに部下がじりっと下がる。
「申し訳ありません。我々が力及ばず」
 ウーススが言うとティティスは頷いただけに留めた。
「お子様公爵はその傲慢さでずいぶん腕のいい手下を集めたようだね。クァツトゥオルは大丈夫?」
「はい、マスター」
 ティティスが今得られた物は何もなく、全てこの場所以外の研究所は破壊され、魔法の一欠片も施設そのものも破壊され、残っていない状況。
 それに加え、プロダクションナンバーを三体も失った。そして監視の目であったクァツトゥオルの目も破壊され、敵の情報が得られなくなった今、ティティスが打つ手は考えざるを得ない。
「どうしてやろうか……あのプライドもなにもないクズを殺してやろうか……それとも賢者を引き抜いてやろうか、どうすればケゼルチェックを再び地に落すことができるか。最大限の苦痛と恥辱に合わせて! 忌々しい南の血めが!」
 ティティスは独りで怒鳴ると、口に指を当てて考える。
「あのクズ、今度は父上に抱かせてみようか。アイツも今なら地位も名誉もある。恥辱に耐えられないかもしれない。それで自害すればいい……いや、それであのガキはどうするか」
 何もケテルの父親の代からソロモンとケゼルチェックは仲が悪かったわけではない。
 これはまさに因縁。この国の建国当初、この国は北を中心に発展していった。それはティティスのソロモン領も含まれる。だが、戦争で得た領土は植民地となり、従順な民が集まれば自治権を与えた。そこで始まったのが公爵制度。
 ソロモンと対立していた一派が南を自治、ソロモン派が北の自治を任された。もともとの国土ではないのに体等を主張し、皇帝の次に偉いと錯覚する。
 それが北の五人の公爵には気に食わなかった。逆に南は皇帝じきじきに命令され南を豊かに如いては帝國のために努力した公爵たちはただ与えられた環境を享受し、のうのうと暮らしているだけなのに偉そうにしてくることが気に食わない。
 一番広い領土を持つ北のソロモン、南のケゼルチェックを筆頭に公爵同士は争い始めた。現在は公爵同士の関係に変化があるものの、ソロモンとケゼルチェックが憎しみ合う連鎖だけは続いている。
 ケテルの父を落としいれ、殺した時は最高に幸せだった。ソロモンでは密かに祭りを開いたものだ。だがケゼルチェックは再び戻ってきた。国に、政治に、すべてに。その上恨みを晴らすとでも言わんばかりにすべてを根こそぎ奪おうとしている。
 南方将軍の差、前戦争での数々の栄光、港、国交、豊かさ、政治における地位!
「せっかくこちらの勝利で終わらせられたものを」
「マスター。彼が最も大事にしていたものはイコサです。恋人のように扱っていました。一番良いのはイコサを当初の目的どおりに奪うことだと思います」
 ノウェムがそう言うのでそれもそうだ、とティティスは思いなおした。
「お任せください。必ずや」
「ああ。その為にお前を造ったのだから」
 ノウェムは頭を垂れて身を翻した。

 過激派とナックが勝手に名づけた例の赤い神父服を着た連中は別問題としてクァイツが処理してくれることになったのでナックとしては肩の荷がひとつ下りた感じだ。
 ナックたちはあれからケゼルチェック内を神父として歩き回り、情報を集めたところ、ホドクラー卿もクレイス公も市民からは慕われている人気の貴族であることが判明した。
 聞きまわらなくてもケゼルチェックの様子を伺えばわかることだった。同じ国に住んでいながらクルセスとはどうしてこうも違うのか。それと同時にケゼルチェックの統治の仕方が素敵だと正直に思えた。こんな風にしてもらえるなら厳しい冬も閉鎖的な土地も満足行かない経済状況も何とかなったんではないかと思えてしまう。
 ナックはクルセスから出て社会というものを知った。今までクルセスのファキという限られた空間でしか生きてこなかった。また、そこで一生を過ごすと思い込んでいたからこそ社会に目を向けなかった。
 この国のレジスタンス活動も他国との外交も、他の領地がどんなところかなんて興味さえ抱けなかった。
 ファキがなくなって国をうらんだ。国をうらんで、国の仕組みを知った。
 クルセスを出て同じ国でもこんなに違うことを知れた。ナックは偶然この生活になった身の上を嘆かなかった。それどころか最近はクルセスが、ファキが悪かったのではないかとさえ思ってしまう。
 親父さま、村長さん、死んでいったみんなに申し訳ないがもともとルールを破ったのはファキなのだ。
 でもその反面そこまですることはなかったんじゃないかとも思う。広い視野を今まで持たなかった。でも、今は狭い視野でも広い場所を見なくてはならない位置にいる。
 異端審問は本来エルスに留まっている舞台じゃない。ティンクトラが解決したならばナックもエルスを出ることになるかもしれない。
「ナック、また考え事?」
「あ、ごめん、心配かけたみたいだね」
 ナックは急いでネグロに謝った。彼は優しく微笑んで言う。
「明日公式文書を携えてクルセス公とご対面なんだから、寝不足はだめだよ」
「ああ、ちょっと外の空気を吸って寝るさ」
 ナックはネグロにそう言って外に出た。今いる場所は教会の中でも結構大きいものでケゼルチェックの中央にある。周りは広い場所になっているが教会の裏は雑木林だ。
 ナックは森が好きだ。故郷のクルセスを思い出す。まぁ、ここは地面は白くないし、針葉樹の木しか生えていない森ではないけれど。木々と触れ合って心を落ちつかせる。ナックはそうやって緊張を和らげてきた。
「ったく相手は俺と変わんない年だってのに……」
 自分で笑ってしまう。明日はクァイツも一緒にいてくれる。何も心配することはない。
「あら? 神父様?」
 ナックは急いで声のする方角を見る。するとそこには陰になっていてよくわからないがおそらく女性がいる。こんな夜中に彼女はどうしたんだろう?
「どなたですか? こんな夜中に」
「人を待っているんです」
 雑木林の影から女性の輪郭が現れて月明かりを浴びてその姿があらわになる。ナックはその瞬間目を見張った。
「……!」
「あ、ごめんなさい。ついうっかりしてしまいました。いつもは隠してるんです。悪魔って言われて嫌われるものですから……」
 そう言って目を逸らした少女の瞳は赤かったのだ。ナックは赤い目の男、ゲヴラーを思い出して驚いたがゲブラーのこともある。赤い目というだけで嫌悪してはいけない。
「こちらこそ、申し訳ありません。ただ、驚いただけです」
 ナックはそう言って微笑んだ。
「人を待っているってこんな時間に誰か……?」
 その先は続けない。駆け落ち? それとも誰か帰ってくる?
「古い古い恋人です。さっき呼んだから来てくれるって信じてます」
「恋人、ですか?」
 駆け落ち、だろうか。じゃこんな場所で待ち合わせってのも納得できるかなってナックは思った。
「そうなんです。これから……殺すんです」
「え!」
 少女は悲しそうに笑ってナックの鳩尾を蹴り飛ばした。
「ぐっ!!」
 神速の蹴り。こんな真似は彼、ティフェレト以外出来ないと思っていた。しばらく動けないほどの衝撃。ナックはその場に倒れ、動けないどころか息さえ詰まった。
「神父さまは殺しを禁じられるでしょう? 邪魔されたくないんです。だって……このためだけに私は生まれてきたんです。私の存在意義を果たさせてください」
 少女の目が赤く煌いた。そしてナックに背を向ける。
 少女が向き直った先の木々の陰からまるで陰が滲んだような漆黒が揺らめいて、ナックの知る顔が夜闇に浮かび上がる。
「夢にまで出てきてぼくを呼ぶ。なんだ、お前」
 ティフェレトは不機嫌そうに少女と対峙する。
 ナックは目を見張った。ティフェレトはナックが見たときはいつだって無表情で無感情。そんな人間だったのに……。
 今のティフェレトは無表情の中に嫌悪感を滲ませてその瞳を暗くさせている。キラを大事にしてあげられるのは君だと言ってくれた敵なのにまるでナックの味方をしてくれているようなティフェレトとは全く違う。
 それにいつもなら状況を把握している彼が倒れ伏しているナックに目も向けない。目の前の少女しか見えていないのだ。
 その目がナックには恐怖に映った。あの目はヤバイ。本能がそう告げている気がした。
「来てくれたのね、うれしいわ」
「馴れ馴れしい。やめろ」
 ティフェレトの声はいつもより低い。怒っている証拠なんだろうか。それに少女はさっきとは別人のような態度になっている。さっきナックと話していたときには感情なんて感じられなかったのに今はティフェレトに会えたことで本来の少女の姿を見ているような……。
「そろそろ思い出さない? 私のこと」
「お前なんか知らない。もうやめてくれ。ぼくを掻き乱してそんなに楽しいか?」
 白い腕がするっと伸びてティフェレトの頬を触った。
「やめろ」
「でも、払えないでしょう? この手を……どうして?」
 少女の言葉にティフェレトは顔を歪め、少女の手を思い切り叩いた。
「うるさい」
「躰が、その器が私を記憶しているからよ」
「お前なんか知らない」
 ナックはこの状況を理解できなかった。少女はティフェレトを恋人で殺すといい、彼は少女を知らないといい、嫌っている。
「一体何人殺せばお前たちはぼくを諦める?」
「少なくとも私が最後ではないわね」
「お前が一番腹が立つ。毎晩毎晩夢に出てきてぼくを脅す。ぼくに囁いてぼくに毒を吐く! お前がいるからぼくは眠れない。……とりあえずお前を殺せば、この悪夢は終わるんだよね?」
「それは貴方本来のもの。私はきっかけに過ぎないから私のせいじゃないけれど。でも嬉しいわ。……怒り、その感情をようやく取り戻せたのね? イコサ」
「呼ぶな!! それはぼくの名前じゃない!」
 ティフェレトは叫んで少女にナイフを向けた。少女は愛らしく微笑んで迎え撃つ。
「知っているはずでしょう? 私を」
「黙れ!」
 ナックはこんなに感情的なティフェレトを初めて見た。
 感情的なのに瞳はいつもより暗い。感情に任せて動いているように見えて的確に急所を狙っている。
 二人の人間の攻撃速度はナックでは追いきれない。音が後から聞こえてくる。
 笑う少女も怒るティフェレトもお互いに洗練された機械のような動きで攻撃を仕掛け、防ぎ、攻防を繰り返す。
「ねぇ、過去の私はあなたに何て言ったの?」
「黙れ」
 ティフェレトの頭の中にプレイヤーが存在するかのように勝手に流れ出す音声。
(二人だけに……なっちゃったね)
(でも、いいの、イコサがいるから)
(もし、前みたいに俺ら二人が戦うことになったら……迷わず俺を殺して)
(君がいればいいから)
(誰の決意も無駄にさせない)
(生き残るの)
(自由になるの)
(イコサ、……
「こう言ってなかった? ……

愛してる」)

「やめろ!!」
 ティフェレトが少女、ノウェムに飛び掛った。
 ナイフが激突して互いのナイフの刃が折れる、使い物にならない武器を捨てたのは同時。
 ティフェレトは舌打ちをしてもう一本ナイフを構えようとした時、ノウェムがティフェレトの鳩尾にパンチを叩き込んだ。
 げほっと大げさな咳をしてティフェレトは吹っ飛ばされる。しかしナックとは違って空中で体制を整えて後方に着地した。が、その瞬間に大量に血を吐いて身を折る。ティフェレトは腹の部分を押さえて膝を地に付き、それでもノウェムの姿を睨んだ。
 ティフェレトが受けた攻撃を見てナックの時は手を抜いていたんだと思い知らされる。ティフェレトの腹はパンチの衝撃で内臓が見えていた。皮膚がパンチの威力で吹き飛んだのである。
「イコサ」
「よぶな」
 ティフェレトは血を吐きながらそう言うとその姿を消した。加速だ。彼はまだ、あきらめていない。瀕死の重傷、普通の人間なら動く事も、意識を保つ事すら難しいダメージを負ったはずだ。現にティフェレトがいた場所には大量に血液が残っている。そんな身体でまだ、戦うのか。まだ諦めないのか。
 ナックが理解した瞬間、少女の体を貫いてティフェレトの腕が生えていた。ノウェムもまた血を吐く。その血でティフェレトの顔が濡れた。ティフェレトの瞳から暗さが抜けていく。
 一瞬、ティフェレトの顔にノウェムを仕留めた悦びが浮かぶ。腕を抜こうとしたティフェレトの腕をつかんでノウェムは口から血を吐きながら微笑んだ。
 離せ、という声が聞こえそうな目をしてノウェムから腕を引き抜こうとするティフェレトにノウェムは悲しそうな顔をして近づいた。ティフェレトの目が見開かれる。
「大好き、イコサ」
 ノウェムはそう呟いてティフェレトに口付けると全体重をティフェレトに預けて―死んだ。

(大好き、イコサ)
 ――私は、あなたの彼女じゃないけれど、私はこのためだけに生み出された。このためだけに彼女に似せられて彼女と同じ能力を手にした。でもね、不思議と貴方を恨んだりはしなかったのよ。
 ……どうしてかわかる?
 それはね、彼女と同じ人を……好きになっちゃったから、と信じたいわ。
 ねぇ、わたしたち、人を殺した。ううん、人を殺すためだけに生まれてきたの。でも……
 誰かのために生きたって証をもらってもいいわよね? イコサ。

 ティフェレトの動きの全てが止まった。目が、視線が彷徨う。
 青い瞳は驚愕と恐怖に染まり、焦点が合わないためにノウェムの体と彼女から生えている真っ赤な自分の腕を行き来した。
「あ、ああ……あああ」
 ――始めは、弱々しく。そしてティフェレトの身体が震え出す。声も漏れてきた。
 抱きついたような姿勢で命を失ったノウェムはティフェレトの過去を完全に蘇らせた。
「あああああああ!!!」
 ティフェレトが絶叫する。ナックはただただ、戸惑った。
「また、俺は……っ!! 俺は、俺が……!」
「殺したな?」
 ナックははっとした。気配も足音も何もかも感じなかったのに今この瞬間には、目の前に男が立っていた。
 貴族だろう。美しい身なりをしたクァイツより少し若い男だった。
 だが、ティフェレトはこの男の声を聞いて息を一瞬止める。呼吸は荒くなり、肩で息をするようになった。
 それに先程少女から受けた怪我もある。出血量から考えればそろそろ失神してもおかしくない状態だ。
「殺したな? ノナを!!」
 ティフェレトの恐怖を煽るように声高に男が叫んだ。
「違う!!」
 ティフェレトが叫び返した。少女から優しく、今まで生命を懸けた戦いを、殺し合いをしていたような、相手を憎んでいたような相手ではないと言いたげな態度で腕を引き抜くとティフェレトは男を見上げた。
 男は哂ってティフェレトに声を掛ける。
「イコサ」
「なぜ……なぜお前がここにいるっ!!」
 ティフェレトは失血で顔を青くして男に怒鳴った。
「その反応、初期化は完全に解けたようだな?」
「どうして……お前は俺が……あの時に、殺したはず!」
「そう、ノナを殺した後に逆上したお前が私を殺した、そうだな?」
「俺じゃない! ノナを殺したのは、俺じゃない!!」
「いいや、お前だよ、イコサ」
「違うっ!!」
 ティフェレトが感情に任せて怒鳴る。まるで子供のように首を横に振りただ叫ぶ彼をナックは当惑して眺めた。男は益々唇を吊り上げて言い放つ。
「お前はオクタを殺し、ヘキサを殺し、テトラを殺して最後にノナまで殺した」
「違う! 違う! 違う! 違う! 違う!」
 ティフェレトが頭を抱えて蹲った。
「さぁ! 見せてみろ! 最強のキリングドール・ノナを殺した、その力をっ!!」
「いやだぁぁぁああああ!!!」
 男が叫んだ瞬間に一編成された軍隊がどこからともなく現れる。戦車まで三台ある始末だ。この現れ方は魔法だろう。そいつらが一斉にティフェレトに向かって銃を構えた。
 ナックが声を発する間もなく一斉に打ち出された弾丸はティフェレトの二度目の絶叫と共にその威力を失う。
「やめろぉぉぉぉ!」
 ナックは何が起こったか理解できなかった。ただ、一斉に鳴り響いた発砲音が響き渡った瞬間に全てが爆ぜて消え去ったのだ。ナックはぼぉっと辺りを眺める。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
 喘ぐような声はティフェレトのもの。ティフェレトは膝を地に着き、頭を抱えて片方の腕を支えに四つん這いになってその身を支えていた。
 片腕が抑えた顔面の黒い髪の間から除いた片方の目は金色に輝いている。口から血をボタボタ垂らし、苦しげなティフェレトの足元、というか蹲っている地面の中心に光るものは黄色い魔法陣!
「う、うそだろ」
 ナックは呟いた。ナックのような一般人でもわかる濃厚な魔力の気配。あり余る魔力はティフェレトから溢れ出ている。
 魔法陣はまだ発動を終えていない。その証拠に魔法陣は光を弱めたり強めたりと一定していなかった。
 魔法使いではないことくらい知っている。ティフェレトは魔法が使えないのに等しかった。だが、これはどういうことか。
「まだまだ、そんなものじゃないだろう! 私の理論はこんなものではなかった!! さぁ!」
「いやだ、いやだ、殺したくない、殺したくない」
 力が全く籠っていないその手でティフェレトは地面を引っかいた。
「何を抑える必要がある? イコサ。その力は私がお前に与えた絶対の偉大なる力じゃないか? それでお前は唯一の仲間であったノナを殺した。……そうだろう?」
「違うっ! 俺が殺したんじゃないっ!」
「何度も言わせるな。お前が殺したんだよ。我々はそれを見ていた。そしてお前が成功体とわかったのだよ! いい加減、認めろ」
「違う、違う、違う、違う!」
 感情の高ぶりと共に場がミシミシと軋む音がする。その音はこの場所を、すなわち限定された世界さえをも破壊しうる魔力の象徴。
 場が耐えられないような絶対的な魔力がティフェから流れ出していた。苦悶に喘ぐティフェレトは自身の抵抗が発動しようとする魔法に屈するのを必死に抑えようとする。
「認めろ。お前がノナを殺した。イコサ、お前が、だ」
「違うっ! ノナを殺したのは俺じゃないっっ!!」
 感情に流された一瞬、溢れた魔力が完全にティフェを乗っ取った! ティフェレトがしまった、といった表情を浮かべた瞬間に彼の深く暗く青い瞳は両方とも金色に染め上げられた。
 刹那の静寂の後に爆音。ナックは動けなかったからどうして自分が無事かわからなかった。それ程、辺りは何もかもなくなっていたのだ。
 全て一瞬のうちに爆発したかのように、辺りには壊れ、粉々になった戦車と血の湖と、人だったものがあるだけ。
 その爆発を引き起こしたと思われるティフェレト本人は、肩で激しく息をし、苦しそうだった。あれだけの爆発を引き起こしたのにティフェレトの魔法は終わらない。
「素晴らしい! まだ健在だとは、これだけの破壊力!」
 どうやって防いだかはわからなかったが男は興奮して歓声をあげた。ティフェレトはこの魔法を起動すると体力を使うようで、もう自分では立ち上がれない。
 当たり前だ。魔法使いでもない、魔力の制御さえまともにできないのに魔法を、しかもあんな規模で行っているのだから疲労は激しいだろう。
 それに加えてティフェレトは負傷している。そんなティフェレトに男はまだ魔法のさらなる結果を望む。ティフェレトは苦痛で血の混じった唾液を地面に零しながら肩を地面につける。すでに腕で身体を支える事ができなくなったのだ。
「こんなものではないはずだっ! 動け! 見せてみろ! 同じ殺人人形ノナを殺したその力を!」
「違うっ!」
 しかし男に応えるように魔力がまた溢れ出す。

 夜闇にティフェレトの金色の瞳だけが爛々と光る。それとは正反対に彼の悲しい慟哭がこだました。