TINCTORA 017

060

 ケテルは十公爵会議を難なく終える事が出来た。質問されたのは戦争のことばかりだったし、それは普通に考えて予想できる範囲だったから、逆に拍子抜けというものだ。
 まぁ、初心者、子供といった面で他の公爵が遠慮をしたのかもしれないな。
「ケテルさま、あ、いえ。ケゼルチェック卿」
「はい?」
 声でわかったが、笑顔を浮かべてケテルは振り返る。するとホドを伴ったティティスが笑いながらこっちに近寄ってきた。そこに同じく十公爵会議から出た父親カリプソ・デドス・ギブアルベーニが現れた。
 一礼して、ティティスが父親に近寄った。ホドは自然とケテルの背後に付く。
「ティティス、どうした?」
「今日は約束のものを届けに来たんだ。ほら、前に話しただろう?」
 ケテルは黙ってそれを見ている。
「護衛が欲しいって言っていただろう?」
 ティティスはそう言って、背後にいる何ものかを父親に差し出すように、前に押しやった。明るみに出てきた顔はホドが予想した通りのものだった。ふん、つまらないことだ。ケテルの顔を伺う。ぴくりと、眉が動いた。
「ほほう。これか、お前が開発した殺人人形とは」
 影から出てきたのは、深い緑の軍服を着た、ティフェレトだった。少々サイズが大きいのか、肩幅が余っている。無表情でティフェレトはケテルやホドの前でも無反応だった。
「よくできているだろう? まだ、開発途中でとても戦争では役立たないけど、個人の護衛程度なら」
「そうか、助かる。しかし……美しいな、顔立ちが」
 本気でまじまじとティフェレトを見ている。以前の彼なら嫌悪感をにじませただろうが、特に反応はない。
「魔法特性のひとつさ。魔法をかけすぎると造形は我々の感性では美しく変化していくのさ」
「ふぅん。人工の美、か。どちらでもかまわないさ」
「まぁ、暗殺用にも作っているからね、夜伽もできるよ」
「そう、仕込んだのか? お前、そういうこと淡泊な方だったろう?」
 ホドは内心思った。そういうのは二人きりになってからしろよ。や、ケテルとか僕の動揺誘いたいのはわかるんだけども、かなり悪趣味な会話だぞ。
「まさか。部下にやらせたよ。お父様が何を考えても自由だけれど、これは人間じゃない。これは兵器だ」
 ケテルは笑っている。否、微笑んでいる。親子の日常的な会話を聞いているだけの雰囲気を装って。
「兵器、か」
「そうさ。僕の言う事だけを忠実に聞く、僕の人形さ。試してみるかい?」
 鈍い音がしてティフェレトが殴られた。少しよろけて、それでも何も反応しない。
「しかし、ティティス。忠実にさせるのは、何も支配だけとは限らないぞ」
「どういう、意味だい?」
「追い込むのだよ、そのように……な」
 貴族としての年季が違うとでも言いたげに笑う。そしてケテルをじっとりと舐めるような視線で見た。
「そうか、その手もあったね」
「これはこれは、貴重なご意見を私も聞かせていただけるとは……ソロモン卿」
 ケテルは自ら歩み寄った。逆に誘惑するように年上のソロモン卿を見る。
「それにしてもティティスさまは優秀でいらっしゃいますね。このような兵器を作れるとは」
 にっこりと笑う。ホドは面白いと、ケテルを眺め、同じような笑みを浮かべる。
「まさか、ケゼルチェック卿におほめの言葉をいただけるとは、光栄です」
「ティティスさまは私の軍に籍を置いて下さっておりますから、これから戦果をあげていただけると、期待しておりますので」
 ふふ、と笑う。
「そんな……」
 ティティスも恥ずかしそうに謙遜笑いを浮かべる。
「我が君、そろそろお時間です」
 ホドがそう言ってケテルを促す。
「ああ、もうそんな時間? では、せっかくのお話の途中ですが、これにて」
 ケテルはそう言ってソロモン卿とティティスに笑う。ティフェレトには眼もくれない。
「ああ、また。ケゼルチェック卿」
「はい」
 ティフェレトもケテルに視線も向けない。
 完全に遠ざかって、自室に入る。ドアが閉じられる事もない。ホドはそれを追いかけ、ドアをゆっくり閉じた。
「ホド」
「うん?」
「ね、僕……うまく笑えていた?」
 ホドは背後に控えている。決して主君の表情を見ようとはしない。それは、見てはいけないと知っているからだ。
 ケテルが先ほどの邂逅で何を想い、何を感じ、どう、しているのかを。
「ああ、及第点かな?」
「ちぇ、頑張ったのにね」
 しばらくの静寂。ホドには見えないその表情、眼には―涙。
「ホド、戦争はどうなっている?」
「うん。順調だよ」
「順調? うまくいってないって聞いてるよ?」
 視線を合わせないまま、会話が続く。
「うん。大丈夫、順調に『負けている』とも」
「負けるか。……戦争なのに?」
 ケテルの問いにホドは応える。
「……勝つ必要があるのかな?」
「問を問で返すのはきらいだね。まぁ、いい。戦争は最初から君に任せているんだ。好きにしたらいいよ。負けて滅びるもよし、勝って驕るのもいい。君が好きにしてもいい」
 ふふふ、とケテルは笑う。もう、涙は流れていない。しかし流れた跡はある。
「ホド、喧嘩を売られたね」
「ああ。貴族にしては直接的な、そして最低な言い回しだった。あの親子は古典と詩を学ぶ必要があるね」
「ふふ、本当だ」
 ケテルは笑う。
「最初に会ったなら、その時はもっと婉曲で、うまい表現を使うべきだ。あれは喧嘩売ってるって言っているようなもの。さぁ、どうするのかな?」
「もちろん、買うよ。だけど、うん。そうだね、ただ買うだけじゃ、つまらないかも」
 ケテルは笑う。その笑みは透明で、恐ろしく。ここが、怖い。ホドはぞくりと全身が震える。
「それにしても、ティフェにもお仕置きは必要だ。僕があれだけ僕を刷り込ませたのにな」
 ケテルはそう言って部屋を後にする。ホドは黙ってそれを見送った。ああ、隠していた一面が、牙を剥いた。

 ナックがあの晩、見た事はすべてクァイツに伝えてある。クァイツは様々ところから情報を集めてくれた。
 ナックが集まった会議室にはクァイツの他にもジュリアやネグロ、ダリアといった面々が集まっていた。ナックが受けた攻撃はまだ青あざとして残っていたが、動けないほどではない。
 どちらかといえばティフェレトの方が大変そうだったが、彼はあれから大丈夫だっただろうか。敵ながらに心配してしまう。
「カトルアール・メ・ホドクラー侯爵。男性成人・28歳。髪の毛は明るい茶色。眼は黄緑。精悍な顔つきな青年侯爵。
 生まれはエルス帝国バイザー地方。バイザー地方の南東、ギモーヴ伯爵家の二男として生まれたが、貧しい貴族の家に生まれたがゆえに、わずか7歳で教会に預けられた。その時ヴィスアン教会でトアゾーム神父に従事した。しかし、ケゼルチェック地方のケゼルチェック卿配下ホドクラー侯爵家の養子の話が持ち上がる。
 12歳でホドクラー侯爵家に正式に後継ぎとして養子に迎え入れられる。養子縁組の話を持ちかけたケゼルチェック卿とは以降親しく、前ケゼルチェック卿亡きあとに、後見人を務める。その時に生じたエルスとダンチェート間の戦争に軍師として関与、というか、両国の中を取り持ち、戦争を平和的に終結。
 功績を認められ、南方軍を任される。ヴァトリア家の息女、レナード・ネツァー・ヴァトリアを南方将軍に推薦し、その上婚約を結ぶ。主君を現ケゼルチェック卿とし、ケゼルチェックを活性化させる。
 ……とこんなとこですね。一応、情報は正しいみたいです。周囲の住人もちゃんと彼のことを覚えていた。だから、身分は正しいかと」
「そうか」
 クァイツが頼んだことを調べていたネグロが報告する。ナックとクァイツが見た、ホドクラー卿の本当の姿。TINCTORAのリーダーであるという姿。
 日常的な姿が仮面であれば、その本心はいつから育ち、誰がどの程度だまされているのだろうか。
 婚約者のヴァトリア将軍は? 主君のケゼルチェック卿は? 国王は、国民は? 考え出せばきりが無い。普通、貴族とは上を目指すものだが、彼が上を目指さないことで首謀者が誰かを巧妙に隠した。
 クァイツとナックの直接的な行動にたった一言の言葉でここまで行動を制限させてしまうその手並みに敵ながら天晴れといったところだ。
「ねぇ、教会に従事していたことがあるの?」
「はい。のようです」
「トアゾーム神父は、まだご存命なお歳?」
 ネグロは資料の紙をぱらぱらとめくりながら、ふん、と頷いた。
「はい。彼にも一応聞いていますね。当時世話をした少年は確かに茶髪で黄緑の目をした貴族の子供であったことは確かなようです。ただ、ヴィスアン教会は貴族の子供を預かることが多いですからね、記憶に残っていなくとも不思議ではありません。ファステル修道院の少年版、といったところですか」
 貴族生まれの淑女たちがただ、政治の道具として嫁ぐまで純潔を守り、なおかつ礼儀を学べる場所がファステル修道院。彼女達は結婚の適齢期までシスター見習いとして静かに閉鎖的な空間で育つ。その少年版。
 おそらく家督争いからはじき出された子供達だけのためにある、教会。どう考えても完璧な経歴だ。
「んー、神父がだめなら、当時一緒に学んだ学徒は残っていないかしら?」
「そうだな」
 大人より子供のほうが閉鎖的な空間における関係性などは記憶を残しているものだ。
「そこまでは調べていないみたいですね」
 ネグロが資料をダリアに渡そうと机の上に置いた瞬間、机が発光する。驚いたネグロ、ダリアは瞬時に銃をホルスターから抜いた。クァイツが警戒し、周囲から人間が離れる。
 光は一定の文様を描き、白から薄い緑色へと色を変えて、魔法が発現する。
『突然邪魔する無粋を許して欲しいね』
 響く声は幼い。魔方陣から紫色の液体が立ち上がり、そして瞬時に人の形を取った。
 その姿は紫色から徐々に色を変えていき、子供が一人現れる。
 紫色の軍服を独特に着こなし、まだ15にも満たない外見の少年のわりに、その髪は白色に彩られている。左右違う虹彩が悪戯に視線を動かす。
「何者だ?」
『お初に御目文字仕る、私は『罪を飾る楽園の檻』と呼ばれる者。そうだな、よく知られた名としては『隠遁の賢者』というのもあったかな?』
「賢者だと!!?」
 クァイツがさすがに驚いた。賢者が登場する意味も目的もわからない。
『ふむ、その反応、実に心地いい。こういう反応は人間らしくとても好ましいよ。さて、私は君たちに危害を加えるために参ったのではない。むしろ、逆だ。安心してその武器を下げてくれれば私としては安心できてうれしいのだが……まぁ、無理なら仕方ないかな』
 ふっと苦笑すると長い袖から見えていない手を肩とともに下げた。
「その賢者殿が、我々に何用だ?」
『カトルアール・メ・ホドクラー。彼について、私が一つ、いいことを教えてあげよう』
 ナックは思わず吠える。
「そんなこと、どうして俺に教える?」
『うん、いい質問だ。ではその質問の答えから答えよう。我ら賢者は永きを生きる、生きる屍。超越者にして、堕落したともいえる。我らは日常に飽いている。だから日々、快楽と刺激を求めるわけだ。その快楽の一つにこの国の行く末をかけたゲームがある。賢者が二手に分かれ、この国の公爵につき、どちらが望むことを成し得るか、というゲームだ。君たちはこの国が表面上に出してはいないが、日々争っているのを知っているかな?』
 紫色の目と緑の目がクァイツを見る。
「南と北の血の争い、と言われているな」
『そうとも。国と同時に在る古き伝統の血脈・北・ソロモン一派と国土拡大に大いに貢献した新たな血脈・南・ケゼルチェック一派の争いだ。これは今激しくてね、なにせ、ソロモン一派は前代のケゼルチェック一家を皆殺しにし、衰退まで追いやった。だが、短期間でこれを持ち直した。何故、そんな短期間で持ち直すどころか、昔より栄えたか、君たちはわかっているかい?』
 クァイツが愕然とする。前ケゼルチェック卿を暗殺?
「ホドクラー卿、でしょう?」
 ダリアが恐る恐る言うと楽園の檻はうれしそうに笑って手を叩いた。
『大正解。ねぇ、恐ろしくない? 普通そうだね、どんなに早くても一族の繁栄は人の半生は必要だ。それをたった5、6年で成し遂げてしまったんだよ? ただの一貴族の若者が。君たちが相手にするのは、そういう相手だ。……話がずれてしまったね。賢者が現在何人存在しているか、知っているか?』
 まるで子供だ。話に一貫性がない。
「さぁ?」
『13人。賢者に至ったのは13人だ、私含めて。その賢者は先ほども言ったが分かれて争っている。永遠の英知を手にするのは誰かを競っている。まぁ、正確に言えば3派かな? 私のようにどちらにも属していないもの、そして大帝の剣の一派と黒煙の影の一派だ。そう、新たな賢者と古い賢者の争いと言えばいいかな?』
 トントン、と指で唇を叩いて、そして疲れたのか、テーブルの上に座り込む。
『その争いは私達が楽しみにしていてね、私が見る限り大帝の剣側が不利に見える。だから支援したい。できるだけ一方的なのではなく、拮抗したものが見たいからね。私が彼について君たちに教える理由はそれでいいかな? もちろん、君たちがソロモン一派につき、ソロモン卿のお抱え賢者が大帝の剣、と知っているね?』
 そんなことは初めて知った。というか、賢者が人間の前に姿を現すことはまれだ。賢者は人にまぎれてひっそりとじわじわ影響力を与えていくかなり厄介な相手だ。
『さぁ、理由も判明したし、私の利点も伝えた。本当に伝えたいことを伝えてもいいかな?』
「……」
 あまりにも不信すぎて誰も何も言わない。今、この賢者が言ったことが正しいという保障はどこにも無いのだから。この賢者が悪戯にあおっているとすれば?
『カトルアール・メ・ホドクラーはこのエルス帝国の人間ではないよ。彼は身分を偽っている。君が、いや君たちが調べ上げた経歴は彼が自分のために用意した偽りの身分。そんなことはソロモン卿がとっくに調べ上げて悩みぬいたことだ。まぁ、彼にしてみれば当然だ。驚異的な若者だもの。己に身体を捧げさせたにもかかわらず、意思を折ることすらできず、それを逆手に取られるなど、予想もしなかっただろうしね』
 この賢者はさっきから何を言っているのだろう。クァイツは新事実をぺらぺらとこの少年が言ったのに驚きを隠せない。意図してばらしているのか天然なのか。
『いや、ラヴィリー・ギモーヴという男性は確かに存在していた。彼も茶髪に緑色の目ではあったし、教会に預けられたもの事実。彼はね、自分がこの国でケゼルチェック卿のそばにいておかしくない位置を占める爵位を持つ、己と同じ姿と年齢の男性を探し、すり替わったんだよ。本物はとっくに国外追放だ。探し出すことなど不可能だよ。でもこの国ではよくある話だ。だって金のために爵位を売る者は多いだろう? さて、話を戻すが、ホドクラー侯爵は4面を持つ男だ。1面は君たちが知るカトルアール・メ・ホドクラーだね。だから私は君たちに残る3面のうち1面を教えに来たのさ』
「……4面? それってどういう……?」
 にやりと笑う。
『そこにいる、ヴァイゼン君? 君はまっすぐなほどに1面しか持っていないね。でも君の大事なルーシ嬢は2面性のある女性だった。そういうことだ』
 ナックは自分の本名というか名前どころか、キラのことまでも言われて驚いた。
「多重人格ということか?」
 クァイツが問う。
『違う。彼は一つの人格しか持っていないとも。ただ、4つの人間の役目をしている、というのがわかり易いかな? 一つはカトルアール・メ・ホドクラー侯爵という』
 やっと何を言おうとしているか、わかってきた。
『もう一つは『ウィンド・マスター』』
「ウィンド・マスター?」
 復唱するかのように、ナックが言う。
『知らないだろう。魔法特性の一つ、風魔法を極めた者に与えられる称号だ。中々貰えるものではないよ? そう、語源はここらの地域ではないから知らないかもしれないが、一つの魔法属性を極めるというのは中々出来るものではない。しかも彼は魔法血統は無いに等しく、修行という修行はたった1年ほどしかしていないからね。天才とはまさしく彼に相応しい』
「君は私達にわざわざ彼の危険度を伝えに来てくれたのか?」
 クァイツが厳しい顔をして言う。
『とんでもない。いいかい? 風魔法に対抗するには一般的には土属性がいいが、土属性の到達者はいないからね、私は君たちが瞬殺されないように他の属性の覇者を教えてあげようと思ったのさ。彼らに助力を求めるも、求めないも自由にするといい。ただし、彼らは到達者。ある意味賢者に似ている。俗世に関わるを好まない者が多い。それでも勧誘する価値があるとは思うよ。だって、君たちはくだらない思想に浸って彼らと相対するにはあまりに無力だからね』
 くすくすと笑う。ダリアが眉を寄せた。
「主のお言葉を確かに賢者は信じないでしょうね」
『ああ、気を悪くさせてしまったならすまない。ただおかしくてね。信仰心の強い君たちよりも私達堕落した者達のほうが神に近しいとはね。まぁ、いい。私がおすすめするのは『フレア・マスター』。炎の覇者だ。彼は自然と共に生きていて己の正義に見合えば力を貸してくれるだろう。もう一人は『ライトニング・マスター』電撃と光の覇者だよ。彼は世捨て人だからね、あまりお勧めはしない。この国に存在する到達者はこれだけだ。会いたくなったら望むといい、おのずと行く先が知れるだろう』
 再び魔方陣が発光する。言いたいことを言うだけ言ったということなのだろう。
『ではお時間を取らせてすまなかったね。ああ、楽しい時間をありがとう。できれば君たちが健闘してくれることを祈っているよ』
 しゅるりと鮮やかに楽園の檻が消える。呆然とする一同。しかしかなりの情報量を落としていってくれたことも確かだ。
 TINCTORAとはホドクラー侯爵の私軍のようなものなのだろうと思っていた。しかし主が云々というより、事態はこの国や賢者を巻き込むほどに大掛かりなものであったらしい。
 では、キラがさらわれた意味が違ってくる。クァイツはそういえば、何故キラが連れ去られたかを考えていなかったと思いだした。
 そうだ、よく考えなくてもわかることだ。相手は一貴族。田舎娘を何故さらった? 美人など五万といる。キラにしかなかったものがあったのだ。それが必要だった。
「ナック、キラ嬢しか持っていなかったものはないか?」
「持っていなかったもの?」
「そうだ、例えば、才能とか特技とか」
 ナックは考えるが、思い至らなかった。
「それが連れ去られた理由だとは思えないか?」
 ダリアが頷いた。だが、それは何だ?
「それより、さっきの賢者の言うこと、信じますか?」
 ネグロが言う。そうだ、信じるならば、ホドクラー侯爵は予想外巨大な相手である。対抗する力が確かに必要だ。それも魔法に強い。
「マスターって呼ばれてるらしいけど、知ってるの? ネグロ」
「まぁ、噂程度ですよ。それこそ賢者より。マスターになるとその属性の妖精が見えるとかいろいろ噂はありますが、敵がいないくらい強いってのは確かですよ。何系統の魔法が考えたか忘れましたけど」
 ネグロは少し焦っていた。とんでもないことだ。本当なら、相手にするほうが馬鹿なレベルだ。
「そんなすごいの?」
「すごいってレベルじゃないです。賢者相手にするようなもんですよ」
「……」
 賢者を相手にして勝てる魔法使いなど、ヴァチカンには存在しない。
「頭脳もできて、魔法も得意? パーフェクトじゃない」
 そうだ、向かうところ敵なしだ。
「年齢が正しければ28? どうやってそれだけの技能を……」
 落ち着く答えが一つしかない。天才なのだろう。ナックは一筋縄ではいかないということをようやく理解してきた。どうしたら勝てるだろうか。キラを取り戻せるだろうか。
「一応、赤いカッソクの連中の中にゴーレム使い、いましたよね?」
 ネグロがそういう。土の塊の巨人、それなら土属性だが、果たして到達者にどれだけ通用するか。
「いたな……赤いカッソクを本格的に呼び寄せる必要があるな」
 クァイツは苦い顔をして決断する。
「ナック、ネグロとダリアをつれて、その到達者に協力を仰げ」
「信じるのか?」
 ナックやダリアは信じられないというような顔をする。
「戦力にして損はないだろう」
「……まぁ、そうね」
 ナックもその点は納得する。
「わかった」
 ナックが頷いた。