003.預言者と不死の英雄

 ――彼が彼女と出会ったのは、十年ほど前の橙の大陸でのことだった。
 春の頃だった。橙の大陸東部地方の名物である桜の花が山々の木々に咲き乱れ、風に吹かれるたびに温かな雪のように降り注いでいたことを覚えている。
「お久しぶりですね」
 他の受験者たちが遺跡の入り口に向かう中、一人残った吸血鬼の青年にヤムリカは改めて話しかけた。
「君は、やはりあの時俺に未来の預言をくれた少女か。……随分大きくなったな」
 十年前とまったく容姿の変わらぬ男は、成長したヤムリカを前に素直な感想を述べた。
 ヤムリカの半歩後ろには、ラウルフィカが立つ。ヤムリカの義父である彼も、十年前と変わらない姿でいる。
 時の流れに取り残された男二人の間で、あの頃少女であったヤムリカだけが、十年の歳月を受け入れて大人になった。
「ええ。だって、あれからもう十年も経っているのですよ。不老と不死の呪いをかけられた元騎士さん」
「……そうだな」
「貴公も容姿は変わらないが、様子は少し変わったようだな」
 ラウルフィカが上から下まで吸血鬼を眺めまわし、感心したように言う。
「それはその……あの時は、申し訳なかった」
 改めてかつてのやり取りを思い返し、吸血鬼は恥じ入りながら頭を下げた。
 この二人に出会った時、彼は永い探し物に疲れ果てて心身共にボロボロだった。
 不老の呪いは身体の変化を非常に緩やかにするため浮浪者のように髭面ということこそなかったが、服には自分や魔獣などの血や泥や灰などがこびりつき、顔はやつれ青褪めていた。
 街中で一般市民と出会ったら、きっと悲鳴を上げて逃げられたに違いない。
 幸か不幸か彼がヤムリカたちと出会ったのは、橙の大陸の山奥の桜並木の中でのことであった。
 ふらふらと桜並木に立ち入って突如として膝から崩れ落ち頭を抱え出した男に、ラウルフィカは何事かと思わず剣を抜いて義娘を庇った。
 しかし特殊民族のヤムリカは、そこでただ庇われているような少女ではなかった。
『どうなさったの? 呪われた方』
 創造の魔術師の手により預言の力を与えられた“先視の民(タンジーム)”。
 彼女の言葉にすがり、呪われた男はこの十年を生きてきた。
「……あの娘で間違いないんだな?」
「ええ」
 ヤムリカは薄いヴェールの向こう側で、にっこりと微笑んで男の言葉と、十年前の自分の言葉を肯定する。
「ならば俺は、やはりあの娘に俺の目的を、俺の望みを、この呪いを解く願いを……叶えてもらうことにする」
 そうして呪われた男は、他の受験者たちの後を追って歩き出す。
 十年前よりやつれ具合がマシになったとはいえ、まだ男の傷は深い。
 どんな傷でもすぐに癒えてしまう不老不死の肉体でも、心についた傷を治すことは不可能だったらしい。
「……ヤムリカ」
 二人のやり取りを見守っていたラウルフィカは、セルセラを追って遺跡の中へ向かった男の背を見送る義娘に話しかける。
「先程の話は本当か? 私には、セルセラがあの男にかけられた呪いをすんなり解くとは思えないが」
「あら、私、そんなこと言いました?」
「何?」
「私が十年前にあの方に伝えたのは、今日この地で彼を永い桎梏から解き放つ者が現れるということだけ。それが小さな『聖なる魔女』だということも。でも」
 少女の頃と同じように無邪気に笑う女は、少女の頃から変わらずにくせ者だ。
「セルセラが呪いを解いてくれるだなんて、そんなこと一言も言った覚えはありません」
 義娘の言葉に絶句したラウルフィカは、しばらくして我に帰ると、眉間を押さえながら呻くように言った。
「……あのセルセラだからな」
 そしてこのヤムリカである。
 ラウルフィカは、あの薄幸な雰囲気の吸血鬼に少々同情した。
「では実際には十年前の話はどういう意味だったんだ?」
「意味も何も。私はただ私に視えたことを口にするだけですよ。お父様もご存じでしょう?」
「……そうだな」
 ヤムリカは“先視の民(タンジーム)”としての力で予言をするが、内容が親切に分かりやすかったことはない。それを一番よく知っている育ての親は、これ以上の確認を断念した。
「……まぁ、なるようにしかならないだろう」
 生きることは難しい。千年生きてきてもラウルフィカはいまだにそう思う。
「本当は何が救いになるのかなんて、私たち自身にもよくわからないのだからな」
 今できるのはせいぜい、これ以上あの吸血鬼がセルセラに邪険にされないよう祈ってやることぐらいだ。
 協会長はそう考えると、さっさと義娘を連れて自分の仕事に戻ることにした。

 ◆◆◆◆◆

 ――竜骨遺跡。
 辰骸器にまつわる星狩人関係の試験は、この遺跡で行われる。同じ名前の遺跡が七つの大陸ごとに必ず一つはあり、星狩人協会の活動に使用されている。
 緑の大陸南西部に位置する遺跡は、爬虫類の骨格標本を思い出す特徴的な形をしていた。
 角の生えた頭骨に、ゆるやかな曲線が檻か鳥籠のように閉ざされた空間を作る肋骨。
 その中に古い時代の街並みのような構造の遺跡が、群生する樹木に埋もれたような姿で抱え込まれている。
「名前通り、竜の骨みたいな形なんだな」
「ああ」
 ファラーシャの素直な感想に、隣で雄大な遺跡の外観を眺めていたセルセラも頷く。
「結構でっかいけど、本当に竜なのか?」
 竜と言えば、人類を始めとする他種族から良くも悪くも特別視されている幻獣だ。昔は誰も見たことのない伝説に近い存在だったが、黒い流星の神話による邪神の魂の散逸から状況が変わった。
 世界を滅ぼす神の憎悪を映す獣――魔獣の中の強力な個体には、竜の姿をしている者が多い。
 神聖な伝説と凶悪な怪物。二つの印象が入り乱れ、驚異的な力を持つ存在。それが現在この世界における竜(ドラゴン)。
 緑の大陸の竜骨遺跡が名前通り竜の骨からできているのであれば、その胴体に八百人は住める街一つを呑み込んだ肉体はとても巨大なものだったろうと想像できる。
「さて、どうだろうな」
「違うのか?」
「僕が聞いた話だと、この遺跡は竜骨遺跡って呼ばれてるけど、その真の姿は神様の骸だってさ」
「神の骸……?!」
 二人の話を聞いていたタルテも、セルセラの説明に驚いた表情になる。
「ああ、そうだ。アスラハと呼ばれる辰骸器の元の意味は、『神の骸によって作られた辰(星)の器』だ」
 今から受験者たちが取りに行く鉱石こそが、神の肉体の一部だと言う。
 強力な魔導士であった辰砂の魂の欠片を収めその力を十二分に引き出すには、器の方にも特別な力が必要だった。
「へー。神様なのか、これ」
 フェニカ教会所属の聖職者であり巡礼でもあるタルテと違って、ファラーシャは何の感慨もなさそうに巨大な遺跡を眺める。
 ――異変が起きたのは、その時だった。

「雷?」

 晴れ渡った蒼空に突如として黒雲が湧きたつ。遺跡の頭上を不可思議な速さで包み込み、周囲に小さな雷を落とす。
「なんだ!?」
 今にも遺跡に入ろうとしていた受験者たちも足を止め、口々に何か叫びながら空を見上げた。
 ぐるりと渦を巻くように空を漂う黒雲の中から、大きな影が言葉通り湧いて出る。
「なんだ、ありゃ?」
 セルセラも他の者たちも、その奇怪な姿に目を丸くした。
「魔獣だよな、あれ」
「例えるなら……鵞鳥の騎士、というところでしょうか」
 ファラーシャがのんびりと確認し、タルテが遠い上空の影の仔細を観察し、さっさと適当な呼び名をつける。

 それは黒い鎧を着た騎士のような姿に、鵞鳥の頭と翼を持つ怪物だった。
 
 片手に鈍く輝く剣を持つ立ち姿に、白い鳥の顔が不気味である。
 その感情の読めない鳥の瞳が、眼下の遺跡にたむろす人々を見下ろす。
 そして、一声鳴いた。

 ガァアアアアア!!

「くぅ!」
 耳障りで巨大な鳴き声に、セルセラたちは咄嗟に両手で耳を覆いながら顔を顰めた。
 突然の魔獣の出現に一応警戒していた者たちでも、この轟音を防ぐのは難しい。
 唯一鳴き声攻撃に怯まなかったファラーシャが、鋭い警告を発した。
「下だ!」
「!」
 つい鵞鳥の騎士に目を奪われて上空を見上げていた面々がハッとして視線を戻すと、遺跡の中から無数の魔獣たちが飛び出して来るのが見えた。
「うわっ!」
「くそっ!」
 ここにいる者たちは現役の星狩人とその候補生。
 即座に武器を抜いて応戦するが、予想もしないことの上に敵の数が多すぎる。
「右です!」
「伏せろ!」
 タルテは槍を振り回し、ファラーシャは敵を殴りつけ、自分たちは魔獣と戦いながら、周囲を見渡して危険な状況にある者たちに警告を飛ばす。
 セルセラは舌打ちしながら防御の結界を張り、すでに負傷した者の前に魔導の盾を張り攻撃を防いでやる。
「戦闘力に自信のないやつは結界に入れ!」
 魔獣退治の専門家と言えど、全ての星狩人(サイヤード)がどんな魔獣とも戦える訳ではない。
 大概の星狩人はあらかじめ敵の情報を集め入念な準備をしてから戦闘に赴くものだ。今回のような突然の襲撃には、咄嗟の対応力の差が浮彫になる。
 目の前の魔獣の相手がきついと見て取った者たちは素早く周囲の仲間と視線を交わし、負傷者に肩を貸してセルセラの張った結界へと駆けこんで来る。
「うう……すまない」
 肩から夥しい血を流す負傷者の傷を魔導で癒やしてやりながら、セルセラは言った。
「仕方がないって。こんな事態、開催者の協会だって予想してなかったんだし」
「あの魔獣の襲撃自体が試験と言うことは……」
「ないない」
 そう、これはラウルフィカたち、星狩人協会側も想定していなかった非常事態(イレギュラー)。
「ま、下の魔獣だけならあの二人がなんとかしてくれそうだけど、上のあいつはどうだかなー」
 セルセラは上空に翼を広げたまま佇む鵞鳥の騎士を見た。翼を開いてはいるが羽ばたいている様子はなく、どうやら魔力で浮いている状態のようだ。
 地上の魔獣たちと違ってこちらを直接攻撃してくる気はないようだが、その魔獣たちを呼び寄せたのは鵞鳥の騎士だ。油断はできない。
「あの二人……強い……!」
 結界内部に避難してきた星狩人候補生たちは、結界の外の戦いを眺めながら呆然としている。
 遺跡から飛び出してきた魔獣の姿は様々だった。狼に似たもの、爬虫類じみた鱗に覆われたもの、巨大な山羊や羊に似たもの、角の生えた小鬼等。
 そのどれにも怯むことなく、タルテとファラーシャの二人は僅か一動作、二動作で敵を叩き伏せていく。
 外で戦っている者たちは何人かいたが、正式な資格を持つ現役星狩人に劣らぬどころか勝る勢いで、今回の受験生二人が瞬く間に敵を片付けて行く。
 地上の魔獣たちの相手はあの二人に任せていても問題ないだろうと見て取った星狩人の一人が、結界内で負傷者の手当てをしていたセルセラに声をかける。
「なぁ、セルセラ、気づいたか?」
「ああ」
 手当をしながら外の戦況にも気を配っていたセルセラは、知り合いの青年に頷き返す。
「あの魔獣たちは、別に僕らを襲ってきた訳じゃないな。と言うよりも――」
 彼女の言葉の途中で、遺跡の入り口が内側からの力によって吹き飛んだ。
 人々の視線が一斉にそちらに集中する。
 古式めいた装飾の遺跡の玄関口が瓦礫の山と化し、瓦礫と共に吹き飛ばされた魔獣の死体までもが、辺りに無残に散らばった。
 そう、先程地上を埋め尽くすかの勢いで出現した魔獣たちは彼らを襲っていた訳ではなく、単にこの脅威から逃げようとしただけ。
 遺跡の入り口を破壊しながら出てきた何者かが、雷雲の下についにその姿を現した。
 結界内に避難した受験者たちが口々に悲鳴を上げる。

「……ど、ドラゴン?!」

 爬虫類のような鱗に包まれた体に、蝙蝠のような被膜の張った翼を持つ、最強の幻獣と名高い生き物。
 黒い鱗は鋼のような光沢を宿し、瞳は熾火のように赤く、口元には鋭い牙を持つ。
 この遺跡の外郭となっている竜の遺体よりは小さいが、それでも二階建ての民家を三つ重ねたぐらいの体長である。

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