004.異変と邂逅

「これはすごいな。歴戦の星狩人(サイヤード)でも滅多にお目にかかれない大物だ」
 セルセラに声をかけてきた狩人(サイヤード)が、口笛でも吹きそうな調子で感嘆の声を上げる。
「感心してる場合かよ、アンデシン」
 頑強な肉体を持つ種族は、強さと大きさがある程度比例する。
 この級の竜ならば普通の人間の通常の武器攻撃はまず通用せず、一国の軍隊も易々と蹴散らされるだろう。
 まだ実戦経験の少ない候補生と違い、辰骸器を取りに来た現役の星狩人たちは竜の姿を見てすぐに動き始めた。
「戦えぬ者はすぐに撤退しろ! セルセラ様の結界の中に入れ!」
 この黒竜には、星狩人候補生どころか、正式な星狩人でも相当腕に覚えがない限り太刀打ちできない。
 そう判断した年嵩の狩人が叫び、これまで地上の魔獣程度は危なげなく片付けていたうちの幾人かが結界へと逃げ込む体勢になった。
「アンデシン!」
 セルセラが名を呼ぶ頃にはすでに、味方の撤退時間を稼ぐため、アンデシンが黒竜に攻撃を仕掛けていた。
 彼は地を蹴ったと思った次の瞬間には黒竜の肩口まで跳びあがっており、巨大な腹を裂くように刃で薙いだ。しかし。
「――浅い!」
 アンデシンの攻撃は、黒竜の固い鱗を持つ皮膚には通用しなかった。これはアンデシンの腕が悪いのではなく、単純に物質の強度の差だ。
「アンデシン殿でも駄目か……!」
 彼の実力を知る星狩人たちが一瞬ざわつくが、セルセラは無理もないと頷いた。
「奴のフェザーソードは薄くて軽いからな。無理しても剣が折れるだけだ。こういう時のための対魔獣専用武器、辰骸器(アスラハ)なんだがな」
 試験後ならアンデシンは確実に辰骸器を手に入れていたと断言できるが、今使っている装備ではこの大きさの竜にはさすがに歯が立たなかった。
「せめて囮くらいには……って、まずい!」
 厄介なことに、先程の雑魚よりも高い知能を持つらしい黒竜は囮のアンデシンに引っかからなかった。
「セルセラ!」
 怪我人を含む撤退者が避難しているセルセラの結界に向かって大きな口を開け、黒い竜が真っ白な炎を吐く!
「きゃあああああ!」
「うわぁ!!」
 星狩人候補生たちが死を覚悟して叫ぶ。
 その結界を張ったのが並の術者だったならば、赤い炎よりも更に高温の白い炎の直撃を受けて無事ではいられなかっただろう。
 しかし、その結界を張ったのはセルセラだ。
「やかましいぞ、羽トカゲ。お前如きに、僕の結界が破られる訳ないだろ」
 世界一の魔導士を目指す少女の結界は、ただの大物ドラゴン程度の攻撃ではびくともしない。
 現役星狩人たちが錯乱寸前の候補生たちを宥めている。
 少なくともこの結界が張られている限り、黒竜の攻撃で死ぬことはない。
 一方で、結界外の星狩人たちに危機が迫っていた。
 セルセラの結界に攻撃が通じないと見て取った黒竜が、まだ外に残っていた狩人たちを狙い始めたのだ。
 身が軽く素早いアンデシンではなく、彼の援護をするために残っていた者たち。早々に撤退した者たちよりも戦闘力が上とは言え、黒竜に真正面から狙われて凌ぐのは厳しい。
 集中攻撃を受けぬよう散らばっていたため、アンデシンも一度に一人しかフォローに入れない。
「くそっ……!」
 黒竜の巨体は、軽く腕を振り回すだけでか弱い人の身にとっては凶器だ。
 まるで地団駄を踏むように黒竜が身動きしただけで、唸る尾や太い腕が地を削り遺跡を崩し星狩人たちを押し潰そうとする。
「畜生……!」
 逃げそびれた青年の一人は強く目を閉じる。
 その直後に金属同士が擦れ合うような大きな音が響いた。

 ギィイイン!!

「おっと。そうはさせないぞ」
 戦場に似つかわしくないのんびりした声で少女は言う。
 その光景を目撃した一同は瞠目して驚愕した。
 人間の男性より長身とはいえ間違いなく女性のものである細腕が、振り下ろされようとしていた巨大な竜の腕を、傷一つ作ることなく受け止めているのである。
 重さは? 衝撃は?
 竜の攻撃の余波で地面は抉れ、彼女の足元もずぶりと地に埋まっているのだが当の本人――ファラーシャの顔は随分と余裕なものだった。
「羽トカゲか……セルセラも面白いことを言うな!」
「お前ほどじゃないと思うぞ、ファラーシャ。特殊民族だったんだな、お前」
 しなやかで細く美しい腕。触れれば人と同じ体温を伝えるその腕は、肉の柔軟性に金属の頑強さを併せ持つという。
 特殊民族。
 それは創造の魔術師・辰砂が創り出した対魔獣用の切り札となる種族。
 かつて創造の女神の名を盗みその性質を奪った魔導士は、遺跡のような無機物だけではなく、生命をも創造することができた。
 人間よりも遥かに身体能力の高い魔族、その魔族をも軽く凌駕する肉体の頑強さを誇り、種族ごとに異なる特性を与えられた生体兵器。
 ファラーシャはその一人だ。
 特殊民族の頑強さは、竜と言えど簡単に攻撃を通すことはできない。
 そして、場に驚愕をもたらしたのはファラーシャだけではなかった。
「そのまま! 抑えていてください、ファラーシャ!」
 先程のアンデシンのように跳びあがったタルテが、竜の肩口をもう一度蹴り更に高く跳び上がる。
 気づいた黒竜が小さな敵を睨みつけるその瞬間、鋭い槍斧の穂先を素早く突き出した。
 ――狙いは竜の赤い目だ。

「ぐぎゃぁあああああああ!!」

 アンデシンの剣を硬い鱗で弾いた竜も、眼球を直接狙ったタルテの槍を防ぐことはできなかった。
 セルセラの見たところ、タルテはただ槍を刺すだけでなく、その穂先に炎の魔力を付与している。
 熱した槍先で眼球を衝かれた竜が悶え苦しむ。
 その衝撃で付近の樹々がなぎ倒されもしたが、狙いも何もない悶え苦しむだけの動きなら、他の星狩人がセルセラの結界まで避難するのに十分だった。
「でもさすがの回復力だな。まだ来るみたいだぞ」
「そうですね。では今度は爪と爪の隙間でも狙いましょうか。それとも先程のように炎を吐く瞬間に口の中から抉りましょうか」
 外側がダメなら内側から。ファラーシャとタルテの二人は、恬淡と作業を進めるかのように打ち合わせる。
 恐れという言葉を知らぬかのようなその落ち着き具合は、歴戦の星狩人にも引けを取らない――否、それ以上かもしれなかった。
「な、なんなんだあの二人……!」
「今回の新人は有望だねー」
「そうだな」
 狼狽する熟練の星狩人たちと、けらけら笑うアンデシンに頷くセルセラ。
 とんでもない実力の星狩人候補生二人のおかげで、無事に黒竜を倒す目途が立った頃だ。
 黒竜が再び体勢を整えた。
 自らに痛手を負わせた二人のことは無視できないらしく、並んで立つタルテとファラーシャを恨みの籠もった眼差しで睨みつける。
 その視線が、ふっと逸れて彼女たちの遥か後方へと寄せられた。
「!」
 予定外の反応に二人が慌てて振り返ると、柱に囲まれた遺跡の外門を、例の吸血鬼青年が駆けてくるところだった。
 協会長であるラウルフィカやヤムリカと何事か話しこんでいたのが、ようやく追いついてきたところだったのだろう。
 黒竜の存在や戦闘の気配に気づいてこちらの様子を見に来たのだろうが、つくづくタイミングの悪い男だ。
 竜が青年に気づき、青年も竜に気づく。視線が一瞬交わる。
 セルセラが手元に魔導の用意をし、ファラーシャとタルテがそれぞれ青年の保護と竜の足止めに動き出そうとする。

 ――そのどれよりも、氷のような薄青い剣閃が疾い。

「は?」
 セルセラは思わず呆けたような声を上げていた。
 青い光の閃きから一拍遅れて、竜の巨体が真っ二つに分かれながら再びの地響きと共にその場に沈み込んだのだ。
 ファラーシャとタルテも驚きの表情のままに動きを止め、セルセラの結界に守られた受験者たちなどは、まだ何事が起ったのか理解できていない様子で硬直していた。
 アンデシンが口笛を吹く。
「こいつは凄い」

 吸血鬼青年は文字通り人々の目にも留まらぬ速さで、黒竜を一刀のもとに斬り捨てたのだ。

 彼は他の受験者たちのように星狩人(サイヤード)資格や辰骸器(アスラハ)を求めてきた訳ではない、セルセラを追って来て試験に巻き込まれた、ただの成り行き参加者だ。
 そのはずだった。
「……なんっだ、あの速さ」
「人間業じゃないねー」
 セルセラの驚愕を通り越して呆れが入り混じった呟きに、アンデシンが笑いながら言う。
「彼、随分な掘り出しものじゃないか?」
「飛び入り参加のくせにな……」
 上空に佇んでいた鵞鳥の騎士は、黒竜が倒されたのと同時にまるで遺跡に溶け込むようにして消えた。
 頭上に立ち込めていた雷雲が晴れていく。
 まだ今回の異変が解決した訳ではないが、とりあえず一段落と言っていいだろう。
 セルセラは顔見知りとの会話をそこで打ち切り、自分が成したことの偉大さを少しも感じていないように無表情な吸血鬼青年へと歩み寄った。
「来たんだな、吸血鬼。試験なんか受けずに帰ればよかったのに」
「そういうわけには行かない。俺はまだお前の血をもらってないからな」
 青年はきょろきょろと周囲の人々の顔を見比べながら、不思議そうに尋ねる。
「あの竜、倒してしまって良かったんだろう?」
「ああ、もちろん」
 明らかに人々に敵意を向けていて、すでにいくつかの被害も出していた竜を屠るのに理由だの許可だのもない。
 青年は自分がたった今どれほど恐ろしいことをやり遂げたのか全く自覚がない様子で、ほっとしながら剣を鞘に戻した。
 彼の武器はセルセラが見る限りごく普通の剣に見えるが、この青年は間違いなくその剣で竜を斬った。
 魔族でもないごく普通の人間が、辰骸器を使わずに剣の技術だけで竜を屠るなどとんでもないことだ。
「運命の乙女よ、お前にもう一度頼みに来た。どうかお前の聖なる血を、俺に与えてほしい」
「断る。僕は今、見ての通りものすごく忙しい」
 セルセラはまたもや素っ気なく言い放つが、いい加減彼女の態度にも慣れたのか、吸血鬼青年は諦め顔で小さく頷いた。
「ならばしばし待とう。幸い、俺には時間がある。不老不死の呪いがもたらす、無限の時間が」
「いくら待っても、それこそ僕は永遠に応える気なんざないがな」
「ならば説得してみせよう。……先程は取り乱して済まなかったな。よく考えたら、年端も行かぬ婦女に無理やり迫るなんて俺も柄じゃなかった」
「今更紳士面しても遅いぞ吸血鬼」
「レイル」
「あ?」
「レイル。――レイル・アバード。それが俺の名前だ。“吸血鬼”じゃない、れっきとした名前がある。……もう何十年も名乗る機会もなければ、誰かに呼ばれることもなかった名だが」
 ぎりぎり二十歳手前にも見える吸血鬼は、外見年齢にそぐわぬことを言った。大抵の場合、不死と不老は一揃いだ。この吸血鬼青年も外見より随分と長い時間を生きているらしい。
 セルセラは、レイルにくるりと背を向けながら言った。
「ああ、そうかよ。――お前の望みを叶えてやる気は、僕にはさらさらないぜ。レイル」
 一瞬きょとんとしたレイルは、次の瞬間その端麗な顔(かんばせ)に淡い笑みを浮かべる。
 黙って立っていても彫像のような美貌の青年だが、歓喜に綻んだ顔は人間味を持ち、ただ、ただ美しかった。
「――ああ。セルセラと言ったな。これからよろしく頼む」
「だからよろしくしたくないっての……」
 セルセラは本気で呆れかえり、本日もう何度目かもわからない溜息を再び吐いた。

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