010.千夜一夜

 事態の概要を把握した一行は、全ての解決に向けて改めて探索を再開する。
 ファラダとしては一刻も早く主を助けに行きたいだろうが、彼らが今いる場所は魔王たちの戦闘によって変容した特殊な遺跡の中だ。彼らがここまでくる間にも侵食は進んでいて、どうやら来た道を引き返せば帰れるという様子ではないらしい。
 上空には巨大な釘が氷柱のように垂れ下がる竜の肋骨部。周辺の樹々やその陰には釘と硝子の山。何とも素敵なこの光景をとっとと殺風景な石造りの遺跡という元の状態に戻すため、セルセラたちは竜骨遺跡の奥を目指す。
「さっき、タルテはこの遺跡の原因が時間経過で消えることを予想したな。僕の意見は逆だ」
「逆? ですか」
 自分の意見を否定されたタルテは僅かに驚き、セルセラを見つめる。
「小さな異変ならともかく、もともと辰砂の遺産として魔力を込められた遺跡をこれだけ変容させたのが魔王の戦闘の余波だとしたら、この遺跡の中には変容を操る核となる存在がいると思う」
「それって魔獣なのか?」
「ああ」
 セルセラはファラーシャの質問に短く頷いた。
「えーと、最初から気になっていたんだが、何故ファラダ殿の主と魔王の戦闘の余波が、そんな風に魔獣を生み出すことになったんだ? 辺りを魔力が漂うだけで魔獣が次々生み出されていったなら、大変なことになってしまうだろう?」
「いい質問だな、レイル。それこそがこの話の肝なんだよ。ファラダの主と魔王の戦闘で流れ出したものはその二者の魔力だけじゃない。恐らく魔王は、魔獣狩りの攻撃で“黒い星”の一部を削られたんだ」
 『黒い流れ星の神話』にある通り、背徳神の魂の欠片は黒い光を放つ流れ星のような形で地上に降り注いだ。そうして地上に無数の魔獣を生み出した魂の欠片を、星狩人協会では“黒い星”や“黒い星の欠片”と呼んでいる。
「つまり、この遺跡の変容を引き起こしているのは、魔王の魂から分離した“黒い星”を核に、ファラダ殿の主の魔力に影響を受けて生まれた魔獣、ということですか」
「その通り」
 セルセラたちが噂で伝え聞いている硝子の街の魔王とはかけ離れた要素。それらは恐らく、ファラダの主の力の一部だ。
 話をまとめるタルテに頷くセルセラと、なんとなくわかったような顔をしているファラーシャとレイル、呆然としているファラダ。
「そういうことだったのですか……」
「おそらく、魔王にそれだけの手傷を負わせるような存在だったからお前の主は呪いで動きを封じられたんだろうよ」
「そんな……」
 これ以上詳しいことは、さすがのセルセラも実際にその魔獣を見てみないとわからない。
 とにかくこの遺跡探索を完了させねば始まらないと、魔導の立体地図を頼りに歩を進める。
 中庭と言うには広すぎるが遺跡内としては中庭でしかない森部分を抜けて別の入口へ。ひたすら地下へと続く石造りの階段を一行は降りていく。
「あれ? ここは今までと雰囲気が違うな?」
 通路を右へ左へと曲がり、いくつもの扉を開け、階段を昇っては降りる。長い回り道の末に、これまでと少しばかり雰囲気の違う空間へと足を踏み入れた。
「絵が飾ってある……」
 長い通路の両側の壁に、何枚もの絵画が飾られているのだ。廊下であると同時に、絵画を展示する部屋でもある。
「まるで王宮の長廊下(ロング・ギャラリー)のようですね」
「お前王宮にまで入ったことあんのかよ」
 タルテの発言に、思わずセルセラは突っ込む。聖職者の格好こそしているものの、どうもこのタルテ、ただの巡礼ではないようだ。
 そのやりとりの間にも、彼らは壁に並ぶ絵画の観察を欠かさない。
「全部普通の絵だ。妙なものが混ぜられている訳ではなさそうだ」
 木の葉を隠すなら森の中、で絵画の中に何か重要な遺跡攻略の鍵が隠されていないか期待したが、生憎と額縁の中の絵は何の変哲もない美術品だった。
「このほとんどは、エリスロ・ツィノーバーロートの手によるものだな」
「エリスロ・ツィノーバーロート? あの有名な?」
 レイルの指摘にタルテはもう一度絵を眺める。
 セルセラは魔導を流した掌で絵画の情報を読み取ってレイルの推測が当たっていることを確認する。
 エリスロ・ツィノーバーロートは七百年程前に活躍した有名な画家だ。
 けれどこの長廊下に飾られた作品は有名とは言えないものばかり。レイルはよく作者がわかったものだ。
「……」
 セルセラは絵を眺めるレイルの横顔を見つめながら少しばかり考える。
 その隣では、ファラーシャが不思議そうに小首を傾げていた。
「どれもこれも、何かどこかで見たことがあるような絵だな」
「ファラーシャは美術品に造詣が深いのか?」
「ううん、全然。絵のことはよくわからないけど、描かれてる場面をどこかで知っているような気がして……」
 すぐに思い出せないのがもどかしいのか、彼女にしては珍しく歯切れが悪い。
「僕もそんな気がする」
 セルセラも目の前の一枚をつぶさに眺めまわしながら頷いた。
 多少の絵画知識があるセルセラがわからないのだ。これらの絵はぱっと見で誰もがわかるような有名作品ではないことだけは確かだ。
 それでも額縁の中で繰り広げられる物語の一つ一つが、何か琴線に触れている。
「私も……」
 セルセラに続けようとしたタルテの言葉が不自然に途切れた。
「タルテ?!」
「タルティーブ!」
 槍に縋るようにしながら、タルテが額を抑えて膝から崩れ落ちる。
「どうした!?」
「なん……でも……ありません。大丈夫。……少し、眩暈がしただけ……です」
 セルセラが脈を取り軽く体調を診るが、確かにそれほど大きな影響はなさそうだ。
「迷走神経反射?」
「違います。それならもっと体調が悪くなるでしょう。私のこれは……ここで話すのは、少し面倒な事情ですね。体調よりも恐らく精神的なものです」
 少し話す間に、すでにタルテは元の調子を取り戻している。
「何が辛い?」
「それがわからないこと。それが私の抱える問題です」
「どういうことだ」
「覚えのない記憶が脳裏を駆け巡る。私に心当たりはない。今はこの絵画に何かしら自分のものであって自分のものでない記憶を刺激されたのでしょう」
「……確かに面倒そうな問題な、そりゃ」
 回りくどい言い回し。
 その言葉選び自体が、何事も言い切り型であるタルテ自身の困惑を伝えてくる。
「……とにかく、ここを出て先に進もう」
「そうだな。ここには特に何もないようだし」
 この場所がタルテに良くない影響を与えていると言うなら、長く留まる必要はない。
「綺麗な絵なのにな」
 ぽろりと零すように呟いたファラーシャの言葉に、セルセラは苦笑いで返す。
「綺麗なものが、必ずしも良いものとは限らないからな」
 それはまるで、彼女たち自身を表す言葉のようだ。

 ◆◆◆◆◆

 長廊下を抜けて辿り着いた部屋。
 そこはこれまで通ってきた部屋のように通路の対面や部屋の側面に次の部屋の通路へつながる扉があるようなことはなく、一般的な民家の一室のような行き止まりだった。
 こんな地下深い遺跡の一室にしては不自然なほど、生活感に溢れている。壁の一面を埋め尽くす本棚と机が置かれた書斎。
「ここは……」
 セルセラはまず入り口からぐるりと室内を見回すが先程まで通ってきた他の場所とは違い、この部屋だけは赤い釘の浸食を受けていないようだった。
 部屋の持ち主の残滓であろう強い魔力が部屋の中を魔獣の力から守っているのだ。
「わー、立派な本がいっぱい」
 絵物語を読むと言っていた通り、意外にも本を読むことが好きらしいファラーシャが早速本棚へ向かう。
 並ぶ背表紙を興味深そうに眺め、この書斎らしき部屋の主が集めた書物を手に取って調べ始めた。
 他の者たちも、これまでそうしてきたように思い思いに部屋の中を調べ始める。
「駄目だ。書いてあることが難しすぎてさっぱりわからん……」
 ファラーシャが開いた本は魔導書の一種だったらしく、挿絵の一つもない。文字が並んでいない頁に描かれているのは、魔法陣や数字の埋め込まれた図表だ。
「絵物語系はこっちにあるぞ」
 レイルがそう言って、ファラーシャに自分の取り出した本を差し出す。
「本当だ。えーっと……古代の童話集が多いみたいだな。昔読んだ覚えのある本が多いぞ」
 創造の女神を始めとするフルム神族が生まれる前、世界は繁栄と破滅を何度も繰り返していたと言う。同じ人間と呼ばれてはいても、その頃の人類と今の人類は性能から違うらしい。
 人々は、地中に埋もれた遺跡と神話から過去を発掘する。
 古代人類の滅びた理由や彼らの持っていた技術のほとんどはいまだ解明できていないが、絵物語や一部の文学は比較的早くから現代風に翻訳され楽しまれてきた。
 セルセラが遺跡に来る前に訪れた街で吟遊詩人が歌っていた『灰かぶり』の物語などもそうだ。
 そしてレイルがファラーシャに渡した本のタイトルは。
「アルフ・ライラ・ワ・ライラ……『千夜一夜物語』か」
 妻に裏切られて女性不信となった王は、生娘と一夜を過ごしては翌朝にその首を刎ねる暴君となった。
 街からは次々と若い女性がいなくなり、これを止めるため大臣の娘シェヘラザードが王の妻となり一つの策を弄する。
 シェヘラザードは王の寝所で毎晩、王の興味を引くように物語を語り聞かせる。物語の佳境で「続きはまた明日」と告げられる王は、話の続きを聞きたくてシェヘラザードを殺さずに生かし続けた。
 そして三年――千一夜をかけて、ついにシェヘラザードは王の愛を得て、娘たちを殺すことを止めさせることに成功する。
 底本らしき底本がない作品であり編集者の違いによって細部は異なるが、大筋はこんなところである。
「そうだ! これだ!」
 絵本を手にしたファラーシャが叫ぶ。タルテとセルセラも続けて気づいた。
「あ……さっきの絵画ですね!」
「言われてみれば、全部千夜一夜物語の一場面(ワンシーン)だったな」
 魔法のランプに怪鳥、魔神との契約に船乗り。砂漠、精霊、オアシスと宮殿。
 それらは全て、千夜一夜物語に登場する光景を描いたものだったのだ。
 ファラーシャが手にした千夜一夜物語の写本の合間には紙の栞が挟まっており、いくつかの物語の始まる部分をこれで示していたようだ。
 「シャハリヤール王と弟シャハザマーン王との物語」「鳥獣佳話」「漁師ジゥデルの物語または魔法の袋」「運命の鍵」など、いくつかの題が目に入った。
「他の書物は魔導書ばかりで、絵物語はその数冊だけだな」
 セルセラは本の内容と言うより、本棚にどんな本が並んでいるのかを調べていた。
 古びて埃が降り積もった本棚には、多くの魔導書と数冊の絵物語、古代神話の本や古代の経典などがいくつか並べられている。
「千夜一夜物語……」
 タルテが眉を顰めてその題を繰り返す。これらの物語の何がタルテの記憶を刺激したのか、本人にもわからない。
 しかしここで簡単に答が出るような問題でもないと思い直したのか、すぐに探索の続きへと思考を切り替えた。
「この遺跡を作ったのは創造の魔術師・辰砂なのでしょう? ではこの書斎も辰砂のものでしょうか」
「多分な」
 タルテの疑問にセルセラは頷く。
 つまりこの部屋の蔵書はもちろん、長廊下の絵画も辰砂が集めたものと言うことだ。
 そこから辰砂の人柄やこの遺跡の傾向まで推察できる材料があれば良かったが、今のところそれらしき要素は見つからない。
「ここは辰砂の部屋なのか! へぇえええ」
 ファラーシャやレイルが驚きに目を瞠り、改めて周囲を眺めまわす。
 最強の魔導士にして、最悪の魔導士でもある創造の魔術師・辰砂。神々に匹敵するその力により伝説的な存在として知られるが、その名前と悪行以外に彼のことを人が知る機会は少ない。
 良くも悪くも今この世界があるのは辰砂のおかげ。人はその名に何かしらの感慨を抱く。
「ここが辰砂の書斎だったとすると……」
 古びて紙が崩れそうな本を壊さぬようにゆっくりと頁をめくりながら、セルセラは何事か考え込む。
 それをレイルたちが不思議そうな顔で見守っていると、背後からおずおずと控えめな声がかけられた。
「あの……ここの壁が怪しいようなんですが」
 戦闘能力では四人の足元にも及ばないファラダだが、遺跡の隠し通路を見つける探索能力はなかなかのものだった。
「本当だな」
「また隠し通路か」
 色褪せた綴れ織り(タペストリー)の裏側の隠し通路はこれまでのものより狭く暗い。
 人一人通るのがやっとの道の奥は奈落へ向かうかのような闇が広がっており、微かに冷たい風が吹きこんできた。
 本を棚に戻したセルセラは魔導の立体地図を確認し、現在地と目的地の距離を調べる。
「戻って他の道を探すより、ここを使った方が魔獣のいる部屋に近そうなんだよな」
「どうやら行くしかなさそうですね」
 一行は、闇が待つ通路へと順番に足をかけた。

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