016.硝子の街

 今は“硝子の街”と呼ばれているその街は、元々は小さいながらに人々が銀細工で生活し活気に溢れていた。
 大地の恵み豊かな緑の大陸。雄峰連なる高地に熱帯の密林、海岸地域に砂漠地域と様々な自然環境が一つの大陸に存在し、多種多様な生物が生息している。鉱物資源も豊富で貴金属から宝石類まで広く産出している。
 しかし今ここに広がる景色には、この街が栄えていた頃の面影はまるでない。
 誰もいない街並みの白は美しさよりも虚しさを強く感じさせる。人がいない廃墟はただ寂しい。
 この街に住まう魔王が何を考えて、廃墟の街に引きこもっているのかはわからない。
 星狩人協会は魔王が発生した当初こそ警戒をしていたが、硝子の街の魔王がそれ以上周辺に危害を加えないのを知ると徐々に脅威度の判定を下げて行った。
 同じ魔獣でも魔王と呼ばれる存在になるには条件があるらしく、魔王と呼ばれているからと言って、必ずしもその地域で最も邪悪だったり凶悪だったりするとは限らない。
 魔王ではなくとも、今この瞬間村や街を襲い人々に危害を加えている凶悪な魔獣の討伐を優先させる。それが星狩人協会の判断だ。
 ただし、魔王という存在は自分より弱い魔獣なら無条件で惹きつけ支配できると言う。
 魔王のいるところにそれらの魔獣が集まってくることから、星狩人協会はいずれ全ての魔王を倒したいと考えている。
「と、言うわけでご到着だぜ。さーて、では魔王を探すかね」
「あのお城なんか怪しくないか?」
「普通に考えればあそこを根城にしますよね」
「それでも、街中の様子も一応調べた方がいいだろう」
 街に着いた頃にはすでに日が暮れて宵闇の帳が辺りを包んでいた。セルセラが魔導で角灯(ランタン)代わりの灯りを生み出し一人に一つ与える。
 四人は廃墟と化した民家の中を少しずつ確認しながらまずは街の中央にあるアルマス広場に向かって進むことにした。
 じっくり下調べを行って気づかれないよう奇襲するという考えはない。いっそ向こうが自分たちを見つけてくれる方が都合がいい。
 リーゼル蘇生のためにも、こちらはできるだけ早く魔王を倒したいのだ。
「廃墟だから人はまったくいないと思ったんだけど……」
 民家の中で見つけたものに驚き、一行はそっと手で触れながら状況を確認する。
 立ち尽くす男性、女性、子どもに老人。鎖に繋がれたままの犬。
 それら全てが――透き通った硝子でできている。
「彫像にしては、数も精巧さも異常だ」
 本物の人間そっくり。否。
「まさか……住人全て硝子に変えられてしまったのか?」
 外壁に罅の入っている寂れた民家の中。食卓の椅子に座ったままの姿勢で置かれている硝子像は、どう考えても元は人間だとしか思えない。
「この街が廃墟化したのは住人が全て逃げ出したからではなく、住人が硝子像に変えられてしまったからなのですね……」
 タルテが顔を顰めながら言った。いくら忙しいとはいえ、星狩人協会は街一つ潰すような魔王をよくも放置できたものだ。
 二、三軒の民家を調べて恐らく街中全てがこの状態なのだろうと理解したところで、セルセラたちは大通りを歩き始めた。
「どうやら話し合いで済ませられる相手ではなさそうですね」
「――これだけのことをした相手だ。戦うしかないだろう」
 レイルの表情が随分と険しくなっている。
「どちらにしろ、ファラダのご主人様の呪いを解くためには魔王を倒さなきゃいけないんだろ?」
「そういうことだ。僕たちのやることは変わらねーよ」

 その時、アルマス広場に立つ時計台の鐘の音が鳴り響いた。

 ようやく広場に辿り着いた四人が時計台を見上げると、文字盤のすぐ下のバルコニーに、たおやかな人影が立っている。

「私に何か用? 勇敢な勇者御一行様」

「これはこれは……どうやら僕たちが自己紹介する必要はなさそうだな。そっちから姿を見せてくれるとはご丁寧にありがとうよ、魔王さん」
 夕風になびく淡い金髪。硝子のような薄青い瞳。翻る真っ白なドレスの裾とリボン。
 見た目はただの美しい女性だが、その気配ですぐにこれぞ硝子の街の魔王だとわかった。
 魔王とは無数の魔獣の中でも大量の“黒い星”を有する、特別に強力な個体だ。
 配下の魔獣を差し向けずに本人がいきなり御登場とは驚いたが。
「無粋な招かれざる客は門前で追い返されるものでしょ。それともあなたたちも永遠にこの街にいる? 硝子と灰、どちらになりたいのかしら?」
「どっちもごめんだね。それよりも聞きたいことがある」
「何かしら」
「リーゼルという娘の魂をどうした」
「魂? ……ああ」
 魔王はすぐに思い当たったようで、うんざりとした表情で口を開き手を動かす。
「あの嫌な女の魂なら、ここよ」
(……嫌な女?)
 セルセラたちの疑問は、次の瞬間の魔王の行動によって封じられた。
 彼女が腕を一振りすると、白い掌の上に浮かぶように小さな鳥籠が現れたのだ。
 その中でふわふわと輝く黒い真珠のような人魂。
「あれだけ虚仮にされて、ただ殺すのは業腹だもの。慰謝料代わりとして黒い星を頂いたの」
 ……ここまで言われるファラダの主は一体何をしたのだろうか。
「あんたたちの間に何があったかは知らないが、星狩人としては黙って見過ごすわけには行かないぜ。……暴力行為は改めて冷静に話し合いたいって言うなら、僕がリーゼルと話をつけてやってもいいが?」
「セルセラ、魔王を説得などと……」
「そうね、茶番よ」
 渋い顔をするタルテ以上に、魔王はセルセラの勧告をばっさりと切り捨てる。
「いきなり殴りかかって来ないのは勇者として見上げた姿勢だけど、考えが甘いわ。魔王は殺す者、滅ぼす者、戦いの果てに勝ち取る者よ」
「勝ち取る、ねえ」
 生命の気配がしない廃墟の街をぐるりと見まわし、セルセラは改めて魔王に問うた。
「それでお前は、本当に何かを勝ち取れたのか?」
 廃墟の街に、日常の一部を切り取られた硝子像。
 本当に満たされているならこんな寂しい場所に居座る必要など、ないのではないか?
「茶番なんだろう? お前自身も」
 その台詞は痛いところを衝いたようだった。
 それまでいっそ友好的とすら思える微笑みを浮かべていた魔王の表情が一変する。
「そう……あなたたちも今まで来た奴らと同じね。また私から永遠を奪おうとするのね」
 硝子の街の魔王は、街の外にまで積極的に人を殺しには行かない。
 けれど、街に侵入しようとする者は例外なく殺害してきた。
 ほっそりとした肢体から溢れ出す凄まじい殺気に、星狩人たちは咄嗟に武器を構える。
「十二時の魔法は終わらせない。私はこの時間を続けるためなら何だってする」
 ふわりと重さを感じさせない動きで四階程の高さのあるバルコニーから飛び降り、魔王は名乗りを上げた。

「私は一の魔王にして“剣士”の魔王ドロミット。――さぁ、舞踏会を始めましょう」

 硝子の剣を手にしたドロミットは、ダンスを踊る前の淑女のように嫣然と笑った。

 ◆◆◆◆◆

 純白のドレス姿に硝子の剣。そして硝子の靴。
(硝子の靴? シンデレラじゃあるまいし)
 能力や思惑の分析をするべきなのだが、思わず変なところに目が行ってしまう。
 セルセラは挑発して更に情報を引き出すために無駄口を叩く。
「たった四人のために舞踏会とはご丁寧にどうも。それともお出かけ前だったかな? シンデレラ」
「シンデレラは私じゃないわ。あら、でもちょうど良いところに魔導士が来てくれたんだもの。飛び切りの魔法をかけてくれる? 王子様の隣に立てるような」
「ああ、かけてやるよ。死と言う名の解けない魔法をな!」
 小手調べにもならない小さな火の玉をぶつけて魔王の注意を逸らす。ドロミットは剣の一振りであっさりと三つの火の玉を消し去るが、その間にファラーシャが彼女に肉薄している。
「はっ!」
 容赦なく放たれた拳をドロミットはふわりと躱し、民家の屋根に飛び乗って避難する。
 しかしそこにはすでに槍を構えたタルテが待ち構えていた。突き出された切っ先を避けるために、ドロミットはまた別の民家へと飛び移る。
「恐ろしく身が軽いな」
 さすがに魔王と呼ばれるだけのことはある、とレイルは屋根の上の攻防を剣を片手に眺めながら感心した。
「お前は行かねーのかよ、レイル」
「行く。行くが、その……相手が女性だと微妙にやる気が」
「紳士か! この場面ではそんな面倒な感情捨てとけ! 相手は魔王だぞ!」
 レイルの性格上、相手が強くなければやる気が出ないなどと戦闘狂のようなことは言わないだろう。
 だからと言って、女子どもは斬れないなどと言われても面倒なだけだ。
 ああもう、こいつから先に絞め殺したい。自らに戦力的な余裕がなければセルセラはまず間違いなく実行しただろう。
「あのなレイル、この街の魔王は百年前から存在が確認されてる。あんなナリしてても百歳以上だぞ」
「言われてみればそうか」
 魔獣の年齢を人間換算すること自体に意味がないような気はするが、とりあえずその説明でレイルは少しばかり女性に剣を向ける行為への気が軽くなったらしい。
 ドロミットを倒すためようやく動き出したのを見て、セルセラは小さく溜息を吐く。
「なんだかなぁ……」
 レイルは強い。間違いなく強いのだが。
(乱暴者でも無法者でもないのに御しきれないかもしれないってのは面倒だな)
 決して悪人ではないが、だからこそ手綱を握るのが難しいという厄介な性格の吸血鬼。
(それでも、この強さなら……)
 ひょいひょいと見事な跳躍で屋根の上を行き来するドロミットに対して、タルテの得物である槍は長すぎる。
 ファラーシャも考えなしに動けば周囲の民家を破壊してしまうだろうことから、いきなり全力は出せずにいる。
 民家の中に残された無数の硝子の像は人間である可能性が高い。救える可能性がゼロではない限り、迂闊に壊すことはできない。
 剣士の相手には、同じ剣士がちょうど良いのだ。タルテとファラーシャの攻撃の隙にドロミットの前に先回りしたレイルが、相手を引き受ける。
「君に恨みはないが、これまで被害に遭った人のため、そしてこれからの被害者を出さないために、俺たちは戦わなければならない。……聞くが、剣を引いてくれる気はないか?」
「いやよ。この街の奴らの命はもう私のもの。誰にも私の計画の邪魔はさせない」
「計画?」
「……少し喋りすぎたようね。やっぱりあなたたちは灰になってもらいましょう」
 ドロミットを包む空気が変わった。
 レイルは臆することこそないが、相手の本気を感じ取って先程よりも強く剣の柄を握り構える。
 タルテとファラーシャはレイルの邪魔をしない程度に援護するために、武器を持ち替える。
 そして二人の剣士の斬り合いを見ながら、セルセラはどうして突然魔王が自ら現れたのか? それを考えていた。
(普通ならあの城を根城にして待ち構えるよな。それをしなかったのは、何故だ?)
 ドロミットは四人を追い返そうとしていた。つまり、彼らにこの街に入られたくない。あの城に近づいてさえ欲しくない理由があるのだ。
(リーゼルが呪われたのもそれが原因か?)
 近づく者がいなかったはずの硝子の街に近づいたから。二度と現れぬよう致死の呪いをかけられた。
(魔獣狩りを城から遠ざけたい。――あの城に何か大切なものがあるのか?)
 計画という言葉を使っていた。一の魔王には何らかの思惑がある。
「……使わないじゃなくて使えない? 力が強くて制御のできない配下には任せられない仕事、状況……もしかして」
 もしや、魔王も民家を――その中の硝子の像を傷つけないようにしているのではないか?
 そこに一体何の思惑があるのかはわからないが……。
 セルセラが考えているうちに、レイルの剣はドロミットを的確に追い詰めていく。
「速すぎて援護をする暇もないですね」
「そうだなぁ……迂闊に撃てばレイルに当てちゃうし」
 タルテとファラーシャが機会を窺うが、簡単に手出しはできない。
 それでもファラーシャは神器の弓を構えた。
 一瞬でも隙ができれば撃つ。相手が不老不死のレイルであれば万が一当ててしまっても致命傷にはならないし、例えレイルが上手く動けなくてもその時はタルテがトドメを刺してくれる。
 あまりにも雑過ぎるが、細かな作戦を立てることはできなかった今回の戦闘ではこの辺りが限界だろう。何せ四人は今朝初めて顔を合わせたばかりの間柄で、境遇や経歴がまるで違うので連携も何もない。
 魔王の表情に、僅かな焦りが浮かんだ。
 セルセラたちが俄か部隊だと知らないドロミットからすれば、レイル相手に防戦一方の今、他の三人に攻撃されたら完全に勝ち目がなくなる。
「こうなったら……」
 神器の弓に髪の矢を番えたファラーシャと魔導で街全体に逃亡防止の結界を張ったセルセラ、今も槍を構えて不測の事態に備えるタルテ。
 ドロミットはその三人を見回し、眼前に迫っていたレイルの攻撃を躱す動きでそのままレイルの遥か後方の通りへと降り立つ。
 彼女は振り返って一行に告げると、そのまま全力で走り出した。

「今日のところは失礼するわ。私みたいなか弱い女の子は、あなたたちみたいなこわ~い星狩人さんたちの相手なんてできっこないもの」

「は?」
「……え?」
「ちょ、待っ」
「逃げた!」

 まさかの魔王が敵前逃亡。
 思わぬ行動に、四人は一瞬ポカンと間抜け面でその動きを見送ってしまった。
 身の軽さに自信のあるドロミットはその間にも四人から離れて民家と民家の隙間の小路に飛び込んで姿を隠す。
 いち早く我に帰ったセルセラが慌てて指示を飛ばす。
「何やってんだ! 追いかけるぞ!」
「お、おう!」

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