020.白と黒の神話

 ――始まりの夢を見る。
 白い砂浜が真っ赤に染まり、邪神の嘆きは青い海を荒立て黒く染めた。天を埋め尽くす神々の軍勢。相対するは一人の魔術師。
 創造の女神の名を奪い、後の世に“創造の魔術師”と呼ばれることになった辰砂は、神々の末子である破壊神と対峙し、敗北し、地に堕ちる。
 これは彼女が、師である紅焔から何度も聞かされた話。
 その紅焔が、彼の師である辰砂から何度か聞かされた話。
 けれど今日は少しばかり様子が違った。
 悲惨な戦場の光景は消え、白い闇が辺りを包む。その中に輪郭だけを淡い光で浮かび上がらせた人影が現れる。
 夢は無意識の現れ。
 竜骨遺跡での体験と過去に何度も聞いた神話が混ざり合ったのだろうと、夢の中でもセルセラはどこか冷静に判断していた。
 顔立ちの分からない光の輪郭に告げる。
「待ってろよ辰砂。そして待ってろよ、背徳神グラスヴェリア」

「僕はいずれ、あんたたちを――」

 そこで夢から覚めた。

「……せめて最後まで言わせろよ……」
 ぱちぱちと大きな目を数度瞬くと、セルセラはぼやきながら寝台の上で身を起こした。
 硝子の街近くの大きな街。その中でも特に高級な宿を今回ばかりはと奮発して取った。
「なんの話?」
 セルセラが一人で休んでいたはずの部屋に、彼女以外の女の声が響く。
 ぽすっと気の抜けた音を立てて枕の上に乗って来たのは、白い羽が美しい一話の鳩だった。
 ただの野鳥ではないことは、その青い目が示している。その鳩が女の声で喋る。
「セルセラちゃん」
「ああ。なんでもない。ただの夢の話だよ、ドロミット」

 ◆◆◆◆◆

「は? 魔王? その鳩がですか?」
「んにゃぁああああ! 鳥ぃいいいいい!」
 朝食の席が騒がしい。
 魔獣騒ぎがあったばかりで利用客が少ないとはいえ、念のために食事を部屋に運び込んでおいてもらって良かった。この騒ぎようでは、朝から他の客の迷惑になること間違いなしだ。
「とりあえずファラーシャは落ち着け」
 虫の特性を持つ一族としては、ただの魔王よりただの鳥の方が恐ろしいらしい。
「いや、ファラーシャでなくても叫びたくなるぞ。その鳩が魔王って、どういう……」
 レイルの台詞の途中で、白鳩は羽根をまき散らして光に包まれる。瞬く間にその姿が、硝子の街で相対した金髪碧眼の女性へと変化した。
「もぉ。仕方ないわね。これでいい?」
 どうやらファラーシャがあんまりにもうるさいので、ドロミットの方から人型をとる気になったらしい。
「うわ、本当に昨日の魔王だ」
「有翼族だから鳥にも変化できるのですね……ですが、どうしてあなたがここに?」
 鳥の姿が視界から消えたことによってようやく落ち着いたファラーシャ、いつもの槍こそ持ち込んではいないが、懐からナイフでも取り出しそうな警戒態勢のタルテ、ぽかんと口を開けて驚いているレイルなどを前に、セルセラは一口、食前のお茶をすする。
「とりあえず食いながら話そうぜ。この後協会にも顔出すんだから、時間がもったいねえ」
「それもそうだな」
 先程まで騒いでいたファラーシャは、食事を前にすると途端に相好を崩して食べ始める。
 食べる量の関係で早いうちに口が開くセルセラは、その間に昨夜ドロミットと交わした契約の話をすることにした。
「つまり、この魔王はあなたの使い魔になったと」
「まぁ簡単に言えばそんな感じ」
 タルテの端的なまとめ方に雑に頷き、セルセラは優雅な仕草で食後のお茶を啜る。
「魔王を使い魔……って、そんなことできるものなのか?」
「現にやってるだろ、今」
 いまだ信じられない様子のレイルがドロミットとセルセラの顔を何度も見比べる。
「その魔王は、本当にあなたの言うことを聞くのですか? 自我を遺しているのならば、裏切られることもあるのでは?」
「僕や星狩人協会、無力な人々に危害を加えないよう最低限の決まりは契約に組み込んであるぜ。ま、その決まりを作ってる基準は僕だけど」
「もっと詳しく」
「今のドロミットの行動は、僕の意志や価値基準に合わせる強制力が働いている。つまり僕が望まないことはできない。誰かを殺そうとしても、それが僕にとっての禁忌なら体が勝手に動きを止める」
 あまりガチガチに縛ると、今度は魔獣や強盗の撃退など咄嗟の対応ができなくなるのでそのぐらいがちょうどいいのだ。
「基本的な性格は元のままで、あなたが望まないような明らかな犯罪行為や無意味な暴力は働けないということですね。しかし……」
 まだ疑わしそうに横目でドロミットを睨むタルテに、セルセラは素知らぬ顔で言い放った。
「あとは本人の自由だ」
「魔王も仲間になったってことか?」
 タルテとはまた別の角度から端的に、ファラーシャがドロミットの立場を確認する。
「“も”ってなんだファラーシャ」
「えー、だって私たちは仲間だろ?」
「最初の仕事で偶然行き会っただけだろ。報酬の清算をしたらそこでお別れだ」
「えー。私もセルセラと一緒に行こうと思ったのに」
「なんでだよ。ほら、さっさと食って協会に今回の仕事の報酬を取りに行くぞ。僕が代表として受けた依頼だが、お前らも解決に協力したからな。四人で折半だ」
「セルセラ、俺は……」
 敵に洗脳され味方に危害を加える失態を犯したレイルは、報酬を辞退するつもりで口を開いた。しかし最後まで言い終えるのさえセルセラは待ってくれない。
「異論は許さねえぞレイル。そしてお前はその報酬からさっさと僕へここの宿代を払え」
「う……」
 ほぼ一文無しで竜骨遺跡までやってきたというレイルは金の話をされると弱い。
 本人は不老不死の吸血鬼なので金などなくても死にはしないが、セルセラに貸し付けられたここの宿代は確かに支払わねばならない。開き直って踏み倒すせるような性格なら苦労していない。
「金の話は綺麗に清算する必要がありますし、事件の報告や取得した資格と辰骸器の話もありますから、どちらにしろ協会には行きましょう」
 タルテもこれ以上話しても堂々巡りになることを予感して、食事を終えると早々に出発のために荷物をまとめ始めた。

 ◆◆◆◆◆

 竜骨遺跡に併設されている星狩人協会の本部で、セルセラたちはまず昨夜別れた男とその主のことを直接聞かされた。
「リーゼルという娘のことだが、今朝無事に目を覚ましたそうだ。ファラダが報告にやってきた」
「良かった!」
 ファラーシャが手を叩いて喜びを露にする。
「ま、僕が診たんだから当然だな」
 セルセラはくわぁと欠伸を噛み殺しながら言う。
「ついでに星狩人(サイヤード)としての手続きをして行けと言ったんだが、まだ主の世話をするので忙しいと断られてしまってな」
「まぁ、あいつは星狩人にはならなさそうだったからな……」
 あくまでリーゼルを救うために辰骸器を欲したファラダは、主が無事に復活した今、セルセラたちのように星狩人としての仕事を生業にするとは考えづらい。
「顔を見に行かなくていいのか?」
「別にいいよ。あっちが無事でこっちも問題は解決したんだろ? まぁ、向こうも魔獣狩りとして生きるならまたどこかで会うこともあるかもしれないしな」
 リーゼルの件は経緯がはっきりしている。無事だとわかっているならば、当面問題はないはずだ。
 同じ目的で動いているのであれば、いずれどこか旅の空で再会することもあるだろう。
 セルセラたち以外の受験者の試験もすでに終了しており、大半は星狩人としての資格を得ることができたと言う。
 アンデシンたちも無事に辰骸器取得の試験を合格し、今は竜骨遺跡で採取した鉱石が加工されるのを待っている。
 忙しない一日がようやく終わりまずまずの結果に落ち着いたところだが、星狩人としてはここが出発点だ。
「お前たちの辰骸環(アスラハ)が完成するのは三日後になる」
 星狩人として資格を得て協会に所属することに関して、四人は一通り説明を受ける。
 正確には、セルセラはすでに星狩人として活動しているので、そちらは主にタルテ、ファラーシャ、レイルのための説明である。
 セルセラはその間に今回の一件の報告書を手早く仕上げていた。
 更にそれぞれが竜骨遺跡で採取した鉱石を辰骸器に仕上げるための調整などもこなした。
 元となる神器程ではないが、辰骸器も多少の相性がある。
 魔導と武器制作両方の技術を極めた職人たちが各人の希望を聞いて、星狩人に相応しい武器として仕立て上げるのだ。
「ではまた三日後にな。ひとまず解散」
 説明を聞き終え、完成した辰骸環を受け取るまでの時間は自由だ。
 他の星狩人たちはその間に遺跡に近い山の中腹の街で装備を整えたり、協会に持ち込まれた依頼から受ける仕事を探したりするのだが、セルセラたちは今回の一件を主立って解決した関係で、まだまだやっておきたいことがあった。
「セルセラ、改めてあなたから色々聞きたいお話があるのですが」
「面倒だな。ま、僕もお前たちにちょっと聞きたいことがあるけど」
 タルテが切り出し、セルセラが口では不満を挟みながらも応じる。ファラーシャとレイルももはや当然のようについて行く。
 新米星狩人が慌ただしく行きかう協会本部よりは人気が無い場所の方が話しやすいだろうと、四人はこの度の試験会場でもあった、山の上の竜骨遺跡へと移動した。

 ◆◆◆◆◆

 肋骨の輪郭が爬虫類の標本のように目立つ竜骨遺跡。この竜とは、神の暗喩なのだと言う。
 神の骸を加工した遺跡の中庭、ある意味では墓場とも言えるこの場所で、セルセラは千年前の真実を語りだす。
 彼女の師匠は世界で一番の魔導士・紅焔(こうえん)。
 そして紅焔は――かつて神々に反逆した伝説の魔導士、“創造の魔術師”こと辰砂(しんしゃ)の弟子の一人だった。
 辰砂は不老不死だったと言われている。数千年を生きて、各地の御伽噺にもたびたび登場する「悪い魔法使い」の代名詞。
 けれど、様々な事情から地上で行き場を失くしたところを拾われた紅焔や他の弟子にしてみれば良き師匠であり、ラウルフィカや他の者たちにとっても恩人であったのだと。
 紅焔は辰砂と天界で何年か暮らしたが、ある日その平穏は破られた。
 背徳神グラスヴェリアの暴走。訪れた世界滅亡の危機。
 創世期の神話からは、よく背徳神が他の神々に反逆した理由が割愛される。隠されている。
 あるいは、人々が単に知らなかっただけかもしれない。
 まだ神々が地上で生活するのが当たり前だった創世期、背徳神グラスヴェリアも己を崇める民たちと共に海辺に小さな村を築いて暮らしていた。
 けれどグラスヴェリアを崇める背徳的――人々の輪から外れた異端者たちの存在を許さない者がいた。
 秩序神ナーファ。
 ナーファは背徳の民を殺し、グラスヴェリアを深く嘆き悲しませた。
 悲しみはやがて怒りに、憎しみに変わる。
 異相と強すぎる魔力故に迫害され背徳神の村に身を寄せていた辰砂も、同胞の死を悲しみグラスヴェリアと共に復讐を誓った。
 そして一柱と一人は秩序神ナーファを始めとする神々に反逆したのだ。
 結果は後の神話に語られる通り、辰砂たちの敗北で終わった。
 辰砂は不老不死だが破壊神に肉体を破壊されたため死んだも同然であり、一度生まれ変わっている。人としては強すぎる力を持つ彼は転生後、神々と共に地上を離れて天界で暮らしていたが、必要があればたびたび地上に降りた。
 そしてグラスヴェリアは、半ば自らが望むような形で“常闇の牢獄”に幽閉された。
 常に闇に包まれているその牢獄の中でグラスヴェリアが何を考えていたのかは誰にもわからない。
 しかしついに彼は狂い、牢獄を破壊して出てきた際に暴走して世界を滅ぼそうとするまでになった。
 辰砂は己の信じ愛する神にこれ以上罪を重ねさせないために、自らの身を、命を、魂を賭して、背徳神グラスヴェリアの存在を千々に引き裂いた。
 無数の欠片となり地上に散らばった背徳神と辰砂の魂。
 紅焔たち辰砂の弟子は、その一部始終をその目にしていた。
 白い星は辰砂の魂。これを得た者は、驚異的な能力を有する。
 黒い星は背徳神グラスヴェリアの魂。これを得た者は、破壊と殺戮の狂気に狂う、魔獣となる。
 白と黒の“星”――魂の欠片を集めるために、星狩人協会は誕生した。
 背徳神の暴走の影響で生み出された魔獣を完全に倒し、無数の欠片となった魂を全て集め辰砂を復活させる。
 それが紅焔や他の弟子たち、ラウルフィカなど辰砂に恩を受けた人々の望みなのだ。

 ◆◆◆◆◆

 神々の眷属となり不老不死となった魔導士・紅焔は十四年前、地上で一人の赤ん坊を拾った。
 親を亡くしたその赤ん坊を、彼は何の気まぐれか、自らの手で育てることに決める。
 セルセラと名付けられたその娘は、後に生贄術師としての資質に目覚め、比類なき巫女としての実力を開花させていった。
 紅焔を始めとする最高峰の魔導士たちに鍛えられる一方、巫女としても研鑽を積んでいく。
 この世界において、魔導と宗教は反発しあう関係だ。両方を深く極めているセルセラは、これまでにない異例の存在であった。
 しかし辰砂が不在の今、最強の魔導士である紅焔に育てられ、天界で神々とも親しく付き合いのあるセルセラにとっては自然なこと。
 “聖女”と呼ばれる生贄術師であり巫女として扱われながらも、師を超える魔導士になるために研究や修行を繰り返し魔獣相手に実践する日々を送っていた。
 そして十四歳になった現在。
 背徳神と辰砂の魂が散り散りになり、地上に魔獣が出現してから千年目。
 ついに、星狩人協会の悲願である魔王討伐を達成するため、セルセラは動き出した。

 ◆◆◆◆◆

「と、言うわけだ」
 魔王の存在は、紅焔やラウルフィカたち、セルセラの保護者である人々の真の目的である辰砂復活と強く結びついている。
 だから。
「僕は、この一年で現在存在する六人の魔王を倒し、黒い流星の神話の時代を終わらせる」
 辰砂がその魂を肉体ごと砕いてまで背徳神に呪いをかけたのは、背徳神の暴走から世界を救うため。
 つまり、背徳神の暴走とその果ての滅亡を阻止しないと、辰砂を取り戻すことはできない。
「世界一の魔導士を目指す以上、魔王ぐらい倒せないとお話しにならねえからな! 僕の野望のついでに、師匠たちの願いの一つを叶えてやるよ!」
「セルセラ、人々の尊敬を一身に集める清らかで心優しい聖女様なら、そこは『お師匠様たちのために、そして世界に平和を取り戻すために魔王と戦います!』と健気に誓うところです」
 フフンと鼻を鳴らすセルセラに、タルテが世間一般の期待を持ち出して突っ込む。
 しかし聖女の能力と称号を持つが中身がまったく聖女ではない魔女は、そんなことは甘ったるい物語中の非実在聖女様に任せておけと取り合わない。
「ところで、どうして一年なんです?」
 単に魔王を倒すだけなら誰が期限を切っている訳でもなし、いつでもいいのだ。何せこの千年間、全ての魔王が倒された時期などなかったのだから。
 もちろん世界に平和を取り戻すためには早いに越したことはないが、一年という明確な制限を設ける必要はない。
 むしろ魔王対策に年単位での準備期間を要するなら、時間をかけてでもじっくりやった方が良いくらいである。
「僕の力が最大になるのがこの年齢だからだ。女神様からそう聞かされて、ずっと準備してきた」
 人には寿命が存在する。肉体や精神の成長限界も。
 魔導士には更に、星の巡りによって能力が変動する周期というものがある。
 セルセラの力が最大になるのは十四歳から十五歳までの一年間。
 聖女としての力でそれを知ったセルセラは、多少の無茶をしてでもこの一年で魔王を倒すべく備えてきたのだ。
「恐ろしい執念ですね。魔導士兼聖女という存在の希少性よりも、あなた自身の意志と用意周到さの方に舌を巻きますよ」
 「――そういうお前は何者だ?」
 十四歳で星狩人協会の重鎮であり宗教的権威の首座でもあるセルセラ。彼女のことを恐ろしいと言うタルテ自身も、なかなか謎めいた存在だ。
「僕が特別な魔導士であることは、まぁ当然っちゃ当然だ。この来歴で世間一般のか弱い子どもと何も変わりませんとか言ったらそっちの方が笑っちまう。だがタルテ……いや、タルティーブ・アルフ司祭。お前の方こそ何なんだ?」
 二人の視線が交錯する。
「僕は魔導士にして聖女たる“天上の巫女”、ファラーシャは特殊民族“光翅の民(ハシャラート)”の姫、レイルは呪われた“不老不死の吸血鬼”。……だがお前は? ただの巡礼が、この派手な経歴の面々に張り合えるくらいの実力を持っているのは何故だ?」
 星狩人協会の実力者は魔族が多く、人間の才能の限界など、生憎となかなかお目にかかれるものではない。
 タルテもレイルも人と言う種族の枠組を超えるような強さを持つ。
 しかし、呪われているとはいえ元はただの人間であったレイルと比べ、タルテの強さは異質だ。
 タルテは深い溜息を吐きながら答えた。

「……私が何者であるのか。知りたいのは私自身です」

 否、それは答とは言わない。
 タルテ自身が旅に出る決意をした、本当の理由。
「私は中央大陸の南の果てにある教会に拾われた、生まれながらの孤児です。環境には恵まれていたと思います。義父から聖職者としての教育を受け、司祭としての位もいただきました。……ですが、教会での暮らしに、本当の意味で馴染むことはできませんでした」
 嫌いだったわけでも、憎んでいたわけでも、嫌われていたわけでもなく。
 ただ自分自身も周囲もわかっていた。自分の居るべき場所は、ここではないのだと。
 同じ教会で育った友と主任司祭の座を争い、敗れたことはただの切っ掛けに過ぎない。
 本当はずっと前から、自分が何かを探しに何処かへ行かねばならないことを感じ取っていた。それが主教の言葉で明確にされただけのことだ。
 ――“自分”を探しなさい。タルティーブ。君はまだ自分自身を知らない。

「私は私を探さなければならない。私自身の中にある、正しき神の姿を探すために」

 巡礼として旅を始めたのはそのためだ。参る神殿や教会を探しているようで、実際にタルテが探し求めていたのは自分自身の正体。
 別段周囲と変わったところなど何もないただの孤児。自分のことをそう思えたならどんなに良かったか。
「お前が捨てられたのはただの生活苦や家庭の事情なんかじゃなく、重大で崇高な使命を帯びているからじゃないかって? 冒険小説なら僕も好きな展開だけどな……」
 セルセラが口をへの字に曲げる。
 阿呆臭いだとか自意識過剰だとか、お前ぐらいの優秀さなら他にいくらでも代わりがいるだとか言えればタルテ本人にとっても楽だただろう。
 しかし先にタルテが普通ではないとこの場で指摘したのはセルセラの方だった。天上の巫女である彼女自身が、図らずともタルテの特異性を証明してしまった形となる。
 タルティーブという人物は「何」なのか。
 それを一番知りたがっているのは、他ならぬタルテ本人だったのだ。
「ちなみに絵物語だと主人公の正体が不明の場合、伝説の勇者の生まれ変わりとか伝説の賢者の息子だとか最後に自分が救う伝説の王国の王子だったりとか良い存在のパターンと、実は魔王の血を引く子どもとか圧政を敷いた暴君の息子だとか世界を滅ぼす伝説の魔神だとかの悪い存在である類型(パターン)の二通りがあるぞ!」
「まぁ正体不明って振っておいて実はなんもない普通の人間って展開じゃそもそも物語にならないからな……というか伝説って言葉が好きだなファラーシャ……」
 一文以内に四回も伝説という単語を使用する物語好きのお姫様に突っ込みつつ、セルセラは顎に指をあてて考える。
「そうだな。僕に今言えるのは、少なくともお前は魔獣とか魔王じゃないってことだな。魔族でもなさそうだし妖精、幻獣はすぐにわかる。特殊民族ならファラーシャが気づきそうなもんだし。どちらかと言うとこの気配は……」
 セルセラはこの気配によく似たものを知っているはずなのだ。けれど断定できない。
 知っているはずなのに知らない。逆か。知らないはずなのに知っている。そんな奇妙な感覚に囚われる。
「いや……やっぱりわからないな。僕にわかるのは、限りなく人間に近くて同時に人間から遠い何かってことだけだ」
「……それでも、ただの人間でないことは明らかなのですね。それがわかっただけでも収穫です。ありがとうございます、猊下」
「……お前に猊下とか言われると背中が痒くなりそうだ。普通にセルセラって呼べ」
「ではそうしましょう。私もあなたに今更かしこまった口調で話すのは不本意です」
「おい」
 失礼な本音を交えつつしれっと元の話し方に戻るタルテに、ファラーシャがにこにこと、レイルが困惑した表情で零す。
「私、今まで敬語って敬意を持ってるから使うものだと思ってた!」
「俺もそう考えていたが、違うようだな……」
 タルテは普段から丁寧な口調で尊敬語も謙譲語も場と相手によって使い分けるが、それとこれとは別らしい。
「ま、僕たちについてはこんなところか」
 セルセラが神々と創造の魔術師・辰砂の事情と彼女自身の素性を説明し、タルテはそもそも自分の素性を知るために巡礼の旅を始めたことを話し終えた。
「と、言うわけでここからが大本命だ。ドロミットにあっさり洗脳された吸血鬼殿? お前の過去と言う名の釈明をそろそろ聞いてやろうじゃないか」
「う……」
 不意打ちのように話題を振られたレイルが呻いた。

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