029.白の帝国とその隣国

 ディムナが一行を連れてきたのは、彼らが泊まっている宿のすぐ近くにある食事処だった。
 普段安くて美味い店を探すのが趣味と言い放つディムナが、己の騎士との気安い二人旅にしては珍しく高級な宿と食事処を選んだことがセルセラとしては少し気になった。
 清潔感を重視した白い円卓と椅子が並べられた個室。壁には高名な画家の絵。メニューに並ぶ料理の名前も金額も、彼女たちがよく見るものより少しばかり長い。
 とはいえ、世界有数の大国の皇帝の懐事情がまさか貧しい訳もない。
 奢りだと言う言葉を受け、遠慮なくあれこれ注文しまくっている。
 そして料理が来るまでの間に、お互いの事情説明を済ませてしまおうと話し始めた。
「ディムナ。こっちの聖職者がタルテ、美人がファラーシャ、クランと一緒になって騒ぎを起こしてた男がレイルだ。訳あって僕についてきているという、お前並に面倒な奴らだ」
 あまりにも雑な上に双方にとって失礼な紹介だが、数日でセルセラの態度に慣れてきている三人と、以前からセルセラはこんな感じだと理解している皇帝と騎士はものともしない。
「俺はディムナ=マクール=フィン=レンスター=フィアナ。この国の隣国、フィアナ帝国の皇帝だ。こっちは俺の騎士で国一番の使い手であるキュクレイン=セタ=フラン。愛称はクーもしくはクランだ」
「よろしくお願いします。どうぞクランとお呼びください。タルテ様、ファラーシャ様、レイル様」
 フィアナ皇帝ディムナは、陽光のように明るい金髪に琥珀の瞳を持つ、二十代後半くらいの青年だ。
 如何にも貴族的な華やかな顔立ちの男前だが、長身に鍛えられた肉体が放つ武人らしさと、気さくな笑顔のおかげで親しみやすい雰囲気を持っている。
 対照的に、クランは小柄で控えめな雰囲気の少年だった。
 セルセラやタルテと変わらない年齢だが、身長のせいでもう少し幼い印象を受ける。艶やかな黒髪に藍色の瞳。
 よく見ればハッとする程美しい顔立ちをしているが、いつもどこか自信のなさそうな態度のせいでそうは見られない。
 体格も良く堂々として自信に満ち溢れた皇帝の護衛が一回りも年下の華奢で大人しそうな少年騎士であることは、傍から見ると不思議な関係だ。
 とはいえ、星狩人一行もそんな細かいことを気にするような面子でもなければ、人のことを言えるような面々でもない。
「こちらこそよろしく! 皇帝陛下! クランさん!」
 天上の巫女姫の押しかけ同行者たちは、世界最大の帝国と呼ばれるフィアナ皇帝の身分にも動じなかった。
 いきなり宮殿に呼びつけられれば別かもしれないが、街中で高級とはいえ飯屋で自己紹介する気さくな男を皇帝として恐れ敬えと言うのも難しい。
 ファラーシャだけは初めて見る皇帝陛下に正直内心ちょっとはしゃいでいるがそれはそれ。
「同行者と言うことは、三人とも星狩人か?」
 辰骸環を手に入れたファラーシャたちは、一見丸腰だ。ディムナもそれをわかっていてわざわざ尋ねる。
「元々今回はセルセラに頼みたいことがあったんだが、これだけ仲間が増えると心強いな」
「適当なことを言うなよディムナ。こいつらがどう戦ってるのか見たこともないくせに」
 肩を竦めて呆れるセルセラに、ディムナが心外だと言わんばかりに反論する。
「これでも俺も武人皇帝と呼ばれている。強者は服の上から筋肉の付き方を見ただけでどれ程の使い手かわか――」
「えっち」
「スケベ」
「……わかるとはいえ、まさか、若い娘からこのような罵倒を受けようとは……思っても……」
「し、失礼いたしました、皇帝陛下! こら、ファラーシャ、タルテ!」
 眉根を寄せて不満を示すファラーシャといつもと同じ無表情ながら氷の如き雰囲気を纏うタルテを、レイルは慌てて諫める。
 いや、相手が偉い人だからとかじゃなくて、純粋に失礼なので。
「……まぁこれはディムナが悪いけど、実際、そういう目でお前らを見ることはないだろうから安心しろ」
「ええ、そういうことは考えていませんよ。有名ですからね、フィアナ皇帝が命を救われて以来、天上の巫女に求婚し続けていると言う話は」
「きゅうこん? ……って、求婚!? え、セルセラ、プロポーズされてるのか!」
 恋愛話に思わず食いつくファラーシャと、その反応に得たりと大仰に腕を広げ語りだそうとするディムナ。
「よくぞ聞いてくれた! では話そう! 俺とセルセラの運命的な出会いを!」
「たまたま帝国に寄って城下で流行り病の治療をしてたらそれを見たクランが主君を助けてくださいって頭下げて頼み込んできたんだよ。僕は依頼を受けただけ」
 運命の出会いとやらは、まったくそうと思っていない本人の口から一言で説明された。
「タルテは知っていたようだが、そんなに有名な話なのか?」
 レイルは隣の席に座る司祭に聞く。セルセラ本人を除けば、現在の世界情勢や時事問題に一番詳しいのはタルテだ。
「ええ。元々各業界ではそこそこ名を知られていたとはいえ、“天上の巫女”を“茨の魔女”として一躍有名にしたのが“フィアナ皇帝の大病治療”と“ファンドゥーラーの竜退治”という二大事件なのです」
 運ばれてきたお茶に手を付けながらタルテは頷く。
 十年近く前からすでに“天上の巫女”として各国の権力者や宗教関係者の一部には名を知られていたセルセラではあるが、星狩人としても充分以上の問題解決能力と戦闘力があることを示したのがその二つの出来事だった。
「あの時のセルセラはまさしく女神のようであったぞ! 病の高熱に浮かされ生死の境を彷徨っていた俺の前に現れたあまりにも美しすぎる少女にまさかすでに天の迎えが来たかと」
「その話長くなりそう?」
「手短に済ませろよ、ディムナ」
 放っておくといつまででも語りそうな皇帝を制する。
「オホン。とにかく、俺にとってセルセラはまさしく女神に等しい。結婚してくれ!」
「!?」
 今まさに突然の求婚(プロポーズ)に、驚いたレイルが水を噴き出す。
 申し訳なさそうな顔をしたクランが彼におしぼりを差し出す間に、魔女はつれなく求婚を退けていた。
「断る。いつも言ってんだろ。何バカなことやってんだ」
「バカとはなんだ。俺は本気だぞ。本気でお前を妻に――フィアナ皇后に添えたいと思っている」
 気楽な口ぶりからは考えられないほど、皇帝は真摯な瞳をしていた。
 それをセルセラがつまらなさそうに半眼で笑って受け流すのは、この二人にとってお馴染みのやり取りだ。
「皇后だろうと王妃だろうと、僕が男にその座に添えてもらうのを待つような女だと思うのか?」
「思わない。だからこそ俺は、お前が欲しい。お前が隣にいてくれれば、帝国はますます発展するだろう」
「ああああああの」
 止めようにも止められないレイルが壊れた機械のようになっている中で、自分の目の前に運ばれてきた料理に手を付け始めながらファラーシャが言う。
「でもどんなに本気でも庶民の飯屋での求婚はロマンチックじゃないよな」
「お?」
 さすがにその言葉は無視できなかったらしく、ディムナはセルセラの手を握った手を引っ込める。
「それもそうだな。ではセルセラ、お前への愛を語るのはまたの機会に」
「一生なくていいぞそんな機会」
 セルセラは一つ溜息を吐いて、高級料理に舌鼓を打ちながらさっさと本題に入れと命じた。

 ◆◆◆◆◆

「土地を取り戻したい?」
「ああ」
「この僕様にわざわざ依頼したいとか言うからどんな大ごとかと思えばそんな話かよ。お前は土地ぐらいいくらでも自由に手に入る立場だろうが、世界最大の帝国の皇帝サマよ」
「俺自身のことなら、まぁ否定はしないさ。だが今回、あの土地を手に入れたがっているのは、帝国が併合する前のバルの貴族でな」
 問題の土地――フロッグ公爵領は、今現在“二の魔王”に占拠されているのだと言う。
「魔王が土地を占拠……とは」
 聞きなれない言い方だとレイルは首を傾げる。
「一般的に魔王と呼ばれる者が人間の暮らす村や街の中に突然現れたら、その目的は人間を蹂躙し支配することだと思うだろう? だが、フロッグ公爵領の魔王は違うらしい」
 元々フロッグ地方は現在フィアナ帝国の一部となった小国バルと、大国エレオドとの境目に存在する場所だった。
 二国の情勢によって奪い奪われを繰り返し、領主もまたころころと変わっていたと言う。
 ここ数十年は元バル公国のフロッグ公爵家が治めていたが、五年前にエレオドと小競り合いが起き、当主が亡くなった後、どこからか現れた魔王が領地からエレオドの兵を追い出した。
 以来、魔王はフロッグ地方に居座り、エレオドも元バル、現フィアナ帝国の兵も土地に入れず追い返し続けているらしい。
「わざわざ追い返すという言い方をしたということは、もしや二の魔王は人間を襲っていないのですか」
「そうなる」
 タルテの確認にディムナは短く頷いて返す。
 支配ではなく占拠。侵入者を殺害でも排除でもなく、追い返すだけ。
 そして魔王の力に敵わないと見て二つの国が手出しを控えると、更に魔王は大人しくなった。
 人を殺すでも建物や何かを破壊するでもない。ただそこにいて平穏な日々を送っているらしい。
 しかし、今でも侵入者には厳しく、怪しい連中が土地に入るのは常に警戒していて、兵士の格好をした者は見つかり次第すぐに叩き出される。
「中央大陸の魔王が悪事を働いたという報告はなかったはずだな。確か、今でも領民が暮らしているはずだ。商人を始めとする人の移動も禁じられていない」
 被害らしい被害の報告がないので、星狩人協会ですらほぼ無視している。無害な魔王より凶悪な魔獣の対処が先だと。
「ああ、その通り。今でもフロッグ公爵領に住む人々は特に困りごともなく暮らしていけているようだ。だがこれから先もずっとそうだとは限らない」
「領主がいなくても生きていけるといっちゃ生きていけるが……」
 国とのつながりを完全に断ち切るのは難しく、何かあった時に国の支援を受けられないのも不安だろう。
 例えば災害や飢饉、凶悪な犯罪事件への対処。他国との交易。
 フロッグ地方の中だけで解決できるならいい、しかし国や他領の支援を受けねばならない問題が起きた時、誰がどうやって手続きするのか。
「そこのところ今はどうなっているんだ?」
「公爵家の面々は帝都にも屋敷を持っているのでそこで暮らしている。これまでも大まかな指示はフロッグ地方に残った部下に出して領を運営していた」
 とはいえ、実際に現場に赴かなければわからないことも多い。何年も領地を離れていれば、民の方で公爵家を受け入れないかもしれないという危惧もある。
「魔王を刺激するわけにはいかないという理由でこれまで自分たちが住んでいた領主館に近寄れなかったが、このたび跡継ぎ息子がようやく成人する歳になってな。覚悟を決めて領地を取り戻したいと相談されたんだ」
 公爵家が領地に戻らなかったのは、本来の跡継ぎが帝都の学校で学ぶことを希望していたからだと言う。
「……へぇ」
 事情を聞いても妙な話だと言う印象をセルセラは持ったが、今は話を進める方が先だ。
「帝国も大部分の地域が安定してきたしな。辺境の方にもついに目を向け始めたというわけだ」
「お前のとこの兵士も追い返されているんだろ?」
「ああ。五年前、バルを併合してすぐに軍を動かしたが呆気なく叩きのめされたよ」
「星狩人協会への協力要請は?」
 セルセラとディムナのやりとりに、タルテも口を挟む。
「仮にも魔王を名乗る存在なら、協会へ討伐依頼を出すのが適切だと思いますが」
 星狩人協会の力が強くなった昨今、魔獣絡みの事件をわざわざ自国だけで解決しようとする国は少ない。
 何万人もの兵士を動員しなければ倒せない魔獣相手には、星狩人という数名の専門家を雇う方が単純に安上がりだからだ。
「依頼を受けた星狩人が直接魔王を見た結果が、“生半可な戦力では勝てない。特に刺激せずに置いておくのが平和”というものだった」
「まぁ……その頃ならそうなるか」
 五年前と言えば、セルセラはまだ学生として勉強中。星狩人としての活動も余暇で行っていた頃だ。
 ここにいるレイルやタルテ、ファラーシャのように単身で魔王の相手ができる星狩人は限られている。
 彼らのように資格をとって即座に一等星の称号を授けられる星狩人が三人も誕生した今年が異例なのだ。
「クランの奴を行かせるのは?」
「――敵が“魔王”だというのが不安視されてな」
「ああ……そうか。五年前ならまだこいつも来たばっかだし人となりとかもあまり知られてないだろうしな。駄目か」
「?」
 ファラーシャやレイルにはわからないやりとりがあったが、セルセラは今はその話題を続ける気はないらしい。
「まぁ、その話は長くなるから今は置いといてフロッグ公爵に話を戻すぞ。ディムナ、この一件、他にも裏があるんだろ」
「ああ。――フロッグ家は、エレオドから取引を持ち掛けられたらしい。元々お前たちのものである土地を取り戻したくはないかと」
 皇帝の不機嫌そうな表情に、セルセラは一気に合点がいく。
「ただの隣国が善意でそんなことをしてくれるはずないな。魔王から土地を取り戻す代わりに、エレオドへ寝返れとでも言われたか」
「大当たりだ。問題の地域は元々バル公国とエレオド王国がずっと取り合っていた辺り。エレオドは領主であるフロッグ家ごと抱きこんで取り込むつもりでいる」
「ふん……それができるつもりでいるってことは、エレオド側には何か魔王を倒す当てがあるんだな」
「我が国としては、エレオド軍が魔王に蹴散らされてくれればそれはそれで胸がすく思いだが」
「ディムナ」
 セルセラにじろりと睨まれ、仲の悪い隣国の大国との関係に常々頭を悩ませる皇帝は素早く笑顔を取り繕う。
「もちろん、一番心配なのは当然フロッグ地方に住む民のことだからな! エレオドにどんな秘策があるとしても、民を巻き込まずに済ませてくれる保障がない」
「そうだな。穏便に事を済ませるなら、エレオド軍に介入される前に帝国側で魔王に対処してさっさとフロッグ地方を公爵家の手に返すべきだな」
「そういうことだ。さすがセルセラ、話が早い」
 長く二国で奪い合っていた土地とはいえ、魔王に占拠される直近の領主が元バル公国貴族フロッグ公爵家ならば、彼らが本来の支配者。
 エレオドとフィアナ帝国で改めて争うよりも、そこに戻すのが一番話が早い。
「言ってろ。人を都合よく使ってくれやがって。依頼料は奮発してもらうぞ」
 魔王討伐が主目的ではなく、あくまで土地を取り戻すための魔王退治。
 素直に星狩人の仕事とは言い難い依頼内容に、セルセラは呆れ交じりで嘆息した。
「ああ。もちろんだ。だからセルセラ――」
 “天上の巫女”ならば、大概のことはなんとかできると、かつて命を救われたディムナはよく知っている。

「頼む。俺を魔王と交渉させてくれ」
「ちょっと待て! お前が直接行くのかよ!?」

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