030.槍の騎士の魔王

 考えてみれば。
「僕に依頼したいだけならわざわざアジェッサの街に呼び出してしかも本人が来る必要はなかったもんな……。ちっ。こいつの放浪癖を甘く見てたぜ」
 セルセラの舌打ちに、タルテの溜息が重なる。
「フィアナ皇帝がお忍び歩きをよくしているという噂は聞いていましたが、まさか魔王討伐に単身でついてくるほどの方だとは」
「すみません皆様……ディムナ様はどうしても御自分が行くと言って聞かず……途中でセルセラ様に同行していただくからと家臣を説き伏せていました」
「その時別大陸で魔王退治してた僕の予定を勝手に組み込んで動くなよ……どうなっても知らねーぞオイ」
「それでも、セルセラ様と一緒なら大概のことはなんとかなると知っておりますから。ただ強いだけの魔獣なら私一人でもなんとかなるでしょうし……」
 態度は控えめだが、クランの台詞は自らの戦闘能力に対する自信を伺わせる。
「クラン卿ってそんなに強いのか?」
「手練れであることは港町の喧嘩でもわかったが……」
「強い強い。レイル、お前に匹敵するかもしれない」
「ほう」
「え!? 本当に!?」
 ファラーシャが驚嘆の叫びをあげる。
 星狩人試験に一の魔王討伐戦、嵐の船上での魔獣掃討。
 どの戦いでも凄まじい剣技を見せていたレイルと肩を並べられる人間がいるとは、ファラーシャたちも思ってはいなかった。
 レイルは見た目こそ若いが実際は今年で九十九歳になる老剣士。
 人外の剣技を身につけたのは、八十年前に魔王と戦い不老不死の呪いを受けた後も修行をし続けた成果。
 まだ十五歳の少年でありただの人間クランが、そのレイルに匹敵するというのは尋常ではない。
「クラン卿はフィアナ帝国の“狂戦士(バーサーカー)”と名高い騎士です」
 そして毎度毎度、一体どこから仕入れてくるのかと聞きたくなるほど世界各地の噂に強いタルテが話を補足する。
「「バーサーカー?」」
 レイルとファラーシャが揃って頭の上に疑問符を浮かべた。
「その通りだ。クランはフィアナ帝国で最強の騎士なんだが――少しばかり問題があってな」
「……私は一度戦いに集中すると、我を忘れて暴れまわってしまうのです」
「え? クランさんが? 本当に?」
 本人の恥ずかしそうな物悲しいような告白を聞いてもまだ信じがたく、ファラーシャたちはぱちぱちと目を瞬く。
「本当です……それに」
 クランが一度言葉を止め、何かを言いかけてやめる。
「お前が話したければ話せ。僕は言わない。タルテ、お前も」
「わかりました。クラン卿ご自身が決断されるまで余計なことは申しません」
「すみません。気を遣わせてしまって……」
「?」
 ファラーシャとレイルは顔を見合わせる。しかしセルセラたちに今その内容を話す気はなさそうだった。
 一行がそうこうしているうちに、村人たちと話をしていたディムナが戻ってくる。
「おーい、話を聞いてきたぞ」
 気さくな皇帝陛下の手には何故か果樹の実の詰まった袋が握られている。
「いやーまいったまいった。村の連中、俺が皇帝だと言ってもまったく信じてくれんのだ」
「そりゃあそうだろう」
 いくら現在帝国領土内とはいえ、こんな辺境のド田舎村に突然現れて皇帝を名乗る人間。それを人は不審者と呼ぶ。
「で、聞けたのか? 二の魔王の評判とやらは」
「ああ。どうやら相手はなかなかの人気者のようだ」
 皇帝だと言う名乗りは信じてもらえなかったようだが、村人と穏便に会話はできたらしいディムナの報告を聞く。
 そう、ここはフロッグ公爵領プロメッサ村。
 星狩人四人と皇帝とその騎士一行は、二の魔王が占拠しているという土地を正面から訪れていたのだった。

 ◆◆◆◆◆

 綺麗に耕した畑に、腰をかがめた農民たちが種を蒔いている。
 遠くで家畜の鳴き声。
 道ばかり広いが地面そのままでこぼことしていて、馬車など滅多に通らない。
 だから一行の訪れは珍しがられたが、逆に言えばその程度だ。
 フロッグ公爵領は人の出入り自体を禁じられている訳ではない。
 如何にも兵士然とした軍人が並ぶ軍隊は追い返されるが、商人や一般市民はこれまでと同じように行き来できる。
 ひたすらに平和な二の魔王の占領地域。
 プロメッサ村にはフロッグ公爵の屋敷があり、二の魔王にそのまま使われていると言う。
「皇帝本人だとは信じてもらえなかったが、皇帝とフロッグ公爵家がこの地の状況を知りたがっているという風には持って行けた」
 フィアナ皇帝ディムナは問題の土地を直接訪れ、現地の人々の話を聞く。
「俺たちの報告でこの地の魔王への扱いが変わると聞くと、彼らは口々に魔王は悪い存在じゃないと言ってきた」
「……まぁ、今までの報告書にもそう書いてあったもんな」
 セルセラも手元の資料をめくりながら頷く。
「ああ。外敵を領地から追い払う魔王は、見方を変えればこの地を侵略者の手から守っているようにも思える。住民たちは魔王を庇うつもりのようだ」
 一行は、プロメッサ村の中に一軒だけある定食屋で食事を摂りながら話し合っていた。
 地元の人間しか使わない店なので、今もあちこちからちらほら物珍し気な視線を寄せられている。
「――できれば、直接会って話を聞きたいところだな」
「それはさすがに危険ではないでしょうか……」
 クランが不安な顔になる。
 魔王と戦う程度のことは恐ろしくないと言い切る騎士も、主君を魔王と会わせることには抵抗を示した。
 なまじ狂戦士と呼ばれるクランなればこそ、戦闘中に我を忘れてディムナの護衛がおろそかになる危険がある。
「なら、役割を交代しようぜ。クランは魔王への警戒。奴が危険な存在だと見て取ったらすぐに斬り込む役。このバカ殿の護衛は今だけ僕らがやってやる」
「……よろしいのですか?」
「報酬は奮発してもらう」
 二度目の台詞にディムナはからからと笑い、初めからそのつもりだったと頷く。
 食事を終えた一行は再び村人に会い、今度は魔王と直接対面するための情報を聞き出すことにした。
 そしてセルセラたちも、魔王の評判がディムナから聞いた通りであることを改めて知る。
「この村を守っている方? ああ、いるよ。あたしたちが魔獣に襲われたり近くの国の兵士に襲われたりしないよう、いつもその辺を見回っているよ」
「……その辺?」
 大抵の魔王は自らの居城に引き籠もっているものだと思っていたのだが、どうやら二の魔王は違うらしい。
 どこかに出かけていること自体は不思議ではない。だがそれを、周辺住民がまるで恐れげもなく「いつものこと」として認識しているのに驚いた。
 つまりこの地の魔王は人々にとって、出会った瞬間畏怖や恐怖を与える存在ではないと思われているのだ。
「土地の見回りって……まるで領主様みたいだな!」
「ああ、そうだね。多分あの子はそういうつもりなんだろうねぇ……」
 農作業の合間の休み時間。質問を受けた村人たちは、話しながら改めてセルセラたちの格好に違和感を覚えたらしくふと眉を曇らせる。
 ディムナ一人なら冗談好きな若者ぐらいで済んだが、騎士の格好をしたレイルとクラン、僧兵姿のタルテや、やけに堂々として堅気の商売をしているとは思えない態度のセルセラとファラーシャ。
「……あんたたち、ただの旅人じゃないね。随分若い子ばっかりだけど、その服装はまさか魔獣狩りかい?」
「領主様を倒しに来たのか?」
 その質問には答えず、逆にセルセラは尋ね返す。
「領主様と呼んだってことは、あんたらはそいつの支配を受け入れてるってことだな?」
 他にも村人たちが集まって来て不安げな顔でセルセラたちを見回す。
「あんたたちは、そいつが魔王の一人だってわかってるのか?」
 村人たちに動揺が走る。だがその動揺は事実を初めて知る驚きとは違った。
 村人の一人が渋い顔で言いだすと、他にも言葉が続いた。
「なぁ、あんたたち……どんな思惑を持ってこの地に来たのか知らないが、できればこの土地のことはそっとしておいてくれないか?」
「これまでにもたくさんの魔獣狩りが来て、魔王を倒すと言って館に踏み込んではあの方に追い払われていた」
「でもあたしたちの知る限りじゃ、あの人は誰も殺しちゃいないんだよ」
 星狩人協会に入ってくるのは当然、正式に所属する星狩人の報告が主体だ。
 星狩りではないただの魔獣狩りも、協会のあずかり知らぬところでこの地の魔王に挑んでは追い払われていたらしい。
「俺たちは今の暮らしで十分幸せなんだ。フロッグ家がこの地を治めていた時となんら変わりない生活ができている」
 遠回しに魔王を倒すのはやめろと告げる村人たちに、セルセラはついにその問いを発する。

「――あんたたちは一体、“誰”を守ろうとしているんだ?」

 一行に詰め寄る村人たちのざわめきがぴたりと鎮まった。
「話を聞いた時からずっと気になってた。この土地の人間は、明らかに魔王を庇っている」
 魔王の力に怯えて逃げ出すでもひれ伏すでもなく、プロメッサの人々は魔王と共存している。
 その姿は異物を受け入れたのではなく、むしろ身内を庇うかのようだ。
「そ、それは……」
 この地の魔王は、前フロッグ公爵が命を落としたという五年前に出現したと言う。
 しかし魔王という存在は、ある日突然宙に湧いてきたりはしない。必ず切っ掛けがあって誕生する。
 魔獣の発生方法は、邪神の魂の欠片“黒い星”を宿すこと。
 一の魔王ドロミットがそうであったように、その日まで普通に暮らしていた存在がやがて魔王になることもあるのだ。
 だから恐らくこの地の魔王は――。

「魔王は、フロッグ公爵の縁者なんだな?」

 言葉にならない動揺が広がる。
 きっと五年前にこの土地を訪れた星狩人は、彼らの願いを聞き入れて魔王の存在を許したのだろう。
 村人たちは最初から、魔王の正体を知っていたのだ。
「だが魔王がこの土地に居座るせいで、本来の領主である公爵家の人間がこの土地に戻ってこれない。それはいいのか?」
「それは……」
 村の男の一人が何かを言いかけ、結局言葉が続かず唇を噛んで俯いてしまう。
 このままでいいのだとは、彼らも思っていないのだ。
 フロッグ公爵の縁者である魔王を庇っているのなら、彼らはフロッグ公爵家に悪感情を抱いてはいないだろう。
 けれど、ここから事態を動かすということは、魔王を倒すことしかない。そう考えるとどうしていいのかわからないのだ。
「お姉ちゃんたち、魔王さまたおしちゃうの?」
 小さな子どもに目を潤ませて言われてしまう。
「……どうします? セルセラ」
「二の魔王って話聞く限り悪者っぽくないよな。それでも倒さないと駄目なのか?」
「……まあな」
 村人たちの気持ちはわかるが、星狩人としてはこの話をそのままにしておくのは難しい。
 魔王というのは、そこに存在するだけで魔獣を惹きつける存在なのだ。
 今は平和に見えるこの土地も、魔王が存在し続けるならいずれ魔獣の浸食を受ける。
「……とにかく魔王本人に会ってから決める、と言うのはどうだ?」
 先程と同じ提案を、先程と違う言い方でディムナが繰り返す。
「最初からそういう話だったろう。それに、魔王がフロッグ公爵家の縁者なら、俺たちにもそう説明してくれればいいのに」
「確証はなかったからな。今の話を聞いてようやく確信したんだよ」
 苦笑する皇帝に、聖女は深い嘆息で返す。
 同行者たちはひとまずの戦闘を先延ばしにする提案を聞いて少しだけ安堵する。
「しょうがねえな。じゃ、こいつの言う通りまずは魔王に直接会ってみて決めるか。魔王があまりに邪悪だったり人を騙して悪だくみしているようだったら即討伐。そうでない場合は……まぁ、色々とやりようはある」
「さすがセルセラ! 信じていたぞ!」
「僕はお前を信じたくねえよ」
 魔王を倒すだけの簡単な依頼かと思えば、こんな面倒事に巻き込みやがってと鼻白む。
「で、魔王は今どこにいる?」
 長くなったが、そもそもそれを聞きに来たのだったと、一行はようやく当初の目的に立ち返る。
 お互いに顔を見合わせていた村人の一人が口を開く。
「魔王様は、今――」
「これは、何の騒ぎですか?」
 振り返った道の先、馬に騎乗した一人の少年がいた。

 ◆◆◆◆◆

 銀の髪、黒い瞳。銀の鎧を身につけて槍を握った、騎士のような格好だ。
「魔王様――」
「知らない匂いの人たちがいますね。あなた方はお客人ですか? それとも敵ですか?」
 セルセラは眉を顰める。
 魔王は少年の見た目とはいえ、口調があまりにも子供じみていた。
 まるで何かが無理に人間の姿をとり、不器用に言葉を紡いでいるような。
「客よ、ハインリヒ」
 セルセラの代わりに、肩に乗っていた小さな白鳩が槍の騎士に返事をする。
「知り合いだったのか? 言えよ」
「聞かなかったじゃない」
 基本的に魔王たちは連携しないと聞いていたのだが、どうやら人間側が知らぬところでは面識をもっていたらしい。
「また来たのですか? ドロミット。なんで前と気配違うんですか?」
「話すと長くなるわ。だからとりあえず。あなたの屋敷に招待してちょうだい」
 二の魔王――ハインリヒはあっさりと、一行を彼の根城である館に招待した。
 領主屋敷の使用人たちは主人を迎えるように当たり前の様子でハインリヒを出迎えるが、初めて見る顔のセルセラたちに驚き、表情を曇らせる。
 魔王の屋敷と言うよりは魔王が住んでいるただの人間の屋敷で、セルセラたちは年老いたメイドに出されたお茶を平然と飲みながら魔王と対話を試みた。
「ここにいる理由ですか? ご主人様の土地を守っているんです」
「ご主人様?」
「はい。ご主人様が私にこの土地を守るよう言いつけたので、それに従って悪い兵隊を追い返します」
「……なるほどねぇ」
 セルセラはずっと難しい顔をしている。
「あなたは人間や他の生物たちに危害を加えるつもりはないのですね」
「敵は狩ります。民は守ります。ご主人様がそう教えてくれました」
「勇者が来て倒されそうになっちゃったらどうするんだ?」
「『ゆうしゃ』って何ですか?」
「……」
 これはもはや話下手とかそういう問題ではない。
 微かに頭痛のしてきた頭を振り、セルセラは本題を切り出す。
「この領地を取り戻したいって人がいるんだけど」
「……?」
「お前の気持ちはともかく、この土地を治めていた領主の一族がここを取り戻したがっているんだよ。この場合の領地ってのはこの屋敷、領民、土地、全てを含む」
「この家は我が主のものです」
「お前の言う主はフロッグ公爵家の者か?」
「主は主です。みんな主のことをお館様と呼んでました」
「そうか。……多分、先代フロッグ公爵だな」
 ハインリヒの口ぶりからするとどうもそういうことらしいのだが、どうしても話が噛み合わない。
「公爵家の者が領地を取り戻したがっている。そう言ったらどうする?」
「敵なら倒します。私はご主人様にこの家を守るよう命令されたので」
「いや、その……」
「レイル、もういい」
 堂々巡りになりそうな予感を覚え、セルセラはレイルの言葉を遮り引き留める。
「今日のところはここまでにしておこう。邪魔したな」
 一度考えをまとめるために、六人は魔王の館を辞することにした。

 ◆◆◆◆◆

「多分、人間の言う“家”の概念が理解できないんだろうよ」
 プロメッサのような小さな農村に宿泊施設などというものはない。昔は特別な旅人は領主館に滞在していたと言うが、今では近くの街で宿を取るのが一般的だ。
 アジェッサ寄りの一番近くの街で宿を取った一行は、今回の依頼者であるディムナの部屋に集まり、改めて話を整理する。
「……セルセラの推測が半分外れましたね」
「どういうことだ?」
「二の魔王は、人間じゃないんだよ」
 村人たちが魔王の正体について妙に曖昧な態度をとる訳がわかった。
「多分、二の魔王の正体は以前フロッグ公爵家で飼われていた動物かなんかだ」
 村人たちはどういう動物かまで見当がついているかもしれないが、どちらにせよ人間と違って意思疎通が難しいことには変わりない。
 魔王がフロッグ公爵家の人間や、そうでなくとも屋敷に勤めていた使用人の誰かなど、実体のわかる人間であれば周囲も事情を鑑みつつ駆け引きすることができた。
 だがあの魔王では、人間同士のようにやりとりを行うのは難しい。
 害意がないのは救いだが、それだけに無闇に傷つけることも躊躇われる。
 そして結局、この地の人々は長く魔王の存在をそのままにしてきたのだ。
「動物の魔王……?」
「動物の魔王自体はずっといるぞ。有名なのは二百年以上生きている紫の大陸の四の魔王。こいつは見るからに獅子の姿をしていてわかりやすい」
 二の魔王は、姿だけは下手に人間に近いのが混乱を広げている。
「だが説得の可能性が潰えた訳でもないだろう。俺としてはもう少しあの魔王を観察してみたいところだな」
「思ったほど危険な感じはしませんでした」
 肝心なフィアナ帝国の主従がこう言っていることもあり、セルセラたちはもう二、三日魔王の観察を続けることにした。
「まったく、どうしたもんかな」
 ろくな騒ぎを起こさない奴ならただの街人でも魔導をぶちかます聖女は、平和主義の魔王などという矛盾した存在とは相性が悪い。
 宿の階下から聴こえてくる吟遊詩人の竪琴に耳を傾けながら、セルセラは本日何度目かになる深い溜息を吐いた。

次話 031.戻れぬ日々
天上の巫女セルセラ 表紙へ
前話 029.白の帝国とその隣国