038.魂の導き手

「俺の名はラルム。人魚の不老不死性を活かして世界各地を巡る吟遊詩人です」
 広場の噴水の彫像は、何の因果か人魚の像。涼やかに落ちる水の流れに、少年の青銀の髪がよく映える。
 詩人の名乗りに、セルセラは小さな引っ掛かりを覚えた。
「ラルムってのは、本名じゃないんだな」
「ッ! ……なるほど、そういえばあなたは聖女様でしたね。聖女や神官、巫女体質の方々が“嘘を見抜く”というのは本当なんですね」
「え! そうなのか!? タルテ!」
「聖職者を目指す巫女体質の方には多いですよ。私にはありませんけれど」
 教会勤めの司祭や神父と、神殿勤めの巫女や神官の最も大きな違いだと言われている。
 前者は神を信仰する人々のための職業だが、後者は神々に直接仕える者たち。
 死者の霊魂や魔獣の気配に鋭かったり、嘘やまやかしを見抜く力など、特殊な能力を持っている。
「まぁな。嘘を見抜くというか、まやかしを見破るというか、相手の害意に対して反応する能力というか……単純になんでもかんでも真実が見抜けるってわけでもないし」
 セルセラは知識と経験、魔導による調査で情報収集するので他の巫女よりわかることは多いが、それでも全知とはいかない。
「今も僕にわかるのはお前が本名じゃないってことだけ。本当の名前まではわからない。……ただ、まぁレイルだって普段から正確に名乗らないしな。長命の不老不死なんてそんなものか」
「え? レイルって本名じゃないのか!?」
「いや、本名だぞ。本名が長いから省略して一番最初の部分を名乗ってるだけで」
「こいつ、レイル・アバードで一つ目の名前なんだよ。僕のセルセラやファラーシャ、タルティーブに値するのがな。書類見て驚いたぞ」
「“レイル”だけだと私の“タルテ”と変わらないわけですか……そこは盲点でした……」
 出会いは緑の大陸でも、それぞれ別の土地から集っている彼らは名前の法則も出身地によってばらばらだ。
「まぁそれはどうでもいいとして」
「私はもうちょっと知りたい」
「どうでもいいとして。ラルム、お前はなんでこの街に来たんだ」
 本名や偽名を使う理由に関しては特に触れず、セルセラは尋ねた。
 ラルムは腕に抱えた竪琴を示しながら言う。
「この街で子どもの死亡事件が多いと聞いて、鎮魂のために訪れたんです。土地の怪奇伝説なども調べて、新曲作りに活かしたいなと思いましたけど」
「で、早速建前と本音が逆転して街人を敵に回した訳か」
「これは手厳しい。先程のはちょっとしたすれ違いってやつですよ」
 悲劇は歌の題材としては古今東西人気のあるネタだ。
 ただし、悲劇が起きた直後の街では慎重になるべき話題である。
「歌に関してはわからないが……鎮魂のためというのは立派な目的だと俺は思うぞ」
 ラルムの真意を理解しているのかいないのか、レイルが微妙なフォローを入れる。
「不老不死の長い生を……他人のために活かしているのだから」
 セルセラたちに出会うまで何十年も山籠りして修行に明け暮れていた吸血鬼の言い分だ。
 元々レイルに興味を持ったというラルムが食いつく。
「レイル殿。今はお三方と一緒に星狩人として活動されているのですよね。あなたはどういう経緯で不老不死に? いえ、話しにくい事なら別に構いませんが」
「いや……単に魔王と戦った時に呪われたというだけだ。今は元の人間に戻るためにセルセラについて旅をしている」
 レイルにとって話しにくいのは、自らが魔王と相討ちになったことではない。
 その後、主君を守れず死なせたことの方だ。さすがにそのことまではこの場面では言えない。
 聞いているファラーシャの方が居心地の悪そうな顔をしている。
「そういう事情だったのですか。呪われたと言うことですが、魔王の方は無事に倒せたのですか?」
「相討ちのような形にはなったが……」
「それなら十分御立派ですよ! 歴史に残る英雄の一人なんですね」
 苦い笑みを浮かべるレイルに、ラルムもその反応を予想していたのか今度は自分の事情を話す。
「私はですね……」
 レイルは魔王と戦ったことは隠さず話した。だから魔王に呪いだけかけられて今も相手がのさばっているという不名誉な事態はないと当たりをつけられる。
 ただ自信をもって語ったわけではないから、何か話したくないことがあるのも察せられる。だから深く突っ込まない。
 お互いに相手の事情を探り合って、痛いところに触れないよう牽制しあう会話だった。
「……なんか色々もどかしくないか」
「黙っていましょうファラーシャ。そのもどかしさを解消してしまうときっと場が気まずくなります」
 二人が小声で話す間にも、ラルムの説明は続く。

「人魚の肉を食べて、不老不死になったんです」

「人魚の肉……」
「そういえば、そんな伝説があったな」
 人魚の肉、あるいは生き胆などを食べて不老不死を得る話は、橙の大陸の東端から伝わっている。
「子どもの頃から病弱で大人になることもできないと言われてましたが、人魚の肉を食べて不老不死になることで生き永らえることができました」
「へぇ」
 セルセラは適当に相槌を打つ。
 他の三人もそれぞれに感心したり驚いた表情を浮かべているが、頭には一つの疑問が浮かんでいた。
(人魚って食べていいの……?)
 人魚族とは、魔族の一種族である。
 どうやって人魚を食べる状況に持ち込んだのかも謎だが、そもそも異種族とはいえ人に似た姿を持ち交流できる存在を食すことは倫理的に許されているのか?
 ただ、これを突っ込んでしまうとそれこそレイルの過去並に深い闇を見ることになる予感しかない。
「そ、そうなんだー」
 したがって、こちらも適当に流すしかない。
「あー、まだまだ聞きたい話はありますが、そろそろ夕飯にしませんか」
「そうだな!」
 ちょうど良い頃合いになったと、タルテが近くの宿の一階を示す。
 この大陸の宿屋は二階を旅人向けの寝室、一階を酒場や食事処として運営しているものが多い。
 星狩人一行はもうすぐ日も落ちることだし、と今夜の宿も兼ねてその店に食べに行くことに決めた。
「ラルムさんも行こうよ! お近づきの印に! ほらほら!」
 気まずい話題を変える意図もあり、ファラーシャが竪琴を抱えた吟遊詩人の背を押す。
「……そうですね。ついでに一曲披露して稼がせてもらいましょうか」
 五人は、ほどほどに綺麗な食事処のドアベルを鳴らしながら店に入って行った。

 ◆◆◆◆◆

「綺麗な声……」
「ああ、竪琴の腕もいい」
 食事を開始して早々、ラルムは席を外して宿の主人に交渉し、その場で竪琴を抱えて弾き歌いを始めた。
 セルセラたち一行を始め、酒場の全員が思わずその歌に聞き惚れる。
 男とも女ともつかぬのは容姿だけでなく、その歌声もだ。性別を超越した美しさで、老若男女を魅了する。
 高く低く、竪琴の旋律に合わせて詩が踊る。
 喜劇も悲劇も、その声で綴られるだけで芸術品となる。
 陽気な恋の歌、胸を締め付ける悲劇の歌、そして英雄が魔王と対峙する壮大な叙事詩。
 いつの間にか評判が店の外にまで聞こえたらしく、外からも一曲拝聴しようと予想外の客たちが詰めかける。
 嬉しい悲鳴を上げた店主が今日はお開きと告げるまでそれは続いた。

 ◆◆◆◆◆

 永遠の若さと美しい歌声。けれど、その代償は一体何だったのだろう。
「大丈夫か? 歌ってばっかりでご飯、ほとんど食べられなかったんじゃないか?」
 ラルムがほとんど食事をしていないのを気遣ったファラーシャが声をかけるが、彼は曖昧な笑顔で返していた。
 そして夜半、セルセラはまたもや中途半端な時間に目覚める。
 先日のように喉が渇いたわけでもなく、今回は理由がはっきりしている。
 宿の裏手に蹲る人影。
 わざと足音を殺さず近づいて存在を示すと、セルセラはそのままそっと彼の背をさすった。
 ほとんど夕食を摂らなかったにも関わらず、ラルムは食べたものを吐いていた。
 胃が空になってもう胃液しか出るものがないというところまで行って、ようやく顔を上げる。
「ほらよ」
 セルセラは水の入った椀を差し出す。
「あ……りがとう、ございます。すみません、お見苦しいところを、お見せして」
「別に構わねえよ。そんなにつらいなら、断ってくれてもよかったんだぜ」
 一頻り口を漱いだラルムが、溜息交じりに返す。
「さすがに何十年も前のことですから、もういけるかなって思ったんですよ……」
 本質を見抜く聖女の力は、今の言葉に嘘と本気の両方を感じる。
 食べられもしない食事をしたのは付き合い半分、大丈夫だと思ったのが半分。
 二十歳にも満たない姿の少年だがやはりレイルと同じく、見た目相応の年齢ではない。
「まったく食べられないのか?」
「自分で材料到達からした野菜や果物や木の実なら少しは。……他人の手で作られた料理が苦手ですね」
「そうか。街中だと難儀するな」
「ええ」
 だから彼は旅をするのだ。
 街中では人の手を介さない食材など見つからない。
 旅をすれば野宿の途中で食べられる果実を見つけることもある。
「ふぅ、落ち着きました。ご面倒をおかけしてすみません。俺は部屋に戻ります」
 地面を掘り返して吐瀉物を深く埋めると、ラルムは少しばかりすっきりした顔で告げる。
「ああ。僕も用を足してから戻るよ」
「ではこれで」
 セルセラはその細い背を、複雑な表情で見送った。

 ◆◆◆◆◆

 調べものに精を出すというラルムと別れ、翌日から早速、セルセラたちは子どもたちの死と遺体盗難について調査を始めた。
 レイルとファラーシャは正直に星狩人と名乗って街で聞き込み、タルテは教会関係を当たる。
 セルセラは一度確認をするために天界へと戻った。
「なぁ、レイル。あの人たち」
「どこかで見た顔だな」
 街人に聞き込みをしていたファラーシャとレイルは、裏通りの一つで出会った見覚えのある二人を警戒しながら見つめる。
「エレオドの軍人……だよな」
「ああ。……ハインリヒに大砲を撃ちこんだ連中だ」
 こっそり観察するつもりだったが二人はこの手のことに慣れていない。
 まだ距離があるとはいえじろじろ見つめていたのに、小柄な方の影が気づく。
「おっと。これはこれは」
 少年が帽子を脱ぐと、その下から妙に可愛らしい獣の耳が現れた。そして隣の女性へと何事か耳打ちする。
 戸惑い顔で視線を寄越した女の顔は確かについ先日見たもの。
 エレオド軍人、ヤトレフ将軍。
 先にこちらに気づいた少年は、人狼族のルプス。
 ヤトレフはさっさと踵を返す。ルプスは彼らにひらひらと軽く手を振ってから、のんびりとその後を歩いて行った。
 お互いの存在に気づいたものの特に接触らしい接触がなかったことに拍子抜けしながら、ファラーシャとレイルは首を傾げる。
「あの二人、なんでこの街にいるんだ? たしかにここはエレオド国内だけど」
 エレオド国民がエレオド国内にいるのは別におかしいことではない。
「フロッグ公爵領での一件はすでに片がついたと言うのか? それにしてもまっすぐこの街を目指した俺たちと変わらずに移動していなきゃおかしいな……」
 前回会った村からこの街までの距離を考えると、二人の軍人の登場に、レイルは何やらきな臭いものを感じる。
「早めにセルセラに報告した方が良さそうだな」
「そうだな!」
 二人が相談し合っていると、表通りの方向から人々が騒ぎ出す声が聞こえた。
「なんだ?」
 魔獣の襲撃を警戒したが、その気配はない。騒いでいるのはただの人間だけのようだ。
「まったく騒がしい街だな。毎日どこかで人が争う騒ぎが起きてる!」
「それだけこの街が今危うい状況に置かれているということだろう」
 ファラーシャが吐き捨てる言葉を拾って、レイルは憂いを帯びた表情を見せる。

 ◆◆◆◆◆

 温暖な気候に四季の花々が咲き乱れ、一年中かぐわしい風が運ばれる楽園。天界。
 セルセラは冥神にアジェッサの子どもたちの魂の状態を聞くべく、いつものように天上の神殿を訪れていた。
「巫女の推測通りだ。ここ数か月、あの街で死んだ子どもたちの魂は天界に運ばれていない。この件は死神からも報告を受けている」
「そうか。じゃあ今度は死神様の報告書を見せてもらって来る。ありがとう、冥神様」
 全ての死者の魂を管理する冥神ゲッセルクに礼を言い、地上で直接死者の魂を集める死神に話を聞くべく神殿の別の一角へと向かう。
 回廊の途中で、目的の神が全力でこちらへと向かう姿に出くわした。
「――セルセラ! 久しぶり! 僕に会いに来てくれたんですね!? そうでしょう!?」
「久しぶり、死神様。ああ、今日はちょっと仕事で用事があって――」
「とうとう僕の求婚を受けてくださる気になったのですね!」
「聞けよ」
 外見は十五かそこらの銀髪の少年の姿をした死神は、セルセラが物心つくかどうかといった頃から彼女を気に入り自分の妻にしようとあの手この手で誘いをかけている。
 今でこそセルセラも軽く躱したり流したり好意を利用していいようにこき使ったりできるようになったが、昔は凄かった。
 年端も行かない幼女に結婚を申し込む不審者ならぬ不審神を、保護者たる界律師・紅焔が鬼の形相で吹き飛ばす光景が天界で日常的に見られたという。
「君が望むなら今すぐにでも挙式を! 契約を! いざ!」
「望まないからそれより僕の質問に答えてくれ。早急に」
 隙あらば抱き着こうとする死神を闘牛士のようにひらりと躱し、セルセラは望む情報を聞き出す。
 余談だが、この死神が昔からやたらべたべたと体に触りたがるのに慣れていると、同じように気軽に求婚はするものの節度を持って触れてくるディムナをあまり邪険にできないセルセラであった。比較は大事。
「アジェッサの子どもたちの魂ですか? それならまだ地上にいるはずですよ。肉体と共に人為的な措置で怪物の中に取り込まれていて、僕には手が出せない状況ですね。人の手で加えられた歪みは、人の手で正してもらわないと」
「そうか」
 最初に話を聞いた時から察していたことだが、つぎはぎの怪物の正体はやはり幾人もの子どもたちの死体を繋ぎ合わせたものらしい。
 そしてその犯人が、人間であることまで死神は明言した。
 ならばやることはただ一つ。
 怪物を作った犯人を見つけだし、盗まれた遺体を取り戻して子どもたちの魂を解き放つ。
「死体の盗難だけならまだ人間同士の問題で済むさ。だが、死者の魂の安寧を奪うなら、それは巫女である僕の管轄だ」
 罪なき魂の救済のため、最強の聖女と呼ばれ、天と地を繋ぐ巫女は動き出す。

次話 039.その目に鏡の欠片
天上の巫女セルセラ 表紙へ
前話 037.死者と不死者