042.偽りの復活

 地下道の壁には一定間隔で新しい角灯が取り付けられていた。何人もの人間が出入りしている気配だ。
 セルセラたちはファラーシャが機械の音がすると言った方向に向けて歩き始めた。
 通路の片側に何か機材らしきものを収めた箱が無造作に置かれている区画へと出る。
「地上だとここはぐるっと一周回ってまた教会に近づいたみたいだ」
「墓地を出入り口にしていたくらいですし、やはりあのあたりで何かやっていたのでしょうね」
 地下通路自体はもっと長いが、怪しい気配はこの一角に集中している。
「教会の近くって……まさかルチル神父が関係してるってこと?」
「違うな。僕の前で偽証は通じない。彼は何も知らない」
 もしも神父が星狩人に事件解決を願うように振る舞いながら裏で舌を出しているような人物だったならすぐ気づけると、最強の聖女は保証する。
「あ、そっか……!」
 親切にしてくれた人を疑いたくないファラーシャはほっと安堵する。
「教会に近いと言うことは、例の山にも近いと言うことだろう」
「やはりそちらに何かありそうですね」
「火のないところに煙は立たず。過去の事件はともかく、その後にも蘇った死者絡みの何かがあってそういう伝説が生まれたんだろうからな……そろそろだな」
 のんびりお喋りしていられる暇はここまでだ。
 四人はついに、最も不穏な気配をさせている一角へ辿り着いた。
 ご丁寧に鍵をかけられた鉄の扉の前に四人並んで立つ。それだけの広さがあるのだ。
「レイル、鍵を斬ってくれ」
「わかった」
 躊躇いもなく白刃が振るわれ、鋼鉄の錠が一刀両断される。
 警戒を緩めないまま、レイルはそのまま扉を押して開いた。
 部屋の中は思ったよりも広く、その広さに反して生きた人間は一人しかいなかった。
 生きた人間は。
 無数に並ぶ水晶のような鉱物の中に、子どもたちの遺体が保存されている。
「魔導の、保存技術……」
 眠るように目を閉じた子どもたちは、すでに亡くなっている。病で死んだ子どもは傷一つないが、それでももはや目を覚ますことはない。
 壁面に並ぶ棚には色とりどりの薬品。金属製の作業台と乱雑に置かれた実験道具。
 ――そして、部屋の最奥。
 大の大人が三人並ぶような水槽の中で、昼間に見たあの怪物が、体を小さく丸めて眠っているようだった。
 部屋の両側にも怪しい琥珀色の液体で満ちた水槽が並び、その中に人とも獣ともつかない贓物じみた何かが浮いている。
「おやおや、珍しいお客人だね」
 この部屋の中で唯一生きているもの。部屋の中央で怪物を観察していた白衣の男が四人を振り返る。
「ああ、ちょっと邪魔するぜ」
 知人を訪問したかのように気軽に話しかけたセルセラに、男――ロベルトも自然な仕草で怪物の眠る水槽を示した。
「やっぱりあんたか」
「こんばんは、天上の巫女姫」
「お知り合いですか?」
「今日知り合った。明日には永遠にお別れしそうだが」
「物騒なお話ですね」
 剣を握るレイルを筆頭に星狩人四人を前にしても平然とした態度で、ロベルトは水槽の中で眠る肉塊のような怪物を示す。
「あなた方の用は“これ”ですか?」
 男の白衣にエレオド軍の紋章が刻まれていることを確認しながら、セルセラは応じた。
「どうやらそのようだ。その怪物は、地上で子どもの死体を盗もうとして、失敗したら街人を襲おうとした」
「では”これ”で間違いありませんね。始末しに来たのですか?」
「場合によってはそうするが……」
 セルセラはの歯切れが悪くなる。
 ロベルトの態度が不自然だ。
 自然過ぎる。それこそがこの場では最も不自然な対応。
「あんたの方こそ、こんなところで何をしている? そいつを使って一体何を企んでいるんだ?」
「これを作ったのは私じゃない、と言っても?」
「信じられるかよ。この状況はどう見ても犯人じゃないか」
「犯人!」
 何がおかしいのか、ロベルトは急に笑い出した。
「そう、あなた方はそう捉えているのですね。天上の巫女姫御一行様」
 灯りを絞られた部屋の中、ロベルトの片眼鏡が怪しく光る。
「ここ最近の一連の出来事の裏に誰か悪人がいて、そいつはこの街に痛手を与えようとか物騒なことを考えていて、この怪物はそのための手段だと。なるほど」
「違うって言うのか」
「さぁ、どうでしょう?」
 その口振りに、レイルやファラーシャは困惑する。
 セルセラが否定しないのであれば、この男の言うことは嘘ではないということだ。
 だが、怪しい実験室で怪物を水槽で管理している様子の男が、今回の事件に無関係などということがあるだろうか。
「少なくともこの怪物を最初に造ったのは私ではありませんよ。それならば、ああも気安くあなたに話しかけられる訳がない」
「ほう」
「アジェッサの伝説を聞きませんでしたか? フェニカ教会の裏手にある山の祠に子どもの死体を埋めると、山の神が蘇らせてくれるのだと。この街に、我が子を蘇らせたい哀れな一人の親がいた。それだけの話です」
「え……あの話ってやっぱり本当だったの?」
「ああ、本当だとも。実際に死体に命を与えたのが、山の神であるかどうかはともかく」
 ロベルトは怪物が大人しく眠る水槽にそっと手を触れる。
 その眼差しはこの状況に不釣り合いに穏やか。
「私は誕生直後の不安定な“これ”の管理と育成を任されただけ。アジェッサの街の人間だって“これ”に殺された者はいない。――それでも私を捕らえると?」
「……」
 レイルやファラーシャは返す言葉を持たない。
 てっきり地下で怪しいことをしているこの男や、その後ろにいる組織が悪人だと思っていたのに、まるで違うかのようなことを言われているのだ。

「子どもたちの遺体を盗み出したのは?」

 困惑した空気を真っ先に切り裂いたのは、常と変わらないタルテの詰問だった。
「それはこれの習性――」
「怪物が勝手に死体を盗んで来るから止められなかったとでも? 馬鹿をおっしゃい。亡くした子どもの遺体まで盗まれた身内の嘆きは、あなたの言う被害には入らないと?」
 ロベルトの詭弁を、聖職者は許さなかった。
「……これはこれは」
「死人を出していないから被害がないなどというふざけた言い訳は牢の中でしなさい。私たちはこの一件を任された星狩人として、あなたを捕らえる。それだけです」
 タルテの台詞には迷いがない。すでに辰骸環(アスラハ)を槍に変えて構えている。
 迷っていたレイルとファラーシャの姿勢も決まった。
 直接怪物を作り出したわけではなくとも、子どもたちの遺体が盗まれるのを黙って見ていた時点でこの男は有罪だ。
 本当に怪物に罪を犯させたくなかったならば、警備隊に連絡するなり街の権力者たちと交渉するなり方法はいくらでもあったはずだ。
「というか、子どもの死体に保存術をかけているのは人間の仕業だしな。誰かが生み出した怪物を研究のために捕らえ、これ幸いと遺体窃盗に加担しただけで重罪だばかやろう」
 この男の話を聞くのは、捕らえてからでも構わない。
 どんな理由があろうと、彼が子どもたちの遺体を盗まれた親兄弟を、友人や知人を、街の人々の心を苦しめたことには変わらないのだから。
「やれやれ。私は生命の神秘を解き明かし世に貢献したいだけだというのに、どうしてみんな認めてくれないんでしょうね」
 臨戦態勢の星狩人を前にしても不気味に余裕を保ったままのロベルトはそう言うと、いつの間にか手元に持っていた機械をぱちぱちと操作する。

 途端、部屋中でそれが目覚めた。

「アアアア、ぁ、ァアアア、ァ」
「ぐるるるる……」
「魔導生物……!」
「私も今捕まる訳にはいかないんでね、ここはこの子たちに任せて失礼するよ」
「待て!」
 男を追いかけようとしたレイルとタルテの目前に、目を覚ました怪物が触手を伸ばす。
 部屋の両側に置かれた水槽からも、先程は臓物にしか見えなかった奇怪に赤黒い謎の生物たちがずるずると這って近づいてくる。
 ファラーシャも弓を構えてはいたが、所せましと謎の生物が這い出てくる水槽を割ることになりそうで矢を撃てない。
 彼らが怪物たちの足止めを受けている間に、白衣の男は部屋の奥の通路へと姿を消す。
「くそっ!」
 セルセラは舌打ちする。
 怪物の思考を探っても、相変わらず本心では戦いたくない子どもの意識が伝わってくる。
「両側の水槽の奴らは意識も何もない! 切り捨てていい! でもこのデカブツは駄目だ!」
 生物の動きに合わせて泡立つ水槽に割れる硝子。ずるりべしゃりと床を這う生き物の気配を四人は必死で躱す。
「どうする!?」
「奴を追う!」
 怪物は確かにセルセラたちの足止めを任されたが、問題なのは彼女たちの方が怪物を傷つけたくないことであり、怪物そのものにこの四人を止め切る実力はない。
「行くぞ!」
 セルセラたちはとにかく怪物の攻撃を躱すと、地下迷宮をロベルトの後を追ってがむしゃらに走り出した。

 ◆◆◆◆◆

「あー、畜生! 魔導の攪乱か! 標(マーカー)つけときゃよかった!」
 ロベルトの後を追ったはいいものの、セルセラたちは結局その背に追いつくことはできなかった。
 どうやら途中に仕掛けられたいくつかの罠に使用者の気配を消し別方向へ追っ手を誘導するものが紛れ込んでいたらしく、まんまと引っかかったセルセラたちは撒かれてしまったのだ。
 敵を追跡する魔導があると言うことは、それを攪乱する魔導も当然ある。
 星狩人四人を前にして余裕を保っていただけあって、実に用意周到なことだ。
 セルセラたちとしては先程の施設も地下通路も背後を追って来る怪物も全部破壊してしまえば簡単なのだが、そういうわけにもいかない。
「あの手のタイプは厄介だぜ」
「私たちは星狩人として、簡単に人間を殺すわけにはいきませんからね」
 セルセラたちは怪物だけでなく、ロベルトも殺すわけにはいかない。
 いくら相手が遺体盗難事件の関係者だとわかっていても、星狩人が武器を持たない人間を一方的に殺せば“庚申の虫”の規律に引っかかる。
「怪物も私たちに追いつけないようですが、この空間で鬼ごっこを続けるのはまずいですよ」
「地下で暴れて上にどんな影響があるかわからないからな。奴を取り逃がす危険はあるが、怪物対策を考えるなら外に出るしかないな」
 セルセラたちは地下通路の隠された出口の一つへと向かう。
 そこは教会のすぐ近くだった。
「奴がエレオド軍の紋章をつけていたのは見たんだ。後はエレオド王本人にでも聞くさ」
 もしもロベルトを取り逃がした際は、さっさとこの国の上層部に対処させようと決める。
 聖女の権力をこういう時こそ使わないでどうする、とセルセラは開き直っていた。
「本当はあの男の顔面に一発食らわせてやりたいところだけど……まぁ、仕方ないか!」
「あなたが一発食らわせたら並の人間は即死ですよファラーシャ……我々はあくまで星狩人であって警備隊じゃありませんからね。犯罪者の捜索は本職に任せた方がいいでしょう」
「まずは怪物をどうにかして取り押さえないと。一般市民を危険に晒すわけにはいかない」
 ここまで来たらひとまず教会に戻りルチル神父にも事情を伝えておこうと、一行は聖堂の裏手へ回る。
 そこで、先程の男の言が半ば正しかったことを、意外な形で知ることになった。

「――あの怪物を、最初に造り出したのが、あなたですと?」

 ルチル神父の驚いた声にセルセラたちも驚き、反射的にお互いの口元を抑え合って全員気配を潜めた。
 聖堂で神父に懺悔をしているのは一人の男。
 セルセラたちは知らないが、その男は葬儀屋の社長だった。
「私はただ、自分の息子を生き返らせたかったのです。毎日毎日何人もの死を見送りながら愚かな話ですが……どうしても、あの子をの死を受け入れがたかった」
 葬儀屋ならば、遺体を掘り返すのも造作ないことだ。埋葬の段取りを知り尽くしているのだから。
「自分がもはや正気でないことを頭のどこかで理解していましたが、止まれなかった。一縷の望みに従って例の祠へと向かい、息子を埋めました」
 そして、彼の息子は息を吹き返した。
 自我もなく、獰猛な獣のように唸り、野生動物に噛みついてそのまま食い殺す化け物として。
「私はその時初めて、自分がしたことの罪深さに気づきました。息子をなんとか取り押さえようとしましたが、私には、無理だった。その時、祠に軍人がやってきたのです」
 話が核心に迫り、四人はハッとして目を見合わせる。
「彼らは言いました。『自分たちは死者の復活の研究をしている。息子を預ければ、いずれ元通り人の心を取り戻せるよう尽力する』と……」
「そんな、ことが……」
「できるわけないだろ」
 聖堂に乗り込んで、開口一番セルセラは否定する。
「セルセラ様」
「できるわけないだろ、完全に死んだ命を取り戻すなんて。それができたら、僕がもうとっくにやってる」
 死者を蘇生させることさえできる天上の巫女姫。この世で最も生死を操る術に近づいた人間。
 そのセルセラにも蘇らせることのできない命があまりにも多い。
 セルセラの技はあくまでも人の手でなんとかなる範囲の復活に限られるのだ。
 遺体の状況があまりにも酷いもの、死後時間が経過して遺体が腐ってしまったものは生き返らせることができない。
 ルチル神父は一通りセルセラの言葉を呑み込むと、痛ましいものを見る表情で葬儀屋に視線を戻す。
「やはり……そうなんですね」
 ずっと生命について考えていた男は、セルセラの言ったことを理解した。
「私の息子は、死んでしまった。誰がどうしようと、生き返ることはない」
 押し出した言葉と共に、隈の浮かぶ目元を涙が滑り落ちる。
「あの怪物は、もう、私の息子ではないのですね」
「それは……」
 セルセラは一瞬だけ、本当のことを言うべきかどうか迷う。
 彼の息子はいる。あの怪物の中に。魂が囚われている。
 死体ごと盗まれた他の子どもたちの魂と一緒に、怪物の中に取り込まれてしまっている。
 だがそれを告げる前に、教会の外が騒がしくなった。
 ずる、べしゃ、と何か濡れたものを引きずる音に、あの怪物が追いついてきたのだと悟る。
「思ったより早かったな」
「何が起きているんです? あの音は――」
「ええ。予想外のことが起きたので」
 神父の慌てた声を遮ったのは、白衣を翻して現れたロベルトの言葉だった。
 一度は逃げたはずのマッドサイエンティストは、葬儀屋を見て苦笑する。
「まさかその人が状況を説明してしまうとはね。我が身可愛さに黙っていてくれると期待したのに、残念なことだ」
「あんたは……」
 葬儀屋は白衣の男を睨みつける。
「何が、何が復活だ! 私の息子を返せ! あんな、あんな酷い姿に……!!」
「おや、あなたも彼を醜いと言うのですか? そもそも彼を作り出したのはあなただと言うのに」
「私は……あの子を取り戻したかっただけだ!」
「取り戻す? 差し出したのでしょう? かつてあの祠に封じられた悪鬼に」
「悪鬼だと?」
 セルセラが口を挟む。
「ええ。どうやらこの辺り一帯で悪さをしていた古い魔神の一人らしいですよ。その昔高名な魔導士に封じられたものの、今も肉体を求めて復活の機会を虎視眈々と狙っていた。死者が蘇る伝説は、死者の肉体にその魔神が入り込んで動くようになったかららしいですね」
 片手にレポート用紙のようなものを綴った書類を持ったロベルトは、ところどころそれに視線を落としながら告げる。
 今の彼は一人ではなかった。両隣に武器を持った兵士がいる。
「悪鬼か……だが、あの怪物の中にそれっぽい魂はなかったぞ?」
「え!?」
「ええ。その魔神は我々の方で退治しましたので」
 ロベルトは何でもない事のようにさらりと告げた。呆然とする葬儀屋に語り掛ける。
「我々もあなたとのお約束を守るためにこれでも懸命な努力を重ねたのですよ。魔神の魂を再び封じ、死体に残された子どもの魂が生前の意識を取り戻すように」
「けれど、できなかった」
「ええ。残念ながらどんな手を使っても、一度肉体を離れた魂が生前の人格に戻ることはなかった」
「どんな手を使っても、ね。本当に、どんな手を使ったんだか」
「少なくともその名目で他の子どもたちの魂を粘土のようにくっつけて、いいように使っていたようにしか思えませんね」
 星狩人四人は怪物よりもロベルトを警戒し、この会話の間に辰骸環を構えていた。
 セルセラとタルテがロベルトを睨み据え、レイルとファラーシャは怪物の気配に集中する。
 しかし。

「そこまでだ! 双方剣を収めてもらおう!」

 新たに大勢の人の気配がしたかと思うと、聖堂の扉が強く開け放たれた。
 どこかで聞いたような女性の声と共に、ロベルトが連れている兵士より多くのエレオド兵士が教会を入り口の怪物ごと取り囲んだ。

「異端の研究者、ロベルト=コーニス博士。あなたを人工魔獣製造の罪で拘束します」

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