045.愛し子に安息を

 嘆息するタルテに半泣きのファラーシャ、そして剣を手放したレイル。
 怪物はファラーシャに触手を落とされたままなので攻撃をして来ないが、どうも切断面に肉芽が盛り上がっているところを見るとすぐに再生してきそうだった。
 それまでの僅かな時間に、ロベルトがセルセラへと交渉を仕掛ける。
「取引をいたしませんか?」
「取引だと?」
「私を見逃してください。その代わり私は研究を続け、この子をいつか完全な姿にしてみせましょう」
「……」
「今はまだこうして不安定な姿でも、研究が進めばもっと普通の人間らしい姿形になれる可能性もあるんですよ」
「こいつがお前の本命ってわけか」
「悪鬼が他者の肉体に憑りついて操る仕組みを解明し、新たな肉体とすでに存在する魂を結合させる術式を見つけ出し、限りなく生前の人格を保持したまま“生まれ変わる”術。私はそれを見つけたい」
 ロベルトの自信はこれだ。
 天上の巫女と呼ばれる少女は、決して哀れな赤子の魂を見捨てられない。
 セルセラの築き上げてきた数々の実績が、ロベルトにその先の天上の巫女の行動を予測させる。
 決して救えない。けれど救うことを諦めないなら、その手段を握っているロベルトを見逃すだろうと。
「生命と魂の可能性の追求。そのためには私と彼、両方が揃わねばならない。だから」
「だからそのために、これからも罪のない子どもたちの遺体を盗み続けるって?」
 だが、セルセラは揺らがなかった。
「研究に犠牲はつきものだとか、月並みのつまんねえ台詞は言うなよ。お前には生命と魂の可能性の追求より先にやることがあるだろう? 今まで子どもたちの遺体を盗んだ罪を償うってことがな」
 ロベルトは深く溜息を吐いた。
「天上の巫女姫、私と同じく蘇生術を研究するあなたにならば、わかっていただけると期待していたのですが」
「バカを言え」
 セルセラの蘇生術は不完全だ。それはセルセラ自身がわかっている。
 そもそもセルセラの使っている蘇生術は、別の人間がほぼ完成近くまで構築した魔導理論の足りない部分を生贄術で補ってどうにか実現したものだ。
 だから今は最強の生贄術師――聖女であるセルセラにしか使えない。非常に使い勝手の悪いものだった。
「蘇生術の完成は確かに魅力だな。だからいつか完成させてもらう。だがそれは、お前ではない別の人間の仕事だ」
「私以上に蘇生術に詳しい研究者はおりませんよ? 四年前までは存在しましたが、彼はすでに亡くなった。その研究を引き継いだあなたが誰より知っているはずだ」
 蘇生術研究の大家と呼べる存在はもはや、ロベルトとセルセラの二人だけ。
「そうだな。でもこれから先、あいつを超える奴がきっと現れる」
 “彼”の研究をセルセラは完成させられなかった。
 セルセラは天才ではない。唯一無二の才能を持っているわけでもない。
 後天的に得た生贄術によっていろいろなことを融通させて生きているだけだ。
 でもだからこそ、この世には自分など及びもつかない天才が存在することを理解している。
 いつだって、自分の持てる力全てで人を救おうとしていた人。
 研究者としては永遠に追いつけないその背を眺めていたセルセラは、世界にはそういう人間がきっと他にもいるだろうと信じられる。
 ロベルトの研究が今現在最先端を行っている? だからどうだと言うのだ。
 犯罪者である彼よりももっと優れた人物が、いつかきっと蘇生術を完成させるだろう。
 何故ならば、

「ロベルト=コーニス博士。なんでお前が蘇生術を完成させられないのか、僕にはわかった気がするよ。――お前は、人間の持つ可能性を信じていないからだ」
「……!」

 ロベルトは行き詰ればすぐに不可能と決めつけ、残った可能性ごと選択肢から捨ててしまうからだ。
 葬儀屋の息子の蘇生を諦めて、あっさり怪物の核を取り換えたように。
 だから絶対に、限界のその先に存在する可能性に気づけるはずがないのだ。
 蘇生術の根幹は、ただひたすらに、その命を救いたいと願うこと。
 ――死という現実を覆し、生命の限界を超えることだと言うのに。
 セルセラは片手を腰に当てたいかにも偉そうなポーズで、すかさずびしりとロベルトに指を突き付けた。
「自分で自分の思考に縛られているお前に研究者としての未来はない! 誰か天才に任せて牢屋で反省してろこのポンコツ科学者め!」
「……戯言を!」
「さーて、戯言を言っているのはどっちかな! ……おい、レイル! いつまで打ちひしがれてるんださっさと立て!」
「セルセラ?」
 怪物を救う手立てはないと言い切ったロベルト。
 自分では怪物を救えないと絶望したレイル。
 この男ども本当にしょうがねえなと呆れながら、それでも救えるものなら救いたいのだと願う方の男を、セルセラは再び奮い立たせる。
「僕が怪物を救う。だからそれまで、お前は奴がこれ以上暴れないよう動きを止めろ」
「しかし、俺では……」
 レイルは防御が苦手だ。あまりにも強すぎて、敵を一瞬で斬り倒す方が楽なのだ。
 戦い続けるための本人の回避能力は凄まじく高いが、その分盾役と言われる人々が持つような敵の攻撃に耐え続ける手段を持っていない。
 それでは周囲の被害は抑えられない。
 魔王であったハインリヒに比べると怪物は弱すぎて、時間稼ぎの足止めが逆に難しい。
 かといってレイルはあくまで剣士であり剛力無双というわけではないので、生身で怪物を押しとどめるのも不可能なのだ。
「そこをわかってて言ってるんだ。だってお前は、お前自身がそうしたいんだろ?」
 救えない。でも、救いたい。
 救えない。でも、これ以上傷ついてほしくない。
 どうしていいのかわからなくて、レイルはこれまでずっと同じところで立ち尽くしていた。八十年も。

「お前は間違ってない」
「セルセラ……」

 救いたくて、何が悪い。
 不可能? それでも救いたい!
 そう願うことの、一体何が間違いだと言うのか。
 でもただ願っているだけでは、他人は、世界は、動かない。それもわかっている。だから。

「お前は間違っていない。だからこそ、行動で示せ」

 レイルの正面に立ち、セルセラはゆっくりと言い聞かせるように告げる。

「どんなに正しいことでも、ただ願っているだけでは世界は変わらない。周囲を変えたければ、まず自分が動け!」

 セルセラは実際にそうして、自分の行動で周囲の意識を変えた。
 元々評価の高かった攻撃よりも防御、回復、支援行動の価値を引き上げ、星狩人協会に生存優先、人命優先の風潮をこの十年かけて作り上げた。

「お前が正しいと思うことは、お前自身の行動によって証明しろ。不可能を可能とするために、お前自身が身を削って動け。――お前には、それができるんだから」

 腕の一本、足の一本弾き飛ばされてでも怪物を止めろ。
 明らかな無茶振りだ。
 だが、それこそレイルが求めていた答なのかもしれない。
 人にできないことを願うなら、人が考える限界を超えるほどの強い想いと行動を。

「命がけの戦い? 上等だろう、不老不死の吸血鬼。その呪いを今活用しなくていつ使うんだ!?」
「……わかった!」

 忌まわしかった吸血鬼の呪い。死なない体。無限の命。
 それを延々と嘆くよりも、それを使って事態を切り拓く方がよっぽどいい。
 行き止まりに陥っていた思考に光が差し込む。
 レイルは、再び剣を手に立ち上がった。そして怪物へと向き直る。

 ◆◆◆◆◆

「バカなことを。できるはずがない」
 すでに死んだものを救うなど不可能だ。
「そうとも限りませんよ」
 忌々し気に吐き捨てるロベルトの前後を、タルテとファラーシャが抑える。
 ロベルトが構えていた、また謎の生物が詰め込まれているフラスコをタルテが奪い取り手の上で燃やす。
「聖女に限らず怨霊を浄化した者の話など、この世にはいくらでも転がっております」
「セルセラはやるって言ったらやる奴だ! 多分!」
「……お仲間をフォローしなくていいのですか? お二方」
「生憎セルセラは私たちの同行をいまだに受け入れていないようですので、我々はあくまで彼女と同じ道を辿っているだけの星狩人なのですよ。もしもセルセラとレイルが失敗したら、私はあなたも怪物もその他の罪人も全ての首を並べた上で二人をせせら笑うだけですね」
「たーるーてー……」
 薄情な聖職者は、しかしその容赦なさ故にもはや逡巡すらせずロベルトを床に叩きつけて拘束する。
「ぐっ」
「あなたの顔も醜い怪物もいい加減に見飽きたと言ったはずです。道化の舞台は終わり。そこで終幕まで見ていなさい」
 犯罪者としてエレオド軍に引き渡そうにも、怪物が残っている限りいつまた暴れられるかわからないので迂闊に動けない。
 タルテたちが捕まえても、エレオド軍の方でロベルトを取り逃がしてはかなわないからだ。
「さて、今のうちに例の気持ち悪い武装を剥いでしまいましょうか。ファラーシャ、この男をしっかり捕まえておいてください」
「任せろ!」

 ◆◆◆◆◆

 光の矢によって一度斬り落とされた怪物の触手が、形容しがたい音を立てて再び生え変わる。
 それが馴染む一瞬の勝負だと、レイルは剣で怪物の攻撃をいなしながらただまっすぐ怪物へと駆け寄った。
 相手を傷つけず、自分も吹っ飛ばされず、ただ近づくだけの行為が並の人間には難しい。
 それでもレイルは今までの経験から無事に怪物の攻撃を捌き切り距離を詰めていく。
「レイル! あれが来る!」
「強酸です! 今の奴には触手以外に酸を吐く攻撃も――」
 ロベルトを拘束したままレイルの行動を見守っていた二人が咄嗟に警告する。
 そして気づく。
 今のレイルは、それもしっかりと計算に入れて動いていることを。
 怪物がずらりと牙の生えた口を開き酸を吐こうとしたところで、レイルは自らの肩からむしり取ったマントでそれを絡めとった!
「そうか! 魔導鎧装布なら……!」
 星狩人や魔獣狩りと呼ばれる人々のために誂えられる特別な衣装。
 魔導鎧装布と呼ばれる圧倒的な防御力のその布地なら、怪物の溶解液も防ぎきる。
 レイルはそのまま魔導鎧装布のマントと飾り紐を上手く使い、強酸を吐く口と一番大きい触手の両方を斜め上から縛り付けて封じてしまう。
 後は肝心の怪物自身が暴れて振りほどかないように、全身で行動を押しとどめる。
「……あの店員殿に感謝せねばな」
 一度は装飾が多すぎると感じた衣装が、まさか実戦でこれほど役に立つとは思わなかった。
 怪物が半ば溶け崩れて一回り小さくなったからできたことではあるが、なんでも選択肢自体は持っておくべきだと痛感する。
 仕立てて早々に衣装を駄目にしたことを怒られるなら、甘んじて受けよう。
 密かに決意しながら怪物の動きを魔導鎧装布の拘束と全身を使った押し込みで封じ、その時を待つ。

「天におわす我が神よ。我が血に応え、我が願いを聞き届け給え!」

 生贄術の代償にセルセラは自らの血を選び、常に持ち歩いている短剣で左腕を浅く斬りつける。
 その傷を天高くかかげるセルセラの体を、淡い緑の光が包んだ。
 緑柱石のように透き通り、夏の若葉のように瑞々しいそれは、彼女の想う生命の色だ。
 これから行う術の下準備にセルセラは自らの「身体」に魔導を満たす。
 そして武器である短剣と辰骸環の錘杖を手放し、怪物へと歩み寄った。
「セルセラ!?」
 傍目にはあまりに無防備な状態に、咄嗟にタルテが声を上げる。
「大丈夫だ! ……きっとセルセラは、レイルが怪物を抑え込むのを信じてる」
 動こうとしたタルテをファラーシャが止めた。
 瓦礫の散乱する聖堂の床を踊るように突き進み、怪物に近寄ったセルセラは、その姿を抱くように両手を広げる。

「おいで」

 茨の魔女、緑の魔導士、そして“天上の巫女”とも呼ばれる聖女は、全てを浄化する聖なる気に怯えるように後退った怪物に、どこまでも穏やかに語り掛ける。

「僕とともにおいで」

 怪物はセルセラを無視できない。恐ろしいのに、目を逸らしたいくらいなのに、視線をはがすことができない。
「お前が生まれて来られなかったのは、仕方ないことなんだよ。お前にだって……本当はわかっているんだろ?」
 総ての命がこの世に祝福されて生まれてくるわけではない。
 悲劇なんてどこにでも転がっている。怪物の両親がどんな人物で何があったのかなんて、そんなことまではセルセラにもわからない。
 結果として胎児は生まれて来ることができなかった。それはもう動かしようのない事実なのだ。だから。

「もう一度、生まれておいで」

 親と子の関係が優しく幸せなものであるなどと言うのは、都合のいい幻想だ。
 子が親を憎んで何が悪い。親が子を見放す場合もあるだろう。
 それについてとやかく言えるほど、セルセラ自身も親子というものを知っているわけではない。
 できるのは、ただ与えること。
 総ての命がこの世に祝福されて生まれてくるわけではない。
 でも自分は、目の前で苦しむこの魂に、祝福される命を贈りたい。

「この運命をなかったことにして、お前を生き返らせてやることは僕にもできない。だが僕は、新しい命をお前に与えてやることはできる!」

 セルセラは強く言い放ち、両腕を広げたまま怪物に向けてまた一歩歩を進める。
 幼子を抱きしめようとする母親のように。

「僕が、お前を産んであげる。だから、もう一度生まれて来い! お前の居場所はここだ!」
「――!」

 怪物が鳴いた。
 これまでの咆哮とは違い、音にならぬ音が空間に響く。
 それは文字通り魂の叫びだった。
 死んだ他人の体、盗まれた子どもたちの死体でできた肉体から離れ、無垢なる魂はセルセラの腕の中に飛び込む。

「さぁ、今はゆっくりとおやすみ」

 母に甘える赤子のように胸に顔をすり寄せた胎児の魂が、ゆっくりと黄金の光の粒子となり、セルセラの身体の中に吸い込まれるようにして消えていく。

「なんてこと……」
 タルテが珍しく呆然とした顔で呟く。
「まさか、あの怪物が、そんな方法で……!?」
 ロベルトはひたすら愕然としている。
「……っ」
 レイルは言葉すら発せなかった。彼が望み、けれどいつだってできなかったことをセルセラは今完璧に叶えてみせたのだ。
 人の絶望を超えて奇跡を起こす女神のように。
 灰のように崩れ落ちた怪物の肉体の残骸の傍で、レイルは魅入られた殉教者のようにセルセラを見つめる。
 しかしその女神は先程まで水子霊に見せていた慈母の表情をあっさりと消し去り、いつも通りの皮肉気で凶悪な笑顔を浮かべて告げた。

「何呆けてんだ、レイル! その小悪党を逃がすな!」

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