046.誰が為の永遠

 ロベルトがまだ隠し持っていた剃刀で、自らの腕を傷つける。
「え!? 何やってるんだお前!!」
 突然の自傷行為に驚き、彼を捕まえていたファラーシャはその腕を放してしまった。
 特殊民族は腕力が強いので、人間に触れる時は繊細な力加減が必要だ。
 怪我人や病人相手の加減に自信がないファラーシャとしては腕を放すしかなかったが、タルテからすぐに叱責される。
「駄目です! その男から目を離しては――!」
 そう言うタルテの腕にはロベルトが隠し持っていたのを没収した試験官とフラスコが握られている。
 開封すると魔導術式が発動して人工魔獣が目覚めるそれらの危険物を放置するわけにもいかず、タルテはロベルトから距離を取らざるを得ない。
 懐に隠し持っていた武器をほとんどタルテに奪われたにも関わらず、ロベルトはまだ服の袖から先程の剃刀に加え、ペン先程度の小瓶を取り出した。
「一体どれだけ仕込んでいるんです?」
「なぁに、魔導科学者のほんの嗜みですよ」
 言う間にも瓶を地面に叩きつけ、再び教会の床を人工魔獣で埋め尽くす。
 タルテたちが今まで見てきた蛭に加え、蛇や蜘蛛、蠍に蜂など、ありとあらゆる黒い体色の生物が瓶の中から湧きだした。
 距離が近すぎるのが災いし、ファラーシャは弓を射ることができない。
 セルセラの指示を受けたレイルがロベルトを取り押さえようと駆ける。
 その前に、黒い人工魔獣たちが雲霞のごとく溢れかえり立ちふさがった。
「気を付けろ! そいつらは全部毒を持つ生き物だ!」
 構わず突っ切ろうとしたレイルの前に、セルセラが警告と共に防御用の盾を張る。
 蛇の牙と蠍の尾が防がれたのを見て、レイルは慌てて体勢を変えながら礼を言った。
「……! すまない、助かった!」
 こんな時こそ魔導鎧装布のマントがあれば便利だが、先程怪物の強酸を防ぐのに使ってしまっている。
 不老不死なので毒ぐらいでは死なないが、麻痺などで行動不能にされればどちらにしろロベルトを捕まえることはできない。
 そうしたやり取りの間にもロベルトが小瓶をもう一本追加して、更に人工魔獣の数を増やした。
 あっという間に瓦礫の山が墨色に染まる。
「またですか!」
 先程さんざん蛭を斬って潰して燃やしてようやく全て倒し終えたタルテがとにかく嫌そうな声を上げる。
 もう一度燃やすのは容易いが、下手を打てばその間にロベルトに逃げられてしまうだろう。
 この様子だと、相手はまだ何か切り札を残している。
「それでも、このまま放置すると言う選択肢はありません――」
 彼らを襲って来るだけならまだいい。だがこれらの人工魔獣を取り逃がして街中に逃げ込まれたら面倒なことになる。
 そしてロベルトを追い詰め過ぎれば、その行動を躊躇せずとると予想できるのが一番厄介なところだった。
 彼を捕まえるには人工魔獣に対処した上で、小細工や抵抗を許さず確実に身柄を抑えねばならない。
 舌打ちしながらタルテが辰骸環に力を込めた時、静かな声が夜の闇に響いた。

「全員伏せてください」

 聞き覚えのある声にレイルとタルテは反射的に身を屈め、ファラーシャはこの方が早いと空中に逃れる。
 そしてもとより声の主をよく知っていたセルセラは、頭を抱えて言われた通り素直に伏せた。

 キキキキキキン!

 素早く剣を振るう音が連続して響き、それが収まった頃にロベルトの驚愕の声が静まり返った空間に虚しく響いた。
「馬鹿な……」
「あなたの手札はもう見切りました。ロベルト=コーニス博士」
 フィアナ帝国皇帝直属の近衛騎士、クランは構えた剣を下さぬまま冷静に告げる。
 帝国最強と名高い彼の剣は、教会を埋め尽くしていた人工魔獣の蛇や蜘蛛たちを、一瞬で指先以下の塊にまで切り裂いていた。
 吸血蛭の前例を思えばこれらの人工魔獣も無限に分裂して襲い掛かってくる可能性があったが、どうやらその可能性さえ潰したようだ。分裂できる魔獣でも再生可能な大きさには限度がある。
「クラン。ディムナもか。やっと来たのかよ、お前ら」
「よ、セルセラ!」
 現場の安全を確認した後少し離れた場所から現れたディムナがひらひらと適当に手を振る。
 己の騎士を先行させて、皇帝本人は攻撃に巻き込まれないよう隠れていたらしい。
「悪いが少し前からお前たちの戦いを見させてもらってな。状況を有利に運べるよう偵察しながらクランを待機させていた」
「随分と美味しいところを持っていきやがって」
「まぁそう言うな。いつも通り後始末は引き受けるから」
「当然だ」
 セルセラとフィアナ皇帝ののんびりとした会話を受けて、他の面々はようやくそろりと体を起こす。
 ロベルトは背を翻し地下通路の入り口から逃げ出そうとしたが、そうは問屋が卸さない。
「覚悟!」
「ちっ……!」
 一瞬で彼との距離を埋めたレイルがその背を押さえつけ、今度こそロベルトを拘束する。
 白衣の中の仕込みにさえ気を付ければ、ロベルトはただのひ弱な一般人でしかない。
 地に伏す異端の科学者であり魔導学者でもある男を見下ろし、ディムナは堂々と告げる。
「エレオド王と話をつけてきた。こたびの事件について、エレオドは全面的に責任を取るそうだ。ロベルト=コーニス博士。我々はエレオド軍に協力し君を王都に連行する」
 ディムナの言葉を聞き、彼らと一緒に教会まで戻ってきたヤトレフ将軍とルプス将軍が一礼する。
 大国エレオドにとっても国境を接するフィアナ帝国は重要な相手。
 それも皇帝自らが犯罪者の捕縛に協力したのだ。どれほど丁重に礼を述べてもしすぎると言うことはない。
「ご協力感謝いたします。フィアナ皇帝陛下。あとは我々が被疑者を王都まで連行いたします」
 その言葉に残りのエレオド軍人も動き出した。まずはロベルトの身柄をレイルから引き受けようと、数人が武器を構えたまま二人を取り囲もうとする。

「待て」

 それを止めたのは、他でもないセルセラだった。
「天上の巫女姫……」
 ヤトレフ将軍とルプス将軍が張り詰めた表情でセルセラを振り返る。
 ディムナのことも丁重に扱わねばならないが、天上の巫女に関しては、もはや隣国の皇帝よりも更に遥かな雲の上の住人だ。
「悪いが、こいつに一つだけ聞かなきゃならねえことがある。返答如何によっては、王都には死体で連れ帰ってもらう」
 ルプス辺りはそれなりに馴れ馴れしい口を利くこともあるが、セルセラが本気でエレオドに対して何らかの行動を起こすつもりならば止めることは誰にもできない。
 権力的にはもちろん、戦闘能力でも。
 世界有数の大国であるエレオドにはセルセラの情報が数多く入ってきている。
 どんな脚色された噂よりも、本人はもっと恐ろしいと世界中の支配者に影で囁かれる最強の“聖女”。
 無辜の人々を魔獣から守り、死者を蘇生させ、心身共に傷ついた者たちを種族の別なく救う。
 その一方で、天上の意に添わぬ悪人や罪人を滅ぼしつくす――神々の代行者。
 この世界で最も崇められ、同時に最も恐れられている少女。
 セルセラは、自らと同じく生命の探求を重ねた男に問いかける。

「アジェッサで、多くの子どもたちが亡くなった流行り病を広めたのはお前らか?」

 凍るような沈黙が訪れる。迂闊に息さえできない。
 腰に腕を当てて虫でも見るような目で地に伏したロベルトを見下ろす少女の一声が、空間を支配する。女王のようにも、魔王のようにも。
 屋根の崩れた教会の聖堂。
 人々の心の拠り所が破壊され無残な姿を晒すそこで、一人の男に審判が下されようとしている。
「な、にを……」
 すっかり蚊帳の外だったルチル神父や葬儀屋たちが反応する。
 それがこの街で数多の悲しみを生み出した事件の元凶を問うものであるだけに。
「死体を増やすには、自分で相手を殺すのが手っ取り早い。この街で子どもたちの被害が出たのは、それこそお前らの差し金じゃないのか? その場合、お前が引き連れていたエレオドの兵士たちもその背後の王も同罪だな」
「な……!」
 ヤトレフが思わず声を上げ、ルプスが顔つきを険しくする。
 神に最も近い存在である聖女は、必要となれば一国家の権力など気にも留めずに国そのものを潰す力がある。
 そうしてセルセラに潰された国がいくつかある。
 ここでのロベルトの答によっては、エレオドは彼と共謀した罪に問われる可能性すらあるのだ。
 全員から一斉に注目された罪人は、うつ伏せの苦しい姿勢ながら精一杯の皮肉を込めて答えた。

「猊下は私を相当買い被られておられるようだ。人なんて何もなくともすぐ死ぬのに、わざわざ手間暇かけて殺しまわる必要ありませんよ」

 セルセラは、手に持った杖の鋭い切っ先を勢いよく突き刺す。
 ロベルトの顔の横の地面に。

「……まぁ、いいだろう」
 そしてヤトレフ、ルプス両将軍の方を向いて告げる。
「連れて行け」
「……かしこまりました」
 ヤトレフの命を受けて、それまで凍り付いていたエレオド兵たちが動き出す。
 連行される途中、振り返ったロベルトが捨て台詞と言うには思わせぶりな言葉を紡いだ。
「今回の件で、私とあなたの縁は繋がった。あなたは私を忘れないでしょう。蘇生術の研究者として、頂点に立つのはもう私たち二人だけなのだから――またお会いできる日を楽しみにしていますよ」
「会いたくねーっつの」
 エレオドにロベルトを引き渡したレイルやタルテは、その姿が完全に遠く離れるまでずっと睨んでいた。
「なぁなぁセルセラ、本当に逃がしちゃっていいのか? さっきのあれが嘘だったらどうするんだ?」
「それはないんですよ、ファラーシャ。ここにいるのが“聖女”である限り」
「あ、そうか」
 ロベルトの所業を嫌悪し彼の言を疑うファラーシャは、タルテの指摘でようやく思い出した。
「人魚のラルムさんの時と同じ……嘘が見抜けるんだったな!」
 ロベルトがどれほど虚言を弄しようと、聖女の力はそれを見抜くことができる。
「ああ。少なくともさっきの奴は嘘を言っていなかったからな。ただ……」
「ただ?」
「……いや」
 セルセラはゆるく首を振る。タルテは続きを察したらしく顔を顰める。
(コーニスは子どもたちの殺害を実行していないが、発想自体はあったようだ)
 真偽を判定した時に“揺れ”があったことから、セルセラはそう判断する。
 実際に犯していない罪で裁くことこそできないが、警戒が必要な相手には違いない。
 それでもひとまず、今回の事件は終わったとみていいだろう。
「後は、この先エレオドがどう動くかだな」
 ディムナがセルセラに歩み寄ってくる。その傍らにはいつものように騎士のクランがいる。
「子どもたちの魂を救ってくれてありがとう」
 セルセラたちの戦闘を離れた場所で見ていたディムナは、それも知っていたらしい。
 病死した哀れな子どもの遺体が無残な実験に使われたことには悲痛を覚えたが、ひとまずは行方がわかったことに安堵する。
「あとは遺体を彼らの親許へ返してやらないとだな。……それでようやく事件は終結だ」
 エレオドがロベルトの連行で忙しくなる以上、その辺りはフィアナ帝国が引き受けると皇帝は約束した。
「タルテ殿たちも、ご苦労だったな」
「かまいませんよ、このぐらい」
「恐縮です。ディムナ陛下とクラン殿もありがとうございます」
「う、うん。お疲れ様です……でも、その……」
 如才なく受け答えするタルテやレイルと違って、ファラーシャはまだ近くに残された怪物の残骸を気にしながらもごもごと口ごもる。
 地面に無残に横たわる、怪物の魂の抜け殻。
 それらは継ぎ接ぎされた遺体が中の魂を失って本物の死体に戻ったことで、腐肉となって溶けだしている。
 少なくともこのままの姿で家族の許へ届けることはできない。
 燃やして灰にすることはできるが、結局身内を綺麗な姿で送り出してやることもできずにこんな形で灰となった骨だけを受け取らねばならない家族の気持ちを考えると切ないものがある。
 言葉を上手く選ぶことのできないファラーシャの肩をぽんと軽く叩き、セルセラはディムナに提案する。
「今、遺体を家族のところに届けると言ったな、ディムナ」
「ああ」
「だったら、僕に一つ考えがある」
 そして、ルチル神父と共に静かに沙汰を待っていた葬儀屋を呼んだ。

 ◆◆◆◆◆

 白い煙が空にたなびく。
 棺には遺体の代わりに花を詰めて燃やし、浄化された灰と共に壺に入れ墓に収めることとなった。
 騒動の終わったアジェッサの街では、流行り病や事故で亡くなり、その後遺体を盗まれた子どもたちのための合同葬儀が行われていた。
 教会が怪物制作の犯人により破壊されてしまったので、墓地の近くの広場が会場になっている。
 抜けるような青空の下、故人の身内や友人たちが改めて別れを告げていく。
 子どもを亡くした家族たちは改めて悲しむことになったが、盗まれた遺体が還ってきたことでようやく心に一区切りつけられる。
 自らも一人息子を喪っている葬儀屋は、誰よりも神妙な顔で儀式を進めていた。
 その様子を少し離れたところで見守っていたタルテは、どこか不思議そうな顔で故人に別れを告げる人々を見つめていた。
「すでに魂は冥界送りにしたのでしょう? どうして……」
「そんなに不思議か?」
 タルテが不思議なのは、故人との別れを惜しむ身内ではない。彼らのために、この状況をセルセラがわざわざ用意してやったことだった。
「私はわかるような気がするぞ」
「そうだな。俺も」
 ファラーシャとレイルは不思議がるタルテの方がわからないと言った様子で頷きあう。
「葬式は生きている人間のためのものとはよく言ったものだよな。あれは誰かと別れ、これからも生きて行かなきゃならない奴らのためのものなんだ」
 セルセラは死者の魂を浄化と言う形で救うことができたが、今回の事件ではまだ遺体を盗まれて悲しむ家族が残っていた。
 この合同葬儀は、生者のための儀式なのだ。
 タルテは責任をもってその主催を務める葬儀屋の横顔を遠目に見遣る。
「……なるほど。私がこの状況にピンと来ないのは、私にそう言った経験がないからですか。……考えてみれば、人死にを経験したことのない魔女が、蘇生術の研究に走る訳もありませんね」
「ま、そういうことだ」
 さりげない質問に、セルセラは肩を竦めて答える。別段隠すようなことでもない。

 ――蘇生術の完成は確かに魅力だな。だからいつか完成させてもらう。だがそれは、お前ではない別の人間の仕事だ。
 ――私以上に蘇生術に詳しい研究者はおりませんよ? 四年前までは存在しましたが、彼はすでに亡くなった。その研究を引き継いだあなたが誰より知っているはずだ。

 そう、生者は死者への未練を振り切れない。
 それが普段どれだけ飄々としている者であっても。
「セルセラ様、皆様」
「ルチル神父」
「お疲れ様です、神父様」
 葬儀屋と協力し、儀式の進行を務めていた神父が、ようやく役目を終えたらしい。
 この後旅立つと伝えていた四人に挨拶に来たのだ。
「怪物退治だけでなく、最後まで本当にありがとうございました。これでアジェッサの街もようやく落ち着くと思います」
 合同葬儀の提案をしたセルセラに、驚きながらも一も二もなく頷いてくれたのは彼だった。
 盗まれた遺体の家族はもちろん、自らの小さな望みが大事件を巻き起こして罪の意識に苛まれている葬儀屋のためにも、それは必要だと。
「こっちこそ、後はよろしく頼むぜ」
 亡くなった子どもたちの魂はセルセラが癒やし浄化したが、いまだ傷ついたままの街人たちには、ルチル神父のような人の支えが必要だ。
「でも神父様、寝るとこもなくなっちゃったのに大丈夫なのか?」
「はい。フィアナ皇帝陛下が教会への寄付と言う形で援助をしてくださったので、しばらくは街の貸家に世話になります。今回の出来事は私の力足らずでもありますから、次はこんなことがないように街の人たちの悲しみに向き合っていきたいと思います」
「がんばってください」
「ありがとうございます。皆さんの旅のご無事をお祈りいたします」
「あなたもどうかお元気で」

 遠くから穏やかな歌声が聞こえてくる。
 吟遊詩人のラルムが鎮魂歌を奏でているのだ。
 青空に響く澄んだ声は、人々の悲しみを癒やし、街にわだかまっていた穢れや怨念を清めていく。
 愛も憎しみも全ての感情が、どうか天へと届くようにと――。

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