モグトワールの遺跡 006

第1章 水の大陸

3.火神覚醒(2)

021

 駆け込んだ城の中はすでに煙と熱で正直言えばとても居られる状況ではなかった。しかしセダは素早く目的の場所へ行こうとした瞬間、かすかな声を聞いた。
「セダ!」
 振り返って絶句する。そこには煤にまみれて、汚れた光の姿があったのだ。セダは自分も同じように煤で汚れているのだろうとは感じたが、そんなことは正直どうでもいい。
「お前! なんでここに!!」
「楓は私が助けるのよ! 私のわがままなの。セダだけには任せちゃだめなんだよ」
「だからって、お前なぁ!」
 セダが本気で怒って言う。自分がこの炎の中を突っ切ったことすら正気でないと思っているのに、小さな光が後を追ってくるとは。考えなしというか無鉄砲というか。
「セダは私や楓のためにそこまでする必要ないの。私が、私の……ごほっ」
 光の言葉は熱気と煙による咳で途切れた。セダははっとして舌打ちを一つ。ポケットをあさっていつも身につけている止血帯を取り出すと、短く切り取り光に渡した。ないよりはましというものだ。
「それで口と鼻を覆え。煙を吸っちゃダメだ」
「わかった」
 セダは自分も同じように止血帯で口を押さえるともう片方は光の手を取った。
「絶対離れるなよ! 今は言い合っている場合じゃないしな!」
「うん」
 セダは作戦に参加するに当たって城の見取り図を頭に叩き込んでいる。楓に窓から外へ逃がしてもらったとしても、ちゃんと城の地図はわかっていた。現在地から最短の距離をすぐに思い浮かべる。
 ジルタリア城は傾斜している土地に建てられており、城は川沿いの崖の様な場所にあり、東側は川に面している。すなわち傾斜が高くなっており、一階と言われる場所が西側からすると二階になっている。逆に城下町に面する西側は壮大な門をくぐって入るホールから吹き抜けになっている二階の部分に面会などに使われる王座がある広間となっている。そこと続きの間である会議室の窓から直接下に下ろされたのだ。
 やはり会議室があった西側は火の手が上がっただけあって、入口は東側にしかない。しかし東側は傾斜が高いので一階から燃えている現状では入る事が出来ない。西側にはバルコニーや庭を愛でる場所はあるものの炎がひどく、入れる入り口は炎の回っていないどちらともとれない場所しかなかったために、セダはそこから入って西側から一気に階段を駆け上っていた。
 セダと光が城に入ったときも東側の上の階にまで火の手が回っており、城は大混乱だった。二階の部分で炎が上がっていない場所はないように思えるが、セダは少しでも炎が少ない箇所を探して光を連れて走る。
「光、大丈夫か?」
 二階まで駆け上って問う。息は上がらざるをえない。これだけの煙。空気は少なく回りは熱気で熱い。喉が焼けるようだった。それどころか目が乾き、痛みも出ている。
「うん、なんとか」
 確認して頷く。二人は楓がいる場所に最も近づける場所で、視界に楓がいるであろうその部屋が納まる場所まで近づけた。しかしもう王座のあった広間は入り口が火の海だった。考えれば当然だ。その続きの間である場所から火の手が上がって、最も遠い場所まで炎が回っていれば、火の手が上がった部屋がすでに燃えているのは。
「チ!」
 その光景を見て、光も飛び込んで行こうとはしない。セダは周りを見渡して首を振る。立っているだけでも肌がじりじりと火傷しているかのように熱い。口の中が乾き、熱気で目が痛い。背後も火の海になるのは時間の問題だ。どうする? ここで諦めるか? 普通はそうだ。このままでは自分も光も死んでしまうのだから。でも、
 ――楓、泣けないんだよ。
 光が言った言葉。一人の炎の宝人。恐れられて利用されて、孤独な炎の宝人。……楓。
 諦めるのか?
 ――見捨てるのか?
 ……答えは、否!! 自然と一歩下がった足を、自分の意志で、強く踏み出す。
「光、水晶石を持っているか?」
「うん」
 ポケットから赤い景色の中で唯一涼しげな色を写す、青い石が現れる。当然、その大きさはセダが普段見るものよりも大きい。当然だ。光は宝人が出した晶石をそのままわけてもらっているのだから。そして宝人の創った晶石はエレメントの結晶、始まりのカタチ。
「光は宝人だろ? それで、一瞬でいい、炎を消してくれ」
 人間が晶石を使ってもそれは直接エレメントを扱えることにはならない。ヌグファのような魔法使いがいれば話は別だが、今はセダしかない。だけど、宝人の光がいれば、水晶石さえあれば、水が出せる。
「え! む、無理だよ! 私、エレメントが使えたことない……!!」
 光は宝人の中ではできそこないと言われてきた位、どのエレメントも使えたことがない。晶石を用いても、エレメントが反応しないのだ。ちゃんとエレメントの流れは見えるし、精霊も見えるし会話も出来る。でも、エレメントを使えた試しがない。――当然、自分が何を守護する宝人か、未だ不明。普通はそんなことないのだが。
「いいか、俺は晶石を使って水を出せないんだ。人間だから」
 水晶石を握る光の手を上から重ねるように握ってセダが真剣に言う。
「でも、お前は宝人だ。お前なら出来る」
「でも、でも……!!」
 光は視線をさ迷わせた。セダは知らないから。自分が里内でどんなにできない存在だったか。そう、楓を必要としていたのは自分なんだ。エレメントを使えない宝人にしてはありえない自分を楓だけは笑わずに、一緒にいてくれたから。楓だけはめげずに根気よく晶石の使い方を何度も教えてくれたから。
「一度も、成功したことないの……!」
「聞け!」
 泣きそうになりながら視線をおろおろとさせ、下を向いた光の肩を強く叩くように握ってセダが言った。
「楓を助けたいんだろ! お前のその手で!!」
 はっと光がセダを見る。
「できなきゃ、ここで楓を見捨てるか、死ぬしかないんだ」
 そう言う間にも炎は勢いを増していく。ここで立ち止まってもどちらにしろ楓は死ぬ。二人が迷っている間に。
「宝人は人間の魂を基準に力を安定させるだろ? なら、俺の魂を感じろよ。俺がなんとかしてやるよ」
 それは最初に光がセダに言った言葉だった。セダの魂で自分を安定させて楓を助けたかった。
「絶対大丈夫だ。火事場の馬鹿力ってあるだろ? 今がそのとき、ちょうど火事だしな」
 セダは、ははっと笑った。
「ここは水の強い大陸だ。水を呼ぶことは簡単に違いないぜ」
 セダの言葉に光は唇を噛み締めた。セダは笑って、光の頭を撫でた。
「想いは力になるんだ。今まで失敗したことがなんだよ。失敗は今日の今、このときのためにあるのさ。それに」
 セダは光の目をまっすぐ見て言う。それは怖いくらいに光をまっすぐ、正直に見ていた。
「やってみなきゃ、始まらねぇだろ?」
 澄んだ蒼色の綺麗な目だった。それは水のようにどこまでも澄んでいる、力強い目だ。光の目がその光を受けて強く輝きだす。セダに言われて出来るような気がした。どこまでも前向きに力づよく。
「うん、うん!! やってみる!!」
「おお!」
 光は左手に水晶石を握り、右手をセダの胸に当てた。そして目を閉じる。周りは火の勢いが増して正直足を止めることすらつらい。露出した肌がぴりぴり痛く、呼吸も苦しい。ごおごお鳴る炎が背後に迫っている気すらする。
(大丈夫、集中。集中)
 目を閉じてセダの強い目を思い出す。大丈夫。セダがいるから、大丈夫。
 セダも炎が気にはなるが、光と向き合って目を閉じた。不思議と穏やかな呼吸ができる。
 ――ドクン、ドクン。
 光は深呼吸して、落ち着いた呼吸を意識する。すると触れた右手からセダの力強い鼓動が感じられた。その鼓動に自分の鼓動すら引き込まれるような熱く、強い、生命の拍動。その力に励まされるように感覚が広がっていく。それはまるで上空からはるか彼方まで見下ろす鳥のように、隅々までエレメントの気配を探っていく。
 ――光。エレメントと僕ら宝人は同じなんだ。使おうと思うんじゃないんだよ。エレメントは僕らで僕らはエレメントなんだ。自分が自分を使うっておかしいだろ? だから、使うんじゃなくて……
(そうだね、楓)
 楓が教えてくれた言葉をはっきりと思い出す。いきわたらせて、感じる。猛りに猛った炎の精霊の存在。楓が放った炎の力。それは――怒り。自分のせいで傷つけてしまった、怖がらせてしまったそういう優しい想いの炎。そして楓を傷つけ、蹂躙したことを、炎の精霊が激怒している。自分らを生み出し、自分達の同胞で自分達を一番理解し、愛してくれる炎の宝人を傷つけた、その怒り。それらが複合して歯止めを掛けられなくなっている。ここに違う炎の宝人がいれば、炎のエレメントを鎮めることもできたかもしれない。
 ――水の性質は『沈静』。
 激情を表す炎と対を成し、それは沈静とすべてを水に流す性質を持つエレメント――水。
 ――伝えるんだ。僕がこうしたいと、君たちと共にこうありたいのだと。伝えるんだよ、光。
(怒りを、鎮めて!! 炎を静めて!)
 セダの拍動に後押しされて、光の意思を伝える。
(だから、一緒に手伝って。どうかこの手の元に来て!!)
 鮮烈なほどの、青い、イメージ――。
 セダの目を思い出す。そう、あなたの力を私に貸して! 強く明るい青いセダの目。
 蒼とは、すなわち……水を表す色――!
「水よ!!」
 光が叫んだ。

 炎が一向に収まる様子のない城を見上げることしか出来ない一行は、セダと光の姿が今にも見えないかとはらはらして見つめている。
「う……」
そうしていたら、気絶していたハストリカと呼ばれていた水の宝人が起き上がった。
「貴女!」
 警戒をして距離を取る一行。ハストリカは厳しく一行を見た後、燃えが上がる城を見て絶句した。
「……炎!」
「そうですわ。貴女が捕らえていた楓が起こした炎ですわ」
 ハストリカは目を見開き、そして主がいないことに気づく。
「あの方は……パンチャーズ様は……?!!」
「パンチャーズ? ビス殿下じゃなくて?」
 テラが不思議そうに言う。まぁ、ジルのおかげで偽者とわかったわけだから当然といえばそうなのだが。
「偽者の王様なら、楓と一緒に城の中よ」
 ハストリカは短く叫んだ後、水を撒き散らしたかと思えば、突如、姿を消した。
「ええ??!」
 テラが驚くと、リュミィが冷たく言った。
「宝人は契約がある限り、契約者の下へ飛べますのよ。きっと彼女、あの偽者の王様のところへ言ったのでしょう。彼女にとって、大切な人なのですわ」
 己の命すら顧みず、契約者の下へ行く彼女の行動は、果たして契約だけのものか。きっと違う。ハストリカにとって、彼が偽者だろうが、王座を狙おうがどうでもいいのだろう。彼個人がきっと、大事だったのだ。
「彼女は水の宝人ですわ。炎に唯一対抗できますの。放っておいても大丈夫でしょう」
 リュミィはそう言って、城を見続けた。

「水よ!」
 光が叫んだとき、セダは手にひやっとした感触を覚えた気がして目を開けた。そして目を見開く。光の握る水晶石を中心に、水がまるで噴水のようにあふれ出ては広がっているのだ。
「光! やったな!」
 光も信じられないように、その光景を見ている。その光は、水色の髪に水色の目をしていた。
「光、お前……髪と目の色が……」
「え? あ、ほんとだ」
 視界に入った己の髪がいつもなら白色なのに、このときばかりは水色に染まっていた。宝人がエレメントを使う際に表れる従属色に変じた状態だった。
「宝人だったんだ、私」
 光は確かに宝人の里で生まれ、宝人として育った。でも己の守護するエレメントすらわからなくて、エレメントも使えなくて……本当は宝人じゃないんだと疑ったことも少なくなかった。でも、初めてセダのおかげで水が水晶石の力を借りて出せた! 水のエレメントの流れを身体を通してわかる。水の精霊が光に微笑む。うれしい、これが宝人ってこと。これがエレメント。泣きそうなほど、嬉しかった。私は宝人だと実感できたのだから。
「当然だろ! さ、楓を助けに行こうぜ」
 セダはそう言って光の手を引いて、炎が引いた場所目掛けて走っていく。
 ――ああ。セダは強い、光のようだ。
 炎の海の中、わずかな水が一瞬だけ激しい水蒸気をまき散らしながら炎の壁をなくす。
 その隙を走り抜けて、ついに二人は楓のいた場所までたどり着く。扉は燃え落ちて、壁や床すらもろくなっているようだ。部屋の中央で胸をかき抱くようにしてうつぶせに倒れている人物を見つけると、光が駆け寄った。
「楓!!」
 呼んでも返事をしない。燃え盛る場所の中、楓だけが燃えていない。楓だけ別次元にいるように炎が触れても燃えることもなければ、熱くなることもない。これが、炎の宝人、炎を守護するということ。セダも駆け寄って急いでその身体を抱き上げる。すると楓を助けようとしているのがわかるのか、楓を抱えたセダを中心に炎が半径1m程度引く。光をその中に呼び寄せて、とりあえず、炎の脅威から身を守る。
「冷たい……!」
 この燃え盛る炎の中、ぞっとするほどに楓の身体は冷たかった。氷に触れているかのようだ。この場所にいるだけで肌は熱に晒されて火傷を負うほどなのに、この異常なほどの冷たさはなんだ。ぐったりした様子の楓の顔には煤が少々ついている。それを払ってやると、きれいな肌が現れた。
「契約紋が、消えてる」
 光が呟いた。違和感の正体はそれか。ということは契約は解けたらしい。セダは楓を光に手伝ってもらって負ぶさるようにして固定すると立ち上がった。きょろきょろと見るが、偽者の王様は逃げたらしい。
「まぁ、逃げたよな。普通」
 どれだけ炎がすごくても、これだけの短時間なら遺体は残っていそうだが、それすら綺麗にないならきっと逃げたのだろう。もし逃げられていないなら一緒に逃げようと思っていたのだが。
「さ、光、逃げるぞ」
 光の持っている水晶石がなくなれば水は出なくなるのだろう。いくら楓を背負って炎が近寄らないからといってそれで楽観視できるほど、状況は甘くなかった。その前に城から離れなければ。光は頷いた。部屋を抜け出して、逃げようと思ったがすでに辺り一面火の海だった。
 幸い光の水晶石のおかげで水が二人を守ってくれているからいいようなものの、普通だったらその場で燃えている状態だ。セダは急がないと本当に死ぬと思って駆け出した。
「セダ!」
「っと!」
 セダも光も走っている最中、目の前の床が炎で抜け落ちたために急いで脚を止めた。そうとう脆くなっているらしく、セダの目の前の床は所々抜けている。抜けた場所から炎が噴出している状態だ。
「こりゃ……走れねぇな」
 走ったりしたらその衝撃で床が抜け落ちる。最悪なのは吹き抜けの場所まで戻っているがゆえに、よけいに脆いようだ。歩いていては時間がない。セダは辺りを見た。これは一瞬の判断で簡単に死んでしまう。セダは焦る思考を落ち着かせるように息を吐き出し、そして決断した。
「光、飛び降りるぞ!」
 近場の窓から下を見下ろしてセダが言った。二階から一階へ落ちてその衝撃というかその隙に光の水を使っている状態が止めば命に関わる。それなら同じ落ちるなら少しでも安全な外だ。幸い、城の内部と違って外は庭だ。柔らかい土だし、木をクッションに出来れば怪我は少なくて済む。
「いいな!」
「うん!」
 光も床の状態を見たら仕方ないと思ったのか、腹が据わったのか頷く。セダは安全に落ちる場所をいくつかの窓から下を覗いて確認する。ちょうど炎が燃え移っておらず、下が土と植え込みの場所を見つけた。そして楓を床に下ろす。
「いいか、俺がまず下に行く。そしたら楓を投げてくれ」
 セダは楓の身を窓枠にかけて光に支えさせる。本当は楓ごと飛び降りたいのだが、さすがに一人背負って無事に着地できるとは思えない。それならちゃんと受身を取れるように落ちて、後からこれまた危険だが楓を下でキャッチする方法しかないと思ったのだ。ロープのような物があれば一番よかったのだが。
「じゃ、行くぜ。楓を下ろしたら光な」
「うん」
 セダは隣の窓から飛び降りた。大丈夫、女子寮の窓から飛び降りても大丈夫だったし。両足と両手で衝撃を逃がすようにして飛び降りた。花壇の土が下にあったとはいえ、しばらくじーんと痛んだ。しかしそうも言っていられない。
「光!」
 大声で叫ぶ。自分は武闘科の生徒だからこれくらいは平気だがさすがに落ちてくる人をキャッチするような経験はない。だが、楓の意識がない以上怪我をさせないようにするにはこれしかない。
「いくよ!」
 光が叫んで窓枠に腰掛けさせた状態の楓から手を離す。すると楓は背中から踊るように落ちてきた。セダは落下地点に回りこみ、落ちる楓の下敷きになるように滑り込む。
「っつてー」
 相当の衝撃だった。まるで大男にタックルを食らったようなそんな印象。後々になったら怪我とかが判明しそうなくらいな衝撃だった。だが、痛みに呻いているような暇はない。光の背後でまた炎が噴き上がった。
「光!」
 楓を安全な場所まで移動させて今度は両腕を広げて構える。
「うん」
 怖がっていたようだが、手の中から水が出る勢いが弱くなったこともあって、1回深呼吸をした後に光も落ちてきた。セダはそれを抱きとめつつ、衝突した状態で二人で抱き合いながら数回庭を転がった。
「平気か?」
 セダが腕から光を開放して聞く。光はなんとか、と弱弱しく笑った。
「よし、みんなの所に戻るぞ」
「うん」
 再び楓を負ぶってセダと光は駆け出した。正直言えば、飛び降りた衝撃はそうでもなかったが、楓と光が落下するのを抱えたせいで、セダは身体を痛めた事を感じていた。しかし、今にも城全体が燃え落ちそうな様子では、離れなくては危険だ。セダと光を待って、みんなもそう遠くへは避難できていないはずなのだ。
 セダは軽い楓の身体を背中に感じながら、前を走る光と共に走り続ける。