モグトワールの遺跡 014

第2章 土の大陸

1.男装少女と女装少年(3)

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 うなだれるミィをなんとか促して一行はキィを取り戻すという作戦の失敗感を抱いてヴァン家の屋敷に戻った。
 ミィの様子を一目見て、執事の青年が無言で一行に一礼し、ミィの肩を抱いて奥に引っ込んだ。それに入れ替わるようにして、別の青年が一行の前に現れねぎらってくれた。食事や扱いは今までと同じように賓客の扱いだが、そこに明るいミィの笑顔がない。それだけで太陽が陰ってしまったように一行には一抹の寂しさが募るのだった。
 翌日になってミィが一行に今まで見せていた姿とは別の姿で現れた。身体のラインがくっきり出るような詰襟の服は、今までと襟の合わせが逆になっている。美しい花々の刺繍が施された服。それは先日会ったエイローズの当主と比べてそん色ないものだった。
 身体のラインが露わになった事で胸のふくらみや女性的なくびれがさすがのセダや光にでもわかる。
「今まで騙していたみたいで、ごめんね」
 うっすら泣いた後が薄い化粧の上からでもわかる。
「改めまして、ミィ=ヴァンです。御覧の通り、女なの。光にも嘘をつかせてごめんね」
 ミィが力なく微笑むので、光が慌てて首を振っている。グッカスはそこで納得した。光の魂見は優秀だ。一目でミィが女性だとわかっていたのだろう。しかし格好からして事情があると思い、こっそり聞いたに違いない。
「キィを連れ戻すことには失敗したけれど、ちゃんと約束は守るわ。皆には協力してもらっただけじゃなくてこちらの事情に巻き込んでしまったもの」
 ミィはそう言って一行に席に着くように促した。用意していたかのように侍女たちが朝食を運ぶ。
「さ、まずは朝ごはん。一緒に食べましょ?」
 ミィはにっこり笑った。その笑みが無理をしているようで心が痛んだ。朝食が一通り終わって、ミィが何でも聞いてと言った。
「なんで、男装をしていたか聞いてもいい?」
 テラがミィを気遣いつつ訊く。するとミィは頷いた。
「今回の作戦で女性陣のヌグファやテラには陽動役をやってもらったでしょう?」
 キィを連れ戻す作戦では、光と楓は契約紋が出ている宝人なのでヴァン家で待機になっていた。それに戦う力のない彼らを戦闘に巻き込みたくないからだ。リュミィは転移を使った逃走のために一緒にいたが、そこはミィには伏せてある。リュミィが宝人であるということは警戒して内緒にして在るのだ。
 そして神殿の内部を知っているミィの先頭で、セダとグッカスでキィの部屋までヌグファたちの起こした騒ぎに乗じて行く。部屋に同室のナルマキアが居た場合や、万が一ナルマキアに出会った場合を想定してグッカスとセダが付いて行ったのだ。
 予想通りに足止めにグッカス、セダが戦った。しかしここで一つの想定外が生じた。同室の少年が強すぎたのだ。おかげでグッカス、セダの足止めに時間を稼げなかった。そして、キィを連れ出したら馬で迂回してヴァン家の屋敷に戻る予定だった。しかし当の本人であるキィがそれを拒否して神殿に戻ってしまったことだ。
「土の大陸の神殿は“女人禁制”なの」
 水の大陸の神殿は巫女が務めていた。聞いたことはないが男性がいないことから男子禁制だろう。
「それで、男装を?」
 ミィが頷いた。
「一般公開されている部分ならともかく、本殿は女人禁制。ナルマキアが派手に騒ぎ出す。だから私は男装して、神殿に食物を運ぶ商家に紛れて何回もキィに会いに行っていたの。見咎められる事がないよう、私がヴァン家のミィであることがばれないようにいつも男装しているようにしていたの。だって、皆が言うのよ? いつも訓練してないと絶対ぼろが出るって」
 つまり、普段から男装して男のふりを練習していたのだ。ミィは言わなかったが、もちろんいざということも考えての男装だろう。もし何か起きても男装してミィではないと突っぱねることもできる。そのための日々の男装だったのだ。
「でもあそこまでキィに怒られるとはね。考えもしなかった。だから、もう、終わりにするわ」
 ミィの様子からすればそれは不本意だっただろう。
「それでいいのかよ?」
 セダが訊く。キィはこのまま王が現れなければ死んでしまう可能性があるのだ。
「よくないわ。よくない! ……でもキィ本人が嫌がるんだもの。無理に連れだせないわ」
「そりゃ! ……そうだけど、さ」
 セダの口調もしりすぼみに消えていく。本人が望んでいないのだ、無理強いは出来ない。
「キィとちゃんと会えたら、話せたらこうもならなかったんだけど。まぁ、いつもの私の暴走ってとこかな?」
 最後には笑うミィ。
「でも、諦めない。確かに考えなしだったけど、キィを諦めることはないわ。他の方法を探すことにする」
「……他の方法って?」
「まだ思いついていないんだけど……」
「いいじゃないか! 方法なんて。別の道を考えることだって大事さ! ミィがキィを救いたい気持ちは間違ってないと思う。俺はキィと話したことないけれど、ミィの自慢の弟なんだろう? だったらキィにはキィの考えがあるんだよ。教えてもらった時にミィが協力できればいいじゃないか」
 セダが励ますようにミィに言った。
「キィが考えている……こと?」
 セダから見てキィはミィに連れ戻されることを嫌がっているのではなかったように見える。どちらかといえば自分が居なくなってミィがどういう目でみられるか、どんな混乱が待ち受けているかを分かり、ミィを心配して怒鳴っていたように思える。
「そうさ。だってミィから見て、キィは簡単に命を手放すようなやつなのか?」
 ミィが首を横に振る。それを見てセダがニカっと笑った。
「だろ? じゃ、キィのことミィが一番知っているのに、ミィが信じてやらなきゃだめじゃないか」
「……そっか。そうよね」
「ああ。だから、キィがいつ死んでしまうって今は決まっていないんだろ? それまで待ってみたらどうだ? キィが助けてってミィに言った時、俺たちだって全力でまた手伝うからさ」
 グッカスが呆れて溜息をついた。目線でお前、その時っていつだ、と問うている。テラも仕方ないわねと言った様子で笑っている。楓と光が顔を見合せてくすくす笑った。セダの発言から生じた笑いが、この場の空気を明るい物に変えていく。それは落ち込んでいたミィにも変化をもたらせた。最初は自信がなさそうだったミィだが、今度こそ力強く笑う。
「要は王がたてばいいのよ。これから私を王にして下さいって魔神さまにお祈りすることにするわ」
「……お前な」
 グッカスが呆れて溜息をつく。だが、楓が首を振った。
「ううん。それが本気ならきっと魔神は叶えてくれるよ」
 楓が優しい目でそう言う。楓がいうと心がほころぶような気さえする。楓だけが持つ、不思議な雰囲気だった。
「うん、ありがと」
 それこそ考えなし、とキィに怒られるかもしれない。でも、ミィにはキィが残ればいい。キィさえ無事ならそれでいいのだ。
「さ、これで話はおしまい! 今度はセダたちの話をしましょ?」
 ミィは確かにあまり深く考えないで行動を起こしてしまう傾向があるかもしれない。だが、気持ちの切り替えがはやい。そこがいいところだろう。前向きに、気持ちを上向きに過ごすことは皆が志しつつも難しいことなのだ。特に哀しい事、嫌な事があればあるほど。
「叔父上にはもう連絡して居るの。だけど忙しい人だからもう少し待ってほしいのね。で、その間にみんなをモグトワールの遺跡に連れて行こうと思っているんだけど、どうかな?」
「賛成!」
 テラが笑顔で頷く。セダたちも頷いた。
「ティーニ!」
 明るくなったミィが執事の青年を呼ぶ。すぐに青年が一礼して一行の前に姿を見せ、元気を取り戻したミィを見てほっとした表情を見せている。
「はい、お呼びでしょうか。ミィ様」
 執事の青年も笑顔になる。やはりミィには笑顔が似合う。
「彼らをモグトワールの遺跡に案内したいの。管理はヴァン家でしょう? 手配できる?」
「はい、すぐに」
 執事の青年は簡単な説明をしてくれた。実はこの神殿を擁する街・ルンガと隣り合った場所にあるという。土の大陸のモグトワールの遺跡は完全に神殿が管理しており、水の大陸でいう禁踏区域に準ずる扱いになっているようだ。一般人は立ち入り禁じられてはいないが、出入りするような場所ではないとのことだ。
 しかし、ミィはヴァン家直系の娘。管理者の一員に登録されているらしく出入りは自由にできるとのことだ。事前に連絡さえ済ませておけば大丈夫だろうと言う見通しだ。
 そう考えるとヴァン家であるミィに一行が世話なったのは運がいい。神殿から許可が出次第、馬車で送ってもらえる事になった。
「それまでの間、この町の観光をなさってはいかがですか?」
 執事の青年が言う。軽くミィに案内してもらっただけでは見切れない場所がたくさんありますよと教えてくれた。
 神殿とは国の歴史を管理する場所でもある。国立の図書館や、研究機関だけではなく一般公開向けの博物館もあるという。水の大陸にはないものだから驚きだ。いや、シャイデ位の大国ならあったかもしれないが、セダたちは立ち寄る時間さえなかったのだ。
「それは是非!」
 ヌグファが目を輝かせた。ヌグファの卒業課題はそういうとこ重要だもんなぁとセダは思っていた。するとテラが肘でつついてくる。
「関係ないとか思っているんでしょうけど、あんたの卒業試験にも関係あるじゃない」
「え? なんで?」
「だって土の大陸の武器は水の大陸とは違ったでしょう? 調べなきゃだめじゃない」
「げ! そうか……」
 セダがそう言って焦った顔をする。
「もし、行程に余裕があるなら、図書館も博物館も寄りましょう? 私、こう見えても歴史の学士の免許は持っているのよ」
 耳飾りの一つを軽く揺らしてミィが笑う。セダは頼む~という仕草をして一行を笑わせていた。

 自室に戻ってミィがキィを連れ戻しに来たことは他言無用と言い含められたカナは自分の愛用の武器を手入れしつつキィを見た。キィは帰り、カナの駆る馬の後ろに乗って神殿まで一緒に帰ってから無言のままだ。
「よかったのか? あのまま帰しちゃってさ」
 キィは互いの部屋に戻ってからも怒った様子のままだったからだ。カナからすれば、ミィという姉は無謀な事をしたとは思うが、その心意気は買うと思う。だって、誰だって身内が死ぬ可能性があるならその場から遠ざけたはずだ。
 自分がミィの立場で、キィがアイリスの立場ならアイリスの思惑も何もかも無視して攫うかもしれない。たとえアイリスがそれを望んでいなくとも。あとでどれだけ怒られたとしても。
 ――そう、彼がまったくそういう雰囲気を出さないから忘れていた。
 彼は神子――王が起たなければいずれその身を魔神に捧げる生贄。
「帰さずどうするのさ。そんなことよりも……」
 キィが短く言う。そこでカナはキィの微妙な、しかし少しの期間は一緒にいる者特有の、ちょっとした表情の変化に気付いた。怒っているようでもあるし、何かを深く考えているようでもある。
 キィは感情の起伏が読みにくい。笑う時は笑うが、怒りや悩みはうまくその表情の下に隠してしまう。付人であるファゴもその辺りは分かりにくいと言っていた。体調変化も悟らせないほどだというからよっぽど他人を信用していないか、他人が嫌いか、自分に鈍感かどれかだ。
 その些細な機微でさえもれなく拾い上げるという――彼の半身、ミィ。おそらく双子ゆえの絆だけではなく、己の半身のように互いの短所も長所も補い合って共に暮らしてきたのだろう。
「ファゴ」
 短くキィが付き人を呼ぶ。彼らが帰ってくる頃には二人の付人は帰還していた。しかし二人の間の空気の悪さを感じ、主人が何かを言うまで控えている。
「はい、キィ様」
「今は?」
 短いやりとり。ファゴは視線を走らせ、首を横に振る。
「良し。配れ」
「は」
 一礼してファゴの身が消える。それを見てカナは驚いた。ナルマキアになるくらいだからと思ったが、ファゴはキョセルの出だったのか。それを悟らせなかったファゴもすごい。上に立つ者は下に従える暗君の腕でその能力が知れると言うが。
「キィ様、私はいかがしましょう?」
 ファンランが静かに問う。つまり、キィはファゴに他の暗君が近づいたら知らせろと言ったのだ。それはキィがこれから他の者に訊かれたらまずい話をするということだ。
「お前はカナの何だ?」
 キィが静かに問う。ファンランはしばらく黙った。カナからすれば今回の神殿入りについてきてくれた幼い頃からの付き合いのお兄さんと言ったところだ。ルイーゼ家も三大王家の一つとあって、人は多い。
 カナは本家、直系であるアイリスに仕える分家だが、血統はそこそこ。そのカナの家にさらに仕えるのがファンランの家だ。アイリスに命じられたといえばそれまでだが、カナ自身はファンランを従兄弟位に親しくは感じている。
「私が主と定めた方です」
「では、アイリス様とカナだったらお前はどちらを選ぶ?」
 そう言った瞬間、周囲に急速に砂が舞い始める。カナが唖然としている中、砂はファンランの首に集まっていく。ファンランも目を見開いてその砂に見入っていた。
「俺が神子だということは知っているな? その砂は誓約だ。お前が嘘をつけば真実を知る土の精霊がお前の首を絞める。嘘はつかない事だ。別段お前が誰に忠誠を誓おうと構わない。ただ、主人が誰かによってお前は俺が決める順位付けに影響する」
「キィ!!」
 カナが止めさせようとすると振り返ったキィの目が異様に黄色く光って見えた。その様子に驚き、脚が、行動が止まってしまう。
「さぁ、ファンラン。答えろ」
 たった二回。
 ――神子である証を示した回数。それをキィが見せている、今。惜しみなく。
「私の主は、カナ様、ただお1人です」
「相違ないな?」
「はい、もちろんです」
 砂が迷うようにファンランの首の周囲で回り、そのまま静かに離れて行く。唐突に砂はどこかへ消えて行った。
「わかった」
 ファンランがふーっと長い息を吐く。緊張を強いられた彼は額から汗がにじみ出ている。それだけ異様な雰囲気がさっきまでのキィにはあった。
「お前が嘘をついていないって、精霊も言っている。悪い事をしたな、ファンラン」
 キィはそう言う。
「ちょ、説明しろよ。キィ」
 カナが己の従者にされた仕打ちについて問う。キィは静かに頷いた。
「ファンラン。鏡を持て」
「はい」
 壁に姿見があるのに何故と思いながらカナはキィによって姿見の前に立たされる。
「ちょっと失礼」
 キィはそう言ってカナの襟を緩め、ファンランに渡された鏡を持つ。
「見ろ、カナ」
 後ろからキィがする行為を見ていたファンランが息を飲んだ。
「カナ、様……!!」
「え……」
 ファンランの驚く声よりも、先に視界に入るキィの持った鏡。そこにはざんばらに伸ばした黒髪の隙間が見えている。そうそう、神殿に入ってから散髪出来なかったんだよ。ここまで、伸びてら。
 ――その項に見える黄色いのは、何だ?
「わかったか? やっぱり、気付いていなかったな」
 キィの言葉が耳を通り抜けて行く。
 黒髪の隙間にのぞく日に焼けた健康な肌。その肌を彩るのは―黄色い何かの模様。
 土の大陸・ドゥバドゥール。その神国における第二の王・岩盤大君(ガルバ・ジルサーデ)の証は何だったか?
「お前が次のガルバ・ジルサーデだ」
 キィの呟きが他人事に聞こえる。
 項に黄色いドゥバドゥールを示す紋様が現れた者こそ・武力を司り軍の統率する王、ガルバ・ジルサーデ他ならない。なら、鏡を通して見えるあの黄色いものは、何だ――?
「……王、紋……?」
 それはドゥバドゥールを示す、大地の円形に剣を組み合わせたようなマーク。
「俺が、……王?」
「そうだ」
 キィの言葉が信じられない。そして、カナの思考は昔へとさかのぼっていく。

 ――そう、あれは……いつだったか。

 他家はどうかしらないが、ルイーゼ家は比較的本家、または直系と言われる血筋を持つ家系と、それ以外の家系の仲が比較的良い方だったと思う。
 三大王家の誰かしらが必ず王に選ばれる。すると次代によって当主を務めるべき家系が変わってしまう事になる。それを避けるために、ルイーゼ家では直系の血筋はいつの時代も変わらない。だが、どの家系から王が選出されてもいいようにルイーゼ家の血を持つものは誰しも直系と同じだけの教育を受ける。
 成長と共に本人の意志と素養を鑑み、将来の道を決め、己の主となる者のサポートをする。生まれと時期で決まる己の主。大抵の場合はすんなりとその運命を受け入れてしまう。
 カナは生まれた時から直系のアイリスに仕えることが決まっていたし、ファンランはカナが生まれてカナの従者になる事が決まっていた。否を唱えれば主を変えてもらうこともできる。自分が上に立つ実力を認めさせれば、仕える事ではなく上の立場の人間にもなれる。
 ルイーゼ家は生まれてから自分が歩むべき道を用意されながら自由にその道を選択できる幅広い未来と、自由意志があった。
 それでも、カナは直系である家の次期当主に仕えることが嫌ではなかった。それは兄弟のように幼い頃から一緒に学び、遊び、過ごしてきたからだろう。
 だが、本来のカナの主は、現在の主であるアイリス=ルイーゼではなかった。
 本来ならば、カナはアイリスの兄、ルイーゼ家を支えるであろうセト=ルイーゼに仕えるはずだった。
 セトとアイリス、カナの三人は兄弟のように仲良く幼少期を過ごした。そんなカナから見ても、アイリスから見てもセトは未来のルイーゼ家を支えるに値する優秀な人間だった。
「セトが当主になったら、俺がセトの盾となり、剣となる武君(セビエトール)になるんだ」
「そりゃ楽しみだ。お前は強いから俺も心強い」
 カナがそう誓えば、セトは優しく微笑み頭を撫でてくれた。そうするとそれに嫉妬したアイリスがかならず張りあってこう言う。
「わたくしは、お兄様を支える文君(ヴァニトール)になります!」
「アイリスは優秀だものな。俺は将来楽できそうだ」
 セトは同じようにアイリスに微笑んでまた彼女の頭を撫でる。右手をアイリスに、左手をカナの頭に乗せて撫でるとその手を下ろして二人の手を取る。いつも一緒だった。
「一緒にセトを支えような、約束だ。俺はセトの為にドゥバドゥール一の武君になる」
「お兄様を二人で応援するの、誓い合いましょう。わたくしはドゥバドゥール一の文君になります」
 幼いアイリスとカナの誓いだった。この三人で未来のルイーゼ家を動かし、より良くしていくのだと。

 ――しかし、それは叶わなかった。いや、叶わなくなった。

 セトは九年前、唐突に死んだ。カナにもアイリスにも訳の分からないうちに急死したのだ。
 それからアイリスは変わった。優秀な兄の代わりとなるべく、必死に昼夜惜しんで勉強し、大人と付き合いだしそして最年少である十三歳というありえない年齢でルイーゼ家の当主になったのであった。
 カナがセトの死に哀しんでいる間に、アイリスは涙を堪えて当主になったのだ。きっと兄の志を果たそうとして。それからカナも死に物狂いで剣に励んだ。アイリスをセトの分まで護ると、そう決めた。
「カナは一番の武君になるのでしょう? なのに、わたくしの武君になると言うの?」
 カナが十五歳を迎え、半人前の証を受け、自分の道を告げた時、当主のアイリスはそう問いかけた。
「この国で一番の武君は武君の頂点、すなわち岩盤大君だろう?それは魔神によって選ばれるし、現在はちゃんといらっしゃる。一番になるのは無理だ。なら、ルイーゼで一番の武君になる。それには当主の護衛を務めればいい。俺の主はお前だ、アイリス」
 アイリスは嘆いていた。セトのために切磋琢磨したカナがセトではなく、自分を主に定める事を。
 アイリスだって心ではわかっている。セトはもういない。直系を支える家系のカナは誰か主を持たなければその実力を発揮できない。
 でもカナだけはセトだけを主として孤高の道を貫いてほしかったのだと。
「俺は一番の武君になるんだ」
 だからカナは言う。セトへの誓いを違えるわけではない。お前との約束は護る。
「そのためにお前を利用するんだ」
「なら、許可します。わたくしの一の武君に御成りなさい。カナ=ルイーゼ」
「御意」

 そう、誓ったのが二年前。それなのに、俺がその岩盤大君、だと?
「ふざけんなよ……!」
 呟いた言葉にキィが驚いている。
「おれは、アイリスを支えるって決めたのに、セトの死を誰よりも哀しんで、誰よりも忘れられないのにセトのために頑張るアイリスを支える為に、そのためだけに……! なのに、おれが王になったら誰があいつを護ってやるんだよ! 誰が、あいつを……支えてやるんだ……」
 カナの握りしめた拳が震える。言葉は逆に尻すぼみに小さくなる。
「諦めろ、お前はもう選ばれた」
 キィが無情にも無表情で告げる。その言葉を聞いて、カナはかっとして手を振り上げた。頭に拳を振り上げようとして、
「カナ様!!」
 ファンランの制止の声が響く。しかし、キィは目を閉じることも無く、カナだけを見つめていた。一瞬も逸らさずに。それに、負けてカナも拳を寸前で止める。
「お前が王だ。どんなに嘆いてもこれはアイリス様にも変えられない」
「なんで……」
 キィは鏡を下ろし、ファンランに渡す。
「大丈夫だ。幸いお前が王に選ばれたのはここの三人しかいない。カナ、まだ隠し通せる」
「……キィ?」
 カナは不思議そうにキィを見つめる。
「俺の考えが的中した。カナ、王に選ばれて動揺もしているだろうし、憤りもあるだろう。だけど、冷静に聞いてほしい。これからのお前に関する事だし、もちろんアイリス様にも関わりあることかもしれないんだ」
 キィの涼やかな瞳を見ていると不思議と落ち着いてくる。カナはキィを見つめ返した。
「お前は時期が来るまで自分が王に選ばれた事を誰にも悟らせてはならない。お前に危険が付きまとうからだ」
 カナがぽかんとしてキィを見返す。
「何故?」
「お前が王に選ばれたことではっきりしたことが二つ存在する」
 キィはそう言って指を一本立てた。
「一つ。それは次の王が決まっていないのがヴァン家だけということだ」
 後ろで聞いていたファンランも不思議そうな顔をしている。ルイーゼ家が擁する次の王がカナであることはわかったが、他の二家は?
「しかし、キィ様……」
 手でファンランを制すキィ。
「二つ目を先に言おう。最後に選ばれる王は神事を司るセークエ・ジルサーデということ」
「どういうこと?」
 カナと聡いファンランでさえキィの思考にはついて行けなかったようで、首をかしげている。キィはいつもならここでにやっと笑う所だが、ひどく真面目な顔をして二人に言い聞かせるように口を開いた。